ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

花粉症の季節や。

2009年02月28日 | 季節の話題
 遂に花粉症の季節がやってきた。

 三寒四温とでも言うべき温かさと寒さが交互にやってきながら、間違いなく春が近づいてきているという実感を感じる今日この頃だが、先日の雨の谷間という晴天の日に、突然鼻と目が痒くなって、「花粉症」を自覚せざるを得ない戦いの日々が始まった。

 仕事中にお客様と話している最中に、鼻水が出てきたり、くしゃみが止まらなかったり、運転中にもかかわらず、くしゃみの連続で目を瞬間とはいえ瞑っていたり、目が痒くてメガネの下をこすっていたり、失礼やら危険だったり、もう「花粉」なんて、困ったもんだよ。

 今年は正月明けから、何やら今年の「花粉」の飛散量は、例年より三倍多いとか言われていたのだが、いざ「来た!!!」と感じ出した今週の半ばのムヅガユさと何とも言えぬ不快感からすると、相当ひどい花粉症泣かせの春になりそうである。

 毎年この季節になると、スギ花粉と言われている花粉が悪者の如く称されるのだが、よくよく考えてた見れば、「杉」が悪いというよりも、人間社会の現代生活での自動車をはじめとする排気ガスや環境汚染的経済活動優先の生活が「複合汚染」的に「花粉」と共に人体に影響を来たしているに過ぎないのである。

 つまり、「花粉症」と呼ばれる現代病の元もとの原因を生み出しているのも、被害者の如く語っている我々自身の人間の自然環境への負荷や好ましくない行いが起因していると言っても過言ではないのである。

 今日のような春めいて来たと感じる好天の中、私自身は慣れないマスクをして車を運転したのだが、メガネをかけてニット帽をかぶってマスクをしていれば、まるでコンビ二や銀行強盗のようなイデタチとなってしまう官がって、人と話すときやお客さんに接する時は極力外すこととしているので、なかなかマスクが花粉症の予防とはならないのである。

 八百屋のお客さんでもある、ある薬屋の女主人と「花粉症」について話しているとアメリカの医学博士が考案したという、今一番売れている「四層マスク」を薦められたので、五枚入り1050円だったので、念のために購入したのだが、果たして予防に役立つかどうかは、まだ半信半疑である。

 明日から、私もメンバーとして長年続けている男の料理サークルの親睦温泉ミニツアーに一泊二日で出かけるので、この花粉症対策マスクの予防効果を試してみようと荷物に忍ばせて行こうと思っているが、さて効き目の方は如何に。

 全国津々浦々で、何万、何百万の人たちがこの時期を皮切りに、現代病のひとつである「花粉症」と格闘されていることだと思うのだが、なかなか特効薬や直る決め手に乏しいのも現実ではないだろうか。

 杉にはじまってヒノキ、稲、豚草などと称される雑草に至るまで、多くの植物が自分たちの子孫を残すための花粉を、人間たちが「迷惑そうに」また「嫌がっいる」現実を、その植物たちは知らないだろうが、恨むのは全くお門違いで、私は人間の自業自得だと猛省すべき症状のひとつだと思っていて、しばらく我慢の季節になると覚悟している。
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ダイちゃん馬車。

2009年02月26日 | テレビマスコミ
 先ほど、テレビで偶然観た「ダイちゃん馬車」の物語とでも言うべき、馬との深い友情とでもいうべき絆で結ばれた女性の話に感動を覚えたので、ここに報告すると共に記すことにした。

 東北のある牧場で親しまれていた「観光馬車」を経営する会社が経営的な理由で、ひの牧場の事業を突然廃止して、その牧場で飼われていた馬たちも売却か処分するということとなった。

