ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

一休寺で除夜の鐘。

2009年12月31日 | ファミリーイベント
 大晦日といえば、大掃除、お節料理作り、年越し蕎麦、紅白歌合戦に除夜の鐘が恒例なのだが、今年は近くにある酬恩庵・一休寺の「除夜の鐘」をつきに行けるだろうか。

 大晦日の最後の恒例伝統行事である「除夜の鐘」は、私の幼い頃は直接聞こえて来ることもあったが、大抵はNHKの紅白歌合戦終了後、すぐに始まる「行く年・来る年」という番組から聞こえて来る、全国各地の有名な寺や由緒ある寺の鐘楼からの音が定番であった。

 縁あって、この地京都府京田辺市(旧綴喜郡田辺町)に移住して以来は、あの有名な一休禅師が晩年を過ごして亡くなったといわれる、通称一休寺、正式名称は酬恩庵というお寺の鐘楼の除夜の鐘を一般市民にも撞かせてくれると聞いて、約25年前から都合がつけば撞きに出かけているのである。

 酬恩庵・一休寺は、鎌倉時代に臨済宗の高僧であった大應国師(南浦紹明・なんぼじょうみょう)が、中国の虚堂(きどう)和尚に禅を学び、帰朝後に禅の道場をこの地に建てたのが始まりだそうである。

 その後、元弘の戦火にかかり復興もならずままだったのを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455~6年)に、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名したのだそうである。

 一休禅師は、ここで人生の後半の生涯を送り、81歳で大徳寺住職となった時も、この寺から通われたらしく、今もその当時の小さな輿が残っている。

 禅師は文明13年(1481年)11月21日に、88歳の高齢で当寺において亡くなられ、その遺骨は現在も当所に葬られているので、一休禅師の名を今も親しみを込めて「一休寺」と称して呼んでいるのである。

 この寺の魅力はいろいろあるが、本堂や方丈など多くの重要文化財に指定されていて、方丈庭園は名勝指定を受けていて、松花堂昭乗らの作と言われる、禅寺としての枯山水を要したもので一見に値するものである。

 私は除夜の鐘を撞いた後も、いつもこの方丈の庭を眺めながら、一年の思いを浮かべたり、新年への祈祷を捧げる感じてある。

 ご存知の方も多いと思われるが、一休禅師は後小松天皇の皇子であるので、ご自身が82歳の時に建立された墓所は、御廟所として宮内庁の管理が現在も続いている。

 一休寺は、一休寺納豆と呼ばれる独特の真っ黒い納豆でも有名であり、毎年初冬に住職自らが大量の大豆を塩で漬ける光景がニュースで伝えられるほどの風物詩となっているが、お味は塩辛く昔の保存食そのものであり、雅趣ある風味は万人に好かれるものかどうかは疑問である。

 京田辺は、一休さんの住んだ町として至るところに「一休さん」の銅像が設置されているが、実際の一休さんに近い「一休禅師像」は、本寺にあり、漫画の一休さんや駅前などに設置されている「一休さん」とはほど遠いお姿である。

 さて、今夜紅白のトリを唄う「ドリカム」の歌声を聴いてから、一休寺の除夜の鐘撞きに家族で行きたいと思っている。

 

 

 
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「おせち」って?

2009年12月30日 | 季節の話題
 今日は晦日、明日が大晦日であるので、各家庭でもお正月料理としての「お節料理」をつくるため、格闘されている方も多いことだろう。

 昔から正月を迎えるための「大掃除」と共に主婦やおかぁさんの一大大仕事が「お節づくり」だった時代は、今や昔といった感じも強く、多くのご家庭では数品は家庭で作るが、あとはスーパーや生協、もしくは百貨店などが販売している「お節セット」を購入するという方も増えているようである。

 そもそも、この「お節料理」だが、お正月を飾る「門松」「しめ縄」「鏡餅」などと共に、お正月三が日は主婦も煮炊きをあまりせずに過ごせるようにと「作りだめ」した料理という感じが強かった。

 でも、お正月の三が日は、やはり煮炊きを必要とする「お雑煮」を食べる習慣も全国各地に広く伝わっているので、正月三が日は台所に立たずに済むというわけには行かないが、日頃よりは手が省ける感じはあるみたいである。

 「おせち」とは、「お節句」が変化した言葉だそうで、いわゆる五節句に神前に捧げる「節句料理」の総称で、一年で一番大切なお正月料理だけに、「お節」という言葉が残ったと言われているそうです。

