ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

『三寒四温』

2011年02月28日 | 季節の話題
 さて、二月も今日で終わりです。一月はほとんど雨が降らない「少雨」の月でしたが、二月は何年ぶりかで私たちの町京田辺でも雪が積もって、ほんとに久しぶりに「寒い冬」という感じの季節を体験しましたが、いよいよ明日からは弥生三月、Marchです。

 暦の上では二月三日の節分が過ぎて、翌日の四日が「立春」でしたので、もう「春」なのかもしれませんが、二月の十一日のお休みの日に思いがけず雪が積もって、子どもたちだけではなく大人たちも何とも嬉しい感じの「白銀の世界」を経験して、「寒いネェ」とお喋りしつつも、なにやら「冬らしさ」を満喫している感じの一日を送りました。

 それから日々、日中の日差しは「春を感じる」暖かさであったりはするのですが、夜半や早朝はまだやっぱり「寒さ」を感じるために、毎日の服装や昼と夜の寒暖の差に適応した着衣の選び方に頭を悩ましている人も多いのではないでしょうか。

 「暑さ寒さも彼岸まで」と昔からよく言われている様に、三月になつてもまだまだ寒い日がやってくると「天気予報」では言っているので、やはり「お彼岸」の中日、つまり三月二十一日の「春分の日」までは「寒さ」を感じる日や時間があるようです。

 ところで、「三寒四温」とも言うように、三日寒い日が続いたと思ったら四日温かい日がやってくるといった感じで、春は確実に近づいていることは間違いないのですが、東京の今年の春の話題は何と言っても台東区押上付近に建設中の「スカイツリー」と称される新東京テレビ電波塔の建設なのですが、聞くところによると明日三月一日には、何と600メートルの大台に高さが達する見込みだそうで、益々見物客やテレビメディアを中心とする報道が過熱するようです。

 その東京スカイツリーの建設は日本の土木建築技術の高さを物語っているのですが、世界一の電波塔としての完成は、今年いっぱいはかかるそうで、来春からの実際のテレビ電波の発信がなされる予定だそうなのですが、例の「地デジ」化のタイムリミットは、その前の今年の七月24日とされていて、さかんにテレビの下や右隅などに「脅迫」の如く「地デジ対応」のテレビを購入するか接続機械を通さないと「テレビが見れなくなる」と警告しているのは如何なものでしょうか。

 高齢者の一人住まいや病気や体調不良の人や障がい者の方々、また経済的に新しいテレビの購入が困難な人もいると思われるので、現在残り4ヶ月余を残すのみとなった「地デジ化」の期限を一年でも延ばしてはどうかという提案がテレビ局の職員らでつくる委員会などが求めているそうです。

 なぜにそんなに「地デジ化」を急ぐのかは、政府の方針なので詳細はわかりませんが、とにかくテレビが見れなくなると大変困るというか唯一の娯楽であったり、限られた情報源としては必要なものなので、是非緊急に調査をしてでも個別の対応や支援、または全ての放送をデジタル化する時期を延期してはと提案されているのである。

 「春」は、テレビからやってくる場合もあるので、慎重に地デジ化を進めてもらいたいと考えている。
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統一地方選挙近づく。

2011年02月27日 | 地域の話題
 今年は統一地方選挙の年であり、私たちの地元京田辺市も市議選と市長選が四年ぶりに行われる予定である。

 国会や政局を伝えるニュースでも、民主党政権の危うさと共に自民党、公明党、共産党、みんなの党、社民党などが「統一地方選」を視野に入れて、国会運営や発言を行っているきらいがあって、菅首相の政権も統一地方選挙の結果如何んでは五月の連休明けにも退陣を余儀なくされるという憶測ももっぱら公に語られるようになっている。

 さて、その統一地方選挙だが、府県議会議員や政令指定都市の議会議員選挙は4月1日告示で4月10日投票日の前半の日程で行われるのだが、私たちの町の市長選挙と市議会議員選挙は後半の日程、つのり4月17日告示、4月24日投票のスケジュールで行われるのである。

