ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

831(やさい)の日

2006年08月31日 | 季節の話題
 今日は8月31日で「野菜の日」だそうです。1983年(昭和58年)に、全国青果物商業連合会と食料品流通改善協会が主体となって、野菜の栄養価の高さと優れた食品としての価値を再認識してもらおうと、身近な食材としての野菜の栄養価と効率的な摂り方を奨励するために定めた日だそうです。

 という私自身は、12年前から小さな軽自動車での「有機八百屋」を週末に営業しているのですが、最初に譲り受けた「引き売り用」の軽トラックの登録ナンバープレートは何と「8081」、すなわち八百屋一番だったのですが、八百屋を始めるので銀行口座を新設したところ、その口座番号が偶然だったのですが、「831001」すなわち野菜001番だったのです。

 それ以来、私の『八百屋』は、8081番の車で営業し、その収益や支払いは831001番で処理されるという、数字遊びが続いているのです。

ところで写真は、ご存知の「なすび」の花なのですが、わが町は野菜と言えば、少々ですがブランド的出荷の出来るのが「なすび」だけなのですが、最近は出荷量が減っているようなのです。

 それというのも地域に住む住民にとっては、なすび畑やビニールハウスのなすびの栽培を見ていて、農薬が相当使用されているのを肌身で感じている人が多くて、これからの「秋なすび」は、嫁に食わすなと言われる程、美味しいはずなのだが、どうも農薬の使用量を思うと食したくないとの声も聴くのです。

 幸い、私の有機八百屋に入荷する「なすび」をはじめとする野菜たちは、殆どが無農薬栽培ですし、どうしても初期の成長期の病虫害に対して、最小限の化学肥料を使用した「減農薬」「有機栽培」の農産物としての保証のあるものばかりですので、喜んで食していただいています。

 土に親しみ、土の栄養分を十分に摂取して、季節の太陽と雨の自然の恵みで育まれた「野菜たち」は、人手と堆肥を初めとする自然の肥やしで大きく成長し、たとえ見栄えが悪くても、無農薬、有機栽培を期待する消費者のもとへ、顔の見える関係での流通を通して運ばれ、販売されているのです。

 
 私達が有機の八百屋として、町の中でささやかな商いをしていると、時折地元の百姓さんが通りかかって、「兄ちゃん何売ってるんや?」と聞かれる場合があるのですが、「無農薬や有機農産物」と応えると、「そんな無農薬で出けへんで」と意外な反応が返ってきます。

 そうでしょうか。日本でも戦前、戦後を通じて、今から3.40年前までの農業は、今みたいな農薬過多ではない、堆肥を中心とした自然農法が主体だったはずです。

 なのに、出荷のための形と数量を求める卸小売業や消費者の安価な価格への要望から、ゆがんだ農業、すなわち農薬に依存した農産物生産に急激に成り下がってしまったのです。

 「野菜の日」に、もう一度本当の野菜の旬と味を思い出して、出来るだけ農薬のかかっていない自然な野菜を求めて食するように務めていただきたいと思います。
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おしいれのぼうけん

2006年08月30日 | ファミリーイベント
 子どもたちの「夏休み」が終わろうとしている。

 長い夏休みだったかな。それともまだまだ「夏休み」が続く人もいるでしょうね。私の記憶に一番印象に残っているのは小学校の頃の夏休みであり、あと1日、2日という頃になって、あわてて「夏休みの宿題」を集中してやり遂げなければ始業式に間に合わないという、あせった気持ちが今も思い出される。

 幼少期から小学生の頃が、一番「ガキ大将」といわれたり、「やんちゃ坊主」の典型だったかもしれない。

 そうした記憶の中で、よく母や先生に叱られて、「押入れ」に入れられたのか、好んで入っていたのか定かではないが、「おしいれの冒険」の記憶が蘇ってきたのである。

 それは「ふるたたるひ作、たばたせいいち画」の昭和49年11月初版の童心社発行の絵本「おしいれのぼうけん」を久しぶりに声に出して読んだからである。

 たぶん我が子が生まれて幼児期から小学生になる頃に、わが子に対して読んだような記憶があるのだが、今となっては息子も30歳であり、確かではない。

 しかし、孫の4歳10ヶ月になるK君は、我が家で眠るときは必ず、自分で我が家の息子と娘が育った「子ども部屋」とも言うべき場所の所狭しと並んでいる絵本や近くの図書館から借りてきた絵本を「読んで!」とご指定で所望するので、読まざるを得ない立場となって、今回は「おしいれのぼうけん」だったのです。