 お正月に「お節料理」を食べるのは、本来は神様を迎えている間は物音を立てたり、騒がしくせず、台所での煮炊きを慎むというところからきているようです。

 正月三が日だけでも、女性が休養できるようにと、よく言われているようですが、本来はそういうわけではありません。

 「お節料理」に使われている食材には、「意味」や「いわれ」があるものが多く、下記のような言い伝えや伝統に基づいた背景から、有難く食するものとなっているのです。

 数の子:(子孫繁栄祈願)ニシンのことを「カド」といい、カドの子がなまって、数の子になったといわれていて、子がたくさん生まれて代々栄えるようにとの願いです。

 田作り:(豊作・健康祈願)「ごまめ」とも呼ばれ、昔は田んぼにコイワシを肥料として使い、今年も豊作をとの願いから「田作り」と呼ばれている。

 黒豆:(健康・長寿祈願)黒豆には魔除けの力があるとされ、一年中「マメに働き、マメに暮らせるように」との願いなのです。

 ごぼう:(家庭安全・健康祈願)地中に深く根付いていることから、家の土台がしっかりとし、不動であり、家計の安定と家屋の安全を祈って、無病息災を願うものです。

 栗きんとん:(金運・勝運祈願)「栗」は金の塊を意味し、「金団(きんとん)の色は、金色に輝くお金に例えられ、財宝が貯まり、商売繁盛の願いが込められています。

 昆布巻:(幸福・健康祈願)「よろこぶ」の語呂合わせから、祝いの儀に欠かせないもので、昆布を巻いて干瓢で結えた姿は、幸せを抱きしめる意味があり、学問を授かる巻物の姿とも言われています。

 伊達巻:(子孫繁栄・学業成就)卵を使った料理は子孫繁栄の象徴とされ、「伊達」とは、華やかさ、派手さを形容し、お正月の「ハレの料理」として用いられています。
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今年の十大ニュース。

2009年12月29日 | 感じたこと
 今年の漢字は「新」と発表され、漢字検定を巡る多額の不正事件から検挙、起訴された前の理事長と副理事長に代わって「新」体制の漢字検定協会が従来どおりの京都清水寺で発表したみたいである。

 流行語大賞の大賞には「政権交代」や「子ども店長」などが選出されるなど、今年の世相やニュースを取り巻く一年を振り返る時期として、各紙やテレビも「今年の十大ニュース」の特集んなどをやっているので、私も思いつくままに独断と偏見?で選出してみた。

 国内、国際との区別はつけがたいニュースも多いので混合ミックスで羅列してみることにした。そこで書き出すと十大では収まらないので20項目となった。

 まず① 間違いなく総選挙での民主党の大勝利で「政権交代」が実現した。

   ② アメリカの新リーダーに黒人初の「オバマ大統領」が就任した。

   ③ 皆既日食が日本各地で国内46年ぶりに観測できるはずだった。

   ④ 東京で日本円が一時、84円台に高騰した。

   ⑤ 新型インフルエンザが全国各地で猛威をふるった。

   ⑥ 菅家さんの無罪が予測され、17年ぶりに釈放され、冤罪が問題視。

   ⑦ イチローが9年連続200本安打を達成。

   ⑧ マイケル・ジャクソンが急死。

   ⑨ 自殺者が国内で今年も3万人を超えた。

   ⑩ 中国ウイグル自治区で暴動が発生、人種差別的事件が問題化。

   ⑪ 国連安保理が「核なき世界」を目指す決議採択。

   ⑫ 臓器移植法の改正が実現、国内でも子どもたちの臓器移植が可能に。

   ⑬ 元フォークル加藤和彦氏の自殺。

   ⑭ のりピーの覚せい剤使用による逮捕、釈放。

   ⑮ 日本画家、平山郁夫さんの死亡。

   ⑯ WBCで日本チームが逆転勝利し、二連覇。

   ⑰ 高速料金の土日祝日無料化で大混雑。

   ⑱ 事業仕分けが集中的に行われ、予算が国民、マスコミの注目の的に。

   ⑲ 元ニュースキャスター、参議院議員の田英夫さん死去。

   ⑳ サッカーW杯へ日本四大会連続出場が決定。

   番外 凶悪殺人事件や火災による大量死亡事故が多発。

   結局、書き出してみると、あまり嬉しいニュースや楽しいニュースがなく、 
  暗くて嫌な感じのするニュースばっかりの年であった気がする。

   来年こそは、楽しく明るいニュースで、一年を締めくくれるといいのになと
  
  思いつつ、いろいろとあった丑年の一年だったが、来年は寅年なので、我が阪

  神タイガースの優勝を祈願して、正月早々の「初夢」で素晴らしい夢を見れる 
  ようにと、今から体調を整えて、神様に祈りつつ「仕込んでおこう!」と考え
 
  ている。

  



