ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「異口同音」で話が弾む。

2009年10月31日 | 感じたこと
 十月三十一日、今日は朝から上天気で、暑いぐらいの快晴だったので、八百屋のお客さんに会うたびに、「今日はいい天気ですね。」と挨拶代わりに声をかけていた。

 すると、何と返答として返って来た言葉が「だけど、明日からは天気が崩れるそうですよ、11月3日には相当冷え込むらしいですよ。」と異口同音の決まり文句の様な「お言葉」が見事になされたのであった。

 そう言えば、朝ごはんが済んで私が八百屋に出かける時に、内の家人も同様のことを言っていたと思い出した。

 出かける時のシャツを長袖にするかティーシャツにすべきか悩む時があるのだが、今朝は何の迷いもなく「長袖Tシャツ」を着て出発したのだが、すぐに少し汗ばむほどの暑さを感じる上天気であった。

 それにしても、会う奥様方が順番に同じように「明日からは天気が崩れるそうよ」と言われ、3日の文化の日はお天気の特異日と言われているほど晴れの日が多いそうだが、相当寒くなるというのである。

 家人曰く、「最低気温が6度に下がって、今年一番の冷え込み」となるそうなのである。

 よーく奥様方は「天気予報」をご存知なので、今更ながらビックリしたのである。

 よーく考えるまでもなく、世の奥様方、主婦は毎日の洗濯がどのように可能か、乾きいいのか悪いのか、またお子さんの幼稚園、学校のイベントや地域の行事なども含め、お出かけや参加に対しての「お天気情報」にとっても敏感なのである。

 私自身は、二十数年前から関わっていた子供の遊び場活動のリーダーだった頃、とにかく何故かキャンプやイベントを企画すれば、よく雨が降ったものだから、子どもたちをはじめ周りのスタッフからも「雨男」とよく言われていた時期があるので、雨風を特に気にもせず、返ってお天気ばかりよりも、「雨の降らないキャンプ」など面白くも何ともないなと「開き直っていた」こともあって、実際雨に降られたり寒くなるのも「とっても自然なこと」なので、ほとんど気にはならないのである。

 しかし、世のお母さん方は、とっても「お天気」が気になるらしく、テレビや新聞の「天気予報」をよく見聞きされている様で、しかも何気ない「お天気の挨拶」なのに、気になる明日、明後日、そして先のお天気の変化に対する情報にとっても詳しい方が多いようである。

 たぶん、「明日は雨」だと分かれば、前夜の洗濯も控えて、翌日の天気次第で次の選択の予定を考えていたり、子どもさんや出かける家族の「お弁当」づくりや「出かける衣服」のシュミレーションとでも言うべきか、寒さ、暑さに対応した「着衣選び」を自然に準備されているのだろうと推察できたのである。

 「いい天気ですね」という挨拶に対して、「そうですね、いいお天気ですね」で普通のご挨拶は済むのですが、「だけど、明日からは天気が大きく変わる」と返答されることで、話はどんどん先へと進んで行って、確かに世間話や日常の予定やイベントなどが見え隠れして、とっても面白い「おしゃべり」へと発展したのであった。
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日本の空港と日航

2009年10月29日 | とんでもない!
 鳩山政権が誕生し、大抜擢の前原誠司国土交通大臣の発言と行動力が目立っているし、国会議員の主導による脱官僚型政策決定に関しては、副大臣の馬渕氏と政務官の辻元清美さんの姿も特に目立っていて力強い。

 ともかく八ッ場ダムの建設中止問題をはじめとして、日本の従来の政治的手法は、土建屋政治とまで揶揄されたような、道路、港湾、河川をはじめとする「土建屋」企業を潤すための仕事作りとしか思えない様な「建設、土木事業」への税金の投資が率先して行われてきたのであった。

 つまり、戦後日本の復興は間違いなく道路、鉄道、空港をはじめとする交通インフラの整備を率先し、ついで治水、用水、港湾、河川など「水を治める」と言われる政治力の象徴のような「造成、建造、改造」を伴う大掛かりな土建工事が全国津々浦々で展開され、そうした大型公共事業を地元に持ってきた先生、すなわち国会議員が選挙に強く、地元では有力者となってきたのであった。

