ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

春、新年度を前に。

2012年03月30日 | 季節の話題
 3月最終週も週末になって、いよいよ4月を年度変りとする一年とする習慣が強い、私たちの生活では学校も職場も地域も年度替わりを前に何やら忙しそうな気分になります。

 国の最高決定機関である国会では、野田民主党内閣がすったもんだの挙句に「消費税法案」の閣議決定を今日するという年度締めぎりぎりで、見切り発車なのか十分に議論を尽くされたからなのかは定かではないが、一応の段取りが整ったとのことである。

 新聞各紙は亀井国民新党代表の連立離脱をトップ見出しとしているが、そんなことどうでもいいことであって、肝心のこれからの社会保障や福祉がどの様に変るのか変らないのか、大切な施策についての内容を報じてほしいのだが、今後の政局とでも云うべき、小沢、野田、岡田、谷垣などの政治家の動向ばかりで国民にとってどうなるかが抜け落ちていて、いい加減にしてほしいものである。

 誰が消費税法案に反対だとか、景気回復の目標値としての実質2パーセントを掲げなければ消費税の値上げは避けるべきだとかいう議論は、何やら本末転倒の様な気がしてならないのだが、本当に税と社会保障の一体改革というならば、消費税を8~10%に値上げするが、公的年金の一本化や健康保険や介護保険、障害者自立支援など、抜本的改革の見通しが見えないまま、国会議員定数の削減や公務員給与の切下げ、官僚の天下りなどの禁止なども手がつけられないまま、結局ごり押しの消費税値上げだけでは困るのである。

 確かに日本人の多くは、新年度という新しい出発点を期して、春の桜が咲くいい季節に心を新たにして、心機一転の一年を送ろうとする気持ちが強い民族だと思うのだが、政治の世界は年度替わりを期に、何をどうしようとしているのかが本当に分からないばかりか、政治家同士の面子や次の選挙での有利、不利とかいった自分たちの立場の維持にしか関心がない様では情けないのである。

 朝刊の紙面の一面に、「暮らし、4月からこう変る」とあるが、年金、医療、介護などに関する小額の負担増や受給減は見受けられるが、根本的な変革と思える変化はなく、例のこども手当が従来の児童手当に名称が戻って、所得制限(夫婦、子ども2人の標準世帯」が設けられ、年収960万円以上の世帯には支給されなくなるというくらいが目立った変更である。

 ともかく、国会議員も地方議員も選挙の時には多くを語り、積極的な改革や新たな生活者、住民本意の政策を訴えたりしているのだが、いざ議会が開催されての議論や新たな政策立案においては、全くと言っていいほど前へと進まない状態が、何処でも見受けられ、結局与野党などという形式的対立ばかりが先行して、有権者、生活者、庶民のために必要な施策なんてことは優先されないのである。

 今年は冬の寒さが全国にいまだ残っていて、桜の花が開花するのも例年より一週間以上遅くなる地域が多いと言われているが、昨年の東日本大震災以来の行政、政治の対応ぶりは、ちょっとどころではなく、相当遅いとしか言いようのない状態であり、被災地ならびに避難を余儀なくされている被災民たちの生活が一番困難を極めていると言われている。

 頭の中に「桜の花」が咲いているかの如きお目出度い人々の多い、国会や地方議会の議員たちと行政職員、官僚たちという税金で飯を食っているお目出度い人々に対する「カンフル剤」は、直接的な選挙民、地域の有権者たちの怒りと困惑以外に無いのかもしれない。

 今シーズンが始まるプロ野球を前に、メジャーリーグの開幕試合として来日したマリナーズのイチロー、フランスで開催されている世界フィギュア選手権の真央ちゃんや佳菜ちゃん、甲子園のセンパツ高校野球の球児たち、世界卓球の熱戦など、政治の世界のだらしなさに悶々とした心を清清しくしてくれるのは、やはりスポーツの春である。
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春の木津川河川敷

2012年03月28日 | 季節の話題
 久しぶりに、近くに流れる大河、いづみ川と万葉集にも歌われている木津川に足を向けて、春の兆しを求めて歩きました。

 自宅から約2キロほどのところに、三重県と奈良県の県境でもある高見山地を源とする木津川が流れていて、ここしばらくの雨が久しぶりにたくさんの水を大阪湾に注ぐ形で、堂々とした流域面積を占めながら存在しています。

 先日は、その支流でもある手原川という川の流れ口から河川敷や堤防伝いに、現代では時代劇で有名になっている「流れ橋」と称される上津屋橋まで、約5キロ近くをゆっくりと歩いて往復したのですが、途中にいろいろな春の兆しを感じたりしました。

 少し歩いていると、雲雀がピーちくパーちくと囀っていたかと思いきや、やはり春を告げる代表的な「ウグイス」がもう立派に「ホーホケキョ」鳴き声を聞かせてくれるし、足元にはタンポポの黄色い花が春を教えてくれる様に、踏まれても風に吹かれてもびくともせずに咲き誇っていました。