 いまや恒例となっている選挙前の活動が全国各地で既に繰り広げられており、全国の警察署管内では「地方選挙事前違反取締本部」などの看板があがっていて、京都府でも約1000名もの体制で事前活動の警告、摘発などを行うというニュースが報道されていた。

 実は私自身も四年ぶりの市議会議員への挑戦者として立候補を予定しているのだが、隣町の元市会議員からの電話や非常にお世話になっている老師からも「激励」やら「準備は進んでいるか」との催促ではないが、近況報告を求められたりしていて、何やら「選挙が近づいている」という実感はあるのだが、なかなか仕事をしながらの準備ははかどらない面が多いのである。

 そんな中で、別の隣町の友人からは、無党派で初めて市議会議員に立候補を予定している友人がいるので、ぜひ貴方の経験からアドバイスをしてあげてほしいと依頼されたりして、自分の選挙の準備もはかどらないままに、他人への助言やサポートという脇役までおおせつかっているのである。

 ともかく、どっしりと構えているわけではないのだが、多くの住民、有権者にとっては、当然漠然と新聞、テレビなどの報道を通じて「地方選挙の年」とは知っている人でも、実際はいつから選挙が始まり、投票日がいつかなどは定かにご存じない方の方が多いと思われるのである。

 そんな一般的な普通の市民の生活の中で、やたら政党の宣伝カーなどが「選挙運動」としか言えないようなアナウンスで、一定候補者の名前を連呼したり、すでに選挙戦が始まっているがごとき活動も見られるのである。

 町には事前ポスターと思われる政党や組織、団体の「ふたりが写っている」ポスターがやたら目立っていて、どう見ても選挙の事前ポスターとしか思えないのに、政治活動ならびに政策討論会や集いの宣伝用ポスターだとして暗黙の了解で選挙違反には問われないらしいのである。

 一方、無所属の市民が始めて選挙に立候補するとの思いで、自分の顔写真の印刷されたポスターを闇雲に町に掲示したら、即「選挙違反」として警告されるらしいのである。

 つまり「選挙制度」も「事前活動」も、既存の政党や組織団体には有利なのだが、個人としての被選挙権を行使しようとする一候補者にとっては制約だらけであり、なかなか事前活動が難しい状況となっているのである。

 いずれにせよ、統一地方選まで二ヶ月を切った時期になったので、あせらずとも準備に拍車をかけて選挙民の選択肢のひとりとしての立候補準備を行いたいと思うのである。
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「ふきのとう」の春なのに。

2011年02月26日 | 感じたこと
 二月もあと二日とちょっとですが、昨夜も今朝も寒いなぁと感じる時間が多くて、「春はまだ遠いな」と話していたのですが、今朝やおやでお邪魔したお客様の庭の三色スミレの色鮮やかな感じに魅せられてお庭に入ると、何と「ふきのとう」が青い小さな花というのか芽を出していて、なんだかとっても楽しくなって小さな「ふきのとう」を摘ましていただきました。

 早速、昼のご飯にと卵と片栗粉とだし汁を混ぜた衣をつけて、ちいさな「ふきのとう」のてんぷらをいただきました。

 なんとも言えぬ「苦味」があって、山野草のてんぷらと同様の自然の恵みを感じつつ、「春」を感じる食卓となったので、大変うきうきした気分で、昼からの「やおや」の移動販売にも元気に出かけました。

 私の無添加、無農薬の八百屋さんのモットーはいつも明るくおしゃべりするやおやなのですが、夕刻に差し掛かった頃にお訪ねしたいつもの仲間と友人がいる場所で、しばらく呆然として立ち上がれないほどのショックな「訃報」を聞いてしまいました。

 先日の私たちが主催して来ていただいたお客様たちには大変好評だった「泣き笑いいっぱい」の中村ブンコンサートを楽しみにしていただいていた60過ぎの明るくしっかりとした生き方をされていたご婦人が、「癌のため」に亡くなられたとの訃報に接したのでした。