 その当時、ダイちゃんと名のついた馬車を曳く体重八百キロの馬は、乗馬用でもないので引き取り手、買い手がつかず馬肉用にと処分されてしまうとこだった。

 そのことに大変憂いと寂しさを感じた由紀子さんという職員が、思い余って自分に売ってほしいと会社側と交渉するのだが、最初は105万円もの値がつけられて、彼女のなけなしの貯金、約20万円では到底買い取ることは出来ない状態であった。

 しかし、彼女の「ダイちゃん」を思う気持ちと後々少しずつでもお金を返すからという意思の強さに会社側もおれて、由紀子さんに20万円でダイちゃんを譲ることとなったのだそうである。

 しかし、譲られたダイちゃんをある牧場で飼ってもらい、食費や管理費を負担しながら、彼女はダイちゃんが活躍し、子供たちをはじめ多くの人に喜んでもらえる馬車引きとして事業ができるようにといろいろと提案したり、企業家セミナーを受講したりしながら、ダイちゃんの再生を夢見ていた。

 企業化できればと提案した街頭パレードなどは警察が許可できるはずはないと、現職警察官が批判したこともあって、彼女の夢は費えたかに思えた。

 しかし、元同僚の友人がダイちゃんが引く古い荷車の部分を見つけ買って持ってきてくれたり、その改造と修理もしてくれて、どうにかダイちゃんが引くことのできる想定は整った後、最後のプレゼンテーションの機会が訪れた。

 由紀子さんは、ダイちゃんの活躍した時期のスライドや成長のプロセス、馬車に乗って楽しそうに喜ぶ子供たちの笑顔などを紹介しながら、誠心誠意で「ダイちゃん馬車」の実現の可能性を訴えたのであった。

 その直後、前に公道を馬車が走れないと批判していた警察官が、その後ある町の警察署長になっていたのだが、その彼が彼女のプレゼンに感動して、彼の責任で街中を馬車パレードしてみようという提案がなされ、約5キロの街中での馬車パレードが成功し、地元紙を初めとして話題となった。

 その後は、彼女の提案の「ウエディング馬車」や「観光馬車」としての注文が少しずつきだして、なんと2005年からは、岩手県盛岡市の観光振興のための官民協働での馬車運行というプロジェクトにつながったのである。

 東北の馬産地である盛岡市の風情を引き継いで、盛岡市内で馬車を走らせるという社会実験が始まり、車社会から古きよき時代の文化を現在に生かす夢に近づいたのであった。

 由紀子さんは、その後老いたダイちゃんの健康と体力を考慮しながら、結婚した旦那さんと新たな馬に親しむ牧場経営の傍ら、この観光馬車の運行を続けているというのである。

 すばらしい感動の話題であった。
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市長が全職員の給与公開

2009年02月25日 | ちょっと可笑しいよ
鹿児島県、阿久根市の市長に昨年9月に就任した竹原信一市長(49歳)が、市のホームページに2007年度当時の市長、教育長ら幹部を含む職員計268名の年収、給与、手当ての明細を一円単位まで公開した。

 消防職員を除く全職員の給与、諸手当、、時間外勤務等、期末、勤勉手当を番号をつけた無記名だが、すべての職員の年収、共済費を含む歳出された総経費として掲載し、退職手当組合負担金なども含む人件費の合計額として、23億9300万円弱の税金が使われていることを具に公表したものである。

 年収としてのトップは、市長ではなく医師で給与651万円に諸手当1630万円弱の2586万円で、市長は給与720万円に期末、勤勉手当を加えて年収1015万円強であった。

 その他では教育長と副市長は役職名が掲載されているので特定されるが、一般職員のトップが三番目の高給取りで909万円強で、全268人の平均年収が約646万円であるみことが公表され、ほぼ市職員の誰の給与はいくらと推定というより明確にわかる資料となっている。

 竹原信一市長は、阿久根市の市議会議員として、既得権益グループを敵に回しながらも、市の古い体質やダークな部分に牙をむいて、昨秋市長に当選した人なのだが、それまでも自分のブログを通じて、市政、国政、の裏側や自分の想い、議員活動を書き綴っていて、「住民至上主義」として現役市長のメッセージを送り続けている。

