ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

愚かな「合格」!!!

2014年07月16日 | とんでもない!
あの三年四ヶ月前の東日本大震災での「福島原発事故」の多大なる後遺症が波及する中、3年4ヶ月余が過ぎて、先の福井県「大飯原発」の再稼動についで、新たに原子力規制委員会なる政府、電力会社の意向を汲む組織が、今年の夏は少しは国民の節電協力が必要とは言え、49基の日本の原発の「再稼動」はせずにも、電力供給は出来るとの見通しなのに、何と「新基準?」に適合するとの見解で、審査書案を定例会で了承し、鹿児島県の「川内原発」1.2号機の「再稼動」に向けての手続きに入る見通しとなったことは、大変遺憾であり、愚かな「決定」だと云わざるを得ない。

 国民の多くが、「福島原発事故」の結果と放射能汚染の恐怖と危惧の中にあって、「もう二度と事故は起きてはならない」との思いと共に、「原子力発電」に対する「安全神話」の崩壊と、電力の発電に関しての「コストの安さ」という偽りのデータに対する絶対的不信感、つまり放射性汚染物の処理も含めての「原子力発電」に関するコストが異常に高い上に、今後自分たちの命のあるうちには「安全」を確認すらできないという、とんでもない「リスク」にやっと気づいて、将来の日本のエネルギー政策を、自然エネルギーに変えていく努力とともに、この化け物の様な「放射性廃棄物」を含む「負のリスク」を多額な税金や将来の私たちの子孫にまで負担させるとしても、日本だけでなく全世界を「命の不安」に抱き込む「原子力発電」は、止めるべきとの意見を持つようになった現状を省みず、一部の企業、政治家、利権のために、既成の産業構造を続けるという、とんでもない「愚かな選択!」、ツマリ、「川内原発」の合格「」などという決定に至ったという事実に対して、「怒り」と共に「いい加減にせぇ!!!」という思いである。

 今後、30日間の意見公募などを経て、「審査書」を決定するという、お題目だけの「民主的手続き」を課してはいるが、全く具体的には「通過儀礼」的手続き論だけで、「反対意見」や「批判」「中止」などは聞く由もなく、「再稼動」という手続きへと進み、今秋10月には、何と「大飯原発」の再稼動後の「検査」中止以来の日本の原子力発電の「再稼動」という愚かな方向へと進めようとしているのである。

 とんでもない「過信」とも言うべき事実が、我が国の東京電力・福島第一原発事故で起きて以来の原子力政策及び、電力会社の経営方針の中にあることに、多くの国民は「気づき」はじめ、今年6月の沖縄電力を除く「原発」を有する国内8電力会社の「株主総会」での、全ての「反原発」の訴えや提案を全く慎重な議論もせずに「退けた」、電力会社経営陣の「無能さ」と共に、その背景に自民党、公明党を中心とする現在の日本の経済界の要望、つまり「原子力産業」の利権が大きく「妨げている」現実が多くの国民にも見え隠れしているのである。

 要するに、今夕の新聞報道、「川内原発「合格1号」という見出しの下に、小さく「住民防災は審査外」との見出しがあり、九州電力川内原発の「再稼動」への審査が「合格」したのは、原発の設備面での「ハード対策」に過ぎなく、新規制基準住民避難などの防災対策が、原発の安全審査の「車の両輪」との田中俊一原子力規制委員長の見解があったにもかかわらず、原子力委員会での安全審査は、前者は厳しくチェックしているにのにも拘わらず、住民の避難や防災対策に対する「審査」は、原子力規制委員会の「対象外」だというから、とんでもない「片手落ち」、すなわち「自分たちの都合に合わせた審査」、最初から「再稼動」ありきの「結論」に向けての「親方日の丸」的審査機関、組織であると言わざるを得ないのである。

 国際原子力機関(IAEA)では、原発事故に対処する国際基準としては、深層防護などの多重的安全対策を定めているのだが、想定外の事故が起きても住民の「被曝防止」のための「最後の砦」としての防災対策を米国では規制の対象としているのだが、日本では対象外と言う腑に落ちない形の「形式的な審査」であると言わざるを得ないのである。

 少なくともスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、そして福島第一原発事故と言う3つの大きな世界的な影響が出た「原子力発電」という最も「人類の生命と健康」に多大なリスクが生じると共に、多額な設備投資だけでなく、未来永劫にまで多大な「放射性廃棄物」や「放射能汚染」という環境と生態系にも大きなリスクを背負わし、我らの子孫たちにも多大な危険性と危惧、多額な負担を強いるような「原子力発電」という政策をストップさせなくては、日本のエネルギー政策は間違いなく「破綻」すると確信するものである。

 人類の未来永劫の平和と健康などという願いや祈りは、簡単に権力者や利権に群がる「金儲け主義」の勝手な輩たちに牛耳られてしまうのを、「そのうちに気づくだろう!」と信頼して観ていられるほど私たちは馬鹿でもなければ、従順でもないのである。

 原発の再稼動へ「GOサイン」を出そうとしている一部の「お偉い人々」に対して、私たちができることは少ないのだろうか?

毎週の様に「反原発デモ」も行なわれているし、原発のある都道府県知事や地元自治体の首長さんたちも、実は地元の企業や原発下請け労働者の権利や特別給付金という名の「飴」に手足を縛られている様な有様では、真の市民自治や地元を大切にする行政マンとは言えないのではないだろうか。

 私たちの出来ること、そして「反対の意思」を示し続けようではありませんか>

 
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集団的自衛権!!!