 こんな土建国家、すなわち「コンクリート優先事業」から、弱者や人に焦点を当てた施策、事業に真剣に取り組むための財源を捻出するためにも、従来型の「大規模公共事業」に大鉈、メスを入れる必要があるということで、「ムダなダム」という反語的スローガンだけでなく、多くの国土交通省管轄の大型予算の背景のチェックが始まったのである。

 その中に「空港整備特別会計」なる昭和45年から始まった「打出の小槌」の様な埋蔵予算があり、昨年度2009年度でも5300億円余の歳入、歳出をし、空港の設置、改良、維持、管理と空港周辺事業にもあてられている多額の財源となっているのである。

 この財源は主に空港使用料、一般会計、借入金などからなっていて、航空会社も利用者の航空運賃を背景に多額の負担を強いられてきたのである。

 つまり、今回の日航、日本航空の経営危機の背景にも一部赤字国内空港への離着陸を強いられた赤字補填やパイロットをはじめとする高給、多額な企業年金などと共に、航空需要を高く見積もりすぎての放漫経営と国の垂れ流し的「空港整備」が背景にあることは否めない。

 関西での大阪伊丹空港についで関西国際空港を作り、さらに神戸空港を作らせてしまった失敗、また羽田空港についで成田国際空港を作ったのに、静岡空港や茨城空港を作るという投資が、狭い日本国土に、こんなにも空港はいにらないし無駄な赤字空港が大半となってしまっているのである。

 全国の47都道府県に一つは空港を作るといった間違った政策が、現在の国内空港で黒字は新千歳と羽田、大阪伊丹だけで、国際空港として成田、関西、中部を抱えた日本の国内外の空港は過剰設備で赤字続きなのである。

 そんな空港事情を維持するために無理やり飛んでいた日本航空などの地方便の撤退や縮小でようやく見えてきたのが、日本の航空行政の失敗そのものだつたのである。

 前原国土交通相が「日本のハブ空港は韓国のインチョンだ」と言わざるを得なかった現状と日航再建に多額の多額な公的資金を投入せざるを得ない責任は、いったい誰が始末するのだろうか。

 
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『ハッピー・ハロウィン』

2009年10月28日 | 季節の話題
 先週の土曜日の昼下がりに近くの新興住宅地の公園近くを八百屋の車で走っていると、なにやら近所から子供たちが各々の仮装をして集まっている様子が伺えたので、よく見てみると何と「ハロウィンの集い」の感じで集合しているところだった。

 少し曇り空の昼下がりだったが、おかぁさんやパパに付き添われた小さな子どもたちもいたが、小学生や一部中学生くらいの女の子もいて、かぼちゃ色のシャツや帽子を被った子どもや黒いマントを羽織った子どもたちもいて、日本社会にも「ハロウィン」が少しつづ根付いてきたのかなと思わせる光景であった。

 私は二十数年に「子どもたちの遊び場」のリーダーをしていた関係もあって、この「ハロウィン」をそれなりに楽しもうと、当時かぼちゃの被り物を被って黒いマント姿で「ハロウィン」のイメージを演出し、子どもたちのパレードに参加したことがあった。

 道行く子供たちや大人たちも、その正体が誰だが分からないようにと歩いていたのだが、いつのまにか誰かが「ガリバーや」と見破られてしまい、最終の集合場所での解散時には、子どもたちにツッかれて被り物を止む無く脱いでしまった記憶がある。

 それにしても、商店街がテレビ、マスコミなどでは、この「ハロウィン」が10月31日に行われるカトリックの諸聖人の日、万聖節の前夜祭として行われるイベントであり、諸聖人の日の旧称である、「All Hallows」の前日「EVE」であることから、「Halloween」と呼ばれるようになったそうである。

 ケルト人の一年の終わりが10月31日で、この夜は「死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた」ことから、これらから身を守るために「仮面を被ったり魔除けの焚き火をした」と言われている。

 つまり先祖の霊を敬い、家族の墓地にお参りをしたりして、蝋燭を燈して霊を迎えることもあって、日本の夏のお盆に「迎え火や送り火」をする習慣と似ているのかもしれない。

 これに因んでハロウィンには、カボチャをくり抜いた中にロウソクを立てた「ジャック・オー・ランタン」(お化けのカボチャ)を作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)と唱えて、近所の家を一軒づつ回って、家庭ではカボチャのお菓子などを作って、子どもたちはお菓子を貰って持ち寄り、ハロウィンパーティーを開くのである。