 風は少しまだ冷たく感じるお昼過ぎでしたが、周辺には桃の花が桜の花かと見間違えるほど咲いていたりして、毎年の恒例と感じている春を告げる待ち遠しい花としての、梅、桃、サクラの順はどうなるのやら、今年は待望のソメイヨシノの桜の花は、少し例年よりは咲くのが遅くなりそうです。

 昨年はたぶん卒業式や卒園式の頃に咲き出していたと思う桜でしたが、今年はたぶん入学式や入園式の頃にちょうど見事な花をお祝いのために咲かせてくれるのではないかと、多くの入学や入園を楽しみにされている親御さんや祖父母の皆さんが仰っています。

 いつも歩く舗装された道路や歩道ではなく、土手や河原の土の上を踏みしめて歩く楽しさは、全く異なった感覚であり、途中すれ違うジョギングをしている人や軽快に自転車専用道を走りさる人たちと挨拶を交わしながら、私自身はのんびりと流れ橋を目指していました。

 この「流れ橋」は、昨年の豪雨で再び流された後、たぶん京都府の予算化によってやっとこさ再生の工事が始まったばかりで、聞くところによれば橋の木々が流出しても、鎖で止めてあるので、再び手繰り寄せて設置すれば済むという仕組みだとのことでしたが、流量が多くて痛んだ橋げたもあって、なかなか工事も大変で、費用も2000万円から三千万円近く掛かるそうで、自然災害の影響での流出とは言え、何年かに一度は流れていますので、税金とは言え物入りな風情のある木造橋だと思います。

 この流れ橋を舞台に、多くの時代劇やテレビドラマが撮影されているので、橋の袂の八幡市側には、てなもんや三度笠や必殺仕事人で有名だった、俳優の故藤田まことさんの直筆による「石碑」が立っていて、在りし日のまことさんも、ここ流れ橋を舞台に撮影を何度もされていたということです。

 この「流れ橋」をや折り返し点として、河川敷を歩いているとたくさんの茶畑が整備されているし、ひょっとしたら国土交通省の許可を得ているのかも知れませんが、多様な畑が耕作されている場所が多く見受けられて、いろんな農産物を作っておられる地元の方々が河川敷へ軽自動車で来られている様です。

 しばらく行くと、緑の茶畑が続くところのスーパー堤防との境目のところに、にょきにょきと出ている「つくしんぼう」を見つけました。

 夢中になってすくすくと伸びようとしているスギナの子どもとも言うべき「土筆」を採って、ビニール袋に詰め込んで家に持ち帰って、はかまを取って長い土筆は適当に切って、空く抜きのつもりでお湯で茹でてから、出汁と溶き卵で煮て、「土筆の卵とじ」を作って食しました。

 先日味わった「ふきのとう」ほどの苦味はなく、さっぱりとした「春の香り」をご飯と共にいただき、春がますます近づいてきていることを実感しました。

 木津川の河川敷歩きは約12000歩、10キロほどでした。
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突然の避難!

2012年03月25日 | イベント
 昼前に京都市内に出向いて、娘の友人が出展しているクラフトフェスティバルを観に行った。

 正午過ぎに会場付近に到着したが、昨日の春の嵐の様な悪天候が嘘の様に好天に恵まれて、今日は多くの手作りアクセサリーなどの店が、烏丸三条交差点を東に入った京都文化博物館付近の街頭に出ていて、ぶらり歩きのお客様が狭い三条通りの北側を歩きながら、お店に立ち寄りながら散策していた。

 私と娘と孫のR君と三人でぶらぶらと歩き、昔は銀行だつたと思われるの京都府京都文化博物館の建物に入ると、会場内には個性的なアーチストたちの自作の作品を並べての展示、即売の店がたくさん並んでいた。

 もうすぐ5歳になる孫は、やはり陶器やアクセサリーなどの手づくり作品よりは、おもちゃか遊び場か食べるものがある場所がいいとみえて、どこか遊ぶとこへ行こうと言うので館内を散策していると、たぶん自分の知っている読める文字で「そば」と書かれた「蕎麦屋さん」があったので、「そばを食べたい」ということになって、娘の友人と話しているところに戻って、一段落した後蕎麦屋に移動していると、「火災が発生しました!避難して下さい!」と館内の案内人が冷静に言っているので、「あれっ!訓練かな」と思いきや、実際に2階で火災が発生したらしいというのであった。

 そこで、一応館外に出てると、何と消防車の近づくサイレンの音が聞こえ出し、狭い三条通りに赤い色した消防車両が次から次へと入ってきて、現場付近は人、車、人、そして消防士たちでごった返す騒ぎとなってしまった。

 同じように館外に避難しようとしている人の話では、二階のトイレ付近から煙が出ていて、焦げ臭い臭いが実際にしていたそうで、決して訓練ではなく「火災発生」の事実があって、誰かが通報したために消防車両を中心に、この文化博物館前の路上へ緊急車両が集まって来たのであった。