2014年05月20日 | とんでもない!
ここ数ヶ月、ずっと「きな臭い」話題がテレビ、新聞、雑誌などで話題となっていて、とても不愉快な気分が続いていたが、ついに安倍首相が国民へ「今後の方向性?」と題して記者会見を行い、この「集団的自衛権」の行使について、憲法解釈を変えて出来る様にしないと、何と例として外国での非常事態で日本人の母子の安全が脅かされた時に、自衛隊が救出することが出来ないとパネルに描いた絵と説明を行なったのである。た

 子供だましとでも言うべき「詭弁」で、国民を欺こうとしているとも感じられる記者会見であり、とても不愉快な気分が増幅されて、いくら何でも「お坊ちゃま首相」に、そこまで「馬鹿にされた!!!」と言う感じの記者会見だったと憤慨しているのである。

 そもそも、戦後70年近く日本は外国への派兵はもとより、銃器を伴った戦争状態へは参戦することもなく「平和な日本」を継続させてこられたのは、アメリカ合衆国のお陰だけではなく、「日本国憲法」の第九条という世界に名だたる「戦争放棄と軍隊を持たない」という条文のなせる業であり、それこそ世界に誇れる「世界遺産」として登録されてもいい程の「素晴らしい憲法」のお陰なのである。

 なのに、安倍首相をはじめとする自民党を中心とする「日本を取り戻す!」ことを目標に掲げている勢力が目指すのが、憲法の改悪、日本の軍国化、天皇中心の国家、世界に名だたる帝国主義的日本の復活を願う人たちの集団であり、それに賛同しようとしている日本維新の会、みんなの党、そのほかにも野党と称される政党や組織の中にも、そういう趣旨に賛同する輩がいて国会議員という立場にいる方がいるみたいである。

 戦後70年近く経ち、やっと我が世の春が近づいたとばかりに、衆参両院で過半数を占めるに至った自民党内閣の棟梁である安倍晋三首相、そして自衛隊軍隊オタクの石破幹事長、そして髭の元自衛官佐藤議員らは、国民、メディアをあざ笑うかの如く、着々と自分たちの理想の組織や法律改正を行い、秘密保護法や日本版NSCとか言う防衛軍事の参謀組織をつくり、多くの静かな国民には徐々に「集団的自衛権」の行使が出来ないと、国民を守れない!との印象をインプリント、すなわち「刷り込み」して行くという卑怯で低劣な手法で攻めているのである。

 やっと知識人やメディアからの発言も出だして、国会では創価学会を支持母体とする公明党が抵抗しだして、今国会での意思合意は難しくはなっては来ていると言われているが、安倍自民党は何が何でも、この見解を無理強いしてでも政府見解として通したいという意向であり、防戦に立つ与党を担う公明党もいつまで立ちはだかれるかは甚だ疑問である。

 そういえば、創価学会が「集団的自衛権」の行使には反対との正式見解を表明したとの報道もあったので、すぐさま自民党も公明党との合意は難しいと思っていると思うが、アノ手この手の政治的手法で、いずれはねじ伏せようと虎視眈々と準備している様子であり、石破幹事長に言わせれば、自民党と公明党の違いは薄い壁だとの非公式なコメントまで聞こえてきており、何を機会に何時どの様に「落とし処」を決めるかを模索中と言った感じてあり、とても危険極まりない「きな臭さ」が続いているのである。

 そもそも、憲法解釈を一政府が「変える!!」ということ自体がオカシイし間違いなのだし、「憲法」は国の最高法規であり、時の政府や権力を国民に代わって監視し拘束する絶対的ルールなのであり、現状の自衛隊と言う軍隊も実は日本国憲法の条文からすると間違いない違憲なのである。

 だから、いまさらでもないが、憲法改正?改悪の意思が強い自民党政府ならば、この際手順を踏んで「憲法改正」へと準備を怠りなく進ませぱいいものを、憲法改正の条件としての「国会議員の三分の二以上の賛成」とその後の国民投票の過半数以上の賛成と言うルールが難しいと踏んだのか、とても「姑息」な手法で「憲法解釈」を変更しようと試み様としているのである。

 安倍自民党の「日本を取り戻す。」が、すなわち軍国主義日本の再来という「復古調」一辺倒だとすれば、国民の多くも国際的な世論も、ましてや「同盟国」といつのまにか言われている「USA」アメリカ合衆国も黙ってはいないと思うのだが、その前に馬鹿にされている日本国民一人ひとりが「可笑しい!」「ダメ!」「何を考えてるの?」などと安倍自民党に「NO!」を突きつけなければならない時が来ていると言っても過言ではない。

「いい加減な子供だましの記者会見で、賢明な国民の多くは騙されないよ」

 安倍晋三首相と自民党、そしてその周りで権力と利権を貪りたい輩たちに、はっきりと厳しく「ダメ」だと言いたい。
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「頚椎症」だそうだ。

2014年03月09日 | とんでもない!
 先日、二月の末に珍しく風邪の症状が出て、たぶん10数年ぶりに健康診断以外で内科の医者の診察を受けることとなった。

 幸い、インフルエンザではなく3,4日は微熱があり、仕事をしていてもしんどくて大変だったのだが、何とかお客さんには迷惑をかけずに、いつもの愛車で木、金、土曜と走り、家に帰ればすぐに寝床で横になるという生活をして乗り越えることができた。

