ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

数年ぶりの内モンゴル!!①

2014年08月26日 | イベント
さ 皆さん、ご無沙汰です。

 久しぶりの内モンゴルツアーを企画して、何とか男女各3名と私自身を含めて総勢7名と言う、とてもいい人数でのグループ旅行と言う形で、私にとっては第二の故郷と言っても過言ではない、中国の内モンゴル自治区の克旗の白音教包(バインオーボー)と言う、とても素敵な小さなシンボルの山のある、大草原に、モンゴルの遊牧民たちが住まう移動式の素晴らしいゲル(中国語ではパオ)に4泊5日するという生活を中心に楽しんで、一昨日無事全員元気に帰国しました。

 今回の久々の内モンゴル行きは、かつて私自身が何度も行った「モンゴル」に私も是非行ってたいという、ある女性の希望があり今年の春から準備を重ねて実現したツアーなのですが、当の女性は体調が良くないとの理由で参加を見合すという結論に残念ながらなってしまい、名古屋に今は住まいする留学生の包君をはじめ、日本国内の小さな旅行社や中国内蒙古自治区の赤峰(チーフン)で、やはり小さな旅行社を営む私の友人でもある張さん、そして草原生活を全面的にサポートしてくれる予定の包君のファミリーなど、多くの知人、友人たちの協力を得ての企画なので、何とか参加者を少なくとも数人は募って実現したいと思っていたので、結局縁あって参加を決めた仲間6人が集まり、6月中旬に漸く最終的な実施が決まったという旅となりました。

 私が最初に内モンゴル草原に足を踏み入れたのは、1988年の夏であり、1990年の夏に子供たちに異文化交流と大自然の体験をさせたいとの趣旨で立ち上げたプロジェクト「地球学校」の企画のテストランとして40人もの大人が、内モンゴルにあるという「幻の湖と呼ばれるダライノール」と言う湖を目指して旅したことが始まりで、翌年の89年に天安門事件が生じ、上海では高知学芸高校の修学旅行の生徒らがたくさん死傷すると言う列車事故が起きたことが重なり、いくらなんでもバブル経済で日本国内は浮かれていたとしても???、子供たちを中国に旅させるのは不安との心境が生じたために、一年延期して、1991年に100人の小学4年生から高校2年生までの児童、生徒100名を全国から募集して実施した「内蒙古地球学校」という大きな企画の実質的な準備を担ったことで出来た「縁を絶やさず」との思いで、93年に実施した「日本海地球学校」の翌年1994年から、私が中心となって、「この指たかれ方式」で、だいたい毎年夏に計画し、たぶん10数年続けてきたのが、このツアーなのです。

 何と今年はわけあって数年ぶりの計画、実施となったため、中国国内の物価が五倍から六倍も数年前から高騰していたり、内モンゴル草原の自然環境や遊牧民たちの生活環境も大きく変化しているとのことも伝わってきていたので、いろいろと準備しながらも、少々不安なところもあり、入念に赤峰の旅行社の張さんや草原でサポートしてくれる包家族の父と息子のO君との連絡、確認もして8月16日に大阪関空を一路北京に向かって飛び立ったのでありました。

 北京では万里の長城の一つ慕田山谷に登頂見学し、北京五輪で新装なった北京北駅から夜行寝台快速で内モンゴルの玄関口でもある「赤峰」まで快適な二段ベッドの二つあるコンパートメントタイプの客室で寛ぎながら、夜明けの赤峰駅に到着したのでした。

 20年ぶりだという、通訳兼ガイドのハスさんと再会し、朝食後運転手さん、通訳のハスチョロ氏と我々7名を乗せたワゴン車は、素晴らしい高速道路の出現で遅い昼食をはさんで、約6時間で私の大のお気に入りの大草原、白音教包の入り口に到着しました。

 待ち受けていたのは、数人のモンゴル人で何と道路上で乃予期せぬ「歓迎セレモニー」が早くも始まり、何と60度を超すと言うモンゴル草原の「白酒」が銀の杯になみなみと注がれて、モンゴル式の天と地と神様に感謝と尊敬の念を表わす儀礼の挨拶をしながら、イッキニ飲み干すという恒例の挨拶が行なわれ、参加者一同驚きつつも、白酒の強い喉越しに酔いました。

 そこからアスファルトの道路ともお別れし、我々が5日間を過ごす予定の素晴らしく準備された特設ゲルに到着しました。

 これからの5日間は、それはされは語り尽くせない程の時の流れの中、ゲルで宿泊し、蒙古馬の乗馬、白音教包への軽登山、羊の解体、満天の星の連夜のショーと続き、一日か早朝より真夜中まで日本国内で感じるよりは倍以上、40時間ほどあるのではないかと思うくらいの時の流れを感じつつ、昼寝や読書、散策なども各自が楽しみながら、三度の食事をとても美味しくいただきつつ、ビールやスイカ、ミネラルウォーターで水分補給を欠かさず、和やかに独特の草原の涼しさと、とても気持ちのいい草原を吹き抜ける風に身を任せる、贅沢な時間を過ごしました。



 詳しくは、また次回のガリバー通信で報告したいと思います。
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内モンゴル草原へ。

