ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「お芋掘り」

2010年10月31日 | 季節の話題
 低気圧の影響で雨模様となった今日だったが、昼過ぎのちょっと小雨が止んだグッドタイミングで、久しぶりの「芋掘り」をした。

 話せば長くなるが、私の小学校時代の先生のひとりが、その当時「器楽部」という放課後活動の顧問として指導されていたご縁で、器楽部に在籍していた女性たちが音頭をとって、ご高齢になられた先生を囲んでミ二同窓会を企画されたのである。

 私自身は小学校時代は、草野球に明け暮れていた少年だったので、全く「器楽部」とは縁がなかったのに、私の双子の妹が器楽部に入ってアコーディオンを弾いていたこともあって、なぜか私も一緒に誘われたということで、奈良県の王寺町のT先生宅のあるJRの駅での待ち合わせに遅れまいと小雨降る中、車を走らせたのであった。

 昨夜には先生からお電話をいただき自動車で向かうと言った私のために道順や駅に通じる信号など、細やかなお心遣いでお教えいただいたので、インターネットの検索地図で一応のプリントを出して向かったのだが、駅周辺の細かな改札口や待ち合わせ場所は不明で、たった6人が一同に会するまでに一時間近い時間を要してしまった。

 それなりに携帯電話を持っている者もいたのに、お互いの電話番号を知る由もなく、北口から南口、はたまた中央口と改札口があるためにお互いに行ったり来たりしているうちに時が過ぎてしまったのであった。

 しばらくして漸く出会えた私たちはお互いに懐かしさと共に挨拶を交わし、先生のお車と私の軽四輪に分譲して、先生の先導でまず先生の現在のお住まいのご自宅へと誘われた。

 先生とは半世紀という期間を経ての再会となったはずなのに、全くそんなそぶりや違和感もなく、ご自宅で奥様のもてなしを受けてから、記念撮影をしてから一路、先生が日頃丹精こめて作られている「畑」へと向かった。

 秋の収穫の代表的な作物の一つである「お芋」を掘らせていただけるようにと先生が確保していただいていた畑に立ち入って、スコップと軍手でツルを頼りに掘り当てた「サツマイモ」は、ざっと20キロ近くあったと思われるが、ともかくご高齢の割には若い先生の時間の予定で、約15分程度の「芋掘り」ではなかったかと推定される。

 小雨模様が断続的に続きそうなことと、お昼ご飯を囲んでの歓談のための時間を十分に取ろうという先生の配慮からか、急いで「芋泥棒」のようなすばやい仕事で、ビニール袋にたくさんの芋を入れて、畑から退散したのであった。

 スコップの入れどころの悪かったために、一つの芋は真っ二つに裂かれて、紅芋というか「赤いも」であることも判明したが、マルマルと太った出来のいい「おいも」がたくさん掘れ、帰りの「お土産」としていただくこととなったのであった。

 昼食のために予約しておられたレストランで約3時間、食べて喋った昔話と現在は、先生を除いては皆んな同じ年の気楽さ、同窓の気安さも轍だって、笑いと懐かしさで一杯であった。

 ほんとうに「人の出会い」っていいもんだなとつくづく感じることが出来た半日となったわけだが、帰宅してお土産の「お芋」を車から降ろしながら、器楽部ではない私が一番よく喋って楽しく過ごさせていただいた「器楽部同窓会」への参加を感謝する思いでいっぱいとなったのである。
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プロ野球ドラフト会議

2010年10月30日 | プロスポーツ
 一昨日、2010年度プロ野球ドラフト会議が行われ、パリーグ楽天の監督就任を前日正式に記者会見し発表した、星野仙一監督をはじめ各球団のフロント、オーナー、監督らが集い、多くの観客も入場しての新人選択会議となった。

 今年のドラフト会議は、所謂「マー君世代」と呼ばれる大学生の投手を中心に、多くの実力がある選手が目白押しということもあって、早くから注目を集めていたが、いざ午後5時から始まった第一巡の希望選択選手を12球団が一斉に名指しする段では、なんと早稲田大学の大石達也投手に6球団が競合し、抽選の結果、惜しくもクライマックスシリーズで三位のロッテに惜敗した西武ライオンズの渡辺監督が昨年の「雄星」投手につぐ、籤運の良さを発揮して涙の選択決定となった。