 しかし、昨年の暮れから背中、肩、そして左腕の痛みがとれず、約二ヶ月間も友人の整体院でマッサージを中心に、時には鍼を打ってもらって治療に専念したのだが、一向に治癒せず、車を運転していても左腕がだるく痛みがあり、右手でハンドルを握りつつも、左腕は伸ばしたりストレッチ気味に屈伸を繰り返したりして、何とか痛みと格闘していたのだが、この際内科医でもわかるだろうと症状を訴えたのである。

 すると、そたの内科医は「それは頚椎やね」と断言し、整形外科医に診てもらうようにとアドバイスしてくれたので、翌週に近くの整形外科に行き、レントゲンをとってもらったところ、間違いなく「頚椎症」だとの診断が下ったのであった。

 首から背骨に沿って並んでいる人間の大切な中心柱ともいえる「頚椎」なのだが、第一頚椎から第七頚椎まである中の、第五頚椎と第六頚椎の間と第六頚椎から第七頚椎にかけてが明らかに他と比べると狭くなっていて、この狭さが神経を圧迫し、痛みが生じてむいるということが判明したのである。

 その症状は、帰宅後ネットで調べたりもしたのだが、テレビの健康番組でちょうど「頚椎症状」についての特集をしていて、四十代の女性が急に手に痺れが生じて、お台所でもものをしっかりとつかむことが出来なくなり、お皿や食材を落としたりするようになり、しばらくして症状が進んで、手の痺れだけでなく、歩くことすらできなくなると言うひどい症状に苦しんでおられたという。

 しかし、MRIで細かく検査をされたところ、この「頚椎症」ということがわかり、思いきって手術をされ、頚椎の狭くなったところを切断し、金属を入れて補強し、狭くなった神経の通り道の脊椎には金具を入れて、今後狭くなるのを防止するという、まるで体内の工事の様な手法で大手術をされたことで、三ヶ月経過した現在は、毎日自由に歩ける幸せをかみ締めておられるという具体的な症例が紹介されていた。

 その費用は100万円以上かかるそうだが、高額医療費の負担は還付されるため、10数万円の保険医療費の負担で済み、何とか痛みや歩けないという症状からは回復されて、笑顔の毎日をおくっておられるという実例であった。

 私の場合は、よく考えてみれば昨年の夏に仕事中に国道を一直線に走行中に、たぶん居眠り運転だと推測される小型トラックに追突されたことがあり、その時は全然大丈夫だとていたのだが、ひょっとしたらその時に「頚椎」に異常が生じていたのかもしれないと、今になって思うのだが、後の祭りと言うべきか自動車事故の保険金などの処理は、昨年秋には終了していて、いまさら加害者だとか相手の運転手を攻めることも出来ないので、ゆっくりと整形外科の医者の診断と治療を根気ヨクしていくしかないと痛感している。

 意外と自分自身は、痛みの原因がほぼ間違いなく判明したことで、なんとも言えずすっきりとした感じであり、長くなるかもしれないが、この症状とつきあって行くしかないのだなと観念しているのである。

 それにしても、この痛みと痺れは、どうしたら楽になるのだろうと日夜考える日々が続きそうである。整形外科の医者はしばらくは「漢方薬」を処方してくれたので、様子を見ながら治療に専念していくこととなるであろうが、まさか「手術」を要するような大事には至らないことを祈るしかない心境である。
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大晦日に当たった!!!

2013年12月31日 | とんでもない!
2013年の最後の日、私は「おせち料理」と「年越しそば」の配達で、地元京田辺から城陽市内を朝から「新しい中古車」で走っていたのだが、午前11時前にさしかかった住宅地の信号のない交差点で、角を曲がってくる自転車に気づいて、車を停めたのだが、なんと前をよく見ないで走っていたおばちゃんの自転車が「あっぁ!!!」という魔に、私の車の右ヘッドライト付近に、ガァーンと当たって止まったのである。

 近くにおられた家の前の掃除をされていた奥さんによれば、全然車の方は見ていない状態で、その自転車のハンドルをにぎっていたおばさんは悪びれもせずに、私が車内から「大丈夫ですか?」と声をかけたら、「仕事に行くので急いでいる」と言い残して、その場をあっと言う間に立ち去ってしまったのである。

 私は唖然としながら、車を降りてフロントの自転車が当たったあたりを点検すると、間違いなく中古車とは言え、傷のついていなかった右へッドライト付近に、いくつかの筋状の傷がついていることが判明したのだが、もうすでにぶつかったご婦人は、パートかアルバイトと思われる仕事場へと向かうためとはいえ、私の車にぶつかった「お詫び」や「キズの確認」もせず、立ち去っていて、後の祭りである。

 なんとも奇妙な体験というべきか、ぶつかられた私の方がビックリし、相手の方のぶつかった衝撃での具合の悪さや怪我を気づかったのにもかかわらず、当の本人は立ち去ってしまう始末で、私の方が被害者となっていることの現実に気づかされるまで、少しの時間を要したのである。

 仕事中のことだったので、次のお客様の所へと車を走らせつつ、今年の夏には前の愛車が追突されて、後方のバンパーなどの修理と我が身の肩と腰の打撲的痛みの治療に一ヶ月ほどかかったことを思い出しながら、今年は「当たられ年」かもしれないと変な感慨が過ぎり、ひょっとすれば「宝くじ」も大当たりするかもしれないと、一難去って、これは幸運の兆しかもと考える様になっていた。

