ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「マラソン」ブーム。

2011年11月30日 | イベント
 今日で十一月も終わって、明日はもう12月で一年の最後の月、あと31日で2011年もおしまいという時期になり、誰もが「一年はあつと言うまだね」と感じておられることと思います。

 実は、今日は私の孫の小学校で「マラソン大会」があるということで、我が女房は朝から出かけていて、たぶん孫の応援と共にまだ幼い下の男の子の子守に出かけているのですが、今年は3月に起きた東日本大震災とそれに次ぐ福島原発の事故による放射能汚染問題を巡っての被災地及び被災された方々への「激励」や「復興支援」になればと、各地で開催されている「市民マラソン大会」もとても大賑わいだとのことです。

 先日行われた我が故郷、大阪で初めて開催された「大阪マラソン」も10万人もの応募があったそうですが、参加が許されたのは3万人で、それでも出発場所から御堂筋にかけての沿道は、ほんとうに心斎橋筋商店街の様な混雑振りで、たくさんの一般の市民に混じって、テレビ局の企画やタレントの出場もあって、賑やいでいた様子でした。

 そんなマラソン大会の余韻も大阪には未だにある中、例の府と市の首長を決めるダブル選挙が行われたわけですが、ところ変わって埼玉県の県職員である、市民ランナーのヒーローでもある「川内優輝」選手の活躍がとっても話題となっているのです。

 彼は今年二月の東京のマラソンで、一般参加ながら日本人最高位の全体では3位でゴールし、なんと招待選手や実業団のプロのランナーを尻目に、とんでもないタイム、すなわち世界陸上の選考基準をはるかに超える2時間8分台でゴールし、一躍来年のロンドンオリンピックにも出場が可能なほどの注目選手となったのです。

 彼のマラソンにかける情熱とまじめな練習の日々は、現在勤務する埼玉県内の定時制高校の職員としの仕事を忠実にこなしながら、その通勤や仕事前の時間を利用して最大限のけ練習時間を確保されているらしいのですが、毎日12時から21時までの勤務があるために、2時間ほどの午前中の時間を独自の練習方法を編み出して頑張っているのです。

 その上、普通の実業団の陸上部に所属しているマラソンランナーとは違って自らの練習不足を、全国で開催される「市民マラソン」への参加を出来るだけすることで解消するという、誰にも真似の出来ない方法、つまり土日に多く開催されるマラソン大会で走ることで、自分流の練習不足を解消し、より高度な練習としているというのです。

 彼の所属は「埼玉陸協」とされていて、地元の陸上協議会を中心に出場する一般の市民ランナーであり、学生時代から陸上をされていたとはいえ、大学卒業後は地方公務員としての埼玉県庁に就職し、フルタイムでの仕事をした上で、空き時間に練習を積み重ねるというスタイルを徹底させて、今回の好成績につなげたという、もっぱら市民ランナーの星と言われている人なのです。

 あの正月二日と三日に開催される恒例の「箱根駅伝」にも、学生選抜の一員として出場したことがあるとはいえ、名門とか伝統校と言われる大学陸上部に籍をおいたエリートアスリートと呼ばれる注目の選手ではなかったのですが、数年前からアマチュアとしてのランナー、市民ランナーの間では話題の人であり、期待の星だったのです。

 彼は短い場合は一週間のインターバルでもフルマラソンを走るという実力と熱い熱意を持ったランナーなのですが、常に全力で完走を目指しているために、特にマラソンのゴールでは、素晴らしいラストスパートを繰り返して、たいていの場合はゴールテープを切って倒れこむといった場合が多く、全身全霊でマラソンを走りぬくというポリシーを持つランナーなので、毎回ゴール後は、担架で主催者に救護室まで運ばれるというスタイルになっている様です。

 全国各地でマラソンシーズンということもあって毎週の様に開催される大会があるのですが、彼は先日の大阪マラソンにも出場し、今年だけでもフルマラソンを20回以上も完走しているという、スーパーランナーでもあって、今後のオリンピックへの出場の期待も高くなってきています。

 しかし、彼の夢は決して五輪出場にあるのではなく、全国各地のマラソンに全て出場したいという願いを抱いておられるらしく、ほんとうに走ることが好きで、走りたいという思いが先行し、誰よりも早く、誰よりも多く走りたいと言う、「走る男」なのであって、栄誉や栄冠、ましてや賞品、賞金またはプロとしての報酬などは全く望んではいないという、筋金入りの「アマチュア」である、市民ランナーの鏡、市民ランナーのヒーローだと断言できると思います。

 彼の次のマラソン大会での完走シーンを予測しつつ、できればロンドンオリンピックを走る川内優輝選手を見たいと思うものです。
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「兼聴」(多くの人の話を聞くこと)

2011年11月29日 | 感じたこと
 大阪府知事と大阪市長のダブル選挙の結果、大阪維新の会を率いる橋下徹氏が大阪市長に、また松井一郎氏が大阪府知事に圧倒的な票差で当選したことは、どちらに投じたかの違いはあっても、大阪府、大阪市の有権者ならずとも驚きなのかショックなのか当たり前なのかは異なっても大ニュースとなった。

 今日の毎日新聞の夕刊の一面に「兼聴の姿勢が大切」であるとする大阪商工会議所会頭の佐藤茂雄氏の談話からとった見出しが掲載されていて、私にとっては「兼聴」という言葉を目にしたり耳にしたりすることが今までなかったので、国語辞典を引いてみたのだが、小学館の新選国語辞典には「けんちょう」としては掲載されていなかった。

 しかし、大阪維新の会の「大阪都構想」や「役所改革」を進めるにあたっての、「民意」が今回の選挙で示されたという趣旨の発言が橋下新大阪市長からは強調されていたのだが、果たして選挙民でもある大阪府民、市民の全てがこの構想や改革案全てに賛同しているのかと言えば決してそうではあるまいと思うのである。

 つまり、大阪府知事選挙では200万票の得票を得た松井一郎氏に対して倉田候補も120万余票、共産党の梅田候補も30万以上の票を獲得していたし、橋下徹新大阪市長の獲得した75万票に対して、対抗馬の現市長である平松邦夫氏も52万余票を獲得している現実を見るといずれも6割には少し満たない過半数の票を獲得したに過ぎないのである。

