ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

戦時下のピアノ

2012年01月31日 | 感じたこと
 一月の最終日、お正月にお会いした後伺っていなかった老夫婦を訪ねた。

 同じ町に住む様になって20数年が経ち、私にとっては今は亡き実父とは異なるのだが、この町に引っ越して後は私のこの地での父と母と思っている、とても親しくさせていただいているご夫婦でもあるので、しばらくお会いしていないと何かと心配となってしまうので、今日はと思って突然伺ったのであった。

 幸い、ご主人は92歳、奥様は88歳なのだがお元気で私を迎えて下さって、お昼時だったのだが話され出したのであった。

 まず、奥様が話されたお話は、現在96歳というから大正5年、1916年生まれの実兄のことであった。

 現在も広島県の片田舎にお一人で住まわれていて、老人会の集いやゲートボールにも自転車で行って参加しているというお兄さんだそうなのだが、登山や旅行が大好きで、昨年も一昨年も海外旅行をされていて、実のお子さんと言っても70代後半の女性と男性がご一緒されることが条件で、旅行会社の手配で一昨年はアラスカ州にオーロラを見に行かれたというから、いたって健康な幸せな御仁である。

 しかし、その実のお兄さんが今年の年賀状では、そろそろ先のことを考える年になったと記しておられ、子供たちには世話をかけたくないと配慮されていて、近くの老人施設への入所も検討され出したらしいというのであった。

 その96歳になられるお兄さんは、90歳を過ぎる頃までは、自分が戦争に行って体験したことや見て来たことを話すのが嫌だったそうなのだが、それ相応の年齢となった数年前に、自分の従軍していた頃の軍人手帳は不明なのだそうだが、同じ部隊にいた友人の手帳を借りて、思い出しながら戦争体験を書かれたというのであった。

 その実体験の戦争中の話の中に、上記の「戦時下のピアノ」が出てくるのだが、表題に添えた「月光の夏」と称する毛利恒之さんの小説の様な国内での帰還特攻隊員の話ではなく、彼が出兵し東南アジアを南下し連戦途中に体験したという、とんでもない経験なのであった。

 「月光の夏」という小説は、1993年に神山征二郎監督のメガホンで映画化されたのだが、ある特攻隊員が鳥栖の連隊にいて、出兵前にグランドピアノで、ベートーベンの「月光の曲」を演奏して去って行ったとされる実話を基に、上記の毛利さんがノンフィクションの小説として書き上げたとされる作品なのだが、映画化後には事実に反する作り話だとの指摘などもあって、小説や映画に登場する人物が実際にはピアノを演奏したわけではないとされたりもしたのだそうだ。

 話は戻るが、私の親しい老夫妻の奥さんのお兄さんが体験したという実話は、マレー半島を南下した部隊に加わっていた彼が、シンガポールに攻め入った時に、ある施設においてあったピアノを見つけて、音楽が大好きな男だったので、勢い勇んでピアノに触れて弾こうと走り寄ろうとしていたら、後ろからやってきた別の兵士が先にピアノに触れた瞬間に、現地の人が仕掛けてあったらしい爆弾が爆発して、その兵士もろとも燃えてしまったというのであった。

 本当に人の一生は不思議な運命で繋がっていたり、途切れてしまったりするものの様で、彼はその後からピアノに一目散に近寄った別の兵士の犠牲のお陰で、命拾いをしたというのであった。

 その後、彼は通信兵だったこともあって幸い命を保って、日本への帰還を果たすのだが、途中に台湾に立ち寄るまでの帰還船でも、せっかくの故郷への帰還を前にしながら、戦時下で心を病んだ人やマラリアなどの病に心身ともに衰えた兵士たちの中には、甲板から身を投げて、自ら死を選んだ者もいたというのであった。

 いずれにせよ、太平洋戦争の悲惨な実体験や地獄を見た元兵士たちの生の話を聞く機会は、もう少しで無くなるのだと思うと、貴重な話に出会えたと思ったのであった。
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錦織圭、世界ランク20位。

2012年01月30日 | プロスポーツ
 全豪オープンのベスト8に進出して、準々決勝で世界ランク4位のマレーと闘い、惜しくも負けた錦織圭選手だが、当日の公式ブログには、「負けてしまいました。完敗のような・・チャンスもあったような。以前の対戦より確実に良かったですが、まだまだ勝つには至らなかったですね。このトップ4相手に勝てる日がくるのか、今はまだ想像がつきません・・。今日負けた悔しさと、まだまだトップ4に勝てないという現実がまだまだ先は長いと感じさせられます。でも、今は正直にこの結果を喜びたいと思います。」と記していた。

 負けて悔しいと思うのは当然だが、素直に今を見つめて収穫を喜び、今後の飛躍を目指すという意識が高く、グランドスラムベスト8という壁を破るための第一歩が始まったという意味では、今回の全豪オープンの成果は素晴らしく、頼もしく感じる若者の登場です。

 22歳の若き成長著しいアスリートですが、「日本からも現地でも本当にたくさんの応援をありがとうございます」と記し、「会場でもたくさんの声援があり、力になりました」「おーじー(QG)の方たちもたくさん応かったです。」、「これからも精進します!」と感謝と今後の努力を誓っていました。

 全豪大会の男子決勝は昨日行われ、世界ランク一位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が何と史上最長の5時間53分というフルセットマッチの末、ラファエロ・ナダル(スペイン)に勝ち優勝したのだが、錦織圭は昨年に、この覇者ジョコビッチを破るという大金星も上げていて、男子の日本選手としては史上最高の世界ランク20位に今日ランクされたのである。

 謙虚で清清しく力強い若者の活躍に、大いに日本人も世界のテニスファンの人々も励まされ、直接現地で観戦した人はもとより、全世界でテレビや報道で知った人たちも含めて、東日本大震災や福島原発の被災者だけでなく、とても多くの人たちに勇気と励ましを与えてくれたことは間違いなかったと思います。

