ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「元気」を届ける!

2012年10月30日 | イベント
やっと残暑から抜け出したら思ったら朝晩を中心にとても冷え込み、昨日は京都でも「木枯らし1号」とかいう冬を感じさせる風が吹いて、秋が深まるというよりも早くも冬の到来を予期する気候となり、特にお年を召している方々には寒さが堪える季節となってきた。

 私はいたって元気に毎日多くの方々のお宅に宅配のお弁当を届けているのだが、週末は今年で18年目に突入した移動販売の自然食やおやを続けているので、月曜から土曜日まで平日は多数の高齢者にお会いする仕事をしている。

 そんな仕事を通じて知りあった方々だけでなく、市内と近隣の町にお住まいで親しくなった人生の先輩たちがたくさんおられ、自分の母も今年の暮れで96歳を迎えるのだが、それなりにお年のご高齢者の方々が、体の不調や病気を患ずらっておられなくとも心配になって、仕事なのかそうではないのかわからないが、よく通りすがりにお訪ねすることが多くなった。

 いつも気になっている元大学教授の老夫妻をはじめ、ご主人に先立たれて独り暮らしの老婦人、いつもいろいろと励まして下さったり、私の訪問と元気な声のお喋りを喜んで下さる老夫妻などを訪ねては、いろいろとお話をしながら、朝晩の冷え込みを感じる季節になったので、お大事にと告げて帰るのが日常となっている。


 元大学教授の私にとっては地元での父、母のように慕っている老夫婦を訪ねると、先生は笑いながら自分の身長が元気だった頃から比べると何と13センチも縮んだとおっしゃって、確かに奥様より小さくなられた感じで、年をとると体も小さくなることを立証されているが如く自笑されていたが、近くに息子さんたちがお住まいとはいえ、私の定期的な訪問を我が子の如く喜んで下さった。

 独り暮らしの老婦人は心臓が弱く、何時ぞやは「救心」を買いに走ったことがあったが、先日は玄関先でお呼びしたら家の中から、「しんどいねん」という返答が聞こえたので、「失礼します」と言ってお家に上がると、彼女は食堂のソファに横たわっておられ、しばらくゆっくりとお話を伺うと、昨日ご親戚が訪ねて来られたが帰られたのと、息子さん夫婦が約一週間海外旅行されていること、そして何よりも大事に飼われている猫ちゃんが朝から外に出て行って帰って来ないことなどが重なって、寒さと寒暖の差も手伝って「しんどい」感じでおられた。
 しばらくお話を聞いて、「水を!」との求めに応じて、私が台所から水をコップ一杯汲んできて、口にされたら少し落ち着かれて、お薬を飲んで近くにあったカーディガンを肩にかけてあげたら、ちょっと楽になったと仰っていただいた。

 「また来ますから」と別れを告げて、次に伺ったのは近くにお住まいの老夫婦のお宅だったが、ご主人が先週急に気を失われて前のめりに倒れられたことから、現在は検査のために大阪の病院に入院されているので、奥様に旦那さんの様子を伺がった上で、日曜日に自分の母を訪ねるために大阪に行ったついでに、お見舞いのご機嫌伺いに行くことにした。

 いろんな人との出会いから、自分自身が励まされたり支えられたりして、自分の元気さとお喋り好きの性格が少しでもお役に立つならばといった気軽な思いから、多くのお年寄りとの出会いを大事にしながら、自分の出来る範囲での言葉かけや明るい話題のお喋りを続けて行こうと思っている。

 自分勝手な高齢者の方々への「声かけボランティア」の様な役割なら、現在自分自身が幸いにも健康で元気なので、当分は少し遠慮しながらでも密かな楽しみのひとつとして自覚しつつ、続けて行こうと心に誓かっているのである。

 今年の夏は我が家の苦瓜があまり出来なかったのだが、いつもお弁当を届けている隣町の御年配の男性から、ご自分が育てられた元気な「ゴーヤ」をたくさんいただいたこともあった。感謝。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

困った爺さん!

