ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ついに枚方市長逮捕!

2007年07月31日 | 地域の話題
 私が住む京都府南部の京田辺市に隣接し、大阪府の衛星都市としては人口の多い40万人以上の枚方市の第二清掃工場を巡る「談合事件」が発覚して以来、噂されていた中司市長がついに本日逮捕された。

 私にとっては、建設計画が持ち上がった時点から、枚方市尊延寺の京田辺市との境界線近くの、元下水汚泥の埋立地への清掃工場の立地そのものが問題であった。

 市議会を通じて、枚方市への再三再四の情報公開を求めながら、この候補地の下に眠る汚泥の中に有害物質が隠されていて、十分な漏水索や対応がなされていないので、下流域にわたっての河川の汚染や土壌汚染が心配されたので、徹底的な調査と枚方市への要望を強く求めていた。

 その土地に、枚方市は当初200トンを処理できる清掃工場を建設すると計画していたが、地元住民の反対と共に、中司市長がゴミ半減化計画を持ち出したこともあって、計画は縮小されたが予定地への建設が始まるに至ったのである。

 今回、ついに逮捕されるに至った中司市長は、大阪府議から39歳の若さで地方の中核都市の市長に当選し、4期目も圧倒的な勝利で市長になった「信頼された市長」だったはずである。

 しかし、彼とて人間であったと言うべきか。市長になった時から、実は衆議院議員へのステップのための市長職だと噂されていたくらい、国会議員への強い意思を持つ人だったと聞いていた。

 でも、日本国内では最大の環境問題を中心とするNPOでもある、「地球村」の会員でもあり、この第二清掃工場の建設に際しても、科学的究極の技術でダイオキシンをはじめとする汚染や周辺地域への影響リスクを最小限にするという、強い決意と市民への説明を、説得の大きな柱としていたのである。

 一昨年の11月に建設工事の請負契約に関する「入札」が行われた際に、何と落札予定価格と言われる金額の98.42%という、とんでもない高値で、大林組と浅沼組の大手ゼネコンのJVが落札したのであった。

 この56億円をも超える高額入札に、裏で大手ゼネコンに落札させるという「談合」がなされていて、中司市長も承知した「出来レース」だったと思われる疑惑で、特捜部が慎重に捜査した結果、今日、市長の自宅や市役所、市長室を家宅捜索し、本人を逮捕したのである。

 この談合事件には、前市議会議員で現在大阪府議の初田容疑者と何と大阪府警の警察官で談合防止や捜査に当たるべき平原警部補と共に、副市長も逮捕されていて、前市議や元警察官には、謝礼としての金銭がバックマージンとして渡っていた模様である。

 何せ、こんな高値、高額での談合落札が成功したのだから、少なくとも数億円が余剰利益として、大手ゼネコンには入ったわけで、「談合」様様なのである。

 しかし、全ての原資は、税金であり、「血税」といわれる市民、国民の納税した「お金」の積み重ねである。

 市役所のトップ、政治家、警察官、企業トップ、斡旋した人々、全てが「血税」という意識など全くなく、自分達の利得に目が行っただけの「あざとい談合」事件であったらしい。

 枚方市民のみならず、大きな迷惑を蒙る隣接の京田辺市民としても、やるせない想いである。

 事件が立証され、罪が断罪されても、100メートル近い高い清掃工場の煙突だけはなくならないし、今後の排気がわが町に流れてくることは防ぎようがない。
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小田実氏の死

2007年07月30日 | ガリバー旅行記
 自民党の歴史的大敗という参議院選挙結果の大騒ぎの中で、私達の青春時代の「何でも見てやろう!」の著者で、後に「ベトナムに平和を市民連合」を結成し、「週間アンポ」等の発行や、多くの小説、エッセイ、そして阪神大震災を契機とした、自然災害被害者への公的救済法の成立にも努力した「小田実氏」が胃がんのため今朝帰らぬ人となった。

