ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

数年ぶりの内モンゴル!!①

2014年08月26日 | イベント
さ 皆さん、ご無沙汰です。

 久しぶりの内モンゴルツアーを企画して、何とか男女各3名と私自身を含めて総勢7名と言う、とてもいい人数でのグループ旅行と言う形で、私にとっては第二の故郷と言っても過言ではない、中国の内モンゴル自治区の克旗の白音教包(バインオーボー)と言う、とても素敵な小さなシンボルの山のある、大草原に、モンゴルの遊牧民たちが住まう移動式の素晴らしいゲル(中国語ではパオ)に4泊5日するという生活を中心に楽しんで、一昨日無事全員元気に帰国しました。

 今回の久々の内モンゴル行きは、かつて私自身が何度も行った「モンゴル」に私も是非行ってたいという、ある女性の希望があり今年の春から準備を重ねて実現したツアーなのですが、当の女性は体調が良くないとの理由で参加を見合すという結論に残念ながらなってしまい、名古屋に今は住まいする留学生の包君をはじめ、日本国内の小さな旅行社や中国内蒙古自治区の赤峰(チーフン)で、やはり小さな旅行社を営む私の友人でもある張さん、そして草原生活を全面的にサポートしてくれる予定の包君のファミリーなど、多くの知人、友人たちの協力を得ての企画なので、何とか参加者を少なくとも数人は募って実現したいと思っていたので、結局縁あって参加を決めた仲間6人が集まり、6月中旬に漸く最終的な実施が決まったという旅となりました。

 私が最初に内モンゴル草原に足を踏み入れたのは、1988年の夏であり、1990年の夏に子供たちに異文化交流と大自然の体験をさせたいとの趣旨で立ち上げたプロジェクト「地球学校」の企画のテストランとして40人もの大人が、内モンゴルにあるという「幻の湖と呼ばれるダライノール」と言う湖を目指して旅したことが始まりで、翌年の89年に天安門事件が生じ、上海では高知学芸高校の修学旅行の生徒らがたくさん死傷すると言う列車事故が起きたことが重なり、いくらなんでもバブル経済で日本国内は浮かれていたとしても???、子供たちを中国に旅させるのは不安との心境が生じたために、一年延期して、1991年に100人の小学4年生から高校2年生までの児童、生徒100名を全国から募集して実施した「内蒙古地球学校」という大きな企画の実質的な準備を担ったことで出来た「縁を絶やさず」との思いで、93年に実施した「日本海地球学校」の翌年1994年から、私が中心となって、「この指たかれ方式」で、だいたい毎年夏に計画し、たぶん10数年続けてきたのが、このツアーなのです。

 何と今年はわけあって数年ぶりの計画、実施となったため、中国国内の物価が五倍から六倍も数年前から高騰していたり、内モンゴル草原の自然環境や遊牧民たちの生活環境も大きく変化しているとのことも伝わってきていたので、いろいろと準備しながらも、少々不安なところもあり、入念に赤峰の旅行社の張さんや草原でサポートしてくれる包家族の父と息子のO君との連絡、確認もして8月16日に大阪関空を一路北京に向かって飛び立ったのでありました。

 北京では万里の長城の一つ慕田山谷に登頂見学し、北京五輪で新装なった北京北駅から夜行寝台快速で内モンゴルの玄関口でもある「赤峰」まで快適な二段ベッドの二つあるコンパートメントタイプの客室で寛ぎながら、夜明けの赤峰駅に到着したのでした。

 20年ぶりだという、通訳兼ガイドのハスさんと再会し、朝食後運転手さん、通訳のハスチョロ氏と我々7名を乗せたワゴン車は、素晴らしい高速道路の出現で遅い昼食をはさんで、約6時間で私の大のお気に入りの大草原、白音教包の入り口に到着しました。

 待ち受けていたのは、数人のモンゴル人で何と道路上で乃予期せぬ「歓迎セレモニー」が早くも始まり、何と60度を超すと言うモンゴル草原の「白酒」が銀の杯になみなみと注がれて、モンゴル式の天と地と神様に感謝と尊敬の念を表わす儀礼の挨拶をしながら、イッキニ飲み干すという恒例の挨拶が行なわれ、参加者一同驚きつつも、白酒の強い喉越しに酔いました。

 そこからアスファルトの道路ともお別れし、我々が5日間を過ごす予定の素晴らしく準備された特設ゲルに到着しました。

 これからの5日間は、それはされは語り尽くせない程の時の流れの中、ゲルで宿泊し、蒙古馬の乗馬、白音教包への軽登山、羊の解体、満天の星の連夜のショーと続き、一日か早朝より真夜中まで日本国内で感じるよりは倍以上、40時間ほどあるのではないかと思うくらいの時の流れを感じつつ、昼寝や読書、散策なども各自が楽しみながら、三度の食事をとても美味しくいただきつつ、ビールやスイカ、ミネラルウォーターで水分補給を欠かさず、和やかに独特の草原の涼しさと、とても気持ちのいい草原を吹き抜ける風に身を任せる、贅沢な時間を過ごしました。



 詳しくは、また次回のガリバー通信で報告したいと思います。
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内モンゴル草原へ。

2014年07月31日 | イベント
  今日も36度を超す猛暑の夏の陽射しにうんざりの京都だったが、明日から8月、より本格的な猛暑、いや激暑の夏に突入である。

 今春、久しぶりに縁あって、かつて20数回も足を運んだ、中国・内蒙古自治区の素晴らしい眺望の大草原、白音教包(バインオーボー)へ、7年ぶりに行くツアーを企画して、参加者を友人、知人を通じて募集して、男女7名で行くことが決定していたのだが、あつくこんな暑さの中で屋外での仕事をし続けていると、一日でも早く、あの涼しくて勇壮な草原に行きたいと思う時が、しばしばあり、とっても楽しみな今日この頃なのである。