 大型のはしご車から、小さな手押しの消防用ホースを積んだ二輪車まで、何と10数台の消防用自動車や備品が運ばれてきて、消防服に身を包んだ消防署員たちが足早に現場付近を行き来し、その内交差点付近の路上の小さなマンホールの様な鉄の蓋を開けて、消防用水を取り出すためにセットされたホースに水が運ばれて、消防自動車を経由して、実際に消火のための準備が着々と進められていたのであった。

 私たちは路上でしばらくは、その様子を見物していたに過ぎないので、実際のところはどれ程の火災かどうかは全くわからなかったのだったが、たぶん通報内容と共に現場にいち早く到着した消防署員たちによる現場の観察と情報によっての、消防体制が準備されていたのであろうと推察できたのだったが、狭い路上の一角に黄色い立ち入り禁止のテープが貼られたり、署員が東側に移動して下さいと声を上げて、通行人や見物客を誘導する光景もあり、しばらくはごった返していたのであった。

 私たちは、お目当ての蕎麦やに立ち寄ることを諦めて、別なところで昼食をとの思いから、現場を離れてしまったのだけれど、たぶん「小火(ぼや)」程度で収まるのだろうとの予測を感じながら、近くにある新風館へと昼食目的で移動したので、その後の様子は知る由も無かったのであった。

 新風館での昼食を終えて、時折降る雨を凌ぎながら、館内の屋外ステージで演奏されていた男性六人の「アカペラ・ライブ」を少し聞いた後、雨がやんで日差しがさしてきたので、席を立って帰路につき無事帰宅したのであった。

 夜のテレビニュースで、この火災のニュースをやっていて、たいした火災ではなかったことを改めて知ったのだったが、たくさんの消防車とサイレンの音、そしてごった返した人、人の多さに孫はびっくりして、まごまごしていたのであった。

 火災の避難訓練の様な体験だったが、ぼやで本当によかったよ。
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「維新塾」に2千人!

2012年03月24日 | ちょっと可笑しいよ
 国の今後の方向性を決めるべき、最高決定機関でもある国会が、何とも野田首相率いる民主党内の異論別論が渦巻く中、本当に消費税の値上げが必要なのかも含めて、まともな議論がされているのかどうか全く五里霧中と言った中、国民の多くが民主党だけでなく、既成政党の国会議員への信頼や期待感を失っている現在、大阪維新の会を立ち上げて血気盛んな橋下徹大阪市長が代表を務め、松井大阪府知事が幹事長を担う「大阪維新の会」が募集した「維新塾」に何と3千名以上の人が応募し、今日その内の2000名が開塾式に臨んだというニュースが、何と夕刊のトップ記事であった。

 私は、前々からこの「大阪維新の会」の代表である橋下徹氏の政策や言動に対して、テレビで培ったタレント的勢いで既成の国の構造や今までの民主主義と言われた曖昧な馴れ合い主義を廃して、新しい自治や国の形を作るというスローガンには共感を感じるものの、その手法や特に思想や言動の自由や考え方まで、公務員は執行者の命令に背くべきではないとする強権的姿勢には危険すら感じていたのである。

 しかし、昨秋の大阪府、市のダブル選挙で松井大阪府知事と橋下大阪市長が誕生し、大阪都構想の実現のためには国会議員の力が多大に必要との見解から、次期総選挙には大阪維新の会が独自候補を擁立して、既成政党の理解と協力をも得て、国会での法案決議に大きな主導権を握ろうとの思いもあって、このたび「大阪維新塾」を立ち上げたとのことである。

 学生から高齢者まで様々な参加者がいて、既に地方政治の場で議員をしている人も含まれているというが、何故にこうしたマスコミを中心に話題を提供している「維新の会」の政治塾に人が集まるのか、私には理解できない面があるのだが、それは老婆心ゆえかも知れないが、どうも以前の小泉チルドレンや小沢チルドレンとも呼ばれた、俄か政治志望の若者や支持者を彷彿させてしまってならないのである。

 つまり、前回の大阪府議や大阪市議、堺市議選挙でも「大阪維新の会」を名乗り、橋下徹当時の大阪府知事とニコヤカに握手したり肩を並べた選挙ポスターを含む、流行に乗った勢いで当選を勝ち得た新人議員さんたちの内に、駅頭での選挙演説も含め、ほとんど自分の考えや政策を自分の言葉で語ることすら出来なかった候補者もいたが、それでも若さや女性である強みも重なって、この流れにうまく乗って当選した者も少なくなかったと言われている。