 でも、新聞各紙もテレビ各局も、大阪維新の会の圧勝、ぶっちぎりの勝利の如く報道しているのが現状なので、松井新知事については既に選挙当日の11月27日から任期が始まっているので、今朝の初登庁という形であったが、橋下新市長は任期が12月17日からということで、あと20日足らずは平松氏が市長職にとどまっている状況下で、次々と新しい首長としての施策、方針などが先走り気味に報道されつつある感じである。

 いずれにせよ、新府知事ならびに新市長については、選挙結果での当選には間違いはないのだが、「当選すなわち民意」という短絡した発想や一方的な思いで、自らの主張や政策を断行してもらいたくはないと思うのであり、確かに首長としての方針や施策のベクトルは示された上での選挙を通じての当選、首長の座を獲得されたとはいえ十分な議論。すなわち「兼聴」を期待したいものである。

 ところで、この「兼聴」という言葉の意味は簡単なことであるが、そまの真意は如何なものだろうかと思うのである。

 つまり、「多くの人の話を聞く」ということは可能だと思うのだが、他人の話を多く聞くことで、ご自分の意見や意向、理念が変化したり変ったりすることってあるのだろうかと言うことである。

 私のかつてのささやかな経験である「議会議員」としての仕事を通じて、議会での質疑はもとより、多くの委員会での質疑、討論、また関連する行政事務に関わる各種「審議会」や「委員会」に出席させていただき、大いに市民の立場からの率直かつ現実的な意見や感想、または相反する提案なども出させていただいた。

 しかし、ほとんど、いや全ての委員会、審議会、協議会などの中での意見や感想も、「貴重なご意見をいただき、ありがとうございました」とする議長あるいはまとめ役の方の丁重なる謝意でもって審議や討論は終了させられた挙句、それでは事務局もしくは前もって用意されていた「結論」または「答申案」という文章が提案され、一同が「異議なし!」との声か拍手で承認されてしまうといった感じで、全て通過儀礼的「討論」「審議」であったのである。

 結局、「多くの人の話を聞いた」とか、「市民や一般の方々のご意見も拝聴した」という形が必要なのだが、結論は既に決まっていて、「結論先にありき」といったケースがほとんどであり、いつもの通過儀礼としての儀式でしかない様な委員会や審議会、協議会だったと言っても過言ではなく、「聞いてあげた」、もしくは「聞きました」という既成事実を経過報告として示すだけで、内容は既に当局が示していた通りのままなのであった。

 要するに、「兼聴」という形は当然大切なのだが、いくら聞いても、いくら議論したとしても、結論には変りはありませんと言った政治家や首長が大半なのであるから、よっぽどの強い要求、しかも自分の地位や立場がひっくり返る位の脅威にでも感じる反対意見や異なった意見がでない限り、多くの場合は「議論を尽くした」とか「痔間をかけて話し合った」という説明で終了してしまうものなのではないだろうか。

 本当に「腹を割って話す」とか「相手の主張や立場を尊重して議論する」なんてことが可能なのかどうかは定かには分からないのだが、大抵の場合は「議論している」「検討していただいている」という形だけで終わると言った「形式的な民主主義」であって、実際の議論でより優れた、より住民本位の政策やプランが実現するといったケースは稀にしかないのである。

 でも、やはり「兼聴を大切にしてほしい」としか言えない立場からの著名人たちの発言の真意は重く、橋下新市長と松井新知事には、十分なる時間をかけて多くの人の意見を真剣に聞いていただきたいとしか言いようのない思いしか現状ではないのである。
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「大阪都」が実現するか。

2011年11月28日 | イベント
 関西地域だけでなく全国的な話題と注目を浴びていた「大阪ダブル選挙」と言われた、大阪府知事と大阪市長の選挙結果は、予想通りなのか、早や昨日の投票終了後すぐさま、大阪市長には橋下徹前大阪府知事が、また大阪府知事には前大阪府議会議員の松井一郎氏が当選確実とのメディア発表があり、何ともあっけない幕切れとなった。

 「あっけない」と私は感じたのだが、テレビ報道や新聞各紙の記事を追っていると、マスコミは既に投票日を迎える前段階で、大阪維新の会を率いる橋下徹前大阪府知事の大阪市長選での勝利と実質的には大阪維新の会の創始者的存在でもある前大阪府議会議員の松井一郎氏の大阪府知事選の勝利を予測していた様で、昨日の投票日の出口調査と言う手法で、その確信を裏づけした上で、まだ開票も始まっていない時間ではあったが、投票箱が締め切られた直後に、両者の「当選確実」を公表したのであった。

 私自身は、大阪市に産まれたこともあり、大阪府民としても20数年間を過ごした我が町、故郷であるという気持ちもあって、今回のダブル選挙を隣の京都府民として注目していたのだが、現在も高齢ではあるが母が大阪市に住まいしている関係で、自分が代わりにでも投票に行きたいくらいの気持ちであった。

 今回の「大阪維新の会」の旋風は、今春の統一地方選挙での大阪府議会議員の過半数を維新の会推薦の候補者が勝利したことや大阪市や堺市でも議会議員の政党、会派としては第一党を占めるという勢いでの選挙結果から見ても、橋下代表、松井幹事長という二枚看板での「維新の会」の風を止めることは出来ないくらいの力を感じでいたのである。

 しかも、テレビマスコミを中心に、これほどまでに一地方の知事と市長の選挙が関西地区だけでなく全国的な話題となって報じられるほど白熱させたのは、何と言っても橋下徹氏の「大阪都構想」を中心とする「大阪を再生するには構造を変えなきゃダメ」というメッセージと、弁護士として培いテレビタレントとして名を馳せ、大阪府知事としての発信力、発言力を見事に市民、府民に見せたパフォーマンス力の勝利だったと言えよう。

 私自身は、教育基本条例での教員の評価制度や定員割れした府立高校は統合や廃校にすると言った脅迫じみた手法や、例の君が代斉唱義務や教育的価値観の一元化ともいえる「学力偏重」とも取れる教育に対する評価や価値観については、異議を感じているので賛成しかねる面が多々あるのだが、「親方日の丸」とまで揶揄され続けている「公務員制度と職員の意識改革」に対しては、大いに鉈をふるっていただきたいと思うのである。