 私は子供の頃から、この世の本当の仕組みを知りたい、知ることが出来るはずだと願い、自分なりに追求してきた。

 長年苦労して結局たどり着いたのは、「私は考えを必要とする存在である」ということだ。

 もっと突き詰めて言えば、「考えそのものと、考えに忠実でありたいと思ってやまない気持ち」それが私だった。

 自分自身の拠り所は世間的な評判や大衆常識ではない。どこまでも真実であり、それを追究している自分である事だ。

 その作業の過程に市長選挙があった。

 このように竹原氏は語っているそうである。

 ジャーナリストでも、評論家でもなく、一人の市民が議員になり、現役の市長となって、強く発する彼のメッセージが続くのだが、何が彼を突き動かしているのだろうか。

 政治家である前に、一人の人間としての竹原信一という男に注目せざるを得ない。

 市長としての数々の言動、行動についても、ちょっと変わった市長とか、過激なだと称するマスコミや評論家もいるだろうが、全くまともな感覚であると思えるのだ。

 今回の職員給与の全面公開についても、読売新聞の取材に対して「税金の使い道の話だから公開して当然」と語っていて、とっても歯切れがいい。

 ただ、議会との軋轢とでもいうべきか、市長の施策や言動に対として議会は市長の不信任決議を可決したので、市長は議会を解散して、出直し市議選が3月22日に行われ、市長と議会との対立に対する論戦と市民の選択がなされるので注目したいと思う。
 
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「汚職・贈収賄」

2009年02月24日 | ちょっと可笑しいよ
 一年に何度となく新聞の一面トップを飾っているのが、なんと「汚職」「贈収賄」である。

 特に多いのが、公共事業に関しての入札に絡む情報の漏洩に対する謝礼としての「贈収賄」事件なのだが、先だっても兵庫県宝塚市の現市長が逮捕され、前市長の贈収賄事件の発覚で辞職した市長職を選挙で当選した新市長がまたもや贈収賄事件で逮捕されるという前代未聞の実態が暴露された。

 私が16年間にわたって市民派とでも言うべき無党派、無所属での町議、市議をしていた間でも、何件かの汚職、贈収賄事件が起きていた。

 今から十数年前の事件であるが、当時の役場の課長、係長職の人間が、ある議員の口車に乗って、一般市民の死後の遺産をめぐる相続税を少なくしてあげるとの誘いで、その謝礼に多額の現金の授受を行い、公務員としてあるまじき行為として、職員二人は懲戒免職となった。

 しかし、その事件の背後で多額の現金の授受に関与したと思われる当時の現職議員はなぜかうまく逃げたらしく逮捕も摘発も受けなかった。

 その当時の内情を知る、ある他の職員は自分の立場があるのでと口を閉ざしてはいたが、暗に口封じや警察の調査もあったが言わなかったと供述している。

 つまり、役所内外での自分の立場を保全し、事実よりも将来への計算も含めて、「損か得か」の判断基準で真実よりも「うそ」もしくは「黙る」という姿勢を貫いたと言っていいだろう。

 また数年前に発覚した事件では、市役所に出入りする業者から、随意契約の美味しい仕事を約束し、その見返りに現金数十万円や飲食などの接待を業者から受けたとされる元教師の現職の職員が逮捕され、贈賄側の業者の元社長も逮捕、起訴された。

 つい先日、その逮捕され起訴された元市職員の姿を、ある町で目撃したが、たぶん人目をしのんで新たな仕事に出向いていると思われる姿を見たが、ちょっとした出来心からの誘惑に負けたのかもしれないが、公務員という安定した収入と地位を失った代償はとんでもなく大きかったはずである。

 新聞やテレビで報道される、子うした贈収賄、汚職事件の度に感じることなのだが、公職についている人だけではないが、何故に「口利き」や「斡旋」などで、密室化した約束や漏洩を伴った金銭や利害の授受に至ってしまうのだろうか。

