ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

バルセロナからの青年。

2010年09月30日 | ガリバー旅行記
 ほんとうに京都もお彼岸過ぎから「秋到来」といった感じで、日中も外歩きの営業仕事をしている私にとっても暑さを感じることの少ない快適な気温になって、清清しく仕事に専念しているのだが、なぜか「蚊」が京都の東山、伏見区の山手を回っていると多くて痒みに耐えられずに、九月も下旬なのに「かゆみ止め」の塗り薬を急遽買ったほどひどく刺されてしまっている。

 それはともかく、日中営業での外歩きとはいえ、京都市内は寺の多い地域もあって、秋の気候の良さも手伝って、多くの観光客がそこら中を歩き回っておられて、よくすれ違ったり道を聞かれたりすることがある。

 今回っている地域に近い東福寺や伏見大社への道を聞かれることが多いのだが、先日は自転車に乗って颯爽と走ってきた外国人の青年がニコニコと近寄ってきて、手持ちの地図を広げて「伏見稲荷はどういったら行ったらいいか?」と英語で尋ねてきたのである。

 突然のことでもあったが、せっかく私を見つけて訊ねているので、何とか教えてあげようと思って「この坂を下ってメインストリートに出たら、左に曲がって約二キロ付近だ」と適当な英語で返答したのだが、なんとか通じたらしく笑顔で「サンキュー!」とお礼を言われたので、すぐさま「何処から来たの?」と訊ねてみた。

 すると「スペインのバルセロナ」というではないか。

 「バルセロナ」と言えば、「あの高い塔で有名なガウディの建造物」が真っ先に思い浮かんだので、何とか話そうとしたら、青年の方が察して「○○教会でしょ!」とサンタ○○という覚えられない有名な建造物の固有名詞を語ってくれた。

 それからと思い出しながら、サッカーの「FCバルセロナ」に「メッシ」という有名な選手がいることや何年前だったろうか「バルセロナ・オリンピック」のこと、そして「バルセロナ・チェア」など、「バルセロナ」には行ったことがないが、何とか話題を見つけて数分立ち止まって話すこととなった。

 話題が途切れたときに、彼はにこやかに笑って私の「グッドラック!」というお別れ言葉に答えて再び「サンキュー」と言い残して自転車で元気に坂を下って行ったのであった。

 彼は日本に来て二週間しか経っておらず、東京で一週間過ごし、京都に来て一週間だが、「京都は素晴らしい!」とお世辞とも聞こえる「賛辞」を残して立ち去ったのであった。

 ほんの数分だったが、遠い国からはるばるやって来た単身の観光客に対して、日本人いや京都人のひとりとして、にこやかに応対し少しでも京都の日本の印象の一こまになれたことに喜びを感じたのであった。

 それから一時間余、仕事に専念した後、軽の会社の車で帰社しようとメインストリートに出たところ、反対方向、つまり「伏見稲荷大社」の方から、先ほどのスペインの青年が自転車に乗って岐路についていたと見えて、再び私とすれ違ったのだが、私は車内からクラクションを小さく鳴らして彼に合図を送ったが彼は気付かずに走り去った。

 しかし、彼の行きたい場所のひとつであった「伏見稲荷大社」の方向からご機嫌の様子で帰ってきた雰囲気だったので、「良かった!」と自分自身は安堵感で一杯となった。

 
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運動会の俊足。

2010年09月28日 | 季節の話題
 先日の土曜日は、我々の町京田辺市も含む全国的に小学校を中心とする運動会が催された日だったらしく、翌日の月曜日が振り替え休日となったために小学生児童が町やスーパーなどに溢れていたのである。

 私も孫の運動会にちょっと見学に行ったのだが、小学三年生は80メートル走ということで、K君は一生懸命に走った甲斐があって、前日の予想の三位より順位をあげて二位でゴールインしたので、本人は嬉しかったことだろう。