 ともかく、本当に日本を変えたいとか自分たちの故郷や地域を住みやすく暮らしやすい町にしたいという強い意志をお持ちならば、まず自らが自分の言葉と行動で地域での活動を始められた上で、政治的学習や少しのノウハウや技術を学ぶために勉強会などに参加するのは理解できるが、闇雲に「維新の会」の名を借りて、議員になれるかも知れないという思いで、ただチャンスだとの思いで政治塾に参加したとすければ、大きな間違いではないだろうか。

 橋下徹代表らの大阪維新の会が掲げる「船中八策」と称される彼らの政治的ベクトル、目標とされる考えや理念に対して、本当に何処まで議論が出来て、その問題点も提議したり反論したりも出きる度量なくして、維新の会の言いなりで動いたり語ったりという人間がいくら集まっても、数の論理上は議員になってしまう可能性はあるのだが、果たしてどうだろうか。

 つまり、小泉改革と言われた「郵政民営化」を掲げた総選挙での新人議員の多くは、次の民主党への政権交代がなされた衆議院選挙では落選した候補者が多かったし、次の総選挙では小沢チルドレンと称されて国会議員に促成栽培でなった人の多くが落選するというのは予想できることなのだが、その次は「維新旋風」が吹くかもしれないが、それはその時期の風に過ぎないのであって、本当の実力や民意だとは言えないのである。

 
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孤独と個人情報

2012年03月22日 | 感じたこと
 最近、やたら孤独死や高齢者の孤独感についてのレポートや報道が多い気がするのだが、やはり東日本大震災や原発事故による放射能汚染の不安からの避難生活を余儀なくされた方々の実態の中にも、多くの実例が潜んでいるからだと思うのである。

 人間は本来誰もが孤独感を抱くことがある動物だと思うのだが、成長の過程で多くの友人や知人との出会いを経験して、家族だけではない、親友や仲間を意識しつつ大人になって行くのが普通だとも思うのだが、如何せん大人になっても世間は冷たくて自分などに関心を寄せてくれる人などいないと自らの孤独感を自嘲しつつ語る様な人もいるのである。

 しかし、本当に高齢まで健康に恵まれて生きて行ける人たちにとっても、誰にも手助けを求めず、独りで今まで自分の力だけで生きて来たと豪語する人も中にはいると思うのだが、やはり多くの人たちのお陰で自分の生命はもとより現在に至る生活が出来ているのであることは明らかな事実だと、年を取ると誰もが感じていることではないだろうか。

 しかしである。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の経験から、関西地域に住まう私たちはより一層、人は人との関わりの中で生きさせていただいているという実感を感じたし、関東、東北地方の人たちだけでなく、昨年3月11日に発生した東日本大震災と大津波、そして福島原発事故という大災害を通じて、多くの人たちが自分の命や現在の生活が、多くの人との関わりと支えで成り立っていることを実感したのではないかと思うのである。

 でも、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と諺の如く言われている様に、人間はまた傲慢にも、誰の世話にならなくても自分は生きて行けるし、現に孤独でも生きているという自問自答を繰り返してしまう生き物の様である。

 最近の多くの孤独死や幼児や自分の年老いた親や兄弟を虐待死させる事件の多発の因果関係の背景に、何とも恐ろしい自分勝手な生き様が見え隠れしていて、何ともニュースを観たり聞いたりして、ちょっとした人間不信にも似た憤りとも言える違和感を感じてしまうのは私だけではあるまいと思う。

 今朝のNHKの連続テレビ小説、「カーネーション」で、主人公の小原糸子(夏木マリ)が病院でのフッションショーを企画しつつ、入院中の幼い頃からの腐り縁の吉田奈津(江波杏子)にも何とかショーに患者の一人として出て貰おうと思っていたが、ある日彼女は退院してしまっていることを知り、病院で彼女の連絡先を尋ねたところ個人情報だからお教え出来ないと断られる場面があった。

 ドラマの今後はどうなるかは知らないが、最近は地域の自治会、すなわち昔風に言えば「町内会」の役員や福祉関係者にとっても、自分たちの住む近所のお年寄りや高齢者の一人住まいの方には気をつけて見守りたいし、またいつ何時自然災害に見舞われるかもしれないので、緊急時に助けられる様にと、ご自宅での休んでおられる部屋やご家族やご親戚の有無などについて事前に登録していただきたいとの熱心な要請に対しても、行政窓口はもとより、個人宅への訪問をしても「個人情報」との返答で教えて貰えない場合があるとの話を聞くと、何ともうら寂しい思いすらするのである。
 
 最近は何でもかんでも「個人情報だから」という返答でそっけなく断ったり、相手の方の好意や心配をも拒絶してしまうという紋切り型の対応が多くなっていて、せっかくの地域でのお年を召した方々への配慮や見守りすら、十分な情報や個人の健康状態をも含む実態が不明で、孤独死されていても長い時間気づかれないという悲惨な例すら出ているのである。

 人間は決して自分が世話になろうとしていなくても、多くの家族や親しい人、時には全く見ず知らずの人の世話や気遣いの中で生きているのだから、もつと気楽に「世話になったらいい」のではないでしょうか。
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球春、選抜開幕!

