一月の最終日、お正月にお会いした後伺っていなかった老夫婦を訪ねた。
同じ町に住む様になって20数年が経ち、私にとっては今は亡き実父とは異なるのだが、この町に引っ越して後は私のこの地での父と母と思っている、とても親しくさせていただいているご夫婦でもあるので、しばらくお会いしていないと何かと心配となってしまうので、今日はと思って突然伺ったのであった。
幸い、ご主人は92歳、奥様は88歳なのだがお元気で私を迎えて下さって、お昼時だったのだが話され出したのであった。
まず、奥様が話されたお話は、現在96歳というから大正5年、1916年生まれの実兄のことであった。
現在も広島県の片田舎にお一人で住まわれていて、老人会の集いやゲートボールにも自転車で行って参加しているというお兄さんだそうなのだが、登山や旅行が大好きで、昨年も一昨年も海外旅行をされていて、実のお子さんと言っても70代後半の女性と男性がご一緒されることが条件で、旅行会社の手配で一昨年はアラスカ州にオーロラを見に行かれたというから、いたって健康な幸せな御仁である。
しかし、その実のお兄さんが今年の年賀状では、そろそろ先のことを考える年になったと記しておられ、子供たちには世話をかけたくないと配慮されていて、近くの老人施設への入所も検討され出したらしいというのであった。
その96歳になられるお兄さんは、90歳を過ぎる頃までは、自分が戦争に行って体験したことや見て来たことを話すのが嫌だったそうなのだが、それ相応の年齢となった数年前に、自分の従軍していた頃の軍人手帳は不明なのだそうだが、同じ部隊にいた友人の手帳を借りて、思い出しながら戦争体験を書かれたというのであった。
その実体験の戦争中の話の中に、上記の「戦時下のピアノ」が出てくるのだが、表題に添えた「月光の夏」と称する毛利恒之さんの小説の様な国内での帰還特攻隊員の話ではなく、彼が出兵し東南アジアを南下し連戦途中に体験したという、とんでもない経験なのであった。
「月光の夏」という小説は、1993年に神山征二郎監督のメガホンで映画化されたのだが、ある特攻隊員が鳥栖の連隊にいて、出兵前にグランドピアノで、ベートーベンの「月光の曲」を演奏して去って行ったとされる実話を基に、上記の毛利さんがノンフィクションの小説として書き上げたとされる作品なのだが、映画化後には事実に反する作り話だとの指摘などもあって、小説や映画に登場する人物が実際にはピアノを演奏したわけではないとされたりもしたのだそうだ。
話は戻るが、私の親しい老夫妻の奥さんのお兄さんが体験したという実話は、マレー半島を南下した部隊に加わっていた彼が、シンガポールに攻め入った時に、ある施設においてあったピアノを見つけて、音楽が大好きな男だったので、勢い勇んでピアノに触れて弾こうと走り寄ろうとしていたら、後ろからやってきた別の兵士が先にピアノに触れた瞬間に、現地の人が仕掛けてあったらしい爆弾が爆発して、その兵士もろとも燃えてしまったというのであった。
本当に人の一生は不思議な運命で繋がっていたり、途切れてしまったりするものの様で、彼はその後からピアノに一目散に近寄った別の兵士の犠牲のお陰で、命拾いをしたというのであった。
その後、彼は通信兵だったこともあって幸い命を保って、日本への帰還を果たすのだが、途中に台湾に立ち寄るまでの帰還船でも、せっかくの故郷への帰還を前にしながら、戦時下で心を病んだ人やマラリアなどの病に心身ともに衰えた兵士たちの中には、甲板から身を投げて、自ら死を選んだ者もいたというのであった。
いずれにせよ、太平洋戦争の悲惨な実体験や地獄を見た元兵士たちの生の話を聞く機会は、もう少しで無くなるのだと思うと、貴重な話に出会えたと思ったのであった。
同じ町に住む様になって20数年が経ち、私にとっては今は亡き実父とは異なるのだが、この町に引っ越して後は私のこの地での父と母と思っている、とても親しくさせていただいているご夫婦でもあるので、しばらくお会いしていないと何かと心配となってしまうので、今日はと思って突然伺ったのであった。
幸い、ご主人は92歳、奥様は88歳なのだがお元気で私を迎えて下さって、お昼時だったのだが話され出したのであった。
まず、奥様が話されたお話は、現在96歳というから大正5年、1916年生まれの実兄のことであった。
現在も広島県の片田舎にお一人で住まわれていて、老人会の集いやゲートボールにも自転車で行って参加しているというお兄さんだそうなのだが、登山や旅行が大好きで、昨年も一昨年も海外旅行をされていて、実のお子さんと言っても70代後半の女性と男性がご一緒されることが条件で、旅行会社の手配で一昨年はアラスカ州にオーロラを見に行かれたというから、いたって健康な幸せな御仁である。
しかし、その実のお兄さんが今年の年賀状では、そろそろ先のことを考える年になったと記しておられ、子供たちには世話をかけたくないと配慮されていて、近くの老人施設への入所も検討され出したらしいというのであった。
その96歳になられるお兄さんは、90歳を過ぎる頃までは、自分が戦争に行って体験したことや見て来たことを話すのが嫌だったそうなのだが、それ相応の年齢となった数年前に、自分の従軍していた頃の軍人手帳は不明なのだそうだが、同じ部隊にいた友人の手帳を借りて、思い出しながら戦争体験を書かれたというのであった。
その実体験の戦争中の話の中に、上記の「戦時下のピアノ」が出てくるのだが、表題に添えた「月光の夏」と称する毛利恒之さんの小説の様な国内での帰還特攻隊員の話ではなく、彼が出兵し東南アジアを南下し連戦途中に体験したという、とんでもない経験なのであった。
「月光の夏」という小説は、1993年に神山征二郎監督のメガホンで映画化されたのだが、ある特攻隊員が鳥栖の連隊にいて、出兵前にグランドピアノで、ベートーベンの「月光の曲」を演奏して去って行ったとされる実話を基に、上記の毛利さんがノンフィクションの小説として書き上げたとされる作品なのだが、映画化後には事実に反する作り話だとの指摘などもあって、小説や映画に登場する人物が実際にはピアノを演奏したわけではないとされたりもしたのだそうだ。
話は戻るが、私の親しい老夫妻の奥さんのお兄さんが体験したという実話は、マレー半島を南下した部隊に加わっていた彼が、シンガポールに攻め入った時に、ある施設においてあったピアノを見つけて、音楽が大好きな男だったので、勢い勇んでピアノに触れて弾こうと走り寄ろうとしていたら、後ろからやってきた別の兵士が先にピアノに触れた瞬間に、現地の人が仕掛けてあったらしい爆弾が爆発して、その兵士もろとも燃えてしまったというのであった。
本当に人の一生は不思議な運命で繋がっていたり、途切れてしまったりするものの様で、彼はその後からピアノに一目散に近寄った別の兵士の犠牲のお陰で、命拾いをしたというのであった。
その後、彼は通信兵だったこともあって幸い命を保って、日本への帰還を果たすのだが、途中に台湾に立ち寄るまでの帰還船でも、せっかくの故郷への帰還を前にしながら、戦時下で心を病んだ人やマラリアなどの病に心身ともに衰えた兵士たちの中には、甲板から身を投げて、自ら死を選んだ者もいたというのであった。
いずれにせよ、太平洋戦争の悲惨な実体験や地獄を見た元兵士たちの生の話を聞く機会は、もう少しで無くなるのだと思うと、貴重な話に出会えたと思ったのであった。