ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

甲州百目柿

2007年11月29日 | 季節の話題
 秋も深まり、朝晩の冷え込みは既に冬近しといった今日この頃です。

 10月初旬まで暑かった感じの今年の異常気象で、なかなか秋を満喫することもなく冬に突入してしまうのではないかと言った印象ですが、テレビメディアを中心に、最近は秋の「紅葉」のオンパレードです。

 私の週末八百屋「ガリバー」にも、秋らしい果実をと、いつもの奈良の富有柿ではなく、珍しい柿を発注しました。

 届いた柿は、しっかりとした筒型の柿で、比較的大きくて美味しそうだったので、販売を前にひとつ剥いて食してみることにしました。

 口当たりもよく適度の甘さもあって美味しいと感じたのですが、最後にどうも渋みが残っているので、可笑しいなと思いつつ、お客さんに販売するのを控えて、ちょっと渋を取れれば美味しいのですがと断って何人かにプレゼントしたのである。

 その際に、何と言う品種の柿かと問われたので、納品伝票のFAXによれば、「甲州夏目」と記してあるので、お抹茶を入れる「夏目」に似た形だからだろうと思ってさしあげていたのだが、問い合わせで「夏目」ではなく、「百目」だということが判明した。

 その上、この品種は主に「干し柿用」に栽培されているもので、アンポ柿とか大きな「干し柿」として食品加工されていることが多いと初めて知ったのである。

 しかも、この「甲州百目」とは、元々は「百匁」、すなわち今のメートル法に切り替わる前の尺貫法時代には、百匁(100もんめ)、現在の375グラム位はある大きな柿という命名だったようである。

 仕入先に問い合わせて初めて知った「甲州百目」の渋柿を、どの様にして食べたらいいかと思案したところ、やっぱり一番は「干し柿」にすべしと、あわてて皮を剥いて、ひとつひとつ紐で吊るして待つこととなった。

 差し上げた家のご家族も、インターネットで「甲州夏目」で検索し、「甲州百目」であることを知って、早速ご家族の人数分を「干し柿」にしようとチャレンジされている様子であった。

 次に、ある方からいただいた「カリン」と格闘している。

 カリンの香りは、とっても好きなのだが、皮も実も非常に固くて、なかなか剥き難いだけでなく、蜂蜜漬けにしても灰汁があってあまり美味しくはならないので、今度は焼酎に漬けて、カリン酒にでもしようかと試みようと思うが、咳止めや喉には良薬となるとのことで、ジャムにも挑戦してみたいと格闘している。

 晩秋の日々、家内も「甲州百目」や「カリン」をインターネットの情報を参考に、秋の味覚を何とか美味しく食したいと格闘しているが、いい加工の方法があればお教えいただきたいものである。

 何はともあれ、いい加減な商品情報で仕入れた私が迂闊だったのだが、そんなきっかけで新しい食品に出会うのも妙味なのかもしれない。

 
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蓬莱の豚饅

2007年11月27日 | 地域の話題
 今では「大阪名物」とさえ言われている「551蓬莱の豚饅」をご存知でしょうか。551の所以は、「ここが一番」であり、創業時の電話番号だそうです。

 大阪、神戸、京都、奈良など、近畿地方だけでしか売っていない「551蓬莱の豚饅」ですが、一日に何と12万個も売れているヒット商品なのだそうです。

 そうそう、あのテレビCMで、「ある時、(思い切り笑い)」、「ない時、(みんなシーン)」でも有名な「551の蓬莱の豚饅」は、全て一個、一個手作りで包んで売っているのです。

 突然、何で「豚饅の話」かと言えば、私の高校時代の同級生だった羅辰雄君が、この「蓬莱」の現在の社長であり、今日の毎日新聞夕刊のウエイクアップ関西の「トップの健康術」に写真入で掲載されていたからなのです。

 高校当時は岸和田の方から南海電車で通学していたと思うのですが、がっしりした体つきの高校生でしたが、とつとつと喋り末は社長やなと皆から言われてはいましたが、数年前の同窓会で久しぶりに再会した時には、堂々とした風格のある社長さんになっていました。