 確かに誰もが、この経済社会で生活している身なのだから、少しでも良い収入を得て、いい暮らしをしたいと思うことはあると思われるが、どう考えても違法であったり、自分だけの利害を考えた「ずるいやり方」で得を得ようとしてしまうのだろうか。

 多くの場合、年収や生活面で、どう見ても庶民の生活感覚から考えると十分な金持ちであったり、エリートと称される立場の人たちが、こうした事件の犯人、容疑者であることが多い。

 人間の欲、特に金銭欲はとどまるところをしらないのだろうが、「足るを知る」こと、身の丈の経済の中で、楽しく幸せに生きる「生き方」がたくさんあるのにと思うものである。

 なくならない汚職、贈収賄を不思議に感じると共に、「足るを知る」精神を大切にしたいと思うのである。
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行こうか行くまいか。

2009年02月23日 | ガリバー旅行記
 実は、昨年の夏に旅した時に利用した小さな旅行社のプレゼントで、インドネシア、バリ島往復航空券が当たっていたのだ。

 昨年の秋に知らせの電話が入ったのだが、原油の高騰の折で、燃油サーチャージャーとやらも航空券代と同じくらいかかるというので、ともかく行くにしても2009年になってからと思っていた。

 漸く原油価格は低落して燃油サーチャージャーとやらもだいぶ安くなったとはゆえ、まだ一人2万7千円強かかるというのだが、当選航空券の有効期限が3月末だとのことなので、どうしようかと迷っている。

 せっかくのラッキーな当選なのだが、当たったのはバリ島往復航空券一枚だけなので、家人と共に二人で行くとなると相当額の旅行代金が別に必要となるし、燃油サーチャージャー代も当然二人分の5万5千円ほど必要である。

 そこで旅程を家人のスケジュールと私の行けそうな日程で調整して、旅行社にプランニングしていだだいたのだが、そんなに費用がかかるのだったら、私は行かない。

 行くお金があるのなら、行きたいとこや買いたいモノがあるので、そのお金を頂戴とまで家人に言われてしまい、二人で行く「バリ島観光」旅行は断念せざるを得なくなってしまった。

 しかしである。なぜかせっかくの当選と言うチャンスを見す見す無駄にするのはもったいないという感じなので、何人かの友人に「一人分の航空券が当たった」ので、行かないかと誘ってみた。

 異口同音に、一人で行くのはどうもとの返事で、友達や家族を誘って行くとなると、また出費が嵩むし、そこまでして行きたいとは思わないとのことである。

 昨日も友人に、この話をしたら、「行きたい」とのことだったのだが、家族と相談し3月末までの日程ではやっぱり無理だとの返答がメールで返ってきた。

 そこで、も一度原点に立ち返って、自分ひとりで行くことも検討しようと現在思っているのだが、なかなか決断がつかないでいる。

 「バリ島」の魅力は何と言ってもアジア有数のリゾート地であり、青い海と緑の木々、バリダンス、伝統工芸などの文化の数々、また地域ごとに特色あるインドネシア料理、宮殿、寺院、遺跡などもたくさんあるし、段々畑やキンタマーニという名の壮大な山や湖もあって、大変旅心をそそるのである。

 昔、私の友人夫婦が新婚旅行にバリ島に行ったことを思い出したし、今回の旅のお奨めのウブドの宿も魅力的なので、インターネット上での情報と併せて、ただ今検討中なのである。

 調べれば調べるほど、バリ島の魅力、旅したいと思う気持ちが高まってきて、どうやら今月中には結論を出して、「行こうバリ島へ」ということになるのかもしれない。

 一番のネックは、やはり家人の思いであり、せっかくのチャンスを無駄にしたくない私の気持ちとの葛藤は当分続くことになりそうである。
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「草原の五蓄」と精神。