 「桜保育園に怖いものがふたつあります」という書き出して始まる絵本は、ひとつは「押入れ」で、もうひとつは「ねずみばあさん」だと初めから種明かしをするのですが、先生の言うことを聞かなかったり、悪いことをする子は「押入れ」に入れられるのです。

 もうひとつの「ねずみばあさん」は先生がやる「人形劇」に出てくるのです。

 あきらとさとしという男の子が先生の「やめなさい」と言う注意を聞かずにひるねの時間に騒いだり、ミニカーの取り合いをして逃げ回ったために、先生に叱られて「押入れ」に入れられてしまうのです。

 その暗い押入れの中の上下の段に入れられた二人のやんちゃ坊主は、謝りたくなくて我慢しているうちに、ミニ機関車とミニカーが走り出して真っ暗闇のトンネルを通って、「ねずみばあさん」に会うのです。

 あやまりたくないと逃げ惑うふたりに容赦なく「ねずみばあさんとねずみたち」が襲いかかりますが、ふたりは汗ビッショリになって逃げ回ります。

 ふたりの「おしいれのぼうけん」は、デコイチとミニカーを持ったまま、疲れ果ててうとうとしていたときの夢だったようですが、手を繋いだあーくんとさとちゃんは汗ぐっしょりで先生たちに戸をあけてもらい救出されたのです。

 彼らの「おしいれのぼうけん」以来、子ども達は喜んで「押入れ」に入りたがって、押入れは大人気になりました。

 私の幼少期の夢にも同様の「おしいれのぼうけん」の記憶が鮮明にあって思い出されて嬉しくなりました。

 「ねずみばあさんだよ」と声を太くして、怖い声で読む絵本は素敵な世界に連れて行ってくれるものですね。
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大宇宙の中に

2006年08月29日 | ガリバー旅行記
 内モンゴル草原から帰って、多忙と言うべきか現代社会の中での仕事に戻りつつ、いつしか頭の中には、あの大草原の夜に展開された大パノラマ的満天の星空が思い出されてくるのである。

 ほんの数日前、真夜中の満天の星を見上げながら、いくつかの「流れ星」を見ては、子どもの様に「何かお祈り、願い」をと思ったり、3つ以上流れ星を見てからゲルに戻って眠ろうと心に決めて、モンゴルの初秋の草原の冷えを堪えて佇んでいたものである。

 あの草原の真上に展開する眼前の大きなパノラマの如き「満天の星」とは、我々の命が誕生した地球からの眺めなのだが、いわゆる太陽系と称される宇宙のほんの一角に過ぎないのである。

 銀河系宇宙と呼ばれる多数の星団の中の一つの銀河系の中に太陽系宇宙があって、その中に2000億個もの恒星を初めとする無数の星団があるのだが、人類はねその中で8つの☆だけに「惑星」という特別な称号を与えることを改めて確認したらしいのである。

 つまり水星、金星、地星、火星、木星、土星、天王星、海王星の8つを「惑星」と称し、今まで仲間として呼称していた「冥王星」は惑星外として「矮惑星」とすることを決定したのである。

 大きさが地球にとっての「月」の様に小さくて、周辺の星の中で群を抜く存在感が乏しいというのが、その理由らしいのである。

 まさに地球の人間どもの考えることは、小さくて勝手ではなかろうか。

 私は、内モンゴル草原の大海原を見渡しながら、特に360度地平線の闇の中に、無数の星がちりばめられていて、私達にとっては巨大なパノラマとしか表現できないスケールなのだが、この視界に入っている地球からの眺めも、まったく太陽系の一部であり、金星、火星はすぐに見つけることが出来るが、他の惑星すら肉眼ではなかなか見ることが困難なのである。

 そんな状況の中で、小学生の時代から親しんできた「水金地火木土天海冥」の9つの太陽系の惑星群の中の「冥王星」だけを、いまさら仲間はずれにすることなんて可笑しな戯言の様にも思えてならないのである。

 何を中心に、何を基本的な価値として『物』や『存在』を見るかは、見る人の勝手で自由ではあるが、この果てしない大宇宙の中にある多数の銀河系の中の、ひとつの太陽系宇宙において、その中のひとつの星である「地球」に生命体として生きる「人類」が勝手に、「冥王星」とある星を名づけた上で、惑星の定義からはずすという「仲間はずれ」を決定するなんて、どう考えても可笑しいのである。

 限りない宇宙、果てしない宇宙空間の中の小さなひとつの銀河系に存在している我々の「太陽系」というちっぽけな宇宙の中の一つの豆粒の様な「地星」に住んでいる存在でしかないのに、毎日、家庭、職場、地域で、偉そうなことを言い続けている人間が可笑しくてたまらなくなるではないか。

 小さな命を、この地星に与えられた一人として、果てしない大宇宙の中のひとつの存在であることを、改めて自覚したいものである。
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とんでもない安倍晋三!