 果たして「大阪都」の実現に向けて四年間で実質的な構想が実現するか否かは定かではないが、ともかく今までの「公務員天国」とまで言われた、「のんべんだらり」とした市役所、区役所、または府関連の事務所の雰囲気が、少なくとも一変し、市民や府民のニーズや要請に、親身になって応えてくれようとする役人、職員に多くが変貌することを期待している。

 しかし、橋下徹新大阪市長が当選確実となった直後の記者会見などで強調されている「民意」ということに関しては、必ずしも橋下氏を筆頭とする「大阪維新の会」の政策や方針、具体的な条例案など全てに賛成や同意をしているわけではなく、なんとなく「大阪を変える。大阪を変えなきゃ!」という勢いに対して、今回の投票率の高かったことの表れでもわかる様に、特に若者や無党派層と言われた、今まで選挙に行かなかった人たちまでもが一票を投じたという現象の結果であることは間違いないのだ。

 つまり、今までの選挙や政治に対して大して関心や興味がなかった人たちをも動員して、選挙にともかく白紙でもいいから行って投票してほしいと投票日前日まで演説の締めくくりで述べていた、橋下氏の願いは多くの市民、府民には届いたことは間違いなく、確かに政治、選挙を身近に感じさせた功績は大きかったと思えた。

 とにかく、橋下新市長も松井新知事も当選後語っている如く、府と市のけ連携による「大阪都」構想の実現へのハードルは高いものだから、拙速にことを急がず、わかりやすい説明と議論を通して、「民意」とて一つではなく多種多様だし、時が過ぎれば変ったり冷めたりもするものだから、じっくりと語りやるべきこと、特に公務員改革については協力に既成権力や利害に立ち向かって戦い進めていただきたいと思うのである。

 ほんとうに市民、府民にとって「大阪が変った!」と実感できる様な「変化」をじっくりと見届けたいと思っている。
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「あの国」賛歌。

2011年11月25日 | 感じたこと
 突然に、「あの国」って言われたら、現代の日本人は何処の国を思い出したり想定したりするのでしょうか。

 世には「あの国で○○したい」と思う人のための雑誌が発行されていたりして、この場合の「あの国」とは、そま人が行きたいと思っている国、すなわち「英語留学」とか「自然体験」とか「ワーキングホリデイ」制度を利用して行って生活してみたい国といった感じで、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そしてEU諸国、あるいは東南アジアか、はたまた全く未知の国に行ってみたい人への情報を提供してくれる雑誌なのです。

 しかし、今回紹介する「あの国」とは、現実とは切っても切れる縁があるはずなのに、誰もが行って来て帰ってきたことがないので、その実態がわからない想像でしか描けない、語れない「あの国」、すなわち、「あの世」ともいう「天国」あるいは「地獄」とも言われる「黄泉の国」のことを歌った、私の古くからの友人でもある「和田芳治氏」の「あの国讃歌」をご紹介したいと思います。

 彼は、広島県の山奥、現在は町村合併で「庄原市」を現住所とする総領町という町に住む、「過疎を逆手に考える会」を30年前に創設して以来、公職としては町の教育長を最後に職業的報酬を貰っての生活からは引退されたけれど、いまだとにかく元気をとりえに「私の恋文」という面白くて元気が出る「個人誌」を毎月発行しているというおじさんなのですが、とにかくユニークかつアイデアマンであり、常にポジティブ志向で忙しくされている方の作品なのです。

 いつも、この「私の恋文」を拝見していても彼の発想や創作された言葉、当て字とも言える述語には驚いたり、なるほどと関心したりの連続であり、彼の並々ならぬエネルギーや熱意を心のそこから感じることが多く、いつのまにか励まされていたり、その言葉の虜になっていたりする場合もあるのです。

 広島県だけではありませんが、日本の至る所に現在は「限界集落」と言われるほどになってしまった「過疎の集落」が点在していて、特に若者たちが村や集落を後にして都会、町に出て行ってしまって、その集落には「年寄りしか」残っていなくなって、どんどんと村や集落が寂れて行くといった現象が現実化していて、なかなか行政のサポートや支援だけでは「元気」や「活気」を取り戻すことが出来ない状況が大半なのです。

 そんな中、彼を中心に、この「限界集落」とまで言われかねない過疎の集落、町を少しでも元気に活気を感じる存在に近づけ様と活動されているのですが、最近の「私の恋文」によると、「里山拡命」と称して、最高の「里山暮らし」を「志に向かって、一段一段登って行く」という決意と表現を常にしながら、人と自然が元気で笑顔あふれる「持続可能な社会」としての「里山」を目指して、彼の言う「志のある住民」、つまり、「志民」たちと共に歩むという、とっても力強い方なのです。

 「私が変る。私が変える。」という「志民」の「志願兵」たちを束ねて、「楽しみながら、汗を流し続けたら、最高の里山暮らしが手に入りました」と言う彼は、3・11の東日本大震災の被災者や被災地の厳しさをバネに、「面白がれば、何だって面白い!」と「遊び半分」の「まちづくり」を展開し(あがき)、素敵な里山暮らしをして来ましたと記しておられるのです。

 さて、その和田芳治氏が作詞した「あの国」讃歌です。曲はまだなく募集中とのことですので、腕に覚えのある方はぜひ挑戦していただき、替え歌でも何でも歌ってみては如何でしょうか。

 
     「あの国」讃歌

 「あの国」はいいところです
 その証拠に「あの国」に行った人は
 誰一人帰って来ていません
  笑顔があふれています
  拍手も来ます
  「ありがとう」もあふれています
  パチンコも宝くじもありません
  夢に向かって汗する「あの国」には
  パチンコも宝くじもいらないのです

 「あの国」はいいところです
 その証拠に「あの国」に行った人は
 誰も帰って来ていません  
  乾杯が続いています
  歌も弾けます
  「ときめく恋」もキラキラ時々
  糖尿も高血圧もありません
  夢に向かって汗する「あの国」には
  寿命も限りのいのちもないのです

 「あの国」はいいところです
 その証拠に「あの国」に行った人は
 誰一人帰って来ていません
  「逆境」もあふれています
  「天災」もあります
  「希望」があります仲間もいます
  我張れば我張るだけ拓ける道
  夢に向かって汗する「あの国」には
  輝く明日は必ず来るのです。
 

 
 
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「居職」って言葉知ってました?