2014年07月31日 | イベント
  今日も36度を超す猛暑の夏の陽射しにうんざりの京都だったが、明日から8月、より本格的な猛暑、いや激暑の夏に突入である。

 今春、久しぶりに縁あって、かつて20数回も足を運んだ、中国・内蒙古自治区の素晴らしい眺望の大草原、白音教包(バインオーボー)へ、7年ぶりに行くツアーを企画して、参加者を友人、知人を通じて募集して、男女7名で行くことが決定していたのだが、あつくこんな暑さの中で屋外での仕事をし続けていると、一日でも早く、あの涼しくて勇壮な草原に行きたいと思う時が、しばしばあり、とっても楽しみな今日この頃なのである。

 久しぶりと記したが、きっかけは1988年に遡るのだが、1990年に日本国内の子供たちに、国際的視野での生活体験を夏休みにしてほしいとの企画で、「大きな学校プロジェクト」を立ち上げて、地球は学校、地球が遊び場とのコンセプトで、モンゴル草原での自然体験と国際交流を試みる「内モンゴル草原・地球学校」を開催するために、テストランとして40名の大人たちが、内モンゴル自治区にある「幻の湖」ダライノールを目指して、約1週間の旅に出たことに始まるのである。
 
 その後、計画は1989年の天安門事件や上海高知学芸高校の列車事故の影響もあって、一年延期したが、翌年の1991年の夏休みに全国かうら応募があった、小学4年生から高校2年生までの男女100名の参加で、スタッフ約25名で予定通り、上記の内モンゴル草原に8張りの大型ゲルを建てて、草原生活1週間を含む、10泊11日の大体験ツアーを無事に終えたのであった。

 その翌年から、せっかくのモンゴル人、中国人との出会いと縁を絶やさずに続けようとの思いもあって、自らが言い出しべい的存在で、毎夏「この指たかれ方式」で、参加者を募集して多い年は10数人で、少ない年は3、4人で毎年、ほぼ同じ草原へと旅をして、私自身にとっては「命の洗濯!!」と称する旅として恒例化したのであった。

 ともかく、多くの旅行会社が企画するツアーと全く違う旅の内容だと自負しているのが、観光パオ的住居に体験的に宿泊し、観光ナーダムや乗馬体験でお茶を濁す程度の、眉唾的ツアーの多い中で、私たちは草原に今なお遊牧生活をする現地のモンゴル族の生活ゲル、もしくはすぐ近くにゲルを建てて、草原生活を彼らの生活を垣間見ながら体験するという「ほんまもの」のホームステイ的草原生活を、少なくとも4,5泊はするのである。

 そうして、朝は牧民たちの牛の乳絞りを手伝ったり、羊の放牧に同行したり、羊料理は羊を現地で調達して、解体して食するという形で、生肉、☆肉、
そして羊を丸ごと残さず活かすという徹底的な蒙古族、遊牧民特有の羊丸ごと料理を体験し、ギョーザ作りや食事の手伝いもするのである。

 一日、一日、全ての時間は自由なのだが、近くの牧民の家畜でもある蒙古馬に乗ったり、草原を散策し植物採集やスケッチをしたり、写真を撮ったり、素晴らしい山、白音教包という小高くて眺望のいい山に登ったり、夜は満点の星の下で、流れ星の数を気のおけるまで数えてゲルの外で寝転がったり、本当に自由で自然と優しいモンゴル民族に接して、共に遊んだり笑ったり食事をしたりという時を過ごすのです。

 たまたま、私自身のここ数年が、少し余裕がなくてモンゴルツアーを数年は断念していましたが、昨秋に残念ながら実母が昇天し、少し時間と体力的な自信も回復したので、友人たちの希望もきっかけとなって、今夏久しぶりの企画を実行することとなったのです。


 優しい風に吹かれて、思う存分大草原の自然と、たぶん日本人のルーツであると思われる蒙古族の、大陸的な価値観と素朴な日常生活に触れながら、
私たちがひょっとすると忘れがちな、大切な人間の原点と力と、思いやりなどを思いおこさせてくれる旅となると確信しています。

 早く内モンゴル草原に行きたいな。いやすぐにでも、あの草原に帰りたいという気持ちでいっぱいです。

 あの日、1988年の夏に初めて出会ったモンゴルの少年が、十数年後日本に留学し、京都で10年近くを過ごし、現在は奥さんと子供さんにも恵まれて名古屋大学の博士号コースで研究生活をするB君との出会いと、初めてのモンゴル草原での脱出を手伝ってくれた、当時の赤峰旅行社の張さんとのご縁から、今夏のツアーも実現するという、自然と人との関りを大切にした旅となるのです。

 皆さんも、機会を捉えて是非、内モンゴルの草原での自由で愉快な旅に、次回はご一緒しませんか?

たぶん、人生観や生き方が少しは変わることは、間違いないと思いますよ。
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「七夕」の夜!!!