2012年03月21日 | イベント
 春分の日が過ぎて、暑さ寒さも彼岸までとは言ったものの、まだ肌寒い感じの日中ではあったが、いよいよ野球ファンならずとも、若さと練習の成果を発揮して、ともかく頑張る姿がイキイキしている高校球児たちの憧れの甲子園球場での、第84回選抜高校野球大会が始まった。

 午前9時に始まった開会式では、東日本大震災の被災地のひとつでもある宮城県石巻市の石巻工業のキャプテン、安部翔人君が選手宣誓をしたのだけれど、何とも抽選による籤運がいいのか、それとも神様の計らいなのかは知らぬが、復興への思いを強く感じる日々の生活の中で、選手たちが思い思いに寄せた言葉をつむいで彼が文章にしたという立派で堂々とした宣誓をしたのであった。

 今回は何故かいつもの高校生にありがちな絶叫的な宣誓でもなければ、右手を上げてのお決まりの宣誓スタイルでもなく、真正面を向いて、自分のペースで一言ひとこと噛み締める様に暗記していた言葉を性格にゆっくりと宣誓した安部君の姿勢と内容がとっても心を打ったのであった。

 平野文部大臣や大会会長の訓示や挨拶は余計だったとも思える感じで、開会式の進行役の司会をも高校生たちがやってのけていて、とても清清しい感じの開会式であったと思ったのである。

 21世紀枠という名の3校の初出場校を含む全32チームが選抜された、春の高校野球選手権大会なのだが、昨年も東日本大震災直後に予定通り開催はされていたが、いくら野球ファンであっても、落ち着いてたとえテレビ観戦としても観ていられない様な心境の方が多かったのではないかと推察するし、私自身も前回はほとんど見ていなかったことを記憶している。

 震災、大津波、原発事故と三重苦の被害に苦しむのは東北三県の住民だけでなく、すくなくとも東北、関東、そして甲信越も含む東日本地域に生活の場を置いていたご家族、住民たちにとって、この一年余は、本当に大変な復興への足がかりを見つけて歩み出すためのスタートラインにやっとこさ立てたという時期とは言え、ちょっと落ち着いて郷土の出場校をやっとこさ応援する気持ちを持てた人たちがいると思える大会となりそうである。

 「がんばろう!日本」の青い横断幕には、たくさんのメッセージが書き込まれていて、選手の皆さんだけでなく、多くの被災者の皆さんにとっても、今回の選抜高校野球大会が、大いに励ましと復興と日常生活への勇気と元気を与えてくれる大会となることを切に祈るばかりである。

 この「がんばろう!日本」の横断幕は前回の選抜大会で球場正面外壁に掲げられていたもので、主催の毎日新聞社と甲子園歴史館の共同所有で、この一年間は宮城県石巻市の市役所に「頑張ろうという球児たちの思いを希望の光にしたい」との願いから貸し出されて展示されていたのだが、一年を経て甲子園球場に里帰りしたねので、今大会でも展示される。

 出場校32校の主将が被災地へのメッセージなどを記した東北地方の図柄をあしらった縦1m横1.5mの布も同時に展示され、大会後は石巻市に寄贈される予定だという。

 この大会では、宮城、岩手、福島各県の中学生たちによる始球式を、大会4日目の24日(土)の全試合で実施し、大会期間中に震災遺児のための募金活動も実施されるという。

 いずれにしても東日本大震災から一年を経ての大会とはいえ、石巻工の安部主将の選手宣誓で幕を開けた、第84回選抜高校野球選手権大会が、日本中に元気、勇気、笑顔を届けてくれる大会となることを願っている。

 開会式後の第一試合は、三重高校が鳥取城北を接戦の末破る好試合だったし、第3試合の花巻北高校と大阪桐蔭高校の試合は、みちのくのダルビッシュと称される大谷翔平投手と、なにわのダルと言われる藤浪晋太郎投手の投げあいという見ごたえある長身投手の素晴らしい試合が観れて、とっても感動であった。
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「花粉症」対策は?

2012年03月20日 | 季節の話題
 先日の金曜日、突然今年も「花粉症来た-!」という感じで車を運転中にくしゃみが止まらなくなった。

 もともと鼻炎気味の症状があるので、さほど気にはしていなかったのたが、やはり春の兆しを感じる様になって嬉しい季節になったのだが、一番悩ましいのが「花粉」である。

 現在飛来中の花粉は「杉花粉」ということなのだが、日常生活をしている我々にとっては、この「花粉」そのものの正体を見ることはあまりなく、何処から飛んでくるのやらと思うのだが、現代社会の多種多様な人間の営みが出す廃棄物や窒素や炭素化合物との複合汚染という形で、結局は人間に自然界がしっぺ返しをしていると言っても過言ではない現象でもあるのではないだろうか。