 そう大きくはない小学校の運動場で80メートルを走ろうとすると、どうしても二つのコーナーを左へと曲がってゴールに突進という感じの距離であり、一生懸命の子どもたちも、このコーナーワークひとつで順位が変わってしまうほど、短距離走としては難しいものである。

 そういえば、今日のFMラジオで聞いたのだが、今子どもたちの中で大変流行っている運動靴があって、その名も「俊足」ならぬ「瞬足」という商品名のアキレスが販売している靴で、現在全国の小学生の二人に一人は履いてといるということになるほどの人気商品があり、一年間に560万足も売れたのだという。

 左右対称が普通の商品の原則だが、この「瞬足」は、左右非対称ソールがコーナーリングでグリップ力を発揮とキャッチフレーズでも表示している如く、コーナーで差をつけるにはもってこいの運動靴なのだそうである。

 デザインも斬新で、「魅せ色」モデルと称する各種の色合いがあって、エアーコントロールシステムがあり、130グラムの軽量で、学校用、野球用、サッカー用など機能性の違うモデルまであるそうである。

 ネット上で検索してみると、アキレス「瞬足」のページがあり、「速く走るヒケツ」を動画配信して公開もしていて、子どもたちだけでなく親たちにも絶大なる人気商品だというのである。
  
 K君がこの「瞬足」を履いて走っていたかどうかは定かではないが、やはり「かけっこ」も、靴や走り方など工夫とお金をかければ上達することには間違いないらしい。

 運動会で異常に盛り上がるのは、同一学年が同一距離を走る「○○m走」もそうだが、一番は最近では「スウェーデンリレー」とも称される「小さな子どもたちから大人まで」が順にバトンを渡して何周もの運動場を走り抜けるレースだという。

 小学一年生から六年生までのセンバツ選手が走ってバトンを繋ぐという形で、段々と体格や身長がある高学年が登場し、スピードも増して、最後の一周を託されたランナーたちは必死で走り、観客席も児童たちも大いに盛り上がったという。

 そのうち、何人のリレーの選手たちが「瞬足」を履いて走っていたかは知る術もないのだが、足元を見ていればよくわかったはずである。

 とにかく、速く走るための四か条があって、

 ①スタート。息をよーいで吸って、ドンで吐いて走り出すこと。

 ②腕を振る。出来るだけ両腕を交互に思い切り後ろへと振ること。

 ③太ももを意識的に高く上げて、前へ前へと走ること。

 ④そして、ゴールテープ目指して諦めないで走りきることだそうである。
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神秘の島「屋久島」

2010年09月26日 | ガリバー旅行記
 友人で旅行社をしているTさんからの通信が届いた。

 秋分の日が過ぎて、気候がガラッと変わって「秋の風情」となると、なにやら「旅に行きたい」という虫が動き出すのだが、彼の筆による「屋久島・縄文杉」を巡る旅を巡る感想やら、問題指摘などが書かれていて、しばし私も屋久島に旅した気分になった。

 三十代の頃、その当時に関わっていた「子どもたちの遊び場活動」で、夏休みに企画して実施していた「無人島冒険学校」と言う名の子どもたちとのキャンプ生活で、この屋久島の東に位置する「種子島」の西之表市の沖合い12キロにある「馬毛島」という無人島で約一週間を過ごしたことがあり、その準備のためも含めて、種子島には数度通ったというか旅したことがあるのだが、向かいに見える九州一の高い山「宮の浦岳」を眺めても、屋久島に行く機会はなかった。

 そこで、それ以来「屋久島」には一度は行ってみたいと今でも思っているところに、世界遺産という称号をいただいた「縄文杉」をはじめとする「屋久島の自然環境」が観光客のお目当てで、多くの旅人が「縄文杉」に会いに出かける様になっているのである。

 ともかく樹齢7200年と言われているので、ほんとうに屋久杉の親玉の様な「縄文杉」と呼ばれるこの杉は由緒あると言うべきか、神秘的な植物の代表の様な姿で、多くの観光客、登山客を見守っているのだろうと思うのである。