 久しぶりと記したが、きっかけは1988年に遡るのだが、1990年に日本国内の子供たちに、国際的視野での生活体験を夏休みにしてほしいとの企画で、「大きな学校プロジェクト」を立ち上げて、地球は学校、地球が遊び場とのコンセプトで、モンゴル草原での自然体験と国際交流を試みる「内モンゴル草原・地球学校」を開催するために、テストランとして40名の大人たちが、内モンゴル自治区にある「幻の湖」ダライノールを目指して、約1週間の旅に出たことに始まるのである。
 
 その後、計画は1989年の天安門事件や上海高知学芸高校の列車事故の影響もあって、一年延期したが、翌年の1991年の夏休みに全国かうら応募があった、小学4年生から高校2年生までの男女100名の参加で、スタッフ約25名で予定通り、上記の内モンゴル草原に8張りの大型ゲルを建てて、草原生活1週間を含む、10泊11日の大体験ツアーを無事に終えたのであった。

 その翌年から、せっかくのモンゴル人、中国人との出会いと縁を絶やさずに続けようとの思いもあって、自らが言い出しべい的存在で、毎夏「この指たかれ方式」で、参加者を募集して多い年は10数人で、少ない年は3、4人で毎年、ほぼ同じ草原へと旅をして、私自身にとっては「命の洗濯!!」と称する旅として恒例化したのであった。

 ともかく、多くの旅行会社が企画するツアーと全く違う旅の内容だと自負しているのが、観光パオ的住居に体験的に宿泊し、観光ナーダムや乗馬体験でお茶を濁す程度の、眉唾的ツアーの多い中で、私たちは草原に今なお遊牧生活をする現地のモンゴル族の生活ゲル、もしくはすぐ近くにゲルを建てて、草原生活を彼らの生活を垣間見ながら体験するという「ほんまもの」のホームステイ的草原生活を、少なくとも4,5泊はするのである。

 そうして、朝は牧民たちの牛の乳絞りを手伝ったり、羊の放牧に同行したり、羊料理は羊を現地で調達して、解体して食するという形で、生肉、☆肉、
そして羊を丸ごと残さず活かすという徹底的な蒙古族、遊牧民特有の羊丸ごと料理を体験し、ギョーザ作りや食事の手伝いもするのである。

 一日、一日、全ての時間は自由なのだが、近くの牧民の家畜でもある蒙古馬に乗ったり、草原を散策し植物採集やスケッチをしたり、写真を撮ったり、素晴らしい山、白音教包という小高くて眺望のいい山に登ったり、夜は満点の星の下で、流れ星の数を気のおけるまで数えてゲルの外で寝転がったり、本当に自由で自然と優しいモンゴル民族に接して、共に遊んだり笑ったり食事をしたりという時を過ごすのです。

 たまたま、私自身のここ数年が、少し余裕がなくてモンゴルツアーを数年は断念していましたが、昨秋に残念ながら実母が昇天し、少し時間と体力的な自信も回復したので、友人たちの希望もきっかけとなって、今夏久しぶりの企画を実行することとなったのです。


 優しい風に吹かれて、思う存分大草原の自然と、たぶん日本人のルーツであると思われる蒙古族の、大陸的な価値観と素朴な日常生活に触れながら、
私たちがひょっとすると忘れがちな、大切な人間の原点と力と、思いやりなどを思いおこさせてくれる旅となると確信しています。

 早く内モンゴル草原に行きたいな。いやすぐにでも、あの草原に帰りたいという気持ちでいっぱいです。

 あの日、1988年の夏に初めて出会ったモンゴルの少年が、十数年後日本に留学し、京都で10年近くを過ごし、現在は奥さんと子供さんにも恵まれて名古屋大学の博士号コースで研究生活をするB君との出会いと、初めてのモンゴル草原での脱出を手伝ってくれた、当時の赤峰旅行社の張さんとのご縁から、今夏のツアーも実現するという、自然と人との関りを大切にした旅となるのです。

 皆さんも、機会を捉えて是非、内モンゴルの草原での自由で愉快な旅に、次回はご一緒しませんか?

たぶん、人生観や生き方が少しは変わることは、間違いないと思いますよ。
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愚かな「合格」!!!

2014年07月16日 | とんでもない!
あの三年四ヶ月前の東日本大震災での「福島原発事故」の多大なる後遺症が波及する中、3年4ヶ月余が過ぎて、先の福井県「大飯原発」の再稼動についで、新たに原子力規制委員会なる政府、電力会社の意向を汲む組織が、今年の夏は少しは国民の節電協力が必要とは言え、49基の日本の原発の「再稼動」はせずにも、電力供給は出来るとの見通しなのに、何と「新基準?」に適合するとの見解で、審査書案を定例会で了承し、鹿児島県の「川内原発」1.2号機の「再稼動」に向けての手続きに入る見通しとなったことは、大変遺憾であり、愚かな「決定」だと云わざるを得ない。

