ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ベトナム戦争終結30年

2005年04月30日 | 世界の問題
 
 4月最終日の今日、京都も30度を超える真夏日となった。暑い春である。30年前の1975年4月30日も暑い日だったと思われるが、ベトナム戦争の終結した日である。

 しかし、アメリカではベトナム戦争の後遺症とも言うべき問題が多く山積している。何とベトナム戦争では米兵の死者が約58万人、今尚の行方不明者が1800人おり、現地ベトナム人は380万人が死亡したのである。

 米国ではベトナム戦争後に生まれた人が既に40%を超えて、ベトナム戦争の記憶は徐々に薄れつつあるが、ベトナム戦争のトラウマは今も多くのアメリカ人の心の奥底に残っており、その後の湾岸戦争、アフガン、イラクとの戦争もあわせて、米国民の心情と社会を分断しているらしい。

 アメリカ人の大半は、今も米国は世界のポリス国家だと思っているらしいが、30年前のベトナム戦争では多額の軍事予算が投入されたが、サイゴン陥落と共にアメリカは敗戦国の様になり、多数の戦死者の家族や戦地からの帰還兵がPTSD、心的外傷後ストレス障害の症状を訴えており、多くの影を社会に与え続けている。

 ベトナム戦争に対するギャラップ社による2000年11月の世論調査によると、68%の米国人が「戦争は間違いだった」と答えており、湾岸戦争、アフガン、イラク戦争に対しても否定的意見が大半を占めるらしい。

 しかし、大統領を選ぶ選挙戦では、あの好戦的なブッシュが軍歴の違いなどで問題となったあげく、ケリー候補を破って、再選されて親父の行った湾岸戦争についでアフガン、イラクへの米国の宣戦布告をも肯定してしまっているのである。

 個人としては「戦争は誤りだ」と意識する米国人も、お国をあげての「世界のポリス」を自称する戦いには「やむ得ない」とゴーサインを出しているのである。

 こうした歴史上のアメリカの好戦的な戦いの繰り返しの中で、軍事産業を中心とした財界は潤い、現在のブッシュ政権もアフガン、イラクへの聖戦?を仕掛けて、多くの若い兵士の死傷者を大量に出しても、石油エネルギーと軍事産業は多額の営利を稼いで、富にあふれて権力を振るっているのである。

 いつの時代も、戦争は社会的弱者に大きな被害や死をもたらすが、大きな財界や権力者には富と権力の維持を願っているに過ぎないことが明白な事実なのだが、人は歴史上のこうした過ちを知りつつも、何故愚かにも、また時が経てば愚行である、戦争を繰り返すのだろうか。

 そんな愚かなアメリカ合衆国に、日本国政府は言いなりの属国と成り下がって、今もイラクへの人道的復興支援と言う看板で、多くの税金を使って、いや浪費して自衛隊を派遣しているのは、全く愚かな世界の権力者、米国に盲従している犬のような状態で誇れるものではない。

 ベトナム戦争から30年が経過した今、改めて戦争の愚かさと、その後の経済的主導権ほしさの復興支援と言う隠れ蓑に騙されない、公平、中立、自主的な国際協力を検討すべき時期に来ているのだ。

 直ちに、イラクから自衛隊を撤退させて、そんな余力があるのなら日本国内での地震、風水害をはじめとした国土や町の復興のために、巨額な国費を支出している自衛隊を活用して最大限の支援をすべきなのではないだろうか。

 国際貢献などと言う美名に騙されない、世界で唯一第二次世界大戦で原始爆弾による被曝した広島、長崎の焦土の事実と記憶を糧に、世界に本当の平和を発信しながら、軍事力を行使しない平和施策を積極的に志向していく日本であってほしい。

 ベトナムの惨事を二度と、地球上で起させないためにも。
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現人神、神聖化の危険。

2005年04月29日 | とんでもない!
 いつのまにか「みどりの日」なんて訳の解らぬ日になってしまっているが、今日は昭和の時代の天皇誕生日であり、国会では「昭和の日」に改定しようとする動きが今尚あるイワク付きの日である。

 ゴールデンウイーク突入のさわやかな金曜日の休日だが、私はいつもと同様に、有機農産物の移動八百屋のための仕入れに朝から走った。連休初日ということもあって道路はいつもより相当空いており、すいすいと気持ちよく走った。

 八百屋の仕入れで京都市内に行き来する時、必ず近くの木津川1号線大橋を渡る為、マスコミ報道で大騒ぎしていた、女性への暴行事件で逮捕された金(永田)牧師がいた、宗教法人・聖神中央教会本部の前を通っているので、この事件の報道から感じたことについても述べたいと思う。

 宗教法人という隠れ蓑で、過去から現在に至るまで多くの組織、団体が集金システムや営業活動や資産運用をしていて、純粋な意味での宗教活動をしている団体、教会、神社仏閣とは区別しなければならないが、いい加減な団体、組織が世の中には多く存在しているのである。

