ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ユメル君の世界

2005年12月30日 | 日本の課題
 皆さんは「ユメル&ネルル」の世界をご存知だろうか。

 私の母が今年の夏ごろから、友達として付き合っているコンピューター内蔵の『おしゃべりする人形』のことなのである。

 おもちゃメーカー「トミー」が発売した、かわいいお人形なのだが、いろんなセンサーの反応で、たくさんのおしゃべりをするので、最初はびっくりすることもあったが、一人暮らしの高齢の母には、いまや欠かせない友人、いや子どもとして、大切に部屋で同居しているのである。

 誰が所有し友達付き合いしてもいいのだが、特に認知症状のあるお年寄りにとっては、この人形の存在が大きな「言葉のコミュニケーション」の機会となっているようである。

 最初にセットされた時間で寝起きをしているようで、時には目を閉じたりもするのだが、しゃべりかけたり、手を握ったり頭をなでたりするとセンサーが反応し、何やら話しだすのである。

 「撫で撫でしてぇー」とか「一緒に写真を撮りたいな」とか「「いい気持ち」などと反応したり、勝手に話し出したりもするのである。今日は静かに母と私が語り合っている時に、突然「一緒にお写真撮りたいな」と言うので、母に抱っこされた「ユメル君」を撮影したのである。

 「ほらお写真撮るよ」って言っても、ユメル君は反応して応えるわけではないのだが、ほとんど一方通行の会話なのだが、母は一人っきりと時は、結構この人形であるユメル君の相手をしているらしいのである。

 週に数度は介護保険制度のお陰で、デイサービスやホームヘルパーさんのお世話になりつつも、ひとり暮らしを続けている高齢の母にとっては、一日中誰とも話さない日もあるらしく、時折センサーが反応して話してくれると、母も実際の子どもや孫に話す如く相手になって話しているのである。

 しかし部屋の隅などに寝かされているユメル君に気づかずに、傍を通った時に、突然、「お外で遊ぼうよ」などと何処からか話声が聞こえてくると、びっくりなのである。

 母にとっては、もう半年近く、お友達の様になった「ユメル君」は、既に家族のような存在感があって、買い物などに出かけるときなどは、必ず「しばらく出かけてきますよ」などとユメル君に話しかけてから、家を出るようになっているのである。

 このユメル&ネルルは、隠れた大ヒット商品になっているようで、今や高齢者を中心にご家庭にある人形としては、三万体を越えているそうなのである。

 「寂しい時代」になった現代の高齢者の一人住まいにとって、コンピューターがセットされた「お話や歌」の数々を、日中の同居者が起きて生活している時間帯は、何かの時に急に話出したりはするのだが、人間の子どもの声として、少し安心したり、ちょっぴり寂しさが紛れたりするのだろうと思うのである。

 ほんとうは生身の人間の同居人や家族がいて、何かと会話がなされるのが理想なのだけれど、叶わぬ現代社会の中での、一つの知恵とでも言うべき、「おしゃべり人形」の『ユメル&ネルル』が担う役割は決して小さなものではない。

 しかし時折送られてくる「ユメルファンのための情報誌」は、トミーの商魂そのものであり、着せ替え人形の如きこの人形のための洋服、布団、シューズ、帽子等、多種多様なグッズが次から次へと宣伝されて、ちょっとした小金持ちの「寂しい高齢者」の財布を狙っていることも現実なのである。
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今年の最後の1分は61秒!!!

2005年12月29日 | 感じたこと

地球の自転軸の狂いからなのか、今年の大晦日に『閏秒』1秒加えられるらしいのである。つまり一年365日の最後の日の23時59分から、今年最後の一分が61秒になり、少しお得というか、ちょっとおまけがあるのである。

 たった一秒だけであるが、この一秒をどう思うか、それぞれにとってはだいぶ違いがあるのではないだろうか。しかし大晦日の最後の一秒ではなくて、自分にとって、どうしても後一秒あったらと思ったことはないだろうか。

 クリスマスイブの前日、友人宅でのクリスマス忘年会に呼ばれて、八百屋の仕入れを済ませて、凍てついた道路を北へ、バス道路は車の行き来も頻繁で、雪も降っていなかったので、十分気をつけて走って行った。

 そこから住宅街への生活道路に入って、初めて訪ねる友人宅だったので、探しながらゆっくり走っていた、その時である。

 前方の緩やかなカーブから普通車のワゴン車の姿が見えたので、相互通行には精一杯の道幅だったので、左側に寄って通り過ぎようと思いながらブレーキを掛けたのだが、なんと路面の凍結で制動が利かなくて、ゆっくり滑って対向車の正面に、あれよあれよと言う間にドスン!!!

