ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

今夜はハロウィン!

2006年10月31日 | 季節の話題
 10月31日は「ハロウィン」だが、日本では商店街の催しや地域で気のきいたパレード等を行っているところがあるが、まだまだ全国的なお祭りには程遠い感じである。

 もともとは二千年以上前のヨーロッパのケルト人の宗教的行事であり、秋の収穫を祝うと共に、家族や友人達で亡くなった人を偲ぶ行事であり、アメリカではクリスマスにつぐフェスティバルとなっていて、日本でいうと「お盆」のようなものなのである。

 夜になると玄関や窓辺、テラスなどに「ジャックランタン」と呼ばれる、かぼちゃの顔を彫って灯りをつけた物を飾り、子ども達は近所をいろんな仮装で練り歩き、「何かくれ、さもないと悪さするぞ」と言って、お菓子をたくさん貰うのである。
  
 ちなみにキリスト教信者が大半のアメリカでは、80%の人がクリスマスを祝うのだが、このハロウィンも50%の人がお祝いをするといわれているが、休日にはなっていない。

 京都北山通では、いつの頃からかハロウィンには、このかぼちゃランタンの展示やコンテストが行われていて今晩はしゃれた店先や歩道は、さぞかし賑やかなことだろうと思う。

 何故、かぼちゃランタンのことを「ジャック」と呼ぶかは、「けちんぼジャック」と呼ばれる意地の悪い男がいて、黄泉の国に連れて行こうとした悪魔を、彼がうまく騙したというアイルランドの伝説が有名である。
 
 飲んだくれのジャックが飲み代が払えなくて、悪魔の姿を銀貨に変えて自分の財布に閉じ込め、彼の命を10年間はとらないと約束させ、10年後に現れた悪魔に、今度は林檎の木に登らせて、十字架を木に彫りこんで身動きできなくし、とうとう悪魔にジャックは魂をとられるのを諦めさせたのだ。

 この間抜けの悪魔がジャックの死後、地獄に落ちることも出来ず、いつまでも暗い夜道を彷徨い歩くこととなり、最初はカブに石炭の灯りを灯して道標となり、呪われ彷徨う霊魂の代名詞として「ちょうちんのジャック」、すなわちジャックのランタンとなったのである。

 ハロウインの夜に、人々が怖ろしい仮装をするのは、家の周りを徘徊する悪霊たちが、その姿を見て驚いて逃げるためなのだが、お化けの格好を子ども達がしてお菓子をもらう風習は、今から40年ほど前からだという。

 私は、かつて町の子どもまつりのパレードで、黒い布をすっぽりと被って、ゴムのパンプキンマスクで行進したことがあり、終着地点まで誰が仮装しているのか分からなくパンプキンハロウィンを愉しんで以来、我が家にはラバーマスクが存在するのだが今や活躍の機会がなく少し寂しい。

 今夜、世界中のパンプキンランタンの灯りを頼りに、悪魔と子ども達の攻防が楽しく見られる平和な祭りとして続くことを期待している。
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マイバックキャンペーン

2006年10月30日 | 感じたこと
 皆さん、10月は「マイバックキャンペーン」月間だということをご存知でしたでしょうか。

 日本国中のスーパーやコンビニなどで使用されている「レジ袋」が何と、ゴミ減量化の機運の中で、ちっとも減らずに増える一方であり、焼却炉の可燃ごみに占める割合も大きいことから、環境省、産業経済省を中心に全国的な「エコキャンペーン」のいっかんとしての「レジ袋削減」「マイバックキャンペーン」が展開中なのである。

 私もメンバーの一人である、「市のゴミ減量化推進委員会」の秋の啓発活動の一環として、地元の大型スーパーである、JR駅前のアルプラザで、本日の夕方に、メンバーや学生達も協力して、「マイバックキャンペーン」の啓発活動に参加した。