 こともあろうにキリスト教の名を語って、しかも信仰心や誠実さ、忠実さを求めて、主任牧師として、この宗教法人を統率、経営していた悪徳教師が実はセクハラ、淫行、暴力の主だったという、あきれてものが言えない事件が発覚したわけである。

 神のため、信仰のために他人には、事実を語ってはいけないとか言って事実を隠ぺいし、多くの信者には神のため、信仰のために財産を投げ出しなさい、なんて無茶苦茶な命令や指導を平気で行い、徐々に自分を神格化させていき、マインドコントロールにより信者を沈黙させていたのである。

 「神存在」を信じる者が日常生活において、ある人や存在感のある教祖などを神同然に扱う宗教的儀式は、多数この世には存在しているだろうが、人はあくまで人であり神ではないのである。

 第二次世界大戦後日本国憲法は、天皇を国民の象徴とはしたが、戦後になって昭和天皇は人間宣言をして「現人神」であった戦前、戦中をきっぱりと否定したはずである。

 しかし戦後60年経った今、日本国憲法の改悪や国体の統一を志す人たちによって、改めて天皇を元首的実権者や再び神格化しようとする動きが底辺にある。これらの意識は、この天皇制を利用して天皇に逆らうものは許さないとする、戦前戦中つまり大日本帝国憲法下と同様な体制を再現し、実際に権力を行使する者たちに都合よく利用しようとする企み以外のなにものでもないのである。

 人を絶対的に服従、規制するための権力的力は、時に人を神格化して非人間的扱いや暴力、命令にも文句を言わさない状態を作りだすのである。全くの人権無視と人権侵害を平気で法の下でしてしまうのである。

 現代人の不安や孤独感、または焦燥感を利用して、宗教的儀式でマインドコントロールして行き、最終的には教祖や教師に絶対的に服従させる様な、システムと管理を行っていた宗教法人格を持った似非宗教団体であったと言うしかない。

 私達多くの国民にとっても、こうした事件は他山の石ではなく、戦前戦中での多くの国民が「天皇制によるマインドコントロールにかけられていた訳だから、決して二度と過ちを繰り返してはならないのである。

 危険な現代の「現人神」やあらゆる神格化、神聖化の兆しに注意を喚起したいものである。
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もうすぐ五月病?

2005年04月28日 | 季節の話題

 ほんと気持ちのいい季節になったね。いよいよゴールデンウィークとやらに突入し、今年は明日から1週間のお休みと言う人も多いと思われる。

 4月新年度から、幼稚園、小中学校をはじめ新しい学校や学年、学級に変って、もうすぐ3週間が経とうとしている。やっと慣れ出したところかも知れないが、まだ何とか緊張の中で毎日を送っている子ども達も多いことだろうと思われる。

 1週目から2週目にかけて、初めての幼稚園児も初めての大学生も、同様に幼稚園、大学での生活での精一杯の疲れとストレスからか、帰宅後どちらもうたた寝というか、夕食も忘れて寝てしまったというケースを家族の人から聞いているのである。

 社会人一年生にとっては、連日の会社での研修や仕事を覚えるためのガイダンスや社内外の人との出会いが多くて、夜もそう簡単に帰宅できない職場も多くて、帰宅してバタンキューと言った状態の人も多いと聞いている。

 いずれにせよ、ここ1ヶ月は新入社員も新入児童も精一杯で頑張っているのであるが、何と日本では恵みか罪か、どちらともいえないゴールデンウイークと名づけられた大型連休があり、多くの場合最低1週間近くの休暇となってしまうのである。

 この1週間が、新入りにとってグッドタイミングな疲れや緊張をほぐす期間になれば幸いなのだが、却って折角の慣れかけたペースを乱してしまうケースになってしまうことがあるから厄介である

 いわゆる「五月病」ってささやかれる性質の悪い憂鬱であり、休み明けにどうも幼稚園や学校、職場への通園、通学、通勤の足が重たくなって、季節は最高のさわやかな新緑の候なのに、心はどんより曇ったようにしんどい気持ちで、不安や苛立ちに苛まれてしまうのである。

 この状態に陥らないようにするために、心と体のリフレッシュをうまくせねばならないのである。

 決して病気そのものではないのだが、何となく気が滅入ってしまい、勉強や仕事が手につかないばかりか、行きたくなくなるまでに至る症状に迷い込むケースも多く見られるのだ。

 結局目には見えないのだが、新しい環境に適応するために大変なエネルギーを使っていたり、ストレスの中にいたりするわけで、自分の気持ちをうまく表現できなかったり、ゆっくり自分のペースでものごとを行うことができなかったりの積み重ねで、心身ともに参ってしまっていたりするのです。

 子どもの場合は腹痛、頭痛、発熱、吐き気などの体調の不調が出たり、表情がなくなり、友達と遊ばず一人になりがちになったり、ちょっとしたことで泣いたりし、あまり笑わない様になります。

 大人の場合では免疫の働きが低下して、病気にかかりやすくなり、心筋梗塞、消化性胃潰瘍、感染症、精神疾患にかかりやすくなり、うつ症状になり、食欲不振、下痢、吐き気、頭痛、めまい、睡眠障害,動悸、息切れなどの症状がでます。