 それにしても、キリスト教、カトリックとほとんど縁のない日本社会で、いつのまにかクリスマス前の前哨戦的「商戦」として取り上げられた「ハロウィン」が、あたらしもの好きの日本人に受け入れられて、楽しまれようとしていることは、理屈抜きに結構であり、幸いなことである。

 皆様もぜひ、何らかの仮装かカボチャをモチーフに「ハッピー・ハロウィン」を楽しまれては如何でしょうか。
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府庁移転案は否決。

2009年10月27日 | とんでもない!
 弁護士でタレント活動をしていた橋下大阪府知事が持ち出した「大阪府庁の南港WTCビルへの移転案」は、2月の議会での否決についで再び否決されたが、なんと大阪市が所有するWTCビルを大阪府が購入する約85億円の予算案は可決するという「分かりにくい議会の判断」となった。

 もともと橋下徹大阪府知事が古くなった現在の大阪城近くの大手前付近にある大阪府庁とその関連庁舎を一括して都市再生をも狙って、住之江区南港に建つ大阪ワールドトレードセンタービルの活用案と合体させて提案したのが始まりである。

 大阪市にとっては南港の開発ならびに五輪誘致に失敗した各種の先行投資などの赤字補填の意味もあって、大阪府のWTCへの府庁移転案は、渡りに船の奇策として平松市長も歓迎して、府議会にも出て「WTC売却と活用」についての意義を説明したり、府市一体になっての知事と市長の共同提案という形になっていた。

 しかし、大阪府議会は府民による選挙で選出された橋下徹知事の人気にあおられる形の中、各政党内部でも賛否両論が行き交う大混乱を来たしながら、昨夜から今朝にかけての協議を重ねて、なんと「購入予算は賛成、移転には反対」という奇妙な結末となってしまった。

 一般府民や私たちには全く理解に苦しむような「とんでもない」結論だと言わざるを得ないのだが、民主的と言われる議会の現状、ならびに党利党略の結末としてはある意味では妥当な結論となったとも言えるのである。

 つまり、市民感情や常識では理解できない、大阪弁で言うと「けったいな結果」なのだが、自民、民主、公明など各党の各議員にとっては面子と共に次の選挙を戦うために「少しでも有利」な選択をと検討した結果の産物だと言っても過言ではない「議員の都合」のみの結果となったと言えるのではないだろうか。

 結局、橋下知事の「府庁舎の全面WTC移転」という提案は、再び座礁してしまった形だが、WTCを府が購入する予算案は可決したことで、府所有のWTCビルに府の関連団体や部署を少しつづ移転させ活用する実績を積んで、いずれは念願の「府庁の全面移転」への道筋を可能にするという苦肉の策で、議会と知事、両者の面子と立場を尊重したとする形に無理やり落ち着かせたと言えよう。

 WTCビルを活用できず大きなお荷物となっていた大阪市にとっては、85億円で大阪府が買い取ってくれるのは誠に有難いことなのだが、大阪府も言わずもがなの財政難の最中で、府市そろって知事と市長に府民、市民はしてやられたと言った形の状況であることは間違いない。

 いずれにせよ、府民、市民の税金が、はっきりとしたビジョンや有権者のコンセンサスを得たと言えない状況の下で、議会の力関係や政治的力学だけで、中途半端な都合のいい勝手な結論を導き出したとしか言えない結末を迎えたのである。

 本当に府民、市民にとって喜ばしいベストの選択となったかどうかは甚だ疑わしい限りである。
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臨時国会がスタート。

2009年10月26日 | 日本の課題
 総選挙で歴史的「政権交代」が実現した、民主党を主体とした連立内閣の『国会』での論戦の火蓋が切って落とされようとしている。

 まず「鳩山由紀夫首相」の所信表明演説が行われ、政権交代は国民の選択だと強調し、官僚依存の政治から国民主体、すなわち国民の代表である政治家主導の政治を実現すると語り、「税金の無駄遣い」を排除した施策と緊密なる日米関係を機軸とした外交を目指すと語った。

 いよいよ、民主党が目指す生活者優先の日本の政治がスタートするわけだが、国家戦略室という戦争下の軍事政権のような部署と行政刷新会議と言う名の今までの官僚主導のチェック体制でない国会議員自らがチームを組んで各政策の中身の精査と予算削減を目指すというのだが、果たして思い通りに進むのだろうかと、多くの国民は不安と疑心暗鬼な気持ちで見守っている。