 彼女は小さなしょうがい者の作業所を手伝ったりされていた方で、私もここ数年間は何度かお会いしておしゃべりもさせていただいた元気で明るい方だっただけに、「乳がん」での闘病生活をされているとは聴いてはいたものの、まさかあっけなく亡くなってしまわれるなんて夢にも思っていなかったので、最初は別の私の知らない女性だと勘違いしていて、「そうですか」と聞いていたのだが、その訃報の主が私もよく知っている彼女だとわかった時のショックは、とんでもない気持ちでした。

 彼女の家の近くに住む親しくされていた別の友人の女性の話では、現代医学での治療をほとんどせずに、自らが学び知った知識と民間療法的対症療法はされていた様子だったが、ほとんど一切の「がん治療」はせずに、図からの信念で痛みや体調不良にも耐えて、最期の一週間だけ救急車を自ら呼んで入院されて、あっけなく亡くなられてしまったというのであった。

 コンサート会場には来れなかったが、その日が彼女のお誕生日だったために、歌手である中村ブンが彼女のためにサインをして友人が病床に臥せっていた彼女に届けていただいた時は、大変喜んでおられたというのであった。

 あのコンサートから二週間足らずで天国へと旅立ってしまったKさんの笑顔と共に、自分の最期を自分自身の意思で貫いて「納得している」という言葉で友人に「死」を前に語られたそうだが、友人は「納得できない」と返答されたそうであった。

 「ふきのとう」の芽吹く「春」に、「ふきのとう」の苦味の如く、私の心にとっても苦い思い出を残したまま天上の人となってしまったKさんの冥福を祈るのみである。

 寂しい「春」を感じる今日であった。
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カダフィの次は?

2011年02月24日 | 世界の問題
 アフリカ北部のチュニジアで起きた反政府でもに端を発しての民主化移行への波が、インターネットのフェイスブックやツイッターから波及し、大きな国民の怒りのデモとなって、隣の国エジプトのムバラク政権を崩壊させ、国民の勝利となってまだ数週間も経っていないが、チュニジアとエジプトにはさまれた国りビアの革命のヒーローであったカダフィ大佐が、実権を握り40年間も思いのままに権力行使をしてきたのだか、多くの国民の反政府抗議行動の嵐に最後のあがきとも言える無差別爆撃や傭兵による殺人行為が続いているらしいが、時間の問題で政権は倒れることは必至である。

 このようなアフリカ北部の民主化の台頭がイスラム社会にも波及し、現在バーレーンやイエメンでも多数の国民による反政府デモが続出していている様子で、改めてインターネットという情報伝達手段の威力とでもいうのでしょうか、いくら強権国家の大統領や政府指導者がインターネットや海外からの情報をシャットアウトしようと躍起になっても隠しきれない地球上のコミュニケーションツールは絶やすことができない現状である。

 果たして、こうしたインターネットだけではないが民主化や独裁政治に反旗を翻す多数の国民、人民の嵐が中国や北朝鮮などの日本に近いアジアの国々も波及するのかどうかは疑問だが、できることなら中国共産党の一党独裁状態の中で政治犯として拘留されているノーベル平和賞受賞者を含む多くの中国国籍の人たちや、すぐに国家反逆罪として公開処刑されてしまうという北朝鮮の実態をも変えて行く原動力となってくれることを強く期待するものである。

 それに引き換え、日本の民主党政権の体たらくぶりは民主化を叫ぶ、これらの国々の人々の悲痛な実態とは相当な温度差はあるが、我々日本国民にとっても全く人事とは思えない強い示唆を与えてくれているのではないかと思うものである。

 あの1990年の第二次中国天安門事件に象徴されたような民主化を封じ込めた時の中国政府を例に出して、リビアのカダフィー大統領は、70歳近い高齢にも関わらず、「革命を貫くと」と豪語しつつ、国民を皆殺しにしてでも自分の権力は守るとでも言いたい感じで叫んでいるのが、如何にも最後のあがきとしか聞こえないのは、全世界の普通の人々の感想であろう。

 しかし、リビアをはじめとする強権国家の中で今を生きている多くの国民にとっては、必死で戦っていて、少しでも平和で心豊かな日々を送りたいとの願いであると思われるのだが、私たちに出来ることはなかなか見つからないのである。

 そこで日本政府は、民主党の内乱的政局や政治家同士の足の引っ張り合いばかりをやめて、国際社会に堂々と発言していく先進国家として、強いアッピールと支援をすべきだと思うのだが、菅内閣は治外法権とでも考えているのか、ほとんどそうした民主化支援の声すら聞こえてこないのは残念で仕方がないのである。

 全世界の地球人が少しでも日々を平安に暮らせて、自由に思ったことを発言したり行動できる民主国家や地域にできるようにと心から祈る思いである。
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クライストチャーチの大地震!