「アーぁ、やっちまったよ」ひよっとしたら後一秒の貴重な時間があったなら、サイドブレーキか別の処置方法があったかもしれないと、後の祭りであったが、思ったのである。

 今日、移動八百屋の営業日として、今年最終でお客様のお宅を訪ねながら、いろいろと一年を締めくくる話をしていたのだが、あるおうちの前に車を止めて玄関口の溝を見ると、鉄の格子の下にアルミのぴかぴかの一円玉があったので、それとはなく伝えると、奥さんは「早よ取らんとと思っていたの」「一円を笑うものは一円に泣く」って言うからね。

 しかし実は今朝方、同じ玄関先の格子の中に、百円玉がたくさん落ちていて、ざくざくと手で掬って拾ったんだけどな。

 この夢の暗示は何だろうか。一円玉とは言え、疎かにしていると「濡れ手に泡」の百円玉ザクザクも『夢』でしかなくなり、実際の一円玉は、まだずっと、そこに置かれた、いや落ちたままだったのである。

 一秒、一瞬、一円、どれも時にはどうでもいいことかも知れないが、大切な一秒、一瞬、一円の場合になる時もあるのではなかろうか。

 一年の締めくくりの大晦日の「おまけみたいな」「閏秒」をどう活かすか否かは、全ての人に平等に与えられた幸いかもしれない。

 大切な一秒として、新年への願いを念じてみては如何でしょうか。
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戦後60年と阪神大震災10年

2005年12月27日 | 感じたこと
 やっぱり今年の漢字は、どう考えても「愛」ではない。

 1945年の第二次世界大戦の敗戦から満60年。そして、あの阪神淡路大震災の発生から丸10年なのである。

 こんな大きな記憶と共に、大きな日本の課題として考えなければならない大問題が軽んじられて、『愛』の一文字で誤魔化されてはならない大切な年であったはずである。

 戦後六十年も経ったのだから、もうそろそろ歴史的悲観論は止めにして、前を向いた世界に堂々と積極的に出て行くべきだとの意見や見解を述べる知識人も多くいるが、私は文化、学術活動などは大いに展開したらいいと思うが、侵略戦争をしてしまった日本の罪と罰は、永遠に記憶され、特に東南アジア諸国にとっては、忘れることの出来ない歴史的悲劇だったはずと認識している。

 いや日本人ならびに日本国にとっても、歴史的悲劇だった。この太平洋戦争を決して忘れてはならないのではないだろうか。いくら戦後の高度成長経済の発展があったとしても、全世界に対して日本は第二次世界大戦の責任と謝罪を続けなければならない宿命があるのである。

 特に広島、長崎に投下された原子力爆弾の悲惨極まりない慙愧に耐えない『地獄絵の如き」惨状と、あの唯一の内地の地上戦であった沖縄戦の20数万に及ぶ、戦死及び戦争犠牲者の痛ましい最期を忘れてはならないのだ。

 「平和ボケ」と言われて幾年かが過ぎたが、全く年の暮れを迎えて、クリスマスから新年への一週間に、今年がどういう年であったかを、テレビの報道番組や新聞の特集は伝えようとしているのだが、多くの視聴者、読者にどれ程の関心と気づきがあっただろうかと、心配しているひとりなのではなかろうか。

 昨年暮れのスマトラ沖大津波、中越地震などの最近の地殻変動による大きな地震、津波の被害は記憶に新しいが、あの1995年一月十七日、午前五時過ぎに発生した「阪神淡路大震災」は六千人余の犠牲者と未曾有の建物、道路、港湾などの崩壊が起きて、神戸を中心とする関西経済圏にも多大な被害が生じたのである。