 ともかく、あの得意の「エアーK」を出きるだけ封印して、根気強くラリーを繰り返して、相手のミスを誘うというゲーム展開も含めて、今回の豪州オープンでの「NISHI」の技術とプレイの精度さは一流であることを証明したと思うが、惜しくも負れたマレー戦の終盤で魅せた、股の間から相手コートに返したショットで結局ポイントを取った場面は、何ともユーモラスでもあり最高だったむと思う。

 昔からテニスの試合で不思議に思っていることがあって、多くの皆さんはご存知なのかも知れませんが、1ポイントを上げるのに、0(love)から数えて、15、30、40とカウントして行き、60に達したら1ポイントというカウントの仕方で、何故LOVEから始まり60進法らしく進み、15、30とくれば、次は45のはずなのに40となり、たぶん60とは言わないが、時計の60進法に由来している様なカウントの仕方となっていることです。

 私は球技、すなわちボールを使ったスポーツが大好きなのですが、子どもの頃はテニスは高貴な方々がするスポーツの様に思っていたのですが、今や猫も杓子もラケットとボールがあって、ちよっとしたコートの広さはがあれば、個人的対戦を主にしたゲームとして、誰もがやりたいと思えば出きるスポーツとして親しまれる競技となっていて、特に女子の伊達公子や杉山愛選手は、ずっと注目されていましたが、男子は松岡修造選手以来はファンを魅了する選手が育ってなかったと思いますが、いよいよ今後も全米、全仏、全英と続く世界的大会での活躍が期待される「KEI NISHIKORI」に大いに期待が出来そうです。
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「共通番号制度」

2012年01月29日 | ちょっと可笑しいよ
 数年前まで「国民総背番号制度」という問題として、多くのプライバシー侵害や個人的人権にも差し障るのではないかと反対の議論が多かった制度が、いつのまにか「税と社会保障の一体改革という民主党内閣が進める政策に付随する様に画策されていて、来年には法案をまとめて国会で審議、成立を目指すとされている。

 その周知度を知る上で、内閣府が昨年秋に調査したアンケート結果が、さきほど公表されたのだが、なんと「必要」と「どちらかと言えば必要」と答えた人が併せて、57.4%、すなわち約58%、半数以上の国民が必要と思っているとされる様な報道がNHKなどによってなされていた。

 とんでもないことであり、実はこの「共通番号制度」に対して、上記の様な個人情報への危惧を含めた「不安」を感じると答えた人が、なんと85.7%、約86%もいたことを見出しとすると、全く正反対の国民の意思というべき実態に近いものが判明するのだが、マスコミの発表の仕方や内閣の周知度に対する期待感などもあって、恣意的または意図的な調査結果の発表となる場合もあると思われた。

 そもそも、この「共通番号制度」は、社会保障と税に共通の番号を国民一人ひとりに割り振るという制度で、国がより正確な所得情報を把握して、適正な課税や給付につなげて、事務の効率化や国民負担の公平性の向上を図るというのが目的である。

 民主党政権になって、鳩山政権の時代に抜本的な改革に必要な基盤整備として必要と提案され、2010年度の税制改正大綱に盛り込まれ、現野田内閣の不退転の決意での「消費税増税」や「社会保障費の捻出むという表看板に必要な法案として、来年の提出が予定されているというのである。

 「基礎年金」、「健康保険」、「介護保険」、「運転免許」、「パスポート」など、個人に割り当てられた各種番号は多いのだが、社会保障関係においても約90種類もの番号が使用されていて、管理主体である厚生労働省や各市町村などで様々な状況にあり、番号同士を結びつける仕組みや手立てがないのが現状である。

 そこで、複数の行政サービスや税負担、給付対象などに共通した番号があれば、個人ごとに情報をつき合わせて確認したり、一括的な管理とチェックが可能になるということで、行政の事務の簡素化と共に国民とっても各種の手続きが簡素化されるといわれている。

 「共通番号制度」は、制度ごとに付けられた番号を一本化するのではなく、国民一人ひとりに付与する番号(基幹番号)と各制度の番号とを紐付けしていく方向で、検討が進んでいる様で、番号を利用する範囲が広がれば、取り扱いされる個人のプライバシー情報も増えていくために、便利になる一方で、情報流出の危険性も広がると予想されるので、この制度導入そのものに異論や反対論も多くあるのが現状なのである。

 つまり、国を司る政府が一方的に共通番号制度を決めて、国民一人ひとりに所謂「背番号」をつけるということと同様の弊害や問題点が多々あることから、今後の議論を注視しながらも、私はこういった制度は、国が国民をコントロールするための前時代的な制度となる危惧を孕んでいるために、極論では反対なのである。

 私たち国民は、大日本帝国憲法の時代、すなわち戦前までは「天皇の民」、すなわち「皇民」もしくは「臣民」とされ、お国のために働き、「天皇陛下万歳!」と言わされていた時代ではなく、戦後の民主主義の時代、人間天皇とされた国民の象徴とされた天皇制度の下ではあるが、一人ひとりの人権が個人的人権として最大限保障されるという「日本国憲法」の下に日々の生活をしているのであるので、今更行政事務の簡素化や「やりやすさ」のための「共通番号制度」など要らないのである。 
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「新党」構想

2012年01月28日 | 日本の課題
 戦後66年を経て、日本の政治をリードしてきたはずの「政党」という名の政治グループは、自由民主党、所謂「自民党が長期的に政権を握っていた時代が一番長いのだが、その55年体制と言われていた時代の野党である「日本社会党」をはじめ、日本の政党の変遷は、細川政権が誕生した頃の日本新党を契機に、新進党、保守党、自由党、そして民主党へと繋がって、現在は自民党、民主党、公明党、共産党、社民党、そして国民新党や立ち上がれ日本、そして「みんなの党」や「きづな」と少数政党が林立している。