2011年02月23日 | とんでもない!
 南半球のオーストラリアの東に位置する、風光明媚なイギリス以上にイギリス的といわれたニュージーランドのは北島のオークランドにつぐ南島の第二の都市クライストチャーチを震源とするマグニチュード6.2の地震が昨日の現地時間昼過ぎの12時50分に起きて、クライストチャーチ市内の古いレンガ造り建物を中心に、大きく崩れて多くの犠牲者やけが人が出ている模様である。

 中国やインドネシア、またはハイチなどでも大地震が発生しているのだが、今回のニュージーランドで発生した地震は、規模的にはさほど大きくなく、阪神淡路大震災の規模と比べると16分の1とも言われているのに、何故に大きな被害が出たのだろうか。

 また、クライストチャーチにある英語研修の学校に留学していた日本人が多く震災の被害にあった模様で、いまだに生死も含めて安否がわからない日本人が少なくとも24人いるというので、テレビメディアは昨夜から大騒ぎで、特に富山の外語学校の引率者と生徒のうち10名と東京の語学研修留学の斡旋会社の関係で同じくクライストチャーチの同じ学校にいたと見られる10名も行方不明の状態で、捜索中とのことだが依然として安否確認ができていないというのである。

 確かに日本のテレビ局や新聞社などの報道機関にとっては、日本人の安否確認などが一大ニュースなのは理解できるが、現時点で地震の犠牲者となられた方々がニュージーランド人ばかりかは定かではないが75名もいて、さらに日本人も含む300人もの人が行方不明という大惨事なのに、日本人の安否確認ばかりのニュースでいいのだろうかと、ふと疑問も感じたのである。

 いつも世界中のニュースで、こうした自然災害や事故、事件に関してのニュースは日本人の有無に始まり、日本人の安否や状況の報道だけで終わってしまう場合も合って、国籍や所属としての日本人ばかりではなく、死傷者や行方不明者の情報としては、外国籍の人や今回の地震では亡くなられたと見られるニュージーランド国籍の現地の方々の被災の状況もちゃんと報道してもらいたいものだと感じたのである。

 それにしても日本とニュージーランドは、よく似ている面がある国だと感じているのだが、中国大陸の東に長細く位置している日本列島という島国とオーストラリア大陸の東により沿うように北島と南島が位置するニュージーランドと言う国には、私自身も中学生の時代から何やら親近感を覚えていた国で、二十年ほど前に私の友人が北島のウェリントンで語学研修と小学校をやっているという親しみと共に、近くの老夫婦が唯一ご夫妻で行かれた海外旅行先として「美しくて品位のある国」だと仰っていたのも合わせて、憧れの国でありいずれは行ってみたい国のひとつだったので、今回のクライストチャーチの大地震は私にとっても大衝撃であった。

 そのクライストチャーチのシンボルとしても有名な写真のクライストチャーチそのものの大聖堂のタワー部分が今回の地震で倒壊していて、見るも無残な形で写されて報道されているのも心が痛むのだが、そんな敬虔なクリスチャンも多くいるイギリス以上にイギリス的町並と建造物の多くが倒壊したりひびがいったり、危険な状態にさらされているとの報道も含めて哀悼の意を表したいとしか言えない。

 日本人だけでなく、多くの今も瓦礫と倒壊の建造物の下にいる犠牲者がひとりでも救助されて生還されることを祈るのみだが、今夜現地に到着する日本の国際救助隊の活躍と共に期待するのみである。
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「ひな祭り」が近づく。