2011年11月24日 | 感じたこと
 先日の毎日新聞の夕刊だったと思うのですが、ちょっとした隅の欄に、いくつかの漢字の熟語が掲載してあって、どう読んでどういう意味なのかを問いかけるコーナーとして、このブログのタイトルとした「居職」と「校書掃塵」が出ていて、「居職」は、「いじょく」と読んで自宅に座ったままする仕事だということを知りました。

 「校書掃塵」は、なんとなく「こうしょそうじん」と読んで、文章を校正しても、全く間違いや言い回しが全て正しくなるということは、まずないという意味の言葉だということは分かったのですが、この言葉も今まで私は使ったことも、見たり読んだことがなかったので、幾つになっても日本語の中には知らない言い回しや述語、または漢字やことわざ、言い回しがあるもんだなと、改めて思ったものでした。

 前者の「居職」についてなのですが、まず何故「いじょく」と濁って読むのかは疑問を残しているのですが、私のデスクの前にある国語辞典には、「自宅に座ったままする職業。仕立て屋、はんこ屋など」とあり、反対の言葉として「出職」が掲載されていました。

 ついでに、この「出職」について引いてみると、やはり「でじょく」と読み、「職人のうち、おもに出かけて行って仕事をするもの。大工、左官、屋根職など」とありましたが、昨今ではどういう職業のことを「出職」というべきかと考えれば、間違いなく「営業職」や「屋台や売店での売り子たちやタクシーや自動車のえ運転手や、外での仕事を主にしている人がたくさん居るのですが、さっぱり「出職」などという言葉は使いませんね。

 また「居職」についてですが、まず浮かんだのは、やはり現代社会の仕事としては「パソコン」を相手に自宅で仕事をする人がたくさん増えていて、会社や事務所に行かなくても立派にパソコンの操作でコミュニケーションをとり、指示や確認、交渉、契約までしてしまうビジネスも多くなっていると思えました。

 たとえば、普通の家庭の主婦が子育てや家事の合間に、パソコンに向かっての「内職」や「発注された仕事」をこなすと言った風の業務も増えている様で、これらの現代的な仕事のやり方も、ひょっとしたら「居職」と言ってもいいのかもしれないと思ったのでした。

 しかし、現代の日本社会にあって、少子高齢化が益々進んでいる昨今なので、たくさんの中高年の人たちの中にも、「出職」ではなくて、「居職」と称してもいいと思われる様な仕事の形態やボランティア、あるいは地域の自治会や趣味や習い事のサークルなど、決してビジネスではありませんが、日々の生活の中で、パソコンや携帯、FAXなどの家庭内にある伝達手段、便利なツールを活用しての文書作成や映像作成などに多くの時間を割いている方々をお見受けする時代となっています。

 決して「居職」状態を茶化したり批判したりしているのではありませんが、結構優れた作品とでもいうべきレイアウトや写真を取り込んだチラシや案内状などを頂戴する機会が増えてきましたので、その制作にかかった時間やコストを考えてれば、専門家や業者に委託したり発注したりしたものではなく、自らが経験と失敗を繰り返しながら制作されたのであることを聞かされたりします。

 私自身も立派に中高年の仲間入りをしているわけですが、パソコンの前に一日中座ってやる仕事や業務は耐えられないのではないかと思っていたのですが、いつのまにかそういう日もあっても、決して苦にならない様な立場となっていることに気づいているものですから、私も「居職」の一員なのかも知れないと思う様になりました。

 昔の様な「仕立て屋、はんこ屋」を例にあげた様な「居職」という仕事の形態や仕事の仕方が、現代では非常に少なくなってきて、多くの人が大小の違いこそあっても、組織立っての工場や事業所に集まってする仕事の方が、効率が良かったり、仕事の全体像が見えて、仕事を統括したり指示したりする側にとっては、望ましかったりやり易かったりする面が多いとは思いますが、この「居職化」の新しい流れは徐々により進んで行くのではないかと推察できます。

 そう思って思い出して見れば、私の友人の中にも現在も現役で、自宅でパソコン相手に事業を展開している、自営業者が数人居て、彼らは今思い起こせば十数年前、すなわちパソコンが普及し出した1990年代から、そうした形態での事業を自営で始めておられるので、かれこれ20年以上、居職としてパソコンの前での仕事人間を続けておられるわけです。

 こうした「居職」と称されてもいい職業に長年携わっている方々には、失礼かもしれませんが、何とも「目や肩、そして体全体が凝る」といった症状や、また座ったままの姿勢が長く続いての「痔」の発症や「疲労」の蓄積やストレス、または「うつ」の症状などが出やすいのではないかという、心配を持ってしまうのですが、如何でしょうか。

 ぜひ、「居職」と言われる人々も、気分転換や病を発症しないためにも、適度な休憩と軽い体操や外出が必要だと思いますよ。

 秋から冬への季節の移り変わりを強く感じる今日この頃ですが、ぜひ気分転換も兼ねて「外出してくださいね」と老婆心ながら感じたものです。

 
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「来たれ、野球部」

2011年11月22日 | 感じたこと
 図書館で、その日に返却された本棚に載っていた本の中に、ちょっと目を引くカバーとタイトルの「来たれ、野球部」という、鹿島田真希さんの単行本を見つけて、他の借り出した本と共に二週間の借用期間に読むこととなりました。

 いつもは、まず手にとって読むこともなかった類の本と言ってもいい感じの本なのですが、「もしも高校野球部の女子マネージャーが、ドラッガーのマネジメントを読んだら」という、映画化までされたベストセラー本と装丁の漫画絵がそっくりだったために、野球好きの自分の興味も重なって、軽い気持ちで手にし読むこととなったのです。

 鹿島田真希さんと言えば、まだ30代半ばの若い女流作家で、高校時代からドストエフスキーなどのロシア文学に傾倒し、フランス文学を大学では専攻し、大学在学中に友人の勧めで1999年に応募した自作の「二匹」で、第35回文藝賞を受賞し、作家としてのデビューを飾った人なのです。