2012年10月29日 | ちょっと可笑しいよ
三日前に突然、石原慎太郎都知事が記者会見し、任期半ばまだ2年以上を残して都知事を辞任し、石原新党なるものを結成して、再び衆議院選挙に政党条件を満たせば比例区で立候補して、日本の没落を救うために戦うのだと公表したのである。

 80歳に先日なったばかりなのだが、どうやら自民党の総裁選挙で息子の石原伸晃当時幹事長が安倍新総裁の再出馬に負けてしまい、野田民主党も安倍自民党もだらしないから、自分が最後のご奉公をすると粋がって第三極の結集を目指して親分になるという、相当思いあがった宣言をしたと感じた。

 芥川作家として太陽族などと言われた時代の落とし子であったのだが、石原裕次郎の兄ということもあって絶大なる支持者に支えられて、東京から衆議院議員に当選し、参議院議員とあわせて25年の国会議員表彰を受けて、その国会での演説で国会議員を辞職することを宣し、その後東京都知事を3期12年務めて、昨春に引退かと思われたのに再び「やる」と出馬、当選したのにも関わらず、中途半端に「投げ出す」結果となった。

 国会議員としても環境庁長官や運輸大臣という大臣経験はあるが、当時「青嵐会」と称した非常に右翼的な思想を背景にした施策を目指していたし、自民党の中でも特異な存在だったのだが、国会議員、都知事という政治家として権力を行使する立場から、障碍者や中国、韓国などアジア諸国の人々、またホームレスや社会的弱者に対して、とても差別的な言動や行動をとるというおっさんであったと記憶している。

 今回の新党結成に向けてのスローガンでも、憲法を米国に押し付けられた憲法と断言し、世界に名だたる平和憲法を全く評価せず、新憲法を制定すると語り、つまり軍隊を持ち戦争の出来る日本、アメリカにでも追従せずに軍事力で対等に交渉できる国にしたいらしいし、原発についても当然必要との見解を示している。

 政策面での考え方や個人の人格をとやかく言うつもりはないが、どう見ても現在まで政治家として生きてきた人と言うよりも、自分は芸術家気取りで、自分より偉い者はいないと思っている、やたら上から目線ばかりのお爺さんなのである。

 田中真紀子現文部科学大臣に言わせば、間違いなく「老害」の如く語られていたし、平沼赳夫氏を代表とする「立ち上がれ日本」と合流する形で、現職の国会議員5人以上という政党条件をクリアして、次の総選挙にのぞむらしいが、平均年齢はゆうに70歳を超える「超老人政党」の誕生となるのである。

 ともかく、記者会見でも苦笑いしながら、「なんでこんな年寄りがやらなければならいないのか」、「もっと若い奴が出て来い!」と言いながら、多くの記者に取り囲まれてのインタビューを楽しんでいる様子であり、橋下「日本維新の会」や渡辺「みんなの党」、また河村名古屋市長の「減税日本」などとの連携、連帯を目指しているらしいが、まったく期待するところはない。

 80年の人生で、政治的には晴れ舞台におられたが、新東京銀行の大失敗や東京オリンピック誘致運動の挫折なども含め、東京都知事としての功績もあまりなく、ただ威勢のいい勝手なええとこの坊ちゃんが、間違って直木賞など貰ったものだから、調子に乗ってしまって、ここまで自分が一番偉いと思ってしまう爺さんになってしまった感が否めない方である。

 ようやく始まった臨時国会で、野田首相は衆議院本会議での施政方針演説をし、問責決議をした自民党、公明党などの反対で、参議院では演説ができなかったらしいが、施政方針演説などは1度でよく、肝心なのは国民のための政策推進の実質的議論と法案の成立であり、総選挙をめぐる解散要求などの攻防はやめ、国民目線の国会に早く戻して税金泥棒の国会議員と批判されない役割を、ちゃんと果たしてほしいものである。

 新党や既成政党とか○○党に期待なんか、とっくに国民の多くはしていません。ましてや老害的政治家の出番はもううんざりです。新党を作ったり、幾つになっても立候補するのは自由ですが、国民、有権者を舐めたらアカンぜよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神、藤浪獲得!

2012年10月25日 | プロスポーツ
今夕行われた、プロ野球ドラフト会議で、我が阪神タイガースの和田監督が、4球団が一位指名して獲得の意思を明らかにしたのだが、くじ引きで念願の高校球児「なにわのダルビッシュ」と称された今年の甲子園優勝投手である、大阪桐蔭の藤浪晋太郎投手を引き当てて、ガツツポーズで喜びを表わした。

 我が阪神タイガースの今シーズンは、言わずもがなの最悪と言っても過言ではないペナントレースでセリーグ5位に甘んじてしまったのだったが、ファンにとって最後に大変喜ばしい知らせが待っていたというべきか、私はテレビのドラフト会議中継を見ていて、過去12年間一位指名競争では、くじ運からは見放された格好で敗者というべき憂き目を味わって来たので、今度こそ今年こそという願いはあったものの、まさか「当たりくじ」を引き当てるなんて奇跡が起こるとは信じがたいほど、嬉しく思ったのであった。