2014年07月07日 | イベント
今年も「七夕」の夜は京都は曇り空で、たぶん牽牛と織姫星の出会いをイメージする「天の川」は観ることが出来ないだろう。

 小さな子供たちは、幼稚園や保育園などで笹飾りに、いろんな願い事や夢をかいた「短冊」をつるしたことだろうと思うのだが、大人たちも七夕の日ぐらいは、心からの願いを星空に祈りたいものだと思うのだが、なかなか「祈り」や「願い」を聞いてくれる機会が乏しいと思うのは私だけではあるまい。

 今は世界中がブラジルで行なわれているFIFAワールドカップで盛り上がっているが、日本チームすなわち「ザックジャパン」が一次リーグで一勝も出来ずに敗退した後は、ドイツ、オランダ、ブラジル、コロンビアなどの試合をテレビ観戦していても、もうひとつ熱が入らないばかりか、あの兵庫県議の泣きわめきむーの記者会見で興ざめした「政務調査費不正事件」などという、とんでもないアホらしい事件の報道や大型台風接近のニュースなどで水が差されて、なんとも多くの視聴者、我々の心は空しい限りである。

 W杯の準々決勝、ブラジルVSコロンビアの南米強豪国対決では、ブラジルの若きエース、あのネイマール選手がコロンビアのディフェンスの厳しい背後からの蹴りで脊髄の一部を骨折し、今後の出場が出来なくなり、準決勝のドイツ戦での地元ブラジルの苦戦が予想され、大変な騒ぎになっている様子であるが、準々決勝でオランダに延長戦後のPK戦で惜しくも敗退した、コスタリカの善戦、健闘ぶりが私には一番印象的であった。

 ところで、七夕の笹飾りにあなたたら、何と記し、何を願い、何を祈りたいと思われますか?

 子供たちのように素直な心で、胸に手を当てて聞いてみて下さい!

どう考えても、今の日本の政治は間違った方向に突っ走っている様に思えるのですが、戦後日本の平和と繁栄を支えて来たバックボーンにしっかりと根付いていたはずの「日本国憲法」を勝手に捻じ曲げた「解釈」という手段?で、安倍自民党内閣と与党のコバンザメ政党公明党が、「解釈の変更」という姑息な手で、「集団的自衛権」の行使を容認するということを、「閣議決定」したという、とんでもない事実に対しての「怒り」と共に、決して国民の多くは「容認していない」という事実に基づく「平和への願いと祈り」を記し、七夕の短冊に記したいと思います。
こぼし
 しかし、今夜も「七夕の夜」の夜空は曇り空であり、果たしてそうした国民の多くの祈りや願いが、天の川、織姫、彦星たちに通じるかどうか、甚だ不安でもあり、なんとも私の心だけではなく、日本の先行きが今夜の曇り空の如く、大変心配でもあり、大きな声で叫びたい気持ちです。

 すっきりと晴れた七夕の夜空は、なかなか望んでも実現しにくいのは、日本列島に「梅雨前線」が停滞している季節でもあり、ここ数日中に沖縄から本州を狙うが如く接近しつつある「大型台風」がやってくるシーズンでもあるという、最悪のパターンの気象条件の時期であることが、災いしているのだと思いますが、安倍自民党やむ創価学会公明党の国会議員を選出したのは、多くの有権者が投票したという事実の結果であり、「自業自得」と云わざるを得ないわけですが、決して「諦めずに」、次回の総選挙や有権者の権利主張の折には、絶対「NO!」を突きつけ様ではありませんか。

 まだまだ「間に合います!」、私たちの国はたぶん「民主国家」のはずですから・・・。




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何だったのかオバマ来日。

2014年04月27日 | イベント
 アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマが日本にやってきて、国賓として「おもてなし」を受けたというニュースが連日流れたのだが、日米間だけでなくアジア、世界の諸問題に対する日米協議、そたのだろうか。のほかでの成果はあったのだろうか。

 急ぎ足の二泊三日のオバマ大統領の滞在で、東京は数日前からの大警戒で、都市機能の一部が麻痺したり、普通の都民や仕事で都内を走る業者は大変迷惑をこうむっただけで、ほとんど成果といえるものは無く、ただ「すきやばし次郎」というミシュランガイドで三ツ星をいただいている高級すし屋での、おまかせ20カンの握り寿司が注目されただけではなかったか。

 日米間の関心の違いもあり、安部首相は「尖閣問題」や「集団的自衛権の行使」でオバマのお墨付きを貰いたかったのだろうけれど、オバマ大統領は、少なくともTPP交渉での一定の妥協点を見出して帰りたかったと思われる。

 しかし、二日目の日米首脳会談後の共同記者会見では、恒例の「共同声明」は愚か、多くの懸案事項の競技や確認がされたというよりも、ほとんどが「肩透かし」といった様相で、安倍首相が大統領を「バラク!」とファーストネームで呼んでも、大統領は「しんぞう!」とは呼応せず、「安倍首相」と呼ぶ感じで、すべてがすれちがっていた雰囲気で終わった。

 唯一、オバマ大統領が安倍首相の希望に応えたのが、来日を数時間早やめての「すきやばし次郎」での「寿司接待」だったのだが、これも報道によると、お一人3万円以上の「おまかせ」の20カン中、オバマ大統領は14カンしか食べず箸を置き、TPP交渉での首相の決断をせまっていたと伝えられるが、優柔不断の安倍は甘利担当相に再度の協議を促しただけで、結論を得るにはいたらたなかったらしい。