 午後に仕事を終えて自宅に戻り、自転車にぶつかられたことを家族に報告し、もしや宝くじが大当たりかもと告げると、早速昼のテレビでやっていた宝くじ当選番号を控えていた妻が、当たりくじがないかと調べたところ、残念ながら大当たりどころか中当たりも小当たりもなさそうで、10枚に1枚は必ず当たる300円券が三枚あるのみであり、「当たられ損!!」であることが判明したのである。

 今年を振り返ると、4月に姉が急逝し、9月には母が召天するという、身内の不幸が続いたばかりか、7月末の追突された自動車事故と、「さんざんな年」となったので、駄洒落と倍返しの願いを込めて、初めての「宝くじ」を「さんざん」にちなんで「33枚」買ったのだったが、残念ながらほとんど紙くずとなってしまい、そうやすやすと「倍返し」や「じぇじぇじぇ」と驚くような「当たり」は出ないこととなつた。

 毎年恒例の「大晦日」と言えば、テレビの紅白歌合戦を垣間見ながら、年越し蕎麦を食してから、ゆっくりと風呂に入って「一年の垢と疲れを落とし」て、やおら地元にある、あの一休さんが晩年過ごされたという「醜恩庵」、通称「一休寺」に出向いて、一年の終わりと年の始めを同じ場所で体感するという、「除夜の鐘衝き」に出かける予定なのである。

 昨年暮れの参議院選挙で大勝した自民党の安倍内閣が、この一年アベノミクスとやらのイメージのみの経済対策で、一部輸出企業や投資家たちは潤っておられるのかもしれないが、大半の庶民にはほとんど実感もなく、地球温暖化と言われて久しいが体も懐も寒い年の瀬を迎えて、忙しなく新年を迎える準備をされている方々が大勢おられることとお察し致します。

 尖閣国有化などの問題と安倍首相の靖国参拝などが重なり、中国、韓国だけでなく、米国、ロシア、EU諸国や東南アジア諸国なども、日本の歩もうとしている方向性に歴史認識だけでなく、疑問を呈するという今年の年の瀬を迎えていて、東日本大震災と福島原発事故の被災者の救援や復興よりも、安倍首相はNSC、日本版安全保障会議などを整備し、特定秘密保護法という悪法を強引に数の力で可決し、どんどんと世界から右傾化と戦争への道を再びと思わせる様な手法と考え方を剥き出しに、進もうとしている現実の安倍政治に、多くの国民が不安と共に、今頃悔やんでも仕方が無いが、選挙の勢いを反省しだしているのではないだろうか。

 沖縄の仲井真知事の公約とは反する、普天間基地の「県外移設」と裏腹な「辺野古埋め立て許可」という、心身ばらば゜らとも言うべき政治家としての心情が、基地の負担軽減と言う名の下での年間3000億円と言う税金の交付に、目がくらんでの選択なのかと思わざるを得ない決定に、沖縄県民だけでなく全国の良識ある国民は、怒りと共に「仲井真、お前もか!!!」という「ブルータス」と同様?の「裏切り」と感じた決断、決定を聞き、底知れない金と政治の癒着とも言うべき利害を痛感している。

 金は必要だが、金で良心や政治心情は売らないという政治家が、この国にはいないのだろうか。私は今年も「鐘」を衝きながら、「金によって考え方を変えない、真の国民や市民を裏切らない政治家の誕生」を心から願うことにしようと思う。

 新年こそ、ほんとうに良い年でありますように!!!。クリスチャンですが今夜は禅寺の一休寺で祈ろうと思うのである。
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ネット匿名犯。

2013年02月11日 | とんでもない!
 現在の様なネット社会になって、早や20数年が過ぎたのか、最近のスマホブームも併せて、より気軽に何処からでもインターネットへの接続、書き込み、情報告知が可能となったためもあって、より高度?なネット犯罪や匿名での嫌がらせや中傷、誹謗なども含めた犯罪が多発している様である。

 昨日逮捕されたサイバー犯と呼ばれるネットおたくの容疑者だけでなく、時間と暇をもてあましてか他人の中傷や誹謗、そしてデマ情報や好き勝手な匿名性ならてぜはの「愉快犯」ている的書き込みやプライバシーの侵害を平気でやっているネットの中の世界が益々助長していると言われている。

 先日も私の友人のジャーナリストがネット上のブログで尖閣をめぐる領土問題に言及したて私信を発したら、ともかく相当数の誹謗、中傷としか言えない様な書き込みが集中し、「死ね」とか「日本から出て行け」とか一方的な批判と言うより、嫌がらせ的匿名記入が集中したというのである。

 決っして彼は日本や中国の一方的な領有権を支持する意見を記したわけでもなく、一人のジャーナリストとして客観的な批評や考え方の基本を示しただけなのだが、一文の特定の箇所だけに反応した匿名の輩が、とても低次元の誹謗や中傷を繰り返して「嫌がらせ」をしたに過ぎないのである。

 彼はとんでもない嫌な気分に苛まれたと思えるが冷静に、その原因となる文章の真意を再び伝えると共に、匿名で中傷、誹謗する人たちへ冷静に、その背景と間違いを正すという言論者としての真摯な姿勢で対応したので、その様な書き込みは急減したというのであった。