 夕方の買い物時間にさしかかる4時前から5時頃までの間に、買い物に訪れていた女性を中心に、アトランダムに簡単なアンケートに答えていただいて、お礼に簡易なエコバックをプレゼントするという啓発活動であった。

 やはり買い物客の大半が女性なのだが、レジを済ませて大半の買い物客は、お金を払った後、商品をレジ袋に詰め替えておられて、丁度その時に、私達が声をかけたので、大半の人がレジ袋は無駄だと応えられなかったようである。

 私も20数人にアンケート取材を試みたが、レジ袋は要らないと応えた人は2割程で、4割程が必要と応え、残りの4割程度は「無駄だが必要だ」との答えが返って来たのである。

 つまり「レジ袋」の削減の意味は理解できるが、買い物袋を持参している人は20割り弱であり、レジ袋は帰宅後の「ゴミの仕分け」に必要不可欠であり、何枚かを家にストックされているとのことであった。

 結局、全国的に大手スーパーや生協などが大々的に「エコキャンペーン」と銘打って「レジ袋削減」への多様な苦肉の策を試行しているのだが、なかなか「レジ袋はいりません」として、買い物袋を「マイバック」として持参する人は増えていないのが現状なのである。

 アンケートに答えていただいた方々には、お礼に黒、緑、赤、黄等のビニール製の買い物バッグを進呈したので、何人かの方々は「結構よく入るね」と早速利用して買い物の商品を入れて持って帰えられていた。

 その中で、地元の女子高校生の二人組みは、「ちょうどレジ袋削減」の話題の授業で習ったとこだとかで、充分意味と意義は理解できるのだが、学校帰りと言うこともあって、苦笑いしつつも買い物袋は持っていないと言っていた。

 ご年配のご夫婦と見られる毎日の常連客と思われる人は、意外と素直で、これ丁度ええから、今度から使わせて貰うわと、会釈をして帰られた。

 一番厄介なのが、やはり若いお母さんたちであるようであった。

 原色の進呈したビニール製の「買い物袋」はあまりデザイン的にも、色も気に入ってもらえるほどの物がなく、「カッコ悪い」とでも映ったようである。

 でも今までの透明や半透明の「レジ袋」の買物品が見える状態でのカッコ悪さと比べれば、すっきり美しい買い物帰りの姿にもなるので、是非「マイバック」を利用しての買い物を心がけていただきたいと願うものである。
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和やかな防災訓練!!!

2006年10月29日 | 地域の話題
秋晴れのさわやかな朝に、市の防災訓練が行われた。

 市職員と消防職員、消防団の団員と指定された地域の自治会、住民の関係者が地元中学校のグランドに集まったのである。

 市長、部長、課長らがそろいの防災ユニフォームで「台本」通りの防災訓練を順番に進めていくのだが、アナウンス担当の女子職員の口調がゆったり、のどかな感じであり、とても「訓練」というような緊張したムードはなかった。

若い女子職員も一生懸命「原稿」を読んでいるのだろうが、対策本部に集った市職員の中には、拍子抜けのアナウンスに、ずっこけて反応する者もいるほどであった。

 しかもマイクを通して、安全まちづくり室の室長や市長、消防長、各部長などが、指令を出したり、受けた職員も、その指令を反芻してマイクで呼応しているのだが、校庭の端では中学生のテニス倶楽部が練習をしていて、時々ボールが防災訓練の会場サイドにも飛び出してきて、追っかけてくるので、訓練のリアリティが欠如してしまうのである。

 長い時間をかけて各指定地域から、チャーターされたバスで住民が避難場所としての、この中学校の校庭へとやってきて、防災訓練は第二部に入った。

 防災服に身を包んだ、日頃市役所で見かける市職員の顔が何故か制服のせいか少し皆んな年取ってみえるから不思議だったが、市長が避難してきた住民の皆様に「挨拶」をするので、ますます訓練の緊張感はなくなり、拍手まであった。