 ぜひ、ストレスを貯めないようにするために、スポーツや音楽を聞いたり、踊ったり、自分の好きな遊びや読書に時間をとったりと、本人にとってリラックスして自分らしく心地よくなれる状態を見つけて、ストレスの解消に努めましょう。

 まわりの大人や友達や親は、本人の異常に気づいたら、やたら「どうしたの?」と責めないで、頭ごなしに叱ったり、理由を問い詰めたり、戸惑ったりせずに力の抜き加減を心得ながら、一緒に楽しめることや、長いスパーンでものごとをじっくりと共に考える姿勢で、共感できる距離をたもちましょう。

 すべては医術よりも愛を持って解決できるものです。世の中や社会は思い通りにはなかなか行きません。

 多くの個性が集団を作って一つのグループを新しくスタートさせたところですので、じつくり様子を見て、自分の居場所、自分のペースを他人との距離感と共感できる仲間を見つけて、探し出しましょう。

 初夏が近づく晴れやかな五月を、いきいきと愉しく過ごせる様に、あせらずゆったりとした気持ちで迎えられる様にと祈っています。


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あのチェルノブイリから満19年

2005年04月27日 | 日本の課題

 
 JR福知山線の電車転覆事故は、発生から3日目になって車内にまだ十数人いるとの情報が伝わり、死者100人を超えることが確実となって、JR史上最悪の乗客を巻き込んだ鉄道事故となった。

 空は青空、晴天に恵まれたゴールデンウィークを控えた4月の下旬の、このすがすがしい季節に、ずっしりと暗くて重いニュースが連日伝えられていることは、ほんとに耐え難いが、死傷者の家族や関係者においては、沈痛なお気持ちで過ごされているだろうと思うと、その怒りや悲しみを何処にぶつけたらいいのかという苛立ちにも似た心境を察して、居たたまれない思いである。

 19年前の4月26日、当時のソビエト連邦ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で起きた、4号炉の爆発事故は、日本にまともに伝えられたのは数日後であり、今尚ロシア、ベラルーシ、ウクライナ各国では、この原発事故による放射能汚染での後遺症や汚染地区の隔離政策が続いている。

 しかし生活者市民は、目に見えない放射能の恐怖よりも、住み慣れた地域、土地への愛着もあって、多くの人々が、高レベルの汚染値を示している、自分の住み慣れた故郷に帰って、表面的には19年前の原発事故以前と同様に生活している者が多いと聞く。

 あの忌まわしいチェルノブイリ事故の4年後、私も日本チェルノブイリ連帯基金のメンバーとして、当地を訪れて、ウクライナの首都ミンスクやベラルーシの町なども訪問し、チェルノブイリの爆発した4号炉付近も見学したが、ものものしい放射能防御のための服やマスクや帽子を限られた施設に入る時だけは身につけた記憶があるが、それ以外は殆ど素のままで、行動しながら目に見えない放射能の恐怖を身をもって体験したことがある。

 それ以来15年が経過したが、いまだに世界の原子力発電の現状は、撤退や停止の炉もあるが、日本では55基もの原発が稼動しており、もんじゅ高速増殖炉や青森県六ヶ所村の高レベル核廃棄物の処理施設なども含めた、原子力による発電ならびにエネルギー問題に対する依存度は留まるところを知らない様に推進されている。

 昨年から今年にかけての新潟、北海道、福岡での大地震だけでなく、静岡県を中心とする東海、中南海地震の発生確率なども報じられる中で、静岡県浜岡原発の安全性と、大地震発生時の危険性なども語られている。

 美浜原発で下請け作業員が5人亡くなった事故や東海村事故など、最近の日本国内での原発関連事故も記憶にとどめているが、一度原子力発電所そのものが、地震やテロ行為などで破壊されれば、日本の大半は言うまでもなく、アジアから世界中にと放射能汚染の影響が出ることは必至である。

 あの19年前のチェルノブイリ原発事故でも、数日から10日前後経って、何千キロと離れた地球の裏側に近い日本にも、明確な放射能の異常な数値が観測される雨が降ったことも明らかであり、北欧諸国からの乳製品やヨーロッパ各地からの食品の輸入制限など、大きな影響が出たことは間違いないのである。

 今尚、チェルノブイリ事故の汚染と後遺症や胎内被曝したこどもたちの白血病や甲状腺異常をはじめとする放射能被曝による、大変な命と生活との戦いが続いており、まだまだ半世紀以上、いや一世代だけでは終わらない多大な影響が続くものと推測されているのである。

 私達は、今現代でのエネルギーについて、関西電力をはじめ電力各社が宣伝する「原子力による安全なエネルギー供給」という宣伝に乗せられて、平常な日常生活を送っている様に思えるが、いったん突然の事故や爆発が起きると、全く一電力会社の安全神話など吹っ飛んでしまう様なエネルギー、つまり長崎型原爆100個分以上の災害が少なくとも発生する危険をはらんでいるのである。