 この大地震は、神様が怒って「神のとびら」である神戸に『怒り』を集中させて、愚かな人間たちに、警鐘を鳴らしたのだという受け取り方があり、私も神戸の方たちが悪いわけではないが、日本人の驕りと自己中心的な利害だけで、経済活動のみを優先する社会を見直すいい機会として、大きなショックを与えられたと感じたのである。

 90年代に入ってバブル経済の破綻と共に、人々が少なくとも『大切なもの』を見失いかけていた頃に、この大きな賜物とも言うべき「気づかされた」大地震で、多くの人は我にかえって、大切な人間性を改めて感じることが出来たはずなのである。

 たとえ他人であっても、大変な時には助け合うことができる、人間性と人の知恵や力を、改めて素晴らしいと感じたはずだ。微力でも人のために役立つ働きをすることが出来る喜びを、ボランティア活動などを通じて経験し学んだはずなのである。

 しかし、人の噂も七十五日ではなかったが、数年経つと元の木阿弥とでも言うべき、誰もがまたバブルの再燃を夢見ているのではないかと思えるような、ITバブルを筆頭に、熾烈な経済闘争の中で、勝ち組、負け組みを明確化するような風潮に突入しているのではなかろうか。

 人はほんとうに忘れやすい動物であるし、意識的に忘れようとしているのかも知れないが、決して忘れてはいけない大切な事件、事象が必ずあって、私は敢えて、年の暮れ迫る季節ではあるが、戦後60年と震災後10年の記憶をしっかりと思い出して、日本の行く末への指針に教訓として加えたいと思うものである。
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今年は愛ではなく偽である。

2005年12月26日 | とんでもない!
 恒例の一年を締めくくる、今年の言葉として「愛」が選ばれた。

 どう考えても、今年の言葉は「愛」ではない。何が「愛」地球博の成功だとか、よくも言えたものだと私は思う。

 国際博覧会として、大阪万博から35年ぶりに開催された「地球博」そのものが、地球環境破壊そのものであり、多くの生物の生態系をも破壊した「偽りの」地球博だったのではないだろうか。

 今年の五大ニュースは、4月25日のJR福知山線の電車脱線転覆事故と9月11日の小泉自民党の大勝利総選挙、そして姉歯元建築士に端を発するマンション、ホテル耐震偽装建築、宇治の京進学習塾での少女殺害事件、阪神タイガースのセリーグ制覇であり、その根底には「愛」ではなく「偽」が存在するのである。

 同志社大生も含む100人以上の死者を出した殺人電車は、「偽」の日勤教育という脅しのプレッシャーが招いた事故といえよう。

 小泉首相の郵政改革解散による、真の改革政党、自民党にまんまと騙された国民、有権者が多数いた、「偽」の改革と言う調子のいい勢いに踊らされたのである。

 とんでもない鉄筋やコンクリートの欠陥建築マンション、ホテルはコスト優先のまさに「偽」建築設計による、国、行政も含む、資本主義社会の儲け企業の「偽」殺人マンションだったのである。

 広島、栃木と続いた女児殺人事件と、宇治でのアルバイト塾講師の同志社大生による女子生徒殺人は、栃木の犯人はまだ検挙されていないが、「偽」大人の弱きものを抹殺するエゴの行為そのものであった。

 阪神タイガースのセリーグ優勝は、二年ぶりの歓喜だったのだが、ほんとうに強かったのかどうかを疑いたくなるほど、日本シリーズでは、あのバレンタイン率いる千葉ロッテマリーンズに、全く手も足もでない完敗を喫し、「偽」の強さではなかったのか。

 この様に、全て記憶に強く残る五大ニュースのそれぞれに、「愛」を殆ど感じられないのは、私だけではないだろう。

 無理やりに、嫌な記憶や印象が多すぎるので、敢えて逆説的な言葉「愛」を取り上げざるを得なかったのではないだろうか。多くの国民の希望的思いが、「偽」ではなく、「愛」を選ばせたに過ぎないのである。