 言葉の上では、明治維新以来の大変革の時としてね「無血の平成維新」と銘打って「国政の変革」にまい進するとしているが、「戦後政治の大掃除」を行政刷新会議を中心として税金の無駄を洗い出し、国家戦略室で複数年度の予算編成など、税の使い道と予算手法の見直しも行うとしている。

 鳩山氏の持論の「友愛政治」では、弱者や少数者の視点を尊重した政策を検討し、年金の明瞭化、子ども支援、高速道路無料化、コンクリートから人へと政策をチェンジさせ、外交では世界の平和と安全に寄与する日本を目指すとしているが、まだ具体策や予算も含めた形は見えてこない。

 私は今回の政権交代が本当に威儀るものとして国民の多くに認められるためには、まず内政面での「脱官僚政治」を本当に実現できるのか、すなわち従来の族議員や利権団体、業界など「利権とのしがらみ」を脱して、真の生活者目線からの施策を優先して予算化できるかにかかっていると思うのである。

 また外交面においては、地球環境問題へのリーダーシップとしての二酸化炭素排出量のは1990年比「25%削減宣言」はいいとしても、戦後60年以上も経っているのに、「日米同盟」などという名に誤魔化されて、沖縄をはじめとした全土に米軍が駐留した「占領国」の様な実態からの脱出が必要なのではないだろうか。

 これ見よがしに「米国の核の傘」で守られてきたというアメリカ合衆国の都合よい理屈に乗せられて、「おもいやり予算」などという多額の米軍、家族の生活面での支援まで出さされている日本の軍事予算は、やはり独立国として自立した民主国家といえないのではないかという疑問が強くあるのである。

 本当に戦後日本の政治の大掃除というならば、この二つは根気強く、あらゆる抵抗勢力にも負けずに、時間をかけてもやり抜く覚悟で新政権は「変革」してほしいものである。

 「マニフェスト」と称する総花的「公約の羅列」に振り回されるだけでなく、実質的な予算の塞源、赤字国債の発行を断じて切り詰めて、税収40兆円の現実の中で国民の理解を求め、経済的豊かさや繁栄だけでない、真の心の豊かさと平安を抱ける庶民生活の実現を目指すために大いに議論してほしいものである。
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自動車革命!!

2009年10月25日 | 世界の問題
 今晩のNHK総合テレビで放送された「自動車革命②」中国電気自動車13万円や日産の戦略とリトルハンドレッドと呼ばれるベンチャー的自動車製造会社の競争状況を観た。

 21世紀に入って早や10年が経過しようとしている現在、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出量規制の世界的問題において、もはや従来型の自動車産業は今や斜陽化する危険性まで出てきたと言っても過言ではないほど、ガソリン車からハイブリッド車、そして電気自動車へと加速度的に産業実態が変化せざるを得ないところまで来ているようである。

 その中で日本の自動車会社のトップを走るトヨタ自動車のハイブリッドカーであるプリウスは新型の受注が間に合わないほど国内販売台数では断然トップを走る好調さであり、つづいてホンダのハイブリッド車種も販売数が伸びている。

 しかし、世界的な市場では、もはやハイブリッドカーではなく、断然「電気自動車」の開発から実車販売の段階に来ている企業、国が目白押しで、特に中国の小さなベンチャー企業やインドの自動車会社が率先して試作車を欧米各国の展示会に出展したり、中国国内では既に約一万元、すなわち日本円では一台、13万円程の格安電気自動車の発売をしているという。

 日本では日産が社運をかけて開発し再来年に発売を計画している電気自動車が一回の充電での走行距離が約160キロなのに対して、中国車はなんと300キロ走るという性能で発売されるという。

 インドでもIT関連企業との自動車会社の共同制作による電気自動車の開発が本格的に軌道に乗っていて、近く格安の試作車が欧米各国へと展示される運びとなっているらしい。

 日本では昨年のリーマンショック以来の景気の低迷と消費者の買い控えなどが影響して、自動車販売数は急激に減少している昨今だが、果たしてハイブリッドカーのみの販売数が伸びでも、世界的市場は既に電気自動車の販売合戦へと突入しているのである。

 つまり、日本国内での自動車産業や消費者ニーズ、意識も世界的には遅れていると言ってもいい感じで、日産、三菱両自動車会社が社運をかけて準備し発売を計画している電気自動車ですら、世界的市場からすれば少し乗り遅れ気味の状況にあると言えよう。