 その後、2004年に「白バラ四姉妹殺人事件」で、三島由紀夫賞候補となり、翌年2005年に長崎の原爆を主題にした「六○○○度の愛」で、三島由紀夫賞を受賞した作家で、2006年には「ナンバーワン・コンストラクション」で第135回の芥川賞候補となった他、2007年「ピカルディーの三度」で野間文芸新人賞、2009年には「女の庭」、2010年「その暁のぬるさ」でも芥川賞候補となった、純文学の期待の新人作家だったのです。

 そんな純文学作家が描く、高校生の恋と青春ドラマとはどんなものだろうかという興味もあって、読み出した「来たれ、野球部」でしたが、内容、あらすじは期待した世界とはイメージの違う、少し奇妙な青春のドラマに高校教師や友人たちが関わるという展開で、現代の普通の高校生たちの日常生活や恋やクラブ活動といった想像とは異なる世界でした。

 頭脳、容姿、運動神経の三拍子揃った「選ばれし・喜多義孝」という青年と、彼の幼馴染みの目立たない「普通の女の子・宮村奈緒」が主人公で、10年前に自殺した同じ高校の女子学生の残された日記に、学園の野球部のエースである喜多が影響を受け、織り成す彼女、奈緒との日々が綴られてく行くのであった。

 そこに、小説では絡んでくる二人の担任でもある高校教師で、野球部顧問・浅田太介と音楽教師の小百合先生が登場し、二人の日常生活の中で、野球部顧問の浅田は喜多に、また音楽教師の小百合先生は、ピアノを弾くことが大好きな奈緒に、いろんな場面で絡んでくるのであった。

 この小説は、マンガ調の表紙やタイトルが青春物と一目でわかる様な装丁なのだが、作家は純文学の鹿島田真希ということで、そのギャップは何かと疑問に感じる読者に対して、帯の案内で著者は「私は文学を高尚なものにはしたくなくて、ドストエフスキーやバルザックのように三面記事を読んでネタにするような娯楽読み物でありたいと、この小説を書きました」との言葉を記していて、なるほど彼女の書く「娯楽物」とは、こういうものなのかと自問自答しながら読んだのでした。

 しかし、物語は決して高校野球のエースが颯爽と活躍し、甲子園に駒を進めるといった感じの「野球部ドラマ」ではなくて、喜多と奈緒の屈折した恋愛感情とでもいうべき、すれ違いの感情や行動、言動がちりばめられていて、何とも理解しがたい部分もあって、これも青春の不可解さかなと、妙な気持ちで納得しなければならない場面も多くありました。

 相手を愛するからして、相手を尊敬するからこそ、自分が相手にはふさわしくないと感じる様な女心があったり、好きだけど消極的になってしまう自分が居ることを知りつつ、なかなか近寄れないという複雑な心境などが、度重なって、挙句は喜多が奈緒にプレゼントがあるからグランドに先に行ってくれと要望し、その数分後に「どさっと」した大きな物音と共に、校舎の窓から喜多自身が飛び降りて来る、すなわち「自殺を図った喜多」、なんてシーンが描かれていて、何とも理解に苦しむ内容もあった。

 特にこうでなければと言った小説のストーリーや演出を期待していたわけではないのだが、小説とて読者に対するエンターテーメントとしての側面を強く感じるとすれば、このような娯楽性やパフォーマンスも、いずれ「もしドラ」と同じ様に映画化やテレビドラマ化されるかどうかは定かではないが、たぶん映像化した時のシチュエーションとしては想像できる展開だとは思ったのである。

 つまり、やはりフィクションの世界であり、いくら高校生だとしても、同じ様に感じたり行動したりする学生ばっかりがいるわけはないので、少し刺激的であり、少し変わったキャラクターの人物、その上付加価値的魅力を感じることの出来る様な、人物設定やストーリー展開が、小説には必要なのだろうと、妙に納得したりもしたものであった。

 いずれにせよ、「来たれ、野球部」という鹿島田真希さんの大衆小説は、純文学とは言いがたいが、それなりに青春、高校生という、今の時代に生きる若者たちの心の中や生き様、そして希望や恋や現実の葛藤を、少し違った切り口で、作家がフィクションとして創作した作品として、面白いと感じることが出来たのであった。

 

 

 
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「太鼓持ち」って感じです。

2011年11月21日 | 感じたこと
 「太鼓持ち」って、人にヘツライ機嫌をとる者のことですが、特に宴会などでは、主賓だけではありませんがお偉いお客さんの機嫌をとって、その席を盛り上げることを職業としている男性のことを意味し、語源的には「幇間(ほうかん)」と呼ばれる者なのです。

 突然、何故に「太鼓持ち」のことを記す気になったかと言えば、言わずもがなですが、最近の民主党の首相たち、特に野田佳彦首相の姿と言動をメディアを通じて見聞きするたびに、まるで「太鼓持ち」でしかあり得ないと感じる様になったからなのです。

 一番最近では、ハワイで開催されたASEANの首脳会議に出席した野田首相が、講演の中で米国がイラン、アフガンなどの中東諸国との戦争に著しく関与した時期から脱却しつつあり、環太平洋の諸国間でのTPP交渉だけでなく、東南アジアを取り巻くASEAN諸国に大変な関心を持ち出していて、オバマ大統領が最重要地域として名指しして関与を強調しだしているので、その姿勢に対しての協力、理解を示すだけでなく、積極的に日米が積極的に関わっていくことを言明したからなのです。

 まるで、東南アジアのいろんな国が利害を一にするために集まっている会合とは言え、日本はオブザーバー的立場であるにも関わらず、大国アメリカ合衆国の威光思いを代弁する様に、わが国もアメリカの同様な考え方を持っていて、これからの日本は東南アジア諸国を大切にアメリカと共に歩みますと宣言している感じなのであった。

 これらの言動を見聞きしていると、まるで東南アジアという宴会場に、まさに「男芸者」の如く、同盟関係にある大国アメリカを持ち上げて、米国の利害と野望、すなわち東アジアにおける、台頭する世界第二位にのし上がった経済大国、中華人民共和国、「中国」をけん制しつつ、まだまだアメリカの経済力と軍事力を持って、世界を制する力はアメリカにありと、場を取り持って、結局は自分を良く見せようとしている「太鼓持ち」、そのものの姿の様にしか感じなかったのでした。