2011年02月22日 | イベント
 二月も二十日が過ぎて、ようやく「春の兆し」が感じられる日中となり、今日は午後にところによっては道路上の気温だが、19度という三月下旬から四月にかけての気温となったことから、仕事で外歩きをしているのだが、上着がいらないと今年になって初めて感じたのであった。

 仕事でお訪ねしたある家から出てこられたのは、お腹のおおきな妊婦さんだったので、元気な一歳半くらいの男の子と幼稚園に行っているお兄ちゃんがおられるのだが、予定日を伺ったところ、何と三月三日で女の子らしいとのことであった。

 何やら三人目で、しかも「おひな祭り」の三月三日が予定日という女の子の出産を控えたママに会えただけで、とっても幸せな気分になったのは、思いすぎなのだろうか。

 我が家でも、節分の飾りが終わったあとは、どこからかいろんなお雛様の人形やら飾りを妻が出してきて、居間のテレビの上や周辺に、いくつかの「雛飾り」がされていて、否応なしに「雛祭り」の到来を告げているのだが、我が家の女の子は既に嫁いで家を出ているので、「雛祭り」をファミリーイベントとしてすることもないのだが、なぜかたぶん「ちらし寿司」だけは、恒例の夕食時に出ると思われるのである。

 今日の夕刊に掲載されているある飲料メーカーによるアンケート調査によると、父親が我が子である女の子の「雛人形」を飾ったりするのは中学を卒業するまでが50%を越えているばかりか、成人するまでや嫁ぐまでと意外と遅くまで、我が子のための「雛祭り」を家庭でイベント化している家庭が多く、父親に対する親近感もそれに比例して高いというのである。

 しかし、娘さんたちにそれでは、「父親の様な男性と結婚したいか?」と問うと、これまた以外にも10数%訳一割強の女子だけが「イエス」と答えていて、五割以上の娘たちは「父親タイプ」との結婚は望んではいないというのである。

 そういえば、我が家の長女もなぜか父親から見ても、全く真逆?とも言えるタイプの彼と出会って、お付き合いを数年した後に結婚したのであるが、見た目だけではなく性格や趣味、またはしゃべり方や考え方も全く違うタイプに魅力を感じたのだろうか、いまだにそのへんについては聞いたことがないので不詳だが、面白いものである。

 幸い孫も男の子だったので、いまだに「お雛祭り」を家庭のイベントとして行う機会は、今のところ当分ないと思うのだが、世の中では「女性上位」の時代と言われて久しい状況なので、これからも「お雛祭り」の方が、「五月五日」の男の節句以上に盛り上がる行事として発展していきそうに感じるのは、男の僻みが嫉妬だろうか。

 ともかく、女たちが明るく元気でいてくれることは、家庭にとっても社会にとっても幸いなことであり、特に不景気風や政治的混乱や将来の健康、年金、介護の問題などの不安な時代だからこそ、女性が特に元気で楽しくされることが好ましいと感じているので、大いに「お雛祭り」は楽しんでもらいたいものである。
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「逃げちゃダメだよ」

2011年02月21日 | プロスポーツ
 大相撲の日本相撲協会が大変な危機になっていると思うのだが、所属する力士や元相撲取りだった関係者たちにとっては、さほどの一大事とはまだ思っていないふしが見え隠れしている。

 今回の八百長相撲の発覚は、例の野球賭博をしていたお相撲さんたちの携帯電話のメールのメモリーの解析から発覚したと言われているが、疑惑の10数人のお相撲さんと現役を引退した年寄親方の内、たった三名だけが八百長相撲をしたと認めたにすぎなく、他の大半の相撲取りは「知らぬ、存ぜず」で押し通そうとしているらしい。

 十数年前から大相撲での「八百長」相撲の指摘はされていて、週刊誌に告白した元小結の板井らや大麻事件で相撲協会から首を宣告されたロシア出身の元力士などの証言によれば、日常茶飯事のごとく相撲界では「八百長」というよりも「白星」の貸し借りは行われていたというのである。

 一般的には、幕内力士の中では三役と平幕では待遇が大いに違うし、幕内と十両でも給与は大きく異ならなくても、周りの扱いや待遇は異なるし、ましてや「関取」と呼ばれる十両以上の力士と「幕下」以下では「月とすっぽん」とでも言うべき、差別的な待遇の開きがあるのが、「相撲界」の慣わしなのである。

