ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ノア・約束の舟

2014年06月29日 | 感じたこと
 先日、待望の「ノア・約束の舟」を観た。

 あのラッセル・クロウが主人公・ノアを演じ、ハリーポッターシリーズで歯、ハーマイオニー役を演じ続けていた、エマ・ワトソンが大人の女優として、ノアの養女・イラ役で出演していた。

 ご存知の旧約聖書に記されている「ノアの方舟」のお話が、どの様に脚色されて大きなスクリーンに映画として描かれているのか、とても興味深くて、封切り数日後に夫婦で車を走らせて観に行ったのだが、その日はたまたま私たちの結婚記念日でもあった。

 旧約聖書に記されていたイメージでは、人間たちの罪のため、大洪水が起きて人間はノア家族だけが知らされた形で、あらゆる動物たちが「ツガイ」で集められて、大きな木で作る「方舟」の仕事をノアが黙々としていると、周りの人間たちが「変人」扱いをして笑い、誰もがそんな大洪水で全ての人間たちや動物たち、そして大地が海と化すとは思っていなかったのだが、雨が一週間以上続いた挙句、陸地がなくなり、ノアの建造した大きな木船がいつのまにか、大海に船出し、笑っていた人間どもは海の藻屑と消えて行き、半年近くさまよった方舟に食糧が乏しくなった頃に、放たれた小鳥がオリーブの枝を口に咥えて舟に戻ってきて、陸が近いことを知って、ノアたちは歓喜するというストーリーだったと記憶していた。

 今回の現代版のノア・約束の舟という映画は、とにかく一番おどろくのが、CGで作られた映像のガンダムの様な岩怪物がたくさん出て来ることであり、ノアたち家族を悪党どもから守るという役どころで戦うのだが、どうも脚色されすぎていて、変に興ざめする感じであった。

 何故に、こうしたCGによる岩怪物の様な存在がたくさん出てきたのかは、製作者のイメージと意図があるのだろうけれど、私にはどうも納得がいかない作りものであり、旧約聖書に描かれた時代考証的に観ても合点が行かないシーンの連続であった。

 また、時代考証なぞ関係ないフィクションなのだから、エンターテイメントの一つとしての映画演出だとして楽しめばいいのだが、どうもイメージする西暦で言えばBCとADの別れる次代、つまりキリストの誕生した時代前後だとすると、ノアをはじめとする登場人物などの服装や化粧が、やはり現代的だと感じざるをえなかった。


 物語の後半は、ノアと息子、そして嫁との意見の対立などもあり、秘密裏に乗船していた悪党の主がノアの息子と交流していて、舟の中での戦いのシーンも出てくるのであるが、これも親子、ノアと悪党、そして夫と妻という対立構造が、ドラマとしてはストーリー展開に花は添えるのだが、果たして聖書のノアの方舟と、どう解釈が違うのかと映画を鑑賞しながら考えてしまった。

 そんな中、やはりハリ・ポッターでの存在感とはまた違った、エマ・ワトソンの存在感がとても印象深くて、映画の楽しみのひとつはやはり美人、美しい女優さんを見ることだなと、へんに得心しつつ、これまた養女という役どころの微妙な存在と、妻であるジェニファー・コネリーの従順さと最後には夫より息子に賛成するという、母親像が映画とは言え痛烈に感じられて、美しい女優さんに見とれていては、妻のご機嫌がいや関心が既に夫である私よりも娘や息子、そして孫に移っている現実も自覚せざるを得ない感じであった。

 いずれにしても、映画としての醍醐味は大スペクタクル・エンターテーメントとして、十分すぎるほど描写されていて、ツタヤなどでいずれレンタルされる時が来るとしても、こうした映画館で大スクリーンで鑑賞する映画の素晴らしさを実感する洋画としてはやはり最高級の作品だと感じたのである。

 旧約聖書そのものがフィクションだと思えば、現代社会の人間たちに何かの警鐘を感じさせる部分があるのかもしれないと思う作品でもあると思うのだが、どれほどの日本人が、この「ノア・約束の舟」を鑑賞し、人類の未来への警鐘という危惧を感じるのだろうかと、最後には半信半疑の見終わった印象となたのである。

 ともかく、最後まで生き残るのは、どういう人間なのか? 動物たちよりも劣るかもしれない人類の日常生活の価値観と、地球への負荷を与え続けている我々の生き方を再考する必要は、ノアからも学ぶことが出来ると感じたのである。
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言葉に誤魔化されるな

2014年06月10日 | 感じたこと
 いつのまにか当たり前の如く、自民党政府は「日米同盟」と語りだし、マスコミメディアも当然の如く、日米同盟を礎にと言っているのだが、私は戦後の生まれなのだが、「日米同盟」とやらが、締結されたという自覚は全くなく、1960年に日米安保と称する、ある種の軍事的約束が締結されたことは記憶にあるが、当時はこれを「日米安保」、すなわち「日米安全保障条約」とは表現されてはいたが、「日米同盟」なぞとはいわなんだ!!