 つまり、自然界に存在する生物として動植物が多様に生息しているのだが、いつの時代からか地球上に生活する我々人間たちが科学技術の進歩と多くのエネルギーを消費するために、自然界の資源を形を変えて利用する様になって以来、そのエネルギーや消費の廃棄物や副産物が出る様になってしまって、その物質が植物の生態系では当たり前の「花粉」という子孫を残すための要素と反応し、人間たちの鼻や目や耳に入って、とんでもない炎症を起こしてしまっているのが「花粉症」なのである。

 私の場合は50代半ばまでは、「花粉症」なんて、か細い女性たちがかかる限られた症状で、自分には全く縁のない症状だとたかをくくっていたのだったが、ある年から突然、日頃の鼻炎気味な鼻の痒さではない、とんでもない痒さと共に鼻水が出たり、目がしょぼしょぼとしたり、時には目が痒くてしょうがなくなり、ちょっとした頭痛まで感じたりする様になってしまったのであった。

 どうも「花粉症」というかわいい響きとはかけ離れた症状が出たしてしまって、マスクをしたり鼻スプレーをしたり、花粉症に効くと言われた「紫蘇茶」を飲んだりと少しでも症状が軽減するのならと試してはみたが、なかなか症状が無くなるまでには至らなかったのであった。

 その内、毎年のことであるので、マスクをするとメガネが雲ってしまったりして前が見えなくなったり、出会った人と話すのにも失礼であったり、ちゃんと話せなかったりと不便でもあるし、小さなタオルとテッシュさえ持参していたら、何とかその場凌ぎではあるが、極端な症状は回避できるし、そもそも医者や投薬が嫌いな性分でもあるので、薦められることのあった注射や投薬はしないこととして、しばらくの花粉の季節を乗り切ろうという気持ちになったのであった。

 因果関係を問えば、先ほど記した様に、誰彼というわけではないが人間社会の日々の営みの積み重ねが、結局は植物たちの反乱をかった様な向きがあって、大袈裟に言えば「自業自得」といった感が強いのが、この「花粉症」だと自問自答しているのである。

 今日も昼過ぎに外出すると、きっちりと花粉症の症状がすばやく出てきて、「鼻が痒くて、目がしょぼしょぼする」という状態ではあったが、小鼻を両手で何度もなでて、目元は小さなタオルで涙と共にふき取って、急場を凌いでいたのだったが、くしゃみが出たらしばらく続いてしまい、我ながら恥ずかしい感じてあった。

 そういえば八百屋のお客さんの一人の若い奥さんの話では、花粉症治療のひとつに「鼻の内側の粘膜を焼く」という治療があって、その治療を受けられた経験があるとのことだったが、その治療を受けた数ヶ月は確かに花粉症の痒さや苦しみから脱却できたのだそうだが、数ヵ月後自然に粘膜が元通りに回復した頃に、とんでもなく別の花粉と思われる進入物に異常に反応してしまって、偉い辛い思いをしたとの話であった。

 私は花粉症治療や対症療法も特に意識的にはせず、自然に任せて自然のしっぺ返しを甘んじてしばらくは我慢する選択肢を選んで、この時期を過ごすことにする。


 
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消費税増税?

2012年03月15日 | 日本の課題
 ここ数ヶ月間は、野田首相の不退転の決意かなにか知らないけれど、国会および政局がらみで、猫も杓子も「消費税増税」問題の是非を巡っての議論というよりも、ごり押しか反対かといった対立構造ばかりが目立っていて、民主党VS自民、公明ら野党という対立だけではなくて、民主党内の小沢一郎一派や鳩山前首相なども反対論を語っていて、一筋縄では国会への法案提出すら困難ではないかといったこう着状態が続いている。

 その国会での先日の党首討論を前に、野田首相と谷垣自民党総裁が某都内のホテルで密会し、そもそも政権交代以前から自民党も消費税問題では現行の5パーセントから少なくとも10%への増税が必要だとの見解であったのに、与野党がひっくり返ったために、自民党も反対とは言いつつも、与野党協議を上手くして、次の総選挙を早めに実現させて、自分たちが権力を奪回することを目標に、どうやら作戦的秘密会談を決行したらしいのであった。

 しかし、その密会談はすぐさま漏れてしまって、何とも後味の悪い様となってしまったのだったが、いずれにせよ与野党協議をと提唱している野田首相にとっては堂々と谷垣自民党総裁と会って協力を要請できれば良かったのだが、そうはさせないのが政局であり、お互いの面子だったのだろう。

 いずれにせよ、法案提出から消費税増税問題は、少なくとも今月中の結論を目指している野田首相にとって、実際上は非常に厳しい時間との戦いがあり、党内はもとより世論も含めてなかなか消費税増税の舵取りが明確に切れない様子のまま、四月の新年度を迎えるのではなかろうか。