 しかし、世界に容易に繋がるネット社会の何処にでも、全ったく見ず知らず野匿名の読者や勝手にリンクをはって見守る人がいて、「なるほどこういう考えや意見もあるのだ」という様に他人の意見や見解を見たり覘いたりするのは自由なのだが、その一部にとんでもない悪意を感じてか反応し、全ったく知らない他人に対して、とんでもない罵詈雑言や「殺す!」とか「失せろ」とか人権侵害や無視の言葉を浴びせたりするのである。

 私自身もネット上でのブログをこのように記していると、やはりコメントとして匿名の輩からとんでもない誹謗、中傷を受けることが時折あるので、ブログでの特に政治的課題や差別的意見については慎重かつできるだけ断言や断定は避けて書くことを心がけているつもりなのだが、やはり一部の言葉や思い込みで、ご自分の考えや意見と違う面に強く反応してか、お怒りと言うべきかとんでもなく感情をむき出しにした様なコメントをいただく場合があるのである。

 その時は本当に心が痛み、しばらくはブログを書くことすら嫌になったりするのだが、失礼ながらそのコメントに限り消去して心を整理する期間をおいて、再び元気を取り戻すことができるのである。

 今回の逮捕されたサイバー犯の真の狙いや目的は知る由もないのだが、ネットおたくや猫にチップをつけていたとか、やはり時間を仕事や友人との交流や楽しい目的に使用しないどころか、本人にとっては警察や他人をあざ笑ったり「ざまぁみろ」という感じの挑戦的思いで、インターネットを通じて寂しさや孤独な日々を忘れ、自分のネットやパソコンの技術的知識や経験を生かして、他人のパソコンに侵入したりして、犯行を繰り返していたらしく、たぶん「愉快犯」とでも言うべき彼にとっては日常だつたのだろうと推察できるのである。

 今回の事件に関わらず、スマホや携帯電話、そしてワイファイなどの発達で、誰でも何処でもネットと接続できて、自分の思いや写真などの情報もすぐに投稿したりネット上にアップできる現代になっているので、電車の中だけでなく至るところでスマホをいじっている若者や多様な人物を目にする日々に、あまりにも気軽に自分の身辺や中には友人、知人のプライバシーを侵害しかねない情報や写真などをフェイスブックなどに掲載している人がいて、悪意のない限りは気にはならないけれど、一つ間違えば他人の逆な謗りや批判、嫌がらせに繋がらないとも限らない事情も増えている様に感じている。
 要注意である。



 
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エレベーター事件!!

2012年10月21日 | とんでもない!
今日は秋晴れの素晴らしい天気だったので、私は大阪の有料老人ホームに入居している母を訪ねて行きました。

 朝方はまだ寒さを感じる気温だったので、長袖てのシャツに薄いジャンパーをはおって出かけたのですが、あまり天気が良いので最寄の駅から歩いて約2キロほどを歩いて、母の生活の場に着いたので、暑さを感じてTシャツ一枚になって、いつも首からぶら下げている携帯も母の部屋に置いて、車椅子の母を押して施設内を散歩していました。

 同施設に入居されている顔見知りのおばぁちゃんが声をかけて下さったので、母と共に初めて屋上に上ることとして、職員の方がエレベーターを呼んでくれたので、二人で屋上階に初めて行きました。

 屋上スペースの広場に出ると、とても暖かくて少し風を感じましたが、気持ちのいい青空をバックに、ただいま建設中の「あべのハルカス」が見えて、母もとても嬉しそうに高い建物や町並みをしばらく見ていましたが、背中が暑いというので、日向ぼっこは切り上げて一階に下りようと思いました。たのです。

 しかしです。大変なことに気づきました。

 老人ホームの施設内は、ドアや玄関口などの出入り口には、入居者の無断での出入りをさせないためのセキュリティ的目的で、番号入力をしないとドアの開閉や出入りが出来ないシステムが取り付けてあったのです。

 狭いエレベーターホールに車椅子を入れて、何度も暗証番号ではないかと思う4桁の番号を入力してはみたのですが、全てエラー表示が出て、屋上階にエレベーターを呼ぶことは出来ないばかりか、携帯電話も持参していなかったので連絡することも出来ない状態で、大変困ったこととなりました。

 何とか、人のいる階下に連絡しなければ、降りることが出来ないばかりか、逆に言えば私が母を最上階に換金している状態となってしまい、何と手か地上の道行く人にでも知らせて、施設の職員に気づいてもらわねばならないと思って、何度か屋上から下界に向かって大声で叫びましたが、誰もまさか屋上から助けを求めているなんて思わないから、気づいてはもらえませんでした。

 約一時間余が経過して、母も早く降りたいと声を出していたので、最後の手段として屋上階にあった長い竹竿に赤いお祭りのはっとぴをくくりつけて、何とかひとつ下の階の人のいる窓に吊り下げて知らせようとしている時に、やっと気づいてくれた職員の方がエレベーターで迎えに来てくださいました。

 とても不安な一時間余を母に過ごさせた結果となったのですが、何とか無事日常の生活空間である一階に戻ることが出来て、少しいつもよりは遅い昼食となつたのですが、母はあまり気にせずに昼ごはんをいただきました。