 私は、自分達の日常生活における電力使用を1/3以上削減してでも、現在必要とされている電力需要量を大幅に削減して、原子力発電に依存しなくても安全に生活できる、水力、火力、地力、風力、太陽光発電などと今後の科学技術の発展に伴う、エネルギー開発に期待して、安全第一の電力消費に国民が努めれば、効率性だけを優先し、未曾有の核廃棄物という二次的産物を次世代に残す様な、原発による電力製造にピリウドを打たねばならないと確信している。

 JRの列車事故も、乗客の安全性を第一に掲げつつも、企業の営利性追及を優先した企業経営のために、こんな大事故を起してしまったのである。

 政府、経済産業省、文部科学省をはじめ、原燃、電力各社は暴走する列車と同じである。19年前のチェルノブイリ原発事故の教訓を真摯に捕らえて、一朝一夕には行かないが、徐々に削減、廃止への「安全」への得策を選択する英知が必要である。

 人類の愚かな歴史を繰り返さないためにも。

 
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JR列車転覆事故!

2005年04月25日 | とんでもない!
 とんでもない列車事故が発生し、死者50名、負傷者430名という未曾有の死傷者を出し、今もなお1両目の車内に取り残された乗客の内、生存者の救出作業が続いているとTVは伝えている。

 同志社大学京田辺キャンパスが19年前に出来て以来、JR片町線、現在は学研都市線と呼ばれる路線に同志社前という駅が出来て、今回の宝塚発、同志社前行き快速列車も福知山線から東西線を経由して、片町線の京都府南部の京田辺市の同志社前駅を目指して走っていた最中の大事故である。

 報道によれば7両編成の快速列車は、運転経験1年未満の若い運転手によって走行中であり、前の停車駅伊丹では停車位置を大きくオーバーランして、定位置へ逆送したりしていて約1分30秒、運行ダイヤの時刻から遅れており、それを取り戻すために相当なスピードで走行していたらしいのである。

 半径300メートルのカーブになっている事故現場で、制限時速70キロのところを120キロ前後の猛スピードで遅れを回復したくて走っていたらしいのである。

 この若い運転手は、以前にも同じ片町線狛田駅で100メートルもオーバーランして厳しい指導を受けた前歴があるらしく、たぶん今回も司令室の2度の電話にも応答がなく突っ走っていた様子が想像できるのである。

 JR西日本にとって、運転手に対して時間通りの運行を徹底させようとするのは当たり前ではあるが、運行の時間、分秒に極度にこだわりすぎていたのではないだろうかと推察されるのである。

 若い運転手にとっては、2度3度と定位置に列車を止めることが出来なかった経験から、今回は定刻ダイヤを守ろうとするあまり、必死で列車の遅れを取り戻すために激走した結果、こんな大事故になってしまったのだろうと思われるのである。

 運転手の生死も不明な状態なので全く憶測に過ぎないが、JR西日本の関係者の話や、鉄道専門家やニュースの解説を聞いていると、また若き専門家の若さゆえの苦悶と葛藤が浮かびあがってきて、一週間前の新任小学校教師の突然の自殺とリンクしてしまうのである。

ともかく現在、脱線転覆した1両目の車内に生存者が数名閉じ込められており、救出作業が続けられているので救出の成功を祈りながら、今後の鉄道事故などの調査委員会の徹底した原因究明のための調査と共に、技術面や物理的原因だけでなく、運転手の心理状態やJRの運転管理のあり方等、多方面にわたる問題提起と検討をし、ほんとに二度とこの様な大事故が再発しないように対応してもらいたいと思うのである。

 信楽高原鉄道の列車事故を凌ぐ、戦後最悪の列車事故となったと思う多数の死傷者を出した、今回のJR福知山線、尼崎市内での大事故の要因は、決して物理的な原因と技術的問題にすり替えてしまわないで、若き運転手の多大なプレッシャーとつじつまを合わせるためのあせりが招いた部分が、少なからずあると思われるので、じっくりと検証していただきたいと願う。

 今尚、運転手の生死すら確認できない状態で、早急に因果関係を論ずるのは早計だとは思うが、JR西日本の鉄道事業者としての、徹底した運行管理と若い運転手の精神的バランスを欠いた焦りが、招いた事故だと、私的な要因の断定をせざるを得ないのである。

 死傷者の中に若い同志社大学に通学する学生も多く含まれていたと思うので、彼らの負傷者にあっては傷の回復と共に、大きなショックが少しでも早く癒されることを祈るが、まだ定かではないが若い学生の死者が発生していないことを祈る思いである。


 
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衆補選で山崎拓が当選!

2005年04月24日 | とんでもない!