 そんな中、二年数ヶ月前に政権交代を果たした「民主党」がマニフェスト違反や消費税値上げ問題、TPP参加や普天間基地問題などと暗中模索の優柔不断な千鳥足の間に、鳩山、菅、そして野田と三人の首相が陣頭指揮を執っているようなのだが、国民の信頼を勝ち得るどころか、野党第一党となった自民党も批判ばかりの主体性のない信頼感に欠く政治姿勢ばっかりで、またもや「解散、総選挙を」といったムードばかりを煽っている。

 いつものパターンとなったきらいがあるのだが、ここへ来てまたしても「新党」を立ち上げるという動きが、あの「じいさん政党」と揶揄されかねない「石原都知事」を中心に、亀井国民新党代表や、平沼立ち上がれ日本代表、そして人気?の橋下大阪維新の会代表らの連携の噂の中、進行していると報道されている。

 石原都知事が昨日の記者会見で、国民新党の亀井代表らとの新党構想について「国会の政治構造をシャッフルする必要がある」と述べて、他に大阪維新の会の橋下大阪市長や日本一愛知の会の大村愛知県知事らの首長政党が絡んで、次の衆議院選挙に臨むという可能性が取り沙汰されだしているという。

 いずれにせよ、多くの国民、有権者が現在の政治状況と共に、既成政党の枠組みでは「改革」が出来ないのではないかという大きな疑心暗鬼に陥っているとは言え、それでは「新党を」という、表看板を新たにスエカエタとしても、ほとんどは同じ顔ぶれ、もしくは、「名前を変えて出ています」というだけの政党政治は、もういい加減に脱却してほしいと思うのである。

 つまり、現在の政党がダメなら「新党」をと動いたとしても、レッテルや包装紙を変えただけで、政治が変るわけはないのであって、人が変らなければ政治は変らないのだということは、誰もが気づいてはいても、本当は大変な人材難が政界を包んでいるのではないだろうか。

 つまり、橋下大阪市長の行政改革、公務員、役所改革という「のろし」に対して、大阪府と大阪市では大きな「支持」がしめされたことで、結局は既成政党や石原都知事も、このムーブメントに「乗り遅れてはいけない」という思いからか、「橋下維新」を如何に利用して、絡ませて自分たちのグループや政党を有利な立場に立たそうとしているに過ぎないのである。

 選挙に金がかかり、組織的、集団的バックアップがなければ議員や首長に当選できないという、現在の日本の民主主義の実態を、抜け出すことや仕組みや構造を抜本的に変えることではなく、目先を変えて、ひょっとしたら国民、有権者を騙す手法ではないかとさえ思うのである。

 有権者、国民、ひとりひとりが本当に住民の視線で政治を行ってくれる候補者を選ぶことができるのかが問われ、また多くの既成のルールや構造を大きく変えるエネルギーを持つ候補者が立候補できる制度かどうかが、一番必要なことであり、その方向への牽引者を選ぶ目と心が、一番有権者に必要なのであって、新党での詐欺はもう御免である。
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「水沢腹堅」っていうらしい。

2012年01月27日 | 季節の話題
 一月に入って、全国的に寒い季節が到来し、関東、甲信越地方でも一昨日頃から雪がたくさん降って、いたるところで自動車交通だけでなく、多くの通学、通勤の日々の道が困難になったり、滑ったり、転んだりと大騒ぎと言うべきか、大変混乱していて、迷惑千万なことだというお天気状況である。 

 昨日は京都と言っても比較的温かい地域に位置する、私の住む京田辺地域でも、小雪が舞い、大阪に車を走らせていたのだが、大阪でも昼過ぎに、めったに降らない雪が舞っていて、子どもたちは大喜びの様子であった。

 いつもの歳時記カレンダーによれば、1月6日が「小寒」で、先週の21日が「大寒」だったのだが、1年の72候によれば、大寒の次の候が昨日の「水沢腹堅」、すなわち「すいたくふくけん」、厳しい寒さで沢が凍って滑る頃という時期とされているらしいのだが、皆さんはご存知でしたでしょうか。

 北国にお住まいの方々にとっては、この雪の季節も例年の如く寒いことは寒いけれど、ちょっと今年は雪が多いなぁと言った感じなのかも知れませんが、毎年の冬にはあまり雪が降らないという地域の皆さんにとっては、青天の霹靂といった感じで、日々の暮らしの中にむ、とんでもない凍結や雪かきといった慣れない仕事や、注意を要する事象が発生していて、「雪景色」を楽しむなんていう余裕や風情もないかもしれません。

 この「水沢腹堅」を自分流に解釈すると、いつもはサラサラと流れている近くの沢が凍ってしまい、一面の氷に覆われた堅いお腹の様になってしまっている様を、昔の人が「水沢腹堅」と称したのだろうと推察するのですが、我が奥さんは気温が氷点下になるとの天気予報があったら、小さなアルミのボールに水道水を入れて、玄関先や居間の外に出して置いて、ちょっとした氷が張るのを楽しみにしている様子なのですが、一昨日は置き場所が適切ではなかったためか、凍らず残念がっていました。

 ともかく、八百屋のお客さんとの会話でも、特にご年配のご婦人たちは、「寒いですね」と強調されることが多いのですが、天気予報で知らされる「北海道」地方の旭川、根室、釧路、網走、稚内などの氷点下10数度、時にはマイナス30度という様な「しばれる」空気のことを想像しただけで、我が住まいのある京都府南部のせいぜい0℃前後の冷えの現状は、まだまだ温かな方だと言わねばなりません。