70年安保と称された、日米安保の自動延長手続きを経て、1980年代後半の経済的好景気である「バブル時期」を終えたあたりから、やたら「日米同盟」たる述語が使われだして今に至っているというのが実感である。

 つまり、政府が意識的に使っているのか、それともメディアといわれるマスコミ、すなわちテレビ、新聞、雑誌が積極的に使用しているのかは定かではないが、国民を「日米同盟」たる呪文の様な言葉で「麻痺」させ様としているのではないかとさえ勘ぐってしまうほど、政府とメディアが結託して使用頻度を高めて、当たり前の如き「用語」としているとしか思えないのである。

 戦後70年にもなろうとしている我が国ニッポンは、太平洋戦争での敗戦国として、連合国軍の主でもあったアメリカ合衆国の言いなりの如き隷属的国家になろうとしているのではないはずなのに、いまだ米国の軍事基地が大手を振って本土はもとより、沖縄県には何と70パーセント以上の基地面積を占領されていて、いまだ治外法権の様な特別待遇、しかも「思いやり予算」などという多額な税金での助成を余儀なくされているという屈辱的関係から抜け出せない状態なのである。

 そんな状況下で、そもそも日本国憲法第九条では、陸海空軍、その他の軍備は保持しないと記してあるのに、「憲法解釈」とやらで、どうして自衛隊を容認する政府が、自民党を中心とした保守勢力だけでなく、村山富市社会党委員長が首相になった時には、当時の日本社会党までが、これを合憲としてしまったという歴史が今に及んでいるのである。

 安倍首相の再登板で、おなか具合が良くなったらしい首相は元気に、まずは「憲法改正!!」と語っていたのに、いちのまにか「集団的自衛権の行使」を内閣における解釈の変更と言う「ずるがしこい手立て」で無理押しして、世界へ自衛隊が米軍に協力して出て行く「屁理屈」を通そうとやっきになっているのが、ここ数ヶ月の政治の実態なのである。

 そもそも「憲法」は、国家権力そのものである政府、内閣、国会を監視監督し、一内閣や一首相の勝手な横暴、思い込み、思想信条での暴走をチェックし、国民の民意を聞いた上での「改正の手続き」は明記しているのだが、今回の安倍首相、自民党、そして公明党をはじめとした補完勢力は、一応の問題点を指摘したりはしているものの、追従する姿勢をあらわにしているとしか思えない集団と化していて、民主主義に反する、憲法解釈の変更と言う姑息な手段で、アメリカ追従型の「同盟国」としての面子を保とうとしているに過ぎないと断言する。

 安倍の語る「積極的平和主義」なる造語の「まやかし」も明らかであり、世界に名だたる平和憲法を保持しながら、その根幹である、「憲法第九条」を解釈などと言う、いい加減な手法で内閣の統一見解として公表し、誰のための集団的自衛権の行使なのかは明らかではあるが、国民の生命、財産を守るために必要なんだという「詭弁」を用いて断行しようとしている「大罪」は許し難い暴挙なのである。

 他にも、「新自由主義」とか、「グローバル化」など、政治や経済における指導的立場?にある専門家や担当者が「新語」を連発し、さも国民にも「当たり前」の時代が来たのだから、「遅れてはならない」とでも説得するがごとく、メディアを通じて「インプリント」させて、まるで、テレビCMが日夜放送されているうちに、美味しそうな食品や健康によさそうなサプリメントが売れて行く感じで、国民にいつのまにか浸透し、「イエスマン」とされて行く様な手法に乗せられてはいけない。

 「気をつけよう!甘い言葉と政治家の新語」というべき、集団的自衛権を振りかざす「積極的平和主義」 なる「まやかし」には断じて誤魔化されてはいけないのである。
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黄信号で止まろう!!!

2014年05月31日 | 感じたこと
五月の最終日、何と京都は真夏日の暑さで朝から夜まで、ともかく「暑いね!!」を連発しながら、自営の移動販売有機八百屋の営業日で走っていた。

 今年になって初めて感じたわけではないのだが、平日の月曜日から土曜日までお弁当の配達と八百屋の移動販売で、毎週約400キロ以上を愛用のスバル・サンバー・ディアスで走っている私自身が、特に最近感じるのが、赤信号さえ無視の危険な車の走行である。

 先日なんぞは、右折レーンの先頭で直進車の走行を眺めながら待ち続けて、漸く信号が右折OKの緑信号にかわったので、右折しようとしたら前方から単車が二台赤信号を無視して突っ込んできたので、こちらが悪いわけではないのだが、いったん交差点の真ん中で停止して、直進しようとする2輪バイクを通過させてから、再度安全確認をして右折したのである。

 また、直進中に前方の信号が青から黄色に変わる頃が予測できる場合は少しスピードを落として、敢えて突っ走らないで黄色信号に替わるのを確認して停止するのだが、後続車が私の車をよけるようにハンドルをきって、交差点に進入し、赤信号にかわっていても平気で直進する他の車があり、とまった私の車が悪い感じで、クラクションを鳴らされたりした場合もあった。