2006年08月28日 | とんでもない!
 来月20日に迫った、自民党総裁選挙に向けて、もっぱらマスコミの報道は、すでに既成事実の如く「安倍晋三」を首相最有力候補として伝えている。

 私達一般的な国民にとっては全く選挙権のない自民党内部の国会議員を中心とする党員による選挙という形をとるだけで、衆参国会議員による支持の動きは、既に「安倍総裁」で動いていて、中国、韓国などアジア諸国においても、そういう想定のもとに次代の政策が検討されているのである。

 あの口の曲がった麻生外務大臣と、誠実さを売りにしている自転車中年、谷垣財務大臣という、ふたりの総裁候補はいるものの、まったく選挙の対抗馬的立場にもマスコミにおいては殆ど評価されないままに、総裁選挙を向かえて、既成の事実が容認されていくのであろう。

 この間の自民党党内での動きを見れば、福田前官房長官の総裁選出馬が取り沙汰されていた頃は、まだ民主的選出が多少期待されたが、何故なのか理由が不確かながら福田候補が撤退してからは、安倍一色の「自分の利」だけを判断材料とする国会議員特有の地すべり的支持表示が相次いでいる。

 私が言いたいのは、安倍晋三候補と言う形で発表されている政権、政策マニュフェストなどの吟味や批判、議論もなく、「憲法改正、教育基本法改正」を一、二位にあげて国政改革を強行しようとする強権政治の姿勢への論評すらないことである。

 思い起こせば1960年当時、安倍晋三の祖父にあたる岸信介首相が、戦後の国際政治の舞台の中で、現在のアメリカ追従の日本へのきっかけとしての「日米安保条約」を強引に締結して以来の強権政治の復活を目指していると言っても過言ではない。

 ちょっとマスクがよくて、若くて、拉致問題での北朝鮮に対する対応におけるパフォーマンスで、政界での地位や存在を認識させただけで、主要閣僚の経験もなく、果たせなかった父、晋太郎の首相への夢を実現させようとする勢力のサポートで、お坊ちゃんである晋三が祭り上げられているだけなのである。

 なのに多くの代議士たちは、自分の国会議員としての地位と名誉を維持継続するためにだけ、この「安倍首相」という風に乗って動いた方が、利があるとの読みで支持に回っているのである。

 しっかりとした政策論争や対案、これからの日本の真のアジアでの役割、日本の社会保障制度の大改革や食と農業政策、教育の政治からの自立など、多くの課題に対する議論や意見交換など、二の次、三の次、どうでもよいのである。

 私は敢えて言いたい。安倍晋三などという前時代的保守、米国追従、明治憲法下に近い復古主義、新しい歴史教科書策定、靖国礼讃の岸信介の孫でもある、古いタイプの政治家を、この国のトップリーダーにすることは、とんでもないことである。

 何も考えない、考えさせない日本人を愚民教育し、再度ニッポンを世界で戦う国にしようとしている「美しい国へ」を目指す、安部晋三首相の実現は、最悪のシナリオである。
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夏祭り音楽会!

2006年08月27日 | 季節の話題
 地元の住民センターと夏祭り実行委員会が主催、協力して、地元の中学校の校庭で、夏休み最後の日曜日の夕暮れ時に「夏祭りコンサート」が催された。

 今年で第16回目の北部夏祭り、夕涼みコンサートである。

 午後5時半から盆踊りが始まり、ジュースとヨーヨーとたい焼きの、ささやかな屋台も出て、幼い子供たちから高齢の地域のおじいちゃん、おばあちゃんまで、多くの地元住民が参加された。

 浴衣を着た若者達や、かわいい孫に、孫にも衣装の浴衣がよく似合い、とってもかわいい出で立ちの幼児たちが、笑顔でくつろいでいるし、おじいちゃん、おばぁちゃんたちの表情も、とっても明るい。