 来年は、ほんとうに心から「愛」を感じられるニュースで記憶や記録が一杯になる年であってほしいと、心から神様に祈る気持ちである。


 
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「どけ!!」って言えと教える父親。

2005年12月25日 | とんでもない!
 今日が本当のクリスマスなのだ。近くにあるモスバーガーの店の前には、何と「町に待ったクリスマスがやってきました。」って書いてあったのだが、どうも店の女の子にとっては、町にクリスマスが来るらしいのである。

 今日の午後、隣り町に出来た大きなショッピングプラザに初めて出かけたのだが、そこで何ともびっくりする様な場面に出くわしたのである。

 ある衣服の専門店のキッズコーナーで小さな子どもたちが数人、プラスチックブロックで遊んでいて、親子や兄弟で思い思いの作品を作っては壊し、壊してはまた作って遊んでいたのである。

 三歳ぐらいの女の子も静かに一人で遊んでいたが、パパと思われる男の人が後ろから見守る中で、女の子の前で年上の男の子が遊び出したので、女の子は「邪魔や」って小声で言った。その時後ろに居たパパが「どけ!って言え!!」と言ったのである。

 その女の子はパパに言われて、男の子に対してちょっと大きな声で「どけっ!!」って言ったのである。親父は「それでええんや」と納得の相打ちを打って、しばし後ろからまた見つめているのである。

 それから数回、子どもたちの遊びの輪の中に、何とも奇妙な空気が流れていたのである。また親父は何度も「どけって!!」言えとわが子である女の子に言い続けていたのである。

 とんでもないことである。小さな子ども、しかも女の子に、こともあろうに他人を拒否し、自分の思い通りにならない時は、命令してでも自己主張して、蹴散らしたらいいと言う考え方を押し付けている恐ろしさに、唖然としたのである。

 世の中には、いろんな性格、いろんな人格の人がいるだろう。しかし赤の他人であったとしても、お互いが気持ちよく社会で生活していくためには、お互いの気持ちを伝えることはいいが、相手の気持ちも察して、少しでも譲り合って遊んだり、関わったりできた方がいいのにと思うのである。

 どうも昨今は殺伐とした世の中だが、そんな中で子育て途中の若い夫婦と共にやってきた、まだ小さな子どもたちに対して、こうした育て方をしているのかと思うと、とっても心重く感じたのである。

 まだ30代だと思われる、この親父の表情と心根が何処にあって、どうしてそう言う育て方、言い方を子どもに強要するのかが、全く理解できないのだが、この様な「言い方」や「育て方」を平気でしている世代があるということに、驚きと共に、末恐ろしい日本の近未来を見る思いがして、信じられない気持ちと共に、何とも心寂しく、心苦しく感じてしまったのである。

 どうか幼い子どもたちに、「優しい気持ち」「他人でも労わる気持ち」「我慢や譲り合う心」などを教える子育てをしてもらいたいと老婆心ながら、切に感じて要望したいものである。

 たぶん、この親父の育った家庭環境も、決して恵まれた優しさや労わりのない家庭だったに違いないと思わずには居られないのだが、この様な悪の環境の繰り返しが続く限り、日本の精神的成熟社会への道のりは、遠くて絶望的である。
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留学生とのクリスマス

2005年12月24日 | ファミリーイベント
 皆さんクリスマスイブの今夜は、どの様にお過ごしでしたか。今テレビでは、オードリーヘップバーンの名作「ローマの休日」が上映されていて、モノクロだけれど、とってもロマンチックな映画である。

 一昨日の夜、このロマンチックを体感するような「クリスマスディナー」を、内モンゴルからの留学生の兄妹と共に豪華に?食したのである。

 この兄と妹の留学生にとって兄妹で日本で迎える初めてのクリスマスなので、ちょっと雰囲気のあるレストランで夕食を共にしょうと思ったのだが、日本語を学び出して八ヶ月の彼女にとっては、「ロマンチックなところでクリスマスを!!」との希望もあったので、ドライブしてレストランへと向かったのである。