 同級生である我々に、同窓会の二次会の流れで「蓬莱の難波店」に連れて行ってくれてご馳走し、全員にお土産として「蓬莱の豚饅」を六個いただいて帰ったことを思い出しました。

 私も何度かは京橋や京都駅で土産に買ったことはありましたが、同級生が社長をする蓬莱の豚饅として、改めて「美味しさ」を味わうことが出来ました。

 551蓬莱社長としての彼の「健康術」の記事では、クラシックの演奏会とタカラヅカの公演に月一度は通っていて、音楽家の方々との食事などを通じて音楽はボケ防止になるかも知れないと書いていました。

 また大学時代にやっていたチェロ弾きを孫に聴かせようと最近再開して練習しているそうです。

 健康面で気をつけているのは朝晩の歯磨きと半年に一度の歯の点検で、美味しいものを食べるための歯を大事にしているそうで、スポーツは特にしていないが、大阪難波から梅田、天王寺とお店に行くのに、気分転換も兼ねて自転車で走っていて、「自転車の羅さん」と呼ばれていると紹介されていました。

 それにしても、吉本の漫才出身の「なるみさん」と蓬莱のおじさん?が共演していた「ある時、ない時」のコマーシャルは、強烈な関西風の宣伝手法であり、関東では果たして受けるのかどうか定かではありませんが、偽装や偽造の連発する「食品業界」にあって、是非手作りの偽装のない食品としての味と宣伝を続けて、美味しい「551の豚饅」をつくり続けて欲しいと願うものです。

 こうして書いていると、高校生時代の羅君の姿と共に、やっぱり「蓬莱の豚饅」を食べたくなりました。

 
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足元の見えない幽霊。

2007年11月26日 | とんでもない!
 今年ほど次から次へと毎日の様に、悲惨かつ理解に苦しむ様な因果や理由が見えない殺人や事件が起きる年は、かつてなかったのではないかと思うほどである。

 あまりにも多いので記憶に残る事件はわずかで、次から次へと新しい事件、殺戮の報道に追いかけられている様で全く気の休まる暇がないほどで、テレビ、新聞、雑誌に至るマスコミが詳細をこれでもかと報じても、すぐに忘れ去られてしまう。

 昨年の暮れだったと思うが、京都精華大学の漫画学科の男子学生が何者かに刺され死亡した事件なども、未だに犯人の検挙に至っていないし、近いところでは香川県坂出市でおばあさんと幼い孫の女の子二人が大量の血痕を残し行方不明になっている事件も、早や10日が経過して、いまだ犯人に結びつく証拠や目撃情報が乏しく毎日の様に報道されている。

 早朝通る道路の壁に教訓や諺などが書かれている場所があり、先日には、「足元を見ない人は幽霊である。」と書かれていたことを思い出した。

 誰もが毎日、毎日の日々の生活に追われていたり、日常と言う名のマンネリ化した生活に埋もれていて、自分の足元などをまじまじと見つめることは少なくなっているのではないだろうか。

 いろんな仕事や日常生活の中で、ついつい見ることを忘れがちな自分の足元を見ることの大切さを教えられた気がしたのです。

 つまり、世の中で起きてる事件の数々は決して他人事ではなくて、自分の周辺でも起こり得る可能性があるということを忘れてはいけないと思います。

 偶然かもしれませんが我が町京田辺市でも、この数ヶ月の間にテレビや新聞で報道される様な出来事が相次いで続きました。

 女子中学生が不倫をしていたらしい現職警察官の父を夜中に斧で切りつけて殺した、58歳と67歳の老?夫婦が今後の人生を悲観してビニール袋で心中した、先日は30前後の青年が自宅で母親に切りつけ立て篭った等、とんでもない事件が続きました。

 何処に起きても不思議ではない事件が発生したのですが、果たして事件を起こした家庭や張本人の犯人だけではなく、その周辺の被害者も含めて、自分の足元がちゃんと見えていたと言えるでしょうか。