 私達の世代の「海外への渡航」の夢と現実のきっかけは、小田実氏が東大を出てフルブライト奨学金でハーバード大学に留学するという秀才だったのに、世界を若い身ひとつで貧乏旅行するという「何でも見てやろう!」という精神に勇気づけられたことであった。

 また、60年代後半の学生を中心とする「ベトナム反戦、安保闘争世代」を精神的にも活動的にもリードした「べ平連」の中核的リーダーであり、独特の早口の大阪弁で睨みを聞かしての弁舌は、他を寄せ付けないものがあった。

 お年を召してからも、西宮のお家が阪神淡路大震災で崩壊するという被災経験者として、自治体や政府に被災者救援のための公的支援を訴え続け、一定の救援策を獲得する原動力となった。

 彼の眼光はいつも鋭く、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたが、私は阪神淡路大震災後の神戸の町並みを市民派議員の仲間達と見て回った際に、ご一緒させていただき、少しお話させていただいた記憶があるが、その時の彼は言葉はきつく厳しいのだが、大阪人としてのウイットに富んだ冗談も飛び出して、屈折した中に、おもろいおっさんの一面を垣間見たことがあった。

 50歳にして北朝鮮籍の女性と結婚されたこともあって、益々韓国、北朝鮮を含むアジアにおける、日本の戦後処理や責任問題について鋭く言及し、一方ドイツ、アメリカなどと比較しながら、日本国憲法の「戦争放棄」の精神の大切さと非軍事化の政治的主張は強く持っておられた。

 今から振り返れば、土井たか子社会党時代に東京都知事候補として推されたことがあって、小田氏自身もその気になられたと後に聞いたが、結局政治家としての舞台には一度も立たれず、常にアウトサイダーとしての鋭い論客であった。

 関西の革新的市民運動の常に中心的存在として、小さな集会でも出向いて話され続ける情熱は目を見張るものがあり、私如きも度々、彼の「言葉」に突き動かされたり、深く考えさせられる出会いがあった。

 今、帰らぬ人となられた「小田実氏」の冥福を祈ると共に、強い眼光と言葉の裏に、孤独と人の悩み悲しみを体感された深い精神が宿っていて、そこからの平和と人々の暮らしに対する優しい思いやりがあったと推察するのである。

 彼は、今回の参議院選挙での自民党の惨敗を、どのように感じ発言したであろうかと、亡き人の声を想像しながら、日本の転換期のひとつになるであろう、今日という日を深く記憶にとどめたいと思うのである。
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虫たちは夏休みは大変だ

2007年07月29日 | 季節の話題
 本格的な夏休みに入って、小さな子供達のいる世のお母さん、お父さん達は、さぞかし大変だろうなと推察する。

 幼稚園や小学校の幼児や児童のいるご家庭では、長い夏休みにお父さんが子供たちと一緒にいられる時間はほんのわずかだろうから、若いおかぁさんたちが毎日の「今日は○○に行きたい!」とか「××したい!」という、子供達の欲求や希望に、どの程度応えてあげられるのだろうか。

 とにかく「夏休み」は子供たちにとつては「天国」だろうけれど、おかぁさんたちにとっては「地獄?」かも知れない。

 そんな「夏休み」が始まって一週間が経過して、至るところで「虫」に群がる子供達の姿を垣間見ることが多くある。

 ある男の子の幼稚園児のいるご家庭では、何と二年越しに「蛹」から誕生した「かぶと虫」が何と100数十匹に増えて、おがくずなどで創った水槽の寝床に木々の枝や虫達の好む古木を入れて飼ってはいるものの、水槽が大小合わせて、十個以上になって、玄関先と前の駐車スペースの端を占領していた。