 今朝は職場の同僚とドラフト会議について世間話的に話していて、12連敗したのだから今年は必ず引き当てて、13連敗はないと思うと言葉では言っていたが、まさか予想通りに獲得の権利を得るとは驚きというべき喜びであった。

 今シーズンは阪神が勝利したら、ささやかな喜びとしてビールか焼酎の缶を1缶開けて、妻と乾杯するというささやかな恒例イベントを実際に行うことが、記憶では10回ほどしかなかった様に記憶しているのだが、今回は試合での勝利ではないが、久々に夕食時に「おめでとう!」の乾杯を期せずしてしたので、一時間ほど夕食後は眠ってしまった。

 大阪桐蔭の藤浪晋太郎投手は身長197センチで、東北花巻東の大谷投手と並んで、今年の高校生ドラフトの目玉だったのだが、大谷投手が事前にアメリカ大リーグへ行くことを決意したしたと記者会見したことで、日本ハムはそれでも強行に一位指名はしたものの、ドラフト会議では現実的な可能性としての藤浪投手を、オリックス、ロッテ、ヤクルトと阪神の4球団が第一次選択選手として指名したので、後はくじ運のみの決定を待ち、見事に和田監督の手で「当たりくじ」が引かれて大満足の大勝利となった。

 まずは一安心というドラフト会議であったのだが、2位指名においても甲子園で活躍した光星学院の北条内野手を指名獲得し、阪神タイガースにとっては、来期以降に夢をつなぐ補強となる見通しが生まれ、最近にないドラフト会議での収穫の多い今年となり、低迷し続ける阪神タイガースにとって、ましてやファンにとっては、とても楽しみな来シーズン以降となることが喜ばしい。

 早速、沖縄にいる息子夫婦と市内にいる娘にもメールを送り、喜びを伝えるとすぐさま、沖縄の息子の嫁からは来春の沖縄宜野座キャンプが楽しみとの内容の返信が返ってきた。

 ついでと言ったら叱られるかもしれないが、サッカーJリーグの地元京都サンガも、本日J2の試合で徳島を破って、今のところ2位をキープし、残りたぶん3試合でのJ1昇格への期待が濃厚となったという、サンガの熱烈なサポーターからのメールも届き、我が阪神タイガースにとっても、サッカーの京都サンガにとっても、来シーズンに向けての新しい門出の記念すべき日となっと喜んでいる。

 あの憎きライバル巨人は、原監督の甥っ子かしらないが、またもドラフト浪人をしての巨人入団を確定した某投手の獲得が報じられていて、いつまで経っても、プロ野球界は巨人が中心という、ナベツネ色、巨人スピリットと称する「すね癖」、独断と偏見とひとりっ子的球団とでも言うべき勝手気ままなドラフト会議への参加という印象を拭うことが出来ない結果となっていた。

 img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/f0/3cb5ee8d7a8af7c8ecd49f00161f5a12.jpg" border="0">
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は国際反戦デイ。

2012年10月22日 | イベント
 10月21日は、私たちの世代にとっては「国際反戦デイ」として記憶に強く残る日であり、たしか1966年に日本の労働組合の総元締めだった「総評」がベトナム反戦統一ストを実施した日であり、同時に全世界の運動団体などにも当時のベトナム戦争反対を呼びかけて、ジャン・ポール・サルトル氏が、世界の労働組合で初めての「ベトナム反戦スト」だと総評を称えたと言われている。

 その日は、その後新左翼と呼ばれた学生をも含む街頭闘争などによって、1968年、69年と受け継がれて、東京新宿駅などを中心に騒乱、暴動などに至って、そもそもの反戦デモを超えた事件まで引き起こす日となった。


 やがて、左翼運動の退潮などによって、大衆からは忘れられた記念日となった様だが、私の脳裏には今も「10.21」は、国際反戦デイとして記憶に残っていて、今年も全国各地とはいかないまでも、この日を覚えて集会やデモを行ったところもあった用でる。

 特に沖縄県においては、例のオスプレイの普天間基地への強行導入に対する県民の反対運動に加えて、またも起きた米兵による女性への性的暴行事件に対する怒りが重なって、たいへんな反対運動、つまり米軍基地の撤去と米軍の退去を含む根本的な沖縄差別の是正を訴える声が、日増しに高まっていて、ただ単なるオスプレイの配備反対や女性への暴行犯の米兵の処分などでは収まらない激しく悲痛な叫びが大きいた。