 つまり、たぶん自分の足元すら見えていなかったと言っても過言ではないケースばっかりではないでしょうか。

 皆さんも私も他人事ではありません。自分と家族の足元、つまり周辺の状況を、健康面、仕事面、経済面、心理面、交友面など、十分に把握していないケースが多いとは思いませんか。

 そうです。自分の足元が見えていないと言う事は、「幽霊」になっているのかもしれません。

 生きているつもりなのに他人から見れば間違いなく「足のない幽霊」の様な存在になってはいませんでしょうか。

 しっかりと足元を見て日々の日常生活をインジョイしましょうね。気をつけてね。


 
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罪と穢れ

2007年11月25日 | 季節の話題
 早や11月も残りわずかになり、今年も一ヶ月足らずとなった。

 年賀状の売出しやら、クリスマスイルミネーションやら、町を行き交う人々の表情やファッションにも、何故か年の瀬を感じる季節となってきている。

 とあるところで久しぶりに同年輩の友人と会った。

 彼は現在に至るまで、それなりに自分の人生を自分らしく生きてきたと思っていたのだが、この年になって恥ずかしいが、果たして自分らしく生きてきたかどうか自信がなくなったと言うのである。

 と言うのは、若い頃に出会った奥さんと結婚し、四人の子供に恵まれて、各々の子供たちも育って、社会人となった頃に、ちょっとした出来事から奥さんと離婚し、今では年老いた母親と同じ建物の二階と一階で暮らしながら、長い間自営していたお店も、離婚後やめて、現在は不動産収入で細々と暮らしているという。

 そんな彼を偶然近くを通った時に、時間があったので訪ねたわけだが、彼の自問自答の苦悩は続いていた。

 人間の一生の営みが「正しくまっすぐに」とは理想だが、果たして「正しい」とは、何に照らしてか、何から見てなのか疑わしい限りだと言う。

 多くの誰もが、自分は正しく生きているつもりでも、他人から見れば可笑しかったり、出し句なかったりするのかもしれない。

 だけど、正しく生きようとする自分がいるのである。

 よーく考えてみれば、人間の一生で罪を犯さず、穢れを知らず生きるなんてことは皆無に等しいのかもしれないのである。

 どう考えても、人間は自分本位であり、他人のためにと考えているつもりでも、他人にとっては迷惑であったり、気がつかない存在だつたりしている時もあるのである。

 つまり、家族であっても恋人同士であっても、別な生命体としてのリズムや欲求、時が違うために、多くの「罪」や「穢れ」を犯しているのではないだろうか。

 人生半ばに、哲学や宗教にのめり込んで、「我が人生」を自問自答している人が、とっても多いと感じる時代だと思うが、罪や穢れを知らない人などいないのである。

 しかし、人は、この「罪」と「穢れ」に悩まされるのである。

 彼は、自分をすぐに飾ったり、守ってしまう自分に、ほとほと嫌気がさすことがあると自戒の念を込めて語るのである。

 でも、彼の様に悩むことはないのではないだろうか。

 「罪」とは、「魂を包む」というのが語源らしく、真の魂を自らが包んでしまうという人間の習性があり、「罪」となるのである。

 また「穢れ」は、「気が枯れている」状態のことだそうで、「きがれ」が「けがれ」となったらしいのである。

 つまり、「罪」と「穢れ」は、人間の一生には不可欠なものであり、自らがそれに気付くか否かが、その後の人生を「正しく生きる」ためのきっかけなのではないだろうか。

 
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老人イジメの国

2007年11月22日 | 日本の課題
 年金を巡る不祥事件や社会保険庁のずさんな年金管理での五千万件に及ぶ、支払い保険料の特定について、やっと厚生労働省が報告したが、85%は特定できたが、残りの数%はどうしても特定できないことが分かった。

 多くの高齢者にとっての老後の生活における頼みの綱である「年金支給」が最低限でも生活の基礎的支出を賄ってくれるだけの支給額なら、いざ知らず、とんでもない低額である場合も多いのである。