 オバマ大統領は、一応国賓としての来日という形だったので、天皇陛下御夫妻に表敬訪問された後、何故か明治神宮に参拝され、絵馬に世界平和を祈願する文字を記されたらしいが、肝心の安倍の望む、尖閣問題での日本の領土としてのお墨付きはなく、安保条約の対象区域になると言うだけであり、中国への配慮もあり明言かできなかった。

 また、韓国や中国への配慮もあってか、安部首相をはじめとする自民党などの国会議員多数の「靖国神社参拝」や「従軍慰安婦問題」についての言及も避けて、滞在時間30数時間の来日を済ませて、やや失望感を抱いて、韓国へと旅だった様子であった。

 隣国韓国では、あの貨客船の沈没事故での船員の呆れた旅客を置き去りにした避難と、政府の救援、救護の遅れなどもあって、300名前後の死者、行方不明者を出した直後だけに、朴大統領や政府は、日本の「従軍慰安婦問題」について、オバマ大統領が「人権侵害」だとするコメントをあたかも公表したかの如きビデオの編集を行い、国民に対して政府への非難を少しでも反日感情に絡めて和らげようとする工作を行なうなど、米国大統領の訪問を利用したメディアを利用した演出までしたようである。

 ともかく、今回の米大統領の来日の成果はほとんどなく、大相撲で例えれば「横綱に十両がニコニコと寿司をご馳走し、互角もしくは負けてほしいと懇願した如き「茶番劇」となったとごく評されても仕方がない国賓扱いのパフォーマンスだった。
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ボブディラン!ライブ。

2014年04月24日 | イベント
 お久しぶりです。4月21日、月曜日の夜、久々にコンサートライブに行きました。

 中高年の方々には、馴染み深いと思いますが、あの「ボブ・ディラン」の大阪でのスタンディング、ライブでした。

 あの、と改めて称したのは、私たちの世代にとって、60年代から70年代にかけてのポピュラー音楽のシーンに、とにかく革命的な影響を与えたと言っても過言ではない、アーチストであり、音楽家としてだけでなく、ビートルズの明るさと大衆性と比べれば、哲学者の様な風貌と共に、悩める青年と言う感じて我々には、多大な影響を与えた歌手だったのです。

 「風にふかれて」と訳されている「Bloing Window」が代表曲かもしれませんが、転がる石のようにと訳されている「Like a Rolling Stone」をはじめ数々の名曲、問題提起が感じられる、所謂フォーク、ロックの巨匠でもあり、人間的にはとても難しそうな哲学者風情の風貌と共に、ちょっと括弧つけの青年でもあったのです。

 私の場合は、70年代に東京で音楽関係の仕事をしていた関係もあって、当時の日本のフォーク音楽のさきがけに大きな影響を与えたことは間違いのない偉大なアーチストであり、岡林信康、友部正人らをはじめ、日本のアーチストには神様の様な存在でもあったと思われます。してて

 70年代に来日した若きボブディランのコンサートは、たぶん東京の武道館で見た覚えがあるのですが、一万人以上の観衆が入場し、とても熱気に包まれた会場のステージに近い、とてもいい席で見たはずなのですが、疲れていたのかも知れませんが、でかいスピーカーの前で、眠ってしまった記憶が鮮明にあり、今回は約40年ぶりのリベンジ的、コンサート鑑賞になりました。

今回の大阪のコンサートは、ZEPP NAMBAと称するライブ会場で、二階席は22000円の指定席でしたが、1Fのフロアは全て、スタンたディング席、すなわち立ち見席ということで、往年のボブディランをこよなく愛するファンの多くが中高年齢の男女ということもあって、私自身も含めて、最後まで聴衆として踏みとどまることが出来るのか、少し不安でしたが、ステージ上の「ボブ・ディラン」は72歳になっているということで、歌い手のエネルギーとサービス精神には負けまいと、約2時間余のコンサートを最後まで楽しみました。

一部、二部、そしてアンコールと、ボブ・ディランは、20数曲を歌いましたが、今回のコンサートでは何故かギターを演奏することは無く、ピアノを弾き、得意のブルースハーモニカを奏で、独特のしゃがれた声でいまだ衰えない迫力ある歌声を聞かせてくれました。

 ただ、多くのファンが聞きたいと思っていたであろう、誰もが知る名曲、「風に吹かれて・Blow in the Window」や、転がる石の様にと訳されている「Like a Rolling Stone」などの馴染みのある曲は聴くことが出来ませんでしたが、同じ時刻に目の前に「ボブ・ディラン」がいるという現実を多くのファンは、とても感動的 数々の伝説や時代をリードしたことは間違いないと思われる、フォークの巨匠、神様が今もなお健在で、今もそこに居るという現実に酔いしれた二時間余でした。 
日本のフォークやカントリー、ロックミュージックを歌い、演奏する多くのアーチストも、彼、ボブディランに多大な影響を受けた人が多く、岡林信康、友部正人、佐渡山豊、吉田拓郎、泉谷しげるらは、たぶん今回のディランのライブを、何処かの会場で再び見ていたことだろうと想像できるほど、彼の偉大さと共に、ひょっとしたら最後の来日コンサートになるかもしれないという思いもあり、見納めの気持ちでもあった。

 当のボビーこと、ボブ・ディランは日本でのコンサートを昨日終えて、帰国途中にマウイ島によって英気をやしなって、疲れを癒して帰るというニュースも伝わっているので、本当にお疲れさんと言いたい気持ちである。

 バラク・オバマ大統領が来日した日に、小さな巨人のボブディランが、日本を離れて多くの感動を私たちの心のーに残してくれたのである。

 ありがとう! Thank You!
 