 国民の多くが、「福島原発事故」の結果と放射能汚染の恐怖と危惧の中にあって、「もう二度と事故は起きてはならない」との思いと共に、「原子力発電」に対する「安全神話」の崩壊と、電力の発電に関しての「コストの安さ」という偽りのデータに対する絶対的不信感、つまり放射性汚染物の処理も含めての「原子力発電」に関するコストが異常に高い上に、今後自分たちの命のあるうちには「安全」を確認すらできないという、とんでもない「リスク」にやっと気づいて、将来の日本のエネルギー政策を、自然エネルギーに変えていく努力とともに、この化け物の様な「放射性廃棄物」を含む「負のリスク」を多額な税金や将来の私たちの子孫にまで負担させるとしても、日本だけでなく全世界を「命の不安」に抱き込む「原子力発電」は、止めるべきとの意見を持つようになった現状を省みず、一部の企業、政治家、利権のために、既成の産業構造を続けるという、とんでもない「愚かな選択!」、ツマリ、「川内原発」の合格「」などという決定に至ったという事実に対して、「怒り」と共に「いい加減にせぇ!!!」という思いである。

 今後、30日間の意見公募などを経て、「審査書」を決定するという、お題目だけの「民主的手続き」を課してはいるが、全く具体的には「通過儀礼」的手続き論だけで、「反対意見」や「批判」「中止」などは聞く由もなく、「再稼動」という手続きへと進み、今秋10月には、何と「大飯原発」の再稼動後の「検査」中止以来の日本の原子力発電の「再稼動」という愚かな方向へと進めようとしているのである。

 とんでもない「過信」とも言うべき事実が、我が国の東京電力・福島第一原発事故で起きて以来の原子力政策及び、電力会社の経営方針の中にあることに、多くの国民は「気づき」はじめ、今年6月の沖縄電力を除く「原発」を有する国内8電力会社の「株主総会」での、全ての「反原発」の訴えや提案を全く慎重な議論もせずに「退けた」、電力会社経営陣の「無能さ」と共に、その背景に自民党、公明党を中心とする現在の日本の経済界の要望、つまり「原子力産業」の利権が大きく「妨げている」現実が多くの国民にも見え隠れしているのである。

 要するに、今夕の新聞報道、「川内原発「合格1号」という見出しの下に、小さく「住民防災は審査外」との見出しがあり、九州電力川内原発の「再稼動」への審査が「合格」したのは、原発の設備面での「ハード対策」に過ぎなく、新規制基準住民避難などの防災対策が、原発の安全審査の「車の両輪」との田中俊一原子力規制委員長の見解があったにもかかわらず、原子力委員会での安全審査は、前者は厳しくチェックしているにのにも拘わらず、住民の避難や防災対策に対する「審査」は、原子力規制委員会の「対象外」だというから、とんでもない「片手落ち」、すなわち「自分たちの都合に合わせた審査」、最初から「再稼動」ありきの「結論」に向けての「親方日の丸」的審査機関、組織であると言わざるを得ないのである。

 国際原子力機関(IAEA)では、原発事故に対処する国際基準としては、深層防護などの多重的安全対策を定めているのだが、想定外の事故が起きても住民の「被曝防止」のための「最後の砦」としての防災対策を米国では規制の対象としているのだが、日本では対象外と言う腑に落ちない形の「形式的な審査」であると言わざるを得ないのである。

 少なくともスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、そして福島第一原発事故と言う3つの大きな世界的な影響が出た「原子力発電」という最も「人類の生命と健康」に多大なリスクが生じると共に、多額な設備投資だけでなく、未来永劫にまで多大な「放射性廃棄物」や「放射能汚染」という環境と生態系にも大きなリスクを背負わし、我らの子孫たちにも多大な危険性と危惧、多額な負担を強いるような「原子力発電」という政策をストップさせなくては、日本のエネルギー政策は間違いなく「破綻」すると確信するものである。

 人類の未来永劫の平和と健康などという願いや祈りは、簡単に権力者や利権に群がる「金儲け主義」の勝手な輩たちに牛耳られてしまうのを、「そのうちに気づくだろう!」と信頼して観ていられるほど私たちは馬鹿でもなければ、従順でもないのである。

 原発の再稼動へ「GOサイン」を出そうとしている一部の「お偉い人々」に対して、私たちができることは少ないのだろうか?

毎週の様に「反原発デモ」も行なわれているし、原発のある都道府県知事や地元自治体の首長さんたちも、実は地元の企業や原発下請け労働者の権利や特別給付金という名の「飴」に手足を縛られている様な有様では、真の市民自治や地元を大切にする行政マンとは言えないのではないだろうか。

 私たちの出来ること、そして「反対の意思」を示し続けようではありませんか>

 
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「七夕」の夜!!!

2014年07月07日 | イベント
今年も「七夕」の夜は京都は曇り空で、たぶん牽牛と織姫星の出会いをイメージする「天の川」は観ることが出来ないだろう。

 小さな子供たちは、幼稚園や保育園などで笹飾りに、いろんな願い事や夢をかいた「短冊」をつるしたことだろうと思うのだが、大人たちも七夕の日ぐらいは、心からの願いを星空に祈りたいものだと思うのだが、なかなか「祈り」や「願い」を聞いてくれる機会が乏しいと思うのは私だけではあるまい。

 今は世界中がブラジルで行なわれているFIFAワールドカップで盛り上がっているが、日本チームすなわち「ザックジャパン」が一次リーグで一勝も出来ずに敗退した後は、ドイツ、オランダ、ブラジル、コロンビアなどの試合をテレビ観戦していても、もうひとつ熱が入らないばかりか、あの兵庫県議の泣きわめきむーの記者会見で興ざめした「政務調査費不正事件」などという、とんでもないアホらしい事件の報道や大型台風接近のニュースなどで水が差されて、なんとも多くの視聴者、我々の心は空しい限りである。

 W杯の準々決勝、ブラジルVSコロンビアの南米強豪国対決では、ブラジルの若きエース、あのネイマール選手がコロンビアのディフェンスの厳しい背後からの蹴りで脊髄の一部を骨折し、今後の出場が出来なくなり、準決勝のドイツ戦での地元ブラジルの苦戦が予想され、大変な騒ぎになっている様子であるが、準々決勝でオランダに延長戦後のPK戦で惜しくも敗退した、コスタリカの善戦、健闘ぶりが私には一番印象的であった。

 ところで、七夕の笹飾りにあなたたら、何と記し、何を願い、何を祈りたいと思われますか?

