大晦日といえば、大掃除、お節料理作り、年越し蕎麦、紅白歌合戦に除夜の鐘が恒例なのだが、今年は近くにある酬恩庵・一休寺の「除夜の鐘」をつきに行けるだろうか。
大晦日の最後の恒例伝統行事である「除夜の鐘」は、私の幼い頃は直接聞こえて来ることもあったが、大抵はNHKの紅白歌合戦終了後、すぐに始まる「行く年・来る年」という番組から聞こえて来る、全国各地の有名な寺や由緒ある寺の鐘楼からの音が定番であった。
縁あって、この地京都府京田辺市(旧綴喜郡田辺町)に移住して以来は、あの有名な一休禅師が晩年を過ごして亡くなったといわれる、通称一休寺、正式名称は酬恩庵というお寺の鐘楼の除夜の鐘を一般市民にも撞かせてくれると聞いて、約25年前から都合がつけば撞きに出かけているのである。
酬恩庵・一休寺は、鎌倉時代に臨済宗の高僧であった大應国師(南浦紹明・なんぼじょうみょう)が、中国の虚堂(きどう)和尚に禅を学び、帰朝後に禅の道場をこの地に建てたのが始まりだそうである。
その後、元弘の戦火にかかり復興もならずままだったのを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455~6年)に、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名したのだそうである。
一休禅師は、ここで人生の後半の生涯を送り、81歳で大徳寺住職となった時も、この寺から通われたらしく、今もその当時の小さな輿が残っている。
禅師は文明13年(1481年)11月21日に、88歳の高齢で当寺において亡くなられ、その遺骨は現在も当所に葬られているので、一休禅師の名を今も親しみを込めて「一休寺」と称して呼んでいるのである。
この寺の魅力はいろいろあるが、本堂や方丈など多くの重要文化財に指定されていて、方丈庭園は名勝指定を受けていて、松花堂昭乗らの作と言われる、禅寺としての枯山水を要したもので一見に値するものである。
私は除夜の鐘を撞いた後も、いつもこの方丈の庭を眺めながら、一年の思いを浮かべたり、新年への祈祷を捧げる感じてある。
ご存知の方も多いと思われるが、一休禅師は後小松天皇の皇子であるので、ご自身が82歳の時に建立された墓所は、御廟所として宮内庁の管理が現在も続いている。
一休寺は、一休寺納豆と呼ばれる独特の真っ黒い納豆でも有名であり、毎年初冬に住職自らが大量の大豆を塩で漬ける光景がニュースで伝えられるほどの風物詩となっているが、お味は塩辛く昔の保存食そのものであり、雅趣ある風味は万人に好かれるものかどうかは疑問である。
京田辺は、一休さんの住んだ町として至るところに「一休さん」の銅像が設置されているが、実際の一休さんに近い「一休禅師像」は、本寺にあり、漫画の一休さんや駅前などに設置されている「一休さん」とはほど遠いお姿である。
さて、今夜紅白のトリを唄う「ドリカム」の歌声を聴いてから、一休寺の除夜の鐘撞きに家族で行きたいと思っている。
大晦日の最後の恒例伝統行事である「除夜の鐘」は、私の幼い頃は直接聞こえて来ることもあったが、大抵はNHKの紅白歌合戦終了後、すぐに始まる「行く年・来る年」という番組から聞こえて来る、全国各地の有名な寺や由緒ある寺の鐘楼からの音が定番であった。
縁あって、この地京都府京田辺市(旧綴喜郡田辺町)に移住して以来は、あの有名な一休禅師が晩年を過ごして亡くなったといわれる、通称一休寺、正式名称は酬恩庵というお寺の鐘楼の除夜の鐘を一般市民にも撞かせてくれると聞いて、約25年前から都合がつけば撞きに出かけているのである。
酬恩庵・一休寺は、鎌倉時代に臨済宗の高僧であった大應国師(南浦紹明・なんぼじょうみょう)が、中国の虚堂(きどう)和尚に禅を学び、帰朝後に禅の道場をこの地に建てたのが始まりだそうである。
その後、元弘の戦火にかかり復興もならずままだったのを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455~6年)に、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名したのだそうである。
一休禅師は、ここで人生の後半の生涯を送り、81歳で大徳寺住職となった時も、この寺から通われたらしく、今もその当時の小さな輿が残っている。
禅師は文明13年(1481年)11月21日に、88歳の高齢で当寺において亡くなられ、その遺骨は現在も当所に葬られているので、一休禅師の名を今も親しみを込めて「一休寺」と称して呼んでいるのである。
この寺の魅力はいろいろあるが、本堂や方丈など多くの重要文化財に指定されていて、方丈庭園は名勝指定を受けていて、松花堂昭乗らの作と言われる、禅寺としての枯山水を要したもので一見に値するものである。
私は除夜の鐘を撞いた後も、いつもこの方丈の庭を眺めながら、一年の思いを浮かべたり、新年への祈祷を捧げる感じてある。
ご存知の方も多いと思われるが、一休禅師は後小松天皇の皇子であるので、ご自身が82歳の時に建立された墓所は、御廟所として宮内庁の管理が現在も続いている。
一休寺は、一休寺納豆と呼ばれる独特の真っ黒い納豆でも有名であり、毎年初冬に住職自らが大量の大豆を塩で漬ける光景がニュースで伝えられるほどの風物詩となっているが、お味は塩辛く昔の保存食そのものであり、雅趣ある風味は万人に好かれるものかどうかは疑問である。
京田辺は、一休さんの住んだ町として至るところに「一休さん」の銅像が設置されているが、実際の一休さんに近い「一休禅師像」は、本寺にあり、漫画の一休さんや駅前などに設置されている「一休さん」とはほど遠いお姿である。
さて、今夜紅白のトリを唄う「ドリカム」の歌声を聴いてから、一休寺の除夜の鐘撞きに家族で行きたいと思っている。