 
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大阪、京都の選挙

2014年03月11日 | イベント
 大阪市長選挙が告示され、橋下徹前市長とその他3人の候補者が立候補された。

 多くの市民だけでなく、全国の国民が「何で?」と不思議に感じていると思うのだが、橋下前市長当人だけは?、大義名分があると言い放っていて、他の候補者はそれぞれに、「都構想」には批判的に第一声を上げたらしいと、告示日のテレビは伝えていた。

 私も元大阪市民として、この市長選は何のために行なわれるのか甚だ疑問どころか、橋下徹前市長のお坊ちゃん的我儘としか思えないし、そのために使われる税金が5億円とか6億円とか耳にすると、益々無駄遣いの選挙だとしか思えないのである。

 ところで私の住む京都府でも、もうすぐ知事選挙が行なわれる予定で、今のところ現職の山田知事が自民、公明、民主などの推薦を受けて立候補される予定だが、対抗馬として立候補を予定されているのは共産党が推す尾崎さんというお医者さんだけという対決になりそうなのである。
 
 全国各地で行なわれる地方選挙は、47都道府県の知事を筆頭に現在ある700以上の市長と町村長選挙と共に、各都道府県議会議員、市町村議会議員とたくさんあるのだが、大抵は国会で政権を握り、与党と称されている自民党と公明党が推薦する候補と中には民主党などの野党も推薦するという統一候補がいて、それに対抗する候補者は共産党が推す候補だけという構図が圧倒的に多く、選挙という民主主義的手法がほとんど効力を発揮していないと言っても過言ではない選挙が多いのである。

 本来は、その自治体に住む誰もが被選挙権を有しているのだから、首長選挙はその地に住民票が無くても立候補できるという実態はあるが、いずれにしても選挙と言う手法が必ずしも選挙民である住民の意思の反映と言う形で首長や議員が選ばれているとは限らないのではないだろうか。

 と言うのは、政党やバックとなる組織的力量とでも言うべき力、すなわち金と応援する人たちの力によって、選挙運動の効果はてき面であり、一市民がいくら理想や夢を抱いて思い切って立候補したとしても、大半の場合は「勝利」することはあり得ないと感じている。

 東京都知事選挙が行なわれたのだが、舛添要一さんという候補者を自民党と公明党が推したが故に当選したという事実をテレビや新聞を中心とするマスメディアを通じて報道された情報などとは異なった結果だったと感じた人たちも多くいたと思うのだが、果たして選挙というのは公正正大に行なわれたと言えるのだろうか。

 例えば、原発についての国民感情は、いろんなアンケートの結果でも、原発は徐々にでも縮小してほしいとの願いを持つ国民と原発は廃止してほしいと願う国民が、約八割を占めているという現実があっても、原発推進派の舛添都知事が誕生してしまうのだし、国民、有権者の真の声や願いが必ずしも選挙結果に結びつくとは限らないのである。

 大阪市長と大阪府知事は、現在大阪維新の会、つまり日本維新の会をバックに当選した橋下徹氏と松井知事が務めていたのだが、現在の政治の風とでも言うべき、政党支持率では到底、他の政党がちゃんとした候補者を立てれば、維新の会の候補者が必ずしも当選するという土壌は既にもうないと見て間違いないだろう。

 しかし、今回の大阪市長選挙には維新の会以外の政党は、候補者を立てないという方針で市長選挙の告示を迎えてしまい、全然盛り上がりに欠く選挙戦となっていることは容易に想像できるので、来たる投票日の投票率も伸びないだろうし、低投票率でも橋下前市長の当選が自ずから決まってしまい、住民の意思とは関係ない感じで、橋下徹氏の独断的政治手法が続くだけと言う感じである。

 我が京都府知事選挙も、対抗馬としての尾崎氏を推す共産党がいくら頑張っても、現職知事を推している自民、公明、民主という政党的選挙戦と連合などの労働組合的組織のバックものを言うのは当然だとの見方が大半であり、多くの府民、有権者にとっても投票に行くというモチベーションが低い選挙であり、京都府知事選挙も低投票率となることは避けられないだろう。

 つまり、民主主
手も義という市民、国民、有権者の意思や政策選択と言う選挙の目的そのものが、とても危うい状況に瀕していると言っても過言ではない現状を、どう打開してらいいのだろうか。一人ひとりの有権者市民が真剣に考えねばならない危機の中にいる様に思うのは私だけであろうか。
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沙羅、真央、愛子。