 このお家では駐車スペースは、夏場の家庭用ビニールプールの水遊びのスベースでもあるので、まともに車が停めれないとのおかぁさんの嘆きの声も聞かされた。

 その上、子供たちはたくさんの「虫」を嬉しそうに並べたり、自慢げに戦わせたりはしているが、肝心の餌や水槽の掃除などの世話は、結局母親の役割となっているらしく、おかぁさんは、「もういい加減にしてほしい!」と悲鳴を上げていた。

 一方、やはり十数匹のカブトムシや鍬形を飼っている女の子の姉妹のご家庭では、約二週間の里帰りに、「虫たち」を置いておくことはできないので、一緒に来るまで帰郷するので、水槽ごとの引越しとなり、大変だとのことであった。

 昔、近くの森と子供たちが呼ぶ、京田辺大住の虚空蔵谷でも、たくさんの鍬形やかぶと虫がいて、夏休みの夕刻から夜半にかけて、お父さんと共に懐中電灯に虫網を持った子供たちがやってきていた。

 クヌギをはじめ、かぶと虫や鍬形が気に入って飛んでくるであろう木々の窪みに、砂糖水をしみこませた脱脂綿を入れたり、スイカの甘い端くれを差し込んだりして、みんな翌朝を楽しみにしていたものである。

 その頃、子供達の中には「虫」取り名人がいて、子ども達のお祭りで収穫した「カブトムシ」を一匹つづ値段をつけて売っている奴がいた。

 今でも鮮明に覚えているが、ある男の子は、その「カブトムシ」に魅せられて、「一万円!」と自らが叫んで手に入れようと必死になっていた。

 とにかく自然界にいる「虫」たちに夢中になる少年達の気持ちは推察はできるが、子供達の間での取引で「一万円」はなかろうと、中に入って結局、「五百円」での取引となった記憶がある。

 虫たちにとっては関係ない話だが、短い命だが、子供達の「○×したい!」欲求のひとつとしての対象になっていることだけは間違いない。

 やはり虫たちも生き物である。大切に飼い、大切に世話をして、「いくら?」という値段ではなく、自然界に還してやってほしいものである。
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どこか似ている?!

2007年07月28日 | 感じたこと
 明日は参議院議員選挙の投票日である。

 テレビマスコミも、新聞も盛んに各党首、代表の最後の遊説を取材して、公平な報道を一応心がけている風情には見える。

 しかし、前にも述べた様に、「公平」などありえないのである。

 選挙区に立候補は300万円の供託金がいるし、比例代表候補はひとり何と600万円もの供託金が必要なのである。

 ふつうの庶民が、世直しや何とかせねばと立候補すること自体が大変なリスクがあるのである。

 たぶん選挙資金だけのことではなく、例えば選挙区候補が京都府だけでも1千箇所以上あるであろう、公営ポスター掲示板に自分のポスターを貼るだけでも政党や組織のない候補者は不可能に近い。

 現に、京都府選挙区に立候補しているも、民主党、自民党、共産党の公認候補のポスターは間違いなく全て貼ってあるが、四人目の新風という名の政党の候補者のポスターは貼りきれていない。

 そんな中、天下の自民党の総裁であり、現首相である「安倍晋三」の顔がやや右上を見ている「政党ポスター」がやたら目につくのである。

 この「安倍晋三」の顔がどうも「変」なのだ。

 たぶん、大手の広告代理店が関与して制作されたであろうポスターなのだろうけれど、どうも「目」の部分が修正されているのか、不自然に思えてならないのであった。

 そんな時に、「何かに似ているのでは」と思っていたら、何と、あの信楽の「お狸さん」の陶器の置物の「目」とそっくりであることに気づいたのである。

 失礼かもしれないが、どうも作られた表情で、たぶん首相である自民党総裁の「安倍晋三」氏が国民に訴えているのだろうけれど、私には「信楽の狸」に何処と無く似ていると思って以来、町中に貼られた「安倍」のポスターが「狸」に見えて仕方が無くなったのである。