 実は私は前々から、この「消費税」そのものに大いなる疑問があって、竹下登首相の時代に3パーセントの消費税が初めて日本社会に適用され出したわけだったが、その時期から5パーセントに増税されて今日に至ってはいるが、果たしてこの消費税が有効な福祉や年金などの将来の日本社会の大切な基礎を十分賄うだけの課税として成長すものかどうか甚だ危惧しているのである。

 従来は、私の記憶では「物品税」けという名の課税があって、特に高級品である自動車や宝石、または高価な服や不動産などにかけられていたと思うのだが、現在は消費税という税金は低所得者も中産階級、高所得者も同等の物品などの購入時に一律にかかるという状態であり、返って不公平な税負担を強いられているのだと思うのである。

 つまり、年間所得が200万円から400万円ほどの低所得者や年金収入のみの高齢者世帯などにとっても、最低限度の日常生活を営む上での、特に食料品や日用品の全てに消費税が課税されている現実を思うと、とんでもないという憤りにも近い思いを感じているのであって、せめて諸費税課税を続けるという議論の延長上でも、食糧費関連だけは免税にすべきなのではないかと私は強く思っているのである。

 そして出来れば消費税という名の課税をやめて、段階的にでもやはり所得総収入に対する源泉課税と共に、固定資産税やあらゆる資産に対する課税を強化する方向に持って行くべきではないだろうか。

 現在の税と社会保障の一体改革という名の野田民主党代表の主張を基にした議論の全ては明確ではないが、小手先での消費税増税ではなく、抜本的な税負担の不平等を是正そして、社会的弱者としての特に低所得者や、ろくに年金収入だけでは最低限度と言われる消費生活を送ることすらままならないという庶民、すなわち「食って生きる」という最低限度の生活での消費に対しての課税をやめる方向で検討されるべきなのではないでしょうか。
 
 国会議員の先生方の懐は、いくせ選挙にお金がかかるといっても年収2000万円を下らない高所得者のために、なかなか実感が無い様だが、食べることに全て課税される現在の消費税実態を回避する税制を検討されるべきだと提言する。



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サッカー五輪出場決定!

2012年03月14日 | プロスポーツ
 今夜のサッカーオリンピック予選、対バーレーン戦で日本は前半こそ攻めあぐんで0-0で終了し、少し重苦しい空気が漂いかけていたが、後半10分と14分にいずれもセレッソ大阪の扇原と清武が胸のすくようなゴールをたて続けに決めて、バーレーンを圧倒し、同時に行われていた予選二位のシリアVSマレーシアの動静と関係なく、二次予選トップの堂々たる成績でのオリンピック出場を決定したのであった。

 ロンドンオリンピック出場権をかけたU23(23歳以下)のアジア最終予選で、サッカー日本代表は12チームの内のC組で勝ち点12をあげてはいたが、勝ち点9で並ぶシリアとバーレーンにも今日の試合の結果いかんでは一位になる可能性があったので、日本は少なくとも引き分けでも良かったのだが、やはりバーレーンに勝って五輪出場を決めたかったのである。

 関塚監督も、自信と誇りを持ってプレーし、我々の手で切符をしっかりと勝ち取ると試合前の会見でも語っていたが、前半は何処と無く堅さも感じられて、相手の縦パスに翻弄されて、少し危ない場面もあったが、よくディフェンス陣が守って相手にも得点を許さず、後半戦への期待を秘めて試合はハーフタイムとなった。

 日本は勝ち点だけでなく、得失点差でも大きくシリア、バーレーン両国を引き離していたのだが、いくら五輪切符を手にしたとしても、ぎりぎりの成績では「五輪本番は大丈夫か」と思われるので、結果と内容、両方にこだわった戦い*したいとゴールキーパーの権田選手も語っていた様に、見事な内容と結果で堂々たる出場権を獲得したのであった。

 今夏7月に開催されるロンドンオリンピックへの出場枠を、これでサッカーに関しては男女共獲得したことになって良かったのだが、昨年の女子ワールドカップで奇跡的な優勝を果たして、一躍マスコミの話題の寵児となってしまった「なでしこジャパン」こと女子ニッポン代表は、先月のポルトガルで行われた国際マッチでも澤穂希選手が突然のめまいを生じる病気で準決勝のアメリカ戦を欠場するアクシデントもあったが、初めてFIFAランク一位の米国に初めて1-0で勝つという金星をあげて、惜しくも決勝ではランク2位のドイツに接戦の末3-4で負けたが、なかなか見ごたえのあるいいゲームを見せてくれている。

 果たして本番のロンドン五輪での、日本チーム男女のサッカーの戦積はどうなるであろうか。

 これから約4ヶ月の間に、たぶん代表選手枠と言われている18名のチームメンバーが最終的に決定された上で、最終調整とチームプレイの練習を含めた作戦が練られることとなるのだろうが、男子の関塚監督と女子の佐々木監督にとっては、いよいよ正念場の選手選考と相手チームの攻略への作戦などについての情報収集が必要になってくる大事な期間となるのだろう。

