ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

繁昌亭、落語三昧。

2008年10月31日 | ファミリーイベント
 昨日のプログに記したように、健康保険の生活習慣病予防のための健康診断のために、仕事場の有給休暇を一日とって、午前中は鼻からの胃カメラの初体験を含む半日ドッグといった感じの診察、検査を集中的にやった。

 何とも言えぬ「鼻からの内視鏡胃カメラ」体験で、気分はあまり良くなかったので、昼からは気分転換も兼ねて、カネガネ行きたいと思っていた、大阪北の落語の常打ち小屋「天満・天神繁昌亭」に家内と初めて出かけた。

 二年前の五月に長年の関西の落語関係者の念願であった「天満の繁昌亭」がオープンし、連日多くの落語ファンや観光客で賑わっていると聞いていたので、私も落語好きの一人として、どうしても寄席で生の落語を思い存分聴いてみたかったのである。

 昼前に天満宮前の「繁昌亭」に着いて、早速入場券を求めたが、先客万来の様子で「補助椅子席」のチケットしか手に入らなかった。

 でも何とか初繁昌亭への入場が可能になったので、入場までのひと時を近くの日本一長い商店街と称される「天神橋筋商店街」で昼飯を食べ、落語観覧の折のちょっとしたおやっと飲み物の買い物をし、天満宮に参って入場の時を待った。

 狭くなった境内に多くの鳩が舞い降りていて、近所から鳩の糞害の苦情があるので、鳩には餌をやらないでと注意書きがしてあったが、鳩たちは悠々と境内で何かを啄ばんでいて、鳩たちにとっても境内は過ごしやすい場所のようであった。

 いよいよ天満・天神「繁昌亭」の昼席が始まり、一昨年の五月オープン以来の第百十週にあたる昨日木曜日は、桂 三段、桂 三ノ助、月亭八天と「落語」が続き、林家そめすけの「ものまね」が入って、露の団四郎、桂 春之輔で仲入りとなった。

 立て続けに「落語」を聴いていると、少し眠たくなる時もあったが、それなりに生の落語の面白さをかみ締めながら楽しんだのである。

 仲入り後のトップは、川上のぼるの腹話術があり、なんと何十年前にも見たことのある彼の腹話術を聞いていて芸人人生の悲喜こもごもを感じざるを得なかった。

 落語は、林家染弥、笑福亭純瓶と続き、とりは女性落語家、桂 あやめさんであった。

 学生時代から好きな落語であったが、還暦を過ぎた私のこれからの人生でより親しく楽しめたらいいなと思っている文化のひとつである「落語」をじっくりと聴き、自分でも真似して演じられる題目を、ひとつや二つは見つけたいと思っている。

 かつて、子供たちとのキャンプの夜などの出し物として「犬の目」や「天神さん」を真似て適当に話たことはあったが、ちゃんとしっかりとした「落語」を一度は演じてみたいと思ったのである。

 上方落語界には、笑福亭松鶴、森乃福郎、桂米朝、橘ノ園都、桂文枝、露の五郎兵衛、林家染丸、桂春団治一門などがあり、約200人もの落語家がいるという。

 ぜひ、若手、中堅、ベテランを問わず、多くの落語家の生の噺を聴いてみたいものである。
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定期健康診断。

2008年10月29日 | ファミリーイベント
 おっさんフリーターとして勤めだして一年半が過ぎて、今年一月からは政府管掌健康保険にも加入したので、いわゆる「生活習慣病予防検診」とやらを受診することとなった。

 受診費用は原則的には職場が負担してくれるのだが、仕事は有給休暇を利用して受診することとなり、今晩は早い夕食後、明日の受診までは何も飲食できないとのことで、なにやらちょっとした絶食、断食状態となるのである。

 地元の病院での受診となるのだが、日頃病院には縁のない生活をおかげさまで送っているので、少々緊張気味で明日の朝を迎えることとなりそうである。

 確かに還暦を過ぎても元気が取り柄の私だが、やはり自分の健康を過信しすぎてはいけないし、客観的な健康診断の機会を与えられたことは喜ばしいと思い、久しぶりの健康診断に赴く予定となった。