 いよいよ投票も終わって開票に入る時間が迫ってきた。注目の、あの山崎拓氏の立候補した福岡2区の衆議院統一補欠選挙である。

 私は京都在住で、遠くの博多の様子はほとんど分からないのだが、告示以来の選挙戦は、自民党、民主党、共産党候補と無所属2候補の5人が立候補しての選挙戦で各陣営は盛り上がっただろうが、一般有権者はしらけたムードだったことだろうと思う。

 全国的に話題となった前回の衆議院選挙でき、前自民党幹事長の山崎拓氏を破って、颯爽と当選した古賀潤一郎氏が「学歴詐称」の責任を問われ辞職したのに伴って、宮城2区と同様の統一補欠選挙に、こともあろうに再び、あの山崎拓氏が自民党候補として出馬し、公明党が与党連立のよしみで支援していると言う、とんでもない日本の恥の政治の縮図となってしまったのである。

 選挙期間中は、こうした候補者に対する批判めいた記事を掲載することすら道義的にも、公職選挙法的にも出来ないので、選挙運動期間と投票時間が過ぎた今、全く呆れてものが言えない状況と実態として記さねばならないのではないだろうか。

 数時間後には山崎拓氏の当落が判明するだろうが、この御仁のふてぶてしく、しかも女性スキャンダルときたら、全く国会で日本のいくえを論じる器ではなく、全くの「エロじじい」そのものだと思うのだが、自民党挙げての大支援体制での選挙戦となったと伝えられている。

 「盟友」と言われる小泉純一郎自民党総裁を筆頭に本当に、この日本の政治家の恥の御仁を国会議員に真剣に再び推す陣営が大挙して、金と人海戦術で選挙戦は悲壮感漂う中で、「勝たせてください!必ず皆さんのお役に立ちます」と何度も頭を下げていたらしい。

 地元福岡県選出の自民党国会議員や、地に落ちた権力志向政党、公明党と共に、山崎と犬猿の仲と称されていた古賀誠元自民党幹事長や大富豪、麻生太郎総務大臣なども選挙カーに乗り込んでの「最後のお願い」を繰り返していたらしい。

 当の山崎拓ご本人は「負ければ引退する」と言っているらしいが、小泉首相の盟友としての温情で、国民の多くの気持ちとは裏腹に、何と首相補佐官なる肩書きで今も政府、自民党、国会周辺を恥ずかしげもなく、あの醜態で歩いており反省の色もなく多額の報酬を公費でいだいているらしいのである。

 絶対、こんなおっさんの国会議員としての返り咲きをさせてはならない。もし当選したら、博多の恥であるばかりか、日本の政治と政治家の平成の大恥となるだろう事間違いない。

 対抗馬として立候補している民主党候補も人的魅力に欠ける要素が強く、田中真紀子氏や岡田民主党代表をはじめ多くの著名な議員達の応援はあったらしいが、さて立候補者自身のインパクトが、どれほど選挙民、有権者を投票に行かせたかが心配である。

 投票率は前回の総選挙と比べて相当落ち込んだと見られており、投票率が40%前後となれば、山崎拓の当選の可能性もあると推測されているので、開票結果は予断を許さないだろうと思われる。

 いずれにせよ日本の国会議員選挙を初め、多くの地方自治体での選挙でも、まだまだ候補者の人柄、性格、姿勢、意欲などを充分に情報として知って、選挙民としての的確な判断の一票を投じる民主主義とはほど遠い、頼まれ一票、かわいそう一票、組織的一票が多くては、どうにもならないのである。

 時は21世紀の国会議員に、セクハラ、エロ爺を当選させるのだけは、決してあってはならない。

 残念ながら、山崎拓の当選が速報で報じられた。全くお粗末な選挙であり、あきらめと真剣さの欠けた民主主義選挙であったと言うしかない。あんなエロ爺さんに何を託すのか。


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色あせた「巨人」

2005年04月23日 | プロスポーツ
 私の大好きなプロ野球が開幕して、季節もすっかり春の様相を呈して、ますます時間があればプロ野球中継を楽しめる「野球シーズン」が本格化してきたと言ってもいいだろう。

 しかし何か物足りない感じがしている。私は永年のタイガースファンではあるが、ライバルとして、いや日本のプロ野球を、いいも悪いも引っ張ってきた「読売ジャイアンツ」が元気がなくて、何とも色あせてきた感じで、もひとつ元気が出ないのである。

 「敵に塩を贈る」ではないが、どうも最近の「巨人」の不甲斐なさを見ていると、ライバル球団「阪神タイガース」を愛し応援する者のひとりとしても、頼りないというか、残念なのである。

 甲子園での3連戦、そして東京ドームでの3連戦と、お互いのホームとアウェイでの最初の戦いは、結果的には1勝2敗の、通算では3勝3敗の五分で終わってはいるのだが、どうも「巨人軍」のチーム力に「強さ」や「輝き」が見られないのである。

 まず投手陣だが、やっと上原がエースとしての意地で勝利したが、桑田、工藤のベテラン先発投手にかげりが見えてきたことは確かで、若手の台頭に期待しても、どうもパッとしないし中途半端といえば失礼かもしれないが、伸び悩みというより巨人という看板に押しつぶされている様に思えてしまう。また抑えで期待されたミセリは数試合投げただけで多額の年俸だけ貰って早々解雇され帰国してしまった。