 私の息子夫婦は、奥さんが沖縄出身ということもあって、結婚して後はずっと沖縄に住んでいるのですが、20度を割ると「寒い」と感じる様子で、特に女性たちは沖縄での「冬」を楽しみ、ファッションとしての服装やブーツを履く機会が非常に少ないので、みんな競い合う様にコートやマフラー、そしてブーツや手袋を着用する様ですが、先日の恒例の「探偵ナイトスクープ」で、沖縄の人は、「タイヤチェーン」や「毛皮のコート」、また「炬燵」は使うのだろうかというテーマがありましたが、チェーンは殆ど知らず、毛皮のコートは笑いを誘い、炬燵は意外にも電気を入れなくてもテーブル代わりにあるという現実でした。

 「おーい、沖縄の息子よ」、昨日が「水沢腹堅」という候だったことを知っているかい?、東南アジアや台湾、中国からやってきている観光客たちが、東京、横浜、鎌倉、そして京都で、雪を観て大変喜んでいる様子が報道されていましたが、処変れば「雪また良し」ということでしょうね。

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「石油高騰」の兆し。

2012年01月26日 | 世界の問題
 俄かに、再びと言ってもいいと思うのだが、石油の高騰が予期される事態となっている様で、世界の経済状況が不安定かつ厳しい実態の中で、多くのエネルギー資源のひとつである「原油」や「天然ガス」の輸入価格が高騰する見通しがささやかれ、早くも国際市場では1バレルあたり100ドルを突破し、今回の背景を考えれば最悪の場合は、なんと1バレル200ドル近くまで高騰する可能性があると言われていて、直接的なエネルギー資源としての「ガソリン代」だけではなく、あらゆる産業に影響が多大に出ると早くも警戒感が世界中を席巻しているという。

 そもそも、この「原油高騰」の原因は、中近東のイランという国が今に始まった問題ではないのだが、「核疑惑」が濃厚となっていて、アメリカ合衆国が「イランへの経済制裁を」とのことで、EU諸国をはじめ、日本、中国、東南アジアなどにも「イランからの石油輸入」を止める様にとの指示を出したことに端を発しているのである。

 国際原子力機関であるIAEAもイランの核問題で決議をしており、全世界的にイラン包囲網とでも言うべき「制裁」の罪状が波紋を広げていて、イラン当局は、このアメリカを頂点とする自国への経済制裁について、ホルムズ海峡の封鎖も辞さないとの強行姿勢をもちらつかせて、国際社会に対して自国の正当性をアッピールしょうとしているのが現状なのだろう。

 私はいつも、この問題の本質について単純に疑問に感じていることがあるのだが、そもそもイランや北朝鮮、またはパキスタンやその他の核開発に関する新興国に対して、アメリカをはじめとする所謂先進国が、「あなたたちの国が核開発をするのは認められない」として、抗議し糾弾し、その上に疑惑を払拭する様な行動や証明をしなければ、経済制裁や軍事力で「脅す」といった行動を繰り返していることに対して、基本的に疑問を感じているのである。

 つまり、アメリカ、ロシア、フランスなどの先進国と言われる国々は、多い少ないの差こそあれ原子力爆弾を保有し、実験を繰り返しており、歴史的に戦前からの世界戦略の中において、特に米国は第二次世界大戦末期に、ニッポンの広島、長崎に実戦としての「原爆」投下という、人類史上初の暴挙を行った国である。

 そんな「原爆先進国」の国々が、原子力のエネルギー開発の途上かどうかは定かではないが、十分「原爆」という核兵器を製造できる能力と施設を持つとされる新興国に対して、「我々は持ってもいいが、おまえたちはいけない」とでも言っている様な苦言を呈し、しかも「イラン、北朝鮮」の両国に対しては「野蛮な国」として一方的に烙印を押しているのである。

 私は決して、イランや北朝鮮が核開発を進め、核保有国の仲間入りをすることを良しとしているわけでは全くないのだが、どう考えても、一般的な常識で考えた場合に、説明がつかないし納得も素直には行かないのではないかと、常に感じているのである。

 例えて見れば、親でなくても分別や社会的ルール、モラルなどをワキマエテいると思われる大人が自分はしている悪事?、それとも銃や刀剣類を持っているにも関わらず、「おまえたちが持つことは許せない」と子どもたちや若者に言っている様なものではないかと、いつも簡単な矛盾を感じているのである。

 「嘘はドロボウの始まり」と大人たちは子どもたちに言って聞かせているのに、自分たちは都合のいい「嘘をいっぱいついている」としたら、子どもたちは「いい加減にせえ!」と、怒るのではないだろうか。

 国際政治や先進国と新興国との交渉では、そんな素朴で単純なルールや約束事は、全く通じないのだろうけれど、やはりもし「原子力開発」が、「核兵器」の開発に繋がるという危惧や疑惑が生じて、とんでもなく世界が危険にさらされたり、許しがたい混乱を招くとしたら、もう一度原点に立ち返って、アメリカもロシアもフランスも、全世界から「核兵器」を無くすための「軍縮の推進」をしなければ、外交交渉においても、どちらが鶏か卵かと言った感の言い合いになるだけではないだろうか。

 たぶん、イランもホルムズ海峡の封鎖という強行手段には及ばないと思われるのだが、一番情けないと思うのは、常にアメリカの「言いなり」になってしまうニッポンであり、今回も「イランからの原油の輸入」を経済制裁としてアメリカ同様にやると宣言している日本国なのである。

 原油だけに頼ったエネルギー政策も含め、この際昨年の福島原発事故を契機に大々的に議論となっている、「脱原発」、そして「自然エネルギー」への政策転換を、政府が率先して予算的措置も含めて、断固推進することで、イランだけでなく中近東をばじめとする原油生産国に対する「負い目」や「お願い」的外交から、すこしでも脱却し、世界平和と地球環境の持続しうるエネルギー政策へと、大きな舵取りを切る、またとないチャンスが再び到来したと思ったらどうだろうか。