 その上、政府は来年度から、後期高齢者医療制度とやらをスタートさせて、75歳以上の高齢者から、追い討ちの様に新医療制度による保険料を徴収するというのである。

 いつぞやまでは老人医療費は無料という時代があったのだが、国、政府に蓄えがなくなってきたので、受益者負担と相成りつつあるのである。

 高齢者にとっては、保険料の他に、一割負担だとしても医療費負担が課せられ続けるわけだから、おちおち病気にもなれないし、ちょっとした病気では「医者や医療機関」にも行けないと言った現実に直面しそうである。

 確かに、老人医療費が無料であった時代には、猫も杓子も「タダ」なら医者に行こうという不心得者や、病院を老人の憩いのサロンと勘違いするほどの様子も見受けられたという。

 しかし、この国の医療、福祉、保険制度などを長期的展望で見れば、国の財源がどんなに無駄に使われ続けているかの現状として、防衛省、国土交通省、厚生労働省などに関わる、不祥事や無駄な歳出が多額にあるのである。

 なのに、それを見直したり削減したりする努力は殆どせずに、国の財源が少なくなったので、全ての国民に相当の負担をお願いせざるを得ないとする「屁理屈」が堂々と登場しだしたのである。

 つまり、政府を長年司どってきた自民党を中心とする政府と官僚たちは、ぬくぬくと多額の給与、報酬を受け取り、また公務員共済と言う名の特別の年金や退職後のケアを受けつつ、長年の悪政、失政の責任は取らぬままに、消費税の値上げと共に、各種の年寄りいじめとも取れる「医療制度」の改悪を断行しようとしているのである。

 国民年金だけの加入者の年額での総取得年金受取額は最高額でも年、70数万円、つまり一ヶ月に6万円ちょっとなのである。

 その年金収入から、国民健康保険、介護保険料と共に新たな後期高齢者医療保険料として、年額平均8万円弱、最高額では10万円を越す負担が強いられるのである。

 まさに「老人いじめ」としか言い様のない、全く人生の第4コーナーに至っても、この国は高齢者を優しく労わり、長年の社会貢献に対して、ささやかでも感謝と癒しを与えると言った制度もない、酷い国なのである。

 とんでもない「老人イジメの国ニッポン」を覚醒させる妙案はないものだろうか。

 
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夢、現実、漫画。

2007年11月21日 | 季節の話題
 西岸良平の漫画「三丁目の夕日」を原作とする「Always・続三丁目の夕日」をやっと映画館で観た。

 この映画を何故観たのかと言えば、私はほとんど漫画雑誌を買ったり読んだりしないのだが、唯一東京生活時代にピッグコミック誌だけは、表紙の似顔絵が気に入って時折買っては、のたり松太郎、ゴルゴ13、山口六平太、はぐれ雲などと共に、独特のノスタルジイを感じさせてくれる「西岸良平氏」の漫画が好きでよく読んでいたからである。

 それに加えて、映画化された前作に続いて主人公のひとりである、芥川賞を狙う売れない東大出の作家、茶川竜之介を演ずる「吉岡秀隆くん」を幼い時から知っていたからである。

 いずれにせよ、たまに映画を観ることは、大いに日常生活の中での気分転換や日頃忘れている感情や思いをよみがえらせてくれたりするので、大好きなことでもある。

 この作品の映画としてのシナリオは、前作同様に原作の「漫画」からなので、どうもストーリーの中に入ることはできない感じだが、描かれていた茶川竜之介と踊り子と少年の三人が一緒に暮らせるかどうかと、鈴木オートの一家を取り巻く使用人や子供達の関わりなど、ほんとうに典型的な「日本人好み」の脚色で仕上がっていた。

 吉岡秀隆演ずる売れない作家と小雪が演ずる踊り子の恋の間に少年が絡んでいるのだが、この少年は実はとある会社社長の妾の子で、再三社長が金のない暮らしでは、この少年のためにならないと、茶川から少年を取り返そうとやってくるのである。

 しかし、少年は売れない作家、茶川竜之介の一番の信望者であり、つつましく一緒に暮らし続け、ついには社長に「お金以外に大切なものがある」と言わせてしまうのである。

 多くのCGを駆使した昭和30年代の映画の描写に、我が少年時代をダブらせながら、やっぱり現実は夢の様には行かないし、まして漫画のようにはならないと思いつつも、最後に茶川を諦めて大阪へと旅だった踊り子、小雪さんが戻ってくるというシュチエーションを期待している自分がいたのである。