 当該病院から事前に送付されていた封書を改めて見てみると、なんと検便が二日分とあって、少々慌てさせられた。

 それなら前日の今晩と当日の朝に分けて、検便用の便を採取しなければならないこととなり、早速前日分を済ませて、明日の朝にも快便を祈って採取した後、検診に出かけることとしたが、毎日大の便通があるとは限らないので、ちょっぴし不安になった。

 まず検診では「胃透視造影検査」を受けるらしく、胃カメラを飲まされるらしいので、バリウムを飲む経験はあるが、胃カメラ体験は初めてなので、どんなものかと今から少々興味深く思っている。

 また前日の今晩は、九時以降の飲食が禁止されていることも夕食時に知って、油気の少ない食事にすることやアルコールは飲まないこととの注意書きもあり、私の場合はお酒を晩酌として嗜む習慣もないほど、めったに口にしないので心配はないのだが、お好きな方にはきついだろなと同情する。

 当日朝の持参品は、健康保険証と検便容器(一種類、二日分)と、同意書、問診票と記されていて、問診票には、喫煙、運動、飲酒、睡眠、食事についてをはじめ、最近特に自覚する症状について問われている。

 また既往症、現病歴についての記述もあり、その上、家族の病歴が父母、兄弟、祖父母、おば、おじまで記載されるようになっていた。

 同意書については、胃透視造影検査(バリウム飲用)の説明、同意であり、病名、必要性、方法、麻酔、危険性、拡大処置などが記載され、理解し、この手術、検査、処置に同意しますと患者の署名、捺印がいることとなっている。

 ついでに肝炎ウイルス検査の受診も可能で、自ら感染していることを知らない場合に病状が肝硬変や肺がんへと進行してしまう場合があると脅迫しています。

 最後に政府管掌健康保険の運営母体が問題山積の社会保険庁から全国健康保険協会に今年10月から変わると明記されていました。

 いずれにせよ、自分の健康維持のための少しばかりの目安にはなるだろうとの思いから受診はするが、何ともその効果は疑わしい限りである。

 
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楽観か悲観か。

2008年10月28日 | 世界の問題
 昨今の世界的金融危機と言われる状況下で、テレビ、新聞報道を中心に、大変な世界同時株安と円高が伝えられていて、日本経済もとんでもない不況と雇用不安、
企業倒産が予測される事態になっているといえよう。

 政府、麻生首相、自民党は、解散・総選挙をしている場合ではないとの見解から、政局よりも政策を優先すると言った言葉を連発して、衆議院解散、総選挙は来年年明け以降に連れ込む公算が高くなったという。

 確かに東証株価平均が26年ぶりに7000円台を割り込むなど、世界同時株安の中でも日本の株価の暴落は何と30%以上というひどい下落率となっているし、円高もつい先日まで1ドル120円前後で推移していたのに、急落して一時90円台までに高騰している。

 しかし私自身は、なんとものんきなのかも知れないが、ほとんど関係ないとの思いで、日々の暮らしを楽しく質素に送っているので、いわゆる「楽観的な性格」だと見られがちである。

 今朝の毎日新聞のい一面「余禄」欄によると、コップに水が半分入っているのわ見て、「まだ半分ある」というのはオプチミスト(楽観主義者)で、「半分しかない」と思うのはペシミスト(悲観主義者)だという書き出しで、世界の著名人の言葉を紹介している。

 でも人間とは、そう簡単に楽観主義者や悲観主義者と二分できるものではないと私は思っている。

 私自身も、いつも「大丈夫や」と言う癖というか、物事を表面的には楽観的に捉えて考えるようにしているので、他人からも「楽観的な人」として見られがちなのだが、その直後にとっても落ち込んだり、悲観的にしか考えない自分に気づくこともあるものである。

 あのアルベルト・シュバイツァー博士が語ったとされている、「楽観主義者は、青信号しか見えない。悲観主義者は、赤信号しか見えない。そして真の賢者とは、色盲である」という言葉を思い出した。

 テレビ報道などでは、一般投資家と称する人のインタビューが放映されていて、「このままだと日本はどうなるのか大変不安だ」との言葉が紹介されていたりするのだが、そういった意図で編集された映像ばかり見ていると国民すべてが不安を抱いていると錯覚すらしてしまうほどであるる。