 確かに、昨今の中国の台頭は、経済面だけでなく軍事面でも「南沙諸島」を巡る海中資源などを目論んでの覇権主義的行動に出ている実態をはじめとして、周辺のアジア諸国には脅威と与えていて、中国特有の既成事実化という力の行動を伴った戦略に、徐々に押し切られ兼ねない勢いを感じている国があり、日本も黙って入られないという立場ではあります。

 しかし、日本が本当の東南アジア連合や東アジアでの政治的外交や経済的交流の中での優位に立ったり、指導的立場に立とうとするのであれば、アメリカの名や力を借りたり頼らずに、正々堂々と中国をはじめとする関係諸国への発言や発信をすればいいのですが、いつもまともには口が聞けない様な弱腰であり、直接的な言動は刺激し過ぎるとの思いもあってか、アメリカを持ち上げての代弁者という影で、「本音を語る」といった風情の、いわゆる「太鼓持ち」的姿になっているとしか思えないのです。

 民主党への政権交代以降、鳩山由紀夫首相の「普天間基地の移設問題」をしかりでしたし、菅直人首相の「TPPへの交渉参加問題」もアメリカ訪問の際に、オバマ大統領から受け取った依頼が基で、積極的な検討を約束してきたとの過去があったわけですし、野田首相の今回のTPP交渉参加への決定に至った過程も、まさに「オバマ」を主人とする「太鼓持ち」的役割を演じつつ、「私も参加します」と言ったという形ではなかったのでしょうか。

 そもそも、「太鼓持ち」とは、「幇間」という歴史的な宴会での男性の職業であったそうですが、「男芸者」や「太夫衆」とも呼ばれ、豊臣秀吉の御伽衆を務めたと言われる曽呂利新左衛門という、大変機知に富んだ武士を祖とすると伝えられているらしく、秀吉の側に居て、秀吉の機嫌が悪い時は「太閤、如何で、太閤いかがで」と太閤を持ち上げて機嫌をとっていたため、「機嫌取りが上手な人」を、「太閤持ち」と言うようになって、「太鼓持ち」と言われる様になったのだと言われている。

 「幇間」と言われる、「幇」は、助けるという意味で、「間」は、人と人の間、すなわち人間関係を表していて、このふたつの言葉で「人間関係を助ける」というのが「幇間」なので、宴会なのでは接待される側と接待する側の間に立って、客同士や芸者と客の間の雰囲気などを楽しく盛り上げる「遊びの助っ人」的役割が「幇間」、「太鼓持ち」の真の意味なのだ。

 しかし、この「太鼓持ち」という職業は、江戸時代の元禄の頃(1688~1704)に始まって、賑やかな花柳界や宴席では、吉原の幇間が一流とされていたらしいが、現在では東京に数名と関西には1名しかおらず、絶滅寸前の職業とまで言われていて、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」と共に、失伝されつつあり、古典落語の世界に「噺」として雰囲気が残るだけといった感じで、男性の職業としては「らしくない仕事」の代名詞とされた時代もあったという。

 いずれにせよ、野田首相のアメリカの「太鼓持ち」の様な言動もケシカランが、首相の風貌や物腰まで、お笑いグループ「ダチョーくらぶ」の上島竜平さんに良く似た顔立ちや体格のこともあってか、ほんとうに「男芸者」や「太鼓持ち」に思える昨今ではないだろうか。

 一国の首相は、もっと堂々と自国が主体の「わが国の国益」を第一に、アジアの真のリーダーシップを感じられる発言と行動を旨として、地味でも安全運転でも、ドジョウでもいいから、アメリカの太鼓持ちをする役割だけは止めてほしいものである。
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GNHの国ブータン。

2011年11月20日 | 世界の問題
 世界でGNHと称される、国民総幸福度を大切にする国として有名な、アジアの小さな山の中の国「ブータン」の若き国王夫妻が、新婚旅行をかねて日本を訪問されていて、昨日は雨の京都を訪ねられて、金閣寺をはじめとする京都で過ごされ、東日本大震災と大津波でほとんどの松が倒れた岩手県の一本松で有名になった倒木を、京都の学生たちが大きな木彫の仏像彫刻に作り上げていて、その過程での「ノミ」を国王ならびにお后がいれられるというい一幕もあり、仲睦まじいお二人に多くの人が心を癒されたと思うのである。

 この「ブータン」という国は、インドと中国という人口が世界の一位、二位を有する大国と国境を隔てる、日本の九州程度の小さな国土に、何と70万人ほどの国民が生活するという小さな国で、しかも北部はヒマラヤ山脈に連なる山々が占めるという海抜7千メートルにも及ぶ地域が占めていて、平地は少なくほとんど農業と観光で成り立っている国のようである。

 そうした決して恵まれた資源や工業製品などの輸出などで、経済が潤っている国ではないのだけれど、タイトルにも題した「GNH」という、GNP(国民総生産)とは全く違う尺度で、とっても「幸せ」を感じる国民が多い国として世界に名をとどろかせているというから、不思議な国でもある。

 その小さな国の若き国王夫妻、31歳の国王と21歳のお后が、先月に結婚式を挙げられたばかりでの初のご旅行先として「日本」を選ばれて、特にこの春に起きた東日本大震災の被災地、東北への訪問を希望されての来日だったと聞くと、はなばた恐縮というか、少しびっくりするくらいの「親日家」としての国王夫妻だけではない、ブータンの人々の「日本への思い」に感激すら覚えるし、大震災に関しては1億ドルの義援金だけでなく、国をあげての震災被災者への追悼の儀式をされたりと、もはや感動以外の何物でもないのである。

 日本は戦後の高度経済成長期から1990年代に至るバブル経済絶頂期を経て、ここ20年ほどは「経済混乱期」の如く語られたりしているし、TPP交渉への参加表明だけでなく、「円高」「雇用の低迷」「産業基盤の海外への流出」など、資本主義経済下の多種多様な矛盾が、ここ数年露呈してきている様子で、毎年ごとに首相が変るという政治的不安定さ、国民の政治への信頼が著しく低下していると思われる昨今ではあるが、ブータンでは国民の94%が「幸せである」と自認しているという、経済だけでは幸せ度は計れないことを立証している国と言ってもいい国があるのである。

 国民総幸福量は「Gross National Happiess」、がGNHであり、物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさを尺度に入れた「幸福度」を表す考え方であり、ブータンの前国王がGNPに代わる概念として提唱したもので、現在ブータン王国では、GNHの増大を国の開発政策の理念として掲げ、憲法にも明記しているとされているのである。