 そんな危険なケースばっかりではないのだが、とにかく先を急いでいるのかドライバーが女性であっても、黄色信号で停止する車は少なく、赤信号にかわっていても危険を顧みず、交差点に突入し、さも自分が優先だとでも言いたげに直進する車が後を絶たないのである。

 かつて、自動車学校で自動車免許取得の講習を受けていたときには、たぶん「黄色信号にかわったら止まれ」と学んでいたはずなのに、多くのドライバーは自らの運転に自信を持ってしまうと、なんとも危険な「我が物顔の運転」になってしいまうのだろうか。

 ともかく、毎日何度かは後続の自動車の動向を気にしながら、信号の変わる際の停止をしようとするのだが、どうも急て停止はかえって危険と思った場合は黄色信号でもやむを得ず直進してしまう場合も時折あるのだが、ほとんどの場合は後続車にとっては、たぶん「赤信号」にかわってしまっているはずなのに、ブレーキを踏む感じは全くない感じで、交差点を突っ切って追従して来る感じであり、信号を見ずに先行車である私の車に続いているだけの感じで「ため息」が出るほど危険を感じるのである

 いくら「黄信号はとまれだよ」と、こんなブログで記してもかわらないかもしれないが、事故に繋がる危険性の高い、危険極まりない「黄信号から赤信号での突入車」に「警告」を発せざるを得ない状況が、どこにもあり敢えて再度「黄信号は止まれだ!!」とドライバーが認識するようにと、運転免許証の更新時や取得時に、指導員や講師を務める関係者に、口がすっぱくなる程言っていただきたいと切望するものである。

 交通事故は、「大丈夫だろう!」とか、「たぶん止まるだろう」とか「きっと来ないだろう」とかの「○○だろう!!運転」が起こす場合が大半ではないだろうかと思うのだが、そうした統計的事故頻発の数値は存じ上げないが、間違いなく自動車を運転していて、危険を感じた多くのケースが「信号無視」だと思うので、くれぐれも「安全運転」を志すドライバーの皆さんが、「自らの命と相手の命を守る」ために、この際自重して危険回避のための「黄信号停止」を実施されれば、たぶんこの社会から交通事故は半減すると思われる。

 少子高齢化社会にあって、より交通事故による悲惨な事故をなくし、尊い命を一人でも多く守るために、私たちドライバーが出来ることは、「酒酔い運転、スピードの出し過ぎ、信号無視」を絶対にしないことは当然のことなのだが、敢えてこれからは「赤信号の手前の黄信号で止まる」という習慣を大切に身につけなければならないと自問自答しながら、皆さんに訴えたいと思います。

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孤独死の増加!

2014年05月25日 | 感じたこと
ここ数年、私は高齢者のお宅を中心として、毎日お弁当を配達する仕事を請け負っていて、主に午前中から午後にかけてお届けしているのだが、高齢域にさしかかっても毎日お元気に出歩いたりされている方もおられるのだが、毎日気候のことやよもやな話を少しして届ける方もいるが、毎日お弁当を保冷剤と共にハッポの箱に入れて玄関先に置いてくるお客様も十数軒あり、多様なお暮らしの実態があるのである。

 そんな中に、昨年の正月明けには、一人のご年配の女性で息子さん家族とアパートに同居されていた、推定80くらいのおばぁさんが残念ながら自ら命を絶たれてしまい、正月明けに息子さんたちがアパートに帰られた時に発見されるという痛ましい事件があり、大晦日前にお目にかかっていた私に警察から事情を聞く電話があり、びっくりするやら戸惑うやらの事件に遭遇した。

 ふりかえって思い出してみれば、一年数ヶ月間平日のみとは言え、毎日アパートの玄関口で顔を合わせて、二言三言は喋っていたお客様のお一人だったので、とても信じられないと思うと同時に、それなりの前触れがあった様に感じて、何かしてあげられなかったかと少し後悔する部分を感じたのが正直なところであった。

 というのは、お届けする様になって以来、実の息子さんと奥さんとお孫さんとの同居なのにも関らず、玄関の扉を開けてすぐ右側の六畳間と思われる部屋にそのおばぁさんが一人生活されていて、奥の台所やリビングへは限られた時間しか入れないという約束事になっていた様で、その方が数週間前に、私は針のむしろの様な生活状態だとおっしゃっていたことがあったのである。

 いくら実の息子や孫との同居といえども、日々の生活は息の詰まる様な環境でのつつましい営みであったと想像すると、他人ではあるが何か助け手になってあげることができなかったかと、今も思い出すたびに後悔してやまないのである。