 子供たちのように素直な心で、胸に手を当てて聞いてみて下さい!

どう考えても、今の日本の政治は間違った方向に突っ走っている様に思えるのですが、戦後日本の平和と繁栄を支えて来たバックボーンにしっかりと根付いていたはずの「日本国憲法」を勝手に捻じ曲げた「解釈」という手段?で、安倍自民党内閣と与党のコバンザメ政党公明党が、「解釈の変更」という姑息な手で、「集団的自衛権」の行使を容認するということを、「閣議決定」したという、とんでもない事実に対しての「怒り」と共に、決して国民の多くは「容認していない」という事実に基づく「平和への願いと祈り」を記し、七夕の短冊に記したいと思います。
こぼし
 しかし、今夜も「七夕の夜」の夜空は曇り空であり、果たしてそうした国民の多くの祈りや願いが、天の川、織姫、彦星たちに通じるかどうか、甚だ不安でもあり、なんとも私の心だけではなく、日本の先行きが今夜の曇り空の如く、大変心配でもあり、大きな声で叫びたい気持ちです。

 すっきりと晴れた七夕の夜空は、なかなか望んでも実現しにくいのは、日本列島に「梅雨前線」が停滞している季節でもあり、ここ数日中に沖縄から本州を狙うが如く接近しつつある「大型台風」がやってくるシーズンでもあるという、最悪のパターンの気象条件の時期であることが、災いしているのだと思いますが、安倍自民党やむ創価学会公明党の国会議員を選出したのは、多くの有権者が投票したという事実の結果であり、「自業自得」と云わざるを得ないわけですが、決して「諦めずに」、次回の総選挙や有権者の権利主張の折には、絶対「NO!」を突きつけ様ではありませんか。

 まだまだ「間に合います!」、私たちの国はたぶん「民主国家」のはずですから・・・。




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ノア・約束の舟

2014年06月29日 | 感じたこと
 先日、待望の「ノア・約束の舟」を観た。

 あのラッセル・クロウが主人公・ノアを演じ、ハリーポッターシリーズで歯、ハーマイオニー役を演じ続けていた、エマ・ワトソンが大人の女優として、ノアの養女・イラ役で出演していた。

 ご存知の旧約聖書に記されている「ノアの方舟」のお話が、どの様に脚色されて大きなスクリーンに映画として描かれているのか、とても興味深くて、封切り数日後に夫婦で車を走らせて観に行ったのだが、その日はたまたま私たちの結婚記念日でもあった。

 旧約聖書に記されていたイメージでは、人間たちの罪のため、大洪水が起きて人間はノア家族だけが知らされた形で、あらゆる動物たちが「ツガイ」で集められて、大きな木で作る「方舟」の仕事をノアが黙々としていると、周りの人間たちが「変人」扱いをして笑い、誰もがそんな大洪水で全ての人間たちや動物たち、そして大地が海と化すとは思っていなかったのだが、雨が一週間以上続いた挙句、陸地がなくなり、ノアの建造した大きな木船がいつのまにか、大海に船出し、笑っていた人間どもは海の藻屑と消えて行き、半年近くさまよった方舟に食糧が乏しくなった頃に、放たれた小鳥がオリーブの枝を口に咥えて舟に戻ってきて、陸が近いことを知って、ノアたちは歓喜するというストーリーだったと記憶していた。

 今回の現代版のノア・約束の舟という映画は、とにかく一番おどろくのが、CGで作られた映像のガンダムの様な岩怪物がたくさん出て来ることであり、ノアたち家族を悪党どもから守るという役どころで戦うのだが、どうも脚色されすぎていて、変に興ざめする感じであった。

 何故に、こうしたCGによる岩怪物の様な存在がたくさん出てきたのかは、製作者のイメージと意図があるのだろうけれど、私にはどうも納得がいかない作りものであり、旧約聖書に描かれた時代考証的に観ても合点が行かないシーンの連続であった。

 また、時代考証なぞ関係ないフィクションなのだから、エンターテイメントの一つとしての映画演出だとして楽しめばいいのだが、どうもイメージする西暦で言えばBCとADの別れる次代、つまりキリストの誕生した時代前後だとすると、ノアをはじめとする登場人物などの服装や化粧が、やはり現代的だと感じざるをえなかった。


 物語の後半は、ノアと息子、そして嫁との意見の対立などもあり、秘密裏に乗船していた悪党の主がノアの息子と交流していて、舟の中での戦いのシーンも出てくるのであるが、これも親子、ノアと悪党、そして夫と妻という対立構造が、ドラマとしてはストーリー展開に花は添えるのだが、果たして聖書のノアの方舟と、どう解釈が違うのかと映画を鑑賞しながら考えてしまった。

 そんな中、やはりハリ・ポッターでの存在感とはまた違った、エマ・ワトソンの存在感がとても印象深くて、映画の楽しみのひとつはやはり美人、美しい女優さんを見ることだなと、へんに得心しつつ、これまた養女という役どころの微妙な存在と、妻であるジェニファー・コネリーの従順さと最後には夫より息子に賛成するという、母親像が映画とは言え痛烈に感じられて、美しい女優さんに見とれていては、妻のご機嫌がいや関心が既に夫である私よりも娘や息子、そして孫に移っている現実も自覚せざるを得ない感じであった。