 この国際反戦デイの最初だった1966年には、総評が秋期闘争の第三次統一行動としてベトナム反戦を中心とするストライキを実施し、48単産、約211万人がストに参加し、91単産308万人が職場大会に参加したそうで、総評の内外への呼びかけに対して、国内から350人近い各界からの知識人や著名人が支持声明を出したり、世界各国の労働組合などからも連帯のメッセージが寄せられたという。

 その後も日米安保体制反対のスローガンを中心に、数年の間は国際反戦デイは続いていたのだが、バブル期に向かう頃からは、どういうわけか運動の動きは目立たなくなって、国民総経済人の如く、自分たのか、の金儲けか会社人間化してしまったのか、大きな津波に飲まれてしまったようにカゲを潜めてしまった様であった。

 あの学生、労働者を中心とする憤りと反対の嵐のエネルギーは何処へ行ってしまったんだろうか。

 今から半世紀近く前にあった、学生、労働者の怒りと政治や経済に対するエネルギーは、いつのまにか拡散してしまって、沖縄問題として矮小化されてしまつているとすると、誠に情けない気持ちでいっぱいである。

 尖閣問題などで中国や韓国と我が固有の領土などと言い争っているばかりではなく、日米安保条約で規定されている数々の日本の自治や国民の権利が踏みにじられている様な不平等な内容を、この機会に正々堂々とテーブルの上での議論に乗せて、一方的なアメリカの利害や言い分を認め続けるのではない、Noを含む建設的な内容の改定と基地の縮小、米兵の撤退などの具体策を詰める必要があるのではないだろうか。

 普天間基地の返還がうたわれて十数年、辺野古への代替基地なども要らないから、どうぞ速やかに米軍が日本から出て行く将来を見据えたプロセスをぜひ、沖縄県民だけでなく日本国民に示してほしいものである。

 民主党とか自民党とかの選択ではない、近未来の日本の政治の基本姿勢を基地も含む安保体制の矛盾と原発廃止に向けて動き出してと強く願わざるを得ないのである。

なんと、自民党は徴兵制についての検討を始めているとのニュースが俄かに伝わる国際反戦デイであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エレベーター事件!!

2012年10月21日 | とんでもない!
今日は秋晴れの素晴らしい天気だったので、私は大阪の有料老人ホームに入居している母を訪ねて行きました。

 朝方はまだ寒さを感じる気温だったので、長袖てのシャツに薄いジャンパーをはおって出かけたのですが、あまり天気が良いので最寄の駅から歩いて約2キロほどを歩いて、母の生活の場に着いたので、暑さを感じてTシャツ一枚になって、いつも首からぶら下げている携帯も母の部屋に置いて、車椅子の母を押して施設内を散歩していました。

 同施設に入居されている顔見知りのおばぁちゃんが声をかけて下さったので、母と共に初めて屋上に上ることとして、職員の方がエレベーターを呼んでくれたので、二人で屋上階に初めて行きました。

 屋上スペースの広場に出ると、とても暖かくて少し風を感じましたが、気持ちのいい青空をバックに、ただいま建設中の「あべのハルカス」が見えて、母もとても嬉しそうに高い建物や町並みをしばらく見ていましたが、背中が暑いというので、日向ぼっこは切り上げて一階に下りようと思いました。たのです。

 しかしです。大変なことに気づきました。

 老人ホームの施設内は、ドアや玄関口などの出入り口には、入居者の無断での出入りをさせないためのセキュリティ的目的で、番号入力をしないとドアの開閉や出入りが出来ないシステムが取り付けてあったのです。

 狭いエレベーターホールに車椅子を入れて、何度も暗証番号ではないかと思う4桁の番号を入力してはみたのですが、全てエラー表示が出て、屋上階にエレベーターを呼ぶことは出来ないばかりか、携帯電話も持参していなかったので連絡することも出来ない状態で、大変困ったこととなりました。

 何とか、人のいる階下に連絡しなければ、降りることが出来ないばかりか、逆に言えば私が母を最上階に換金している状態となってしまい、何と手か地上の道行く人にでも知らせて、施設の職員に気づいてもらわねばならないと思って、何度か屋上から下界に向かって大声で叫びましたが、誰もまさか屋上から助けを求めているなんて思わないから、気づいてはもらえませんでした。

 約一時間余が経過して、母も早く降りたいと声を出していたので、最後の手段として屋上階にあった長い竹竿に赤いお祭りのはっとぴをくくりつけて、何とかひとつ下の階の人のいる窓に吊り下げて知らせようとしている時に、やっと気づいてくれた職員の方がエレベーターで迎えに来てくださいました。

 とても不安な一時間余を母に過ごさせた結果となったのですが、何とか無事日常の生活空間である一階に戻ることが出来て、少しいつもよりは遅い昼食となつたのですが、母はあまり気にせずに昼ごはんをいただきました。