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「年賀状」製作に没頭。

2009年12月28日 | ファミリーイベント
 毎年の年の瀬の大仕事である年賀状作りと宛名書き、そして一筆添えての投函と、いつもの手順は決まってはいるものの、なかなか集中してデザインを決めて印刷して、手書き作業と行くまでが時間がかかるのである。

 今年の年賀状は、来年が寅年ということもあって「トラ」をデザインに入れようと思って探すのだが、「これで決まり!」という絵柄やデザインの決定打がなく、いろいろとレイアウトしたり、絵柄を変えたりしている内に何と6種類もの年賀状が刷り上った。

 結構面白いもので、この6種のデザインの賀状を選びながら、宛名書きをするのだから大変なのだが、相手の住所、お名前を手書きしながら、顔を浮かべて様子を想像したり名簿を順に見ながら、喪中で賀状を失礼するという喪中葉書が来た人には賀状を出せないので、チェックしながら相当な時間を要するが、結構楽しいものなのだ。

 毎年思うことなのだが、数百枚の年賀状を書くのは一仕事なのだが、元旦の朝から三が日にかけて、自分や家族宛に来る賀状を受け取り一枚、一枚見るのは、正月の楽しみである。

 しかし、先日ご年配の方々との会食の折に、年の瀬の賀状書きはもうやめたと言う高齢者もおられ、自分も年賀状書きがしんどくなったらやめる潮時が来るのだろうと将来のいつのことかは定かではないが、寂しい年齢になることを想像しつつ、今はまだ元気に年賀状を作って書ける幸いに感謝である。 

 それにしても、来年は「寅年」だからと言ってデザインは「トラ」にトラわれることはないはずだが、阪神タイガースファンの1人としても、やはり「トラ」が何処かにいる年賀状のデザインを選択して、楽しみつつ書き綴っているのである。

 賀状の印刷はパソコンでプリントするので、相当省力化され楽になったが、少しは手作り感と自分の字で相手を思いながら宛名と一筆を添える賀状をと心がけているので、指先と手首が疲れることは間違いない。

 でも戴く年賀状の中で、全てがパソコンや印刷屋の活字だけで記された賀状は、失礼ながら相手の健康状態だけでなく、気持ちや感情を読み取ることが不可能なので、ちっとも嬉しく思えないのである。

 だから、自分は何とか下手な字であっても、自分らしさを感じていただける字で宛名を書いて、瞬間的な思いや文章を少しでも相手に届けようと一筆書くようにしているのである。

 今朝は十時頃から作業に取り掛かったが、全部の裏面の印刷は終了し、ボツボツと宛名書きを「あ」の行から初めて、やっと「ウ」の宛名に移ったばかりだが、少し休憩の意味もあって、この「ガリバー通信」のブログを書いているのである。

 6種類の自前の年賀状のデザインの内、やっぱり今年から来年にかけても「不況や不景気風が吹く」だろうが、「パッと明るく」という思いを込めてのトラの後ろ姿とオレンジ色の大きな丸に「白で染め抜いた言葉」が目立つ賀状が一番気に入っている。

 さて、皆さんのところに届く賀状はどんなのかな? 
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フィギュア五輪代表決定。

2009年12月27日 | プロスポーツ
 来春開催のバンクーバーオリンピックのフィギュアスケート日本代表選手を最終的に決める、全日本フィギュア選手権大会が、大阪・なみはやドームで行われ、女子フリー演技終了後、すぐさま男女三名の代表選手が発表された。

 男子はGPファイナルで好成績を挙げた織田信成(関大)が既に五輪代表に内定していたが、高橋大輔(関大大学院)が靭帯断絶の大怪我で一年余演技がまともに出来なかったのだが、見事に復活し堂々の優勝を果たして、三位に入賞した小塚崇彦(トヨタ自動車)と共に五輪代表となった。