 そこで、力士同士は部屋や親方は異なっていても、同じ穴の狢とでも言うべき、「角界にいる仲間」であり、お互いが困ったりしたときに助けるのは当たり前と言う常識とでも言うべき慣わしに似た「取引」もしくは「貸し借り」が常套化していたというのである。

 つまり同じ会社の同僚同士とでも言った方が分かりやすいと思うのだが、勝負の世界にはいるのだが、すべてが「ガチンコ」、つまり真剣な格闘としての「相撲」をとっていると、体力だけでなく全ての人間関係までおかしくなるというのである。

 確かに力士の中には、全くこうした「貸し借り」をしない、つまり「ガチンコ相撲」しか取らない「変わり者」もいるらしいが、ほとんどの力士には身に覚えがあるというのが、お互い様の「貸し借り」相撲、無気力相撲とでも言うべき、「負けてあげる」相撲の経験があるというのである。

 結局、日本人の思いやりや気遣いといった「生きるための知恵」が歪んだ形になったと言っても過言ではないくらいに、相撲界では「八百長」といいう意識ではなく、同僚のために「負けてやる」というのは、自分の危機には「返してもらう」という暗黙の了解の定めのような習慣に近いやり方だったのだろう。

 大相撲を「国技」などと言ってしまうから、「国技が八百長」では困るので大騒ぎになっているのだが、プロレスなどと同様に、観衆やファンを楽しませる「興業」だと割り切れば、そんなに大問題とはならなかったのではないだろうか。

 こうなってしまった現状では、一般企業のコンプライアンス、つまり「企業倫理」よろしく、徹底的に問題を調査して文部科学省の管轄の公益法人などから脱却し、民間興業団体として出直して「見世物」としての「大相撲」で続けていくしかないのではないだろうか。

 「清廉潔白」とか全て「ガチンコ勝負」などといきまいても、所詮は利害を背景に勝負する人間同士の「相撲」なんだから、少々は大目に見て、見守る姿勢が大事なのかなと思っているのですが。
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報道被害の実態。

2011年02月20日 | イベント
 今日は、隣の宇治田原町に「人権のつどい」としての講演会を聴きに出かけました。

 1994年6月に発生した「松本サリン事件」の被害者で、第一通報者であった河野義行さんが、警察から犯人扱いをされた上に、多くの報道各社、新聞、テレビ、雑誌で「あいつが犯人」だと名指しされたと同じく大変な屈辱と差別を受けた後、東京での地下鉄サリン事件を契機に、やっと「オーム真理教」の犯罪行為だったことが判明し、無実が証明されたというとんでもない被害に合われたお話を克明に伺ったのであった。

 当初、趣味の白黒フィルムの現像のための薬品や陶器の上薬などの薬品類があったために、サリン事件と判明するまでは、妻が意識不明の重態となり、ご本人と子供さんたちも入院を余儀なくされたのにも関わらず、約一ヵ月後に退院させられて、七人の犠牲者に対する殺人者としての汚名を着せられて、任意とはいえ連日の事情聴取につき合わされたのであった。

 家族も友人、知人も多くのバッシングを受けて、サリンによる体調不良や意識の錯乱状態にも関わらず、多くの無言電話や誹謗中傷の嵐の中で、「なにもしていない」という無実を訴え続けたのは、意識不明で十四年間も病院のベットに寝たきりの上に一昨年なくなられた奥さんのためにもと、頑張ってこられたからであった。

 多くの皆さんがもう少し忘れかけている事件かもしれませんが、「オーム審理教」の信者幹部たちによる、無差別のサリンによる殺人という未曾有の大事件の被害者だったにも関わらず、当初は原因が何かもわからず、最初の通報者であった河野さんが警察にマークされ、逮捕こそされなかったのだが、まるで犯人をリークするようなカタチでマスコミ各社に付きまとわれて、家族も友人、知人も差別と屈辱の日々を味合われたのであった。

