ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

センバツ開幕

2005年03月23日 | テレビマスコミ

 
 第77回選抜高校野球大会が阪神甲子園球場を舞台に始まったが、雨天のため試合は明日以降へ順延となった。夕刻のテレビニュースを見ながら、感慨深い思い出が甦ってきた。

 ちょうど今から40年前の「選抜高校野球大会」に私も出場?しており、前日の予行練習と開会式当日、加えて決勝戦と3日間、甲子園球場の土を踏んだのである。

 今回も開会式の入場行進の先頭は、前年度優勝の愛媛済美高校だが、今年は選抜に選ばれていないので、ボーイスカウトの持つ「済美」のプラカードの後に、主将ひとりの寂しい入場をしていたと思うが、私も40年前同様の前年度優勝高のプラカードを持って入場したのである。

 1965年春の選抜高校野球大会は、前年度優勝高は、あの今はプロゴルフ界の重鎮である、ジャンボ尾崎が主戦投手として活躍した徳島海南高校であり、私はボーイスカウトとしてのお手伝いで参加して、幸い背が高かったために、一番先頭となり、この年の徳島海南高校の主将と共に先頭で入場したのである。

 その日は帰宅後、現在のようなビデオ装置やまともな記録写真もないために、夕刻のテレビニュース映像の自分の姿をチャンネルを替えながら、テレビの前で一生懸命シャッターを切って、何枚かの思い出写真を撮った記憶が鮮明に残っているのである。

 私の甲子園の土を初めて踏んだ記憶には、もうひとつとんでもない大きな出来事の記憶が付随しているのである。

 選抜開会式の前日は甲子園球場で、開会式の予行練習をしており、その年も毎日新聞社の主催の関係で、開会式当日の朝刊を飾る予定の「きょう選抜高校野球大会開会式」の記事に添える、人文字などの写真撮影がヘリコプターを使って行われていたのである。

 昼下がりの甲子園球場に集まった大会関係者と選手一同の上空を何度も旋回しながら、毎日新聞社のチャーターしたヘリが飛び、球場内に描かれた人文字の撮影を繰り返し行って上空へと旋回した時、カメラマンがヘリから突然墜落し、バランスを崩したヘリコプター自体も阪神国道の上に墜落延焼するという、大事故が起きたのである。

 私は大事故を目撃し、カメラマンの墜落とヘリの墜落延焼を今も映像を伴った鮮明な記憶として覚えているのである。

 翌朝の新聞には、殉職した○○カメラマンが撮った最後の写真として、球場内の光景とカメラマンが大の字のように墜落している様子とヘリ延焼現場が克明に報道されていたのである。

 その年の選抜高校野球大会決勝戦は、市立和歌山商業と岡山東商業が戦ったのだが、後にプロ野球界で選手として活躍し、コーチや監督を経験して野球解説者となっている2人の有名選手がおり、私は彼らと共に甲子園の最後の経験をしたのである。

 市和商の4番の後の阪神監督「藤田平」と岡山東のエースで大洋ホエールズのかみそりシュートのエース「平松政二」の二人であった。

 雨にたたられて、明日から実際の戦いが始まる第77回のセンバツ高校野球であるが、春はセンバツからと言われる「春の風物詩」となっているが、人に歴史あり、また歴史は小説より奇なりであり、40年前のセンバツの歴史にも、あまり表には出ないエピソードというか、隠れた悲話がるものなのである。

 今年のセンバツに出場する高校生諸君の溌剌とした姿と、選手宣誓を自分流ですがすがしくやった、北海道駒大苫小牧の林裕也主将の「高校野球って素晴らしいと実感しながら、甲子園という夢の舞台に挑みます」という言葉に、新鮮さと40年前の思い出をリンクさせながら、明日からの試合を熱い高校生の気分で見守り、声援を送りたいと思っている。
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