 私は一時は知らせるための最後の手段としては、非常の際の消防通告ボてタンを破ってでも知らせなければと思っていたのですが、それは回避できて、安堵の気持ちでいっぱいになりました。

 セキュリティのためとはいえ、私たち訪問する家族にとっては知らなかった暗証番号を、今後のためにと教えていただいたので、今後は安心して屋上にも上れるとは思いますが、あべのハルカスは日本一の高さを誇る地上300メートルの近鉄百貨店やホテルの新しいビルとなるもので、大阪天王寺の新しいランドマークとなることは間違いありません。

 あぁ、監禁事件や非常ベルの大騒ぎとならなくて良かったです。
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議員パス特権

2012年08月22日 | とんでもない!
 長年国会議員になったら、常識だとされていた議員無料パスの内、私鉄や路線バスの無料パスが廃止されることとなり、参議院運営委員会で各会派が一致して、衆議院側も同調して、九月末日で廃止されることとなるそうだとの記事が夕刊に掲載されていた。

 ご存知の方も多いと思われるが、国会議員には給料にあたる歳費のほかに文書通信交通滞在費として月額100万円が支給されているのにも関わらず、現在でも衆参両院の事務局から、JRや航空各社に対しては議員の利用に際しての本人の無料分が年間葯13億円も出費されているらしいのだが、この私鉄や路線バスの無料に関しては、一切事業者には支払われない形で負担をしいっていたものである。

 いずれにせよ、国会議員だけではないが、地方議員の中にも公費で私的な旅行や私費で賄うべき費用をも、まるで議員特権の様に誤魔化して利用したり、支払いをさせている不届き者がいると思われるのだが、かつては議会の常識は世間の非常識、つまり議員の特権は当たり前だとの意識があったと感じるし、現在も多くの議員が少なからず特権意識を持っていると思われるのである。

 今回の私鉄、路線バスなどの国会議員の無料パスの廃止については、一歩前進というべきかどうかは定かではないが、日本民鉄協会やバス協会からの長年の要請もあって、昨今の行政改革や経費削減の世論の後押しもあって、ようやく実現の一歩を踏みだしたに過ぎないのである。

 というのは、国会議員を頂点に都道府県議会議員、政令都市議員、そして市町村会議員となんだか序列の様でもあり、ピラミッド型の権威的立場が無意識の中に存在していているのだろうか、全ての議員をなぜか「先生」と呼ぶ習慣というべきか、悪習が議会の周辺には存在していて、現在も多くの場面やマスコミでも議員先生呼ばわりが登場しているのである。

 一般市民、つまり有権者に選挙で選出されたからと言っても、ただの民主主義的な代表者に過ぎないはずの議員を、たぶん多くの有権者のうちの限られた人々が、議員先生と呼ぶことによって、その議員をいい気にさせておいて、自らの利権に関わる仕事や金儲けに利用しようとする魂胆があるのだろうとしか思えない関係性の中で、多くの周辺の人々が「先生」と呼んでいるとしか思えないのである。

 私の地方議員として4期16年の経験から感じるのは、私自身はあの「議員バッジ」にあるのではないかと思う部分もあって、私自身は初議会の時以外は、基本的に議員バッジそのものを着用することをしないで、自分の公約や政策の中でも「先生と呼ばせない普通の市民の一人として」とわざわざ明記して活動させていただいたのであった。

 たぶん、私自身が全くの講演会や組織の応援も無い、普通の市民の一人として議会に送っていただいたと思っているので、議会活動も含め、一切の政党や組織には所属せず活動させていただいたので、無党派あるいは市民派、時には非所属の無所属を名乗ったためもあったので、一切の利害や特権意識や利益誘導的活動はしなくて済んだのであった。

 議員パス特権に留まるだけでなく、全ての議員が地域や国の奉仕者として、多くの市民や有権者の目線で活動する社会、民主主義が育たなければ、まだまだ当分議員特権や、先生意識を持った議員たちを横行させることとなりそうである。

 結局、議員自らの資質だけでなく、有権者とそしての国民、市民がこうした議員の特権意識や非常識な制度やルールを指摘したり、変えて行くアッピールをしなければ、簡単にはまだまだ議員と議員は大きくは変わらない非常識の中に隠蔽され続けるだろう。
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「いじめ」が増加?

2012年08月09日 | とんでもない!
 滋賀県大津市の男子中学生が昨年10月に「同級生らによるいじめ」が原因で自殺したとされる問題が、被害者の保護者の度重なる訴えがきっかけで、ようやく表面化したことから、全国各地での小中、高校を含む学校現場での「いじめ」問題が増加したと報道されている。

 しかし、「いじめ」そのものは昔から現在に至るまで、多くの学校現場だけではないが、人間がいる社会においては、住宅地の近辺、職場、家庭を含め、ともかく残念なことだが多数生じているのが現実であり、今年上半期の報告数、もしくは問題化したケースがたまたま昨年同期を上回ったと言うだけであり、学校という教育機関を中心に、ともかく「臭いものには蓋を」とばかりに、事実を矮小化したり隠蔽したりすることで、多くは「泣き寝入り」という形で表面化していないだけなのである。

 私が小学生だった時代にも、いじめという認識はあまりなかったが、クラスの中の少し汚い子や弱虫の児童が、今思えば「いじめ」に合っていたと思われるし、決して児童、生徒同士だけでなく、教師からのいじめや逆に生徒が教師をいじめるといったケースも多々あったと記憶している。