 しかし、どっこい多くの人は、株価の下落や円高などと関わりもなく、日々黙々と家族と自分の暮らしに一生懸命に生きているわけで、確かに雇用不安や物価高、保険、年金、医療などの将来的不安は隠しえないが、今回の世界的金融危機に由来したものではないのである。

 再びシュバイツァーの言葉。

 未来を見る目を失い、現実を作る術を忘れた、そんな人間の行き着く先は、自然の破壊である。

 人間への信頼は、私の希望を支える。

 力ある者は、決して騒がないものだ。力ある者ほど、無言のまま働きかける。

 真の道徳は、言葉の終わった処から始まる。

 
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原油価格急落。

2008年10月27日 | 世界の問題
 世界的金融危機とも言われる米国のサブプライムローンに端を発する「世界同時株安」や「円高」の動きになかなか歯止めがかからない。

 ジョージ・ブッシュ米国大統領、麻生太郎日本首相をはじめ、全世界の政治首脳と財界トップの人たちの政策、提案を受けて多額の公的資金が全世界的に投入されても、なかなか世界的経済危機に歯止めがかからないのは何故なんだろうか。

 そんな状況下で私が一番疑問にも感じ、とんでもないと感じているのが世界の航空会社が2001年から導入している「燃油サーチャージャー」と称される航空運賃とは別に支払いが必要な割り増し料金である。

 「燃油サーチャージャー」と称される割増付加料金は、行き先別、航空会社別にその都度定められていて、中には正規の航空運賃より高額なサーチャージャーがかかる場合がある。

 そもそも石油の原油の高騰によって国際線を運行する航空会社が、従来は航空運賃に含まれていたはずの「ジェット燃料費」が航空会社の運賃を圧迫しコストがかかり過ぎてきたので、別枠で初期には数千円徴収しだしたものなのだ。

 それがどんどんと原油価格の投機的要素での買いも手伝って、一時はなんと1バレル当たり147ドルにまで高騰していたので、自動車の国内ガソリン代の高負担も、一リットル180円台にも突入していた。

 しかし、世界的金融危機と言われだした「リーマン・ブラザーズ証券」の破産を景気とした米国の経済的低迷の拍車により、投機的マネーが石油先物取引から手を引き出して、なんと米国の原油価格は三ヶ月間で60ドル台にまで反落した。

 なのに、日本国内で販売される国際線の航空運賃に加えて支払いを請求される「燃油サーチャージャー」の費用は未だ高騰したままで、一向に下落しないのは何でだろうか。

 国内の自動車用ガソリン価格はレギュラーガソリン1リットルあたりの売値が一時の180円台から安いところではすでに130円台と下落している。

 例の道路特定財源の税率によるガソリンの揮発油税などの延長を可決できなかった国会のおかげで今年四月の一ヶ月間だけはガソリン価格が125円まで下落したことがあったが、徐々に原油価格の下落から小売ガソリン価格が安くなってきている。

 なのに、国際航空運賃の「燃油サーチャージャー」だけは据え置きまたは高騰では許されないまでもなく、国際線を運行する航空会社の経営上の勝手な価格継続となっていて、利用者、庶民は納得できない。

 そもそも「サーチャージャー」とは、割増料、課徴金という意味であるが、もうひとつの意味が「不当価格、暴利」と英和辞典にはあるので、まさに原油価格の低下を反映させない、航空会社各社の暴利、不当価格である。

 実はある懸賞でアジアの都市への往復航空券が当たったのだが、プレゼントされる航空運賃より、燃油サーチャージャーの費用の方が高くて、使用に二の足を踏まざるを得ないでいる。
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コミュニケーション力とは・?

2008年10月26日 | 感じたこと
 昨日に続いて、今学生さんたちにとって、また社会人にとって一番大切だと言われている「コミュニケーション力」について私見を記すこととする。

 早くも始まっていると言われている大学三回生たちの再来年度の就職活動における必要性というよりも、社会の中で生きていくための人間関係を、如何にうまく保ちながら気持ちよく仕事をし、また社会生活での協調を旨としていくためのスキルとも言える大切な能力でもあると思われる。

 どうしても就職活動の成功の鍵などと紹介されることが多いので、特別な勉強や経験がなくては身につかないことの様に思われがちだが、決して特別かつ特殊な能力であったり、研修を受けたり資格のように取得するものではないはずである。