 美しい国づくりのために、「憲法を変えよう!」、「成長を実感に!」「年金は社保庁を解体してちゃんと保障します」「公務員制度改革で天下りを根絶します」「教育基本法を改正して教育現場を正します」などのスローガンが、全て「狸」の戯言のようにしか聞こえなくなってしまったのである。

 一方、民主党代表の小沢一郎氏も、元自民党幹事長だった頃のぎらぎらした権力欲や田中角栄一派の雰囲気は影を潜めてはいるが、「生活が第一」なんていうキャッチフレーズとは、似ても似つかぬ御仁であることは百も承知であり、全くこちらも「お狸」様である。

 あと続くは、公明党大田代表、共産党志位委員長、福島社民党党首だが、綿貫国民新党代表に至っては、まるで「水戸黄門」の様な「狸」の代表に見えてきた。

 最後に取材され、報道されている田中前長野県知事率いる新党日本も、党内分裂の中での一人舞台を演じている役者のようである。

 全ての党首、代表が「信楽の狸様」の如く見えてしまう、今回の「参議院選挙」に、真面目な真実がひそんでいるのだろうか。

 明日の投票結果が待たれる。マスコミ報道の公平?さが、どの様な国民の審判として表れるのかが気がかりである。
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梅雨明け!迷惑・・?

2007年07月24日 | 季節の話題
 ついに今日、近畿地方も「梅雨明け」が宣言された。

 例年より少し長い「梅雨」の期間に、私達の住む地方ではさほど感じなかったが、全国的には台風4号の影響で梅雨前線が活発になって、特に九州、四国地方を中心に記録的な雨が降り、「水がめ」が満タンになる喜びの一方で、豪雨による土砂災害も相次ぎ発生した。

 梅雨明けの今日、「極暑の夏」の天気を覚悟して、おっさんフリーターの仕事に精出して出かけたのだが、昼下がりの一番暑い時間帯に容赦なく各戸訪問を繰り返していて、とんでもない若いママに出会ってしまった。

 ある住宅街の比較的大きなお家の前でピンポンを押してインターホーン越しに、その家のご主人と話していたところに、若いママが車での外出から子供さんを連れて帰って来た。

 私の営業用のカバンが家の前の駐車スペースにあったので、彼女は運転席から私に向かって怒鳴ったのである。「そこの荷物のけて!」と。

 私は「すみません」と返答して荷物をのけて、彼女が駐車スペースに車を停めて降りて来るのを暫く待って、玄関口で声をかけたのである。

 すると彼女は半分怒り気味に、つっけんどんに嫌な顔をするのである。

 そこで、私は営業用のトークを簡単にして自己紹介をしたのだが、彼女のご機嫌はすこぶる悪い様であった。

 「何かご迷惑でも」と思って尋ねてみると、何と彼女は「こんな暑い日に声をかけられるだけで迷惑だ」と答えたのである。びっくりである。

 確かに見ず知らずの訪問客に声をかけられて怪訝な顔をする人はいると思うが、ちゃんと訪問の理由を述べて誠実に接しているのに、「声をかけられること自体が迷惑だ」と言われたのは初めてだった。

 彼女にとっては、今日の梅雨明けの暑さが応えたのか、それとも日頃から機嫌が悪いのか定かではないが、まったく意外な返答に驚くやらビックリさせられたのである。

 「梅雨明け」という響きは、鬱陶しい雨の続く天候から抜け出せるので心地よいのだが、これからの真夏の猛暑がやってくると思うと、いろんな他人がいる中で、時にはとんでもないお人柄に出会うこともあるのだと思った。

 他人の日頃の日常生活や性格、気質までは初対面で知る由もないが、いくら自分が機嫌が悪くとも、尋ねてきた営業の人間に理由も無く当たることもないのではないかと、自らの中で自問自答したのである。