 そして、一年以上経った今年の数ヶ月前のある日、いつもの様にお届けしている一人暮らしのオジイサンのお住まいであるアパートを訪ねると、玄関先の弁当を入れる鍵付BOXの前に、その方が倒れられているいるのをたので、発見したので、お声をかけて様子をお聞きして、救急車を呼びましょうと提案したのだが、大丈夫との返答があったので体の大きな方だったが、抱きかかえてお部屋の中に運び、ベッド迄運んで横になってもらいお水を飲ませて、一段落したときに再び、救急車を呼びましょうと薦めたのだが、「ええ、娘が来ると思うから」と断られたので、携帯電話を枕元に置いて、くれぐれも無理のない様にと告げて、後ろ髪引かれる思いで、「また明日いつもの時間に来るから」と言い残して仕事にもどったのであった。

 ずっと半日た気にはなっていたが、翌日心配していた気持ちが、まさかの結果となって、私がその方のなくなられた第一発見者となってしまったのである。

 翌日いつもの時間に行くと、アパートのその方の部屋の玄関が少し開いていたので、玄関先から大きな声で○○さんとお呼びしたのだが、返事がなく何度か呼んだ後、「失礼しますよ、上がります!」と告げて狭い奥の部屋の昨日寝ておられたベッドのところに行くと、ご本人はベッドからうつ伏せになって下に落ちた状態で冷たくなってしまわれていたのである。

 大きなため息と共に、自らの携帯電話で119番し、救急車の到着までの数分間に、救急隊員の指示があったので心肺停止状態のその方の胸に両手を当てて蘇生をと試みたが、まったく生き返られる様子はなく、現場に到着した救急隊員の確認でなくなられたのことが明確となり、その後の警察官の到着と監視官らしき方の到着で、現場検証的状況にも立ち合うこととなってしまった。

 私自身も立派な高齢域のおっさんになっているのだが、たまたまかもしれないがここ二年に二件の孤独死とでも言うべき事件、事象に関るはめとなってしまい、益々現代における高齢化時代の孤独死や家族関係の崩壊や亀裂がたくさん生じている現状をつぶさに見て、誰もが孤独死を遂げることのない地域と血縁と友人、知人の縁を大切にした高齢時代を送れるようにと望むばかりである。
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後見サポーター養成!!!

2014年03月23日 | 感じたこと
昨年の秋から、友人の薦めもあって参加した「法人後見サポーター養成講座」の全課程の講義と施設見学、家庭裁判所見学など全日程を修了したため、本日他の6名の受講生と共に、修了証書を授与されて、何とか後見人のサポーターとして、近いうちにデビューし、被後見人の方のためのお手伝いが出来る様になったのである。

 と言っても、特別な資格や専門家としてのスキルや知識を得たというわけではなく、基本的な後見制度を取り巻く情報、知識を学習したに過ぎず、これからが本番と言うべきか、実際の被後見人、つまり認知症や精神障がい、知的障がいなどの事情により、自分の日常生活における簡単なことから、財産管理なども含む、判断能力が低下もしくは厳しくなった方々に対する後見人の委嘱があった方をサポートするお手伝いを始めることで、より細かな実態にあった多種多様な対応を、法的にも学びながら、その方のより良い生活のために少しでも役立つお手伝いが出来ればという気持ちで行なうささやかな支援活動となるのだろうと思う。

 世の中では、まだ多くの方々に市民権を得たとは言えない、成年後見制度なのだが、現代の日本社会が少子高齢化の進む中で、私たちも社会的には所謂「高齢者」の仲間入りをしているのだけれど、幸い心身ともに健康に恵まれているために、所謂社会的弱者とも言われるところの、自己判断や管理能力の低下した高齢者や障がい者の手助けをするという、民法をはじめとする法的根拠のある活動としての「後見人制度」なのだが、まだまだ認知されているとは言いがたいのが現状ではないだろうか。

 私自身は、大学時代の同級生の友人の誘いから、この後見人制度の現状を少しづつ知り、今回約6ヶ月間で50単位に及ぶ講義とスケジュールを経験し、後見人を必要としている認知症や障がい者の現状を知るに至たったのだが、今までの人生での出会いや仕事の関わりからの出会いで、出来れば後見人がおられれば、より日常生活の安心や向上が図れるのではないかと思われる方々とも出会う機会があったので、今後の経験を踏まえて、徐々にお役に立てるケースが増えて来るのではないかと思うのである。

 例えば、後見に関る個人の方の情報や特定できる様な具体的名称などは、当然公的な制度による後見人制度なので、全てが守秘義務が生じるのは当然なので、具体例としては記すことは出来ないのだが、ある障がい者と目されるご家族の場合、家庭生活上での財産管理と共に生活環境の整備というべきか、衛生面も含む家の内外の基本的な整理や清掃がほとんど出来ていない現状などを見聞きしていて、可能ならば後見制度の利用を活かせれば、たぶんその方の家庭生活のクオリティが上昇することは間違いないと思うケースがある。