 世界中の投資家たちの投資の対象も、早くも環境重視の電気自動車関連企業や連携する関連企業への投資へと大きくチェンジしているらしく、アメリカの個人的投資家たちも中国へ乗り込んでリサーチし、自動車販売台数が昨年一千万台を突破した中国の生産者と消費者の動向をチェックして、動き出しているのである。

 現在は世界の自動車会社のトップに君臨しているトヨタ自動車にも秘策や挽回策はあるのだろうが、中国、インドをはじめとする新たな自動車需要が拡大する新興国への投資と共に、電気自動車への「自動車革命」について行けるのかが大きな課題として迫っている。

 
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異論を戦わせて。

2009年10月24日 | 日本の課題
 総選挙による「政権交代」が本格的にスタートして、やっとこさ一ヶ月余が経過したばかりである。

 この一ヶ月余は、鳩山首相の国連での「温室ガス25%削減」演説に始まり、、麻生内閣が主導した第二次補正予算の見直しで、ほぼ予定通りの3兆円弱の執行停止を行い、順調に滑り出したかと思われた。

 しかし、おっとどっこい、「そうは問屋が卸さない」と言った感じで、前原国土交通大臣の八ッ場ダムの建設中止や羽田空港の国際ハブ空港化など、多くの思い切った発言や厚生労働大臣の管轄下にある「子ども手当」の財源問題など、来年度予算の概算要求額が95兆円にも達し、テレビマスコミを中心に「大丈夫か民主党」といった批判めいた論調が早くも飛び出している。

 確かに難題が山積みだが、「政権交代」して盛んになるのは当然で、どうもマスコミの先走った論調が目についてしまう感じで、もっとじっくりと国民的議論も交えて大いに意見を出し合うのを見守りたいと思うのだが、どうも先行き不安や結論を急ぎ過ぎているように感じてならない。

 つまり、鳩山民主党政権が誕生して40日ほどしか経っていないが、自民党時代の委員会、協議会、党三役、閣僚会議などの従来型でなく、菅直人副総理兼国家戦略局担当大臣と仙石行政刷新担当大臣という新しい両局での、従来型の予算要求の中身の精査がスタートしたばかりなのに、先走って「内閣の見解不一致」などと批判的に報道し過ぎではないだろうか。

 今までの長きに渡った自民党中心の政権与党内閣による内部議論はほとんど聞こえて来なかったばかりか、何処で決定したのか定かではない政策が急に浮上したり発表されたりする場合が大半で、国会での与野党の議論も、政党同士の批判合戦に過ぎなかったとしか思えない。

 やっと実現した政権交代で誕生した内閣が、政治家主導という新しい政策検討プロセスとしての、副大臣、政務官を伴っての政策議論と共に、大いに国会議員同士や、民間企業、財界をはじめ、国民の意見が出る方がいいのである。

 通過儀礼としか思えないような委員会や協議会だけではなく、国民に見える形での大いなる議論が必要であり、米大統領の来日を機に沖縄普天間基地移設問題などが再び議論され、北沢防衛大臣と岡田外務大臣、鳩山首相の見解が微妙に違っていてもいいわけで、最終的に日本政府の見解、対応が明確に決まれば問題はないのである。

 「見える議論」を大いに可能な限りの時間を費やしてやっていただき、より良い政策決定へと導くことは、民主主義的アプローチとして当然なのである。

 テレビマスコミや週刊誌、新聞報道に影響されず、国会議員は大いに自分の意見を発表し、国民も意見、提案をするべきなのである。

 鳩山内閣発足時の支持率は、小泉内閣のスタートに次ぐ高支持率なのだが、少しつづ下降するのは自然の成り行きで、「大いに異論を戦わせて」、最終的に少しでも国民、日本にとって良い選択が出来ればいいのだから。
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木曜発行週刊誌。

2009年10月22日 | とんでもない!
 時々感じることなのだが、木曜日の朝刊紙に掲載されている毎木曜日発行予定の「週刊文春」と「週刊新潮」の全国紙の広告の欄に目をやると、なんとも興味深い話題の見出しが飛び込んでくるのである。

 私自身は毎週刊行されている多種多様な週刊誌の内で、たまに大阪や京都市内へ電車で出かける用ができた時に車内で気軽に読める週刊誌として「週刊アエラ」を買うことはあるが、毎週木曜に発行されている二大週刊誌と言っても過言ではない「週刊文春」と「週刊新潮」に関しては、この新聞広告の見出しだけで十分楽しんでいる。