 と言っても、昨今の学生たちは何でも「ノウハウ」や「マニュアル」を求めがちな傾向があって、そうしたニーズに応えるべく「コミュニケーション力とは」とか「コミュニケーション力を身につけよう」といった類の著書や解説本も出回っているようである。

 確かに多様な対人関係との交渉力や説明力は必要だと思われるが、その根底は誠意ある人間性に基づく丁寧な説明や噛み砕いたわかりやすい解説であったりする。

 また自分自身はわかっているつもりでも、他人の価値観や経験の違いから、十分自分の意思を相手に伝える「的確な意思伝達、意思疎通の言葉」を有しないと結局伝わらないことにもなりかねない。

 そこで必要なことは、互いの信頼性や人間的魅力をも加味した「人間性」が一番であり、円滑な人間関係を気づくための源は、多種多様な人々との会話や議論を経験した上での、語彙表現能力と相手の気持ちを慮ることの出来る気持ちである。

 就職戦線で企業側が採用に対して求める重視する能力としては、「対人コミュニケーション力」がトップなのだが、「仕事への興味、意欲、関心」や「向上心」がそれに続いている。

 ということは、ただ単にコミュニケーションが出来ればいいのではなく、幅広い人間関係を大切に出来た上で、いろんな話題にも対処できるキャパシティが人間的に必要なわけである。

 結局、この「コミュニケーション」に必要かつ大切な入り口は、まず「挨拶」であり、見ず知らずの初めて出会う人々とも、相手の立場、関心、性格などをつぶさに読み取りながら、話題を展開できる親しみと信頼を得られる人間的資質が基本なのである。

 そのためには、本や映画や人の話を聞くことなど多くの人間的経験が一番なのだが、臆せず好奇心をあらゆる方面に持ち続けて、出会えるチャンスには、堂々と遠慮せず接していくことが大切なのだろう。

 「スキル」だけを求めるのではなく、心からの人との出会いを喜び、感謝する心が、まず挨拶として必要で、それが「コミュニケーション力」の入り口となることは間違いない大切な要素である。 
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資格よりも人格を。

2008年10月25日 | 日本の課題
世界の金融状況が非常に厳しくなってきた。

 アメリカの住宅ローン、サブプライムローンの焦げ付きに端を発したと言われている「世界同時株安」とともに、日本円の高騰というべきか、所謂「円高」傾向が益々高まって、昨日は一ドル、91円台になったという。

 資源が乏しいと言われる日本のお家芸は、世界的に評判の高い自動車、電化製品をはじめとする工業製品において、デザイン、性能、価格において世界を驚かし貿易輸出にて世界的な企業と成長した会社が数多くあるのだが、ここ数ヶ月だけで何と三割以上の「円高」によってじり貧状態に陥りそうだという。

 トヨタ、ニッサン、ホンダをはじめとする自動車メーカー各社は前月比としても50%近い減産を強いられ、総売り上げと収益でも大幅な下方修正を余儀なくされているという。

 パナソニック、ソニー、東芝などの電気製品輸出企業も大幅な収益ダウンが見込まれるほどの大誤算な状態となりそうだという。

 大手企業だけでなく、もちろん日本国内の中小企業や微粉末企業とでも言うべきか個人商店なども、厳しい経済状況下の煽りを食らって、先行き不透明な不安の中、間違いなく売り上げを下げているところが大半だという。

 しかし、国内の来春、来々春の就職戦線では少子化が進んでいるわが国の企業の青田買いとも言うべき「就職内定」が早々と出されているケースが増していて、学生たちの本業であるべき講義受講や研究が疎かになっているとも聞く。

 全世界的な経済の先行き不安の中で、ただ大企業に就職内定をもらったから安心とは言えない状況とも言え、多くの学生たちは今に始まったわけではないが、益々の先行き不安からか「資格習得」に余念がないという。

 「円高」の到来で大手企業の収益も、先行きさえ不安が募りだしているということは、来春、來々春の就職内定をもらった学生たちの「内定取り消し」もあり得る企業も出てくると思われる。

 学生たちの「資格習得」の波は、経済不安だけではなく、自分自身の自信のなさでもあり、他人よりも少しでも「買い手にいい印象」を持ってもらえる様にと、各々が自己アッピールの条件アップにと焦っている証拠でもある。