 案の定、予想通りのストーリー展開で、全てがハッピーエンドか幸せ気分となるわけだけれど、あの社長の言った様に、「現実はそううまくはいかない」という言葉の方が現実的だと自問自答しつつも、漫画を原作とする映画の演出に、こんなもんだと満足している自分がいたのである。

 漫画だとわかっていても、今の社会、今の現実があまりにも殺伐としていて、「金」と「嘘」と「非情」の事件ばっかりにウンザリしている人たちにはお薦めの娯楽漫画映画であった。


 


 
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食品だけでない偽装

2007年11月20日 | 世界の問題
 毎日、毎日、食品の偽装問題の報道を見聞きするたびに、何とも言えないけだるさと言うのか、やりきれない思いに苛まれるのは私だけではあるまい。

 食品偽装については、消費者である私たちも含む多くの庶民達が「安い食品」を求めるが故に、生産者や製造者、加工者、販売者たちが、人の口に入る大切な食品であることよりも、経済的メリットを少しでも追求することが最優先となって、賞味期限の改ざんや産地偽装、ひいては食材に科学的添加物をたくさん加えて、少しでも長く販売できてロスの少ない食品に「偽装」していくのである。

 そうすることによって、少しでも儲けを多くするためにアイデアを駆使することが、会社の存続や利益に繋がるのだと、全く消費者不在の「偽装食品」がまかり通る世の中になってしまったのである。

 そんな中、大阪「船場吉兆」による賞味期限改ざん、産地偽装が発覚し、今年だけでも有名ブランドによる食品偽装が相次いで告発されたのである。

 一方、昨日は、東京で初のミシュランによる、三ツ星レストランの発表が行われ、なんと8店もの日本の料理店が世界の一流レストランに名をつらねたのである。

 私たち庶民にとっては、ほとんど縁のない高級レストランだと思う店ばっかりで、大金を払ってまでも食べに行きたいなどとは思わないが、極端なグルメブームに拍車をかけるマスコミが喜ぶ出来事であった。

 しかし、処はニッポンのど真ん中、東京での最高級の「食堂の格付け」が行われたわけだが、すぐそばの国会や政府、防衛省や建設省での疑惑や偽装が続いている。

 一番の偽装が、軍隊を持たない国ニッポンが持っている自衛隊という名の軍隊である。しかもこの軍隊で多くの偽装、不正の温床の下で、守屋元事務次官だけでなく、歴代の防衛庁長官や防衛大臣をはじめとする防衛族と呼ばれる議員達や官僚達の利害や利得が見え隠れしている。

 その上、写真の様な今時と言っても過言ではない偽装のフル装備や、おもちゃの様な戦争ごっこのための装備品の購入に多額の税金が垂れ流しの如く使われているのである。

 偽装といえば、姉歯建築士が突如として世間を賑わした「構造設計偽装」なんて、昔の話したではなく、今もあちこちで発覚しているし、建設土木関連の「談合偽装」つまり入札不正も日常茶飯事である。

 日本だけでなく、全世界中で「偽装コンテスト」でもやれば、どの国が優勝するだろうかと思うほど、偽装は商売をして儲けを増やすためには当たり前のテクニックかアイデア次第と言われかねない現状である。

 男も女も人間がちょっとでも見栄えを良くするために、「化粧」や「かつら」や「ファッション」に熱を入れお金をかけるのも、るのも、やっぱり「偽装工作」だと考えると、必ずしも「偽装」が全て「悪」ではない気もしてきた。

 
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大阪市長に平松アナがなった!