 この島には、私の学生時代の先輩が民宿をしているし、昨年まで私の八百屋さんのお客様だった一家が奥さんの病気治療と自然環境の良さを理由に移住されていることだし、また山尾三省さんが移住し生活している島としても有名なのである。

 現在は、大阪伊丹空港から直行便で屋久島空港までひとっとびで行けるようだが、自然豊かで、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれるほどの動植物の宝庫でもあり、亜熱帯から亜寒帯までの気候があるために、島の90%を占める神秘的な森では、九州から北海道に至る日本の全ての気候が体感でき、約1500種、日本の植物種の7割以上がひしめきあい、さらに固有種(世界で屋久島だけに自生する)が約40種、屋久島を南限とする植物が約140種もあるというのだ。

 そんな素晴らしい自然の宝庫が世界遺産と認定されてから、思い思いの観光登山客が大勢押しかけている様子であり、太古の森のままだった屋久島の森林地帯が荒らされたり、異常な人並みで変化していないかと心配になるほどである。

 しかし、私自身もそうなのだが、一度は行ってみたい島「屋久島」となっているために、益々ツアー客やトレッキング企画に人がわんさか集まって行くのが続いているらしく、自重した方がいいのかなとも思ってしまうのである。

 T氏は、まるで「伊勢詣で」の様で、神秘的な島「屋久島」の「縄文杉」詣でが続いていて、そのマナーや服装、心遣いが軽装過ぎるし、ガイドに頼り過ぎた登山ツアー客が遭難した、昨年の夏山登山で起きた「北海道・トムラウシ山遭難」を連想さす危惧を指摘している。

 九州一の高峰、宮之浦岳は1935mもあるし、1000mを超す山々が46座もある洋上のアルプスとも言われている「高山の島」であることも熟知した上での観光ツアーであってほしいと警告されている。
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写真展「おんな」

2010年09月23日 | 感じたこと
 先日、久しぶりに京都岡崎の京都美術館別館で開催中の日本写真家協会創立60周年記念写真展「おんな・立ち止まらない女性たち、1945-2010」を観る機会を得た。

 最初、「おんな」と赤いひらがなで書かれた写真展のタイトルを見たとき、なにやら「おんな」と題しているので、少し恥ずかしさと言うべきか、観るべきか観ざるべきかと迷ってしまったのだが、戦後65年、昭和から平成にかけての貴重な女性たちの躍動感あふれる写真家たちの秀作を選りすぐっての211点の展示ということなので、思い切って昭和と平成の歴史の行き証人でもある女性たちの姿を見ようと勇気を出して出かけてみた。

 この作品展は、日本写真家協会の会員たちが終戦という未曾有の難局に直面した日本社会の困窮の時代を支えた多くの女性たちの姿から、戦後の復興期を影で支え、やがて社会に進出して行き、現代ニッポンをつくりあげた「おんなたち」の底力に焦点を当てた写真展であった。

 写真家たちのそれぞれの力作は、戦後の社会をいきづいたいろんな女性たちの素直で明るいワンショットを切り抜いた作品ぞろいなので、とてもワクワクした感じて鑑賞することが出来た。

 主役として映っている女性もいれば、脇役を見事に表現しているおんなたちもいるのだが、この企画は二年かがりで約14万8千点の作品の中から選りすぐった211点ということなので、この写真展の211点は14万点余の魂が支えていると日本写真家協会会長の田沼武能氏は、リーフレットに記載し、戦後65年間の日本のビジュアル女性史だと表現している。

 この企画展は、今年八月に東京展が開催され、九月14日から京都での関西展、そして11月から12月にかけて横浜展が日本新聞博物館で開催される予定である。

 私は短時間ではあったが、全作品を凝視して観て回って、なんとももったいない感じさえ思える写真作品のひとつ、ひとつの迫力と女性たちの「生きるエネルギーや優しさ」を強く感じずにはいられなかった。