 打撃陣はどうだろうか、清原は昨秋の2000本安打達成に続いて、500本本塁打に注目が集まっているが、どうも看板は清原しかいないような印象を感じ、高橋吉伸や仁志、二岡、阿部らの巨人生え抜きのバッターの注目度も今ひとつで、小久保やローズなどの移籍組への期待度だけが空しく聞こえてくるのである。

 あの2億2千万円の報酬で来日したキャプラー外野手の存在を見るにつけ、清水や後藤と言った生きのいいバッターがいるのに、何故こんな選手がレギュラーで、他にも元木、斎藤、江藤などベンチにいるのに、宝の持ち腐れになっているのではと心配してしまうのである。

 結局は「堀内やんちゃ監督」に尽きるのかもしれないが、オープン戦当時の汚い白髪交じりのひげは切ったが一向に冴えない采配ぶりに、たぶん一番いらだっているのは、あのナベツネこと前オーナーである渡邊恒雄氏ではないだろうかと憶測してしまうほど、結果ではなく全体的に「切れ」というかスポーツ特有のタイミングとイメージでの決断や発想が乏しい様である。

 一番しんどくて辛い思いをしているのは巨人ファンであると思われるのだが、何故かジャイアンツファンは、常勝巨人の時代にはたくさん見えたのに、ここ数年巨人の実力が勝利にあまり結びつかなくなり、日本一の大判振る舞いの選手への年俸、4番打者が4人も5人もいるのに打線のつながりが悪くて、なかなかここぞと言った時に他チームのエースピッチャーを打ち崩せないで3年間セリーグ優勝から遠ざかっている。

 今年もと思ってしまうようなスタートを切った「読売巨人軍」が心配なのである。昨年度はあの強打の打撃陣が年間最多本塁打記録を大幅に塗り替えたのに優勝できずに中日にやられてしまった。

 昨夜の中日戦でも復活川上憲伸投手にまんまとしてやられ、注目の清原の500号も適わなかったばかりか、先発の西武からきた後藤投手もあわれなKOで得点差は2対5だが、内容は惨敗だったのではないだろうか。

 昨年からのプロ野球再編への大きなうねりの中で、どんどんと色あせて行っている「読売巨人軍」と言った感じをかくし得ない現況は、寂しい限りである。

 関西地区だけかもしれないが、阪神、巨人戦以外の巨人戦のテレビ中継は、当たり前の様に毎年放映されていたのだが、今年はテレビ欄に巨人戦中継の文字が非常に少なく、スポンサーがつかなくなったためかどうか不明だが、何とも奇妙な今年のプロ野球開幕からの約1ヶ月が経とうとしているのである。

 色あせた巨人、頑張れ!<<<ついでに『楽天」もガンバレ!とエールを贈りたいと思う。

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大人にならない議員

2005年04月21日 | ちょっと可笑しいよ

 私は4期目の地方議員をしている。現在4年の任期のちょうど中間点で、我々の市議会でも「役選」と呼ばれる、議会の申しあわせによる役員改選の時期を迎えて、来月臨時議会を開いて後半の議長,副議長をはじめとする議会内役職や所属委員会ポストなどを決め直すのである。

 この「役選」のために今から約1ヶ月近く、前哨戦と言うべき党利党略による議長や役員ポストへのアプローチが始まり、いろんな話し合いというか、裏工作、取引などが行われるのが常なのである。

 しかし私自身は、こうした役員選挙には興味がほとんどなく、そのためにエネルギーを費やしたり、時には長時間をかけて交渉したりして、自分または自分の推薦する候補者への票の獲得のために走り回ることの愚かさを知っているつもりであるので、暫し静観しているのであるが、既にそのための動きが始まっており、水面下では戦々恐々としているらしいのである。

 私が3期目の当選を果たした直後の臨時議会での「役選」前に、こういうことがあった。
年配のベテラン与党議員が珍しく私のそばにやって来て、私の肩に手をやって「君もぼちぼち大人になりぃな」と言われるのである。
 
 私はすぐさま心の中では「あんたの言う大人にはなりたくない」と思っていたので、笑いながら「はぁ、」とつぶやくに留まったのであるが、彼は続けて「悪い様にはせんから」と言うのである。つまり自分達の言うことを聞く「大人」になったら、いいポストをあげるよと言わんばかりのお誘いだったのである。

 私は意地を張るつもりも頑固なわけでもないが、彼らの言いなりになるような議員にだけはなりたくないので、再び心の中で「子どもで結構、あなたたちの言う大人にはなりたくない」と思いながら、どの社会でも、こうしたお誘いや甘い言葉で、人々は「大人」という階段を登ったり、踏み外したりして行くのだなぁと思った次第なのである。

 つまり議長や委員長のポストに付きたいのなら、どんな意見や理念の異なる勢力であったとしても、数の論理で勝つグループの支持を得なければいけないわけで、自分の政治的信条や支持して下さっている有権者の期待や思いなどは、どうでもよくて「大人」を振舞う人が多い様な気がしてならないのである。