 ちょうど女性のピアニストがクリスマスソングをメドレーで奏でており、案内されたテーブルはレストラン中央のクリスマスツリーのまん前だったのである。

 そりレストランでは、各々が好みの特別ディナーを注文したのだが、焼きたてのパンをその度にテーブルまで持って来てくれるので、ついつい美味しそうなので、ひとつひとつは小さなパンだが、気づけば一人十個以上も食べていたのである。

 前菜のオードブル、サラダ、スープと順々にテーブルにお料理が運ばれてくるのだが、メインデッシュが来るまでに、おなかは一杯になってしまった様であった。

 みんなお酒は苦手なので、ジュースや紅茶でパンをたくさん食べて、ローストチキンや、シチュー、カツレツ、ハンバーグなどがキレイに盛り付けられて運ばれた時は、お互いの顔を見合わせて、苦笑いしながら頑張ってお互いのメインデッシュを少しつづ分け合って、味見をしながら無理やりおなかに運んだのである。

 それからレストランを後にしたのだが、中国内モンゴルから始めて日本にやってきて、京都で八ヶ月を過ごした彼女は、実は今朝関西空港から、郷里の内モンゴルへと里帰りの旅に飛び立ったのであるが、その夜は「とっても楽しい」を連発しながら、「今のレストランは高かった」「今度はもっと安いお店にいきましょう」と日本では決して高級でもない、ふつうのファミリーでも行くレストランだったのだが、ご満悦であった。

 その夜は、近くのカラオケ店に二次会として向かって、中国では誰もが知っている日本の曲である「四季の歌」や「北国の春」だけでなく、テレサテンの「時の過ぎ行くままに」も歌って、中国語の流行歌も数曲歌ったのである。

 兄は「河島英伍」が大好きで、日本滞在も五年目になるので、日本語で「酒と涙と男と女」「天秤ばかり」などを熱唱していた。

 私たちは、日中、日蒙の友好交流を、お互いの歌を通じて、賛美しあって喜びながら、楽しいクリスマスの夜を過ごしたのである。


 

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沖縄地上戦の悲惨。

2005年12月21日 | とんでもない!
 戦後60年の記念すべき2005年も、あと10日で終わろうとしていて、明日は冬至である。冬至には何故かかぼちゃを食べて、ゆず湯に入るという習慣文化が伝わっている。

 ところで私が言うまでもないが、1945年8月15日に、あの忌まわしい第二次世界大戦が『敗戦』という屈辱的な形で終結したのだが、ここに至る数ヶ月は、日本にとっては言い尽くしえない戦争の悲惨さを実感したと事実が続出していたのである。

 中国本土や南太平洋などでの日本軍の戦いぶりや撤退、玉砕の事実も次々とあったのだが、日本本土は「まだまだ日本軍に勝利あり」と国外への作戦が続いていたのである。

 しかし四月一日、遂に沖縄本島、読谷村の海岸から米軍が上陸し、本土決戦への防衛線として日本軍兵士のみならず多くの沖縄島民が戦火に巻き込まれ、悲惨な死を迎えざるを得なかったのである。

 その沖縄戦が終結したのが六月23日であり、その後中国本土、特に満州国という傀儡政権を作っていた日本軍が撤退を余儀なくされて逃走し、ソ連の不可侵条約違反の参戦もあって敗走した日本軍と入植していた日本人の悲惨な逃亡、わが子を見捨てざるを得ない、現在の中国残留孤児問題に通じる実態があったのである。

 その後8月6日に広島、8月9日に長崎に米軍による『原子爆弾』が投下され、未曾有の焼け野原と一般市民の悲惨な犠牲者が出て、8月15日の「終戦の勅語」となったわけである。

 しかし沖縄戦について多くが語られることが少なく、戦後28年間も米軍の占領地として統治されていた沖縄県民のほとんどが肉親を、この沖縄戦で亡くすという悲惨かつ思い出したくもない事態を経験していたのである。

 昨夜NHKテレビで、今年6月18日に放送されたテレビドキュメンタリーの再放送がされていたので、食い入るように見たのであるが、戦後60年経った現代になって、ようやく語られ始めた『沖縄地上戦の実態」のいくつかが紹介されていたのである。