 また認知症の進み具合によっては、ご一緒に住まわれているご家族がおられない場合、ご本人の金銭管理や日常生活での食事や冷暖房などに必要な火気の取り扱いなどのリスクとも言うべき危惧に対しての、身上監護と財産管理をご家族の中のどなたかか、第三者の後見人の委嘱を通じて、より安心かつ、ご本人にとってより望ましいと思われる状況に近づけることのお手伝いが出来るものと確信するのだが、なかなか後見という制度ならびに後見人という第三者に依頼するという信頼を得るまでには時間が要する場合も多いと思われるのである。

 多種多様な家族関係や、孤独な一人暮らしのお年寄りもおられる現状ですが、20世紀までの社会福祉の制度は大半が、国や自治体行政が一方的に良かれという「措置」という形でサービスもしくは支援をしていたのですが、21世紀に入り日本でも介護保険制度がスタートし、まだまだ課題は多い部分もありますが、一応サービスを受ける側である高齢者や障がい者が選択できる支援制度に変化していることは、皆さんかもご承知だと思いますが、この後見人制度も、その精神の下で民法や後見制度に関する法律に基づいた公的支援制度なので、今後の活用が拡大されることが期待されているのが現状です。

 私たち、今回後見サポーターとして養成講座を修了した者は、七人と少ないですが、昨年の受講修了者10人と共に、少しでもたくさんの後見人を必要とされている方の増加の時代に、後見人をサポートして、直接、間接的に被後見人である、認知症や知的、精神などの障がいによる判断能力の低下した方々の生活の安心と向上のために、少しでも寄与できればと、今後少しづつ担当して支援にお役に立てるようにと今日終了証を手にして決意した次第です。
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「ネトウヨ」って、何?

2014年02月17日 | 感じたこと
二 先日の東京都知事選挙は、史上三番目の低投票率という結果で、自民党と公明党が推薦した舛添要一候補が210数万票を獲得して当選し、猪瀬知事の後釜として都庁の主となってしまった。

 主要?4候補の中で、小泉元首相の協力の下、舛添氏に迫るだろうと予測されていた細川護煕氏は、残念ながら共産、社民党などが推す宇都宮氏にも及ばず3位の敗北となり、反原発の政策スローガンだけでは、76歳とい年齢もあって、なかなか有権者の支持を得るには難しく、宇都宮氏とあわせても舛添候補には及ばないという惜敗を喫する結果となった。

 そんな選挙結果の中で、マスコミ各紙やテレビニュースで、「ネトウヨ」と称する評論や分析がされているものがあり、四位につけた田母神俊雄氏が意外?にも61万余票を獲得した背景が、この「ネトウヨ」的状況、つまり若者を中心としたインターネット上での右翼と的発言や書き込みの増大傾向にあるのではないかというコメントや分析が多かったのである。

 確かに、田母神氏の主張の中心が、右翼的かつ保守、国粋的意見が強く、その主張や人格、政策に対して支持した人たちの中にはネット上での情報や意見などに呼応した様な人たち、特に若者がいたことは否めない様で、投票数の約12パーセントを獲得した田母神候補だが、二十代では約24%の支持を受けていたとのことで、当選した舛添氏に次ぐ得票率を得ていたとの分析であり、その背景に「ネトウヨ」現象があるというのである。

 一方、主要4候補と言われたマスコミの扱いに含まれなかった家入候補は、表だった選挙活動はほとんど報じられなかったけれど、やはり若者を中心とした支持を意外と集め、二十代では何と細川候補を上回る得票を獲得したことから見ても、「ネトウヨ」だけでなく、「ねとさよ」とでも言うべき若者たちの反原発などを含むネット上の政策などが支持されての投票となったと推測された。

 いずれにせよ、東京都知事選挙の得票結果のみならず、現代社会におけるインターネット情報の影響や情報伝達手段としてのツールが大きな社会における知識や告知、またはコマーシャルに役立つ時代となっている状況の中で、情報量や宣伝媒体としての影響力が左右しかねないネット関連のアクセス等の多様性は、一部には大変なリスクや問題を秘めつつも、避けては通れない大きな課題となっていると言えよう。

 都知事選挙の結果の背景として取り上げられていた「ネトウヨ」だが、政治家の右翼的発言だけでなく、NHKの籾井新会長の戦時下の慰安婦発言や、政府が右と言うものを左とは言えないという様な発言、またNHKの運営に関与する委員の問題行動や発言など、多くの右翼的発言や行動、またはその兆候がたくさん出てきていて、欧州のフランスの大統領選挙での国民戦線の18%弱の得票結果や米国でも茶会党と称されるティーパーティーなどが政界を揺るがしている現状を鑑みれば、日本の安倍政権の政策的方向性とあいまって、益々「ネトウヨ」が台頭してくることが予測され、韓国や中国だけでなく、アメリカやアジア諸国、そして欧州諸国も、安倍内閣とその支持層の中に存在する、右翼的、国粋的、保守的動きに対しての警戒心と批判を強める傾向が出てきていると思うのである。

 靖田国参拝や戦時中の慰安婦問題、そして南京大虐殺はなかった等の発言や行動は、議論されるのは自由だが、一方的に批判されたり攻撃されたり、糾弾する等の過激な言論抑圧や統制にならない様なインターネット上の意見交換であってほしいものである。
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若い音楽家が続けて他界!!