 中でも面白かったのが、211点の女性たちを多くの写真家たちが撮影した展示された写真の数々だけでなく、戦後の女性たちのお化粧の担い手、「資生堂」が歴代のポスターに起用した女性たちの変遷を知る、貴重な資料でもあるポスターが会場の中央部の丸い柱の周囲に展示されていたのである。

 1946年、原節子。1966年、前田美波里。1978年、山口小夜子。
 1988年、今井美樹。1991年、浅野ゆう子。2009年、土屋アンナ。である。

 広島、長崎の被爆した女性たちから正田美智子さんが皇太子妃となり、安保闘争で樺美智子さんが犠牲となり、石油ショックでトイレットペーパーに群がり、ディスコで踊りまくったり、山口百恵が結婚し、バブルに浮かれていたら、阪神淡路大震災に見舞われ、少子高齢化に突入したニッポンは、ガン黒姉ちゃんから、オリンピック金メダル、宇宙飛行士と女性たちが大活躍。

 間違いなく、女性たちの力強さと優しさが、日本の将来をも決定づける大きな源であることが証明されるであろう。
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イチローの奇跡。

2010年09月22日 | プロスポーツ
 メジャーリーグで活躍する「鈴木一朗」選手、言わずもがなの世界の「イチロー」が、遂にメジャー10年連続200安打という偉業に、あと3安打と迫ったというニュースが伝わり、あと残り12試合で達成することは間違いない見通しとなった。

 日本のプロ野球界でも最初のシーズン200安打をクリアしたのが、当時オリックスに在籍していた「イチロー」なのだが、日本ではその後ヤクルトの青木選手などが200安打を達成していて、今シーズンでは阪神タイガースのマートン外野手が現在、200安打まで2本と迫っているのだが、試合数が断然大リーグの方が多いとは言え、日本選手がメジャー史上初の「10年連続200安打」を記録するとは、「奇跡」としか言えない偉業ではないか。

 日本のゲームソフトやゲーム機で名を世界にとどろかしている「任天堂」が大株主のアメリカ西海岸に本拠地を持つ「シアトル・マリナーズ」に一番ライトで定位置を獲得するや、初年度に新人王を獲得し200本安打を達成したかと思うと、年間最多安打265本というとてつもない大リーグ記録も打ち立てて、メジャーリーグのイチローとしてだけでなく、世界のイチローとしての名をとどろかせているのだが、今年のシーズンはスランプに悩むこともあったが、ようやく連続10年、200安打に手が届くところまで来たのである。

 それにしても、メジャーのプレイヤーとしては小柄なイチロー選手なのだが、左バッターとしての特典を生かした「内野安打」も量産していて、一昨日の二本も今日の4本のヒットの内2本も内野安打という、足の速さと独特の内野守備の届かない場所へと特徴ある打球を転がす天才でもある。

 197安打して連続10年200安打達成まで手の届くところまで来た「天才・努力の人」のイチローなのだが、チームはなかなか勝つことができず、昨日もイチローが今シーズン初めての4安打しても3-5で負けていて、勝てないチームである。

 イチローも数年前の契約更改時に、他チームへの移籍を選択するチャンスがあったのだが、いろんな思いの中、メジャーでのワールドシリーズへの出場を夢ながら、弱小球団であるマリナーズに在籍続けているのだが、個人の記録も大切だが、プロ野球選手としては、憧れの舞台「メジャー・リーグ」での優勝も経験したいだろうと思うのだが。

 一方、日本のプロ野球もシーズンの最終幕が近付いて来ていて、パリーグは西武ライオンズがまさかのマジック4点灯後に、ソフトバンクに3連敗し、どちらが優勝しても可笑しくないデッドヒートとなってきたし、セリーグでは我が阪神タイガースが首位中日との三連戦、昨日は先発チェンを打てず完封負けし、絶対勝たねばと熱い思いで戦った今夜も先発山井に一点も取れず、先発久保を見殺しにする有様で、最期はブラゼルのエラーで中日のサヨナラ勝利で、中日にマジックが点灯という終幕を迎えそうとなった。