 その後、校庭ではあちこちで、消火模擬体験で消火器を扱うもの、救急講習として人体モデルを囲んで消防職員が人命救助の初期的手立てを教えたり、レスキュー車に搭載された専門道具の使い方を教わったり、様々な模擬的体験が行われていた。

 自衛隊、府のレスキュー隊、ガス、水道、NTT等の協力部隊も様々な訓練への参加をしており、自衛隊の駐屯地からは装甲車に重機なども積載してきており、阪神淡路大震災、中越地震などでの「自衛隊」の災害復旧の活躍写真の展示もなされていた。

 ともかく文化、スポーツの秋のまっ最中である。市内各地の公民館や学校の校庭などでは、地区の文化祭や運動会も開催されているので、住民の中には「何でこんな忙しい時期に」と防災訓練の時期が重なることに文句を言っている人もいた。

 私は後ろから『防災訓練』の一部始終を見学していて、なんとのどかな和やかな訓練なんだろうと感じたと共に、市職員の多くと消防団員には、休日出勤手当てや日当が支給されるのだろうから、締めていくらになるめのだろうと、税金からの出費を案じざるを得なかった。

 「防災訓練」は必要ではあるが、市職員の自覚と緊張感がなければ、「台本」に添ったセレモニーに過ぎなくなるのではないだろうか。

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懲戒免職!

2006年10月26日 | ちょっと可笑しいよ
10月のトップニュースは、残念ながら我が町の市職員の収賄容疑での逮捕事件である。

 あれから約一ヶ月近くが経って、ようやく市の懲罰審査会が開催されて、今朝当該職員の「懲戒免職」が決定したとの知らせを受けた。

 当然予想されていたこととは言え、本人及びご家族を知るものとしては、慙愧に耐えない。

 まだ小さなお子さんが二人おられ、まだまだ働き盛りの身の上なのに、これからの裁判を含めて、長期にわたる拘留と共に、世間からの冷たい眼が容赦なく降りかかることになるのである。

 どうしてしまったのかい?。まだ収賄した総額は不明だが、長期にわたってほぼ単独の業者の担当者と親しく付き合っているうちに税金を使っての公共事業の発注が、まるで「自分のポケット」から自由に出せるような錯覚と言おうか、勘違いに陥ったのであろう。

 本人の弁は、新聞報道を通じてしか伝わってこないのだが、毎年の管理維持契約が随意契約として、本人だけの担当で行われていたという実態からすると、本人の犯した罪は当然、本人が「懲戒免職」という一番厳しい処分に甘んじなければならないが、市役所、教育委員会部局を中心とした「管理、監督」の責任も多大である。

 今後の他の職員、幹部の「処分」は、今後の捜査と実態が全て明らかになった時に下されるそうであるが、「信頼」という行政サービスに従事していた職員の「裏切り行為」とも言える「不正な金銭」の授受は、市民の信頼を裏切っただけでなく、日常業務にも混乱を招き、業者選定の「恣意」の難しさを露呈した。

 現在閉会中の「決算特別委員会」を開催中であり、明日は四日目の審議の所管が「教育委員会」部局に当たるので、この処分結果だけでなく、真相解明と再発防止策のための議論が集中するだろう。

 最初は「ちょっとした出来心」で、公務員であることの自覚が吹っ飛び、如何にも自分が偉くなったような気分で、業務を取り仕切っている内に、人間の欲なのか、ちょっと小遣い銭欲しさに要求してみたところ、業者も何とか業務委託を継続したいので、数万円から10数万円を渡したことが、恒常化していたようである。

 「人間の欲」は、決して「金銭欲」だけではないが、伝え聞くところによると、「パチンコ代」だったと供述されているらしい。私の好きな小さなレストランのお兄ちゃんが夜九時過ぎに仕事を終わって、気分転換に近くのパチンコ屋に行くと、よくあったというのである。

 「パチンコ代」欲しさに、結局、仕事は懲戒免職されて、収入は一切なくなった上、裁判の判決如何んによっては、刑務所暮らしと収賄した『お金』以上の罰金が課されるかもしれない。