 世界的な経済不況の中で、日本ならびに日本国民の多くは、閉塞感に苛まれていたりして、常にいつも「景気回復」を願っているといっても過言ではない状況であるが、ブータンでは平均月収は、日本円で2万円程度ではあるが、個人が幸せを感じることが出来る環境づくりを国が目指していて、「幸せ」と感じる国民が9割以上で、イギリスのレスター大学の社会心理学者、エイドリアン・ホワイトによって作成された「国別幸福度地図」では、①デンマーク、②スイス、③オーストリア、④アイスランド、⑤バハマ、⑥フィンランド、⑦スウェーデンについで、⑧ブータンとなっていて、以下⑨ブルネイ、⑩カナダと続き、日本は何と90位にランクされ、アメリカ23位、ドイツ35位、イギリス41位、フランス62位、中国が82位とされている。

 ブータンでは、2年ごとに約8千人もの国民に対し、一人当たり5時間に及ぶ聞き取り調査を実施していて、GNHは、①心理的幸福、②健康、③教育、④文化、⑤環境、⑥コミュニティ、⑦良い統治、⑧生活水準、⑨自分の時間の使い方、の9つの構成要素について質問されていて、特に心理的幸福と言うGDPでは計れないものに対しては、正の感情として①寛容、②満足、③慈愛、そして負の感情としての①怒り、②不満、③嫉妬を抱いた頻度を地域別にも聞いて、国民の感情を地図上で表すという手法もとって、怒りや慈愛に満ちている地域などが一目でわかる様にしているという。

 ブータンの国立研究所所長は、GNHについて、「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々が本当に幸せだろうか」、「先進国でうつ病に悩む人が多いのは何故か」、「地球環境を破壊しながら、成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか」「他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは、人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ」と語り、金融危機の中、GNHに基づく政策への関心が一段と高まっていて、GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないかと言うのである。

 いずれにせよ、人口70万人のブータンの理想と少子高齢化が著しい現代の日本を同じ尺度で「幸福か?」と問うのには無理もあるのだが、若い国王新婚夫妻の表情や物腰をメディアを通じて見聞きしている限りでは、とっても「幸せ度」の高い国の国王としての雰囲気と国民の絶大な信頼と支持があるという実際はうなづける感じてある。

 
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「阪急電車」

2011年11月17日 | 地域の話題
 ひょんなことから、表題の映画「阪急電車」のDVDをレンタルしてきて見たのであった。

めったに自宅のテレビで、レンタルしたDVDを観たり、録画しておいてテレビ番組や映画を観たりすることはないのだが、今回は「芦田愛菜ちゃん」のかわいさに魅せられて、この映画「阪急電車」を観ることとなったのである。

 全くストーリーや映画の脚本の予想もしないままに観たものだから、突然始まったドラマが結婚を約束していた中谷美紀が演ずる女性が、彼氏が別な女性を妊娠させて、その彼女と結婚を宣告するという、とんでもない場面から始まり、彼女は怒り心頭したのだが、結婚式に出席することを条件に、やむ終えず結婚の解消を了承するというくだりがファーストシーンであった。

 中谷美紀が白い花嫁の様なドレスに身を包んで、いやみたらたらで元彼と新婦との結婚式に参列し、あまりにも目立つ衣装のために、新婦から濃い色のショールを少しでも纏ってほしいとの申し出が披露宴中にだされたことから、途中退席し阪急電車に披露宴帰りの目立つ衣装のまま乗るという、非日常的ドラマが始まった。

 原作は、幻冬社文庫から出ている、有川浩氏の同名小説だそうで阪急電車今津線と呼ばれる、宝塚から西宮北口間の往路と復路の約15分間を基本に、物語はいろんな人生の日常が交錯して進んでいくのであった。

 芦田愛菜ちゃん演ずる小学生女児は、おばあちゃんである宮本信子さんと共に阪急電車を乗り降りし、「犬を飼ってほしい」とねだっているのだが、祖母には若い頃の「飼い犬との苦い思い出」があって、なかなか承諾が得られないのであった。

 戸田恵梨香が演ずる女子大生と、すぐに切れる彼氏、また南果歩演ずる子どもの同じ学校の奥さんたちの付き合いでの食事会やお出かけでの、車内での大騒ぎ、また地元関西学院大学の社会学部の同級生同士の出会いと恋、同級生からのいじめに合っている孤独な小学6年生の女の子と、様々な日常に潜む悩みや気になることが、何らかの糸で絡んでいる様に交錯しているのである。

 決して「阪急電車」に限らないのだが、見た目や外見では全く予想も出来ない様な「出会い」や「困ったこと」がその場面、場面に潜んでいたりするのは当然と言えば当然なのだが、そこは小説であり、脚本で何とでもなるものなのであろう。


 特に、南果歩が演ずる普通の奥さんが、子どもの学校の保護者同士というつながりで、賑やかなおばさんの付き合いに振り回されるシーンは印象的で、後半部分で宮本信子が演ずるおばあさんが、この車内で我が物顔で大声を出しておしゃべりし笑うグループの「大阪のおばさん」たちに注意を促す場面、つまり「迷惑をかけるな」という説教をするのだが、実際はこんな場に遭遇しても大半の乗客は「観て観ぬふり」をしてしまっている実態があるので、なんとも「よく言ってくれた」と溜飲を飲む心地になった。

 日常に潜んでいる非日常なのか、それとも非日常的日常なのかは定かではないが、たぶんに阪急電車ならずとも、誰もが「ヨソイキ」の顔をして乗っている電車の車内やプラットホームで、一人ひとりの心の中や、その前後に生じている出来事を、通りすがりの他人が関わったり、口を出すことは非常に稀なことだと思われるのだが、やはり人生の日々は、そうした隠れた日常の悩みや気になることに独り悩んでいたりするものなのだろう。

 映画としての「阪急電車」は、年寄り、若者、中年そして子どもたちの生活の少しを切り取っただけではあるが、その日常に、出来うれば他人がアドバイスできたり、励ましの笑顔を贈るだけでも、「変われたり」、「前進できる」と思える「きっかけ」が生まれるのではないかとの「希望」や「期待」が想像できたのであった。