2009年02月22日 | ガリバー旅行記
 今日の夕刻、京都駅のあるレストランで、現在は名古屋で生活している中国、内モンゴルからの留学生B君と京都で生活しているモンゴル共和国からの留学生Tさんに久しぶりに会って、三人で会食し歓談した。

 同じモンゴル人ではあるが、B君は内モンゴル、Tさんは日本では以前は外モンゴルと称していた地域の出身なので、お互いが出会ったのは偶然2001年の春が初めてで、京都の同志社大学留学生別科という、外国人のための日本語習得コースであった。

 出会いとは本当に面白いもので、私とB君は1990年の夏に初めて、中国内蒙古自治区の克旗ダライの町で逢ったのが縁で、今に至る約20年近い友人となったのだが、Tさんとはたぶん2002年頃に同志社大学京田辺キャンパスで、彼と彼女が主宰して行った「二人のモンゴル展」が最初の出会いだったと記憶している。

 それ以来、彼も彼女も八年間に及んで日本の大学で、いろんな文化と伝統の違いを感じながらもお互い研究者としての生活をアルバイトもしながら頑張ってきた同志でもあるのだ。

 その日本に留学してきた時期がたまたま同じだったこともあって、モンゴル族としてのアイデンティティを見失うことなく、続いている友情が強くなっていることは間違いないので、今回久しぶりに京都で私も含めて再会の機会が突然やってきたわけであった。

 実は外モンゴルからやってきたTさんは今年度で日本を離れて母国であるモンゴル共和国に帰国することとなったそうで、一方のB君は今後も日本に滞在し、名古屋大学で面白い研究課題を見つけて研究生活を続けるということとなった。

 私が大変興味を覚えたのは、彼が研究テーマとして考えていることで、宗教と人間に役立つ家畜で経済的恩恵をもたらしてくれている「草原の五蓄」との関連性なのである。

 モンゴル草原にいる「五蓄」とは、牛、馬、羊、山羊、駱駝の五種の動物なのだが、騎馬民族としてジンギス・ハーンのユーラシア全域での活躍の時代と現代のモンゴル族の一番大切な動物は牛と羊に変化しているのだが、精神構造の変化でもある宗教的背景と生活の中心にある家畜に変化が顕著なことが面白いのである。

 騎馬民族としてのモンゴル族の時代は当然「馬」が一番大切な移動手段でもあり、遊牧の民としての筆頭の動物だったのだが、近代以降の定住化に伴って宗教的にはシャーマニズムから仏教的考え方に変化してきたというのである。

 つまり、簡単に言うとすれば、地、水、火、風、空などの五大を信じて移動していた時代の騎馬民族の精神は自然崇拝であり、住まいは移動式ゲル、テントだったのだが、牛、羊を中心とする経済が生活を支えだすと、固定式住居に住み、仏様をはじめとする偶像もしくは人間が創造したモノを拝む精神性へと変化しているとの、非常に興味ある考察、研究テーマなのである。

 
さて、彼が今後、名古屋大学の大学院で、このテーマをどう論文に仕上げて、博士号を取得するのかが大変面白いし期待したいと思うものである。
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大きな半円弧の虹。

2009年02月20日 | ガリバー旅行記
 今日、仕事の現場から事務所に帰る途中だったが、東の空に久しぶりに「大きな半円弧の虹」を見た。

 朝から空の雲行きは怪しい感じで、降ったり止んだり、また日差しが温かく感じる時間もあったが、3時頃からまた雨模様になって、車のワイパーを動かしながら東に向かって走っていたら、前方にとんでもなくデカイ半円弧を描いた「虹」が出ていた。

 何だが、とっても得した気分、幸せな気持ちになれた。

 昨年の秋から、テレビも新聞も麻生首相も、未曾有の大不況だとか100年に一度の不景気だとか言っていて、あまり明るいニュースが乏しい2009年のスタートであった。

 一ヶ月と20日経った今日、なんだか気象現象としての自然の形なのだろうが、「虹」が見事な半円弧を描いて、地平線から地平線へと見事に輝いていて、その色合いも七色とは形容しがたいが、きれいなグラテーションの色合いで約5分間ほど楽しませてくれたのである。