 そんな中、地元の青年達を中心としたK.C.Bというブラスバンドがまず、愉しく明るくリズミカルな音楽で集まったたくさんの聴衆を楽しませてくれた。

 彼らは10人足らずではあったが、思い思いの甚平さんの様な出で立ちで登場し、銀河と迷路や民謡メドレーを演奏し、途中にマジックショーや風船で作る動物プレゼントなども交えて、最後には東京スカパラオーケストラの「真夜中は純潔」を歌って場を盛り上げてくれた。

 続いて登場したのが、地元では圧倒的に有名な「大住シンフォニックバンド」で、40人ほどの18歳から40歳までの団員による演奏で、リアルフェイス、山本直純メドレー、涙そうそう、宇宙戦艦ヤマトなどを華麗に演奏し、かわいい二人の女性メンバーが司会進行を、用意したメッセージを読みながら進行させた。

 時間が経過し、多くの聴衆のもうひとつの期待は、実は、この夏祭りコンサートの中休みに実施される「ビンゴゲーム」であり、400枚限定で配られたビンゴカードを今か今かと待ちわびている子供たちの姿が、そこほかにあった。

 7時40分ごろから、待望のビンゴゲームが始まり、なかなかリーチにならなくてため息交じりの展開だったが、20以上の数字が出だして「ビンゴ!」の呼び声で男の子が颯爽と会場の前に登場し、多くの会衆の羨望の眼の中で、今回の商品で一番大きな「扇風機」に目もくれず、「花火セット」を持ち帰ったのが印象的であった。

 後半のコンサートは、前述のKCBと大住シンフォニックに加えて、これらのバンドの誕生のベースになった地元大住中学校のプラスバンド部の有志も加わっての合同演奏となった。

 総勢100人ほどのメンバーによる、スターパズルマーチ、青春アミーゴ、見上げてご覧夜の星をの3曲は、さすが圧巻であり、地元の住民達にとっても老若男女にとっても親しみやすい選曲で盛り上がり、音楽文化のよさと地元に育つ若者を誇らしげに感じるひと時となったのではないだろうか。

 最後にアンコール曲が高らかに演奏されて、聴衆として600人ほどが集まった、夏休み最後の地元のイベントは、静ずかに幕を閉じた。
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満天の星と内蒙古草原

2006年08月26日 | ガリバー旅行記
 18度目の内蒙古草原でのゲル生活の旅を終えて、昨夜帰国しました。

 現代社会で時間に追われ、車移動と携帯電話でコミュニケートに慣れて気づかなくなった「自然、時間、人間的出会い」などに対する普通の感性を再び感じる機会として、「命の洗濯」と自ら称する一年に一回の長期休暇であった。

 今年は5月に残念ながらご主人を見送られた高齢の女性と「乗り物」としての「乗馬」に魅力を感じた50代の男性と、里帰りを兼ね通訳も務めてくれた内モンゴル出身の若き女子学生と私の、たった4人の出発であった。

 内蒙古自治区の中央部のシリンホトから車で2時間ほどの草原に、中型のゲル(蒙古族の移動式住居)を二張り建て一週間以上の草原生活を展開した、同志社大学京田辺キャンパスの「エンパワメント・モンゴル」に参加した12名の男女学生と4名のスタッフが残したゲルを私達は生活の場とした。

 2つの新しいゲルで、私達とその後に草原に到着した大阪の会社員と同志社神学部の大学院に学ぶ韓国の青年などが、日本に留学して5年を経たB君一家とその親族に大いに世話になりながら、草原での牧民生活の一部を体験したのである。

 羊が300頭、牛が40頭、蒙古犬が4頭、黒豚が一頭、ネコが一匹いる草原で、B君のおじさんにあたるGさんと、二人の男の子を中心に遊びながらの生活であった。

 水汲みは谷あいの井戸まで、今回は古い北京ジープに大きな古い200ℓ入るいわゆる一斗缶と60ℓほどの青いプラ樽を積んで、バケツで何度も井戸のポンプを手で扱いで汲み上げるのである。

 食事はゲルの中央に土とレンガで造られた蒙古型「オクドさん」で、大きな鉄鍋を多用して、スーテー茶(蒙古風ミルクティー)を初め、羊の解体をして得た肉料理から水餃子や特有のパンまで作るのである。