2014年02月25日 | イベント
け sochi.ru 2014、ソチ冬季オリンピックが17日間に及ぶ大会を閉幕した。

 開会式では五輪のマークのひとつが開かなかったアクシデントがあったので、閉会式では人の輪で作った五輪のマークの右上のひとつを不完全な状態で作り、その後綺麗に開いてた五輪マークに仕立てるという、皮肉っぽい凝った演出がなされたりしたが、ともかくメダルには手が届かなかったが、絶賛を博したフリー演技で多くの国民や観衆、海外の人々までもを感激させた、女子フィギュアスケートの浅田真央選手をはじめ、日本選手団だけでなく世界のアスリートたちが笑顔で楽しく行進している様は、やはりオリンピックゲームの醍醐味と共に、とても爽やかなスポーツ祭典であったとの印象であった。

 しかし、モスクワオリンピックを米国と共にボイコットした日本にとっての旧ソ連、現在のロシアでの五輪への参加は、新たなロシア内部の政治対立や宗教、バイセクシャルへの考え方の相違などの心情や反政府的テロの危険性と言うきな臭い背景もあって、大変な警戒の下で行なわれたらしく、観客たちもチケットだけでなく、身分証明を確認できるカードの所持も義務付けられるという状況での開催であったらしい。
 
 そんな中、日本選手団の団長・橋本聖子氏は何故かメダルを10個以上、つまり長野オリンピックで日本が獲得したメダル数を上回る数を取ると目標を掲げて出発したが、結局は金1・銀4・銅3の計8個に終ったのたが、海外での冬季五輪では最高のメダル数であると、マスコミは報道し続けていた。

 私も普通にソチ五輪に関心はあったのだが、5時間半の時差と共に海外の放送権やスポンサーの影響などもあって、フィギュアスケートだけでなく、多くの競技のテレビ中継時間が深夜から未明にかけてという時間帯だったせいもあり、ほとんどはリアルタイムで観ることはせず、朝のニュースや午後のカーリングやスキー総合競技などはリアルタイムで観た以外は、ダイジェスト版の五輪特集などで見届けたのである。

 羽生の金メダルや渡部、葛西らの銀メダルは、当然素晴らしい結果であったのだが、多くの競技の印象の中で、やはり強烈に印象に残こったのは、あの天才少女と謳われた17歳の女子ジャンプの「高梨沙羅」選手、23歳のトリプルアクセルの浅田真央選手、そして30歳を超えて5度目のチャレンジだった、スキー・モーグルの上村愛子選手の3人であった。

 そんなオリンピックの印象は、日増しに語り継がれて行くのだが、浅田真央ちゃんのショートプログラムの演技の順位が16位だったことから、翌日のフリー演技で見事に復活し、自己最高得点をしつつも順位的には6位にしかなれなかった悲運の真央ちゃんにもかかわらず、世界中から賞賛のエールが続いていて、何故か中国のツイッターでは、日本は嫌いだが真央ちゃんの演技には感動したなどというコメントがたくさんあったというのである。

 さすが浅田真央と言いたいところだが、何がそうさせたのか、真央ちゃん自身の弁によれば、ジャンプを跳ぶたびにお世話になった方や姉の舞さん、お父さん、佐藤コーチなどのことを念じて跳んだとのことだが、一晩悔しい思いをしていた彼女自身が渾身の力と技術と経験で、重い空気を払拭したという精神力と最後は自分らしく納得の行く演技をしたいという自己暗示とでもいうべき集中力がなせた技であったと言えよう。

 どうしても金、銀、銅メダルをとったアスリート、選手にスポットが当たるのは当然なのだが、他にもカーリングチームの女子チームの5位、男子フィギュアの町田の5位、高橋の6位、女子8位の鈴木、男子スケート500メートルの加藤5位、長島6位なども含め、多くの選手たちの努力と日頃の鍛錬の結果が必ずしもメダルや入賞には結びつかなかったケースの方が圧倒的には多いのだということを改めて考えると、一人ひとりの選手とその家族、またその選手のために努力しサポートされているコーチや裏方のチームブレインなどの気持ちも大切に思うところである。
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東京、大阪の選挙。

2014年02月05日 | イベント
 東京都知事選挙の投票日まで、あと3日となったが、たくさんの立候補者のなかで主な候補者としてマスコミが報じているのは四人である。

 日本の人口の約一割強が住まう、大都市東京の知事を選ぶべき選挙の報道の一方で、西の大都市大阪市長がまたもや突然の如く市長を辞職し、再選挙に立候補すると表明し、来月にも市長選が行なわれる見通しとなった。

 いずれも大都市の行政のトップである首長を決める大事な選挙であることには間違いないのだが、何かすきま風の様な変な思いがしてならないのである。

 東京都知事選については、告示前の先月にこのブログでも記述したが、匿名氏からのコメントでは田母神氏をとんでもない輩と記したことについての抗議か異論が寄せられていて、その方の意見としては自衛隊20万人の信頼と統括をしてきた方なので国民の安全と生活を守るには一番ふさわしい方だとのご意見であり、私とは全く人の評価が違うのだが、人それぞれの見方、考え方があっていいと思うのだが、けしからんと他人の思想や考え方を批判するのは勝手だが、私は今回の都知事選では高齢だが細川護煕候補を心情的には支持する気持ちである。