 イタリアの地中海で座礁した大型観光客船ではないが、「ええかっこして沈没する」ことのない、国際社会での発言と責任ある指摘を、たとえアメリカやロシアに対しても出来る国、つまり「NOも言える国」となってもらいたいものである。
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「三丁目の夕日’64」

2012年01月25日 | ファミリーイベント
 ALWAYS・三丁目の夕日’64が公開されて、西岸良平がビックコックに連載し出した頃からのファンとしても、また吉岡秀隆君との個人的出会いの縁もあって、たぶん10年前に公開された最初の「三丁目の夕日」と前作も観ているものだから、やはり今回の第三弾も観られずにはおれない心境で、近くのシネコンで奥さんと共に鑑賞したのである。

 基本的にはキャスティングは変わっておらず、自動車修理の町工場である鈴木オート一家、堤真一と薬師丸ひろ子夫婦と息子に加えて、東北の田舎から集団就職でやってきた堀北真希演ずる「星野六子」と向かいに住む駄菓子屋をしながら小説家としての生活を貧しくとも突き進む「茶川竜之介」を演ずる吉岡秀隆とそこへやってきて「おじちゃん」を慕い共に住む少年「古行淳之介」が主に活躍する物語として展開するのである。

 この「茶川竜之介」と「古行淳之介」は実の親子ではないのだが、元踊り子だった小雪が演ずる「ヒロミ」と家族として暮らしていて、今回の作品では大変尊敬もしお世話になった恩義を大切にしようとする淳之介だったが、小説家としては先輩であるおじちゃんが連載を続ける少年雑誌に、自ら別のペンネームで書き続け、ついにおじちゃんの連載が淳之介の作品の人気が勝ったためにストップするという出来事に発展し、本人はおじちゃんの言う「小説家」は不安定な仕事で常に脚光を浴びる様な商売ではないから、頭がいい淳之介は「東大受験」を目指して全うな社会人になった方が良いとすすめたのにも関わらず、結局自分の親父から勘当同然に出てきた自分と同様に、彼は小説家としての道を歩むこととなるのである。

 また一方の鈴木オートに就職し、事務職ではなく整備士としての汗まみれの生活に日々を送る「星野六子」が若き医者に恋こがれてしまい周りを心配させるのだが、結局は彼の本当の医者としての姿や、無償の医療活動をしている実態などがわかり、若くして鈴木家から嫁に行くこととなり、家族と町の人々に祝福されて「美しい花嫁姿」になって、ハネムーンに出発するのだが、新婦となっても鈴木オートでまだ働けばと言われているのである。

 茶川竜之介とヒロミの間には女の赤ちゃんが誕生し、若くして評価を受けた古行淳之介は、形の上では茶川が実家を勘当同然で東京へ出て小説家を目指したと同様に、竜之介は思いっきりの演技で淳之介を家から追い出すのであったが、それは全く自分の父が勘当したと思っていた自分の如く、愛するが故の「かわいい子には旅をさせよ」という心境での演技だったのである。

 そうしたドラマとしての背景に、東京オリンピックと共に戦後の経済復興から高度成長経済へ突き進もうとしている日本の戦後の1960年代半ばの世相があって、東京タワーの完成と共に自動車、カラーテレビ、クーラーの3Cが一気に家庭に入ってくる憧れの豊かな消費時代への幕開けといった観が強いご時勢だったのである。

 東京オリンピックの開会式が行われた1964年10月10日がその後「体育の日」という祝日になり、その年のたぶん11月23日だつたと記憶しているのだが、衛星放送で直接アメリカからの生放送がされるということだったのだが、その日最初に電波に乗って伝えられたのは何と「ケネディ大統領が暗殺された」というダラスからのテレビ中継生放送だつたことは、とても強い印象に残る大事件となったのであった。

 ただ単に昔を懐かしむというのではなくて、この日本の戦後の激動期に、私も多感な中学、高校時代を送っていたのだが、あの茶川と古行が交わした葛藤とも言うべき、「やりたい小説家を目指すのか、勉強して東大に行くべきか」という大きな課題をぶつけ合って語り、結局は自分が本当にやりたいことをやれというメッセージを投げかけている作品となっているところは、現代においても反面教師的側面も含めて、大変面白い脚本となっていると感じた。

 何故に、「三丁目の夕日」が好きかと心に問えば、やはり素朴で素直な感情をむき出しにして、出会った人々との交流を送る、決して豊かで金持ちではない庶民の生活があり、その家族の一員として迎えられた、鈴木オートの「六子」と、茶川さんと共に暮らす「淳之介」に象徴される子どもたちの成長を守る大人たちの価値観が、いろんな側面に描かれていて、その価値観がとても現代では失われつつある、あの時代の良さとして強く心引かれるからなのだろう。

 また私個人としては、茶川竜之介の様な生き方や生活はできないと思うのだが、その茶川竜之介を演ずる俳優「吉岡秀隆」が、幼いたぶん6歳の頃に音楽制作の仕事を東京でやっていたので、彼を劇団若草の紹介で招聘して、みなみらんぼう作詞、作曲によるファミリーアルバム、「山口さんちのツトム君」を制作したことがあるので、それ以来、「北の国から」や「コトー診療所」なども含め、個人的に吉岡秀隆を影ながら応援してきたので、また違った意味で「我が子」の如く愛おしく感じる面があるのである。