2014年01月08日 | 感じたこと
昨晩11時にテレビのテロップに「やしきたかじん死亡」というニュースが流れ、癌を患い闘病生活を続けていたが、正月3日に心不全という形で、64歳の若さ?で帰らぬ人となったという。

 先月にも、我が音楽の原点とも感じる、伝説的な日本語のロツクの元祖的存在として今なお語り続けられている「はっぴいえんど」のメンバーで、世界のビートルズに例えれば、昨秋に来日してエネルギッシュな3時間強のステージを展開した71歳になる、ポール・マッカートニー的存在ではなかったかと思える、「大滝詠ー氏」が突然亡くなったところである。

 いずれも、まだまだ若いと現代では思う、64歳、65歳での死であり、多くのファンや彼らに影響を少なからず受けたと思うミュージシャンや業界関係者のみならず、大きなニュースとして取り上げられ、彼らの冥福を祈る気持ちでいっぱいである。

 「やしきたかじん」さんは本名、家鋪隆仁と言う珍しい名前だが、大阪、関西を代表する様な毒舌?いや、歯に衣を着せぬ言動で「名物司会者」となり、聴取率男とされていたが、本来の姿、本職は歌手であり、顔を知らずして(失礼)聴いていたら、とても情感あふれる曲を歌い上げるアーチストであり、もう少し歌手としての評価やヒット曲があってもよかった人である。

 その風貌というか、人相からしてチョイ悪オヤジの典型の様な見られ方を一般的にはされていたと思うのだが、意外と内心は心優しい紳士だったのかも知れないと思うが、いずれにせよ一度はテレビに復帰したが、再び体調不良で休養し、治療に専念されていたらしいが、残念ながら他界されてしまった。

 彼はテレビでは好き放題言い放なっている様だったが、政治的には橋下現大阪市長や安倍現首相などを推したり、辛坊テレビキャスターなどとの交流や意見交換振りを見聞きしていると、意外にも保守的なところもあり、決してテレビで革新的オピニオンリーダーではなかったのだが、その風貌、風情から革新的意見や批判的感想ばかりを述べている様に錯覚していた人が多いのではないかと思うのである。

 決っして、亡くなった人を批判したいのではなく、冷静に彼のスタンスやパフォーマンスを見る必要があると感じた感想である。

 一方の「大瀧詠一」氏は本名は「栄一」というが、ほぼ本名で「はっぴいえんど」の前身の「ヴァレンタイン・ブルー」に、細野晴臣、松本隆らの誘いを快諾し参加し、翌年には鈴木茂と4人で、アルバム「はっぴぃえんど」を制作、当時アングラ・レコードと呼ばれた「URCレコード」からの発売が実現した。

 実は私は縁あって、その当時のURCレコードの大阪に勤めていたので、彼らの人柄や音楽性に、業界関係者から一目おかれる存在と既になりつつあったことを覚えている。

 大瀧氏はバンド活動と平行して、ソロ活動も始めアルバム「大瀧詠一」を「エレックレコード」から発売し、その後自らが設立した「ナイアガラ・レーベル」で、当時山下達郎や大貫妙子が所属した「シュガー・ベイブ」をプロデュースしたりと、今では常識的になっている、音楽プロデューサー的仕事の日本での草分け的存在でもあったのである。

 ついでと言っては失礼だが、昨年暮れに舞い込んだ「喪中葉書」の中で、一番驚いた亡くなられたという知らせで、私が知る小学生時代の男の子の父親の訃報があり、年が明けた昨日、そのご遺族の家を訪ねて、ご逝去されたお父様のご仏前に手を合わせて、その奥様とも一時間ばかりお話をさせていただいた。

 ご家族は三世代でお暮らしで、亡くなられた父上の父である祖父が92歳でお元気で息子さんに先立たれたお気持は、察することは難しいが、奥さんを通じて感じつつ、お悔やみと冥福を祈るしかない思いであった。
 
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中古車選び!!!

2013年12月12日 | 感じたこと
けつ 昨年の夏にオーバーヒートを起こしてしまい、やむなく三代目を急遽見つけて購入した、スバル・サンバー・ディアス・クラシック手の愛車がまたもや大変なこととなって、使用できなくなってしまった。

 先週の水曜日だったと思うのだが、いつもの様に走りながら異常を感じつつ、なんとかキャブレターの水切れとオイル漏れに注意すれば、まだ何とか走るのではと走行していたのだが、やはり厳しい感じなので、JAFを呼んで応急措置として、冷却水を補助タンクも含めて、たっぷりと補充してもらって、何とか目的地まで走行して用件を済ませての帰路、再び危険を感じるくらいワンボックスの車内が水蒸気の排気で包まれてしまい、再びJAFを呼ぶ羽目となってしまった。