 後に足利事件で17年も服役された冤罪被害者と共に本を書かれているが、本人の人生を大きく狂わせた警察権力と共に、マスコミ報道のいい加減さと無責任さには、あきれるばかりなのだが真相解明までの日々は、まるで針の筵だったことだったろうと推察できるのである。

 現在は奥様も天国に召されてしまい、お子さんたちも自立された上、還暦を迎えられたので鹿児島県のちいさな島に移住されて日々の生活を送っておられるそうだが、この17年に及ぶ中高年の期間を、多くの冤罪事件や犯罪被害者の支援機関としてのNPO法人リカバリー・サポートセンター理事としての仕事と講演活動をされているのである。

 「疑惑は晴れようとも」も題した、彼の講演を聴くことができて、実際の本人の体験の報道されていない一部始終を知り、憤りや悔しさを秘めつつも、熱く語られた最後の言葉が印象的であった。

 「みなさん、自分のことを100%信用してくれる人がいますか?」と問いかけて終わられたのは、無実を証明する難しさと共に、友人、知人のサポートがなければくじけたり、投げやりになったりしてしまう人間の弱さを痛感されているからなのだろう。

 誠実に生きていても、何の被害を受けるか、身に覚えのない報道被害に合うかもしれない恐ろしさを感じたのであった。
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「政局」って誰の都合なの?

2011年02月19日 | 日本の課題
 最近、会う人ごとに政治の話になると、「もううんざりだね」という言葉を聞かされるのである。

 菅直人首相の無責任発言だけでなく、あの小沢一郎元自民党幹事長とその一派の行動と言動、また鳩山前首相の沖縄辺野古地区への普天間飛行場の移転地決定の背景に米軍の抑止力をあげたのは「方便だつた」とかいう発言やら、もう国民の多くはうんざりなのだが、野党自民党の口撃ぶりも、「あんたたちのせいだよ」とでも言いたくなるくらいの自分たちの長年の政治のツケには無頓着な発言の数々と、言い出したらきりがないくらいの体たらくぶりである。

 今年は統一地方選挙の年ということもあって、町のあちこちには既成政党の立候補予定者が党首や地元出身の国会議員、府県議会議員たちのとツーショットでのポスターが目白押し出し、もう選挙が始まっているがごとき「政党」や「政治団体」のスピーカーによる宣伝行為が始まっている。

 しかし、国民、有権者の関心は、もはや「諦め」ムードに変わっていて、菅首相の退陣や衆議院の解散の兆しが出てきたと言われても、「お好きなように・・・」と言った感じの「我関せず」か、「勝手にしろ」ムードと言っても過言ではない感じである。

 そんな中、「○○党の××」をよろしくと住宅街を走る選挙モードの宣伝カーに、なんともギャップを感じているのは私だけだろうか。

 ある高齢のご婦人がつぶやいておられたのだが、政党や派閥の内向けの権力闘争とでも言うべき「政局」の動きばかりで、本当に「生活者優先」や「国民のため」と言いながら、自分たちの保身と組織、党の利害しか考えていない政治家たちの自己満足な言動に、もういい加減「堪忍袋」の緒が切れてもいいはずなのだが、日本人はエジプトやチュニジァの人々の様な行動やデモにはならないのである。

 日本国民は我慢強いのか超越しているのか、もう政府や政治に期待しても仕方がないとでも思っているのか、静かなムーブメントすら起きる兆しすら感じられないのである。

 果たして、来年度予算の成立を目指す現民主党政権と野党自民党を筆頭とする他の政党、グループの駆け引きや政局と言われる政党間やグループの利害の調整ばかりが目立っている、昨今の政治状況は、どの党に置いても明らかであり、東京都知事選挙に対する立候補者の出方も、いつ出馬を決めれば都合がいいかばっかりの「後だしじゃんけん」的実態である。

 石原慎太郎都知事は3選で終わりだと言っていたのに、息子の自民党幹事長に進言されたカタチで、80歳になろうともする爺さんが再度出馬する動きを見せて、東国原前宮崎県知事をけん制したり、「和民」のオーナーの都知事選立候補宣言や共産党小池氏の出馬も冷静というよりも冷ややかに見ている感じてあり、テレビやマスコミの対応も全く毅然としない。