 この役選のための臨時議会は、もめることも多く結論を出すために深夜に及ぶこともある。2年毎の議会のイベントのようなものであり、大半の市民、有権者にとっては、どうでもよい内容であると思えるのだが、日常の議会活動ではあまり発言や議論に加わらない議員が、とんでもないエネルギーで動き回る場合があるので不思議である。

 私の議員としてのスタンスは、既成政党や大きな組織、支持バックなどない、市民派無所属なので、全くこうしたエネルギーは馬鹿げていると思うのだが、政党に所属する議員や自らが名誉職として、いいポストに付きたいと思う人にとっては、この決定のために心血を注がれるらしいのである。

 市民にとってのベターな選択となる行政施策についての議論や提案に、何時間を費やしても私は市民が理解できる結果を導くことが出来るのなら努力は惜しまないが、議長や委員長ポストなどを我が陣営にゲットするための議会審議に心血を注ぐ気は全くないのであるが、さて来月の臨時議会はどうなるのだろうか。

 他人ごとの様だが、私は役選の臨時議会よりも、次の6月議会へ向けての準備や質問、提案、問題提起への勉強や市民の声を聞く機会をたくさんつくる方が興味があるし、その方が充実した議員活動と思えるので、今回も「大人にならない」議員として、わが道を静かに歩みたいと思っている。
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新任先生の自殺!

2005年04月20日 | 感じたこと
 昨日のニュースは、ライブドアとフジテレビ、ニッポン放送の和解、中国での反日デモ、郵政民営化法案の自民党内の抗争などが中心であったが、私は埼玉県越谷市の小学校で起きた、22歳の新任教師の衝撃的な自殺事件が、どうも気になって仕方がなかった。

 大学で教員免許の取得過程を終えて、県の採用試験に合格して、すぐさま小学校に赴任した、180センチの長身で若くて元気な体育会系の新任の先生だったらしいが、何と4月1日に教師としてのスタートを切って、たぶん生徒たち30人の前に立って、まだ10日ほどしか経っていないのに、突発的な衝動からか、自分の勤務する学校の図工室で、ネクタイを首に巻いて自殺していたと言うのである。

 それも前夜は、同僚教師たちと9時過ぎまで学校で仕事をしており、何ら変わったところもなく帰宅して、早朝6時20分頃に学校に出勤して、自らの命を無駄に絶ってしまったのである。

 女性の教頭のコメントがテレビ報道では流されており、若くて溌剌とした先生で、生徒たちの人気もあり、死ななければならないような原因は全く思い当たらないとのことだったが、ひとつだけ事実としては、この日初めての授業参観が午後に予定されていたことである。

 この亡くなった新任の若い男性教師が、どういう心境だったかは全く分からないのだが、私はこのニュースを見聞きして、やはり保護者や先輩教師たちにも見られるであろう、初の授業参観が、彼にとっての最大の悩みの原因ではないかと思ってしまうのである。

 一見明るくて、元気で溌剌とした先生としての振る舞いがあったとしても、まだまだ大学を出て、教壇に立って1週間余しか経っていない彼にとっては、多くの年齢的には全て先輩にあたる、保護者や仲間の教師の前で、うまく授業を展開できるかは、大きな不安と共に緊張があったのではないだろうか。

 私は、教育現場の問題について、現在小学校の教師をしている先生方と、時折話すことがあるのだが、一般的な会社員として大きな組織に入って、いざ仕事をとなった新人社員にとっても1年目の経験は、全てが見習いの様なものであって、会社側もねじっくり社員としての資質や性格、能力を見極めて、指導、助言しつつ、育てて行く1年間位は覚悟している場合が多いのではないだろうか。

 たとえ大学時代に教職課程の必須としての母校もしくは希望校での実習と言う名の研修として、子ども達の前に立ったことがあるにせよ、たった2週間程である。

 ましてや実習の時は、そのクラスの担任教師や指導教官などもいて、親切、丁寧にサポートしてもらえるだろうし、責任感は必要なものの、あくまで学生の実習としての勉強の場に過ぎないのである。

 しかし一端教師として採用されれば、一般的な事前の研修や心得、アドバイスはあるものの、担任を受け持ってクラスに入ってしまえば、どんなに若くてもどんなに不安であっても、子ども達から見れば「先生」であり、一クラスの最高責任者であり、彼が始動しなければ何も動かない、つまり全責任が覆いかぶさってくるのである。

 今の若者は、知識はいろんな形で会得して豊富かもしれないが、受験戦争や少子化の影響もあって、家庭でも学校生活においてでも、少数の友達や人間関係の中でしか成長していない者が多くて、いわゆる対人関係や多くの人にもまれる経験を持つ者が少ないのではないだろうか。

 学校の先生という職業は、どんなに少なくても一クラス20人から多い場合は40人に及ぶ、違った個性、性格、の他人との人間関係を、まず構築しないとやれない仕事である。

 そこへ子ども達だけではなく、学校の校長、教頭、教務主任、学年主任、時には新任教師指導教員などを含む教員、職員との人間関係と生徒たちの背景に必ずいる保護者達との関係も、すぐ問われる職場でもあるのである。