 燃料は、周囲に適当な低木が結構ある丘陵草原で、適当に散歩がてらで薪集めをし、枯れ木や枝を集積し燃やしたが、牧民の多くはほとんどが家畜牛の糞を集めて乾燥させた無臭に近い燃料を使っていた。

 そんな水と食生活を基本に、彼らは多くの親族、友人、知人達の協力で大草原での厳しい生活を送っているのだが、「冬支度」の多忙なこの時期にやってきた我々日本人を中心とする訪問者を、フレンドリーな笑顔で歓迎してくれたのである。

 今回の牧民ガダさんの二人の息子たち、11歳のオシントゥーと15歳のシンジトゥーの男兄弟にとっては、つい2ヶ月前に突然の事故で38歳の母を亡くした直後だったが、我々と一緒に笑顔で遊んでくれたのである。

 内蒙古草原の魅力はたくさんあるが、今年の1週間は一日を除いて恵まれた晴天の下、月も夜明け前の新月前後の明かりだけのため、素晴らしい満天の天空を見ることが出来たのである。

 日本の都会からやってきた者たちは、「感嘆!」の一語を繰り返し言っていた。

 「天の川」が本当にミルキーウェイの如く、ミルクを溢した様に見えるほど、白く鮮明に見えたことに驚きを覚えたようであった。

 冷えた夜空の下で流れ星や大天体ショーを見ながら過ごしたゲル生活は、強い感動であった。
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小泉靖国参拝

2006年08月15日 | とんでもない!
 戦後61年目の敗戦記念日、遂に、やっぱり小泉首相は、意地の靖国参拝を強行した。

 首相になって5年半、毎年「公約」の靖国参拝を繰り返したが、一番「敗戦記念日」である8月15日に行きたかったのであろう思いを、任期1ヶ月余になった今日、実現したのである。

 とんでもないことである。

 そもそも「靖国」なんて国が国策の戦争を肯定する上で、政治的に作った「招魂社」を基点とする「国家神道」的施設が問題なのである。

 いかなる戦争も「正義のため」として、時の国家権力が国民を兵士に駆り立てて非業の死を迎える時に、「靖国で会おう!」なんて約束事で、個人の尊い「命」を捧げさせるための「呪文」の様なものとして、人為的に作られたものなのである。

 そんな「靖国神社」に祀られているという多くの御霊と言うが、具体的な遺骨や遺品が埋葬されているわけではなく、記帳された「戦死者の名前」が奉納され、祀られているといわれているに過ぎないのである。

 「A級戦犯」として絞首刑に処された東条英機元首相を初めとする14人の合祀された人々の「分祀」は出来ないと、靖国神社は言っているらしいが、人間の人為的行為である「祀りごと」なのだから、誤りや訂正はいくらでも可能なのである。

 戦死したとして誤って祀られていた兵士や、韓国籍の人たちや「祀られられたく
ない人々」は、分祀もしくは、台帳から抹消すれば済むはずである。

 『宗教』としての「まつりごと」そのものが、精神的『気持ち』の行為なのだから、現在を生きる人々の「気持ち」を大切にして、改めるべきことは改めるべきなのである。

 つまり「合祀」が誤りだったのだから、まず「分祀」という手続きをして、それから「国家神道」としての「宗教」と政治の分離をどの様にするかを検討すればいいのである。

 小泉首相の「公約」など、全くナンセンスな「幼児的発想」「頑固さ」以外の何物でもない。

 「自民党をぶっ壊す!」と威勢よく首相になった小泉首相の「公約」など、いつの間にかどうでもよくなってしまうほど、構造改革や規制緩和という名の下で、多くの外交軋轢と内政的には「格差拡大」を進めてきたに過ぎないのである。

 第二次世界大戦の敗戦記念日に、自らの意地と公約を実現したという、小泉純一郎なる人物、そのものが自ら、先の大戦を起こしてしまった日本政府と軍部と同等の考えを露呈したに過ぎないのである。

 ちょうど朝のNHKテレビ小説「純情きらり」では、戦地に徴兵された恋人や弟への思いで揺れ動く、桜子という主人公を中心に、戦時中の国民の「気持ち」が綴られている。

 誰もが「お国のため」なんかで、死にたくない。死なせてはいけないのだ。

 「靖国」に祀られても、何も解決しないのである。

 ※明日から10日間、恒例の内モンゴルツアーのためブログ「ガリバー通信」は、夏休みです。
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お盆を家族で。