 いずれにせよ、イチローがまさに世界のイチローとしての金字塔、10年連続200安打の偉業達成までのカウントダウンは、まさに奇跡のゴールインの様な素晴らしい成績となるのである。おめでとう。
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検察庁の不正。

2010年09月21日 | とんでもない!
 社会正義の審判役のはずの「検察庁」の検事がこともあろうに証拠を改ざんしていたという驚くべきニュースが今日のテレビ、新聞報道などで伝えられ、全く信じられないばかりか、検察官といえども人間がやる行為は、時には役職、肩書きを全く無視した「不正行為」をやらかすものだと改めて思わざるを得ない心境に至った。

 厚生労働省の元局長である村木厚子被告に、先日無罪判決が言い渡された「郵便不正、虚偽証明事件」に関連して、大阪地方検察庁特捜部の43歳のエリート?検事が、証拠品として押収していた上村勉被告の自宅から見つかったフロッピーディスクの更新日を改ざんしていたというのである。

 虚偽有印公文書作成、同行使罪で公判中の元厚生労働省の係長、上村勉被告のこのフロッピーディスクは、村木被告の裁判では証拠品としては採用されなかったらしいが、いずれにせよ検察が描いた犯罪立証のための構図に当てはめる様にと改ざんされたらしいという、とんでもない行為である。

 検察庁の検事と言えば、犯罪行為の立証や罪の立件のために、日夜国家公務員として誠心誠意活動されているものと、一般的には信じられていたはずだが、こんな事件が発覚すると、最近やたら多い「冤罪」と称される各種事件における「捜査段階」を含む、検察側の公務の中に、被疑者が不利益になるような仕掛けや偽証、はたまた今回の事件の様な「改ざん」が意図的に行われている、「氷山の一角」ではないかという見方が出る。

 村木元局長は、「ずさんな捜査」と指摘されている今回の事件がこんなことまでやっていたとするととんでもなく驚いているとコメントされているが、検察はこの問題を一検察官の個人的行為として厳正に対処するだけでなく、組織的、構造的問題として反省し、今後の「検察」のあり方、捜査方法、捜索、証拠書類な管理をはじめ、多くの「可視化」としての問題提起を、じっくりと調査し、今後システムと共に検事をはじめとするモラルの徹底など、山積した課題として取り組まねばなるまい。

 多くの国民が犯罪行為や事件に巻き込まれたり、実行犯としての容疑をかけられて取調べなどを受けるわけではないが、突然やってくる検察官や検事によって一方的な、彼らの「権力」を振りかざした捜査や人権侵害をも含む、言葉や実力行使も交えた「公務」という名の職業倫理に、一旦信じられぬ不安が付きまとうこととなるだろうと思う。

 たとえば、軽微な交通違反に関する被疑者としてのドライバーの訴えや「間違いの指摘」なども、検察側の一方的な論調と共に、一市民は「泣き寝入り」しなければならないという実例も多く見聞きしているのだが、そうした検察のいい加減な一方的「正義」の裏に、こうした「改ざん」や「証拠隠滅」「偽証」などがあるとすれば、「冤罪」や「人権侵害」をも検察が捏造することも出来ると言わざるを得ないのではないだろうか。
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尖閣問題、中国反応。

2010年09月20日 | とんでもない!
 沖縄本島の西にある魚釣島を中心とする「尖閣諸島」を巡っての、日本、中国、台湾の領有権争いとも言うべき問題が、先月の中国漁船の日本の海上保安庁の巡視船との衝突事件以来、急速に問題化し、漁船の船長の拘留延長を機に、中国では日本パッシングが始まっている。

 そもそも、尖閣列島そのものの領有権問題は、1968年の秋に日本、台湾、韓国の海洋専門家が中心となって、国連アジア極東経済委員会の協力の基で、東シナ海一帯の海底の学術調査を行ったことがきっかけで、東シナ海の大陸棚には石油資源が埋蔵されているとの指摘から、中国と台湾(中華民国)が領有権を主張しだしたのである。