 特別に暗かったわけではないが、平凡に一日の仕事を終えて帰路につく時間だったので、なんだかんだの理屈抜きに「幸せの虹」といった感じてフロントガラス越しにしばらく眺めながら走った。

 一瞬、携帯のカメラで撮影しようかとも思ったが、自分の目に焼きついた映像を心にとどめておけばいいやという気持ちになったので、あえてシャッターは切らなかった。

 夕刻以降、金曜日の定番である「八百屋ガリバー」としてお客さんのお宅を訪問販売しながら、何人かの人に「虹を見ましたか?」と尋ねてみた。

 三、四人の女性が「見た」と言われたが、室内におられたり仕事中だったために全く気づかなかったという方の方が多かった。

 中には先週にも「大きな虹を見た」という若いおかぁさんもおられたので、「虹」そのものは結構出ているのだろうと思うのだが、とっても偶然だとは思うが、その時間にその方角の空を見上げるチャンスにめぐり合えなければ、見ることができない幸運は間違いなくあるのだ。

 私が一番感動した「虹」は、十数年前に中国内蒙古の草原で見た「でっかい虹」なのだが、翌日の私たちのメイン料理のための「羊」を遊牧民から一頭買い付けてトラックの荷台にロープで結わいて、その羊を何人かの仲間と運んでいた時だった。

 その大切な私たちのご馳走になるはずの「羊」が草原の窪みにトラックがつんのめった時に、突然ロープが解けて、その羊が草原へとジャンプし着地して逃げたのであった。

 その後、我々は事の大事に気がついて、十人ほどが知恵を絞って逃げた羊を追って二時間ほど捕り物帳を繰り返した挙句、漸く群れの羊の中に、その逃亡犯を追い込んで漸く捕まえて観念して四つ足を縛られた羊を再度肩に担いで帰ろうとした時に見たのが、美しく壮大な「大きな虹」だったのである。

 自然現象のひとつではあるが、見る人や仲間たちの気持ちで、同じ虹でも全く違った印象や景色として見えることもあるのだろうが、今日の四時前の大きな半円弧の虹との出会いには、久しぶりに幸せな感動を覚えたものである。

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「おでんでごはん」

2009年02月18日 | 季節の話題
 まだまだ寒い日が続く今日この頃、この季節にどうしても食べたくなるのが「おでん」またの名を「関東煮」という温かくてだしの効いた美味しい定番である。

 私たちの男の料理サークルORIJIが主宰する「宇治ゆめカフェ」の2月の第四日曜日のランチも「おでんでごはん」に決まったので、前日の夜からの仕込を兼ねての準備を例会として、日曜日に来てくださるお客さんへ、美味しくて味わい深い「特製おでん」を食べていただこうと思っている。

 特に「おでんだし」には凝って、日高昆布と三陸のかつお節を贅沢に使って「だし汁」を絞って採りおきするつもりなので、合成だしとは香りが全然違うと思う。

 その煮汁(だし汁)に三河本みりん、有機醤油、塩、米の研ぎ汁を加えて、美味しくコクのある「おでんだし汁」を作るのである。

 そこへ入れる「おでんの具」なのだが、今のところ人気の高い「おでんの具ベストテン」に名を連ねている具の中で、一番人気の大根を筆頭に、卵、ジャガイモ、厚揚げ、ちくわ、コンニャクの6種を準備し、そこに味をより引き立たせるための「牛筋肉」も入れる予定である。

 関西と関東圏だけでも、おでんの作り方や具の定番に違いもあるみたいだが、我々は関西の「お父さんたちが作るオーガニック料理」をうたい文句にしているので、具材も無添加のものに拘って、上記のおでんダネで勝負する。