 大阪を中心とする関西圏では、この映画の題材となった「阪急」をはじめとして、「阪神」、「近鉄」、「京阪」、「南海」などの私鉄電車が走っていて、それぞれの私鉄沿線に住む人たちや住宅地の人柄や人間性の違いなどを、面白可笑しく比較する場合があるのだが、映画「阪急電車」は、そんな庶民の「阪急電車」のイメージとはどうだったのかと言えば、「あんな賑やかなおばさんたち」は、阪急沿線には「いいへんで!」というのが、素直な感想であった。

 ともかく、現代社会が携帯やパソコンなどを通しての顔の見えないツールや情報で動いているのではなくて、生身の人間同士が出会って、話をし、理解したり思いやったりすることのできる、まさに人間性あふれる関係で成り立っているということを、改めて感じさせてくれる映画であったのではないかと思うのである。
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暴力団排除条例

2011年11月16日 | イベント
 今年8月のとある日に、テレビ司会者として絶大な聴取率をかせいでいたといわれる元漫才師の島田紳助が突然の引退を表明し、「この程度で芸能界をやめなあかんねん」と言った迷言を残して去って以来、十月一日に大阪府の暴力団排除条例が施行されるに至って、全国47都道府県全てで、この「排除条例」が適用される様になっているというのである。

 私たちの一般の庶民生活者にとっては、ほとんど何の関係や影響も感じるはずはないのだが、島田紳助が引退という決断をせざるを得なかったほどに、芸能界やスポーツ界では、その関係性とつながりについて、その後も多くの人や組織が問題視されるに至っているたいである。

 特に芸能界と称される世界では、昔から地方での興業という形、営業の受け皿が、その地域の暴力団関係企業であったりする場合が多く見受けられたようだし、またスポーツ界にあっても日本相撲協会という名の相撲興業団体の地方での巡業や本場所も含むチケットの売りさばきやボクシング、プロレスなどでも、この種の組織的サポートで何とかやりぬいて来たという歴史があるたいなのである。

 すなわち、他の業界にも見受けられると思うのだが、地方や初めての地域での興業、タレントやスポーツイベントの開催では、欠かせない協力団体、組織として君臨していたといっても過言ではないのではないだろうか。

 特に昔の「歌謡歌手」と呼ばれる著名な人たちの興業では、まちがいなく地方のその種の関係者が当然の如く、チケットの売りさばきから、会場の設営、接待、送迎など、あらゆる場面に関わって、協力という状況ではなく、取り仕切っていたと言ってもいいくらいの状態であったと聞いているのである。

 私もかつて、70年代ではあるが、芸能界の片隅とも言える、「フォークソング」と呼ばれる音楽の世界で、ささやかにも仕事をさせてもらっていた関係で、たまにはそうした関係者が関わっていると言われている現場に遭遇したり、そうした噂や実態を見聞きしていた関係者から話を聴いたこともあったのである。

 芸能界やスポーツ界の興業面だけではないと思われるが、こういった関係者らしき人たちのことを「やくざ」と称して、俗に何故か「頬に手で斜めに傷」をイメージする形で、一般の人もその世界を指していると思われるしぐさや問題視はしているのだが、おおっぴらには「タブー視」されている場合がほとんどで、あからさまに話したり問題視することは少なかった様である。

 また、現代社会でも多くの地方でのお祭りや花火大会などを中心に、「テキヤ」と称される、屋台や小さな興行を受け持つ人々の集団もしくはリーダー格が存在していて、そういった企画や場所を仕切っていると思われる場面がまだまだ存在していると思われるのである。

 十数年前だったと思われるが、私の住む町の夏のささやかな花火大会でも、私が目撃したのは、数十件の屋台を出している店の主から、場所代?とでも言うべき「御代金」を徴収している「若者」がいて、それも手づかのままの現金を、布の袋に無造作にほりこんでいく姿は、まるでやくざ映画の一場面の如き実態だったと記憶しているのである。

 このような実態を良しとせず、改めようという提案をしても、従来からのシキタリだとか伝統だとか言う表現で、今まではこうした習慣、やり方、手法が踏襲されてきたケースが多々あったのだが、ようやく全都道府県に「暴力団排除条例」なるものが制定されて、ようやく本気で、こうした「あぶく銭」を、ある種の習慣として、この種の団体に持って行かせている実態から脱却しなければということになっているのである。

 しかし、表向きの暴力団ならびに暴力団とおぼしき組織や構成員への利益供与や付け届け、いわゆる「みかじめ料」と称される不当な虚業に対するお金の提供を断ったり、やめたとしても、それまでの人間的付き合いや伝統、歴史、習慣というかたちでの踏襲されるものが皆無になるとは思わないのである。

 条例によれば、公営住宅入居資格、不動産取引、賃貸契約、事業契約、公共工事妨害排除なども含める、暴力団との「密接交際」を禁止し、暴力団関係者との「会食」、「ゴルフ」、「旅行」などを繰り返すことで、警察が「暴力団との密接交際者」と見なして認定し、公共事業からの排除や金融機関からの融資を出来なくするなどの制裁や、マスコミを含む公表がされることとなるのだが、実際はそれほど効果が出るとは思えないのである。

 というのは、この人間社会、古今東西、いずれの世界でも経済的格差や人間の地位や立場による格差が存在していることは間違いのない事実であり、資本主義社会の根本的実態としての「弱肉強食社会」では、必ず「暴力団」と称するとか称されるとかは是々非々でも、そうした底辺での経済活動や表沙汰にはしない取引やケースが皆無になるとは言いがたいのである。

 すなわち、いくら法律や条例で規制したり禁止したとしても、人間社会の裏で底辺で、困った人たちや助けを求めている人たち、組織に対して法外やアウトローと言われていても、仕事する人間、手を貸す人間が必要悪でも存在してしまうのであるのではないだろうか。

 その人たちを私たちは排除したり差別的に見ることは出来たとしても、そうした社会構造下の事情、実態は形や見え方は変ろうとも無くなりはしないのだろうと思うのである。

 ぜひ、自粛や形を変えて付き合うのではなく、きっぱりと縁を切る勇気と共に、その人たちの今後の生計や仕事、生き方のアドバイスや法的サポートも必要だと思うのである。
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