 「割りに合う」犯罪なぞないのである。

 こんな写真の麻雀の上がりはないのである。
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勝った、負けたと大騒ぎ。

2006年10月24日 | 日本の課題
 プロ野球の日本シリーズは、中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズとの戦いとあって、どちらが日本一になっても久々の40何年ぶりとか50何年ぶりとなるらしく大騒ぎだが、名古屋ドームでの一勝一敗の後、今日から札幌ドームで3,4,5戦が戦われるのである。

 私は阪神ファンなので、セリーグの覇者である中日ドラゴンズに日本一になってほしいと思いつつ、今年は「新庄剛志」の引退の盛り上がりを考えると、北海道にフランチャイズを変えて三年目の日ハムの勝利をも願っているのである。

 ヒルマン監督率いる「北海道日本ハムファイターズ」は、球団の地元への強力な宣伝と親しめる球団を目指して活動されてきたことが実り、また外人監督としてのコミュニケーション不足と思われがちだが、日本的野球に慣れて、郷に入らずんば郷に従えで、ヒルマン監督も「ベースポール」から「野球」を徹底したらしい。

 ともかくメジャーリーグでもカージナルスの唯一の日本人選手、田口壮選手が活躍し、ニューヨークメッツに立ち向かっているのである。

 まだまだ野球のポストシーズンが賑やかで、今年は「日米野球」が開催され、アメリカンチームにイチローや松井秀樹が出場し、日本チームでは来年はメジャーで活躍するであろう、西武の松坂大輔や阪神の井川慶、そしてヤクルトの岩村明憲などがいることだろう。

 どちらにせよ、勝った、負けたと大騒ぎはプロ野球だけではない。

 先週の日曜日に行われた、安倍内閣発足後の初の衆議院補欠選挙であったが、神奈川と大阪でいずれも自民党の候補者が公明党の全面的支援を受けて「勝った」のである。しかし大阪では民主党の元衆議院議員は共産党候補の得票を含めれば「勝って」いたであろう。

 今や自民党単独で戦っても、なかなか勝ち目が厳しいので、全面的に創価学会の組織力での「公明党」頼りの選挙が続いていて、本当に自民党が二勝とはいえないのではないだろうか。

 当日行われた地方自治体の首長選挙では大阪府の大山崎町で、現職の自民、民主両党が推す現職町長が共産党が推薦したイラストレーターでもある真鍋氏に負けているのである。

 国政選挙では、今や自民党と公明党は合体して「自明党」とした方がいいと思うが、地方自治の首長、議員選挙では公明党は公認候補がいて確実に当選するのだが、自民党の党籍を持つ候補者も殆ど「自民党」とは名乗っていない場合が多いのである。

 しかし先日、懸案だった京都府議会議員の選挙区定数が一増一減に決まり、わが町の選挙区は定数2となったため、早くも現職の民主党が1議席、25歳の新人を担ぎ出した自民党が1議席と確定した感があり、共産党は蚊帳の外という予想となってしまっていて、不戦勝の様子になりそうなのである。

 何事も「不戦勝」はよくない。来春の市長選挙及び市議会議員選挙の立候補の下馬評や予想が、あちこちでされていて、投票率は下がっていても、人の当落、勝ち負けにはえらい関心があって大騒ぎするのが日本人なのであろう。
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不公平な特権はやめよ。

2006年10月23日 | ちょっと可笑しいよ
 奈良市でとんでもない職員の実態が明らかになった。

 この五年間に8日間しか出勤実態のない市環境部門に所属する職員に、ほぼ満額の給与、賞与が支給されていたと言うのである。

 病気休暇と病気休職という制度を繰り返し悪用し、何と仕事もせずに地方公務員の給与を満額受け取っている職員が発覚し、上司である部長などは苦渋の表情で、「制度上問題はない」と、どう考えても常識はずれを是認する言い訳に終始した上、他にも4、5人が同様に仕事もせずに給与をただ儲けの如く授受している職員がいることが明らかになっている。