 皆さんもお気づきであろうが、一般全国紙としての新聞各社は朝日、毎日、読売、サンケイ、日経などの日刊紙だが、読み物としての興味をそそる週刊誌としては、新聞社系の各「週刊朝日」、「サンデー毎日」「週刊読売」「「週刊サンケイ」などとは別に多様な週刊誌が出ているが、時事政治ネタと芸能的ネタ、そして皇室ネタ、スポーツネタなどでは一般大衆の興味を抱く話題性のある記事を羅列した、この二大週刊誌が突出しているらしい。

 二誌が同時に木曜日に発売されているのだが、いつの頃かは知らないがある種の相乗効果か競合するテーマでの記事の書き方、拾い方の微妙な違いや面白さが異なっているために、とにかく売れているらしいのである。

 私は新聞の二誌の広告だけで十分楽しんでいたり、話題としての見出しをキャッチできるので買う必要までは感じないが、家人も美容院や老母の病院通いに付き合う時などに置いてる、この二誌を見ることがあると言う。

 今週の「週刊新潮」の広告見出しは「鳩山政権」不協和音と「酒井法子」裁判「7つの謎」ウィーク、そしてワイド「唇寒し秋の風」と題した芸能界などの話題が満載である。

 一方の「週刊文春」の新聞広告見出しは、やはり鳩山民主vs谷垣自民、「国会前夜」の全情報と題して、鳩山首相「ムダ遣い撲滅」なぜ出来ない、亀井静香金融相激白、「西川善文’更迭’の全内幕、前原国交相はなぜ思いつきでものを言うのかなどで、のりピー「アジア復帰計画」をスッパ抜くや天皇・皇后の「素顔」紀宮ご結婚秘話などを掲載しているらしい。

 いずれも、よーく見るまでもなく、日本国民一般庶民の日常的話題としての「きっかけ」となるようなテーマをうまく拾い出しているので、二誌が申し合わせて掲載しているとは思えないのだが、テーマは殆どが似ている場合が多くなっているのである。

 結局、通勤電車の行き帰りの車内吊り広告をはじめ、各紙の新聞広告を主体に宣伝されて、駅のキオスクや売店、書店で気安く安価で買える「話題提供の隠しネタ」的な週刊誌として売れていると言ってもいいのではないだろうか。

 大袈裟に言えば、日本人の大半の日常的話題の多くは、女性たちはテレビのワイドショー的情報から、そしてサラリーマンの親父さんたちは文春、新潮などの週刊誌から話題や情報を得ている場合が多いという程度の社会通となっているのである。

 ご批判を恐れずに言えば、一部を除いて日本人の頭を席巻している二大週刊誌と言えるみたいである。
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違法か違法性。

2009年10月21日 | 感じたこと
 今朝の新聞及びテレビ報道で伝えられたニュースの中に、あの「山本化学工業」製の「バイオラバー」製品を販売会社が「癌治療に効く」などと宣伝して販売したとして、「薬事法違反事件」として告発されたという出来事があった。

 あの「山本化学工業」とは、北島康介選手ら国際的水泳選手が着用する水着について、スピード社の水着を着用すると驚くべき記録更新、すなわち世界記録が続出したことで、日本国内メーカーとして潜水用のウェットスーツなども製作している「山本化学工業」が名乗り出て、「バイオラバー」を使用した水着はスピードが出るとアッピールしたことで有名な企業である。

 たぶん東大阪に本社があるベンチャー的企業のひとであるが、既に潜水士やプロサーファーなどの世界では注目を集め評価されている会社であり、独特のラバー加工の技術力を持つ有望企業であることは間違いないのである。

 しかし、今回の「バイオラバー」事件の真相はまだ確かではないが、健康食品など高額商品を扱っている有名な薬販売チェーン店が「癌に効く」と宣伝して販売したとの「薬事法違反」に問われた事件なのである。

 私の知人のひとりで今年70歳になるA氏は、確か肺がんと肝臓がんを患っておられたが、このバイオラバーのジャケットを薦められて、半信半疑で購入されて、他のきのこ製剤やサメ軟骨などのサプリメントの服用と共に約三ヶ月専念された結果、がん細胞が殆ど消滅してしまって完治されたと言っておられた。

