ほんとうに京都もお彼岸過ぎから「秋到来」といった感じで、日中も外歩きの営業仕事をしている私にとっても暑さを感じることの少ない快適な気温になって、清清しく仕事に専念しているのだが、なぜか「蚊」が京都の東山、伏見区の山手を回っていると多くて痒みに耐えられずに、九月も下旬なのに「かゆみ止め」の塗り薬を急遽買ったほどひどく刺されてしまっている。
それはともかく、日中営業での外歩きとはいえ、京都市内は寺の多い地域もあって、秋の気候の良さも手伝って、多くの観光客がそこら中を歩き回っておられて、よくすれ違ったり道を聞かれたりすることがある。
今回っている地域に近い東福寺や伏見大社への道を聞かれることが多いのだが、先日は自転車に乗って颯爽と走ってきた外国人の青年がニコニコと近寄ってきて、手持ちの地図を広げて「伏見稲荷はどういったら行ったらいいか?」と英語で尋ねてきたのである。
突然のことでもあったが、せっかく私を見つけて訊ねているので、何とか教えてあげようと思って「この坂を下ってメインストリートに出たら、左に曲がって約二キロ付近だ」と適当な英語で返答したのだが、なんとか通じたらしく笑顔で「サンキュー!」とお礼を言われたので、すぐさま「何処から来たの?」と訊ねてみた。
すると「スペインのバルセロナ」というではないか。
「バルセロナ」と言えば、「あの高い塔で有名なガウディの建造物」が真っ先に思い浮かんだので、何とか話そうとしたら、青年の方が察して「○○教会でしょ!」とサンタ○○という覚えられない有名な建造物の固有名詞を語ってくれた。
それからと思い出しながら、サッカーの「FCバルセロナ」に「メッシ」という有名な選手がいることや何年前だったろうか「バルセロナ・オリンピック」のこと、そして「バルセロナ・チェア」など、「バルセロナ」には行ったことがないが、何とか話題を見つけて数分立ち止まって話すこととなった。
話題が途切れたときに、彼はにこやかに笑って私の「グッドラック!」というお別れ言葉に答えて再び「サンキュー」と言い残して自転車で元気に坂を下って行ったのであった。
彼は日本に来て二週間しか経っておらず、東京で一週間過ごし、京都に来て一週間だが、「京都は素晴らしい!」とお世辞とも聞こえる「賛辞」を残して立ち去ったのであった。
ほんの数分だったが、遠い国からはるばるやって来た単身の観光客に対して、日本人いや京都人のひとりとして、にこやかに応対し少しでも京都の日本の印象の一こまになれたことに喜びを感じたのであった。
それから一時間余、仕事に専念した後、軽の会社の車で帰社しようとメインストリートに出たところ、反対方向、つまり「伏見稲荷大社」の方から、先ほどのスペインの青年が自転車に乗って岐路についていたと見えて、再び私とすれ違ったのだが、私は車内からクラクションを小さく鳴らして彼に合図を送ったが彼は気付かずに走り去った。
しかし、彼の行きたい場所のひとつであった「伏見稲荷大社」の方向からご機嫌の様子で帰ってきた雰囲気だったので、「良かった!」と自分自身は安堵感で一杯となった。
それはともかく、日中営業での外歩きとはいえ、京都市内は寺の多い地域もあって、秋の気候の良さも手伝って、多くの観光客がそこら中を歩き回っておられて、よくすれ違ったり道を聞かれたりすることがある。
今回っている地域に近い東福寺や伏見大社への道を聞かれることが多いのだが、先日は自転車に乗って颯爽と走ってきた外国人の青年がニコニコと近寄ってきて、手持ちの地図を広げて「伏見稲荷はどういったら行ったらいいか?」と英語で尋ねてきたのである。
突然のことでもあったが、せっかく私を見つけて訊ねているので、何とか教えてあげようと思って「この坂を下ってメインストリートに出たら、左に曲がって約二キロ付近だ」と適当な英語で返答したのだが、なんとか通じたらしく笑顔で「サンキュー!」とお礼を言われたので、すぐさま「何処から来たの?」と訊ねてみた。
すると「スペインのバルセロナ」というではないか。
「バルセロナ」と言えば、「あの高い塔で有名なガウディの建造物」が真っ先に思い浮かんだので、何とか話そうとしたら、青年の方が察して「○○教会でしょ!」とサンタ○○という覚えられない有名な建造物の固有名詞を語ってくれた。
それからと思い出しながら、サッカーの「FCバルセロナ」に「メッシ」という有名な選手がいることや何年前だったろうか「バルセロナ・オリンピック」のこと、そして「バルセロナ・チェア」など、「バルセロナ」には行ったことがないが、何とか話題を見つけて数分立ち止まって話すこととなった。
話題が途切れたときに、彼はにこやかに笑って私の「グッドラック!」というお別れ言葉に答えて再び「サンキュー」と言い残して自転車で元気に坂を下って行ったのであった。
彼は日本に来て二週間しか経っておらず、東京で一週間過ごし、京都に来て一週間だが、「京都は素晴らしい!」とお世辞とも聞こえる「賛辞」を残して立ち去ったのであった。
ほんの数分だったが、遠い国からはるばるやって来た単身の観光客に対して、日本人いや京都人のひとりとして、にこやかに応対し少しでも京都の日本の印象の一こまになれたことに喜びを感じたのであった。
それから一時間余、仕事に専念した後、軽の会社の車で帰社しようとメインストリートに出たところ、反対方向、つまり「伏見稲荷大社」の方から、先ほどのスペインの青年が自転車に乗って岐路についていたと見えて、再び私とすれ違ったのだが、私は車内からクラクションを小さく鳴らして彼に合図を送ったが彼は気付かずに走り去った。
しかし、彼の行きたい場所のひとつであった「伏見稲荷大社」の方向からご機嫌の様子で帰ってきた雰囲気だったので、「良かった!」と自分自身は安堵感で一杯となった。