ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

農、漁、酪、林業への回帰。

2009年01月29日 | 日本の課題
 2006年を境に日本の人口は減少傾向に転じて、少子高齢化がますます進展しつつあるという。

 またバブル経済後の空白の10年間といわれた20世紀の最後の10年を経て、日本では阪神淡路大震災という未曾有の自然災害、またアメリカでは9.11の同時テロ事件と、とんでもない災害、事件に世界が驚愕したが、今なお世界の各地での紛争や自然災害が続いている。

 そんな21世紀のスタートだったのだが、昨年以降の世界金融不安に端を発した世界経済の先行き不安は、日本経済にも大きな影響を及ぼして、非正規労働者だけではなく、正規雇用の労働者の退職も、また公務員などの安定的な職業と思われている仕事も先行き不安を醸し出しつつある。

 そんな経済状況の中での就職、求人戦線に大きな変化が生じつつあるようである。

 第一次産業と呼ばれ、年々就業する若者が減少し、多くの現場では担い手不足が深刻な問題として語られていた、農業、漁業、酪農、林業などの分野に新規就労を希望する人たちが少しつづ増えてきたのである。

 地球上の人類が地球環境を守りつつも、末永く生き続けるためには、大切な食料問題があることは自明の理なのだが、現在に至るまで日本では、第二次産業、第三次産業の発展で稼いだ金で、食料は全世界から買えばいいと考えられていた節があるのであった。

 食料自給率もなんと先進国と呼ばれる国々の中では一番低い、40%を割り込んでいたのだが、ようやく政府も地方自治体も、第一次産業の当事者団体なども、これでは大変なことになると気づいて、ここ数年日本国内での生産、需要を見越した計画的な再建に乗り出しつつある。

 そこへ来て、昨今の経済不況で、今まで製造業に従事していた労働者たちが派遣や臨時職員としての仕事を追われて、路頭に迷う人たちが出てきそうな状況になって、各種の農、酪、漁、林などの組合や団体、行政などが、そうした第一次産業の労働者の確保のために乗り出しているのである。

 確かに「農業」についてみても、新規就業という形がなかなかうまく取れない今までの法律、制度、農地などの問題があって、若者も定年後の人たちも、農業を担いたくても担えない現実の壁がたくさんあったのである。

 そこで、政府や行政も今までの既得権や制限などを決めた従来の法律の改正や規制緩和を推進して、新しい労働力としてだけではなく、新規の就労者が希望を持って将来の生計をなし得る可能性を見出せるように指導、育成していくサポートが必要である。

 決して第一次産業は、3Kや5Kの仕事ではなく、人類の命に関わる尊いすばらしい仕事であることを改めて認識し、人のために役立ち、自らの人生を経済的にも謳歌できる産業としての自立に導いていただきたいものである。

 新しい21世紀の農、酪、漁、林業などの第一次産業を見直し、人と仕事を改めて育成するために、国、地方自治体、関連団体、組合が努力していただく良いチャンスの時であると思われる。

 若者も定年族も、ぜひ第一次産業にチャレンジしょう。
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定額給付金

2009年01月27日 | 感じたこと
 ついにと言うべきか、やっぱりと言うべきか全く困ってしまうのだが、今年度第二次補正予算が衆院、参院の両院協議会という名のよくわからない会合で、ねじれ国会の象徴の如き、両院の議決が違っていたための話し合いが行われて、結局話し合いの結論が双方の結論は変わらずで、衆議院の議決が優先することとなり、与党自民、公明党が賛成した「定額給付金」を盛り込んだ補正予算案が、国会を通ったことになった。

 紆余曲折と言うべきか、単純と言うべきかも不明だが、とにかく多くの国民の疑問や不安感をよそに、国会議員の先生方は与野党とも「あぁだ、こうだ」との声は少しは聞こえてくるのだが、肝心の国民の声は聞こえていないのか、結論先にありきといった感じであった。