 この山本化学工業が開発製作した「バイオラバー」そのものが直接「がん治療に効く」という宣伝は厳密に言えば薬事法違反に問われても仕方がないことだと思うが、がん患者やご家族にとって「藁をもつかむ思い」でいろんな副作用のない治療方法を求めておられる方々にとっては、ひとつの選択肢としての着用が実際にはあって、その内の何例かが一定の結果を助長させていると思われるケースがある。

 そういう例があるからと言って、「癌に効く」と謳ったり宣伝することは決してよくないことではあるが、果たして違法なのか違法性があるのかは非常に微妙な問題ではないだろうか。

 がん患者に限らず、世の中の多くの人々の健康志向や成人病治療、難病治療、そして中にはダイエットのための効果を謳ったような商品や薬品まがいの食品、サプリメント類は、ほんとたくさんあって、しかもいずれも薬事法や医師法に抵触するかしないかのすれすれの効能、因果を宣伝している場合が多く見受けられるのが現状なのである。

 健康ブームやダイエットブームを背景に、たくさんの商品が宣伝されていて、個人から個人への「口コミ」で宣伝されて売られている賞品の中にも、効能や効果は「眉唾物」、いい加減な物や偽物も多く存在している様である。

 商売のために多額な商品を効能や効果ありと一方的に宣伝して販売する業者のやり方は告発されるべきものも多いが、消費者すなわち購買する人々が十分なる知識と情報をキャッチして選択すべき商品が多くあるということではないだろうか。

 「騙されてはいけない」、でも「信じる者は救われる」さてどちらが正しいのだろうか。
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「ずるいぞ!」と悪口。

2009年10月20日 | 感じたこと
 今朝のたわいもないニュースに、ある御仁が貯金通帳が入ったカバンを拾って警察に届けたところ、通帳の残高が一千数百万円もあったのに、落とし主は拾ってくれた方に全く金銭的なお礼がなかったとして、取得物を拾った人に対しては、その価値の5%から20%の謝礼を贈るべしという法律に違反しているとして、訴訟をしたとのことであった。

 はっきりした状況や考え方は知る由もないのだが、なんだか「世知辛い世の中になったな」といった印象と共に、落し物を拾って届けた善意には敬意を表するものの、なんぼかの謝礼を要求するという訴訟に関しては、なんともアツカマシイと思ったりもした。

 そもそも偶然の落し物を拾った方の善意に対しては、落とし主も謝意を表せたらいいとは思うが、必ずしも金銭による謝礼が必要かどうかは甚だ疑問である。

 このケースの場合、あくまで拾われたのは「貯金通帳」という「貯金の記録簿」であり、現金ではないことと、もしカバンの中に銀行印などが入っていたとしても、他人名義の銀行通帳から勝手に金銭を引き出したとしたら、窃盗罪なのかもしれない。

 拾った人が訴訟にまで訴えていることは、ひょっとしたら言葉による謝意もなく、拾って届けてもらって当然といった対応だったのかもしれないので、拾い主のせっかくの善意に対する対応に怒っておられるだけかもしれない。

 全貌が分からぬままの「悪口」のようにも思われるが、私は敢えて「ずるいぞ!」と言いたいのである。

 カバンを拾った人が、他人の貯金通帳を見て「多額の貯金」があることを確認したために、それ相当の返礼として「現金」を要求するという形となったみたいだが、そもそも「現金を拾った」わけではないのである。

 つまり、何が言いたいのかといえば、他人のカバンを拾って届けてあげた善意は結構だが、そこで内容によっては謝礼を請求できるとした法律に基づいて「権利を主張」したことが間違いなのではないだろうか。

 
何事にも「棚から牡丹餅」のような偶然から儲かるような話は基本的にはないのであって、幸いにも落とし主の気持ちで何らかの謝意の形や謝礼が返されたとしても、それは一種の善意に過ぎないのである。

 それなのに、拾い主が多額の謝礼金を要求するのは、なんと言っても本末転倒と言わざるを得ないのである。

 世の中には、「何とか楽してお金儲けをしたい」とか、「何かいい話はないかね」といつも考えているような人がいるのだが、そんな美味しい話や旨い話はないのである。

 もしあったとしても、それは全くの偶然であり、そのために行う行為や善意は、結局は「ずるい」と言うしかない人のエゴである。

 こんな「ずるさ」を指摘する「悪口」を言っている自分の中にも、そうした「エゴ」があることに気づきながらの自省としたい。

 
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