 私自身、JAFの会員歴はなんと30年に及ぶのだが、一日に二度もお世話になるというのは初めてのことだし、JAFのサービスの担当者は違う方だったが、今はコンピューター管理がなされているので、今日お昼過ぎにも呼ばれましたねと二人目の担当者もご存知で、なんともご苦労様と言うべきか、恥ずべき状態でもあった。

 辛うじて自宅まで回転を上げずに、ゆっくりと走行し帰ったのだが、この車ともお別れの時が近づいていると悟ったとのであった。

 翌日止むを得ず、近くのガソリンスタンドでレンタカーを手配してもらい、何とかいつもの週末の有機八百屋の営業はこなしたのだが、このままでは拉致があかないので、至急インターネットでの軽自動車中古車探しがはじまった。

 ガソリンスタンドでも希望の車種のオークションでの出物を探してくれるということとなり、大手?中古車販売のガリバーにもコンタクトして、何とか年内に新たな営業用の軽のワンボックスで、荷物が十分に乗せられる車を探すこととなった。

 従来の私の八百屋営業用の愛車が上記のスバル・サンバー・ディアス・クラシックのライトグリーンの車だったので、三代続いた愛車への愛着が強くて、なかなか別の車種を選んだり、別の全く色の違う車を選択することが難しくて、中古車選びは難航したのである。

 しかも、予算が潤沢にあるのならばいざ知らず、予算は限られていて、全国の中古車情報をインターネットを通して調べながら、ガリバーからやってきた営業マンのグレードや整備が十分な車しか売りませんというポリシーにも耳を傾けつつ、日が経って行くのを感じつつ、何とか年内に新しい中古車をゲットすべく検討したのである。

 赤いディアスは提案されたが、やはり却下。またフォルクスワーゲンタイプのフロントマスクの改造車は魅力はあるが、価格が高い割には走行距離が出ていて、いくら整備されて納車されるとしても不安だ。

 バンタイプは如何ですかとか、いろんな情報の中から、決局関東圏の遠方の中古車ディーラーの展示されていた、ディアスを何とか購入するという結論に達し、予算はオーバーするが「安物買いの銭失い」とならないためにと、家内の資金援助も仰いで、何とか年内納車が出来るという約束が出来た。

 最後に、まったく知らない遠方の他府県の業者なので、私にとっては大金を振り込むという段になって、全額の支払いではなく内金を振り込んで、車が陸送などによって自宅に届いたことを確認したら残金をすぐに支払うというお願いを先方にしたのだが、前金で全額振り込まれなければ契約とはならないとの返答で、少し躊躇したのだ。

 振り込め詐欺や商品である中古車とは言え高額の車を、現地に行って直接見ることもできないまま、言われたままに指定の口座に現金を振り込んだ後、整備や外観も含めて納得の行く状態で無事届くかどうか、非常に心配なのだが先方を信用して決済することとした。

 年内に新たな中古車がやってきて、年末の仕事に何とか無事活躍することを念じているのである。
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さて、賀状は?

2013年11月21日 | 感じたこと
今月の9日に元ビートルズのポール・マッカートニーさんが11年振りに来日し、二日後の11日の大阪・京セラドームを皮切りに71歳で元気な長時間のコンサートを展開し、ビートルズファンには懐かしいビートルズナンバーもたくさん演奏されたという。

 毎日仕事中に自家用車のカーステレオで聴くFM放送でも、とても7たくさんのビートルズの曲とポールの曲を聞くことが出来たが、残念ながら生のコンサートでのポールを見て聞くことはできなかった。

 実はポール・マッカートニーの来日コンサートが告知されて以来、毎日の様に聞くコンサートチケットの前売りのお知らせ宣伝を耳にしながら迷っていたのだが、二年二ヶ月ぶりに沖縄から息子夫婦が帰郷、来宅する予定が最初の大阪でのコンサート日程の11月11日と告知されたので、高額の1万6千円以上するチケット代もあって、諦めるこかくととなったのであった。

 心は揺れていたが、せっかく久しぶりに帰えって来る息子たちと少しでも大切な時間を共にしたいという気持ちが、ポール・マッカートニーを生で観て、彼の歌声をじかに聞きたいという気持ちを上わまわったということである。

 それにしても、関西地方、私の住む京都の南部にも、実は11日から「冬将軍」がやってきたので、常夏の島、沖縄にいつもは住んでいる息子夫婦にとっては、とても寒い時期と重なってしまい、特に息子は「寒い」を連発し、今年初めて出したガスファンヒーターを友として家ではとても寒そうであった。

 さぞかしポール・マットにーさんも寒かったと思うのだが、彼の本国であるイギリスの方が緯度的には北にあるので、これぐらいの寒さは平気だったかも知れないなんて、勝手な想像もしながら、ポールの明るくテンポの良い曲を聴いていたのである。

