先週の土曜日の夜、仕事で移動中にスマホのフェイスブック情報で知った、元五つの赤い風船のベーシストだった「チョーさん」こと、長野たかしと奥さんの森川あやこさんのライブコンサートが京都、伏見区の喫茶店で行なわれるということなので、仕事帰りに車を跳ばして行ったのでした。
昔、昔、その昔、今からそう約45年も前に、フォークグループ「五つの赤い風船」は活躍していて、ご存知の方にはとても懐かしい、西岡たかしのおっちゃんと東祥高、藤原秀子、そして長野たかしの四人で活動していて、あの名曲「遠い世界に」をはじめ、数々の懐かしの名曲と共に、我らの青春時代に色濃く印象的なステージとメッセージを届けてくれていたのでした。
その歴史的な関西フォークの台頭著しい1960年代後半に、大阪で誕生した「アングラレコードクラブ」、つまりURCレコードの最初の会員頒布LPレコードの一面が「五つの赤い風船」で、裏面か表面かは定かではないのだが、反対面には今は亡き「高田渡」が録音されていたのである。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8e/e00f28c607907e3e814b5427c4c96db7.jpg)
そんな「五つの赤い風船」のメロディーと歌声は、当時の若者たちの間でも、とても人気であり、ラジオ番組やライブステージ中心に、全国的に活動の幅がひろがっていたのだが、実は私が縁あって当時大阪梅田に事務所があったURCレコードに入社し、最初の仕事が何故か、この「五つの赤い風船」の楽器運びのための運転ということだったのである。」
その後、私は音楽舎というイベントとマネージメントを行なう部門ではなく、レコードの営業から、音楽制作、音楽著作権の管理、プロモーションという仕事に変わったので、五つの赤い風船には関連しつつも直接的には彼らと旅を共にすることも少なくなり、所属アーチストとして、岡林信康や加川良、はっぴいえんど等と同様に、一ファンとして、また仕事に関連した彼らの曲に接っしたり、スタッフ一員としての観る事はあっても、一緒に話す機会はほとんどなくなったのであつた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/54/1d7ffb9710ae2ca00b00ac5121db6304.jpg)
しかし、五つの赤い風船の北海道ツアーや、当時毎週出演していた京都大丸の屋上でのKBS京都の「アクションヤング大丸」と言う生ライブ番組には付き添っていたので、とても印象に残っているし、数々のエピソードも記憶にあるのであった。
そんな音楽業界に入った私は、その後東京に出て、フォーク系の音楽出版の仕事に従事し、今から40年前には自らの主宰する「ゼロ音楽出版」という有限会社を立ち上げて、みなみらんぼう、なぎら健一、中村ブンなどをマネージメントしつつ、音楽制作やステージ製作、祖してCMやドラマの音楽制作なども手がけて、約8年間の東京暮らしをも体験したのであった。
それから、年月が流れ、なんと40年ぶりに、元五つの赤い風船のベーシストだった「長野たかし」にFaceBookで再会し、今回のミニライブで直接彼と奥さんのハーモニーでの「遠い世界に」や「まぼろしの翼と共に」などの風船の名曲と彼ら夫妻の新作CDである「面と向かって!」に収録されている曲の数々を生ライブで聴くことが出来たのであった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/24/3e6bd31e8df8bfb3b6faf707fe731259.png)
あの伝説と歴史をつくった「西岡たかし」のおっちゃんも、五つの赤い風船40周年と題したコンサートツアーを元気にされているのだが、元のメンバーであった「東祥高」トンは今年亡くなったし、長野たかしは現在は西岡とは共に行動していないので、あの頃の「五つの赤い風船」を再現することは不可能なのは、とても残念である。
昔、昔、その昔、今からそう約45年も前に、フォークグループ「五つの赤い風船」は活躍していて、ご存知の方にはとても懐かしい、西岡たかしのおっちゃんと東祥高、藤原秀子、そして長野たかしの四人で活動していて、あの名曲「遠い世界に」をはじめ、数々の懐かしの名曲と共に、我らの青春時代に色濃く印象的なステージとメッセージを届けてくれていたのでした。
その歴史的な関西フォークの台頭著しい1960年代後半に、大阪で誕生した「アングラレコードクラブ」、つまりURCレコードの最初の会員頒布LPレコードの一面が「五つの赤い風船」で、裏面か表面かは定かではないのだが、反対面には今は亡き「高田渡」が録音されていたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8e/e00f28c607907e3e814b5427c4c96db7.jpg)
そんな「五つの赤い風船」のメロディーと歌声は、当時の若者たちの間でも、とても人気であり、ラジオ番組やライブステージ中心に、全国的に活動の幅がひろがっていたのだが、実は私が縁あって当時大阪梅田に事務所があったURCレコードに入社し、最初の仕事が何故か、この「五つの赤い風船」の楽器運びのための運転ということだったのである。」
その後、私は音楽舎というイベントとマネージメントを行なう部門ではなく、レコードの営業から、音楽制作、音楽著作権の管理、プロモーションという仕事に変わったので、五つの赤い風船には関連しつつも直接的には彼らと旅を共にすることも少なくなり、所属アーチストとして、岡林信康や加川良、はっぴいえんど等と同様に、一ファンとして、また仕事に関連した彼らの曲に接っしたり、スタッフ一員としての観る事はあっても、一緒に話す機会はほとんどなくなったのであつた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/54/1d7ffb9710ae2ca00b00ac5121db6304.jpg)
しかし、五つの赤い風船の北海道ツアーや、当時毎週出演していた京都大丸の屋上でのKBS京都の「アクションヤング大丸」と言う生ライブ番組には付き添っていたので、とても印象に残っているし、数々のエピソードも記憶にあるのであった。
そんな音楽業界に入った私は、その後東京に出て、フォーク系の音楽出版の仕事に従事し、今から40年前には自らの主宰する「ゼロ音楽出版」という有限会社を立ち上げて、みなみらんぼう、なぎら健一、中村ブンなどをマネージメントしつつ、音楽制作やステージ製作、祖してCMやドラマの音楽制作なども手がけて、約8年間の東京暮らしをも体験したのであった。
それから、年月が流れ、なんと40年ぶりに、元五つの赤い風船のベーシストだった「長野たかし」にFaceBookで再会し、今回のミニライブで直接彼と奥さんのハーモニーでの「遠い世界に」や「まぼろしの翼と共に」などの風船の名曲と彼ら夫妻の新作CDである「面と向かって!」に収録されている曲の数々を生ライブで聴くことが出来たのであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/24/3e6bd31e8df8bfb3b6faf707fe731259.png)
あの伝説と歴史をつくった「西岡たかし」のおっちゃんも、五つの赤い風船40周年と題したコンサートツアーを元気にされているのだが、元のメンバーであった「東祥高」トンは今年亡くなったし、長野たかしは現在は西岡とは共に行動していないので、あの頃の「五つの赤い風船」を再現することは不可能なのは、とても残念である。