 そもそもサッカー男子五輪は今回で5回連続の9回目の出場となるのだが、まだまだ世界の舞台でメダルを獲得する実力には至っていないという状況なのだが、若いアンダー23という五輪出場の条件もあって、勢いで奇跡的な快進撃をする可能性はあるチームだとも言えるので、五輪が行われるイギリスのロンドンは日本と比べると比較的涼しく日中でも20℃を少し超える程度のピッチコンディションで試合ができるので、ぜひとも奇跡的なメダル獲得を目指してほしいものである。

 一方の女子は昨年のワールドカップでの優勝金メダルと言う勲章はあるものの、何故かワールドカップよりも権威のある大会としてのオリンピックで勝ってこそ実力が認められるというサッカー界の常識だそうで、FIFAランクで3位に甘んじている日本のなでしこジャパンが本当の世界一になるためにも負けられないオリンピックでの戦いとなるのである。

 ともかく、扇原と清武よくやった!素晴らしいゴールだった。おめでとう!

 
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「マラソン」に魅せられる。

2012年03月13日 | プロスポーツ
 一昨日の名古屋ウイメンズマラソンでロンドンオリンピックの日本マラソン代表選手選考が終わり、男女とも3人の代表と補欠各一名が昨日発表された。

 男子は2月の東京マラソンで日本人トップの2位2時間7分台を出した、「藤原新選手」がトップに選ばれたが、彼のユニークかつ明るい人柄と共に、二年前に無所属ランナーとなって以来、あの埼玉県職員で先日のびわこマラソンでの惨敗で丸坊主になった川内選手を良きライバル、また自分流の練習メニューをこなす上での先駆者として尊敬する素直で、今回のレース後半の40キロ過ぎに前世界記録保持者、皇帝ゲブラシラシエ(エチオピア)を抜く場面の思いや、ゴール寸前で3位のままだと200万円だが2位になると400万円なので、「金に目がくらんで」と必死のラストスパートだったと会見で話す明るさに、とても好感を感じたのであった。

 とにかく無職のランナーとして独特のキャラクターが紹介されていて、走りっぷりも名前をもじられて「新たなヒーロー」の誕生としてアナウンスされたりしていたが、本人は至ってケロリとしていて、賞金と共に副賞として貰った高級外車についても、奥さんが車内が広いと喜んでいたエピソードも披露し、何ともかわいいとも感じてしまうほどの性格と思えて、とてもロンドンオリンピックの男子マラソンは興味深く、今夏の8月12日は必ずテレビで応援したいと思ったのである。

 あと二人の代表である佐川急便の山本亮選手と安川電機の中本健太郎選手には悪いが、あまり花が感じられないので、是非藤原新選手には大いに楽しんでロンドンのマラソンコースを走って貰いたいと思う気持ちでいっぱいであり、前回の北京オリンピックの補欠の悔しい思いと共に、これからの彼自身と奥さんと幼いお子さんとの生活のためにも、オリンピックでの成績が今後の人生を大きく変える可能性があるので、日本のためというよりも自分のためにいい準備をして活躍してもらいたいものである。

 彼は選考結果の発表後の会見で、「さぁこれから戦いに行くぞ」という気持ちだと語り、本番での目標は順位ではなく2時間7分半のタイムだと語っているが、アフリカ勢たちや世界のトップレベルの記録は、2時間5分や6分台であることから、やはり日本人最高記録、自己最高記録を目指して、後はロンドンのコースがカーブがとても多い街中の周回コースなので、他の有力選手の心理状態を読んでの駆け引きと最後のデッドヒートでの何と粘りに賭けてほしいものである。

 いずれにしても、マラソンは本当に人生そのものを感じる部分が多く、本人も「人生はゴールのないマラソンのようなもので、常に通過点で、五輪も例外ではない」と語っていて、五輪代表選手として選出されても少しも気負った様子もなく、笑顔と持ち前の冗談ともとれる口調も交えて、リラックスした藤原新流の走りを是非見せてほしいと願っている。

 オリンピックという大舞台だけでなく、あの市民ランナー川内選手の一生懸命な走りと会見、また一昨日行われた京都マラソンでは、京大のiPS細胞の研究者である山中伸弥教授が、自らのグループの研究費の寄付金を募ってレースに参加し、何と4時間少々という素人ランナーとしては立派な記録でゴールされたそうで、寄付金も目標の1000万円を超えたというニュースも伝わっていて、いろんな思いと共に自らを奮い立たせて「自分の人生とマラソン」を重ね合わせる様に走るランナーがたくさんいることを思う時、マラソンレースをテレビや沿道から応援しているだけに過ぎない私たちマラソンファンも、大いなるエネルギーと共に人生への励ましと感じるヒントを貰えるだけに、これからもマラソンに魅せられ続けたいと思っている。

 心新たに、藤原新選手!ロンドンで輝いてくれ!
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