 一方、同じ様に小さなお子さんがいる若いママが、見ず知らずの訪問客である私に対して、「暑い中、ほんとにご苦労様です」と対応していただいたケースもあり、ちょっぴり暑さを忘れて元気になれたこともあった。

 是非、皆さんも他人とは言え、いろんな人と接する際に、暑さは厳しいですが、気持ちよく接していただきたいと願う気持ちで一杯です。

 お互い様です。暑さやイライラ、不快感は自分だけではありません。

 
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参議院選挙公報が来た。

2007年07月23日 | 季節の話題
 参議院議員選挙は今週末に選挙期間が終了し、今度の日曜日が投票日である。

 私は最近の地方選挙も国政選挙も、ほとんどが期日前投票で行う習慣になっていて、必ず有権者としての政治参加、投票をするので今回も公示日の次の日曜7月15日に投票を済ませた。

 それから一週間が経って、ようやく京都府選挙管理委員会発行の選挙公報が自宅に届いた。

 各都道府県単位の選挙区の定員は京都は定員2人に対して候補者は、自民、民主、共産、新風公認の各一名の4名で、新聞紙上でも何度も紹介され、政策や人となりもある程度熟知した上での投票に迷いは無かった。

 比例代表選出の一票は、政党名か候補者名を投票するわけだが、常に国政選挙で名が出ている既成政党は大なり小なり知っているが、他の候補者を要する政党もしくはグループと候補者の情報は少ない。

 比例代表選出議員は、選挙公報では自民党、民主党、公明党、共産党、社民党、国民新党、新党日本以外に、新風、女性党、9条ネット、共生新党とあり、政党グループが計11もあり、しかも候補者名となれば100名を超える個人名が並んでいる。

 また、比例代表の候補者用のポスター掲示も個人、政党ともルールや基準、また各グループの選挙公報での扱いのスペースの大きさの大小も不明である。

 選挙公報では、自民党、民主党がほぼ一ページに掲載され、公明、共産が約2/3の紙面、社民党、女性党、国民新党、9条ネットは約1/2、残りの共生新党、新党日本、新風などは1/4のスペースである。

 国会議員の数や候補者数によるのだろうが、扱いが決して公平だとは思いません。

 テレビの政見放送や新聞の報道記事も決して公平な扱いとは感じられないものが目立ちます。

 そんな選挙戦状況の中で、未だにインターネットによる選挙期間の更新や書き込みは、「選挙違反」となる恐れがあると指摘され、各候補者や政党においても更新や自粛を行っているみたいだ。

 建前上の選挙の公平化や公費負担という名の国政選挙並びに地方選挙が行わせる一方で数々の不公平が放任されていて、供託金制度もほとんど意味をなしていない。

 参議院選挙の被選挙権を得る満30歳になっても、一人300万円もの供託金を準備しなければ候補者となれないし、得票数が少なければ国庫や地方自治体に没収されてしまうのだ。

 たくさんの不公平、不条理な公職選挙法と言う名の縛りの中で、果たして国民、有権者が限られた情報と報道で、国会議員や国の未来を託す選択が出来るのか、はだはだ不安です。

 期日前投票を済ませた私にとっては参議院選挙は終わっており、今度の日曜日の夜の開票速報を楽しみにしている状況です。

 皆さん、選挙には行きましょう!期日前投票が毎日簡単に出来ますよ。
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ちんちん電車

2007年07月22日 | 地域の話題
 今朝、日曜日の朝のテレビ番組の定番である、「遠くへ行きたい!」は富山県を旅する企画であった。

 その中に登場したのが、ここ数年脚光を浴びている富山市が力を入れている路面電車であった。

 バブル経済と称する、とんでもない金余りと高度成長経済の頂点のようなエネルギーの使い放題の時代から、ようやく目覚めかけたニッポンの経済と地球環境の問題意識から、昭和40年代頃までは全国各地で走っていた、所謂「ちんちん電車」、路面電車を再認識して、もう一度重要な都市交通の手段として見直す動きが出てきたのである。