 人生の新しい出発、初めての社会での職場に慣れるまでに、すぐに全責任を持たねばならないクラス担任の重さに加えて、多くの学校、地域、家庭の大人たちとの関係を構築することは、若い社会慣れしていない新任教師にとっては、目に見えない大きなプレッシャーとなっていたのではないかと容易に想像できるのである。

 そして初の授業参観が早くも行われる、この精神的プレッシャーが、一時に彼の心を支配して、そのプレッシャーを跳ね除けるだけの精神力が欠如していたために、突発的な死への逃避行となったのではないかと思うのである。

 あくまで憶測ではあるが、人生は長いのである。先生と急に呼ばれて、一クラスの全責任を最初から預けてしまうのではなく、1年目は少なくとも見習としての、学校現場では補助教員としての経験を積む機会を提供した上で、その人の性格、能力、意欲などを見守って、適切な配置を二年目から考え人事を尽くすという配慮が必要ではなかったかと思うのである。

 人間は考える葦であるが、経験は考えても得られるものではないのである。

 若い一人の青年が、教師という重荷に耐えかねて死んでしまったことに、惜別の念を隠しえない。

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中国各地での反日デモ

2005年04月19日 | 日本の課題

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 上海で日本総領事館への襲撃事件とでも言うべき事態が生じ、中国各地の反日デモは、多くの問題を日中間にもたらしている。歴史認識の違いという簡単な構造だけではなく、過去100年に及ぶ日本と中国との関係が、すっきりと改善、友好関係にならないまま、外交も充分な配慮もないまま見過ごしてきたツケが今になって爆発しているのである。

 中国政府は、永年の中日関係での歴史認識の根本的相違を問題にしているが、確かに第二次世界大戦での日本軍の中国への侵略行為をはじめ、従軍慰安婦や南京大虐殺などの歴史的記述を歴史教科書から抹消割愛する等の動向や小泉首相の靖国参拝など、中国、韓国などのアジア諸国にとって許し難い問題がベースにはある。

 しかし現代中国は13億人を越す巨大な国家となつており、いまだに中国共産党による一党独裁体制の下での開放経済の発展により、都市と農村を始めとして個人的収入格差が拡大しており、多くの人民の国家や党に対する不満が鬱積しており、その抗議やはけ口がなく充満している時期に、ちょうどいい「ガス抜き」的効果が期待できるので、中国政府は、これらの反日デモを黙認しているのは間違いない。

 上海での2万人に及んだと言われる群集たちの一部が、日本総領事館の建物に対して、ペットボトル、卵、石、鉄パイプ、ペンキ缶などを投げ込む前で、制服の公安警察が整列して並んではいるが、一切制止や取締りを行っていないのが、テレビ報道などで明確である。

 北京、上海をはじめ南は深川、北は瀋陽にまで広がりを見せている、今回の反日デモであるが、テレビでの報道を見る限りでは、各地のデモの動員はインターネットでの不特定多数への呼びかけによるものらしいが、スローガンや看板の印字などは周到に用意された印刷されて統一されたものが多くて、一定の組織集団がデモを煽っていることが想像できるのである。

 ちょうど町村信孝外務大臣が訪中し、中国政府の外務国家官僚と会談を持っているが、全く議論にならないばかりか、逆に日本のかつての侵略行為、植民地政策などによる中国人民への再度にわたる謝罪をしたと中国国内では報じられており、全く一部群集による暴力的行為や民間日本企業や日本料理店への破壊行為には触れられず、日本の中国側の謝罪や損害賠償の要求を跳ね返し、日本の歴史認識の変更と反省のみが責められている構図となっている。

 これら一連の事件の背景には、間違いなく中国共産党政府の国内の反政府的行動に発展しない様にとする意図が明確であり、89年に起きた天安門事件の二の舞にならないための防御策として得策とする国内事情が深くからんでいる。

 私は85年から中国への友好交流の旅や企画にかかわっているので、今回のさきがけとなった昨年夏のサッカーアジアカップ大会以来の中国国内での日本に対するブーイングや反日感情をあらわにした行動に対して心穏やかではないが、やはり大半の中国人民は、過去の侵略行為や戦争事態は憂慮すべきことで反省が必要だが、現代の両国の国民、人民はお互いを理解しあって友好な関係を維持したいと願っていると思える。

 国家権力のぶつかり合いは、常に自国の利害のみで発言したり行動したりせざるを得なくなるのだが、地球はひとつであり、国家、民族の違いはあっても、お互い地球市民としてのグローバルな視点からの友好関係を創造するために、お互いの英知を発揮し、市民レベルでの交流活動を持続させて行くしかないのではないかと強く感じている。

 今年の夏も、中国内蒙古自治区への友好交流の旅を企画して、8月半ばにモンゴルの大草原へ出かけて、大自然と日本人の源流でもある蒙古族遊牧民との愉しい一週間を送りたいと心から願っている。
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