 大阪市の同和関連事業を巡る不公平かつ不正な税金の授受として、小西某容疑者が逮捕されて以来、同和関連の不正事件が漸く他の自治体でも発覚しだしてきたが、まだまだ氷山の一角でしかない。

 わが市でも市の公有地の無償貸与という形式で、地区駐車場対策として地元の自治会に運営が委ねられた40数台の駐車場の月50万円以上の駐車料が、地区の行政拠点で徴収代理された上、自治会の決算では収入に計上されてない事実が判明したり、地区センターの公的駐車場に地元の有力者の私的自動車がいつも駐車していたり、全く行政が地元の言いなりで、不公平な対応しか出来ていない実態が明らかになった。

 しかし行政は、この不正と思われる行為や実態を「問題はない」と「開き直り」としか思えない答弁を繰り返し、何を恐れてかまともな調査すらしないようである。

 不正や不公平の実態が明らかになるのを避け、いつまでもタブー視したり、既得権の継続を見て見ぬ振りする行政とは一体何なのだろうか。

 答えはひとつ、真実はひとつである。

 「差別」や「歴史」を語り、「特権」に胡坐をかいている運動団体や地区のお偉方に対して、毅然とした態度で対応しなければ、「逆差別」と呼ばれかねない、全く不公平な行政を継続し、多額な税金の無駄遣いを助長することになる。

 もういい加減にしてほしいものである。本当に「差別」や「課題」の解決のために有効に税金が使われるのではなく、一部の特権意識の組織や個人に、既得権的に公金が流れるシステムを見直さなければならない。

 地方財政が緊迫してきている現状での行財政改革は、あらゆる項目にメスを入れて、特に従来からの当たり前になっている人事や財政支出をも見直さなければ、真の地方自治体としての主体的「地方自治」、住民主体の自治にはならないのではないか。

 同和行政の法的な終焉と共に、一般行政としての全体的な不公平をなくし、特権的既得権を洗いざらえして、情報公開と説明責任を果たせる、地方自治体に生まれ変わらなければならない。
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市民音楽祭

2006年10月22日 | ファミリーイベント
 秋晴れの一日、京都では時代祭り、鞍馬の火祭りなどが催され、全国的に秋祭りや文化祭などが盛んに行われたと思う。

 わが市にある同志社女子大学の新島記念講堂では、第21回目になる「市民音楽祭」が行われ、私も舞台に立ち、家人は三つのグループで、その都度着替えて合唱を愉しんだ。

 今は6万1千人の人口の地方都市となっているが、20年前にはまだ4万人程の田舎町であり、ここ20年近くの人口増で10年前に単独市として市制施行したのである。

 大阪、京都、奈良の中間部に位置し、母なる河、木津川の作った平野部と生駒山系の丘陵部を要する自然豊かな住宅都市だが、20年前に「京阪奈文化学術研究都市」の一角として「同志社大学と同志社女子大」のキャンパスが開校し、JR並びに近鉄線のアクセスの良さも手伝い住宅開発が進み人口増えて市になったのである。

 それまでは、晩年の一休禅師がお過ごしになった、名刹「酬恩庵」こと一休寺とお茶の最高級玉露の生産地として有名ではあったが、ごくありふれた田園風景と近郊野菜の農業の町であった。

 その町に私達が移り住んだのが26年前であり、家人はすぐに地元の「女性コーラス」に加わり今年で27年目であるし、私も所属している混声合唱団も来年14年目で、8回目の定期演奏会を開催するほどのキャリアとなっている。

 たくさんの音楽愛好家やグループがあるのだが、寂しいことに、この町にはまともな音楽の発表ができるホールがなく、同志社女子大学の礼拝堂を兼ねたパイプオルガンが備わった八百人程度の音楽にも適した「新島記念講堂」を毎年「市民音楽祭」では借りているのである。

