ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

平和を希求する島「沖縄」

2005年03月17日 | 日本の課題

 春の彼岸の入りの日、関西地方は「春雨」に見舞われたが、梅は満開、桜の便りも近々届くだろう。

 国会では「憲法調査会」なる与野党の通過儀礼的「憲法改正」への議論が続いているが、ほぼ与党、自民党の憲法改悪骨子もまとまり、教育基本法の改悪案も、国会上程のタイミングを待つのみになっている。

 早くも「春」を迎えている沖縄県では、昨年夏宜野湾市の沖縄国際大学のキャンパスに米軍の大型ヘリコプターが墜落する事件が起きたにも関わらず、政府ならびに小泉首相は米国に対する抗議もせず、基地撤去を求める沖縄県民の思いとは裏腹に、静観というより蛇に睨まれた蛙のように、口を閉ざしている。

 国内にある米軍基地の約7割が沖縄に集中し、戦後60年経った今も現存しているということは、日米安保と地位協定によるものだが、全く日本の主権が侵害されている状態、つまり日本は軍事的にはアメリカ合衆国の属国、いや52番目の属州として機能を果たしている状態なのである。

 つまり日本国は、世界の先進国だと教えられてきたが、実は先進的部分もあるが、政治的、軍事的には全く主体的権利や選択の自由を持ち得ない、米国の支配下にあると言っても過言ではないのである。

 いつのまにか、日本の首相や政府関係者だけでなく、野党議員やマスコミ関係者も「日米同盟」という表現を意図的に、あるいは全く背景や根拠もなく使い出しており、日米だけでなく、日本は何処の国とも同盟関係で縛られていないのだが、日本は米国なしでは生きていけない国にさせられてしまっている。

 沖縄の宜野湾市市域の1/4を占める普天間飛行場の米軍の独占的基地使用が、昨夏の大事故に繋がったのだが、96年に日米間で全面返還の合意に達したはずなのに、8年経っても返還どころか、イラク戦争などの米軍訓練で飛行は激化していて、代替地問題も座礁気味で見通しが見えなくなっている。

 一昨年4月に宜野湾市長になった伊波洋一氏は、普天間飛行場の5年以内返還要求と県内移設も反対と訴えて、相手自民、公明推薦候補を破って当選されました。

 ヘリ墜落事故をきっかけに、大多数の宜野湾市民と市議会野党も協力して、普天間基地返還アクションプログラムの策定作業中で、米国内でも海外基地の再検討法案の検討が進む中で、返還の可能性が見えてきたと、市長は自信を深めておられるそうです。

 実は、この普天間基地に突き出た形で「佐喜眞美術館」という「戦争と平和」をテーマにした個人的経営の白い壁に包まれた美術館があり、丸木位里、俊夫妻の「沖縄戦の図」をはじめとした大作や各種作品が常時展示されているのです。

 私は数年前に宜野湾市の平和美術館を訪れ、暫しの間、丸木夫妻の絵を鑑賞し、深い感動を覚えた後、佐喜眞さんのお話を伺いました。彼は基地として強制使用されていた先祖の土地を米国の国防省の基地、施設担当と交渉して返還してもらい、大きな亀甲墓の隣に、私財で美術館を建設されたとのことでした。

 元読谷村村長、山内徳信氏ともお会いしましたが、彼も米軍基地の中に村の体育館を建設したり、村役場を建設するという交渉を、直接米国に赴いて実現するという行動力と発想の持ち主で、その後沖縄県の収入役をされて、今も沖縄をベースに日本の世界の平和のために闘っておられます。

 私達が戦争と平和を語ったり、望む気持ちの何倍か何十倍ものエネルギーと行動力を持つ沖縄県人、琉球魂は、あの昭和20年敗戦の年の春から始まった沖縄地上戦における20数万の戦死者、今は平和の礎の石碑に名を刻まれた人々の命の魂の叫びとして、今に続いているのだろうと思われます。

 戦後60年の2005年、日本と世界の平和を希求する、沖縄魂「命は宝」に学びつつ、「憲法」「教育基本法」の改悪の意味するものと、絶対日本を世界の平和に逆行する国家にしない手立てを見つけるため、歴史を見つめ直して祈りたいと思っています。

「平和を本当に希求する島、沖縄」に素直に学びたい。

 
コメント (1)
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