 最後に、原作の西岸良平氏の漫画「三丁目の夕日」には、「むつこ」ではなく、「六」という青年が勤めているし、近所に「サクラ」という女の子はいて、鈴木オートの奥さんが面倒を見ることもあるのだが、登場人物としては映画の脚本として作られた部分も多くて、もともとの夕日町三丁目の懐かしい思い出の町とは、そうとう違っているが映画としての三作目ともなれば、原作以上に「六子」や「淳之介」が気になってしまっていて、果たして実現するかどうか知らぬが、やっぱりその後の「続編」が観たくなるのだろうと思ったのである。

 日本人の古き良き時代の「古の感傷」として捨て去ってしまうのではなく、時代が変っても変らぬ「大切な日本人の心」を描き続けてほしいものである。
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「ピアノこうて!」

2012年01月24日 | 感じたこと
 毎朝、NHKの連続テレビ小説「カーネーション」を観ているのだが、最近京都のあるご婦人とお話していて、あのテレビの言葉は「汚いし品がない」という感想を耳にしたのだが、私にとっては、このドラマの舞台になっている大阪の岸和田、つまり「カーネーション」の原作の基となっている「コシノ三姉妹」のお母さんが生まれ育った地域に近い、大阪の阿倍野に生まれ育ったこともあって、とても親しみやすく決して「汚い」とか「品がない」とは思わないのである。

 このドラマは、世界を舞台に洋装のファッションデザイナーとして活躍するコシノジュンコさんをはじめとする三姉妹の産みの親である母の戦前、戦後を通じての実家の着物を取り扱う和装店を「洋装店」として自立させていく、女性の半世紀を描いているのだが、当然ドラマの方言指導もあって、大阪弁の中でも「泉州弁」と言われている岸和田地域を中心とする「言葉」をできるだけ使用している様子である。

 主演の尾野真千子さんの出身は大阪ではなく隣の奈良県の現在の五條市、西吉野村だそうなので、たぶんそう違和感を感じることなく演ずることの出来るのだろうと思うのだが、このドラマでは泉州弁を使う地域にほぼ近い堺市出身の黒谷友香さんが主人公の最初のお客さんとして登場以来、仲のいい友人としてたびだび洋装の似合う女性として出演しているし、近所の髪結いの安岡に嫁いできた女性も田丸麻紀さんが演じていて、やはり岸和田に近い和泉市の出身だし、お笑いタレントの「ほっしゃん」も北村という事業者として登場しているが、彼もほぼ泉州弁を話す地域の出身者である。

 タレント、女優人としては他に、昔「タンスにゴン!」のCMを担当していた沢口お靖子さんも泉州弁丸出しで喋ったコマーシャルが受けていた様に記憶しているし、お笑いの山田花子、女優、萬田久子、歌手、神野美伽さんらも同地域の出身とされているので、幼い頃はたぶん泉州弁に近い言葉を日常的に喋ってはったのではないかと推察する。

 そんな一地域に長く伝承されている言葉のひとつではあるが、岸和田地域は「だんじり」の祭りが盛んな地域でもあり、勇壮かつ命知らずの男たちがだんじりを引いたり、その動く屋根に乗って跳ぶという祭りのハイライトに、男子はもちろんだが女子も血湧き肉踊るといった感が強いお国柄なので、とても言葉は勇壮かつ荒っぽくも感じる語感がするとは思う。

 しかし、この泉州弁に関わらず、長年その地方、地域に生まれ育った者たちにとっては、その地域特有の方言とは言っても、とても愛すべき言葉であり、決して「汚い」とか「品がない」とか他の地域に生まれ育った者たちが批判したり時には軽蔑したりできるものではないのではないだろうか。

 朝の連続テレビ小説「カーネーション」では、主人公糸子を演ずる「おかん」に対して、賑やかで元気いっぱいの三姉妹が、毎日の様にある時から、「ピアノこうて!」の大合唱を繰り返しているのだが、そんな子どもたちの要求に対して、母である糸子は、「あかん」と一言で突っぱねているのだが、子どもたちは全くヘコタレルことなく、タンスの各段に「ぴあのこうて」と記した紙をいれておいたり、母親が仕事で縫い上げた洋装のドレスや商品にも、「ピアノこうて」という札を各々ぶら下げて諦めない様相である。

 子どもたちの大合唱やこの様な責め文句に対して、「おかん」である主人公糸子が、何時になったら屈するのかはたまた屈せずに「買わない」意地を通すのかは、ドラマの今後に任せるしかないのだが、私はこの「ピアノこうて」の子どもたちの言葉とヒツコイほどの連呼が、ほほえましく大好きなのである。

 「○○、買うてきちゃって」とか「これからツレとこ行くよって、イヤじゃお、おかんいきよー」とか、「そーけえ、にくい子やなのー、カレー作っちゃうかおもちゃあったの、もうええわ」「ほんまけ?ほたら、楽しみにしてるよってに、作っちゃっちょう」などと、話されている泉州弁なのだが、生活の中で、とても暖かくて優しい言葉でもあるわけで、決して一方的に「汚い」とか「品がない」とか言うのは止めようではないか。

 兵庫県知事が再三にわたって、同じNHKの大河ドラマ「平清盛」について、映像描写が「汚い」とか瀬戸内海はもっと美しいのに暗くて汚いとか批判しているというのだが、昔昔のその時代に果たして、明るく美しい現在の風景や日常がどれほどあったのかと想像するのだが、決して意図的に暗く汚く描こうとしているのではなく、時代考証的にドラマの脚本と共に出きるだけ史実やその当時の現実に近い映像を描こうとしているのではないかと思う時に、一方的にやはり「汚い」、「暗い」と批判するのは如何なものかと思っているのである。

 何事にも、その地域や人々の暮らしや現実があり、また演出や描き方を何を大切にするかなどの価値観とでも言うべきコンセプトや方針があるのだろうと思うので、むやみやたらに批判だらけで放言するのはほどほどにした方が良いのではと思っている。