 昨日から音楽連盟の有志たちによって、会場付近の案内やのぼりが設置されて、今朝を迎えたのであるが、今年は参加出場団体も25を数える盛況で、本番は午前11時から午後4時まで約5時間を要する規模となった。

 小学校の金管ジュニアバンドに始まり、中学校吹奏楽部、女性コーラス、少年少女合唱団、若手ブラス楽団、PTAコーラス、ハーモニカグループ、小学校合唱、女子大のハンドベル、地域コーラス、管弦楽団、民族楽器演奏、アカペラ混声、そしてとりはシンフォニックバンドと盛りだくさんで、最後には会場の全員で「大地讃頌」と「ふるさと」を吹奏楽団のバックで歌って閉会となった。

 今年の特徴は、老いも若きも元気に楽しく歌い、踊り、アクションつきのグループも多く、ただの練習発表会ではなく、グループ毎の特徴あるパフォーマンスが多かったように思い、大半を嬉しく拝聴した。

 ただ自分の舞台に関しては度胸だけは負けていなかったが、楽しい曲なのだが、英語の歌詞が覚えられなくて、リズムの速さについて行くのが精一杯であった。

 ただ楽しく歌うことだけは誰にも負けじと努めたが、会場で聴いてくれた娘や孫には伝わったかどうか定かではない。
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思考中

2006年10月20日 | 感じたこと
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刑罰と死刑制度

2006年10月19日 | 日本の課題
 昨年二月に起きた大阪寝屋川の小学校教職員殺傷事件の判決で、殺人罪に問われている18歳の少年に、大阪地裁は少年の発達障害を考慮しても、もはや保護処分の域を超えた犯罪だと認定し、懲役12年を言い渡した。

 私は、この少年の判決に深く言及したいわけではない。日頃から考える犯罪と刑罰、そして死刑制度についての思いを述べたいのである。

 地方議会に「死刑制度廃止の意見書」を提出した時、私は多くの議員から「自分の肉親が殺されたら殺したくなるのは当たり前だろう、あだ討ちは許されない時代だから死刑制度は必要だ」などと言う見解を聞かされて驚いたことがあった。

 最近の事件では大阪池田小学校に侵入し多数の児童を殺傷した宅間守受刑者が「早く死刑にしてくれ」と言ったとか報道され、判決確定後異例の速さの約一年後に処刑された。

 また奈良の小学女児誘拐暴行殺人事件の小林容疑者は、宮崎学被告や宅間死刑囚に続き、死刑を執行されて名を残したいと言っていると報道されている。

 今回の18歳の少年の場合は求刑が無期懲役であったが、オーム事件の麻原こと松本智津夫被告の死刑確定も近く、殺人は死刑の如く、この国の裁判制度では「死刑」すなわち、「国の権力による殺人」がこれからも続くのだろうか。

 犯罪、特に殺人を犯した容疑者の自供や物的証拠、証人、参考人聴取、弁護士、検事などの見解や裁判長の判断が全ての刑を決定し、行政府の法務省の都合などで刑の執行が左右されたりしてはいけないと思うが、多くの冤罪事件があったことも歴史的事実であり、また永山事件の様に死刑の執行が長年遅れた事件もある。

 いずれにせよ法治国家である日本での犯罪事件において逮捕、起訴された容疑者が何らかの刑罰を受けることを否定するものではないが、一般的な拘留や刑務所での禁固刑と死刑執行を同じ刑罰として考えるべきではないと思うのである。

 殺人や凶悪事件の被害者家族や関係者は、犯人あるいは容疑者の「死刑」や「最高刑」を望む場合が大半だが、裁判官や判事と言えども、人間が人間を裁くことには限界があると思われる。