 私は一時は知らせるための最後の手段としては、非常の際の消防通告ボてタンを破ってでも知らせなければと思っていたのですが、それは回避できて、安堵の気持ちでいっぱいになりました。

 セキュリティのためとはいえ、私たち訪問する家族にとっては知らなかった暗証番号を、今後のためにと教えていただいたので、今後は安心して屋上にも上れるとは思いますが、あべのハルカスは日本一の高さを誇る地上300メートルの近鉄百貨店やホテルの新しいビルとなるもので、大阪天王寺の新しいランドマークとなることは間違いありません。

 あぁ、監禁事件や非常ベルの大騒ぎとならなくて良かったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天邪鬼」は独立心の強い子

2012年10月17日 | イベント
 先日大阪に行った際に、ご本人からご案内をいただいていた、知人の西村公泉氏の「天邪鬼は無邪気」と題した木彫展を難波高島屋の美術画廊に見に立ち寄った。

 彼は東京藝術大学大学院彫刻科を卒業し、研究生も修了した作家なのだが、有名な仏像彫刻家でもあった父、西村公朝氏の息子でもあり、僧職の立場もある仏師のひとりなのだが、彼の作品は従来の仏さんを彫る仏師とはちがうユニークな独特の作品を生み出しているアーチストでもある。

 今回の天邪鬼を題材とした木彫の彫刻作品の全てが青空に遊ぶ童子として彫られていて、私が見た感想としては何だか木彫のガンダムかと思う作品から、キントン雲に乗った孫悟空の如き姿かと見間違える様な作品もあって、自由闊達に大空を飛び回る「悪餓鬼」とでも言うべきヤンチャな子供の姿がたくさん作品として展示されていた。

 それぞれの作品に表現されている天邪鬼は、一輪車に乗っていたり、サーフボード、バイク、自転車、縄跳びなどの遊びをしている無邪気な顔立ちの子供たちばかりで、それぞれの童子には天を自由に飛べる魔法の羽衣とでもいうべき、布切れのようなスカーフの様なものがついていて、本当に大空を夢見て飛んでいるような作品ばかりだった。

 しばらくの間、久しぶりにお会いした作者の西村公泉氏と会場でお話ができたのだが、最近の子供たちはあまり自由闊達には遊んでいない様だし、いじめ問題がクローズアップされているが、多くの友達との人間関係などが少なく、自分勝手とでも言うべき自分の世界に閉じこもっているケースとが多いのではとの思いを感じ、もっと大胆に子供らしく「悪餓鬼」風に遊ぶことが重要ではないかと話したのであった。

 幼い時からインターネットや携帯、テレビゲームなど、デジタル機器が回りにあって、自由にそれらを利用したり活用して遊んだり、ゲームしたり、情報集めをしたりと本当に現代の子供は物知りかも知れないが、肝心要の他人の心や気持を察っしたり、おもんぱかったりすることが経験的に少なく、いざと言う時に相手の気持ちや思いをイメージしたり、配慮したりすることが苦手なのではないだろうかと思うのである。

 今日も職場で何故か、「やんちゃ」とか「おてんば」という少年、少女時代の話になって、自分自身の幼稚園、小学生の頃を思い起こしては、間違いなく「やんちゃ坊主」と言われていたのだろうと思ったのだが、大切な幼少期にやんちゃやおてんばをしていなかった少年、少女が促成栽培の如く大人になってしまうと、とっても危うい成人になるのではないかという思いがしてならないのである。

 西村公泉氏の作品作りには、故人となられた父公朝氏が夢でたびだひ登場するらしいのだが、彼は偉大な仏師であった公朝氏との対話を通じて、童子の姿をした新しい姿の仏像作品として世に送り出す仕事をしていると思うのだが、私自身も常に子供の如く素直になる心を大切に、仏心かキリストの想いかは知らないが、他人にしてほしいと思うことを他人にせよという教えと共に、無邪気に天邪鬼な日々を送りたいと、公泉氏の作品に触れて、再び思ったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「うそかまことか」

2012年10月16日 | テレビマスコミ
 ノーベル医学生理学賞を受賞した、京大のiPS細胞の研究者である山中教授の功績と栄誉が日本国中に喜びの嵐のように爆発した直後に、何と東大特別研究員?と称する男が、このiPS細胞の臨床的手術を昨年に6例もアメリカで行ったと公言したのを、読売新聞がスクープ的特報として朝刊のトップで報じたことから大騒ぎとなった事件が、ほぼ全面的な「嘘」であったことが漸く判明した様である。