 石油資源がある可能性についての発表がなければ、現在に至る「尖閣諸島」問題は、これほどまでの日中間の懸案となっていなかったはずである。

 尖閣諸島は、地質的には中国の大陸棚上にあり、琉球列島とは列となっていないのだが、これらの諸島は現在は日本の沖縄県石垣市に属していて、八重山列島から北北西に約150キロ、台湾からは東北東約170キロの位置にあり、魚釣島を含む5島と3岩礁からなるのだが、総面積的にも約6・3平方キロしかなく、富士山の山中湖を小さくしたくらいの面積である。

 一番大きい島の魚釣島で面積約3・8平方キロで、周囲約12キロ、一番高いところで海抜362メートルとなっているが、他の島と違って飲料水は確保できるので、人が住むことも可能な様である。

 いずれにせよ、今回の中国漁船の衝突事件は、明らかに相手漁船の一方的な巡視船への体当たり的事件であり、公海上であったとしても国際的なルールからしても中国側の違反行為として罰せられるべき事件なのである。

 しかし、中国政府ならびに中国メディアは一斉に日本側が船長を拘留し、公務執行妨害容疑で逮捕したことを巡って激しい反日パッシングをはじめていて、中国国民も領有権問題とは切り離しても衝突行為に対する冷静な判断よりも、政府、メディアの論調を基にデモや日本製品ボイコット、日中の交流活動や旅行の取りやめなど、異常な反応を示している。

 日中政府間での懸案事項でもある、東シナ海ガス田開発の条約締結交渉の延期をはじめ、日中間の閣僚級以上の交流停止や、航空機路線の増便を巡る政府間の交渉も停止するなど非常に強い姿勢で反応しているのである。

 「日本が独断で過ちを繰り返せば、中国はさらに強い対抗措置をとり、その結果は日本が責任を担うことになる」と、中国外務省の報道官はコメントして、船長の即時無条件釈放を要求している。

 さて、菅内閣の新閣僚として、外務大臣の職に就いた「前原前国土交通大臣」や、法務大臣、防衛大臣などはどう対処するつもりなのか、日米間なにおいてもいつも弱腰で米国の言いなりの感が否めないがね、中国政府の一方的な日本パッシングについて、正々堂々と国際世論と共に、正論と共に交渉のテーブルでの説明、説得、毅然とした対応が望まれる。

 新内閣の外交の大きな試金石ともなる今回の事件の対応を見守りたいと思う。
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旬の秋刀魚を料理する。

2010年09月19日 | 感じたこと
 八月はお休みしていた男の料理サークル「おりじ」が久しぶりに集まって、九月第四日曜日に開催する「宇治ゆめカフェ」で用意する「オーガニックランチ」のメニューを八月下旬から考えていたのだが、今秋は猛暑のため東北の太平洋、三陸沖の海水温が異常に高くて、秋刀魚猟が不作で、北海道周辺でも収穫量が伸びず高値だということで、「旬の秋刀魚」を扱うかどうか思案していた。

 しかしようやく今年の暑さも峠を越えて、秋風を感じられるようになってはきたために、やはりメニューに「秋刀魚料理」を入れたくなって、昨年は「秋刀魚の蒲焼丼」をしたのだが、今年は「秋刀魚の葱味噌焼き」をすることとした。

 前もって仕入れしていた「秋刀魚の開き」で自宅で作ってみると、なかなか美味しく感じたのだが、近くの生協に食材の足らないものを買いに出かけたら、何と「一匹95円」の秋刀魚が贓物と頭を取った状態で売っていたので、ちょっと手間を省く意味もあって、試験的に「生秋刀魚」を「葱みそ焼き」にしてみようと購入した。