 全国的なインターネットによる、好きな「おでんの具」ランキングによれば、①大根、②たまご、③餅入り巾着、④こんにゃく、⑤ちくわ、⑥牛すじ串、⑦厚揚げと続いているので、ほぼ「餅入り巾着」以外は人気のおでんの具を揃えたこととなる。

 確かに「餅入り巾着」は、捨てがたい美味しさがあるのだが、なかなか有機、無添加の材料となると、適当な具材が見つからないので一応、これで煮込もうと思っている。

 全国的な「おでんの具」の人気具材となれば、ほかに「はんぺん」、「しらたき」、「がんもどき」、「さつま揚げ」、「たこ」、「ちくわぶ」、「ごぼう巻き」、「つみれ」、「ロールキャベツ」、「焼豆腐」などがあるのだが、地方の特色や家庭毎の拘りの具もあるだろう。

 私たちの小さかった頃は、関西では鯨の皮と脂身の「コロ」と呼ばれた食材が「おでん」にはつき物だったのだが、今は高値の花と言うべきか、なかなか手に入らない高級食材となってしまったので、めったにお目にもかかれないし、食べられなくなっている。

 変わったおでんダネとしては、「げそ」、「ぎんなん串」、「あらびきソーセージ」、「ツブ貝」、「かまぼこ」、「餃子巻き」などもあり、美味しく煮込んだ出汁がしみとおった「おでんの具材」は、どれもとっても旨いはずである。

 NHK教育テレビのアニメ「おでんくん」では、大根や玉子を押しのけて、なんと「餅入り巾着」が主役を務めているのは、やはり納得、当然と言った感じもします。

 ぜひ、お近くの方は宇治警察手前の大きな赤い提灯が目印の「ゆめカフェ」ランチに来る2月22日(日)のランチタイムにお越しください。
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R-1ぐらんぷり

2009年02月17日 | テレビマスコミ
 節分、立春が過ぎて、早や春の気配かと思った先週とはうって変わり、もう一度冬に逆戻りといった感じの天候となり、今日は京都に久しぶりの雪が舞った。

 寒いのは天候だけではなく、何とも言いがたいG7財政担当閣僚会議での中川昭一金融財政担当大臣の記者会見での失態が全世界に発信され大騒ぎで、遂に中川大臣は夕刻に麻生首相に辞職を申し出て受理されたという寒いニュースが伝わった。

 何とも言い開きが出来ない「泥酔状態」の実態で記者会見し、発言もしどろもどろだし、前後の発言も意味不明の上に、記者の白川日銀総裁への質問までも受け応えしようとして失態を拡大助長し、どうにも言い逃れできない様を露呈してしまった。

 中川大臣は、あの元建設大臣を務めて自殺した中川一郎代議士の息子で、北海道11区選出の二世議員だが、かつての親父の秘書官の政党大地代表の鈴木宗男議員と跡目相続を争った御仁たが、酒好きが祟っての失脚となってしまった。

 そんな国会、政府のだらしなく、みっともない騒動のさむーい空気の中で、今夜ゴールデンタイムに放映された、ピン芸人の日本一を決める「R-1ぐらんぷり」を楽しみに観た。

 何故に「R-1」かと言えば、ひとり芸の基本的話術である「落語」のRから、ひとり話芸の日本一決定戦となる「R-1ぐらんぷり」が七年前から開催され、今年は約3400人もがエントリーし、敗者復活で勝ち上がった夙川アトム、岸学を含む10人が雨上がり決死隊の蛍原と宮迫に優香が司会する決勝バトルに出演し、大阪からひとり参戦した「中山功太」が「時報ネタ」でエハラマサヒロらを抑えて逆転優勝し、賞金500万円と軽自動車の副賞を獲得した。