 本当の意味で、今そして将来に向けて、学生たちがしなければいけないことは、決して「資格の獲得」だけではなくて、自らの人格とスキルアップのための経験を積むことではないだろうか。

 つまり書状としての「資格」よりも、人間的に魅力ある大人になることであり、これからの世界情勢の変化の中で、将来を読みながら、将来の世の中で自分を生かせる力としての「人格」と「スキル」を伸ばすという、根本的な土台が欠けていては、どうにもならないのではないだろうか。

 私は資格といえば「運転免許証」しか持っていないので、言う資格がないかも知れないが、「資格」持っているだけの「売り」では、今後の世の中を行き抜く、魅力ある人間とは言えないのではないだろうか。
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さんま炊き込みご飯。

2008年10月22日 | 季節の話題
 秋本番、食欲の秋と言われる毎年恒例の季節である。

 私たちが約15年ほど前から続けてきた「男の料理サークル」が発展して、団塊の世代のおっさんたちで、ちょっとした冒険もかねて、地域の障害を持つ青年たちの小規模作業所のおかぁさんたちの依頼にこたえて、月に一度の定食ランチを出す「ゆめカフェ」のお手伝いをすることとなった。

 宇治市のとある居酒屋さんとして営業されていたお店を、地元の女性たちのネットワークと小規模作業所の通所生たちの社会参加の一環もかねて、いろんなグループも「一日営業」のお手伝いをする形で、ささやかな社会貢献とでも言うべき活動を支えるのである。

 私たちの「男の料理サークル」は、月に一度の例会を通して長年培った経験を生かして、と言っても毎回集う男たちは、楽しくおしゃべりしながら多様な料理にチャレンジしてきたが、ほとんどが美味しく出来上がりを食べてお終いと言った感じで、続いてきたことが不思議なくらいなのである。

 しかし団塊の世代を中心とした男たちは、ちょっとした好奇心と定年退職組も含めて時間もあるので、楽しみながら何かに役立つ働きになればと、この企画に参加することを決めたのである。

 最初のランチを出させていただくのが来週の日曜日となっているので、最初のメニューを、昨年秋の10月に「料理サークル」としてチャレンジした「秋刀魚の炊き込みご飯」をメインとした料理に決めて、準備を進めてきた。

 メンバーが一番多い時は、25人もいたサークルだったのだが、高齢化や病気のためやご家族の介護などのためにリタイアした人も多くて、今回の企画に当初から参加できるのは、たった4名なのだが全員張り切って「ご飯屋のおやじ」になりきろうとしているのである。

 ともあれ、見ず知らずのお客様に食べていただく「昼食」を料理して出させていただくということは初めてであり、衛生面の配慮から食材選び、見栄えとお味と、いろいろと工夫と練習を重ねて、初の本番を迎えるのだ。

 秋刀魚の炊き込みご飯は、生秋刀魚の贓物を処理した後、しめじ、昆布、しょうがと共に、みりん、しょうゆ、お酒で味付けして炊飯したものを、蒸らした後、秋刀魚の骨を取った後、炊き込んだご飯の上に乗せて召し上がっていただくために、結構手間がかかるのである。

 付けあわせとして用意する一品とお味噌汁、それにちょっとした漬物か酢の物がついて、お盆に載せて「ランチ」として食していただくので、配膳からトータルに見栄えも大切なのだ。

 今まで、自分たちで料理して自分たちで食して「自画自賛」で良かったのだが、今回からの「ランチ」つくりは、お客様のお口にも合わないといけないと言う、一種の緊張感と責任が伴うのだ。

 しかし、自分たちの経験と練習の成果を、皆さんに味わってもらって喜んでいただければとの思いで、楽しみに励みたいと思っている。
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定年後談義。

2008年10月21日 | 日本の課題
 私個人もれっきとした定年団塊の世代の人間なのだが、今までの人生で大きな会社勤めや永年勤続と言った「普通のサラリーマン」生活をほとんど体験していないので、昼飯を食べていた食堂での定年世代のおっさんの談義を興味深く聞くこととなった。

 たぶんここ数年前に永年務められた会社を定年退職された御仁と少し早く会社の早期退職奨励制度に呼応して退職したおっさんたちが「定年後のお金談義」をしてはったのである。