 そもそも、山中教授をはじめとするiPA細胞の研究は6年前に発表されて以来、地道な日夜の努力と数多くのマウスなどによる臨床実験などは経ているものの、まだ人体に直接関わる病気や症状に対する利用には至ってはいないのだが、それを人間の心臓移植に応用したなどという、一見画期的と思える臨床がなされたという戯言に、何故に大手新聞社が踊らされてしまったのか、その背景には新聞業界やマスコミ報道でのスクープ的報道を競う様な精神があったのではないだろうか。

 「相田みつお」の言葉にもある様に、「そんかとくかは人間のものさしだが、うそかまことかは仏さまのものさし」とある様に、よーく見つめて実際に起きたことなのかどうか、所謂裏を取るという取材をきっちりとしてさえいれば、テレビ報道に登場する御仁が自称研究者と称してはいるが、いい加減な怪しき人物であったことは一般の素人視聴者でも一目瞭然といった感じの事件であった。

 何故に、人間は騙されるのか、また嘘を見破ることが出来ないのか?

毎日報道されている新聞、テレビを中心とするマスコミ報道を垣間見ていると、ともかく他人を信じてしまって判らなかったとか、いつのまにかそういう言葉に騙されてしまったとかという、信じられない様なプロセスが多すぎるような気がしてならないのは、私だけではあるまい。

 先の相田みつお氏の言葉ではないが、人間は損得に振り回されている場合が誠に多いようだが、もうひとつはマインドコントロールと称される様な雰囲気の中で、気がつけばそうなっていたといったケースであり、振込め詐欺や多額の投資話で儲かるといった誘いにのったものなどである。

 今回の嘘を演出した輩は、いったい何が目的だったのだろうかと疑いたくもなるようなケースだが、山中伸弥教授のノーベル賞受賞にあやかって、自分もマスコミの寵児として取り上げてほしいと思った幼稚な名誉心からだったのだろうかとさえ思うのである。

 人間にはいろんな欲があって、特にお金持ちになりたいとか人から評価されたいとか、素朴な夢や関心が悪いとは言えないのだが、それにはそれなりのプロセスや努力、段階があってしかるべきであり、突然宝くじやひょうたんから駒といった感じの栄誉が得られるわけではないのだが、せっかちなのか短絡しているのか、ともかく自分の意のままに行かないケースで、身近な人を殺したりなぐったり、またはののしったりするケースが異常に増えている様に感じている。

 もっと人間の良さ、つまり正直に生きることを通じての多くの出会いや出来事を素直に喜ぶことの出来る感性を育むことが、今は一番大事な気がするのだが、日々の日常生活の中でささやかでも喜びや楽しみを感じる感性、つまり心が感動したり感激したり出来る出来事に遭遇した時に、感謝と生きてて良かったと思える自分でありたいと思うのである。

 たとえ、小さな嘘や本当?なのかと疑ったり迷ったりすることがあっても、感激する心、感性があれば他人が不快になったり、妬んだり攻撃したりしたくなる様子にはならないのではないかと自問自答しているのである。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「沈黙の春」朗読劇。

2012年10月14日 | イベント
 宇治のハンディのある青年たちの作業スペースである、「ゆめハウス」を会場に音楽朗読劇「レイチェル・カーソン物語」が行われるというので朝から昼過ぎまでは大阪に用があって出かけていたのだが、急いで帰って車で3時半の開演に間に合うようにと出向いた。

 レイチェル・カーソンの名は、自然保護活動を全米だけでなく全世界に広げたと言っても過言ではない立役者で、1962年に発刊された「沈黙の春」の著者で有名なのだが、その背景や思いとプロセスを何と「音楽朗読劇」という形で実演するというので、とても興味が沸いたので参加したのである。

 毎週土曜日に自然食やおやでお邪魔しているゆめハウスなのだが、決っして広いスペースとは言えない空間に、約50名近い観客が集まり、半日で二回公演されたのだったが、とても新鮮で引き込まれる様な素朴な演出の中で、男女二人の役者さんがレイチェルと玲子、また医師と編集者役の二役を演じながら、キーボードの演奏も背景にあって、歌もあるという展開で、約1時間半の舞台が演じられたのである。

 ストーリーは、ナガノユキノさんの演出で、入院中の日本人で、身を病み生きる意欲を失いかけていた加藤玲子という患者さんと小川医師が会話する中で、医師が差し出した「センス・オブ・ワンダー」というレイチェル・カーソンの一冊の本を渡したことがきっかけで、レイチェル・カーソンの世界へと誘われるというものだった。