 続いて行われた同じく早稲田大学のエース、斉藤祐樹投手についても4球団が一位指名選手として競合したため抽選を行い、何とこれもパリーグの日ハムファイターズが獲得するという結果となり、三人目に注目されていた中央大学の沢村拓一投手は読売ジャイアンツが唯一の一位指名となつたため、抽選もなく選択権を獲得したため、沢村投手は涙で喜びを表す記者会見となった。

 我が阪神タイガースは、六チームが指名競合した大石投手を希望したが今年も籤運はなくはずれて、やむを得ずはずれ一位チームとして許された二人目の指名希望を社会人の東京ガスの榎田大樹投手として交渉権を獲得したが、逃がした魚は大きく同席した真弓監督の表情もガッカリの様相で、ドラフトのくじ運は阪神タイガースには近年ないと思わざるを得ない結果となった。

 しかし過去には、法政大学の田淵幸一捕手や早稲田大学の岡田彰信内野手を獲得したドラフトもあったので、いつも貧乏くじだとは言い切れないのだが、阪神ファンとしては巨人、西武、日ハムなどの球団の運のよさにあやかりたい心境になった。

 とは言え、この新人選択会議、いわゆるドラフト会議での指名枠は、あくまで獲得交渉権なので中には希望球団でなかったり、交渉の過程で入団を辞退するといった例もなくはないのだが、最近の傾向としてはいろんな条件や契約金額、または新人選手の育成環境の整備がなされているため、ほとんどの選手がプロ野球選手としてのスタートを指名された球団で切るといっても過言ではないようになっている。

 それにしても、ドラフト一位指名の選手が必ずしもプロ野球の一軍選手として活躍するという保障は全くなく、数多くの有名アマチュア選手であっても、プロ野球のマイナー二軍生活に親しみつつも、一度も一軍の晴れの舞台で脚光を浴びることなく寂しく球界を去っていく選手も結構いるのである。

さて、今年の12球団の一位氏名が確定した選手たちの中で必ずしも沢村(巨人)、斉藤(日ハム)、大石(西武)がスーパースターとして一軍で活躍するとは限らないので、、阪神の榎田投手(東京ガス)をはじめ、中日の大野投手(仏教大)、ヤクルトの山田内野手(履正社高)、広島の福井投手(早稲田大)、横浜の須田投手(JFE東日本)、ソフトバンクの山下捕手(習志野高)、ロッテの伊志嶺外野手(東海大)、オリックスの後藤外野手(前橋商)、楽天の塩見投手(八戸大)ら一位指名選手と輝くドラフトされた他の56選手にも注目したいと思う。
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政治犯としての拘束。

2010年10月28日 | 世界の問題
 全世界に200以上の国と地域があつて、総勢70億人にも達そうとする人口が、この地球上の世界にはあるのだが、未だに人間的自由や尊厳が尊重されずに、独裁政権や軍事政権下で、一方的に「政治犯」として拘束されたり、刑務所に入っていたり、軟禁状態になっている人たちがどれほどいるのだろうか。

 今年のノーベル平和賞の受賞が決まった中国の民主化運動の活動家である、劉暁波氏は現在も中国政府による「政府転覆企画をした」との罪で入獄しているし、ミャンマーの軍事政権下では長きに渡って、民主化運動を指導してきた「アウンサンスーチー」さんが、いろんな理由をつけて軟禁状態にされていて、なかなか解放されることがなかった。

 今夜の夕刊によれば、そのミャンマーのスーチーさんが、来月11月のミャンマーの総選挙後に、七年半ぶりに拘束、軟禁状態から解放されるというニュースが伝わってきた。

 多くの国の中で、ほんとうに民主化されていない国々が、まだこの地球上にはたくさんあって、独裁政権や軍事政権化で、「お上に逆らうと重罪」となるという「見せしめ的」、政治犯、思想犯として投獄されたり、拘束されている人が一説には100万人以上もいるとさえ言われている。