2007年11月19日 | 感じたこと
 昨日投票、開票の結果、大阪市長に戦後ずっと続いていた市役所内部の人事異動の様な助役の市長昇進の如き悪習慣がやっと途絶え、新市長に毎日放送の元アナウンサーである、平松邦夫氏が当選したことは画期的な出来事であった。

関現市長の任期は、来月18日までだそうなので、平松新市長はこの一ヶ月間に、新市長として何をやらねばならないのか?じっくり考えて、今での市役所の仕事ぶりをよーく見て、きっぱりと勇気を持って大掃除をやってほしいと思うのである。

 私も元大阪市民として現在の大阪の行政については、母が今も住まう場所でもあるので、切に公平さと弱者への配慮を願う京都府民のひとりなのである。

 と言っても、人の良さそうな平松邦夫氏に、今までの長年の行政マンたちの仕事ぶりや業者や出入りの人たちの常識を打ち破って、真の市民本意の行政に変えて行く「勇気と英断」が下せるかどうかが、とても心配なのである。

 一民間人として、行政内部のことはわからないので、副市長には市役所内部の人を当てると、早速に当選証書を受け取ったあとに、平松氏はインタビューに応えたらしいのだが、並大抵の覚悟では、いつのまにか今までの行政マンの常識やペースに乗せられてしまう危険性がある。

 当人は、リストラや思い切った財政カットはしないと言っておられるそうだが、多くの市民、納税者が望んでいるのは、今までの手ぬるい行政改革ではなく、思い切った「ナタを振るう」ことではないだろうか。

 議会与党である、自民党、公明党だけでなく、彼を推薦した民主党であっても、市議会の議員達の要望、利権に振り回される危惧があり、なかなか大鉈を振るいにくい状況だと思われるが、そこを何とかするのが新市長への期待であるのだ。

 テレビのブラウン管を通じて、昔のアドリブランドやニュースキャスターとして観てきた視聴者のひとりとしては、平松アナは人のいいおじさんと言った感じなので、よけいに心配するのである。

 いくら民間人であったとしても、一旦選ばれて当選したからには、行政マンの前例や指摘を聞くとしても、決して市民の眼線や感覚を失わず、直観力と生活者感覚で厳しく可笑しなことは可笑しいと言い、断じて悪習慣や当たり前になっている常識を踏襲することのないように願いたいものである。

 市役所の内外に魑魅魍魎とした輩どもが群がっているにちがいないのだから、今までの市役所と関わりのない、一般の市民の眼と心で、関西の商都、大阪を立ち直らせるための方策を練っていただきたいと思っている。

 巨大都市オオサカを、関西人特有の「気配りとおもてなし」のできる生活者たちの暮らし第一の都へと変貌させてほしいと、熱いエールを送るものである。


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「KY」なんて気にせずに。

2007年11月15日 | とんでもない!
 今、若者言葉は乱れているし何でも略されて何のことだか全く分らない符号の様な言葉もある。

 「あの人、KYね」とか言っているのは、「空気が読めない」って言うことらしい。

 皆で話していたり家庭内や職場で、確かに「空気が読めない」と思ってしまう人がいる場合はあるが、この「空気」という代物が、誰にとってどっちの方を指しているのかが問題の場合も多い。

 と言うのは、結構、全体的な方向性として積極的でも消極的でも、「空気を読めない」と決め付けている人や連中の側の意思や意向が優先している場合が多くて、常識とか当たり前とか言いながら、自分達に都合のいい方向への空気を向けようとしているのではなかろうか。

 つまり、大勢の仲間がいたとすると、いろんな意見や感想、思いがあって当然なのだが、リーダーや主催している人の意向を汲んで、我慢したり合わせたりすることが、「空気を読む」ことになる場合が多いのではないだろうか。

 現代の若者たちの言葉や会話を、それとなしに聞く機会に、よーく聞いていると、「みんなはどうする?」等と、他人、つまり大勢がどう行動するか、それとも過半数以上の人の行動に準じて、無難に自分達も行動しようとする主体性の乏しい若者像が浮かんでくる場合がある。

 「あの人はKY」と言われたり、レッテルを貼られない様にするために、「自分」というカラーや主張をしまい込んで他人に合わせ、結局「付和雷同的」に行動してたりしてしまうのではないだろうか。