 しかし、現代の「いじめ」として報道されたり報告されている実態は、ともかく「酷すぎる」状況が多く、単なる「いじめ」という相性の合わない他人に、ちょっとした嫌がらせをしたり、シカトーと呼ばれる無視を貫いたりという様なナマヤサシイものではなく、明らかに「犯罪的行為」としか言えない様な「暴力」や「人権蹂躙」というケースが続発しているのである。

 こうした現状に対して、確かに「学校」や「教育委員会」「行政」などの公的機関の「事なかれ主義」とでもいうべき「無責任」や「無関心」、そして「責任逃れ」のための「隠蔽化」が起きている場合がほとんどなのだが、決してこれらは学校に纏わる現場だけではないのである。

 一般社会における「いじめ」の実態も多く、多くのケースは「朱に交われば赤くなる」と言った表現が適当かどうかは不明だが、とにかく「知らぬ存ぜず」を決め付けたり、知っていても自分が関わりたくないとの思いから、知ってても見てても「知らない」、もしくは「いじめだとは思わなかった」という白々しい言葉で責任から逃れているのである。

 社会全体と言っても過言ではないと思うのだが、いじめに関してだけではなく、社会的ルールや他人への迷惑行為なども、多くの場合は、知らぬ存ぜずか、泣き寝入りを余儀なくされる様な他人事にしてしまっているのではないだろうか。

 ということは、子どもたち、すなわち幼児、児童、生徒、学生たちの周りにいる社会的には成人していると思われる大人たちが、見て見ぬフリをしてしまう社会、すなわち無責任な大人たちの人間関係が、結局は子どもたちの「いじめの実態」を助長させ、他人を尊重したり、個性を重んじることよりも、我が身の優越感や安堵感を得たいがために、自分との関係性において、上から目線で指示したり、いじめたり、暴力を振るったりという行動や言動がまかり通ってしまう世の中を作ってしまっているのではないだろうか。

 何が悪いのか?政治家、教育者、家庭内の父や母、そして社会的なリーダーシップをとるべき著名人やマスメディアにも、大きな反省と共に、テレビや漫画、ドラマ、映画などにも当たり前の様に「いじめ」が登場していて、それが当然の如く描かれている日本の現実をとても憂うものでもある。

 決して「いじめ」が増加しているのではなく、気付いていない「いじめ」が潜在的に多数あるのが現実だという忌まわしい現実が悲しい。
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確信犯!信号無視。

2012年07月21日 | とんでもない!
 私は現在、仕事とプライベートで毎日車に乗る機会があって、月に1500キロほどは走っているのだが、最近特に感じるのが信号無視と言う車がとんでもなく多いという実態である。

 やはり若い頃と違って、とにかく安全第一ということでスピードはそれなりに出している場合もあるのだが、信号だけは出来るだけ黄色信号で止まるようにと心がけてはいるのだが、車の流れによっては急停車する方が危険を伴う場合もあると思われるので、やむを得ず黄色信号でも交差点などを通過する時があるのだが、自分の車が辛うじて赤信号以前に交差点を通過したにも関わらず、後続車は間違いなく赤信号でも交差点を突っ走って来るのをよく目撃するのである。

 バックミラーで後続車を確認していると、自分が赤信号になる前に通過した最後の車かと思っているのにも関わらず、後続の自動車が更に一台だけではなく、二台、三台と後ろの交差点を通過していて、間違いなく赤信号である信号を無視してる暴走と思える車がとてたも多のである。

 また逆に赤信号で次の青信号を待って停止線の最前列で発車を待っている時に、青信号になったのを確認してスタートしようとアクセルに足をやっているのに、交差点の右左からの侵入車が後を絶たずに、しばらく様子を確認してからでないと安心して自分が交差店内に進入できない場合も結構あるのである。

 つまり、ともかく信号無視が多くて、よく事故が起きないものだと思っているのだが、最近特にそうした現象とでも言うべき実態を多く体験していて、時には赤信号でも進入する車に対して、警告の意味も込めてクラクションを鳴らしてしまうこともあるほどなのである。

 そういう私自身も数年前、大阪の中央環状線を南下しているケースで、自分の車の前を大型のトラックが走っていて、言い訳ではなく前方の信号がよく見えないままに、たぶん黄色信号から赤信号に変った間際に交差点に進入し、前のトラックに追従する形で信号無視した形になって、左方向の交差点で待機していた白バイに停止を求められて、信号無視違反で反則金の切符を切られて減点された苦い経験があつたことがある。

 その場合は、いくら警官に状況を説明しても、断固警官は赤信号を無視しての進入だと言い張っていて、個人がいくら黄色信号での進入だったと申告しても許してはもらえなかった苦い経験となったのであった

 すなわち客観的に見ていたら確かに際どいかも知れないが、赤信号になっているのに車体はぶん交差点内にあったのだろうから、正確に言えばやはり信号無視であり、交通違反切符を切られてもシカダガなかったのだろうと思われるのだが、違反に問われるか否かではなくて、やはり重大な事故につながりかねないという点で、やはり危険だったのだろうと反省したのでした。
 
 それ以来、そうした信号無視による交通違反は全く皆無ではあるのだが、シートベルト未着違反と携帯電話の運転中の使用違反などはあるので、信号無視だけが危険なのではないと思うが、最も危険なルール違反のひとつが信号無視であり、しかもその確信犯が急増している様に最近感じているのである。