 誰もが自分が一番ふさわしいと思い立候補されているのだろうけれど、有権者、選挙民にとっては、その候補者の人となりや考え方、またその背景におられる支持政党や組織、個人などいろんなしがらみや利権などは見えにくいし、ましてや短期間の選挙期間中に多くの有権者が直接、間接的にでも候補者の本当の心情や思いに触れたり、気づいたりすることはとても難しいと思われる。

 前述のコメント氏に言わせれば、細川氏は首相辞任に及んだ際に佐川からの1億円の政治献金が不明だとされるし、舛添氏は女性に対する暴力などの過去があり問題だとの指摘があった。

 いずれにせよ、私たちが知ることの出来る、その候補者個人の個別の情報や過去の人生、また問題点は限られてはいるが、それぞれの自分の人生での価値観、人物評価をそれなりにしていて、一番適格な候補者に投票できれば幸いなのだが、なかなか難しいものである。

 前述した如く、今回の都知事選では多くの立候補者の中で、宇都宮、細川、田母神、舛添の四氏だけがクローズアップされていて、しかもその一部が興味本位とでもいうべき取り上げ方をされる場合もあって、平等な時間や角度からの報道とは言いがたいケースも多い。

 また新聞、テレビを中心とした報道による、前評判とでも言うべき戦況の記事では、都知事選に関しては自民、公明が推す舛添氏が一歩リードし、細川、宇都宮氏があとを追い、田母神氏が続くという様な記事が多く、本来あるべき政策論争においての切り込みや討論に関する記事がなかなか難しいらしく読者にとっての候補者選びには、先入観や諦め感も生じ、なかなか決め手に欠く選挙戦となっているのではないかと思うのである。

 その一つのテーマが原発、エネルギー課題であり、私は原発なしの日本が現在進行中であることも鑑みて、今後の将来の日本は原発を廃止し、今までの放射性廃棄物の処分と廃炉にも多大な税金の投入と安全性の技術が必要なことは必然だが、根気よく将来の子供たちや日本、世界のためにも決断する時だと確信しているので、反原発を訴えている細川護煕氏に共感を感じ、小泉元首相だけでなく、吉永小百合さんや小林武司さんをはじめとする著名人や文化人などの賛同、応援の声を力強く感じている。

 しかし、田母神氏を推す石原元東京都知事や舛添氏を推す自民、公明の国会議員たち、宇都宮氏を推す社民党、共産党、緑の党の人たち、それぞれの主張も一部理解は出来るが、首長選挙は誰が一番たくさんの票を獲得するかで決まるわけで、二番、三番では意味がないのだから、断じて細川護煕氏に一番になってほしいと願うのみである。

 一方の大阪市長選挙については、元大阪市民の一人として、橋下市長、日本維新の会共同代表の政治的手法と言うべき、民意を問うという無茶振りには大義は感じられず、いい加減に選挙を自分の主義主張を通すためのイベントに利用するのはやめてほしいと言わざるを得ない心境である。
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後出し劇場選挙か

2014年01月12日 | イベント
 昨年の暮れにやっとこさ悪態をついて辞任した猪瀬前東京都知事の後釜,次の都知事を選ぶべき選挙が23日告示、来月9日投開票の日程で行なわれる予定で候補者選びが面白可笑しく報じられている。

 一番最初に立候補を表明したのは前回も立候補した、元日本弁護士連合会会長の宇都宮健児さんで、共産党、社民党の推薦、沖縄社会大衆党と前回の参議院選挙で初めて国政選挙に名乗りを上げた「緑の党」も推薦を表明している。

 政権与党の自民党は多様な人物が取り沙汰されたが、新党改革の元代表、元厚生労働大臣の舛添要一さんが立候補の根回しを始め、過去に自民党を除名されたにも拘らず、勝てる候補者の選定が困難だった自民党が擦り寄る形で、都議会自民党との政策協議という踏み絵を踏まされた上で、自民党推薦での立候補が決った様である。

 前政権を担っていた野党第一党の民主党は、参議院選挙での大敗北の後遺症のまま、独自候補の絞込みがほとんど出来ない状態で、マスコミは蓮ホウ議員などを噂した程度で、やはり決め手に欠く候補者選びの真最中に、なんと意外にも細川護煕元首相が小泉元首相の「原発ゼロ」政策と同様のスローガンで76歳の参戦を支持し、立候補とのニュースがマスコミを賑わしている。

 他にはとんでもない輩、あの田母神元航空自衛隊幕僚長が石原元都知事ら右翼的政治家と著名人の推薦で出馬を表明し、ともかく都知事選挙は売名行為も含めて、いつも十数名もの立候補があるから、今回も発明王を自称するドクター中松をはじめ、多くの候補者が乱立する形で、告示日を迎えることとなりそうである。

しかし、今回の立候補者予想では猪瀬前知事の辞職表明直後には、マスコミで話題とされていた候補者として、橋本聖子、小池百合子両議員や、あの東京オリンピック誘致チームの一員で、昨年の流行語大賞にもなった「おもてなし」の元キャスター滝川クリステルさんら女性候補者も取り沙汰されていたのに、蓋を開ければ今のところ男性高齢者ばかりという状況で、やはり問題を少し感じざるを得ないだろうか。