 それにしても泉州弁とは言わないまでも、子どもたちの「ピアノこうて」は、とっても素敵な大合唱であり、大好きなフレーズである。
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「西山事件」のドラマ化

2012年01月23日 | テレビマスコミ
 TBSテレビで始まった「運命の人」というドラマは、山崎豊子の最新作が原作で大ベストセラーとなった、1971年に実際に起きた「西山事件」、すなわち、毎日新聞記者が当時の大きな政治課題であった「沖縄返還」の政治的舞台裏で、交渉相手であるアメリカとの間に、国民には決して知らされない「極秘文書」が存在していて、その最高機密文書のコピーを西山記者が外務省の当時の女性職員から受け取って「密約疑惑」として報道した後、政府の頑な対応に業を煮やした記者本人が、当時の社会党代議士にそのコピー文書を手渡し国会での追及に及び、その極秘文書の存在と漏洩が明らかになり、西山記者と女性職員が秘密漏洩の罪で逮捕、起訴されるに至った事実に基づいたドキュメンタリー的ドラマである。

 山崎豊子が史実に基づいて取材し、一応フィクションの如く書いた小説が原作とは言え、過去にも「大地の子」をはじめ数々の事実を基に記した作品のドラマ化や映画化が話題になっているが、いずれもテレビドラマとしての高い評価を得ている場合が多く、今回も期待しつつ、日曜劇場としての放映枠の時間では観られない場合もあるので録画したものを観ることとなった。

 まだ初回と第二回が終了しただけなのだが、西山記者をモデルにした主人公、政治部記者・弓成亮太を本木雅弘が演じ、その弓成に秘密文書を渡す外務省職員の三木昭子を真木よう子が演じていて、その周辺の関係するキャストもなかなかの布陣で、見応えのある作品となっていると思われた。

 しかし、この事件は沖縄返還の年1972年前後が舞台となっているので、今年で返還40周年を迎える沖縄県にとっても、日本政府にとっても、相手国であるアメリカ合衆国にとっても、時が経っていることで、多様な憶測ではなく史実と共に、政治の表舞台とその背景に潜む真実を暴こうとした、一人の政治記者と「国民の知る権利」などを背景に、裁判となった事件だけに、当人の西山記者はその後毎日新聞を退職し、有罪判決を受け故郷の実家の家業を手伝うという人生を送られ、外務省職員だった女性も有罪判決後、男女のスキャンダルな事件として話題となったために、離婚されたという事実もあった様である。

 この事件は「国家公務員法違反」という有罪判決で決する裁判となったのだが、毎日新聞の西山記者本人と共に、当時のライバル紙であった「読売新聞」の政治部担当記者として登場する、作品では「読日新聞」の山部一雄記者のモデルは、なんとあの「ナベツネ」こと、渡辺恒雄であり、今から40年前の事件とその背景とはいえ、現在の西山氏と巨人軍騒動でまたもワンマンぶりを発揮しているナベツネ氏の人生の分岐点でもあったと思われる。

 いずれにせよ、テレビドラマではあまり本木雅弘と真木よう子の不倫関係とその肉体関係などは描かれてはいないのだが、私はこの事件の本当の真相よりも、そういうスキャンダラスな男女関係がともかく注目されてしまって、肝心な「日米の密約」や「沖縄返還に関する多大な日本政府の財政的見返り負担、すなわち沖縄を返してもらうために払った代償の多額だったことなどがかき消されてしまった上に、その翌年に、なんと表舞台のドンであった、当時の佐藤栄作首相が「ノーベル平和賞」を受賞したというノンフィクションが忘れられないのである。

 つまり、新聞だけではないがテレビ、週刊誌も含めて、多くのマスメディアが、本当の真相や事実を報道しようとすれば、大きな障害や「飛び矢」が跳んできたりする場合もあるし、新聞記者や国会議員、またはその関係者に至るまで、身辺に危険が及ぶ様な恐れを感じることもあると思われるのである。

 全く舞台は違うし、このような事件とは比べようもない私の経験なのだが、私の地方議員としての16年間の活動の中でも、ささやかではあったが、行政の不正や事実に反する答弁や証拠の改ざんなど、どうしても可笑しいと思う様な証言や、中には匿名の情報なども電話や手紙でいただいて、その裏を取るという側面は難しいけれども、「疑惑」として質問したり追及したりしたことが何度かあったのである。

 その過程で、ある問題に関しては、とある議員から「内容証明」付きの文書で攻撃されて、再度この問題を机上に上げれば、名誉毀損で訴えると脅されたり、また別の問題指摘では当該団体の幹部が何度か訪ねて来られて、始末書まがいの文書で「詫び状」の様な文章を出さねば許さないと言われたり、家族に何が起きても知らないと脅されたこともあった。

 今だから話せる面もあるのだが、一地方議員で政党や有力な支援団体や所属組織を持たない、いわゆる「市民派」議員として、実直に「可笑しなことは可笑しい」と指摘し、無駄遣いや前例踏襲の行政姿勢や習慣に対してメスを入れようとするだけで、抵抗勢力とでも言うべき、職員や組織から強い反発を受けたり、脅迫染みた言動を受ける羽目になったのであった。

 新聞記者や議員として「行政の矛盾や疑惑」を正すという仕事に没頭してしまうと、突然大きな障害や壁にぶつかることがあるというのは、誰でも想像がつくことだと思われるのだが、実際の日々の取材や問題意識の中で、「取り上げるべきか否か」を判断する基準がだんだんと鈍って来たり、「君子危なきに近寄らず」となってしまっては、元も子もないのである。