 いずれにしても、映画としての醍醐味は大スペクタクル・エンターテーメントとして、十分すぎるほど描写されていて、ツタヤなどでいずれレンタルされる時が来るとしても、こうした映画館で大スクリーンで鑑賞する映画の素晴らしさを実感する洋画としてはやはり最高級の作品だと感じたのである。

 旧約聖書そのものがフィクションだと思えば、現代社会の人間たちに何かの警鐘を感じさせる部分があるのかもしれないと思う作品でもあると思うのだが、どれほどの日本人が、この「ノア・約束の舟」を鑑賞し、人類の未来への警鐘という危惧を感じるのだろうかと、最後には半信半疑の見終わった印象となたのである。

 ともかく、最後まで生き残るのは、どういう人間なのか? 動物たちよりも劣るかもしれない人類の日常生活の価値観と、地球への負荷を与え続けている我々の生き方を再考する必要は、ノアからも学ぶことが出来ると感じたのである。
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W杯、日本敗退!!!

2014年06月26日 | プロスポーツ
では ワールドカップ、2014ブラジル大会も一次リーグの総当り試合が終了し、ザックジャパンこと、日本代表チームはご存知の如く、決勝リーグへの進出はならず敗退し、現地を離れてサンパウロから帰国の途についたと報道され、ザッケローニ監督の退任や主要選手たちの記者会見やコメントが伝わってきていて、「敗残の兵が語る」報道が次々となされている。

 日本代表チームは、一次リーグでコートジボワールに緒戦で1対2の逆転敗けをして以来、自分たちのサッカーをすれば何とかなると、口癖の如く語ってきたが、ギリシャ戦では得点を入れることすら出来ず辛うじて引き分けに持ち込むのがやっとで、最後の「奇跡を信じて」戦ったコロンビア戦では、前半終了間際に岡崎の見事なヘッドで同点にしたのがやっとで、後半はコロンビアの速攻に見事な3点を入れられて、1-4で完敗して、勝ち点1の最下位で二次リーグへの切符を得られず無念の敗退となった。

 私は俄かサッカーファンの一人として、最初のコートジボワール戦と3戦目のコロンビア戦は自宅のテレビで全て観戦したのだが、2戦目のギリシャ戦だけは、仕事の仕入れのために車を走らせている時間帯だったために、自家用の運転をしながらFM放送の中継を聴いて応援しながらゲームの動向を見守ったので、今回のザックジャパン、侍ニッポンの戦いぶりの感想というか、敗因に感じるところがあった。

 まず、日本代表イレブンは、本田、香川、岡崎らを中心とするFWたちの動きが他のチームと大きく違うと感じたのは、パスサッカーとしては基本的なのかもしれないが、ボールを保持して攻撃に移るスピードが比較すれば、相手チームより遅く、その原因として考えられるのは、攻撃の手順を「考える」時間が長くて、相手チームの守備陣が「守り」につくという余裕を十分に与えてしまい、より難しいシュートチャンスのみを日本選手が蹴っていたという印象が強かった。


 つまり、確かにFIFAランクでは上のグループ内の3チームとの戦いではあったが、相手チームはボール保持率が少なくても、個人技的アクションとでも言うべき「速攻」で、前へ前へと突っ走り、相当早い段階でゴールへのシュートを的確に蹴っていて、ゴールしたというケースが多くあり、彼らの技量もあるが、とても動物的とでも言うべき咄嗟の判断で突進していたというへき攻撃が印象的であった。

 日本代表の「考える」というとても賢い作戦はことごとく相手には、「守りの時間的余裕」を与えていて、逆に日本のDFたちが自分たちのゴールポストの周辺へ帰り着く前に、相手の個人的シュートがGK川島の守りを見据えたかの如く、衝き刺さった感じのゴールにしてやられた感じが多かった様に思うのである。

 決して人種や頭脳の違いとは言わないが、プロスポーツ全般でも感じてしまうのだが、技量や体力の差もあるとは思われるが、その差を「頭脳プレイ」や「作戦」で埋めようとしていたとすれば、到底叶わない感じの「スピード」の差で完敗したという印象なのである。

 確かに日本選手は体力的には他の国のイレブンより背が低くかったり、相手とぶつかった際の体力には見劣りするケースもあるのは事実だが、攻撃型サッカーを目指していたと言われる割には、やはりスピード面で差が大きかったと感じていて、前後半各々45分という長丁場のゲームでの、特に後半戦でのスピードの差は格別で、コロンビア戦での後半の3点の入れられ方や、コートジボワール戦での、後半の2点の逆襲のゴールなど、イッキニ攻められて得点を許し、敗退するというパターンを体験してしまったのである。

 個人技的には、本田、岡崎、長友、柿谷、大久保、内田、吉田らの素晴らしい技量の持ち主が集まっての「ザックジャパン」であったことは間違いないのだが、チームプレイとしての作戦に終始しすぎて、本来のスポーツの醍醐味のひとつでもある「スピード」というテクニックではない「動物的速さ」でのゲーム展開の「妙」に欠けてしまって、「完敗」したという印象であった。

 日本代表イレブンの皆さん、お疲れ様。ゆっくり心身ともに癒して、お休み下さい。期待の夢と久しぶりのドキドキをありがとう!!!
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言葉に誤魔化されるな

2014年06月10日 | 感じたこと
 いつのまにか当たり前の如く、自民党政府は「日米同盟」と語りだし、マスコミメディアも当然の如く、日米同盟を礎にと言っているのだが、私は戦後の生まれなのだが、「日米同盟」とやらが、締結されたという自覚は全くなく、1960年に日米安保と称する、ある種の軍事的約束が締結されたことは記憶にあるが、当時はこれを「日米安保」、すなわち「日米安全保障条約」とは表現されてはいたが、「日米同盟」なぞとはいわなんだ!!