 女子は同じくGPファイナルで安藤美姫(トヨタ自動車)が既に代表選手に内定していたが、GPファイナルには残れなかった不振の浅田真央(中京大)がショート、フリー共にトップで堂々の五輪代表を獲得し、三番目の切符を争った中野、鈴木両選手は最後までデッドヒートを繰り広げた。

 中野友加里(プリンスホテル)は安藤、浅田両選手のフリー演技が終わった時点で堂々二位の高得点を挙げていて、間違いなく五輪代表に選考されると思われていたが、最後から二番目に演技した鈴木明子(邦和スポーツクラブ)の絶好調のジャンプ、パフォーマンスに逆転されて惜しくも代表の座を逃してしまった。

 スポーツの世界だから実力があっても、その時の結果次第だと言わざるを得ないが、途中経過の様子から見て、中野友加里自身も「何とか三人目の五輪代表」を確信していたのではないかと思われるので、甚だ残念だという思いでいっぱいである。

 一方、鈴木明子選手は最後から二番目の演技が幸いしたのか、最後は観衆のスタンディングオベーションが起きるほどの素晴らしい演技を披露して、逆転出場の権利を堂々と手中にした感であった。

 鈴木明子選手は、ほんの数ヶ月前までは一般的には無名に近い選手のように思われがちだが、少女時代から実績は積んでいたのに、極度の摂食障害などの病気に悩まされて、選手生命を脅かされるほど重症だったが、多くの人たちの励ましに奮起して再起をかけ北京大会で優勝し、GPファイナルで3位に入り、この栄冠を勝ち取ったらしい。

 いずれにせよ、五輪出場を決めた男子の織田信成、高橋大輔、小塚崇彦選手と、女子の安藤美姫、浅田真央、鈴木明子選手のバンクーバーでの活躍と好成績を祈りたいが、氷の上での華やかなパフォーマンススポーツであるフィギュアスケートは、この舞台に立つためのに、如何に多くの時間をトレーニングと練習に費やしているかを想像するだけで、弛まぬ努力と並々ならぬ熱情を持ち続けている彼、彼女たちに素直なエールを送りたいと思う。

 明日からのスピードスケートの選手選考レースは、世界の檜舞台に参加する選手は決定できても、フィギュアの様な入賞、メダルを期待できる選手がいるのかどうか甚だ疑問があるが、日本選手団は今回も多人数の選手をカナダに派遣して、さて参加することも意義があるが、どれ程の結果を上げられるのだろうか。


 
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サンタと大人と子ども。

2009年12月26日 | 季節の話題
 クリスマスも終わって、いよいよ歳末、お正月準備の一週間に突入したが、最近の年の暮れは気のせいか、そんなに慌しくは感じないのんびりした気分である。

 それにしても、今年のカレンダーでは早くもお正月休みに入ったお勤めの方もいて、冬休みの子どもたちのお相手やクリスマスサンタで忙しくされていた方も多かったようである。

 先週の木曜日の昼食時に、同じ中華の定食屋で食事をしていた、ある若いサラリーマン上司と思われる中年サラリーマン風の二人の食事後の会話が耳に飛び込んできた。

 若いサラリーマン風の男は、三歳の男の子におもちゃ屋か百貨店で、彼の希望の「アンパンマン」を購入しようと妻と三人で出かけた時の話のようだった。

 三歳の男の子は、たくさんあるアンパンマングッズを手にとって見比べていたが、父親が「どれか一つ好きなのを買ってあげるから」と話しかけたら、「いやだ全部ほしい」と駄々をこねたそうである。

 「お約束だから、一つに決めなさい」と言ったら、隅っこに座り込んで黙り込んでしまったそうな。

 彼は、自分の主張を通すべく、「黙りっこ戦術」に出たわけである。

 父親としては「約束といって一つを選ばせる」か、「ほしければ二つ買ってあげてもいいのでは」と迷ったそうだが、ママは「我慢も知らなければ」と、一つにこだわって長期戦となったようであった。

 若い父親であるサラリーマンは、先輩の男に「やっぱ我慢を教えなければいけませんかね」と自問自答するかの様に問うていた。

 その光景が目に浮かぶような、ほほえましいというべきか「サンタパパ」の苦悩ぶりは、昔の自分にも当てはまる思い出をよみがえらしてくれた。

 今日聞いた幼稚園の女の子同士の会話では、家には煙突がないので、「サンタさんは鍵を持っていて、夜中に開けて入ってくるの」らしい。

 小学三年生の女の子は、サンタさんから「ウイ」の「カラオケ」を貰ったそうで、サンタに書いたお手紙が無くなっていて、サンタさんが届けてくれたと信じているようであった。