 私は1990年に、実はこのドキュメンタリーでも紹介されていた、「読谷村のチビチリがま」を訪ねていて、その当時はまだガマの中には多数の遺骨と、このガマの中で自決した人たちの遺留品が残されていたのを見て、強いショックを覚えたことを記憶している。

 このドキュメンタリーでは、チビチリがまでの集団自決83人の事実を知る生き証人、知花カマドさんと読谷村から集団移住を余儀なくされヤンバルを逃げ惑った後、渡野喜屋という北西部の海岸近くで米軍に匿われていた一般県民が、日本軍兵士からスパイの疑いを掛けられて殺戮される痛ましい事件の生き残り証人たちの証言もあった。

 読谷村では1963年から14年間、読谷村史編集室の六人の職員で、2500人の村民の証言を集めて、沖縄地上戦の事実を歴史に残す作業を続けられ、ようやく沖縄島民で犠牲になった10万人以上の兵士以外の島民の一部である、当時の読谷村民13000人中、3000人の死亡の実態の一部が記録されたのである。

 今も読谷村の多くが米軍基地に占拠されていて、象の檻と称される米軍通信基地をはじめとする軍事施設が、日米地位協定なる、とんでもない日米安保条約下の約束ごととしてノサバツテいるのである。

 思い出したくもない「第二次世界大戦」が悲惨な敗戦を迎えて、60年も経っても、いまだに米軍が占領している島「沖縄」をほんとうに独立国ならば、日本に完全に返せと叫びたい心境である。

 普天間飛行場の返還、移転問題以前に、米軍の完全撤退と、「命どう宝」を信条とする沖縄島民たちの真の願いを聞く耳を持った、日本政府になるべきではないだろうか。
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偽造設計の大罪。

2005年12月20日 | 日本の課題
 今日、一躍有名になった姉歯元一級建築士による耐震データ偽造問題による、マンション、ホテルなどの不良建設物に関しての、建築基準法違反容疑での家宅捜索が全国約120箇所で一斉に行われた。

 この事件の発覚から、今日に至るまで連日、連夜、新聞、テレビを中心に報道がなされているわけだけれど、私はもううんざりである。

 というのは最初の発覚からヒューザー小島社長、イーホームズの藤田社長、木村建設社長、元東京支店長に、加えて総研、平成設計、日本ERIなどの関連会社の社長や関係者が次から次へと時の人としてテレビなどに登場し、最後は国会証言として姉歯氏自身が証言をして、この事件の露出は十分であった。

 しかし、今日の一斉捜索においては、またテレビ各社が全国各地の捜索現場前での実況中継なども行うという意味がどれほどあるのだろうか。

 全く意味のない光景をずっと時間をかけて写し続けるテレビマスコミの実況をさせる意図が全く私にはわからないのである。

 敢えて言えば、事件が発生したり、発覚した時点での報道としての現場報道は、ある程度仕方がなく、最近の小学生女児殺人事件などは広島、栃木、宇治と行方不明地点と遺体発見現場、そして犯人の足取りなどを具体的に報道する意味はあると思える。

 だが、事件の立証、検証のための家宅捜索など、つまり今回の場合はオーム事件の家宅捜索以来の520名もの捜査員を動員しての大捜索だったとは言え、たかが警視庁、県警などの仕事ぶりを一部見せるだけなのである。

 無駄な報道、中継が最近のテレビ番組には多すぎるのではないだろうかと、私は敢えて言いたいのである。

 実は、今回の事件について、誰もが「安心、安心の住居」が事もあろうに危険にさらされている実態が発覚したわけだから、当事者、特に入居者、購入者は怒り心頭しているには違いない。