 実を言うと私は大阪生まれで、高校時代は天王寺まで今のJRで通学し、元気だけはとりえだったので、大抵は学校まで早足で歩いていたのだが、遅刻しそうな時間がない時だけは、阿倍野橋から四天王寺の次まで「大阪市電」に乗っていたのである。

 また大学に通うようになった1年数ヶ月は、大阪から阪急烏丸四条を経て、今出川のキャンパスまで「京都市電」のお世話になることが多かったのである。

 今は昔の、その光景と市内の主要道路の真ん中を「ちんちん」と鐘を鳴らしながらゆっくりと走る「路面電車」のお世話に結構なっていたし、その後も地方都市に元気に走っていた市内電車に好んで乗った記憶がある。

 広島、岡山、鹿児島、博多、長崎そして仙台、札幌、熊本、松山と全国各地で今は懐かしい「ちんちん電車」に乗った記憶は鮮明である。

 しかし、いつのまにか自動車交通万能の時代に押されて、一つ、二つと路面電車が消えていったのである。

 でも根強く今も走り続けている地方都市は、先見の明があったと言えるのではないだろうか。

 いまや世界的に、この路面電車に対する評価と効能がもてはやされていて、京都でも何十年ぶりに復活させようという試案が出ているのである。

 そんな中、北陸富山県の都市交通としての路面電車の活用と、その波及効果に対する評価は、全国的にも注目の都市のひとつとなっていて、車両も最新鋭のモダンな車両が、まるでヨーロッパの都市の様に行き交っているのである。

 写真の路面電車は、大阪の阿倍野を走る上町線の路面電車で、今日の午後、久しぶりに乗車したのである。

 昔から南海電車の路面電車として親しみのある、「阪堺線」と「阿部野橋から浜寺への上町線が今も走っていて、今日は所用で東天下茶屋から阿倍野橋終点までのほんのちょっとだが乗車したのである。

 「そこのけ、そこのけ、お馬が通る」と言った感覚で、自動車交通優先の時代に、軌道内通行は路面電車が優先で、約10分200円の路面電車での移動は終わったが、何ともさわやかな気分の車内であった。

 全国各地で、取り組まれている路面電車復活のプロジェクトの成功の鍵は、何と言っても富山市の如く、利用者が支えなければならないことである。

 「あっぱれ!路面電車」これからも活躍を!!。

 

 

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PK戦で豪に辛勝!

2007年07月21日 | プロスポーツ
 サッカーの亜細亜カップの準々決勝が、ベトナム・ハノイ郊外のスタジアムで行われ、三連覇を目指すオシム・ジャパンが辛うじて、前後半90分、延長戦の前後半30分の2時間余を戦った後、PK戦で辛うじての勝利を収めた。

 前後半を通じて押し気味に戦っていた、ニッポンだがオーストラリアに先制された直後に、高原のシュートで同点にした後は、レッドカードでオーストラリアが1人退場の10人で防御に必死の中、決勝点を奪うことができなく止む無きPK戦になってしまった。

 オシム監督が勝利後のインタビューで語ったように、試合そのものの内容では押され気味のチームの方が、PK戦の一発勝負では勝つことが多いので、ひやひやもののPK戦となった。

 しかし、我がニッポンチームのベテランキャプテンであるゴールキーパー川口の適確な情報把握による対応で、最初の二人のオーストラリアのキックを右に左に予測して完全に防いだことが大きかった。

 同点ゴールを決めた国際経験豊かな高原選手が4人目として、日本選出としては始めてゴールをはずすハイなボールを蹴ってしまった時には、いやな予感が走ったのであった。

 狭い庭を隔てた隣の家からは、同じくテレビ観戦していた、隣の奥さんの大きな声と溜息?迄聞こえてきたような気がしたものである。

 「何してんの、アホかいな!」とか「「馬鹿やろう!!」とか、日頃は聴けないような悪言、苦言がバンバン飛んでくるくらい、熱狂したテレビサポーターも多くいたことだろう。