 来年小学校に上がる男の子は「トミカのレース場と車のミニカー」が届いたらしいのだが、「いいなぁ子供は、パパやママにはサンタは来ないの?」と問うと、「サンタは子どもの言葉しか分からない」と言って笑っていた。

 サンタの話ではないが、内の孫は年の暮れの片づけで出た不用品をごみ焼却場に隣接するリサイクルセンターに持ち込む時に何かを見つけたらしい。

 そこには「金本10円」と書いてあるとビックリ大騒ぎをしたそうな。

 実は、植木に使う「鉢」が10円で販売されていたらしいのだが、彼にとっては「鉢」という漢字はまだ習っておらず、大きく「金」と「本」の字が分かれて見えたらしく大好きな阪神タイガースの「金本選手」の名前の「金」と「本」に読めたのだそうであった。

 彼は夏の甲子園京都大会でも「平安VS鳥羽」の試合を「ひらあん対とりはね」と読んで、私たちを驚かせてくれた張本人であり、子どもの世界には本当にサンタはいて、大人たちは揺さぶられているのです。

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鳩山家の子ども手当。

2009年12月24日 | とんでもない!
 民主党鳩山由紀夫首相と自民党の鳩山元総務大臣は、誰もが知っている鳩山ファミリーの長男と次男で、どちらも四代続く政治家を家業としているといってもいい家系に生まれ、雌雄を決する形ではなく与野党に分かれて政治家としてお互い名を馳せている。

 この鳩山兄弟が何と毎月1500万円もの大金を母親から「子ども手当」として貰っておきながら、知らなかったのだそうである。

 鳩山由紀夫首相の公設第一秘書と会計責任者がいずれも起訴されることとなったとクリスマスイブの今夕、各社が報道し、新聞各紙にも明日の朝刊に掲載される形で国民が知るところとなった。

 いみじくも、世の中では多くのパパやママが、わが子のためのサンタさん役として、なけなしのお金をはたいて、子どもたちの喜ぶ顔を見たさに「サンタ」に変身するために苦心惨憺しているというのに、月1500万円もの「子ども手当」を7年間にしてみると、何と12億6千万円も貰っていて、気づかなかったという常識はずれの金銭感覚と資産の持ち主である「鳩山一家」なのだろう。

 自民党の鳩山元総務大臣は、郵政民営化後の社長人事や郵政関連の厚生施設や郵便局の建て替え事業について、いろいろと物申す形で、一躍有名となって、麻生前首相と袂を分かち合う形で大臣を辞職し、政権交代後の今回の「母親からの資金提供」に関しては、兄の首相と違って、早々と責任を明らかにするという名目で自民党の全ての役職を辞任して、兄の鳩山首相との「違いを鮮明化」した模様である。

 いずれにせよ、庶民の財布の感覚からしたら到底考えられないことではあるが、一般の国会議員の先生方にとっても、信じられないほどの金銭感覚であることは間違いなく、特に自民党の谷垣総裁をはじめとする自民党の重鎮たちは、口々に「首相の辞任」に値する行為だと批判している。

 私たち庶民にとっては、四代続く政治家一家ということ自体が、まったく理解出来ないほどの様相であり、まるで家業が政治家だと言わんばかりの世襲が続いていて、祖父の鳩山一郎元首相、鳩山威一郎元外務大臣を知る世代にとっても、鳩山由紀夫氏が首相になったこと自体が不思議な感も感じたのであった。

 この夏の総選挙における、民主党の政権交代の旗印に掲げられた「マニフェスト」を巡る議論と予算化の大バトルの中で、漸く「子ども手当」の初年度の一人当たり12000円と児童手当1000円の継続が決まったらしいが、まさに「鳩山ファミリー」の子どもである兄弟への母からの「子ども手当」の異常さは、度肝を抜くほどの実態である。