70年安保と称された、日米安保の自動延長手続きを経て、1980年代後半の経済的好景気である「バブル時期」を終えたあたりから、やたら「日米同盟」たる述語が使われだして今に至っているというのが実感である。

 つまり、政府が意識的に使っているのか、それともメディアといわれるマスコミ、すなわちテレビ、新聞、雑誌が積極的に使用しているのかは定かではないが、国民を「日米同盟」たる呪文の様な言葉で「麻痺」させ様としているのではないかとさえ勘ぐってしまうほど、政府とメディアが結託して使用頻度を高めて、当たり前の如き「用語」としているとしか思えないのである。

 戦後70年にもなろうとしている我が国ニッポンは、太平洋戦争での敗戦国として、連合国軍の主でもあったアメリカ合衆国の言いなりの如き隷属的国家になろうとしているのではないはずなのに、いまだ米国の軍事基地が大手を振って本土はもとより、沖縄県には何と70パーセント以上の基地面積を占領されていて、いまだ治外法権の様な特別待遇、しかも「思いやり予算」などという多額な税金での助成を余儀なくされているという屈辱的関係から抜け出せない状態なのである。

 そんな状況下で、そもそも日本国憲法第九条では、陸海空軍、その他の軍備は保持しないと記してあるのに、「憲法解釈」とやらで、どうして自衛隊を容認する政府が、自民党を中心とした保守勢力だけでなく、村山富市社会党委員長が首相になった時には、当時の日本社会党までが、これを合憲としてしまったという歴史が今に及んでいるのである。

 安倍首相の再登板で、おなか具合が良くなったらしい首相は元気に、まずは「憲法改正!!」と語っていたのに、いちのまにか「集団的自衛権の行使」を内閣における解釈の変更と言う「ずるがしこい手立て」で無理押しして、世界へ自衛隊が米軍に協力して出て行く「屁理屈」を通そうとやっきになっているのが、ここ数ヶ月の政治の実態なのである。

 そもそも「憲法」は、国家権力そのものである政府、内閣、国会を監視監督し、一内閣や一首相の勝手な横暴、思い込み、思想信条での暴走をチェックし、国民の民意を聞いた上での「改正の手続き」は明記しているのだが、今回の安倍首相、自民党、そして公明党をはじめとした補完勢力は、一応の問題点を指摘したりはしているものの、追従する姿勢をあらわにしているとしか思えない集団と化していて、民主主義に反する、憲法解釈の変更と言う姑息な手段で、アメリカ追従型の「同盟国」としての面子を保とうとしているに過ぎないと断言する。

 安倍の語る「積極的平和主義」なる造語の「まやかし」も明らかであり、世界に名だたる平和憲法を保持しながら、その根幹である、「憲法第九条」を解釈などと言う、いい加減な手法で内閣の統一見解として公表し、誰のための集団的自衛権の行使なのかは明らかではあるが、国民の生命、財産を守るために必要なんだという「詭弁」を用いて断行しようとしている「大罪」は許し難い暴挙なのである。

 他にも、「新自由主義」とか、「グローバル化」など、政治や経済における指導的立場?にある専門家や担当者が「新語」を連発し、さも国民にも「当たり前」の時代が来たのだから、「遅れてはならない」とでも説得するがごとく、メディアを通じて「インプリント」させて、まるで、テレビCMが日夜放送されているうちに、美味しそうな食品や健康によさそうなサプリメントが売れて行く感じで、国民にいつのまにか浸透し、「イエスマン」とされて行く様な手法に乗せられてはいけない。

 「気をつけよう!甘い言葉と政治家の新語」というべき、集団的自衛権を振りかざす「積極的平和主義」 なる「まやかし」には断じて誤魔化されてはいけないのである。
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黄信号で止まろう!!!

2014年05月31日 | 感じたこと
五月の最終日、何と京都は真夏日の暑さで朝から夜まで、ともかく「暑いね!!」を連発しながら、自営の移動販売有機八百屋の営業日で走っていた。

 今年になって初めて感じたわけではないのだが、平日の月曜日から土曜日までお弁当の配達と八百屋の移動販売で、毎週約400キロ以上を愛用のスバル・サンバー・ディアスで走っている私自身が、特に最近感じるのが、赤信号さえ無視の危険な車の走行である。

 先日なんぞは、右折レーンの先頭で直進車の走行を眺めながら待ち続けて、漸く信号が右折OKの緑信号にかわったので、右折しようとしたら前方から単車が二台赤信号を無視して突っ込んできたので、こちらが悪いわけではないのだが、いったん交差点の真ん中で停止して、直進しようとする2輪バイクを通過させてから、再度安全確認をして右折したのである。

 また、直進中に前方の信号が青から黄色に変わる頃が予測できる場合は少しスピードを落として、敢えて突っ走らないで黄色信号に替わるのを確認して停止するのだが、後続車が私の車をよけるようにハンドルをきって、交差点に進入し、赤信号にかわっていても平気で直進する他の車があり、とまった私の車が悪い感じで、クラクションを鳴らされたりした場合もあった。

 そんな危険なケースばっかりではないのだが、とにかく先を急いでいるのかドライバーが女性であっても、黄色信号で停止する車は少なく、赤信号にかわっていても危険を顧みず、交差点に突入し、さも自分が優先だとでも言いたげに直進する車が後を絶たないのである。