 皆さんはどうでしょうか?車の運転中に感じられている危険の中に、いろんなルール違反要素が渦巻いていると思われますが、歩行者についても自転車に乗っている人のルール違反やバイクのスピード超過など、日常的に交通事故を誘発しそうな危険行為がとにかく増えている様に感じてなりませんが、何か無くするための妙案はないものでしょうか。

 自分だけむが安全運転をしているというつもりはありませんし、誰もが車を運転していたら危険を感じることがあると思われますが、自動車運転をされる方々の当然の法律厳守とルール違反の危険行為を少しでもなくして、事故を未然に防ぐ努力と言うか安全策を心がける必要がさらにあると思うのです。

 飲酒運転や無免許運転、または疲労すなどによる居眠り運転などと全く別のドラッグや適法ドラッグ?など、ともかく危険運転や暴走運転に繋がる様な薬物の使用や異常な精神状態でのハンドル操作が招く交通事故が多発していて問題視されている様ですが、日常的な普通の交差点などでの信号無視、すなわち赤信号を確信犯的に追従通過する自動車を何とか停止させなければ、更に悲惨な交通事故が増加し、悲しい死亡事故や傷つく被害者が出そうなので、改めて警告したいと思ったのです。
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かじられたアップル!

2012年07月03日 | とんでもない!
 昨日のニュースで、アメリカの大手電子機器メーカーであるアップル社が中国の広東省の高級人民法院、日本では高等裁判所にあたるところで、中国企業でシンセンにある台湾グループの唯冠科技という企業から訴えられていた「iPad」を巡る訴訟が和解し、なんとアップル社は中国企業に対して、日本円で約48億円にも及ぶ和解金を支払って、中国国内での「iPad」という商標登録を買い取ったことが報じられたのである。

 とんでもないことだと思うのだが、世界の電子端末機器のトップでもある、あのスティーブ・ジョブズ氏がはじめた、ユニークかつ大胆なアイデアと技術力で、世界の情報ツールを中心として、現在に至るまでの世界的商品化も含めリードしてきた、アップル社が中国の一企業の商標登録と言う、とても嫌がらせ的で詐欺的な手法に負けたとでもいのか、今後の中国国内でのアップル社の情報交信端末の「アイパッド」の販売に支障を生じていた問題に対して、アップル社側が譲歩したというか、訴訟された裁判が長期戦になると、企業利益が大きく損なわれるとの見通しから、和解と言う道を選択し、多額の支払いに応じたというのである。

 広東省の地裁にあたる中級人民法院が昨年12月に、アップル社の中国国内での販売が出来なくなる、アイパッドの商標権を認めない判決を言い渡したために、アップル社が上訴していたのだが、中国の商標権を管轄する国家工商行政管理総局と称する国家組織の幹部は、今年4月に、アイパッドという商標登録は中国側の企業に寄って登録済みのため、合法でありアップル社の「アイパッド」は使用できないとの見解を示していて、アップル社は長引く交渉で中国国内での販売が出来なくなることよりも、和解金で一件落着させて、一気に販売攻勢に出ようと決断したらしい。

 しかし、現在に至るまでに日本の企業も含む世界的な企業が、または行政機関が数多くの中国国内での商標登録などの商行為に関して、明らかに迷惑かつ邪魔になる様な、勝手な商標登録をされていたために訴訟や紛争になったケースがあり、その都度世界的なビジネスや商道徳から見れば、中国特有の嫌がらせか詐欺的商法ではないかとさえ思う手法で、国際的にも批判される問題を起こしているのである。

 日本について言えば、いつのまにか先手必勝とでも言うべきか、日本特有の有名ブランド化した食品や農産物、または技術を伴った画期的な商品のネーミングなどに関しても、中国国内で先に商標登録をしておいて、その商品や物品が売れ出すと、あたかもその商品の如く作られた偽物あるいはコピー商品を、その商標登録名などで販売するという、とても信じがたい手法で売りさばくというケースが続出していたのである。

 青森県や讃岐という日本の国内の地名や地域名は、当たり前の如く日本国内では、青森の場合はリンゴやにんにくなどではトップブランドとして有名でもあり、他県の生産物とは違う差別化とも言うべき商品価値を持っていて、日本国内だけでなく全世界的にも良品として売れているのだが、中国国内では青森という県名までもが商標登録されていたり、讃岐うどんの「讃岐」も勝手に商標登録されていたというほど酷い話もあったのである。

 今回のアップル社の訴訟に関する和解は、日本的に言えば苦渋の選択とでも言うべき判断を、現在のアップル社のトップが企業としての中国国内での販売をスムーズに進めるためにやむを得ず選択した結果だとは思うのだが、アップル社の創始者であるスティーブ・ジョブズ氏が生きていれば、どの様に対処しただろうと思うのである。

 いずれにしても、中国側の今回の和解は、決して勝利ではなく妥協の産物以外の何物でもないと思われるのだが、今後同様の訴訟や商標登録裁判に関しての、良くない前例を作ったのではないかと、とても危惧してならないのである。

 多くの全世界の企業が、当然日本の企業の進出も中国では盛んであるのだから、今後の中国側の同様もしくは類似の商行為違反とも言える、訴訟や勝手な商標登録という行為に対しては、厳しい批判と共に、世界からの監視と罰則をも伴った是正がされることを大いに期待したいと思うのである。

 

 
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