 「沈黙の春」というセンセーショナルな著書は、農薬や化学物資の害や自然に対する影響を告発した内容なのだが、今から半世紀ほど前には誰もが告発したり問題としていなかった時代だったので、農薬会社や企業からの大きな抵抗や逆告発的反発もあったのだが、その当時の米国大統領であったJ・F・ケネディも評価したこともあって、全米だけでなく全世界に公開され、人間と全ての生物との共存を論じた内容などから、動物愛護協会よりアルベルト・シュバイツァー賞を受賞するなどして、レイチェルの死後のカーター大統領時代には、レイチェル・カーソンは、「地球の恩人」と称される様になったのである。

 その音楽朗読劇は、男女二人の俳優さんで演じられていて、何処でも観たい知りたい聴きたいと思う人たちがいると出かけて行くというスタイルの簡易な演劇活動でもあるようだが、とっても暖かな雰囲気の中で、中身の濃い考えさせられる言葉やフレーズが随所に散りばめられている演出がなされていて、特に私は次の言葉に感銘さえ覚えたのであった。

 「知ることは、感じることの半分ほどの意味しかなく、さほど重要ではない」という言葉であり、学力や知識は無駄であったり意味がないわけではないが、感じることの出来る感性を持ち合わせていることの方が重要なので、学歴や物知りであることよりも、自然界に生きる生き物のひとつである人間としての自然の感性、つまり敏感な危険を察知する能力やオカシイと思う心、感性が大切なのだろう。

 この音楽朗読劇を鑑賞して、私は自分自身が何故に自然蝕やおや、つまり有機農産物と無添加食品のささやかな移動販売を始めて18年目になるのだが、その動機の背景に気づかされたと言ってもいい感動さえ覚えたのであった。

 最後に、レイチェルは沈黙の春を著した二年後になくなったのだが、育てていた13歳になるロジャーという少年に対して「苦しい時には森へ、または嵐の海へ行きなさい!」という言葉を残しているというのだ。困った時や苦しい時は、自然に聴けということだろう。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体内年齢40歳!?

2012年10月13日 | 感じたこと
やっとこさ秋を感じる季節となったこともあって、およそ10年ぶりに地元の体育館のトレーニングルームへと出かけた。

 今年の夏前からはじめた新しい仕事ではあるが、夏の間は外回りと言うこともあって、汗をよくかき日に二度もTシャツを着替えることもあったのだが、ここ数日前からの秋風を感じる気候となったので、思い出した様に体を少し無理やり動かせていじめたくなったのである。

 と言えばかっこいいのかもしれないが、実は先日の健康保険の無料健康診断で、なんとなんと「メタボ予備軍」なんて指摘を受けてしまったことがあって、ちょっとでも自分の体の健康維持と共に体を鍛えて、本当のメタボと言われないためにもと思い立っての、トレーニングルーム行きを決意したのである。

 およそ10年ぶりというのは、私がもっている体育館のトレーニングジム使用承認証のようなカードが発行されたのが平成6年となっていることや公園管理者名とある市長が前市長のままだということからの推定なのだが、カードに貼られた自分の写真も神もふさふさとある40代の頃のものだつたので間違いない。

 実は数日前の体育の日に孫と共に体育館のイベント的行事に参加した際に、昔はよく通ったトレーニングジムを覗いたこともあって、やはり日ごろの運動不足と自分の体を鍛えることを全く怠っている自分に改めて気づいて、メタボ予備軍の汚名返上のためにもと、大げさに言えば一年発起したのであった。

 久々に入場したトレーニングルームは明るく綺麗で、備えられている運動器具類も新たになっていて、しかも平日の昼間は数人しか使用していないという好条件でもあり、一回約2時間の使用料はたったの300円という、さすが公営の市民のための福利厚生施設とでも言うべき市体育館のトレーニングルームを使わせてもらうことにしたのである。

 11枚綴りの回数券を購入して久々に入場し、更衣室で着替えて部屋に入って、まずは簡単なストレッチで体を動かしてから、自転車バイク式の運動用具で約20分、そして軽い機械用具で腕と足を少し鍛えてから、ランニングマシンで最初は4キロから6キロとスピードを徐々に上げて、小走りで8キロそして時速10キロでランニングといった感じの軽いメニューで30分など、適当な思いつきの選択で汗をかいた後、ローリングベッドの様なところで20分ほど体を横にしたりして、久々のトレーニングルームでの運動を終えた。

 最後に血圧計で血圧を測ろうとしたが、ちゃんと計れないので、横においてあった体脂肪計の様な体重計に乗って、自分の年齢、身長、体重などを入力し、しばらくすると「測定結果」なる紙がプリントされて出てきたのである。