 かつて、自動車学校で自動車免許取得の講習を受けていたときには、たぶん「黄色信号にかわったら止まれ」と学んでいたはずなのに、多くのドライバーは自らの運転に自信を持ってしまうと、なんとも危険な「我が物顔の運転」になってしいまうのだろうか。

 ともかく、毎日何度かは後続の自動車の動向を気にしながら、信号の変わる際の停止をしようとするのだが、どうも急て停止はかえって危険と思った場合は黄色信号でもやむを得ず直進してしまう場合も時折あるのだが、ほとんどの場合は後続車にとっては、たぶん「赤信号」にかわってしまっているはずなのに、ブレーキを踏む感じは全くない感じで、交差点を突っ切って追従して来る感じであり、信号を見ずに先行車である私の車に続いているだけの感じで「ため息」が出るほど危険を感じるのである

 いくら「黄信号はとまれだよ」と、こんなブログで記してもかわらないかもしれないが、事故に繋がる危険性の高い、危険極まりない「黄信号から赤信号での突入車」に「警告」を発せざるを得ない状況が、どこにもあり敢えて再度「黄信号は止まれだ!!」とドライバーが認識するようにと、運転免許証の更新時や取得時に、指導員や講師を務める関係者に、口がすっぱくなる程言っていただきたいと切望するものである。

 交通事故は、「大丈夫だろう!」とか、「たぶん止まるだろう」とか「きっと来ないだろう」とかの「○○だろう!!運転」が起こす場合が大半ではないだろうかと思うのだが、そうした統計的事故頻発の数値は存じ上げないが、間違いなく自動車を運転していて、危険を感じた多くのケースが「信号無視」だと思うので、くれぐれも「安全運転」を志すドライバーの皆さんが、「自らの命と相手の命を守る」ために、この際自重して危険回避のための「黄信号停止」を実施されれば、たぶんこの社会から交通事故は半減すると思われる。

 少子高齢化社会にあって、より交通事故による悲惨な事故をなくし、尊い命を一人でも多く守るために、私たちドライバーが出来ることは、「酒酔い運転、スピードの出し過ぎ、信号無視」を絶対にしないことは当然のことなのだが、敢えてこれからは「赤信号の手前の黄信号で止まる」という習慣を大切に身につけなければならないと自問自答しながら、皆さんに訴えたいと思います。

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孤独死の増加!

2014年05月25日 | 感じたこと
ここ数年、私は高齢者のお宅を中心として、毎日お弁当を配達する仕事を請け負っていて、主に午前中から午後にかけてお届けしているのだが、高齢域にさしかかっても毎日お元気に出歩いたりされている方もおられるのだが、毎日気候のことやよもやな話を少しして届ける方もいるが、毎日お弁当を保冷剤と共にハッポの箱に入れて玄関先に置いてくるお客様も十数軒あり、多様なお暮らしの実態があるのである。

 そんな中に、昨年の正月明けには、一人のご年配の女性で息子さん家族とアパートに同居されていた、推定80くらいのおばぁさんが残念ながら自ら命を絶たれてしまい、正月明けに息子さんたちがアパートに帰られた時に発見されるという痛ましい事件があり、大晦日前にお目にかかっていた私に警察から事情を聞く電話があり、びっくりするやら戸惑うやらの事件に遭遇した。

 ふりかえって思い出してみれば、一年数ヶ月間平日のみとは言え、毎日アパートの玄関口で顔を合わせて、二言三言は喋っていたお客様のお一人だったので、とても信じられないと思うと同時に、それなりの前触れがあった様に感じて、何かしてあげられなかったかと少し後悔する部分を感じたのが正直なところであった。

 というのは、お届けする様になって以来、実の息子さんと奥さんとお孫さんとの同居なのにも関らず、玄関の扉を開けてすぐ右側の六畳間と思われる部屋にそのおばぁさんが一人生活されていて、奥の台所やリビングへは限られた時間しか入れないという約束事になっていた様で、その方が数週間前に、私は針のむしろの様な生活状態だとおっしゃっていたことがあったのである。

 いくら実の息子や孫との同居といえども、日々の生活は息の詰まる様な環境でのつつましい営みであったと想像すると、他人ではあるが何か助け手になってあげることができなかったかと、今も思い出すたびに後悔してやまないのである。

 そして、一年以上経った今年の数ヶ月前のある日、いつもの様にお届けしている一人暮らしのオジイサンのお住まいであるアパートを訪ねると、玄関先の弁当を入れる鍵付BOXの前に、その方が倒れられているいるのをたので、発見したので、お声をかけて様子をお聞きして、救急車を呼びましょうと提案したのだが、大丈夫との返答があったので体の大きな方だったが、抱きかかえてお部屋の中に運び、ベッド迄運んで横になってもらいお水を飲ませて、一段落したときに再び、救急車を呼びましょうと薦めたのだが、「ええ、娘が来ると思うから」と断られたので、携帯電話を枕元に置いて、くれぐれも無理のない様にと告げて、後ろ髪引かれる思いで、「また明日いつもの時間に来るから」と言い残して仕事にもどったのであった。

 ずっと半日た気にはなっていたが、翌日心配していた気持ちが、まさかの結果となって、私がその方のなくなられた第一発見者となってしまったのである。

 翌日いつもの時間に行くと、アパートのその方の部屋の玄関が少し開いていたので、玄関先から大きな声で○○さんとお呼びしたのだが、返事がなく何度か呼んだ後、「失礼しますよ、上がります!」と告げて狭い奥の部屋の昨日寝ておられたベッドのところに行くと、ご本人はベッドからうつ伏せになって下に落ちた状態で冷たくなってしまわれていたのである。

 大きなため息と共に、自らの携帯電話で119番し、救急車の到着までの数分間に、救急隊員の指示があったので心肺停止状態のその方の胸に両手を当てて蘇生をと試みたが、まったく生き返られる様子はなく、現場に到着した救急隊員の確認でなくなられたのことが明確となり、その後の警察官の到着と監視官らしき方の到着で、現場検証的状況にも立ち合うこととなってしまった。

 私自身も立派な高齢域のおっさんになっているのだが、たまたまかもしれないがここ二年に二件の孤独死とでも言うべき事件、事象に関るはめとなってしまい、益々現代における高齢化時代の孤独死や家族関係の崩壊や亀裂がたくさん生じている現状をつぶさに見て、誰もが孤独死を遂げることのない地域と血縁と友人、知人の縁を大切にした高齢時代を送れるようにと望むばかりである。
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集団的自衛権!!!