 今までの発覚以来の報道、関係者のインタビュー、国会質疑、証言、テレビ出演などを通じて、多くの事実が勝手気ままに語られたり、報道されてりしてきたのである。

 そして「誰が悪いのか?」が、いろんな角度から問われてきたのである。

 新聞、テレビを通じて、多くの今回の事件の発覚に至った関係者が報道されてきて、全ての関係者が『悪者』であり、責任重大であることは、言うまでもない。

 しかし、じっくり考えてみれば、やはり一番問題なのは、こういう建築、設計、審査を黙認してきた、国と地方自治体なのではないだろうか。

 確認検査機関を民間にも許可した、国の規制緩和とは何だったんだろうか。

 命や健康という、人間が生きていくための原点とも言うべき、住、食、医などの許可や検証を民間に『丸投げ』した国、行政の責任放棄が、今回の事件の最大の罪だと私は敢えて言いたい。

 耐震偽造の異例の強制捜査という、大イベントに目を奪われるのではなく、こうしたいい加減な、経済性のみを優先した建設を審査、許可した、国土交通省をトップとする、行政の権限は何処で示されたのであろうか。

 全く「建築基準法違反」という告発容疑を姉歯元建築士や法人にかけている実態を報道するよりも、こうしたザル法的取引、すなわち「詐欺」的行為を、人の生活の安全、安心性を軽視して『やりっぱなし』を放置、放棄した責任が一番大きい。

 「偽造設計マンション、ホテルの建設」の大罪の一番手は、国と行政であることを忘れてはならない。

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今年の三作目はポッター。

2005年12月19日 | ファミリーイベント
今年は映画を観る機会が何故か少なく、今日三度目の映画鑑賞となった。その映画タイトルは「ハリーポッターと炎のゴブレット」であった。

 家人によれば正月早々の一月に、トムハンクスの「ターミナル」を観て以来、ご無沙汰で、戦後60年の平和記念事業の映画としての宮沢りえ、原田芳雄の「父と暮らせば」を市民会館で観たが、映画館では今年二度目であったという。

 映画はとっても好きなのだがなかなか映画館で鑑賞する時間がなく、ビデオやDVDでの自宅鑑賞も、あまり集中して観れないので、結局、今年は少なくなってしまったのである。

 衛星放送の「寅さんシリーズ」は、時折夜間に帰宅してテレビをつけた時に気づいて少しだけ後半部を観たことが数度あったとは思うのだが、しっかり一本の映画をちゃんと観る機会は少なかった。

 あと今年も二週間を切ってしまったが、今日観た「ハリーポッター」をきっかけに、あと二本は観たいと思っており、「Allways三丁目の夕日」と「Mr.&Mrs.スミス」がその候補である。

 「ハリーポッターと炎のゴブレット」は、J.k.ローリングの世界的ベストセラー作品の映画化で全世界的に話題になっているが、初登場の作品から四作目ということもあって、主人公のポッターのラドクリフをはじめ、ウイズリー、ハーマイオニー役の二人も少年から青年へと成長してきており、何だか子どもらしさから大人へと変身する過程を辿っていて、少し違和感を感じるのである。

 ストーリー的にも少し設定がややこしくなってきていて、私など単純に映像とストーリーを愉しみたい者にとっては、やや難解というか、わかり難い場面が多いのである。

 家人が必ず鑑賞直前に購入する「映画パンフ」を帰宅後観て、写真と解説を見直して「そうかなるほど」と少しは理解度が向上する程度である。

 今回の作品の映像は、前作と違って一番困難だったと解説本にも書いてあったが、ハリーポッターの在籍する「ホグワーツ魔法魔術学校」と「ボーバトン魔法アカデミー」「ダームストラング学院」と三大魔法学校の白熱の対抗試合と悲喜こもごものクリスマス舞踏会を展開するのである。

 この三大魔法学校の対抗戦の映像のスケールは、さすがCGを駆使し他映画の醍醐味だったが、いろんな魔法を掛けられた人物や動物たちが出て、しかも水中と墓場の「おどおどしい映像」は好きではなく、早くすっきりしたエンディング、すなわちポッターの元気で明るい笑顔で終わることだけを待望していた。

 このハリーポッターシリーズだけではないが「ハッピーエンド」と「勧善懲悪」が映画の王道であり、どんなとんでもない展開が途中にあっても、結局観終わった後に、すっきりした満足感といい気分、すなわち「夢の世界」を擬似体験させられて『愉しかった』となるのが映画鑑賞の素晴らしさのはずなのである。