2006年08月14日 | 季節の話題
 「お盆」である。日本国中で、いろんな人たちが「お盆」を過ごしている。

 多くは、「夏休み」と同義語になりつつあるが、そもそも「お盆」は、仏教的信仰としての「先祖の精霊を迎え、追善の供養をする期間」なのである。

 何と、OBONとは、盂蘭盆会と正式には言う、インドはサンクリット語のウラバンナ(逆さづり)と言う言葉を漢字で音写、つまり「ぼん」を取って、丁寧に「お盆」としたものなのである。

 ということは、地獄で逆さづりで苦しんでいる人を救うためにする宗教行事なのであって、旧暦の7月15日を中心に、推古天皇の時代から日本では宗派によって、いろんな形で営まれてきた「先祖の供養と先祖崇拝」の行事なのである。

 私も、毎年恒例になった中国、内モンゴルの大草原へのツアーの前に、大阪の実家の墓所へ「墓参り」に行くことが習慣となっていて、今年は本日14日に、高齢となった母親と4人の姉妹とその主人たち、家族が9人集まったのである。

 普通は13日に「迎え火」を焚いてご先祖さまを迎えて、16日に「送り火」でご先祖さまにお帰りいただく迄の4日間を、僧侶のお経や飲食の供養でもてなす必要があるのだが、私達は一同で墓掃除をし、皆でお参りをして、記念撮影を「お墓」と共にして、お昼を一緒にいただいたのである。

 その席で、いろんな家族、兄弟の今や、37年前に亡くなった父を偲ぶ話をしながら、母親は今年90歳になるので、「卆寿」の祝いを兼ねての温泉一泊旅行の計画やら、50代から70代になる各々の夫婦の「墓問題」が話題となった。

 夫婦といえども、お互いの宗教やお葬式、どの墓に入るか等の意見や希望が違う場合もあって、キリスト教式や仏教式、また無宗教な形を望む者など様々であり、この機会に、じっくりと夫婦であっても、同じお墓に入るか否かを話し合う必要もある様であった。

 話は少しそれたが、「お盆」という日本的な伝統、習慣は、いろんな形で継承されていると思われるが、昔から「盆と正月」といわれた様に、丁稚奉公などの職人やお店に雇われた使用人などは、この時期に親方から小遣い銭を貰って、実家に帰ることを許されたわけだ。

 しかし同様に、嫁入りした女性も「薮入り」と称して、昔は盆と正月だけ、実家に帰ることを許されていたみたいなのだが、少なくとも第二次世界大戦敗戦後のニッポンは、嫁いだ女性も強くなって、現在では、いつでも実家に帰ることができる時代となっている。

 中には実家に婿さんではないが一緒に住むという、「サザエさん」的な現象も増加していて、「盆と暮れ」に実家に帰る必要もなく、逆に「盆と暮れ」には、海外旅行というファミリーも多くなっているようである。

 「海外旅行」もいいが、是非「ご先祖さま」を敬い、ご先祖様を大切にする『心』だけは忘れずにいてほしいものである。
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新グレートジャーニー!

2006年08月13日 | テレビマスコミ
 昨夜テレビで「関野吉晴・新グレートジャーニー・日本人が来た道、北方編」を観た。

 2時間余、久しぶりの感動と共に、同世代の男のロマンとエネルギーに多くの触発を受けたのである。

 関野吉晴氏は1949年生まれの57歳。東京都墨田区生まれで、小学校教師の父に厳しく育てられ、大学進学までは自由に旅もすることも出来なかった少年だったそうだが、一橋大学法学部に入学後自らが探検部を創設して、アマゾンの全域探索隊長を皮切りに、探険家としての道を歩み出したらしい。

 彼を有名にしたのは、人類誕生のルーツと言われるアフリカを基点とするグレートジャーニーの旅であり、1993年よりアフリカ、ユーラシア、北米、南米と5万キロに及ぶ「人類誕生」の経路を辿り、自転車やカヤックなどの自分の力での10年に及ぶ旅をしたことである。

 この間、中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、多様な形での冒険の旅を繰り返して、行く先々で宿泊や食事の世話になったお返しにと、横浜市立大学医学部に再入学して外科医となり、国内の病院での嘱託医を務めては、海外に旅する繰り返しの人生となったという。