2014年05月20日 | とんでもない!
ここ数ヶ月、ずっと「きな臭い」話題がテレビ、新聞、雑誌などで話題となっていて、とても不愉快な気分が続いていたが、ついに安倍首相が国民へ「今後の方向性?」と題して記者会見を行い、この「集団的自衛権」の行使について、憲法解釈を変えて出来る様にしないと、何と例として外国での非常事態で日本人の母子の安全が脅かされた時に、自衛隊が救出することが出来ないとパネルに描いた絵と説明を行なったのである。た

 子供だましとでも言うべき「詭弁」で、国民を欺こうとしているとも感じられる記者会見であり、とても不愉快な気分が増幅されて、いくら何でも「お坊ちゃま首相」に、そこまで「馬鹿にされた!!!」と言う感じの記者会見だったと憤慨しているのである。

 そもそも、戦後70年近く日本は外国への派兵はもとより、銃器を伴った戦争状態へは参戦することもなく「平和な日本」を継続させてこられたのは、アメリカ合衆国のお陰だけではなく、「日本国憲法」の第九条という世界に名だたる「戦争放棄と軍隊を持たない」という条文のなせる業であり、それこそ世界に誇れる「世界遺産」として登録されてもいい程の「素晴らしい憲法」のお陰なのである。

 なのに、安倍首相をはじめとする自民党を中心とする「日本を取り戻す!」ことを目標に掲げている勢力が目指すのが、憲法の改悪、日本の軍国化、天皇中心の国家、世界に名だたる帝国主義的日本の復活を願う人たちの集団であり、それに賛同しようとしている日本維新の会、みんなの党、そのほかにも野党と称される政党や組織の中にも、そういう趣旨に賛同する輩がいて国会議員という立場にいる方がいるみたいである。

 戦後70年近く経ち、やっと我が世の春が近づいたとばかりに、衆参両院で過半数を占めるに至った自民党内閣の棟梁である安倍晋三首相、そして自衛隊軍隊オタクの石破幹事長、そして髭の元自衛官佐藤議員らは、国民、メディアをあざ笑うかの如く、着々と自分たちの理想の組織や法律改正を行い、秘密保護法や日本版NSCとか言う防衛軍事の参謀組織をつくり、多くの静かな国民には徐々に「集団的自衛権」の行使が出来ないと、国民を守れない!との印象をインプリント、すなわち「刷り込み」して行くという卑怯で低劣な手法で攻めているのである。

 やっと知識人やメディアからの発言も出だして、国会では創価学会を支持母体とする公明党が抵抗しだして、今国会での意思合意は難しくはなっては来ていると言われているが、安倍自民党は何が何でも、この見解を無理強いしてでも政府見解として通したいという意向であり、防戦に立つ与党を担う公明党もいつまで立ちはだかれるかは甚だ疑問である。

 そういえば、創価学会が「集団的自衛権」の行使には反対との正式見解を表明したとの報道もあったので、すぐさま自民党も公明党との合意は難しいと思っていると思うが、アノ手この手の政治的手法で、いずれはねじ伏せようと虎視眈々と準備している様子であり、石破幹事長に言わせれば、自民党と公明党の違いは薄い壁だとの非公式なコメントまで聞こえてきており、何を機会に何時どの様に「落とし処」を決めるかを模索中と言った感じてあり、とても危険極まりない「きな臭さ」が続いているのである。

 そもそも、憲法解釈を一政府が「変える!!」ということ自体がオカシイし間違いなのだし、「憲法」は国の最高法規であり、時の政府や権力を国民に代わって監視し拘束する絶対的ルールなのであり、現状の自衛隊と言う軍隊も実は日本国憲法の条文からすると間違いない違憲なのである。

 だから、いまさらでもないが、憲法改正?改悪の意思が強い自民党政府ならば、この際手順を踏んで「憲法改正」へと準備を怠りなく進ませぱいいものを、憲法改正の条件としての「国会議員の三分の二以上の賛成」とその後の国民投票の過半数以上の賛成と言うルールが難しいと踏んだのか、とても「姑息」な手法で「憲法解釈」を変更しようと試み様としているのである。

 安倍自民党の「日本を取り戻す。」が、すなわち軍国主義日本の再来という「復古調」一辺倒だとすれば、国民の多くも国際的な世論も、ましてや「同盟国」といつのまにか言われている「USA」アメリカ合衆国も黙ってはいないと思うのだが、その前に馬鹿にされている日本国民一人ひとりが「可笑しい!」「ダメ!」「何を考えてるの?」などと安倍自民党に「NO!」を突きつけなければならない時が来ていると言っても過言ではない。

「いい加減な子供だましの記者会見で、賢明な国民の多くは騙されないよ」

 安倍晋三首相と自民党、そしてその周りで権力と利権を貪りたい輩たちに、はっきりと厳しく「ダメ」だと言いたい。
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