 終身刑が無期懲役だとすれば、刑の軽減や恩赦等がある場合は社会生活に戻ることも可能性があるので、絶対終身刑として一生刑務所暮らしで罪を償うという刑罰もある。

 現在世界の70ヶ国は死刑制度を廃止し、13ヶ国は戦争犯罪などを除く犯罪での死刑を廃止、23ヶ国は10年間以上死刑の執行をせず、事実上の死刑廃止状態である。

 小泉内閣最後の法務大臣は死刑執行のサインを一度もせず退任したが、人間の下す刑罰としての「死刑執行」は、感情や独断で下せるものではなく、私は「死刑制度の廃止」を願う。

 2004年12月の基本的法制度の世論調査では、国民の6%だけが積極的な死刑廃止に賛成で、国会の衆参722名の議員中、122名の16.9%が死刑制度廃止議員連盟のメンバーだという。

 死刑制度は仇討ちの国家執行であり、犯罪抑止力としての効力も疑問である。あらゆる人間の命を人間が絶つべきものではない。


 
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心に染みる秋の虫の音

2006年10月18日 | 季節の話題
 日中はまだまだ暑さが感じられた今日だったが、さすが夜半になると「すっかり秋」だなと感じさせてくれる「虫の音」が、こんな住宅街の狭い我が家の書斎の外からも、はっきりと聞こえてきて嬉しくなりました。

 昼間は、今日から始まった昨年度の決算認定審査のための議会「決算特別委員会」が実質的にスタートし、私は市職員が先日収賄容疑で逮捕された事件に関連した問題提起と、地方自治体の財政健全化のための思い切った行財政改革についての質疑を熱く行っていたためか、九月末日で一応「クールビズ」期間は終了したのだが上着を脱いでの半そでノーネクタイ(いつもそうだが)の出で立ちで奮闘した。

 朝から集中しての委員会審査は昼休みと午後の3時前後の20分ほどの休憩を挟んで、委員長を含む八人の委員が各々の関心ある課題を取り上げて、質疑し問題提起するのだが、どうしても質問者と時間は偏ってしまうのである。

 私は共産党の他の議員と同様に時間が許す限り精一杯質疑をしたいので、少したの議員に遠慮しつつも四回質問に立ち、地方財政危機と言われる昨年度の財政指標についての見解と、地方公務員の給与、待遇が民間の庶民感覚とかけ離れた優遇されている実態等を指摘し、行政改革の目標数値を決めて抜本的に見直すべきという提案と追求を行った。

 ともかく汗をかくぐらい熱く語り、疲れて帰宅して夕飯を食べた後、書斎で明日の委員会の質疑テーマを考え、資料を見て検討を加えて、列記して準備するのだが、その窓辺で「コオロギ」の虫の音が優しく聞こえて、とっても癒される気分である。

 先日の中秋の名月といい、ちょっと遠出した「曽爾高原のススキ」といい、その際に私の肩や帽子に止まっていた「秋のトンボ」といい、今夜の「虫の音」も、何と嬉しい秋の贈りものだろうと感謝している。

 コオロギと簡単に思ったのだが、インターネットで調べてみれば、各種の秋の虫の写真と解説と音色を聞かせてくれるホームページがあって、今私の耳に届いているコオロギの種は、「ツヅレサセコオロギ」らしいのである。

 この「ツヅレサセコオロギ」は、このコオロギの虫の音を聞く頃には、寒い季節が近づいていて、昔の人は「冬着の繕い物をしなくちゃ」と思ったそうで、そこから「ツヅレサセコオロギ」という名になったそうである。

 昔は単に「コオロギ」と称していたらしく、虫の音色も単調なのだが、とっても心に染み入り、妙に落ち着く音色なのである。

 コオロギと一口で言っても一番有名なエンマコオロギから、ハラオカメ、ミツカド、クマ、フタホシなどのコオロギいて、各々違った鳴き声で秋の夜長を愉しませてくれるのである。

 さぁ、ツヅレサセコオロギの心に染み入る秋の虫の音を耳にしながら、明日の質疑の準備を続けたいと思う。
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