 友達や仲間から「仲間はずれ」や「しかとう」をされないために、いつも自分を他人の価値観の中の無難な処に身を置くという「術」を身につけて生きている若者達に出会うことが多い。

 一見、大人社会に生きている様な「身なり」と「物腰」ではあるが、中味は、いつもおどおどしていて自分の居場所を捜していて、他人から叱咤されたり仲間はずれにされない生き方だけを模索している様である。

 困ったものである。「空気が読めない」と言われてもいいではないか。

 自分らしく、自分の意見を持ち、他人と議論し行動を共にしない時があってもいいのではないだろうか。

 「金魚の糞」と言えば表現がきついが、いつも誰かについて歩いたり、いつも仲間からはぐれたくないという気持ちだけで、安住の居場所を求めているなんて、却って寂しいではありませんか。

 本当に自立した社会人として、若者達が個性的に生きるためには、「KY」なんて批判や指摘を気にせずに、堂々と自分らしく溌剌と若々しく生活してもらいたいものである。
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平和台の稲尾投手

2007年11月14日 | プロスポーツ
 昨日、元西鉄ライオンズの稲尾和久投手が急逝された。

 ご冥福を祈ると共に、数々の記憶に残る名シーンを残した日本プロ野球史上に燦燦と輝く、心熱くなる名投手の姿を懐かしく思うのは私だけではあるまい。

 語り続けられている「神様、仏様、稲尾様」とまで言われた、昭和の名勝負、常勝「巨人」に日本シリーズで先に三連勝されて、絶対絶命のピンチに何と4連投という今では考えられない形で逆転し、日本一になった西鉄ライオンズの黄金時代を支えたことで、稲尾和久投手は永遠に記憶されている。

 私達の少年時代は、野球と言えば「巨人」と言われる時代だったが、私の友人でもある「みなみらんぼう氏」は、東北の田舎町で、この日本シリーズをラジオで聴いていて、自分の命の恩人でもあった近くの大下さんと同姓の「青バットの大下」のいる西鉄ライオンズのファンになり、鉄腕稲尾投手の快刀練磨に声援を送っていたという。

 そんな縁で、私がらんぼう氏のマネージャーをしていた頃に、ラジオ番組の企画で「鉄腕稲尾物語」の取材を依頼されて、みなみらんぼうさんと共に福岡市の、今はない平和台球場に稲尾元投手を訪ねたことがあった。

 まだ若き30代後半だったと思われる稲尾投手と共に、あの熱戦が繰り広げられていた、九州の野球のメッカであった「平和台球場」に立っただけでも感激だったが、その当時生まれたばかりの我が息子のためにと「サインボール」をいただいたのを今でもはっきりと覚えている。

 大きな体からか、同僚、仲間からは「サイちゃん」と呼ばれ親しまれていた稲尾投手そのままに、大きな体に細い目ではあるが温かい眼差しで、どっしりと語られながら、丁寧にサインをして戴いたのである。

 彼の絶頂期には一年の半数以上の試合に登板し、何と404回もの投球回数を記録し、日本記録でもある42勝を上げたのは、今もって破ることのできない偉大かつ激烈な熱闘の結果であった。

 我が阪神タイガースの現在の救援投手として、一年に80から90試合も投げた藤川、久保田両投手も、全く比較にならない内容の投球を、稲尾和久投手は40数年前にしていたのである。

 先発投手として完投しても、またリリーフとして連投したり、過酷な使われ方をしても物怖じせず文句も言わず、もくもくと投げ続けていた「稲尾和久」のプロ精神、永遠の野球少年としてのスピリットは、これからも永遠に語りつがれることだろう。

 稲尾和久投手の功績を思い出すときに、欠かせないのが当時の西鉄ライオンズ監督で名将と謳われた三原脩監督だろう。

 私の記憶が正しければ、稲尾投手の奥さんは名将三原監督のお嬢さんだったように思うので、結局親子二代で、かつての三年連続日本一を獲得して、日本中のアンチ巨人ファンに喜ばれた、「西鉄ライオンズ」の黄金時代を築いた立役者だったのである。

 稲尾和久さん、永遠に忘れない。ご冥福を祈る。
 

 
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