 聞くともなしに聞こえてくる隣の席のコーナーのひそひそ話は、ほとんどが定年後のお金の損得についてであった様である。

 一人の方は、高校卒で現場労働に従事して永年勤続されたサラリーマンだが、病気がきっかけで55歳の時に、ちょうど会社が募集していた「早期退職奨励制度」に応えて、いわゆるリストラの一環で退職されたらしい方であった。

 彼は5年早く退職したが、退職金約2500万円に上乗せの加算退職奨励金が1800万円あったそうで、その後病気も回復し、臨時雇用の地域のスポーツクラブの送迎用バス運転手に雇用され、毎月のお給料も貰っているらしく、もうそんなに働きたくないのだがと言いながら、老後がどうなるか心配なのでと話されていた。

 もう一人の大手企業の役職で定年退職された方は、厚生年金を中心とした「年金受給」を65歳からとして、今はアルバイト的感覚で小企業の経理や人事面でのアドバイザーをされているというのである。

 いずれにせよ、具体的な金額を教えながら、たぶん旧知の仲と見えて、お互い同士で「得損」の年金、医療、定年後就職、遊び、小遣い銭にいたる話を延々とされていたのである。

 私自身にとっては関係ないと思える部分もあったが、やはり「老後のお金」に関心がないわけではないので、参考までに拝聴したわけである。

 戦後のベビーブームと呼ばれた「子沢山時代」の落とし子である、団塊の世代が平均いくつまで生きるのかは定かではないが、現在の日本の平均寿命からすると、女性約85歳、男性約79歳と言われているので、定年後の生活が平均でも20年はあることとなるのだ。

 だからというわけではないが、隣の席の団塊の世代と思われるおっさんたちの「お金談義」はいつの間にか熱が入っていて、節税対策や相続、贈与の話にまで及んでいた。

 私は昼食を済ませて、午後の仕事のために席を立たざるを得なかったので、その後の「談義」がどこまで及んだかは知る由もないが、真剣かつお知恵拝借の情報交換としては盛り上がっていた用でった。

 いずれにせよ、現在の金融危機、日本の政治状況の不安定さの中にあって、選挙目当ての一年だけの「定額減税」などは全く何の足しにもならないし、しっかりとした「年金、医療、福祉」を中心とする高齢者が生活するのに安心できる「体制、制度」への変革を断行し、少しでも不安を解消できる「生活大国」へと始動してもらいたいものだと痛感する。
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オバマ大統領。

2008年10月20日 | 世界の問題
 日本の政治状況は、いつかいつかと「解散総選挙」待ちの情勢が続いていて、麻生首相の権限ではあるが、自民党、公明党内の思惑が絡んで、総裁選挙後は臨時国会冒頭もありうると予期されていたのに、いまや早くても11月末に連れこむといった情勢となってきている。

 景気対策やアメリカに端を発した「世界的金融危機」への対処を政治的リーダーシップで「やりぬく!」のが私の責務だと大見得をきった「麻生太郎首相」も早くも、国民の内閣支持率の就任時のご祝儀相場から大きく後退し、ますます「解散・総選挙」の時期の決断には至っていない。

 そうこうしている内に、アメリカ大統領選挙が近づいていて、11月4日の全米各地での代議員による大統領選挙の結果を見届けた上での、日本の政権担当者と中心的に政府を担う政党の選択となりそうである。

 日本の解散・総選挙の動向は今なお混沌としているのだが、アメリカ大統領選挙の長い予備選から民主党オバマ、共和党マケイン両候補による大統領選挙の決着が
後2週間で決まるのである。

 「オバマ大統領」とあえて投開票が行われる11月初旬に遡って、私自身が確定的に明記したのは、アメリカの世論がサブプライムローンの焦げ付きに端を発した「大恐慌」にも匹敵する金融危機を体験して、現在のブッシュ共和党に変わる政権政党として民主党への期待と「チェンジ」を掲げた初の黒人大統領としてのオバマ氏への期待が急速に高まっているからである。

 その如実な実態を物語る証拠として端的に明らかになっているのが、オバマ民主党大統領候補が得た「選挙資金」の九月分の総額がなんと一ヶ月の獲得金額としては8月の6600万ドル、日本円で約67億円が、先月9月には倍増以上の1億5千万ドル、約152億円に達したことが物語っているのである。