 現在は、武蔵野美術大学の教授として「文化人類学」を研究、教える立場で、数々のフィールドワークとも言える、冒険の旅を続けておられるのである。

 今回の番組では、「日本人の来た道」と題して、3回のドキュメンタリー映像が放映されるらしいが、「北方編」として、ロシアのブリヤートモンゴル族を基点として、シベリア、サハリン(樺太)、宗谷岬、稚内の旅が、一番私には興味深く見ることが出来た。

 しかし冒険の旅の凄さは尋常ではないが、常にテレビ映像クルーが随行している「冒険の旅」には、少し疑問を感じざるを得なかったのも正直な感想であった。

 私がこの20年近く、魅せられて行き続けているのは、中国内モンゴルなのだが、「何故モンゴルなの?」と聞かれることが多いのだが、私は「そりゃ、日本人のルーツだからだ」と答えることにしているのである。

 1988年に中国、内蒙古に行きだした前後に、「日本人の源流」という大阪医科大学の松本先生の新書を読んだことがきっかけで、現在のロシア共和国のバイカル湖の畔に住むブリヤートモンゴル族が、日本人の血液型のDNA的パターンとして一番近い存在であり、間違いなく「蒙古斑」のある日本人のルーツとしても一番近い民族であることと確信したからなのである。

 それ以来、ほぼ毎年「真夏の恒例行事」の如く、いやライフワークの様に、内モンゴルの大草原へと、「この指たかれ」方式で約10日間の旅を企画し、草原での遊牧民のゲル生活を中心に楽しんでいる。

 関野吉晴氏の冒険魂とエネルギー、文化人類学的考察には学ぶべきところが一杯あるが、私達は素朴に、「日本人の源流」である蒙古族との交流を楽しむ日々を一年に一度「命の洗濯」と称して楽しむことにしている。
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日航機墜落から21年

2006年08月12日 | 季節の話題
 あの日本航空、羽田発大阪伊丹行きのJAL123便が長野県御巣鷹山付近に墜落した、1985年8月12日から満21年が経った。

 操縦不能に陥り迷走した後に、暗い森に墜落炎上した、航空史上最大の520名もの乗客、乗員の命が亡くなった衝撃的な大事故から21年である。

 その当時の阪神タイガースの球団社長が、この事故に遭遇し還らぬ人となって、その年阪神タイガースは21年ぶりにセリーグを制覇し、日本一にもなったので、私達タイガースファンにとっては、ことのほか記憶に強く残っている航空機事故である。

 あの当時、私は仕事として関わっていた、ある財団の全体会議で地方の宿泊地にいて、夕食後のロビーで「日航機の行方不明」のテレビ実況報道を見ていたのである。

 たぶん日曜日だったため、阪神タイガースのナイターも中継されていたのではないかと思うのだが、それどころでない大騒ぎの日航機ライブ中継を夜八時過ぎに見ていて、「墜落した模様」とのショッキングなニュースに驚いたのを忘れはしない。

 524名の乗客、乗員という大型ジャンボジェット機の未曾有の大事故によって全員が死亡かと思われたが、4名の奇跡的な生存者がおられ、全てが女性であったことも記憶に深く残っている。

 その数奇なと言っても過言ではない生存者として、命を救われた各々の人生は21年経った今、どうしておられるのだろうか。私の記憶が間違っていなければ一番若い生存者として、川上さんという14歳くらいの女の子がいて、その後看護婦さんになりたいとのコメントが報道されていた。

 どんなニュースや報道にも、その背景に多くの関係者並びに家族の人たちの人生があり、大事件や出来事であるがゆえに、その影響で人生が大きく変化しただろうと思われる一人、一人の人生があるはずである。

 私は覗き見主義的に、その人たちの人生を知りたいとは思わないが、とんでもない予期せぬ出来事に遭遇した、この被害者である墜落犠牲者の中には、墜落までの短い時間に「遺書」となるメモをしたためた人も数人いたようである。

 誰もが、家族、妻、子供たちに、「しっかり頼む」、「任せた!」、また「残念だ」、「怖い」等と死を意識した短い瞬間の思いを綴られているのである。

 私達の日常生活においても、たまに「死ぬ気で頑張れば」と言われたり、思ったりすることがあるのだが、本当に「死ぬ気」などのリアリティーに接することは稀である。

 524人の各々の死の恐怖と、ため息を少しでも頭に浮かべて、ご遺族、関係者の今日を改めて想像しつつ、私達は「死ぬ気」でやるべき課題や人生について、考える時としようと思う。
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