 隣の国、北朝鮮、すなわち朝鮮民主主義人民共和国の政治犯や思想犯としての現状は、想像するしかないのだが、相当な人数の人民、すなわち国民が自由を拘束されていると推察されている。

 中国においても、他民族国家としての50数部族が中国政府によって認知はされてはいるが、少数民族に対する厳しい対応は、現在も国際政治の舞台で論じられることも少ない中で、相当数の政治犯として投獄されていたり、自由を拘束されていると言われている。

 世界中にある国々にとって、確かに「一国を治める」ことは大変なことだろうが、同じ国民を政治的思想や行動によって「反体制勢力」として拘束するという、非人道的対応が未だに地球上では多々行われているということだろう。

 そんな中で、今回のミャンマー軍事政権下でのスーチーさんの解放予告のニュースは、すこしでも光が見えたという感じの明るいニュースに違いないが、世界の民主的国家から見れば、一歩前進とは言えるが、本当の自由や市民権を保障した民主化とはほど遠い自宅軟禁措置の解除に過ぎないと思われる。

 結局は、民主化運動指導者であるスーチーさんにとっては、今回の総選挙には選挙権も被選挙権も剥奪されているので、全く国民のひとりとしての意思表示や政治的活動は出来ないという制限つきの解放ということになるのである。

 この決定については、ASEAN東南アジア諸国連合の外相夕食会で、ミャンマー軍事政権のニャンウィン外相が述べたらしいのだが、国際社会はミャンマー政権に対して、早期の解放と選挙参加などの市民権などを復権させる様にと問題視しているが、「治外法権」とでも言う国の一方的見解での「人権無視や反民主化」が続いているとしか言いようがない。

 日本政府も、人権の尊重の立場から、明確な政治犯や思想犯と言われる全世界の「罪なき犯罪者」の釈放と自由の獲得に対して、率先した提案とアッピールをする必要があるのだが、スーチーさんの件だけでなく、劉さんの平和賞受賞や世界の人権無視の拘束や拘留に対するアッピールを明確にして、中国、北朝鮮にも「ものが言える」国として積極的に発言すべきなのであるのだが、菅直人首相も首相になって肝心なことは言わない政治家になったのが大変残念で失望している国民も多くいると思う。

 
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「食べて、祈って、恋をして」

2010年10月27日 | 感じたこと
 ジュリア・ロバーツ主演の「食べて、祈って、恋をして」をようやく仕事帰りに近くのシネコンまで車を走らせて、一人で観た。

 水曜日の夕刻ということもあったが、水曜日は「レディスデイ」としての特典もあって、観に来ている観客のほとんどが女性客で、私以外には男性はいなかった様子であった。

 大好きなハリウッド女優のひとりである、ジュリア・ロバーツの美しさとお茶目な表情が素敵な映画で、アメリカを皮切りに、イタリア、インド、バリ島を旅するというので、インド、バリ島に昨年、一昨年と一人旅した経験のある私にとっては、懐かしい風景も見られるだろうと期待して観たのであった。

 女性ライターとして働く、リズを演ずるジュリア・ロバーツなのだが、若くして結婚したがなにやらしっくり行かなくなって、離婚を決意し旅に出たところがインドネシアのバリ島で、年老いた占い師に出会い、再びここに帰って来るだろうと予言されてから、イタリア、インド、バリと女一人の旅をゆっくりとするのである。

 ただ単なる女性の憧れのイタリア、インド、バリ島と旅する紀行記かと思いきや、原作もあって女性にとっての結婚と人生を考えさせるストーリーとなっていたのである。

 あるバリ島の結婚した女性の一言では、結婚を決意することは「顔にタトゥーを入れることに等しい」とまで言わしていて、全世界の女性がそんな必死の覚悟で結婚を決意しているとまでは思わないが、いずれにせよ一生の伴侶、もしくは道連れの友を選ぶことになるので、慎重かつ大胆でなくてはならないことだけは確かである。

 ニューヨークで働くキャリアウーマンのリズが結婚生活に何かの物足りなさを感じたのは理解は出来るが、なぜ離婚を考えたのかは映画を観る限りでは分かりにくいが、イタリアでは「食べて」、インドでは「祈って」、バリでは「恋をする」というシチュエーションは如何にもアメリカ映画的手法と感じたのだが、各々の国で数ヶ月滞在したのだろうが、ちゃんと住まいを借りて、そりれなりの楽しみ方をして、滞在をする費用は相当高額となるだろうが、そこんとこは描かれてはいない。