 テレビの前での観戦では、ハノイの暑さの中でイレブンの消耗度は分らないので、私もついつい、「もっと責めんかいな!」とか、「何してんねん、シュートせんかいな」とかぶつぶつ言いたくなるような戦いであった。

 今夜の様な戦いであったなら、PK戦までもつれ込むことなく決勝点を奪える様な優勢を感じられたケームだっと見えたので、どうしても選手の動きに不満を感じる場面が多くあった。

 いずれにせよ、PK戦の悪しき常識とでも言うべきか、劣勢のチームの方が逆転で勝利を収めるというジンクスを覆して、ニッポンがとにかく勝利をしたことは喜ばしい限りである。

 オシム監督のいつもの苦虫つぶしたような顔が、やはり勝利後のインタビューでは、一瞬でも笑みがこぼれ、勝利の「おめでとう」のアナウンサーの言葉に、つかさず「選手たちに言ってやってください」とは、あっぱれな指揮官だと感心したものである。

 さて、アジアカップ3連覇というアジアでの偉業を、オシム・ジャパンが実現できるか否かは、インタビューノ最後にいみじくも口にした、選手と監督、フロントの一丸となった信頼感と結束にかかっていると思うのだが、オシム自らはメディアやサポーターにどう見えているかだと、批判も可能性も、自らではなくメディアと
ファンたちに委ねたという感じてあった。

 プロスポーツとしての、サッカーの醍醐味を、テレビ観戦ながら久々に味合うことが出来た。
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わが阪神、これからだ!

2007年07月19日 | プロスポーツ
 2003年、2005年と一年おきにセリーグ制覇を成し遂げた、わが阪神タイガースであるが、今シーズンは投手陣の大黒柱だった井川が大リーグに行ってしまい、エースと言える投手の軸がなく、辛うじて下柳が軸となっているが、期待の先発投手陣が定まっていない。

 また打撃陣においても、どうも今岡、シーツらの中軸が元気が無いばかりか、矢野、関本、桧山もぱっとしないし、浜ちゃんが負傷欠場していて、迫力ある打線にはほど遠かった。

 しかしである。交流戦は9勝14敗と苦しんだのに、ここに来て前半戦最後の巨人、中日の連戦に、雨で中止が二試合あったが、7勝3敗という好成績であった。

 今年の特徴は、何と言っても、若手の台頭というべきか苦肉の策としての一軍への登用が、それなりの効果と実績を上げる選手が続出しており、攻撃陣では狩野、庄田、桜井、坂らの若手と昨年から頭角を表している林の存在が大きい。
 
 また投手陣で新助っ人ボーグルソンや昨年から続いてのダーウィンとJFKの一角ウィリアムスの外人勢と若手の日本投手としては、上園、若竹らの活躍も予期せぬ収穫である。

 そんなチーム事情の中にあって、誰しもが認める大きな存在は、やはり「兄貴、金本知憲選手」であることは間違いない。

 7月14日に球団が公表した左足ひざの半月板損傷という大変なハンディを抱えながら、チーム事情と連続フルイニングス出場と言う世界記録を更新中の彼にとっては、「絶対諦めない」、とんでもない硬い決意があるのである。

 現在、彼のCMで有名なファインテンから、鉄人化計画と称するドリンクまで発売されていて、テレビCMでも「金本、金本、金本」が登場しているのである。

 彼の真骨頂は、何と言っても怪我や熱や痛みなどをおくびにも出さずに、痛み止めやテーピング、そして試合前の入念なマッサージや自分に適度な効果的練習といった、さすがベテランの調整ぶりにあると思われるのだが、昨夜の試合は、その「さすが」を地で行く活躍ぶりであった。