 まったく話題は違うのだが、11月に入って早くも例年の如く、我が家にも「喪中葉書」なるものが届き出していて、今日現在でも10枚以上にてなるのですが、実は私にとっても今年は4月に実の姉が急逝し、続いて9月には96歳になる実母が昇天しているので、我が家も「喪中」となるのだが、私はあまり「喪中」という習慣が好きではないというべきか、確かに亡くなった母や姉を偲んだり懐かしく思い出したりすることはあるが、決してしめっぽい感情や悲しい思いで縛られているわけではなく、日々の仕事や生活をつつがなく過ごしているので、敢えて「喪中葉書」を出すことはしないむことと決めたのである。

 もうひとつの理由は、正月元旦に「年賀状」が届くのを楽しみに毎年しているので、来年のお正月にも多くの友人、知人から年賀状を心待ちに元旦を迎えたいと思っているからであり、いろんな考え方や価値観、シキタリ、習慣があるとは思うのだが、私は私流に勝手していだき「喪中葉書」は出さずに、正月にいただくであろう、友人、知人からの「年賀状」を楽しみに待ちながら、いただいた方たちには返礼として、正月明けに「寒中見舞い状」をお出しするつもりであり、その内容も母と姉の死は告知するとしても、決して暗いイメージや薄墨一色の葉書とはせずに、明るく元気な「寒中見舞い」としたいと思っているのである。

 
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困っているのは人間なんです。

2013年10月21日 | 感じたこと
 毎日仕事で通る街中の小さな寺院の角に、仏の言葉や著名人の名句や教訓などが、たぶん住職の手書きの墨字で記されているのだが、ここ数日前から書かれている言葉が頭から離れないのは何故なんだろうか。

 そこには、「世の中が便利になって一番困っているのは、実は人間なんです」と書かれてあるのです。

 いつもは全ては仏の御心があなたを導いてくれるとか仏の光があなたの人生を照らしていますとか書かれていることが多かったのだが、この文章は誰の言葉かは定かではないが、とてもシンプルなのだが、とても現代人としての生活者である我々には「ぐさり」と来る真意を秘めていると感じたのである。

 一番最初に浮かんだのは、やはり「原発と核」である。

 原子力と言う科学的メカニズムでのエネルギーを人間があたかも手に入れたが如く、核開発や平和利用と称した「原子力発電所」を建設して日本ではなんと一時期は、全国で54基もの原発が稼動していたのだが、アメリカのスリーマイル島原発事故、ウクライナのチェルノブイリ原発事故に続いて、福島原発の事故が起きてしまって、全世界がその後の日本政府と東京電力の放射能汚染に対する対応や汚染水漏れ事件の防護策について注目しているだけでなく、もはや制御しきれなくなっていると言う感じの対応の遅れや絶対的な拡散防止策の無さなどが露呈していて、世界の知識人だけでなく多くの庶民、国民も「もういい加減にしてくれ!」とでも言いたげな心境に陥ち入っていると言っても過言ではあるまい。

 そんな状況下の日本の原発政策に対して、なんと政界を引退したはずの小泉純一郎元総理が「原発廃止」を直訴する講演やコメントを発信しだしているのは、とてもいいタイミングだと思うのだが、彼の頭の中には息子で衆議院議員の次男坊の将来を期待して、父として出来るメッセージとして、ややパフォーマンス気味ではあるが発言したとも言えよう。

 しかし、「世の中が便利になった」と感じているかどうかは別にしても、この巨大な利害がともなっている「原子力発電所」を稼動し、増設し輸出しようとする勢力にとっては、少なからず「いい加減なことを言うなよ」といった心境かもしれないが、確かに原子力発電所から出るウランをはじめとする放射性物質を大量に含んだ汚染物及び廃棄物の処理は極めて困難で、現在も日本国内にはまともな処理場や廃棄物の埋め立て施設は無いに等しく、永遠に核廃棄物の捨て場に困窮し、多くの地方や過疎地がその捨て場として利用されるしかないとの観測である。

 すなわち、人間の活動をより豊かに?するためのエネルギーとして、とても低コストで発電でき安全だといい続けてきた「原子力発電」が、汚染物の処理や捨て場の無い「巨大なトイレ」の如き邪魔者であることが明白になっているわけで、確かに「一番困っているのは実は人間なんです」そのものなのです。

 また、便利だととても急速に普及したパソコン、そしてスマートフォンなどの端末IT機器だが、先日の女子高校生ストーカー殺人事件だけではないが、多くの犯罪や詐欺、危ない交信などに使われている現状を思うとき、必ずしも世の中が便利になったと言う側面だけでは語り得ない「闇」か「悪」の世界との繋がり、つまり「匿名の見えない罠」とでも言うべき、とても恐ろしい手立てに利用されている部分が間違いなくあり、やはり「一番困っいるのは、実は人間なんです」という言葉の、もう一つの現実だと思うのです。

 いじめや個人的な中傷誹謗、何処で知られたかは不明な差出人からの突然の嫌なメールや批判、言論の自由とかいう範疇ではない、一方的なヘイトスピーチと呼ばれる「嫌がらせ」など、とても不快かつ人権無視の横暴がまかり通る世の中は決して「便利になった」とは言えない「困まった世の中」なのです。
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