 この「運命の人」のドラマでは、今後どの様にこの二人だけでなく、真実の報道や裁判を通しての「公務員の秘密遵守」などの問題が、どの様に描かれていくかを見守りながら、決して権力や大きな脅しに屈せず、堂々と報道し、国民の知る権利の一端を知らしめる新聞記者たちの魂と心意気を感じさせる主人公の言動などに期待するところである。

 現在、アメリカ合衆国では、沖縄返還交渉での秘密文書が公開されているし、民主党政権となって岡田元代表が日本の公文書についても、30年を経たものは全て開示すべきと定めたので、日米間に「裏取引があった」という事実はほぼ立証されているのである。

 

 
 
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「ママランチ会」

2012年01月22日 | イベント
 今日、ある年老いたご夫婦と共に月一のお出かけで、その方の自家用車の運転手としてお供して、健康のためのある施設へと車を走らせた。

 だいだい一ヶ月に一度のことなのだが、行き帰りに各々約一時間近くかかるので、車の中でいろんな話題をご年配のご夫婦の世代と生活スタイルの違いなどを気にしつつ、今時の若い人たちの生活や実情に近いことを、お喋りできたらと思い多様な話題を楽しく話続けてるのであった。

 今回は、何故かご夫婦のご自宅のテレビが、昨日急に映らなくなったとの話があり、って、まさかまだアナログテレビしか受信しないテレビということではないだろうが、目的地での用件を済ませて帰ったら、私でわかることかも知れないので、拝見しましょうということになった。

 数時間後にご一緒に帰宅し、お宅のテレビのリモコンを持って電源を入れて見ると、ちゃんと映像も映るし音量調節も可能で、何事も問題ではなく、リモコンを見てて気づいたことなのだが、たぶん電源のすぐ下にある「オフタイマー」というボタンを押されてしまったらしく、途中で突然映像が切れてしまったのではないかという原因だと推察できた。

 ついでに、現在のテレビのリモコン操作について、私が知っている数点の便利な機能について説明しつつ、せっかくの新しいデジタルテレビなのだから、便利に楽しくご覧になれる様にと少しアドバイスをさせていただいたのであった。

 昨年の七月中旬だったと思うが、従来のアナログテレビが観れなくなるという、一種の脅迫がまして「ジデジ化」の波で、わが家のテレビも新装されて、いまや家内は内臓されたHDDシステムによる、簡単録画の機能を最大限利用して、今春に始まった週一のテレビドラマの初回をほとんど全て収録し、初回を観たらドラマが面白いか否かがだいたい推察できるのでとのことで、従来のビデオの出し入れや収録時間の少なさを気にせずに、どんどんと録画しているらしい。

 とにかく、年老いたご夫婦にとって、そうした機器の使用や、新しい情報を得てやってみるという機会がほとんどないので、せっかくの新型テレビなのに、十分にその機能を生かして楽しんでおられるという状況ではない様であった。

 そんな話から携帯電話やスマホ等のインターネット接続可能な端末機器に至る機能や、その利用料金などについても、ほとんど使用されていないのに、毎月たぶん貯金通帳から自動振替で落ちている出費があるのではないかという話にもなった。

 話は関連してはないかもしれないが、最近よく見聞きすることなのだが、サラリーマンなどご主人が外で働いておられる普通のご家庭の主婦たちの話になり、ご主人は毎日会社や仕事場へと出勤された昼間だが、お子さんたちが幼稚園や小中学校などに通学されている場合に、その子どもたちがいない時間帯、つまりお昼食時に「ママランチ」をよくされているという現実の話となった。

 ご主人にとっては昼食時に、できるだけ安い「昼飯代」との思いもあって、安価な日替わりランチや、牛丼チェーン、またはワンコインランチなどと、せいぜい500円から1000円までのランチ代で済まそうとされている場合が多いと思われるのだが、一方の奥さんたちは毎日ではないとしても、グループや友達を誘っての「ママランチ」に結構出費をされているらしいのであった。

 私の住む郊外都市の北部住宅街、その中心を通っている幹線道路の両側に、たくさんの「食」の店があり、セルフサービスの「讃岐うどん」から、ちょっと高級感も漂う「パスタ」や「食べ放題のお肉」を売り物にしている店まで、各種のレストランが並んでいるが、そうした食の店が商売として続いている背景には、やはり「ママランチ」だけではないが、世の奥様たちの貢献度が大であることは間違いない感じである。

 ある中学生の男の子と小学生の女の子を持つ、若きママは日頃の家事の疲れや御主人への不満などのストレス解消?もあって、週に二度か三度は近くのレストランで「ママランチ」をするというのである。

 まさに、「鬼の居ぬ間の洗濯」ではないが、「夫と子の居ぬ間の贅沢」とばかりに、たぶんご主人の知らない、ちょっとおしゃれなランチを、ママ友たちと楽しんでおられる様である。

 世の中は未だに不況ムードのままではあるが、普通の家庭の主婦たちの中には、しっかりと家計の無駄を省いて質素に倹約に努めて、子どもたちや夫のためにも経済的な食生活や日常の出費を抑えた、賢明な「良妻賢母」を地で行く方もおられると思われるのだが、どっこい世間にはそうではない「ちゃっかりママ」も多いというのである。

 つまり、多くのレストランや小じゃれた食べ物屋さんが、それなりに流行っている現状を支えているのは、こうした住宅街では間違いなく「奥さんたちのネットワーク」であり、情報交換と共にお時間を有意義につぶすという利点も伴った「ママランチ」に拠るところが大きい様である。

 世の中、やはりママさんたちのパワーとマネーで、どっこい動いていると言った感じが強い昨今なのだが、年老いた方々にとっては、有意義なお金の使い道や、有効な電気機器などの機能や使い方が十分には浸透していない現実もあると思われるので、おせっかいかもしれないが、一度お知り合いやご近所のうお年寄りたちをサポートしてあげたらどうかと思う半日であった。
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