 また9月の献金者総数310万人のうち、63万人がはじめての献金であり、平均献金額も100ドル以下の小口献金が目立つという、すそ野が広がって支持が急増している現状を表しているそうである。

 オバマ氏の陣営が集めた資金総額は累計で6億ドル、約610億円に達していて、対抗馬である共和党マケイン氏の期間中の資金総額は8400万ドル、約85億円にとどまっているそうで、顕著な選挙資金の差は、支持、不支持の力の差を物語っているといえよう。

 やはり「政治資金」の差の大きさは、大きな国を動かすことにつながる「大統領選挙」の結果をも決定付ける差となっていることは間違いないので、あえて「オバマ大統領」と前倒しで明記したのである。

 さて日本の首相、麻生太郎氏は国民の支持率が低下する中で、いつどういうきっかけで「解散・総選挙」と決断するのだろうか。

 もう土俵際の特俵さえ踏み越えている状態なのに、いまだ国民の信を問わないままで、安部、福田、麻生とつないだショートリリーフ自民党末期政権の終焉を決めかねているとしか言えない有様である。
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無理するな。

2008年10月19日 | 感じたこと
 秋の行楽の一日。私は朝から忙しかった。

 午前中は夕刻からの料理のリハーサルの準備のための食材や料理器具などの忘れがないかと紙に書き出したチェック表を見ながら、足らないものを集めたり、買出しする段取りを考えていた。

 十時過ぎには、秋の恒例のイベントのひとつである、近くの京田辺シュタイナー学校の秋の祭り、バザーに顔を出して、久しぶりにゆっくりと校庭と校舎の中を行ったり来たりと楽しんだのである。

 ご存知の方も多かろうが、私の住む京田辺に「NPO法人シュタイナー学校」が出来て8回目の秋の祭りであったが、例年は私も団員として所属し、出番や裏方の仕事もある「京田辺市民音楽祭」と日程が重なっているために、オープニングの子供たちによる和太鼓演奏だけで隣の同志社女子大学にある新島記念講堂を会場とした「市民音楽祭」に駆けつけていたので、ゆっくりと見学することが出来なかった。

 今年は、私自身の出番や役割がないために、校舎内の展示物をゆっくりと見学できたし、校庭での模擬店やデモンストレーションも見ることが出来た。

 同志社女子大の構内では新入希望者のための「オープンキャンパス」も開催されていて、いたるところで楽器演奏や踊り、パフォーマンスが行われていて、何処も若さと活気にあふれていた。

 何のお仕着せや役割がないというのは気楽なもので、自由にシュタイナー学校の展示やパフォーマンスを目で追いながら、この空間に流れている「自然流」「無理しない」心の動きや活動を感じていた。

 人間は、若さや責任のためについつい無理をしてしまうことがよくあるのだが、無理をしすぎると碌な事がないのである。

 そのときは何もなかったかの様にうまくいったと勘違いしてしまうこともあるが、「無理をしたり」「頑張りしすぎる」と必ず、何処かにシコリや疲れや反省せざるを得ないことが残ってしまうのである。

 つまり何が言いたいのかと言えば、仕事でも人との関わりに於いても、ついつい自分のペースや自分勝手なシュミレーションで、先へ先へと急いでいたり、無理をしてしまうことがあるのである。

 世の中の流れや他人のペースとは裏腹に、自分だけが盛り上がっていたり、急いでいる場合がよくあって、他人様や周囲のムードからすれば、「浮いている」状態とでも言うべき、「空ふかし」状態に陥ってしまうことがあるのである。

 しかし、自分ではなかなかそう言った状況を客観的には気づきにくくて、ついつい自分の「頑張り」や「無理を通し」てしまうことがある。

 そうした場合の他人や周囲に及ぼす影響やダメージ、あるいはショックに気づかないことがあるのである。

 自分の限界や限度をセーブできる「平常心」と「自然な空気」を大切に進む、心構えが大切なのである。

 無理をしてしまうと、「伸びきったゴム輪」が切れてしまう様に、とんだトラブルを引き起こしてしまう危険性が高いと言えよう。
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