ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

子ども教育特区に。

2005年03月02日 | 地域の話題
 私たちの町には、いろんな学校、いろんな遊び場がある。

 京都の南にある6万人の人口の小さな町だが、ここ30年間に人口が2倍以上になって、8年前に京田辺市となった町である。

 私は25年前に、この町にプレイリーダーとしての仕事の現場があったため引っ越してきたのである。

 プレイリーダーとは、子どもたちの遊びを誘発し、場をリードする役割の存在であり、民間法人の職員として、幼児から時には中、高校生までを相手に、一緒に遊ぶと言うか、一緒に活動するリーダーなのだが、まだ一般の人には「プレイリーダー?」は理解してもらえない職業である。

 しかし昨今の子どもたちを取り巻く事件や教育の荒廃というか、混迷の中にあって、政府も小泉内閣の売りの一つである、構造改革特区構想で、「教育特区」構想が認可されだしている現状を考えれば、多種多様な教育の受け皿の必要性と選択肢のひとつの現場でもあると認識できるのではないだろうか。

 8年ほど前に市内草内にKIUアカデミーと称するインターナショナルスクールが開校し、現在220名にも及ぶ小学校から大学までの生徒達が通学し、現在では7ヶ国の国籍の外国人と日本人生徒たちが、バイリンガルの少人数制のコミュニケーション能力を重視したユニークな教育を受けている。

 また4年前から、市内興戸にシュタイナー学校が誕生し、2003年にNPO法人京田辺シュタイナー学校となり、現在小学部、中学部、高等部あわせて170名もの児童、生徒が通学し、ルドルフ・シュタイナーと言う哲学者が独自の人間観に基づく、自由への教育を目指して1919年にドイツで最初に設立して以来、現在60ヶ国、900校を数える広がりを見せている学校の日本での実践校のひとつである。

 この他にも、現代の公教育の受け皿としての義務教育機関としての公立小中学校や高校以外に、私学としての同志社大学、同志社女子大学、同志社国際高校、中学校などと、私立幼稚園も二園があり、不登校児童や生徒の学びの場としてのフリースクールや、私の職場でもあった子どもたちの遊び場活動など、多様な広い意味での教育的受け皿があるのである。

 こんな小さな町なのに、何故か、偶然か、多くの現代の教育問題の渦巻く中に、こうしたユニークかつ活発な特色ある教育活動を実施し、現にたくさんの子どもたちが集って、学び、遊び、人間関係を経験している場が存在していること事態が素晴らしいと、私は感じている。

 「教育」とは、まず多様な価値観、人種、民族、宗教、階級、男女、国籍、親の職業、生まれ育ちの場所、などにとらわれず、子どもたちに内在する能力と発想を引き出して、知識や学力だけでなく、生きる知恵と人間的に自立する力、つまり「人間力」を養いながら、多様な選択肢を提供されることだと思うからである。

 つまり、国や自治体などが制度、条件を定めて認可するという形式だけで、学校や学び場が成立するわけではなく、価値観と意思を共有する人たちや地域が、「学校」や「学ぶ場」をつくり、運営することは自然の営みであり、多様な「学び場」が保障されてこそ、「教育」の多様性と人間力の成長、自立へのエンパワーメントが引き出されるし、発揮できると信じるからである。

 国が、「お国や会社のために役立つ人間を作る」だけが「教育」ではなく、真の人間として、この地球上に生命を受けた、人全てが、生まれ持った個性や資質を最大限生かして、多くを学び、多くの人と接し、多くを自分で考えて、自分らしい成長と将来の生き方を見出すための課程として、「多種多様な特色ある」「教育」機関があることが、素晴らしいのである。

 ぜひ、この地域を「子ども教育特区」として自他共に認めていただき、子どもたちの成長、自立を温かく見守れる町を目指して、各校、各現場の活動と努力にパートナーシップで行政も市民もリンクしてほしいと願っている。

 おまけだが、市役所のすぐそばの田辺公園に「スケートパーク」がオープンし、土日を中心に多くのスケボー少年達が、遊びと技術の上達へトライを繰り返している。そんな遊び場を創った行政は、まだ少ないと喜んでいる現状もある。
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