 日本の首都・1300万人の東京の行政を代表する都知事を選ぶという、大変重要かつ世界にも恥じない知事候補者として、民主的日本の現実が高齢者男性候補者からの選出選択肢しかないというのは、とても寂しい限りではないか。

 大阪府知事や、千葉、熊本、北海道など今や多くの道府県で女性知事は誕生したのだが、東京ではは全く候補者すら出ないのでは選択肢として偏りすぎてはいないのかと思うのである。
 
 私は京都府民なので、今春の京都府知事選挙の方に関心を持つべきなのだが、告示が迫りつつあり、後出しジャンケンの方が有利とされてきた今までの都知事選挙は、結局は有名な候補者をセンセーショナルに登場させるパフォーマンスに明け暮れていて、タレント、小説家、著述家などと続いた知事は、東京都民にとって行政手腕と政策についての議論の上で選出されたのか疑問で、今回も子育て、福祉、環境、産業、街づくり、オリンピックなどの多様な施策を十分に議論する間もなく、ただ約二週間余の選挙期間を連呼と握手と有名人の応援合戦に追い立てられて、一票を投じてしまっては、本当の都知事は誕生しないのではないだろうか。

 私は先日、あるテレビコメンターが語った一言、あの大阪地検の証拠捏造事件で逮捕起訴され、その後冤罪が確定し元の厚生労働省に戻られた、村木厚子元局長の名が頭に焼きついており、都民でもない私が推薦しても仕方がないのだが、この方の様に行政経験もあり、幾多の利害や誘導に渦巻く都政で、不正や汚職、癒着などの悪癖にもめげず静かに戦える女性知事候補として、村木さんが推されてもいいのではないかと強く感じている。

 ご本人にその意思ややる気があるなしは判らないが、もうそろそろ東京を皮切りに、従来型の副知事が次の知事候補とか元官僚を政党が推すとか、有名人を借りて来てともかく選挙に勝ちたいという様な候補者選びはやめにしないと、この国は地方も含めて益々クダラナイ行政機関ばかりに成り下がって行くのではないかと危惧する老婆心で一杯である。
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メリークリスマス!!!

2013年12月25日 | イベント
2013年のクリスマスがやってきた。

 子供たちは待ちに待ったクリスマスだと思うのだが、さて全世界の子供たちのうち、どれほどの子供たちのところにサンタはやって来たのだろうかと思うと、日本はとても幸せな国なのではないかと考えさせられるのである。

 私が子供の頃には、サンタはそれほどポピュラーではなく、幼稚園、小学校なのでサンタが来たかどうかを話題にした覚えはほとんどないので、まだまだ貧しい家庭も多かったし、そもそもキリストの誕生という宗教的行事を、現在の状況ほど全国でしていたという感じてもなかっ田と思うのである。

 現代は、子供たちはどう思っているていてのかは定かではないが、クリスマスイブの夜中にサンタクロースがやってくるというのが定番となっていて、よっぽど頑固な父親がいたり、自分ちは浄土真宗だとか言って、クリスマスそのものやサンタの到来などを否定し、やらないという家庭もあると思うのだが、私の知る仏教系の幼稚園でも、最近はクリスマスをお祝い?したり、サンタが登場したりしているとも聞くのである。

 つまり、クリスマスは最近では決っして宗た教行事としてではなくて、季節の風物詩であったり、季節の行事として欠かせないイベント
となっていて、商店街や百貨店をはじめとしたビジネスとしてのセールや特売日としてだけでなく、老人ホームや病院、役所などでもそれなりに便乗した行事や企画がされていぬたりする有様である。

 とにかく、メリークリスマスというのは、「楽しいクリスマス」ということなので、猫も杓子も信仰や宗教とは関係なくても、クリスマスを楽しむという習慣が相当根強くひろがっていると言う感じである。

 逆にクリスチャンであっても、クリスマスには教会へという熱心な方もおられるとは思うのだが、私なんぞはここ数年クリスチャンであっても、クリスマスに教会へ行くという習慣?のない者もいるのである。

 全世界に目を向けると、クリスマスと言うことで、楽しめるという余裕や環境が乏しいところも少なからずあり、内戦や政治的不安定、または経済的貧困ゆえに、今日、明日を如何に食べるかというセッパツマッタ状況の中に生活をやっとこさしているという人々もいて、クリスマスどころか「苦しみます」とむいう駄洒落のごとき現実もあるのである。

 さて、何が言いたいかと言えば、現代の日本の子供たぬちにも、そうした世界の現状を少しでも知ってもらって、将来の自分の生き方、人生の中で考え方や思いに、少しでもそうした現実を考え、自分たちで出来る範囲でのお手伝いや貢献、あるいはサポートが出来る人間になってほしいと思うのである。

 キリスト・イエスが貧しくみすぼらしい馬小屋で誕生したという、聖書が伝える史実をイメージする誕生劇やページェントがキリスト教系の幼稚園や学校、大学、病院、福祉施設などで上演されていることもあるのだが、多くの人たちはクリスマスと言えば、プレゼントを贈る日、もしくはケーキを食べる日としての、何やら商業主義に乗せられたイベントの日としてか思わないとすれば、とても寂しいし、さぞかしキリストさんも悲しく感じておられるのてぜはないかと、老婆心ながら思うのである。
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