 つまり、日本のマスコミ、新聞、テレビを中心とする報道機関も、全く主義、主張が影を潜めて、スポンサーやお上の機嫌を損なわない程度の事実追認的報道ばかりで、ジャーナリストと呼ばれるコメンテーターと称される人たちも、人気商売が故にか「はっきり物言う」人がほとんどいない現状では、この国の行く末を庶民は何に頼ればいいのか不確定である。

 とにかく、既成政党や既成の概念に取り込まれない、自由でかつ自分自身で考え、行動する人間として、今の政治の実態を憂いつつも、これからの子ども、孫たちのためにも大人たちよ、しっかりと見つめて範を示すべき時が来ているのではないか。
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ベータマックスの木原氏逝去。

2011年02月17日 | 感じたこと
 今夜の夕刊の死亡欄に、13日に磁気テープ開発の元ソニー専務の木原信敏氏が84歳で逝去した記事が掲載されていた。

 1947年にソニーの前身の東京通信工業に新卒一期生として入社し、50年には磁気テープの製作技術を開発し、日本初のテープレコーダーを完成させたのが木原氏の最初の貢献だったのだが、その後ポータブルテープレコーダー、トランジスタラジオ、トランジスタテレビ、ビデオテープレコーダー、カラービデオレコーダーの開発と続き、ソニーが世に問うた「ベータマックス」の開発を指揮するなどして、技術のソニーを支えた中心人物だったのである。

 1988年には、ソニーとの共同出資で「ソニー木原研究所」を設立し、社長に就任し、2006年に研究所が閉鎖されるまで、先端技術の研究や後進の指導にあたり、数々のヒット商品のさきがけ的技術とアイデアの持ち主であったようである。

 ソニーの創業者、井深大氏が彼の才能と実力を見出して、ソニーの創業期からの基礎技術を確立させた偉大なる人であったのだが、数々のエピソードがある有名人でもあったらしい。

 木原氏とソニーの前身の東京通信工業とのはじめての接点は、東京神田の電気街の露店にあったとされていて、建物がまだ木造だった東通工の進入社員第一号の木原氏は、早稲田の機械科卒業なのに、ラジオが作れるとか電蓄を組み立てたことがある等を履歴書に記していたらしく、機械とは直接関係のない電気のことばかりを書いてアッピールしていたらしい。

 そして彼はいろんな実験、研究のための部品を買うために、神田の電気街では知らない人がいないほどの顔であり、新入社員の木原氏を井深氏は、通勤には役員待遇の駐車場をあてがって、少しでも技術開発に時間を割けるようにとサポートしていたらしいのである。

 木原氏と井深氏はお互いに尊敬しあい、井深氏のアイデアに機転を効かして、初めての磁気体塗布には、狸の胸毛を使用したというエピソードも残っている。

 日本最初のテープレコーダーによるる録音は、木原氏による「本日は晴天なり」だったらしいが、私の最初のテープレコーダーへの録音は、家族団欒の炬燵の下にマイクを忍ばせての、兄弟姉妹、特に姉たちのおしゃべりであったと記憶している。

 アメリカの録音テープの規格サイズを知らず、木原氏は独自のテープ幅を作ったのだが、後にアメリカのインチ規格を知ったときには、「そんなインチきは知らなかった」とつぶやいたとも言われている。

 彼は高周波を聞き分ける特技があるので、NHKの「私の秘密」に出演した際には、普通の人が2万ヘルツしか聞き分けられないのに、3万ヘルツまでもを聞き分けたという。

 木原氏の結婚式で、氏と仰ぐ井深氏より「木原君は金の卵を産むニワトリです」と祝辞を受けたそうで、そのときに既に「皆様が撮影されている8ミリフィルムを電子化するのは彼です」と言って、木原の後の8ミリビデオ開発のきっかけを作ったとも言われている。

 ちなみに、私が最初に手にしたビデオは、ソニーのベータマックスであり、懐かしさと共に何故VHSに負けたのかと、いまだに悔しい思いが残っている。偉大な日本の技術者のひとりが亡くなったのである。冥福をお祈りいたします。
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