 今夜のクリスマスケーキをワンカット抜いて販売した「お菓子屋」さんのニュースが流されていて、ワンピース分のお金は、恵まれない子どもたちの支援の為に使われるのだという、とってもユニークな支援活動が紹介されていたが、ぜひ母親からの多額の政治献金を贈与税の支払いだけで済ますことなく、恵まれない子どもたちへの「子ども手当」として、鳩山首相と弟の元大臣が相談して、思い切ったプレゼントをすべきだと思った。
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クリスマスと迷信。

2009年12月23日 | 季節の話題
 クリスマスまで後二日となったが、日本ではクリスマスイブが頂点で、実際のイエス・キリストの誕生日であると言われている12月25日には、もう商店街だけでなく、ご家庭でのクリスマス飾りやイルミネーションも終了し、早お正月準備に突入といった感じになる場合が多いようである。

 少し小雨がぱらつく中、クリスマスイブイブ?の今夜は、近くの高層マンション街の中庭的広場で、その地域の住民たちによる手作りの「クリスマスコンサート」が開催されると聞いて、座布団と毛布を片手に、完全武装の防寒着で身を包んで鑑賞した。

 小雨のために少し開演が遅くなっていた為に、寒さを我慢して座っていたので、近くのマクドに走って、熱い珈琲とホットパイを買って来て、しばらく開演を待った。

 地元の住民たちで結成されたコーラスグループの大人たちの合唱と小学六年生の女の子たちによるハンドベルの演奏が行われ、寒い中たくさんの子どもたちも参加していると思ったら、音楽会の終了後サンタさんが現れて、子どもたちにお菓子のプレゼントがあった。

 とにかく、この地で18年続いているという催し物としては結構なことだが、果たして日本人にとって「クリスマスとは何だろうか?」と改めて思わざるを得なかった。

 決して批判的にとらえているのではないが、キリスト生誕を祝うお祭りとして、キリスト教国でもないニッポンで、こんなにも愛され多くのイベントや商戦に利用されている「クリスマス」なのだが、クリスチャン以外の人たちにとっては、キリストの誕生も「迷信」に過ぎないのではないかという疑問を感じてしまうのであった。

 日本人にとっての「クリスマス」は、子どもたちだけでなく「サンタさんからのプレゼントをする日」となっている感が強く、いのちを与えられた喜びとお互いに感謝する日、つまり「神様に感謝し、家族や友人たちにも感謝する日」と思ってもいいのではないかと思うのである。

 「迷信」といえば、「ご飯の粒を残すと目がつぶれる」とか、「敷居を踏まない」、「夜爪を切らない」など、何やら不吉な感じがする行為をしない方がいいとの言い伝えが多いのだが、果たして貴方は「迷信」を信じているのでしょうか。

 「迷信」とは、字の如く「信じることを迷うこと」なのだが、「黒猫」に纏わる「迷信」も多く、「黒猫を見たら、13歩下がる」とか「黒猫が前を横切ったら目を瞑る」とかいろいろあり、黒猫にとっては迷惑千万な言い伝えとなっている。

 私自身は、小さい頃家で黒猫を飼っていた記憶が鮮明で、しかもこの「黒猫」に纏わる私自身の経験やエピソードは話すに事欠かないほどであり、迷信ではないが、大きく人生には関わっている。

 「クリスマス」を迷信だという人はいないかもしれないが、いい加減な気持ちで「クリスマスを祝う」人が日本人には如何に多いかは確かである。

 「昼間蜘蛛を殺さない」「霊柩車を見たら、親指を隠す」「深夜鏡を見てはいけない」など多種多様な「迷信」とは区別されてしかるべきだが、信じることを迷わず「神様に感謝する」クリスマスにしたいものである。
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60年ぶりの女子プロ野球。

2009年12月22日 | プロスポーツ
 日本女子プロ野球機構(GPBL)が来春開幕予定で始まるという。

 約60年前の戦後間もない頃、日本にも女子プロ野球があったそうで、それ以来の本格的なリーグ戦を展開する予定だそうだ。

 ここ数年、野球の独立リーグのチームが四国アイランドリーグを皮切りに各地で産声を上げて、野球好きの選手たちにとっては嬉しい限りだが、関西独立リーグを巡る経営と資金力のなさに、次々脱退したり再編成したりと大変な状態が続いている。

 ナックルボールを投げる吉田えり選手は、一躍有名となってタレント的に関西のではテレビ出演したりしていたが、肝心の野球チームからは退団し、別な活躍の場を探しているらしいが、今回の女子プロ野球チームに入団する気配はないみたいだ。