 メインの男の料理のご飯ものの丼は、今回は最初に思いついた「秋刀魚の炊き込みご飯」から、「じゃこ豆ご飯」という、ちょっとあっさりしたものに変更していたので、おかずの「秋刀魚」は、味噌と味醂、砂糖も入れた調味料に葱をたっぷり入れたタレを秋刀魚の腹に塗って焼くという男の料理となった。

 そのメニューを予告する「チラシ」を宇治の関係者のおばちゃんたちに見せると、さんまは「塩焼きが一番」だと言われたのだが、どうも「塩焼き」というシンプルな食べ方だと、料理したという実感が乏しいので、今回はちょっと調味料に工夫を凝らした「味噌葱焼き」というスタイルで食していただくこととしたのである。

 今夕、仲間が集まって近くの住民センターの調理室でリハーサルとして調理して、皆で食したのだが、やはり一夜干しの秋刀魚の開きよりも、生秋刀魚を調理した方の「味噌葱焼き」の方が好評だったので、来週の本番、すなわちお客様に食べていただく「自然派ランチ」は、「じゃこ豆ご飯」に、「さんまのねぎ味噌焼き」をメインに、他に「春雨と菜っ葉と豚肉の塩炒め」、ミズナとお豆腐のすまし汁、香の物という定食としておだしすることとなった。

 お越しいただくお客様には「定食メニュー」だけのご提供なのだが、一食格安の「600円」ですので、JR宇治の駅前近くにお越しの節は、毎月第四日曜日のお昼時だけですが、是非「ゆめカフェ」と称する元居酒屋の「赤提灯」が残るお店へご遠慮なくお越しくださいませ。

 宣伝ですが、宇治警察署の市役所より50mほどのところで、目立たない店ですが、小さな作業所「ゆめハウス」の事業として行っていますので、お立ち寄りくださいませ。

 「旬の秋刀魚」を今秋「はつもの」として、召し上がっていただきたいと思います。

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秋の到来!!

2010年09月18日 | 季節の話題
 昨夜は、ほんとうに秋を感じる健やかで涼しい風が吹き抜けて、夕方からの移動販売八百屋の営業で十時近くまで走っていたが、何ともいえぬ喜びと言うべきか、「自分の健康と幸せ」を感じる半日であった。

 あの信じられないくらいの猛暑が続いていたことがウソの様に「お彼岸前に秋の風情」という、思いもよらない贈り物を戴いた感じで、八百屋で会うお客さんとのお喋りも、なんだかよっぽど嬉しいことでもあったかの如き感じであった。

 その前触れとなったのが、毎年この季節に送られてくる、「大分の大きなカボス」であったのだが、今や「とある市の市長さん」になられた友人からの相変わらずのプレゼントであった。

 以前にもこのブログで書いた事があると思うが、私自身が「柑橘類」とでも言うべき存在を自覚しているのだが、「ミカン」の元祖である「橘」から「スダチ」「カボス」「柚子」「ミカン」の類が本当に大好きなものだから、一層友人から贈られてくる「大きなカボス」は、秋の訪れを明確に教えてくれる愉しい嬉しいきっかけなのである。

 今日の夕刻の空には、秋を感じさせてくれる「ウロコ雲や「筋雲」が大空狭しとばかりに広がっていて、壮大な秋の始まりを視覚的にも確認させてくれたのだが、大きなカボスを絞って作った「カボスシロップ」を入れた飲料がとっても美味しく、嬉しさを倍増してくれるのである。

 昨夜から今日一日にかけての「八百屋の営業」で、また新しい出会いとも言うべきお客さんにめぐり合ったのだが、初めてのお客さんなのに、少しお話していると、「あぁ、ガリバーさん」と周知の友人の如くお話されるので、何故かと問えば「○○さんから聞いていたので・・・」と仰るのであった。

 なるほど、私の出会いは偶然の様であるが、決して偶然ではなく、「歴史的必然性」があっての出会いだったんだと改めて感じざるを得ないという、大袈裟だと思われる方もおられると思うが、やっぱりそう思わずにはいられない様な出会いが多いのである。