 中山功太といえば、あるあるネタ、一人コント、音響を使ったネタ、フリップを使ったネタなどで守備範囲は広いが、R1ぐらんぷりでは、過去の成績は2005年、06年が7位で、昨年も4位にとどまっていた。

 昨年春からNHK関西ローカルで夕方の「あほやねん!すきやねん」の月~木曜日の司会に抜擢されていたが、もひとつ話術で秀でたかんじはなかった感じだったのだが、今回のR1での「時報ネタ」は、淡々と進行する中で独特の笑いをもらって一発逆転の優勝となった。

 チン、チン、チン、チーン。「ただいまから何時何分をお知らせします」という電話の時報のお知らせ音声をバック音として、ひとつひとつの落とし話に聴衆を魅了したところに、中山功太ワールドが評価されたようだった。

 もともと彼の実家はソファーベッドの製造会社で、家は27LDKKK+トイレ4、風呂2の大邸宅に住み、自分用のメディアルーム、サウナを持ち、車はベンツなど4台所有する大金持ちだったらしいが、2006年に実家の会社が倒産し実家がなくなり、今年はR1ぐらんぷり優勝を公言して獲得となったようだ。

 さむーく、暗い話やニュースが多い中で、R-1ぐらんぷりの舞台は、なかなか楽しく温かな番組であった。
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「もったいない」

2009年02月16日 | 日本の課題
 「もったいない」という日本語が、地球環境を守るためのCO2削減などを提唱するCOP世界会議以来、注目されていて「世界語」として扱われているという。

 しかし、この「もったいない」の語源について考えてみれば、よく分るのだが「勿体ない」と書くように、「ものの本質」つまり、「本体がない」と言うことなのであり、肝心な心や大切な部分が無くなってしまっているということである。

 つまり、私たちはただ使い捨てや残りを無駄にすることを「もったいない」と称しているみたいなのだが、モノの本質や一番大切な本体を見失ってしまっているのではないかということなのである。

 小学校の低学年クラスにいる少し障害のある子供のサポートに行かれている年配のご婦人の話を聞いたのだが、ある子供が授業中に机から自分の消しゴムを落としたので、彼女が落とした少年に「拾いなさい」と言ったところ、少年は「また買ってもらうからいい」と返答したというのである。

 いたるところに、タオルや手袋、マフラーなどが落としてあって、気がついたら拾って近所の垣根や見つかりやすい場所にかけておいたりして、落とし主が取りにきたらいいのにと思うのだが、めったに落とし主には戻っていないともいう。

 毎年年に二度か三度は、鉄道での忘れ物を百貨店で特売するというイベント催事が行われ、それなりの安値で販売されているので人気で賑わうというのだが、所詮は落し物、忘れ物を誰も尋ねて取りに来ないための販売セールなのである。

 傘やバッグ、時計や携帯、そして中には貴金属品やお金などもあるのだが、一部を除いては落とし主、忘れ物をした人が見つからないために、一定の保管期間を経て競売にちかい形で販売されているのである。

 モノだけではない。「もったいない」と言う言葉が良く使われるのは、食べ物を残したり捨てたりする場合が多いものである。

 グルメなどと言ったり、食べ物の話題や番組が大流行の時代だが、ご家庭の冷蔵庫の中やもらい物に、たくさんの「食品」があるのに、また買ってきたりして、食べ切れなかったり、好みではないとの理由から食べられなく捨てられたり、賞味期限切れで廃棄処分される「食品」がたくさんある。

 日本の食糧自給率は何と4割だというのに、私たち日本中で提供されている食材、食料の約4割を無駄にしたり捨てているのが現状である。

 とんでもないことである。「もったいない」を子供の頃から、家庭や学校、首魁で当たり前のモラルに近い習慣として自覚できるように教育し直さねばなるまい。

 小さな子供の頃から、食育的にもモノを大切に的にも、ぜひ「もったいない」という日本語を教えて<
無駄を少なくし、多くのモノや食べ物を共有できる社会に戻しましょう。
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