 リーグ戦と言っても、現在「京都アストドリームス」と「兵庫スイングスマイリーズ」の二球団のみの参加発表なので、対戦相手は同じゲームと繰り返して行うのだろうか。

 いずれにせよ、女子でも「野球を職業にしたい」とまで思う人にとっては、職業選択の自由と共に、活躍の場が生まれたことは、とっても喜ばしいことだし、一野球ファンとしても楽しみなこととなった。

 しかし、果たして「女子プロ野球」の興行にスポンサーがついて、選手たちの生活費や練習、移動などに関わる諸経費を捻出し得るだけの観客動員や入場料を徴収できる様な形になれるのだろうかと心配するばかりである。

 両チームの監督としては、京都チームが元阪神コーチで阪急ブレーブスの大熊忠義氏(66)が、また兵庫は元ダイエー(現ソフトバンク)の川越透氏(43)が務め、本格的な練習と共に野球技術と勝つための指導を行うらしい。

 この2チームに選手登録された30人の中には、兵庫チームに08年女子野球ワールドカップ日本代表の厚ケ瀬美姫内野手(18)が、また京都チームには、98年にアメリカ女子プロ野球リーグ(LPB)に所属し、左腕から繰り出す120キロの直球と鋭いカーブが注目された山元保美(ともみ)投手(33)がいて、面白そうである。

 兵庫の厚ケ瀬美姫選手は「少しでも多くの女子野球選手に夢を与えられるよう、ガッツいっぱいで頑張りたい」と抱負を語れば、小学4年から野球を始め、中学から短大まではソフトボール部で活躍し、米国に女子野球チームがあると知って、「将来は野球を仕事にしたい」という夢を高校時代に抱いた山元保美選手は、LPBに所属したが観客動員が伸びず、わずか一ヶ月で消滅後、米セミプロチームを経て、都市対抗予選に出場したりしたが、03年には「夢はあきらめ、野球は趣味」と決断し、運送会社で働きつつ軟式野球部で野球を楽しんでいたらしい。

 リーグ最年長の彼女は今年8月のGPBLの設立ニュースを見て、「硬式で燃え尽きていない」と、再び会社を退職しトライアウトに参加し、プロの扉をたたき、難聴と言うハンディを持ちつつ、12年ぶりに米国仕込みのサウスポーでマウンドに立つ日という。

 来春の阪神タイガースの優勝と共に、女子プロ野球も注目してみたい。
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『最後だとわかっていたなら』

2009年12月21日 | 感じたこと
 一昨日、知人からのメッセージに、とても感動的な詩がありました。  

 ご存知の方も多いと思いますが、ここに掲載します。



 『最後だとわかっていたなら』

 「If I Knew it Wolud Be the Last Time」 by Norma Cornett Marek


あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
  
 わたしは もっとちゃんとカバーをかけて神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう。

 あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら

 わたしは あなたを抱きしめてキスをして そしてまたもう一度呼び寄せて抱き しめただろう。

 あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたなら

 わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう。

 確かに いつも明日は やってくる。 

 見過ごしたことも取り返せる。やり間違えたこともやり直す機会が いつも与  えられている。

 「あなたを愛している」と言うことは いつだってできるし 

 「何か手伝おうか?」と声をかけることも いつだってできる。

 でも もし それがわたしの勘違いで今日で全てが終わるとしたら

 わたしは今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい。

 そして 私たちは忘れないようにしたい。

 若い人にも年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを

 愛する人を抱きしめるのは 今日が最後になるかもしれないことを

 明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず

 もし明日がこないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから 

 微笑みや抱擁やキスをするための ほんのちょっとの時間を 
 どうして惜しんだのかと  

 忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを 
 どうしてしてあげられなかったのかと

 だから今日 あなたは大切なこ人たちを しっかりと抱きしめよう

 そして その人を愛していることを いつでも いつまでも 
 大切な存在だと言うことを そっと伝えよう。   

 「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
 伝える時を持とう。

 そうすれば もし明日が来ないとしても 
 あなたは今日を後悔しないだろうから。 



 この詩は 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で 一機目が激突後 救助の為 最初にツインタワーピル内に突入した数百人のレスキュー隊の内の1人で 今も行方不明の消防士(当時29歳)が生前に記したものを アメリカのサンディエゴ在住の日本人、Mutsumi May Sagawa (佐川 睦)さんが翻訳されたものだそうです。


 




 
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