 この補正予算が国会を通過しても、関連予算が民主党などの参議院での反対が予想されているので、正式に「定額給付金」なるばら撒きの税金の一時還元金が個人に届くまでには、まだ相当な日数がかかるらしく、早くても五月のゴールデンウィーク明けとの見方で、遅い自治体では夏休み前後になるというのだ。

 とにかく麻生太郎首相の「選挙よりも景気回復」というスローガンが昨年九月の首相就任後に出て以来、もめにもめた挙句、多くのマスメディアも国民も「総額2兆円」の税金の使い方に関しての大議論の結果、70%以上の声が「定額給付金に反対」となっていたのだ。

 しかし、政府与党、とりわけ麻生太郎首相は今日の記者会見でも、「生活に必要な予算が通って良かった」などと暢気なおぼっちゃまぶりのコメントを残しているように、本当に社会的弱者といわれる人たちの「生活難」や「医療、介護」などの現実とはかけ離れた生活実感しかお持ちではないようである。

 またこの政策のきっかけを作ったと言われている与党自民党のコバンザメ的「公明党」の大田代表も、ほんとうに創価学会会員をはじめとする低所得者や庶民の生活実態をわかっているとは思えない発言でお茶を濁しているとしか思えない話しぶりであった。

 いずれにせよ、2兆円もの税金を選挙前にばら撒いて、少しでも人気、支持率回復の一助にしようなんて浅墓な政策を、大半の国民は知りつつも、この世知辛い世の中なので、たとえ一人頭一万二千円、十八歳未満の子供と65歳以上の高齢者には二万円という一時金としての遅い「お年玉」が届くのである。

 決して政府与党、自民党からでも公明党からでも、ましてや麻生太郎からいただくわけではないのだけれど、大半の国民は「定額給付金」という名の「お駄賃?」を受け取ることになるのだろう。

 最初、高額所得者が受け取るのは「さもしい」と発言していた首相みずからも、景気回復、経済活性化のために受け取って、大いに消費して使ってほしいと、全くブレぶれの二枚舌ならぬ、信じられないいい加減さである。

 しかも政府見解の高額所得者とは、なんと年収2000万円だそうで、聞いて呆れ返るほど、庶民感覚とはズレテいたのであった。

 「あぁ定額給付金、おかしいけどもらっちゃおう」という多くの国民の実感なのだ。
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「侍ジャパン」なんて。

2009年01月26日 | プロスポーツ
 いよいよ球春。野球ファンにとってはプロ野球の自主トレーニングの季節から、一斉に2月から各球団のキャンプが開幕するのが待ち遠しい限りである。

 我が「阪神タイガース」も、昨年の屈辱を跳ね返しての「真弓新監督」の下、ドラフト一位ルーキー、繍投手を含めてベテラン、若手織り交ぜての沖縄宜野座キャンプのスタートが近づいてきて、心ウキウキ期待の2009年の開幕、甲子園球場のリニューアルで益々盛り上がりを見せてくれるであろう公式戦までの楽しみもたくさんある。

 この時期に、昨年から始まった「ワールド・ベースボール・クラシック」と称する世界の野球をする国々の世界一を競う大会の第二回WBCが、三月五日から開催される予定である。

 全世界といっても、野球に興じる国はいまだに少なく、ABCD、4グループ各4チームの16チームで争う世界一決定戦に挑むわけなのだ。

 昨年第一回の大会を幸いにも韓国に二敗しながらも、米国がメキシコに惜敗したために、最終戦で韓国を破った日本が棚からぼた餅的な世界一の優勝チームになったために、王監督と共に戦った日本チームが脚光を浴びたわけなのだ。

 今年は昨年の北京オリンピックで、正式競技としては最後の大会と言うことで、マスコミも国民も期待した「星野ジャパン」なるナショナルチームが、メダルに届かない惨敗を喫して、大きなブーイングを「星野監督」らに浴びせたようであった。

 その雪辱とばかりに、ナベ常読売新聞会長の肝いりもあって選任された「原辰徳監督」率いる日本チームに、なぜかいつの間にか「侍ジャパン」なるニックネームがついていることに私は不快感と共に抗議すら覚えているのである。

 たかが野球なのに、国を挙げてのナショナリズムを高揚すべく考えている向きもある一部の人たちが、勝手に日本の武士道とか侍精神とかを取り込んでの「侍」というイメージを作り上げて、現代日本を代表する「野球チーム」を今時、「サムライ」などと呼称すること自体が時代錯誤も甚だしい錯覚であろう。

 純粋にスポーツとしての一競技である「ベースボール」というアメリカから渡来し、日本にも馴染んだ国民の多くが親しむ「野球」なのだが、日の丸を掲げ、君が代を歌って「野球をする必要はない」のではないだろうか。

 今やメジャーリーグに何人もの名選手を送り出している、野球好きな国ニッポンだが、決して国のために野球をしているわけでもないし、一人ひとりの野球選手を、いつ誰が「サムライ」として見てしまったのだろうか。

 イチロー、松坂、ダルビッシュ、小笠原、岩隈らの日本代表選手たちが二月15日から宮崎でWBC緒戦に向けて合同合宿を組み、王相談役、原監督の下で準備するらしいが、私は元気に怪我なく楽しんで戦ってほしいと願うのみである。

 我が阪神タイガースからも、藤川投手と岩田投手が参加する予定だが、好きな野球を世界の舞台でより愉しんで、ペナントレースに備えてほしいと願うのみである。

 決して「サムライジャパン」なんて呼ばないでほしい。
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夕暮れ時の初釜。

2009年01月25日 | 季節の話題
 今日はお正月最後の日曜日。昨秋から始まった私たち「お父さんたちが作るオーガニックランチ」の日であり、朝からお昼のお客様のためにと4人の定年団塊の世代の親父たちが、宇治警察署近くの「ゆめカフェ」で準備をして、約20名のお客様に「ポパイ炒飯」「菜花のとろろ豆乳マヨかけ」「冬野菜と鮭の具たくさんスープ」「白菜の糠漬けとたくあん」のメニューをお出しした。

 自己満足も含めて、わざわざ来て下さったお客様たちには「美味しかった」との好評を得て、我々は嬉しく安堵したものだった。

 私は片付けもそぞろに、久しぶりに京都市内の東山丸太町からちょっと北東にある、黒谷西翁院に向かった。

 そこでは少し遅い感じだが、茶道の庸軒流家元を中心とした「初釜」が午後二時ころから行われていたので、楽しみに車を走らせたのであった。

 藤村庸軒という千利休の茶道の道を千宗旦のもとで修行し、皆伝を受けた四天王のひとりに数えられる茶道の師匠に端を発するね「庸軒流」の家元を西翁院の住職が接いでられて、今に伝えられる継承の地であるのだ。

 年に一度か二度しか私は参加できないのだが、昔若かりし頃には毎週、十年程前に亡くなられた先代の宮川祐宏師匠の指導によるお稽古に数年通っていたことがあるので、未だにご連絡をいただいて、お花見茶会と初釜の折には何とか参加しているのである。

 宇治から京都市内へと車を走らせる途中、ちらちらと小雪が舞った瞬間もあったが、西翁院に到着する頃には、冬の日差しとは思えない西日が、歴史的建造物でもある藤村庸軒作の茶室、「淀看席」のにじり口を照らしていた。

 待合から旧知の友たちと八人が、お庭を通って淀看席のにじり口に入ると、薄暗い茶室の窓辺から障子越に西日が変化して、なかなか粋な雰囲気の中、宗匠のお手前でお茶をいただいたのである。

 お正月、初釜と言えば恒例の「花びら餅」が菓子盆にのって出され、紅白の干菓子と共に食した後、本当に美味しいお抹茶のお薄を二服もいただいたのであった。

 正月、一月もあと一週間で終わろうとしているが、久々に正座し少し緊張した面持ちで「お茶を愛でる」と言った感じのひと時となった。

 花びら餅も、お正月らしい姿であったが、棗、茶杓、お茶碗、掛け軸、柄杓、茶せんと茶室の内外の見るもの、手に触れるもの全てが新鮮な感じであった。

 庸軒好みといわれる室町時代からの伝統の品もあり、また昭和の時代に先代の宗匠が買い求められたものもあり、伝統的な茶道の一流派である「庸軒流」の歴史と伝統の流れの中に、ひと時ではあったが座れて一服の茶を振舞われたことは、とっても幸せに感じたものである。

 若き青年たちが最近、再び水曜日の夜に、庸軒流の茶のお稽古に通っていると聞いて、私自身もそんな時代があったなと懐かしきもあり、また年を取ったなと改めて感じた。

 庸軒流が京都の地で末長く継承されていくことを期待したい。
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両首脳が健在アッピール。

2009年01月24日 | 世界の問題
 今日の朝刊と夕刊に期せずして、世界の数少ない社会主義国家として有名な、朝鮮社会主義人民共和国(北朝鮮)とキューバの高齢の首脳の健在ぶりがアッピールされたニュースが掲載されていた。

 北朝鮮の最高指導者である金正日総書記(66)とキューバの前国家評議会議長であるフィデル・カストロ氏(82)の両首脳なのだが、期せずしてと思ったが、いずれもアメリカ合衆国の新大統領に就任した、バラクめオバマ大統領に対する、小さな共産国としての大きなパフォーマンスである。

 両首脳の立場と国内での影響力は各々違いはあると思われるが、社会主義国家にとっての最高権力者の存在はね民主主義国家の首脳の存在と比べると相当の違いがあると思えるので、国家の今後の存亡と世界の指導的立場であるアメリカ合衆国の新体制に対する、国家としての顕示を首脳の健在ぶりでアッピールしようとしたものなのだろう。

 しかし、両国の世界での見方は相当異なっているように思えるのだが、オバマ新大統領に言わせれば、「腐敗、策略、口封じで権力にしがみつく指導者」として暗に金総書記を批判したと思える北朝鮮にとっては、唯一の支援国家である中国との関係以上に、気になる対米国との関係の今後に対する交渉相手は、金正日総書記ただ一人だと強く主張したかったのだろう。

 一方のキューバにおいては、今日本でも公開されているキューバ革命の盟友であった、チェ・ゲバラ氏の死後、キューバの最高指導者であり続けた、フィデル・カストロ氏の健在ぶりは、アメリカの経済封鎖などのない健全化を目指すキューバにとっては、オバマ新大統領に期待したいとのエールともとれるのである。

 現在の北朝鮮の国民生活と政権の状態は如何なのだろうか。

 金総書記が脳卒中で倒れて、健康不安説が多種多様にメディアに流れる中で、北朝鮮当局は、動画はなくても合成されたものと推察される金正日氏の写真を何度かは公表したが、社会主義国家の中でも一番隠された部分が多い国だけに、世界のメディアは疑い続けていたのであった。

 キューバのカストロ前議長にあっても、再三再四の健康不安説の結果、死亡説まで出ていたのだが、アルゼンチンの女性大統領と会談後に腕を組んでいる写真が公表されて、一応の健康不安説は休止するが、82歳の高齢であり、カストロ氏自らが、オバマ新大統領の一期目の任期終了の4年後には、健康悪化を予期する言葉を述べたと言う。

 いずれにせよ、多くの国民の生活と将来の生き様に大きく影響する国家指導者、権力者がただ健在であるというだけではいけないのだ。

 多くの国民の心身共の「豊かさ」と「平和」「幸せ」をサポートしていく責任の重大さからすると、健康不安な状態であるだけで、国家指導者としては失格なのである。

 国民の意思と期待を受けて、新しい国家指導者が社会主義国と言えども誕生すべき時期を迎えていることは間違いない。

 結局、健在ぶりのアッピールは、新しい指導者へのバトンタッチの時期であることを世界に知らしめた意味では、偶然とはいえ、オバマ効果のひとつであろう。
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偽装か化粧か。

2009年01月22日 | とんでもない!
 またもや今夕の新聞トップ記事に、鰹節メーカーの偽装が発覚したとの報道がされていた。

 もう慣れっこになった感があって、「またか」で済まされてしまいそうなのだが、とんでもないことである。

 ともかく特に人々の口に入るもの、すなわち「食品」の偽装は許しがたき「詐欺」であり、ひょっとしたら味覚や食味すらも狂わせてしまう、重大な犯罪行為である。

 特別な安心、安全性だけでなく、特産や高級品としてのイメージを消費者に植え付けて、よりたくさん、より高く売ろうとしている、とんでもない詐欺行為なのである。

 しかし、よーく考えて見れば、どれほどのことを「偽装」といって、どれほどまでだと「味付け」と納得されてしまうのだろうか。

 つまり、食品衛生や食品販売の立場からの違法性がなければ、ひょっとしたら、ちょっとした包装や味加減で、食品の味や美味しさは騙されやすいものなのではないだろうか。

 単刀直入に、歯に衣を着せずに言えば、食品添加物や化学調味料などの匙加減ひとつで、我々は間違いなく本来の食材の生の味を忘れさせられて、「美味しい、おいしい」を連発している場合があるのではないだろうか。

 コンビ二、スーパーなどを中心に販売されている「人気商品」と呼ばれる「売れ筋商品」の多くは、こうした添加物や化学調味料によって味付けされた、一種の偽装食品と言っても過言ではないのではないだろうか。

 「食品」については、ここ数年食品安全委員会などが裏Gメンなどの活躍や調査もあって、次々に摘発されたり発覚しているものが後を絶たないのだが、一方「化粧品」や「栄養補助食品」などと呼ばれる、サプリメントの類や通販などで販売されている健康食品などの中には、効能やダイエット効果を宣伝しつつ、ほとんど効き目の不確かなものも多くあるのではないだろうか。

 つまり、食品偽装は許せないとされているものの、「化粧」や「健康」に纏わる多種多様な商品は、よっぽどの健康被害や事故に至らなければ問題とされないのが現状ではないか。

 高価なうたい文句の上手な化粧品の類は、有名女優やタレントたちに高いギャラを払った上に、テレビや新聞、雑誌での広告料をつぎ込んで、さてどれ程の効果のある「化粧」を演出しているのだろうか。

 世に出回っている、あらゆる商品の中で、産地偽装や原材料偽装、賞味期限改ざんなどの、あってはならない「詐欺的商法」で摘発されている食品メーカーや販売店、料亭などと共に、こうした「化粧」を売り物にしている「化粧品」や「健康」「自然」をうたい文句にしている多種多様な商品の隠れた偽装にもメスを入れる必要を感じているのは私だけではあるまい。

 できれば私たちも自然な人間として生き続けたいと思っているのだが、実際は多くの商品の御蔭??で、大いに「偽装」された人生を演出しながら生きているのかも知れない。
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新たな責任の時代。

2009年01月21日 | 季節の話題
 昨日から今日にかけて、世界のメディアが注目し報道し続けた「アメリカ新大統領就任」の式典、パレード、演説などは、熱狂的な250万人ものアメリカ人と諸外国の報道陣や多種多様な人たちが見守る中、無事行われた。

 私も今朝方のテレビ報道でほぼ全体の1月20日のアメリカ合衆国、ワシントンDCのリンカーン記念堂からホワイトハウスまでの動向を見た。

 アフリカ系黒人の子孫としての、バラク・フセイン・オバマ氏が第44代のアメリカ大統領に正式に就任し、不人気極まりなかった二期目の任期を終えた、ジョージ・ブッシュ前大統領夫妻は、オバマ新大統領夫妻と副大統領らに見送られて、ヘリコプターで故郷のテキサスへと旅立った。

 この新アメリカ大統領就任式の模様が全世界に伝わり、あの北朝鮮でも何と即日に報道されるというニュースとなり、世界平和と世界経済の不況脱出のためにと、全世界の人々が新大統領への期待感を語る映像も流された。

 オバマ大統領の就任演説は、約19分の比較的短いものだったようだが、あの名文句となった「YES WE CAN」もなく、厳しい文語が続いていた。

 アメリカンドリームばかりを語っている場合ではないほど、アメリカ合衆国も全世界も多くの難題で病んでいて、イラクからの撤退、アフガン問題、イスラエル、パレスチナ紛争などと共に、世界経済の建て直しが急務である。

 そこで投げかけられた新大統領、バラク・オバマの強調した言葉が「新たな責任の時代」であった。

 全世界の全人類に言える普遍的な警鐘と叱咤激励ととれば、この言葉は「人類の責任への警鐘」ともいえる、すばらしいエールでもあるように感じた。

 アメリカ合衆国という地球上に誕生してまだ200数十年しか経っていない国が、全国民の大半の期待と希望の眼差しで祝う新大統領の誕生を、私たちも深い感動と期待を持って見たのである。

 優しい眼差しの奥に、厳しい現実と立ち向かう大統領としての責任感がふつふつと感じられるオバマ新大統領なのだが、ミシェル夫人と子供たちを愛し、一家の主としての夫たる人間性も随所に感じられる一日だった。

 ミシェル夫人が持つ、リンカーン大統領が使っていたという聖書に手を置いて宣誓をする夫を見つめ続ける妻の眼差しは、夫を信頼し、尊敬し、アメリカ大統領としての責任の重さに立ち向かう夫への強いエールだと感じた。

 バラク・H・オバマ大統領が今日から果たす責任は途方もなく大きいことは間違いないのだが、国民と世界中に呼びかけた「新たな責任の時代」というメッセージに、私たちも呼応して、ささやかでも世界平和と人類と地球の存続のために「責任」を各々が果たさねばならないと痛感した一日だった。

 「感動した!」と言うだけでなく、自分にできる「責任ある行動と貢献」をじっくり考えて歩みたいものである。
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未曾有の麻生川柳。

2009年01月20日 | 感じたこと
 今日の国会、予算委員会で民主党の副代表のひとりである石井一衆議院議員が何やら漢字の四字熟語のような文字が並んだプラカードの様な看板を持ちながら、首相が書いたり喋った漢字の難しさを皮肉っていたようである。

 麻生太郎首相が就任して四ヶ月を経て、一向に新首相の決断と実行力での不況脱出の施策や例の「定額給付金」の支給に必要な補正予算案すら国会で可決されないまま、「あーだ、こうだ」の鍔迫り合いを与野党共やっている。

 その間に話題になっているのが、表題の「未曾有」を「みぞゆう」と読み間違えた麻生太郎首相の国語力をはじめとした他愛無い話題やホテルバーでの毎晩の飲み食いなどに対する庶民感覚のなさなどである。

 そうした首相の言動に端を発した、庶民のお遊びのひとつが、いつの世にも「川柳」などなのだが、よくテーマにされる歴代首相の中でも、麻生太郎氏ほど取り上げられる機会の多い首相はないと言った感じの「ネタ」となっている。

 昨日の毎日新聞夕刊にまとめて紹介されていたので、改めて「おかしみ」と「軽さ」「うがち」などの「川柳」独特の面白さを満喫できる秀作を、ここに転載しようと思う。

 これらは、MBSやTBSラジオの「ニュースレーダー金曜は水野です」などで昨年末「麻生川柳特集」を組んで、集まった首相就任以来の麻生ネタなのである。

 ボンボン麻生太郎に漢字・失言・口への字などがネタとして取り上げられた川柳が毎回二百句は寄せられているらしく、その中の傑作が紹介されていた。

 《ボンボン》
 「ボンボンがバトンを繋ぐ総理の座」
 「大臣は?あぁあの人の息子さん?」
 《失言・バカャロー》
 「失言が政策よりも期待され」
 「ばかやろう、すぐには解散するものか」
 「バカヤロー祖父は言ったが孫言われ」
 《イチロー・タロー》
 「イチローとタローの難局物語」
 「策を練るベッド一郎バー太郎」
 《ホテルのバー》
 「はしご酒多忙で解散どころじゃない」
 「ホテルのバー時はゆっくり過ぎて行く」
 《給付金・消費税》 
 「くれるならもらってやるけど入れないよ」
 「三年後あんたやってるつもりかい」
 《漢字・マンガ》
 「読み違い漢字だけかな麻生さん」
 「支持率は前の二人を踏襲(ふしゅう)する」
 「ふり仮名なくても読めよこの空気」
 《口への字》
 「口曲げて日程曲げてへそ曲げて」
 「国民の方もなっている口への字」
 《ハローワーク視察》
 「職くれず総理の説教聴く不運」
 「あなたこそ何をしたいかわからない」

 新年になってもまた、「書初めで間違い初めの麻生さん」ときた。

 時事川柳とは、世の中の流れ、政治家の動向などに、庶民の素直な感情や気分が作り出す文芸作品であり、文化である。

 これからも麻生川柳が、政策や指導力ではなく、動向を茶化した五七五として傑作を生み出し続けるだけであってはならないのだか。
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限界集落、山谷。

2009年01月19日 | テレビマスコミ
 フォークの神様と言われた、岡林信康のデビュー曲は「山谷ブルース」という、その日暮らしの日雇い労働者たちの生活圏である、東京墨田区山谷の底辺労働者を歌ったレコードであった。

 この曲は、ビクターレコードから発売された時から「岡林信康作詞、作曲」となっていたのだが、実際は岡林の大学時代の同級生であったH君が、山谷に行って生活した時に作った詩文が当時の小さなミニコミ誌に掲載されたのを元に、彼が曲をつけたもので、当時のヒットでもらったビクターの犬のトロフィーは、岡林がH君にプレゼントしたので、彼の手元に自慢げにあったのであった。

 という話は余談だが、今晩の「ドキュメンタリー宣言」というテレビ番組で、「限界集落、山谷」の訪問看護士たちの活躍と、人生最期に見た絆が放映されていた。

 この厳しい経済状況の中で、山谷で越冬を余儀なくされた人がどれほどいたのだろうかと思うと、全国の寄せ場と呼ばれる、底辺労働者の町、大阪釜ヶ崎や名古屋、横浜など大都市には必ずあるドヤ街と底辺労働を生業にしているホームレスの人たちの実情の一端を垣間見ることができた。

 「コスモス」という名の訪問看護センター、希望の家、山谷福祉センターなどの公的施設やNPO団体などが、多くの病と貧困の中で、最低限度の生活と治療を受けながら、孤独の中で何とか生きている人たちの実際をドキュメントしていた。

 私が学生時代に約一ヶ月半生活した当時の山谷と比べると、相当雰囲気も変わっていると思うのだが、いつの時代にも、この日本の経済社会の底辺で、日雇い労働や空き缶集めなどで日々の生活をしのいでいる中高年齢の孤独なおっさんたちがいる現実は、ますます増加している傾向がまた出ているという。

 そんな中で「訪問看護士」として働く、阿部直美さん36歳と平野智子さん33歳という二人の若き女性に感動すら覚えたのである。

 阿部直美さんは、大手銀行で銀行員をしていたのだが、悠々自適のOL生活の休みを海外旅行していて、インドで出会った現実が発端で会社を辞めて、看護士の資格をとり、一番必要としている現場として、東京山谷という底辺労働者の地域を選んで働いているという女性であるようだ。

 彼女たちは、山谷近くのワンルームマンションに住まいながら、日夜訪問看護ステーション、ホスピス、路上生活者と多様な貧困と孤独と病気に悩まされている男たちを中心に看守っているのであった。

 こんな不況風と失業、病気の現実と戦う弱き底辺労働者たちの大半は年金とも縁がなく、身寄りもなく、寂しく年を越した人たちが多くいて、彼女たちの笑顔と励ましが何よりもの支えとなっている人が少なくなさそうであった。

 松五郎さんと称された、まだ58歳のガン患者で余命六ヶ月と宣告された男性は、ホスピスでの最期の時を、訪問看護士の平野さんの小さな手を力弱く握って別れを告げて、この世を去ったという。

 「ひとりじゃないよ」と声をかけてくれる看護士の優しさと笑顔に包まれて逝く男たちの最期を看取る彼女たちの仕事ぶりに感動を覚えたのである。
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「備えあれば憂いなし」

2009年01月18日 | 感じたこと
 昔から「備えあれば憂いなし」と言うじゃありませんか。

 今マスコミを中心に最大の問題となっている「派遣切り」や「臨時採用中止」などの非正規労働者と呼ばれる多くの人たちの経済的な不安と再就職や住まいのなさを含む当座の生活問題が危機的に叫ばれている。

 確かに「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」と言われていた経済的な影響に端を発した「日本の雇用実態の大きな変化の波」は、非正規労働者と呼ばれる人たちに特に押し寄せている。
 
 テレビマスコミを中心として報道されている、東京日比谷公園に昨年暮れに誕生した「派遣労働者支援村」を今は九段の日本青年会館などから空き室のある宿屋まで開放して、仕事と住む場所のない失業者に対して、支援のNPOなどが実施している要でる。

 ある政府の閣僚が、この日比谷公園の派遣労働者支援村を視察して、「どうも働く意欲が感じられない人もいた」と発言したことが大きく報道されたりもしたが、実態はどうなんだろうか。

 昨日、14年前に起きた「阪神淡路大震災」の震災記念日だったのだが、あの時の神戸市東灘区の「元気村」などの被災者支援の炊き出しなどを行っていた「支援村」を思い出した。

 あの山田和尚を中心とした自然発生的に集まった若者を中心とした「元気村」は、三度三度の炊き出しで真冬に起きた自然災害に、なすすべを失った多くの市民、被災者に対しての支援をし続けていたのだが、私も現場に手伝いに行って見たのは、日頃ホームレスで食べ物に困っていたと思われる人たちも、行列に何度も並んで「楽して食事にありつける」という実態もあった。

 何が言いたいのかと言えば、確かに突然やってくる災害に、為すすべもない事態に陥った時に、助けてくれるボランティアや組織は大変ありがたいことなのだが、本当に困った人たちだけではなく、便乗して得を得る人たちがいるのである。

 社会生活を営む普通の人として、よーく考えねばならないことに、常に「備えあれば憂いなし」という教訓があるのではないだろうか。

 よくテレビや新聞報道で突然の雇用が打ち切られ、ポケットには数百円しか残ってないとのこと、信じられないのである。

 昔の人は、自分の生活費は最低三ヶ月分程度は蓄えて、できれば半年分は余裕を持てるようにと若いものには教え、諭していた。

 つまり、どんな生活実態であろうとも、計画的に収支のバランスを考慮して、病気や事故など不意な時に備えておくべきだとの教えである。

 いくら安月給であろうとも、バイト代が低くても、それ相応の生活に準じた生計を為さねばならないわけで、急にと言っても当座の生活費を確保して、次の仕事や住まいを探すことができるようにしておかねばならないのである。

 自分に甘く、社会や会社、政治のせいにばっかりしないで、 自らの生き方、暮らし方に、「備え」をいつも持てるようにせねばなるまい。

 甘えてばかりでは、いつになっても他人や社会が悪いと言い続けるのだろう。
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