 それにしても、イタリーで肥満、メタボになるほど食べまくった友人たちとピザやバスタやジェラードをほうばっていたリズの表情が、インドでは敬虔な仏教徒のように毎朝の祈りの場に行って、わからないままに呪文のようなお経を唱えているうちに、少しつづ悟りを開いて行ったのか、さすが女優さんの演技もあって、めきめきと元気さと個性的な美しさが増してきて、バリ島に再び帰って来てからのリズの表情は、恋するジュリア・ロバーツになっていた。

 最後にバリであった中年の彼との別れを一度は決意したのが、例の占い師の一言、「バランスばかりを求めないで、今に従うのも調和だ」との意味の言葉に促されて、彼と共に無人島への船に乗るラストシーンのハッピーエンドが不可解だと思った。

 いずれにせよ、多くの日本の女性たちも、こんな映画を観て、自分の結婚観や人生観に影響をうけるのだろうかな。
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民主党政権の一年余。

2010年10月26日 | 日本の課題
 昨年夏の終わりの総選挙で待望の「政権交代」を果たした民主党だったが、一年余経って国民やマスコミ世論の評価は如何なものだろうか。

 決して及第点だと豪語するわけにはいかない多くのマニフェストに反する問題やら、小沢一郎前幹事長の政治資金を巡る問題での強制起訴問題などもあって、鳩山由紀夫前首相から菅直人首相に替わったが、一向に民主党政権らしさを国民が実感するというところまでは至っていないばかりか、仙石由人官房長官の答弁謝罪や首相との意思の疎通が不十分なのかどうか陰の指揮官とまで揶揄される存在など、諸問題が露呈している。

 そんな中、唯一と言ってもいいぐらいの民主党の政策遂行の中でのパフォーマンス的「事業仕分け」の第三弾が明日から政府の行政刷新会議(議長・菅直人首相)によって民主党議員と外部委員によって行われようとしている。

 野党の自民党は、この事業仕分けを行う行政刷新会議に民主党議員が参加するのは、国会議員と公務員の兼職を禁じたひ国会法に抵触すると異議を唱えて、参議院議院運営委員会理事会で問題提起したそうだが、特別会計を対象に明日から始まる「事業仕分け」そのものは予定通り実施されるようである。

 しかし、昨年からの民主党政権の政権運営にあって、唯一国民、有権者の絶大なる関心と共に、「思い切った税金の無駄遣いの排除」をうたった「事業仕分け」そのものの成果ときたら、多くは国民、有権者に知らされることの少ない状況の中で、本当にパフォーマンスに終らず、実効力ある決定や予算の削減が実現しているのかどうかが不透明なのではないだろうか。

 伝え聞くメディアの報道などによると、「天下りの根絶」は、一部を除いて、別な方法で現実的には従来とあまり変わらない形で粛々と行われているらしいし、企業団体の献金についても、一部を除いて?という形や原則的にという但し書き付きで、あまり大きく変わらない姿勢で、民主党を主体とする政権運営が継続されているという。

 一方のマニフェストの目玉だった「子ども手当」や「高校無償化」、「農業の所得補償」などの「バラ撒き」と称されることのある施策については、苦心惨憺の結果、マニフェスト通りとはいかない金額になっても実施されていて、一定の評価とはなっているみたいだが、果たして多額の財政赤字が続く中で、消費税問題をはじめとする税制の抜本的改正もできないままに、新たな出費ばかりが課せられたような「選挙目当て」の政策ばかりでは継続は困難となるのではないだろうか。

 そういえば、同じくマニフェストで語られていた「高速道路の無料化」については、多くの反対意見などもあったためか、一部「無料化実験」と称して地方の高速道路の一部路線の無料化が実施されただけで、果たして施策としての定着やマニフェストで公表した施策の直しについての明言もまだないままである。

 その他にも、「政権交代」で実現するだろうと有権者が漠然と期待している「社会の変化」が感じられるような現象はほとんどなく、いつまでも「政治と金」の問題と「景気回復」と「雇用促進」などが地方選挙でもスローガンでうたわれている中、北海道5区の補欠選挙では自民党が圧勝し、いよいよ小沢起訴問題と共に、菅政権の「本当の実力」が問われる時期にさしかかっていると言えよう。

 国民が納得できる説明と共に、見えたり、感じたりできる『変化』を政権交代でそろそろ示してもらいたいものである。
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オーガニックランチ「栗ご飯」

2010年10月24日 | 季節の話題
 「秋深し、隣はたぶん、栗ご飯。」なんて俳句はないが、食欲の秋にそれなりに満足していただける旬の食材を使っての、男の料理で、「オーガニック」な「栗ご飯」を召し上がれと、準備して月に一度の「宇治ゆめカフェ」でのランチ提供を行った。

 10月も半ばを過ぎて、旬の食材として先月は「秋刀魚」を選んだので、今月は先月からのご希望の「栗ご飯」をメインに、「野菜と鶏肉の炒め煮」、「レンコンの酢ゴマ和え」と、里芋ときのこの味噌汁、にナスとキャベヘツの一夜漬けに二十世紀梨の香の物がついて、〆てお安い600円の自然派ランチを食べていただいた。

 昨夜から栗をむいて「栗ご飯」の準備をするため、あるご主人が「栗の皮むき」が得意と聞いたので、厚かましくお願いをしておいたので、朝の仕込みは短時間で済ませられたようで、九時半からの下ごしらえで、全てのメニューを11時半の開店前に整えてお客さんをお待ちしようと、おっさん三人が各々のレシピを参考に頑張って調理している頃に、早くもある知人の奥さんが第一号のお客さんとして、ご来店いただいた。

 「栗ご飯」と言っても皆さんが調理されるやり方、習慣と異なるかもしれませんが、今回のランチでは米8合のうち2合は「もち米」を用いて、皆さんのご協力で剥いた少々の茹栗を四つ切ほどにして、水加減にお酒と塩、砂糖を少々入れて、昆布に栗を入れて炊き込んだのである。

 ガス釜でじっくりと炊き込んで、約5分で炊き上がった栗ご飯から昆布を取り出して、混ぜ合わせ少し蒸らせてから、お客様に提供したのだが、もち米も入っているため、とってももっちりした食感と栗の甘味が絶妙のコンビで「美味しく」召し上がっていただくことが出来たと自負している。

 おかずの「野菜と鶏肉の炒め煮」は、たまねぎ、万願寺ししとう、ミニトマト、ナスの野菜をサラダ油か米油で炒めながら、味醂、醤油、砂糖、塩で味を調えてから片栗粉でとろみをつけて出来上がりの一品であり、「レンコンの酢練りゴマ和え」は、レンコンと人参をベースに酢と練白護摩などで味を調えてのおかずでレンコンのしゃきしゃきした歯ごたえと酢と練り白護摩のマッチングが、とても食欲をそそってくれたようで、好評であった。

 見た目もお味も、ミニトマトの赤い色の見た目の色合いと共に、酸味がちょっとした味わいでやはり好評であったと信じているが、あまりにも自画自賛すぎるかも知れないが、やはり料理人としては常にそのように思っていれるから喜ばしいのである。

 味噌汁も、季節の旬である「里芋」と「きのこ類」として、シメジ、舞茸、エノキ、原木しいたけなどをたくさん具として入れたので、ちょっと甘口の有機味噌とともに味わいは、とっても「薄味で上品」だと言われたのだが、そこは男の料理で「里芋」が立派で大きく、女性たちのおちょぼ口では一口で食べられないわと言いながら、パクパクと召し上がっていただいたので、やはり良かったのではないだろうか。

 最初のお客様が来られたのが11時半前だったので、まだ「暖簾」も上げていなかったし、黒板で知らせる「今日のランチのメニュー」もまだ店の前に掲げていないことに気がついて、急いで準備し「ランチ」をお出ししたら、「栗ご飯」の上に振り掛ける「黒ゴマ」を忘れてしまったほどであった。

 皆さん好評で、二釜目も約8合炊き込んだので、お好きな方たちに「お弁当」という形でお土産にもしていただいた。

 本当に美味しい「栗ご飯」だったと自負し、おなか一杯食べた「秋の味覚」の一ページとなったようである。
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地球の人口が70億人に。

2010年10月21日 | 世界の問題
 新聞の小さな記事に、来年2011年に世界の人口が推定で70億人を超えるとされる国連人口基金(UNFPA)が発表した2010年版の世界人口白書について書かれていた。

 白書によれば、世界人口は前年よりも約8000万人増加して69億870万人に達していて、来年中に70億人を超える見通しだというのである。

 最も人口が多い国としては、中国の13億5410万人、インドが12億1450万人、以下アメリカ、インドネシア、ブラジルと続き、日本は1億2700万人で10位で09年よりも20万人減少しているという。

 私たちの地球の生物多様性について、持続的な環境を守る必要が強調されているが、果たして人類、すなわちヒトの生息数の限界はないのだろうか。

 一説には、地球上の人類の食糧や環境的視野からの適正な人口規模は38億人くらいとの見解もあるらしく、現在でも飽和状態を超えて人類が増殖しているので、食糧問題だけでなく、産業活動やエネルギー問題など多種多様な課題で、大きな変革や科学の発達による増産や環境悪化を防止する努力が必要とされている。

 しかし、70億人を超える人口で留まるわけではなく、2050年には100億人を超えるとされる推計もあって、ますます生物多様性を考える人間の数の方が飽和状態を超えて、とんでもない状況に突入することにならないのだろうか。

 現在でも北朝鮮だけでなく、アフリカやアジアの人口増加に伴う食糧の調達が非常に厳しくなりつつあると言われていて、世界で最貧国とされている国々では、子どもたちに十分な栄養と量的な食糧を賄うことが困難になってくるだろうといわれている。

 国連をはじめとする世界の人類の英知と食糧増産の技術や国際的援助で、なんとか賄っていくことは可能だとの見方もあるが、いつまでも楽観的には考えられない究極の地球上の課題として、考慮すべき時期に来ていると言っても過言ではないだろう。

 中国での「一人っ子政策」などの国をあげての人口抑制策もされてはいるが、アジア、アフリカを中心とする発展途上国においては、国力や経済力の向上の下支えは、やはり人口増加にかかっていると思われていて、人口抑制はあまりうまくは働いているとはいいがたい。

 こうした地球全体を生命体として考える世界の知恵と科学がどのように今後の人類の増加を抑制できるかが大問題になりつつあるのだが、これだけ経済や政治における発言力や国際社会での位置づけの違いによっては、自国の利害を優先するがゆえに、地球全体の利害、すなわち地球という自然体の環境を人類自らがダメにしてしまうという危機感を募らせざるを得ないという感想である。

 COP10で話し合われた「生物多様性に関する議論」だけでなく、人類の増加への歯止めも真剣に長期的見通しの中で考えていただきたいものである。

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早く切りたい「中」と「北」。

2010年10月20日 | 世界の問題
 誤解を恐れずに素直な気持ちで、たぶん詠まれたと思われる川柳に、先日、「出来たになら 早く切りたい 中と北」という作品があって、なるほどと感心したのだが、マージャンを少しでも知っている方ならわかると思う川柳であり、現在の日本の外交や世界の平和と人権問題にも関わる大きなテーマでもあるので、軽ねるはずみには語れない問題でもある。

 ここで作者が言いたかったのは、世界で特に東アジアに位置する日本にとっての隣国でもある「中国」と「北朝鮮」というふたつの共産主義国家と付き合い方に苦慮する日本と世界の多くの国々を代弁したような形で、マージャンにたとえて、出来れば早くマージャンパイなら、自分の手を上がりに近づけるために、普通は一九字杯と言われる麻雀パイは先に切って行く、つまり自分の手の内から早めに捨てるのが常道とされていることを模して、この様な川柳となったのだろう。

 私も学生時代にはよく友だちとやった「マージャン」だつたので、この詠み人の気持も察しがついたのだが、マージャンを知らない人にとっては、「何のこと?」と疑問にも感じる表現でもあり、理解しにくいかもしれない。

 「中」、すなわち「チュン」はいみじくも赤い色の字で「中」と白地に書かれたマージャンパイであり、この杯自体は「役」があるので、三つ集めれば上がりに持っていける一つの手になるのだが、平和(ピンフ)と称されるマージャンの典型的な形からすると「邪魔」になる場合もあるので、早めに捨てるか手打ちに大事に持ち続けるのかは、その折々の手の内と場の流れによって変わるのだが、大切な杯となる場合も当然あるのである。

 中国で起きている現在の「半日デモ」は、例の尖閣諸島付近での中国漁船の日本の海上保安庁の巡視船との衝突事故で、船長らが拘束され、日本政府が領有権を主張していることに対しての、中国政府の強い対抗姿勢と同調したものと見られているが、その背景には現国家主席の胡錦濤氏がどちらかと言えば親日派なので、前国家主席だった江沢民氏派の反日派がしかけた現政権に対するプレッシャーとして仕組まれたものだとの見方もあり、中国共産党の一党独裁下の権力闘争に利用されているフシもある。

 また「北」、すなわち「ペイ」は北朝鮮の現金正日首席の高齢化と病気の噂の中、三男の金日恩氏が軍の第二番目の司令官的立場に任命されて、実質的な金日成氏から三代の世襲的権力譲渡が明確化し、日本の拉致問題をはじめ、原子力開発、ミサイル問題など、国際政治の舞台でも厄介な問題として、国内の食糧不足や内政の不安定をよそに強気の外交に終始する北朝鮮の現状には、日本だけでなく世界が手を焼いていると行っても過言ではない。

 そんな東アジアに位置する二つの共産主義国同志は、なぜか仲が良いようなのだが、アメリカ合衆国をはじめ西側諸国にとっては、「触らぬ神に憂いなし」ではなかろうか、なかなか正論や強い姿勢での外交交渉が進められないという状況となっているのである。

 簡単に「中」と「北」を捨てるなんてことは出来ないし、またそんな国際情勢ではないのだが、イラ菅こと菅直人首相の心境は如何にといった感じだが、本心は川柳の如き心かも知れないが、真剣かつ慎重に粘り強く交渉していただきたいものである。
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突然の心の旅。

2010年10月19日 | ガリバー旅行記
 秋空を眺めていると、ふと旅に出たくなると言った感じの、とっても気持ちのいい季節がやって来た。

 今日も仕事だったのだが、なぜか現場に向かう車を運転しながら、感傷的になったわけでもないのに「涙がでそうになった」のである。

 その理由はと?自らに問うてみても、すぐにはその原因が分からなかった。

 仕事を終えて、帰宅してしばらくして、そういえばと昨夜の電話を思い出したのであった。

 その電話というのは、昔、むかしの小学校時代の知人からの一本の電話であり、ご高齢になられた元教師の方が、奈良県にお住まいで、近々同窓会とでもいうべき集いを持たれ、私にも来てほしいとのお誘いの電話だったのである。

 その元先生との面識はあるのだが、なにせ50数年前の小学校時代に音楽を学んだことがあるのか、それともただ隣のクラスの担任だっただけなのか定かではないが、いちおう存じ上げている先生なので、お誘いの機会なので参加してみようと思ったのである。

 その元教師は小学校時代の器楽部の顧問というか指導をされていたので、よく覚えてはいるが、私自身は一度も器楽部に所属したこともなければ、歌も楽器の演奏も「音楽は好き」なのだが、自分自身がピアノやギターを弾いたり楽器演奏が出来るわけではないので、ちょっと遠い存在でもあった。

 しかし、私の小学校時代からの数人の友人や双子の妹A子も、この小学校の器楽部に所属していたことがあったので、私が連絡係となって、電話をすることになった。

 昨夜の友人の一人は、現在は高校の英語の教師の任を離れて、好きなバスケットボールの指導のためのコーチや監督、強化合宿の指導者として忙しい毎日を過ごしていて、夜半に電話に出た彼としばらくぶりの話題で話込んだのである。

 彼は数年前に奥さんをガンで亡くし、現在は単身で衣食住の全てに関して精一杯やっているらしく、高校の教師をしていた時代よりも忙しいのだと話していた。

 私はそんな事情を聞きながらも、「自分らしさ」を大切に、健康が第一だからと忠告しながら、話を聞いた。

 彼特有の『人を育てる』大切さを電話を通じて力説しながら、人生の後半で伴侶を亡くしての悲しみに耐えながら、元気に飛び回っている様子が伝わってきて、嬉しい部分と共に、なにやらヤルセナイ人生の悲哀を感じることとなったのであった。

 一言で言うことができないし、記すことも出来ないのだが、なにか「心の旅」という言葉と共に、チューリップが1972年にヒットさせた「心の旅」という有名な曲を思い出して口づさんでいたのであった。

 カラオケに行く機会はほとんどないのだが、かつて一度か二度、友人たちとカラオケに行った際に、なぜか選んで歌ったことのある曲で、なにやら少し寂しくて、しかも人生の悲哀を乗り越えて行く、男たちの応援歌の様に感じている曲であり、彼の人生へのエールとしても心で口づさんだ感じであった。

 ハリソン・フォード主演の「心の旅」という映画や、いろんな作品のタイトルとして使われている「心の旅」だが、私の人生の「心の旅」は、いつまでどの様に続くのであろうか。
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cop10名古屋で開催。

2010年10月18日 | イベント
 「COP10」、生物多様性条約第10回締結国会議が今日から名古屋市で開催された。

 この「生物多様性条約」とは、ブラジルのリオデジャネイロで1992年に開催された「国連環境開発会議」(UNCED、地球サミット)にあわせ、「気候変動に関する国際連合枠組条約」と「生物多様性条約」が採択され、日本は1993年5月に18番目の締結国となり、条約は同年12月に発効したものです。

 2010年7月現在の締結国は192カ国及び欧州連合(EU)となっていますが、この条約は熱帯雨林の急激な減少、種の絶滅の進行への危機感、さらには人類の存続に欠かせない生物資源の消失の危機感などが動機となり、生物全般の保全に関する包括的な国際枠組みを設けるために作成されたものだそうです。

 本条約の三つの目的としては、

 ・多様生物性の保全・生物多様性の構成要素の持続可能な利用・遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衝平な配分、となっており、国連を中心とする地球環境を守るための「CO2の削減」を主に目標値を定めて協議し、各国が目標値を定めて発表している「地球温暖化防止」のための会議と並ぶ条約締結国会議だといわれています。

 「COP10」の「COP」とは、Conference of Partiesの頭文字から取った略語なので、地球温暖化防止のための会議と同様の略称となるために、少し紛らわしくはありますが、いずれも「地球の将来」を人類が如何に大切に考えて努力するかを相談し、国際的な枠組みの中で検討、努力する目標値を定めるものなので、非常に重要なことだと思います。

 しかし、今回の生物多様性条約の締結国会議として10回目にあたる名古屋では、早くも各国の利害とでも言うべき、立場、経済、発展途上、自然環境の豊かさなどの相違からか、なかなか厳しい内容に関しての一致が見出せない可能性も出でいて、議長国としての日本の責任と交渉、説得の努力が非常に重要なものとなっているようです。

 そもそも、二酸化炭素排出に関する規制や削減目標に関しても、先進国と称される国々と発展途上国と言われる新興国との間の温度差とでもいうべき首長や考え方には、相当な隔たりがあるようで、日本の掲げた削減目標25パーセントも、目標としては厳しくても官民あげての具体的計画と努力で達成できるか否かは微妙だと思われますが、世界一の排出国アメリカ合衆国と発展途上といえども大量の排出国となっている中国とインドなどの経済発展国のかかわり方が大問題となっています。

 子どものけんかではありませんが、「お前とこがもっとせよ」とか「俺たちはこれで精一杯」だとか言っている様な、自己主張一点張りの議論では、決して地球上の生物多様性の環境維持は甚だ難しい現状の中、益々絶滅種が加速度的に増加してしまうのは間違いありません。

 CO2の削減も生物多様性の保全についても、自国の利害を主張するだけでは解決しないことは誰が考えても明らかなことですので、「地球人」としての英知と聡明さで、生き物としての「地球」の健康を持続する方法、手段を考えて実行する会議としてほしいと願っています。
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