 今シーズンは、首位を長らく行く宿敵巨人が相手の、この前半戦最後の戦いにあって、彼の並々ならぬ意思と努力の甲斐が報われるような、阪神甲子園球場のバックスクリーンへの会心の21号ホームランが、目の覚めるような当たりで突き刺さったのである。

 甲子園球場を埋めた5万近い阪神ファンだけでなく、全国各地でテレビ、ラジオ、インターネットで観戦していた約3000万人の阪神ファンにとって、後半戦への期待と夢を繋ぐ大きな一発となったのである。

 さて、首位を奪還した中日に6.5ゲーム、巨人とのゲーム差5.5という好位置に、いつのまにか迫っている、わが阪神タイガースの後半戦は、非常に楽しみである。

 広島カープという最下位チームだけに負け越している優しきタイガースが、後半戦は容赦なき戦いを挑み、奇跡的な逆転優勝への素晴らしいゲームを魅せてくれることだと確信してやまない、昨夜の巨人連破の金本兄貴の姿だった。
 
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さぁ、夏やすみだぁ!

2007年07月18日 | 季節の話題
 子供たちにとって待望の夏休みが、あと二日で始まろうとしている。

 関西地方も先日の台風4号の集中豪雨があけて、いよいよ夏本番の暑さがやってくる季節に突入しようとしている。

 先ほどの夕方、我が家の近くの木々にとまったであろう、蝉の第一声を聞くことができた。

 なかなか元気な「夏ゼミの鳴き声」であった。

 今日、昼の最中に仕事中だったのだが、久御山町の幹線道路を少し入ったところに、突然「鎮守の森」を発見したのである。

 何とも思わず、ある住宅街を抜けて、とある場所へ近道しようと覗いてみると、そこは都会の中の「オアシス」または、隠れ場の様な、まさに鎮守の森であった。

 うっそうと茂った大木が数本あり、中には樹齢何百年と思われる、天に颯爽と伸びた針葉樹が、この鎮守の森の守り神のように堂々と立っていたのである。

 私は、暫し、この大木に魅せられて眺めたあと神社の境内を歩いて、本堂と思しきお堂の前に立った。

 そこには、さ栗神社と書いてあり、この「さ」と言う文字は、当用漢字にはない難しい字であったので、どう読むかは分らなかったのだが、振り仮名が振ってあり、さ栗神社とわかったのである。

 真夏の兆しの日中だったのだが、ここは別天地とでも言うべき日陰が、こんもりとした「森」のお陰で続いていて、近くのお年寄り達も散歩がてらに日常的に使われているみたいだった。

 少ししたら、夏休みを待ちきれない様子の、親子連れが、この鎮守の森にやってきて、小学低学年か、幼稚園の年長さんくらいの男の子は、新調の白い網のついた長い虫取りを持って、お父さんと共にやってきたのである。

 少し昼なお暗い鎮守の森の中を、長い網を持った子供と父の姿は、まるで絵を描いたような「夏の始まり」を感じさせてくれた。

 さて、「カブトムシ」や「鍬形」がうまくとれるのだろうか。

 それとも蝉が早々と出現していたのだろうか。

 成果の程は定かではないが、ほんとうに「夏休み」を待ちきれない子供と、子供にせがまれて、やむなく同行したのであろう、若いお父さんの姿が印象的であった。

 そういえば、昨日も、ある家の前で幼稚園の年中さんの男の子が、数匹のカブトムシ」を自慢げに、私に見せてくれていた。

 2年前から蛹から飼っていて越冬し、今年の春に誕生した「カブトムシ」がいくつかのガラス容器に、うじゃうじゃといるらしいのである。

 隣で、母親が「たくさん居過ぎて困っているんです」と餌の世話や生かしておく工夫について、もううんざりと言った顔を見せていた。

 さぁ、子供たちにとっても、セミ達にとっても、待望の「夏」がやってくる。
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