 な、なんと体脂肪率3パーセント、そんなはずはない!、自宅の風呂場の体脂肪も計れる体重計では、いつも少なくて18~22ぐらいなのに、まさかの数値で驚いていたのだが、体内年齢40歳、BMI 23.7、体脂肪率と筋肉量による体型判定☆筋肉質と出ていた。

 何かの間違いだろうし、前の人のデータが残っていたのかもしれないと半信半疑だったのだが、ただ体内年齢40才というのだけは、我ながら嬉しい様な気分で帰ったのだが、翌日いつも訪れているお客様の一人で、たぶん75歳前後のご婦人が、私に向かって「お兄さん元気だね。40才ぐらいかな!」と声をかけて下さったので、お世辞とは知りつつも、「いや、65歳ですよ、でも昨日体育館で体内年齢は40才と出たよ」と冗談で言うと、その奥さんは「ほら、やっぱし当たっていたわ」と微笑んでくれたのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌姫が宇宙へ!

2012年10月11日 | テレビマスコミ
あの澄み切った素敵なソプラノの歌声が、3年後の秋にISS国際宇宙ステーションから地球に向けて聞こえてくるかもしれないという、夢のあるニュースが今朝伝わり、とても興奮気味に記者会見するイギリスの歌手、サラ・ブライトマンさんの映像も見ることができた。

 タイム・セイ・グッドバイが全世界で2500万枚売れて、世界の歌姫となったサラさんは、現在52歳の美人シンガーなのだが、あの有名なミュージカル「オベラ座の怪人」に女優としてオリジナルキャストのクリスティーヌ・ダーエ役で出演し、そのテーマ曲、ミュージック・オブ・ザ・ナイトを歌って、一躍クラシックとポップスを融合させた女性シンガーとして、トップスターの地位に上った人である。

 私は彼女の歌声は知ってはいたが、じっくりとオリジナルのCDを聴く機会がなかったのだが、昨日偶然にも仕事で訪れたお客さんの玄関先で聞こえてきた歌声に魅せられて、尋ねてみると「サラ・ブライトマン」その人の歌声だったので、しばらく耳にして、とても心地の良いソプラノの澄み切った美声に心癒される思いとなった。

 そして、今朝は仕事で移動中のFMラジオのパーソナリティが、なんとそのサラ・ブライトマンさんが女性シンガーとしてはたぶん最初の宇宙旅行を行うという記者会見を昨日、ロシアのモスクワで行ったという驚きのニュースを伝えたのであった。

 昨日の今日という偶然も重なって、当然昨日の朝耳にしたサラ・ブライトマンさんの歌が大好きだと仰るお客様のご婦人に、今朝のニュースのことを告げると、彼女も驚きの面持ちで彼女の大胆な行動や言動にも驚きつつ、感嘆の興奮を隠しえなかったのであった。

 そこで、私は早速彼女に頼んで、サラのCDを一枚借りて移動中の車で聴きながら走ろうと思って、一枚のCDをお借りしたのだったが、我が愛車のCDプレイヤーが調子が悪いのかは定かではないのだが、最初からどうもちゃんと聴けないという状態だったので、車で聞くのを諦めて、帰宅後に自宅でじっりと聴きたいと楽しみにしていたのであった。

 しかし、自宅に帰って早速CDデッキに入れて聞いたのだが、やはり1曲目と2曲目がちゃんと聴けない状態で、傷がついている感じであり、3曲目以降はちゃんと美声のサラの声を楽しむことができたが、どうしたことか何が悪いのか思案したが、せっかくお借りしたCDがもともと傷ついていたのか、それとも私の車のCDプレイヤーが悪くて傷がついたのかが判らないので、新しいCDを買うこととしたのである。

 そのCDは、アマルフィというタイトルのもので、幸い近くのレンタルショップに新品があったので、すぐに購入して持ち帰り、新しいCDを聴いてみようと思ったが、自分の部屋にあった簡易なCDプレイヤーの電源コードが見つからないで聴けないという有様となった。

 サラ・ブライトマンさんは、記者会見で2015年秋に予定されているソユーズ宇宙船に乗って、10日から16日間の宇宙の旅をし、国際宇宙ステーション滞在中に、地球へのコンサートを開き宇宙からの歌声を披露されるだろうが、その費用は何と25億円から30億円をはるかに超える大金だそうである。

 しかし、52歳の歌姫サラさんは、「夢は見るものじゃなくて、夢は追うものである。」という信念を語り、さすが世界の歌姫というところを見せつけたのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする