昨年八月の総選挙で圧倒的な勝利を獲得し「政権交代!」を果たした「民主党」だが、丸一周年たっただけなのに、党内の嵐と言うべきか、国民不在の権力闘争は自民党時代とあまり変わらないヘンなムードである。
先日来の菅直人首相の続投への民主党代表選挙への対抗馬として、前幹事長の「小沢一郎」が出馬との憶測の中、鳩山由紀夫前首相が仲介役を務めた形で、菅と小沢の会談がようやく実現したと思ったら、大方の予想を裏切った形で「小沢前幹事長代表戦に立候補」というどんでん返し的結論が出た模様である。
それにしても多くの新聞、テレビを中心とするマスメディアの報道の方向は、鳩山が仲介した「挙党態勢」と言う名の「小沢、菅、鳩山」のトロイカ方式の民主党結党当時、すなわち「旧民主党」と小沢一郎率いる「自由党」が合併した時期の原点にたち戻って「初心を貫くため」、小沢一郎の代表選出馬は回避されるという見通しであった。
しかし、菅と小沢の一時間余の会談後の午後6時前の「小沢一郎」の記者会見の模様をテレビの生中継で見たのだが、全く「理解に苦しむ」内容とでも言うべきか、政治家の言動としての慎重さは理解できるが、「挙党体制」を確認しながら、なぜ「小沢一郎」が出るのかが全く理解できない説明であった。
今回の「民主党」内のお家騒動とでも言うべき「代表選挙」を前にした権力闘争は、全く国民の思いとはかけ離れていることは明らかであり、各種世論調査による「次期首相」にふさわしい人とのアンケート結果は、菅直人現首相が7割以上で、小沢一郎を推す意見は、2割に満たない絶対少数であった。
にもかかわらず「小沢一郎」が民主党代表選挙に立候補するという決意は、明日の記者会見で明らかになるのかも知れないが、国民不在の党内事情と旧態依然とした「政治家たちの駆け引きと損得」の表れとしか思えないのである。
それにしても、あの小沢一郎氏の記者会見の「意味不明」のごたごたとした説明になっていない「おしゃべり」の中で、何度も「鳩山先生、輿石先生」という表現が使われていて、私は何とも言い難い、「政治家の心」を読み取る術を知らないが、不快感で一杯となった。
多くの政治家が政治家同志を「○○先生」呼ばわりするのは如何なことなのだろうと常日頃から私は感じていて、表向きは「○○先生」と敬うような物腰ではあるが、心底は決して他の政治家を尊重しているのではなくて、自分を支持してもらう手前、表現としては尊敬と謙譲の言葉を用いているだけなのだと思っている。
自民党政権時代の若き幹事長に抜擢された、生え抜きの保守政治家であり、幾多の権力の離合離散を見てきた張本人でもあり、自らがその仕掛け人となって政界再編を繰り返してきた男である「小沢一郎」の最後の勝負が、ここに隠されているように感じるのである。
国民、有権者に分かりやすい政治家としての説明の務めでもある「記者会見」で、こうも「わからない」言葉の羅列を聴かされる、一有権者として、今回の「政変」に繋がりかねない国民不在の「党内主導権争い」に対して強い不信感と不快感を覚えるものである。
先日来の菅直人首相の続投への民主党代表選挙への対抗馬として、前幹事長の「小沢一郎」が出馬との憶測の中、鳩山由紀夫前首相が仲介役を務めた形で、菅と小沢の会談がようやく実現したと思ったら、大方の予想を裏切った形で「小沢前幹事長代表戦に立候補」というどんでん返し的結論が出た模様である。
それにしても多くの新聞、テレビを中心とするマスメディアの報道の方向は、鳩山が仲介した「挙党態勢」と言う名の「小沢、菅、鳩山」のトロイカ方式の民主党結党当時、すなわち「旧民主党」と小沢一郎率いる「自由党」が合併した時期の原点にたち戻って「初心を貫くため」、小沢一郎の代表選出馬は回避されるという見通しであった。
しかし、菅と小沢の一時間余の会談後の午後6時前の「小沢一郎」の記者会見の模様をテレビの生中継で見たのだが、全く「理解に苦しむ」内容とでも言うべきか、政治家の言動としての慎重さは理解できるが、「挙党体制」を確認しながら、なぜ「小沢一郎」が出るのかが全く理解できない説明であった。
今回の「民主党」内のお家騒動とでも言うべき「代表選挙」を前にした権力闘争は、全く国民の思いとはかけ離れていることは明らかであり、各種世論調査による「次期首相」にふさわしい人とのアンケート結果は、菅直人現首相が7割以上で、小沢一郎を推す意見は、2割に満たない絶対少数であった。
にもかかわらず「小沢一郎」が民主党代表選挙に立候補するという決意は、明日の記者会見で明らかになるのかも知れないが、国民不在の党内事情と旧態依然とした「政治家たちの駆け引きと損得」の表れとしか思えないのである。
それにしても、あの小沢一郎氏の記者会見の「意味不明」のごたごたとした説明になっていない「おしゃべり」の中で、何度も「鳩山先生、輿石先生」という表現が使われていて、私は何とも言い難い、「政治家の心」を読み取る術を知らないが、不快感で一杯となった。
多くの政治家が政治家同志を「○○先生」呼ばわりするのは如何なことなのだろうと常日頃から私は感じていて、表向きは「○○先生」と敬うような物腰ではあるが、心底は決して他の政治家を尊重しているのではなくて、自分を支持してもらう手前、表現としては尊敬と謙譲の言葉を用いているだけなのだと思っている。
自民党政権時代の若き幹事長に抜擢された、生え抜きの保守政治家であり、幾多の権力の離合離散を見てきた張本人でもあり、自らがその仕掛け人となって政界再編を繰り返してきた男である「小沢一郎」の最後の勝負が、ここに隠されているように感じるのである。
国民、有権者に分かりやすい政治家としての説明の務めでもある「記者会見」で、こうも「わからない」言葉の羅列を聴かされる、一有権者として、今回の「政変」に繋がりかねない国民不在の「党内主導権争い」に対して強い不信感と不快感を覚えるものである。