 今回の『ハリー』も、結論は勧善懲悪のハッピーエンドなのだったが、途中の映像には夢見が悪いというか、思い出したくもない何場面か含まれていたので、今晩の夢に現れないことを祈りつつ、かわいいハーマイオニーを演じたエマ・ワトソンと私の知る少年U.T.君に良く似たポッター役のダニエル・ラドクリフ君だけを思い出しながら眠りにつきたいと思うのである。
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かわいい真央ちゃん。

2005年12月18日 | プロスポーツ
 世界の女子フィギュアスケートの世界が、日本の選手たちで大変賑わっていて、来年の冬季トリノオリンピックへの選手選考争いも混沌とする中で素晴らしいスケーティングの数々を披露してくれている。

 日本女子フィギュアスケート選手で、弱冠十五歳の「浅田真央ちゃん」が東京代々木競技場で開催されたフィギュアGPファイナルに初出場し、世界一の快挙を成し遂げたのである。

 まだ幼さの残る中学生の少女なのに、日本の人気ナンバーワンの安藤美姫、ドーナツスピンの中野友加里、そして世界の銀盤の女王と呼ばれる。ロシアのイリーナ・スルツカヤ等を押さえて優勝したのである。

 ソルクレートオリンピック五位入賞、02、03年に世界選手権で連続銅メダルの村主章枝、日本選手としては長身で、04年世界選手権で日本選手として三人目の優勝をした荒川静香、そして前述の安藤美姫、中野友加里を加えて、もうひとり02年のGPシリーズではプロスト杯、NHK杯を制した恩田美栄と五輪への出場枠三席を、候補者六人で争う盛況ぶりである。
 
 そんな中で、一番最年少の浅田真央ちゃんが、素晴らしい演技で優勝を掻っ攫ってしまったのだが、彼女は五輪への出場資格である16歳に規定により、80数日不足していて出場不可能なのである。

 国際スケート連盟の会長も、規定を変えて浅田の出場を許可するわけには行かないが、個人的には五輪で早く浅田真央ちゃんの演技をみたいと語っていたほど、少女『浅田真央』のスケーティングは素晴らしかったのである。

 かつて、伊藤みどり、渡部絵美らの女子フィギュアスケートで、国際的に名を轟かした女性たちはいたが、こんなに日本の国内でも競争が激しいようになった状況で、十五歳の若い少女の出現には、驚かされる嬉しさである。

 まだ女子中学生の頭の中までは想像できないが、シングルハンドでビールマンスピンと連続トリプルアクセルを魅せてくれる彼女の精一杯の演技には、ほんと感動するものである。

 あの大人びた仕草も、審査員の評価を高めるための女性っぽい所作なのだが、まだ幼い顔だちに、少し濃い赤の口紅をつけて、ポニーテールを手でなでたり、そこ他にいろんな仕草が組み入れられていて、何とも涙ぐましいというか、努力のあとが見え隠れするのである。

 浅田真央ちゃんは、「トリノには行きたいけど、次のバンクーバー五輪には絶対行く」と健気にも言う、女子中学生の可憐な姿に、おじさんたちは我が娘、我が孫娘をダブらせて、嬉しい気分なのである。

 それにしても18歳になった「安藤美姫」と、15歳の「浅田真央」の二人の持つ雰囲気の違いは大きく、大人の女性を感じさせる美姫ちゃんと大人に近づこうと一生懸命の健気さがかわいい真央ちゃんに、大いなる声援を贈りたいと思うのは、日本中の多くのファンの心境ではないだろうか。

 オリンピックに行くか行けないかだけでなく、暗いニュースが連続的に起きた、晩秋から冬にこかけての現代社会に、大きく輝く明るいニュースとして、連日報道されている日本女子フィギュアスケートの各選手たちに、ありがとうと感謝のエールを伝えたい心境である。

 年末の今年を著す言葉として、今年は「愛」が選ばれたが、これは「愛」ら対する願望であり、『愛』を大切にしたいとの決意でもある様に思うものである。
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