 依然はご近所におられたSさんが遠く九州は熊本県に住まいを移されて早や5年も経つのに、お互いの友人とも言うべき方から突然声をかけられて「知っていますよ」とは、驚きとも言うべき「歴史的出会い」と言わざるを得ない。

 そうした最初はただの偶然だと思ってしまう様な出会いにも、全てそれなりの「出会いの意味」と、「出会いの必然性」があるものなのだと私自身は確信することしきりなのだが、ただの偶然だと思って見過ごしてしまえば、ただそれきりなのであろう。

 私の場合は、本当にそうした出会いが数多くあり、実は「大きなカボス」を贈ってくださっている、大分県の友人H氏も、全くの偶然としか言えない出会いがきっかけであり、今や会うことは数年に一度しかなくても、本当に遠くに住む以心伝心ではないが、心根さえ信じあえる親しい友人と思える関係となっているのである。

 「秋風に、懐かしカボス、身に沁みる」なんちゃって!!!
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定食屋の女将さん。

2010年09月16日 | 感じたこと
 あれほどの猛暑が続いて、いつまで続くのかと半ば諦め顔だったのだが、意外にも急速に秋の風情が感じられる季節になって、「暑さ、寒さも彼岸まで」というのに、お彼岸まで一週間もあるのに、早や「秋風」を感じられる、とっても気持ちのいい日々となつた。

 仕事で外歩きが中心のため、長い夏は汗びっしょりになって、しばしの休みは毎日の昼食時だけなのだが、いろんな地域に出向くために一定のお店で食事をとることが難しいのだが、その地域周辺で「安くて、旨くて、感じのいい店」を見つけるのも仕事の内といった感じである。

 実は昨年の暮れから今年の春にかけて営業活動で行っていた地域に、とっても気さくで小柄なおかぁさんがやっている「小さな定食屋さん」があって、いつも「おふくろの味」といった感じのメニューからメインのおかずを選んで頼むと、小さな小鉢が四つもついて、ご飯と味噌汁で、何と「ワンコイン」、つまり500円ポッキリの店に出会ってたいそう気に入って通っていた。

 このお店は、商店街の長い通りに面してはいるものの、たった5人しかお客が入れないという、小さな定食屋さんなのだが、ご飯と味噌汁の御代りも出来て、腹いっぱいでもワンコインということもあるが、料理人の女将さんの人柄もあって、近くの大学生や仕事で外食する男たちだけでなく、近くのお年寄りたちにも大好評の店となっていて、昼食時には外で待つほどの盛況振りであった。

 約六ヶ月ぶりに近くに約束したお客さんがおられたために、朝から出向いてちょうどお昼時になったので、女将さんの定食屋さんに立ち寄ってみた。

 ほんとうに久しぶりだったので、前のお客さんが済むまで狭い店内で待ちながら、女将さんと話していると「この夏は暑かったけど、大変なことに遭遇した」というのである。

 いつも来られていたおばぁさんが足を悪くされたので、毎日「お弁当」として配達をされていたところ、七月の下旬に弁当を届けられた時、玄関で声をかけたが返事がないので、お二階の彼女の部屋へと伺ったら、ご本人は「熱中症らしき症状」で倒れておられ、救急車を呼んで病院に搬送されたが、既に亡くなっておられたというのであった。

 親切心で、親しく感じておられたお客さん宅に、ご高齢で足を悪くされたおばあさんと言っても、まだ78歳の孤独な「この夏の暑さ」による死亡は、定食屋の女将さんにとっても、とっても悲しくショックな出来事だったと思う。

 多くの学生や仕事の途中の昼飯で立ち寄る男たちも、まるで故郷の「おふくろ」のご飯を食べるが如く、いろいろとお喋りしながらの食事を楽しみにしているらしく、卒業後や仕事先が替わっても、訊ねて来るというのである。

 私自身も、まるで「学生時代」の通った定食屋の女将さんといった感じで、今日半年ぶりに立ち寄って、お喋りをしていろいろと教えられたものである。
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