ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

跳んだ!激突。見えた!

2006年03月30日 | とんでもない!
 3週間前に市役所の階段から「見る前に跳べ!」と思ったわけではないのだが、私は突然跳んで墜落し激突してしまったのである。

 慌てていたわけでもなく、議会フロアのある5階から4階に下りている途中に、突然跳んだのである。定例本会議の一般質問の3日目の昼やすみだった。

 同僚議員と議員控室で少し雑談し、「健康のためにもエレベータを使わず階段の上り下りを心がけている。歩ける時には歩かないと日頃の運動不足は解消できない」などと話した後、同僚議員はエレベーターで階下に降りたのだが、私は書類を少し持って階段をゆっくりと降り出した直後であった。

 何かに躓いた感じも無かったが、ともかく前傾姿勢で勢いよく跳んで途中の小さな中間フロアの鉄柵に左前頭部から激突し、たぶん体はぐねって辛うじて止まったのである。

 幸いか不幸か、前後に階段を利用する人がなかったため、救急車出動にならなかったが、私自身はその場に痛さと驚きで暫くうずくまっていたが、止むを得ず前頭部と腰に痛みを感じながら、跳んだ拍子に飛んだメガネを拾い、激突した時に自分のポシェットから、カラン、コロンと階段を数段転げ落ちた朱肉ケースを階下の階段に見つけて拾い、一階フロアまで足を引き釣りながら降りたのである。

 何とも恥ずかしいやら、みっともないやらの思いを抱きながら、自分の車に乗ってバックミラーで前頭部が赤く染まっているのを確認し、とりあえず外科に行かねばと、体の痛みをこらえながら自ら車を運転して、自宅近くの親しい病院へと向かった。

 途中、家人に携帯電話で連絡を取り、階段から落ちたことと病院に今から行くことを告げ、病院の診察が昼休みだが可能かを確かめた上、再度健康保険証を持参して病院に来てくれるよう妻に依頼した。

 しばらく呆然としていたが、診察室で頭の治療と自覚のあった左腰の痛みを訴えてシップ薬を貼られて、二三日様子をみることとなった。

 翌日と数日後、再度受診しても、医者はガーゼの交換とシップを貼り換えて、「どうですか?」と聞くだけだっので、痛みを具体的に訴えてレントゲンを撮ってもらい、やっと1週間後に頭部の写真を三枚撮影してもらった。

 その後、幸いにも痛みは腰、肩、頭と少し強く感じたりもしたが、間違いなく骨折もなく打撲の加減も軽く、日々議会活動を少し痛みをかばいながら続けてこれた。

 昨日、長期間の今議会が終了し、「跳んだ日」からメデタク3週間が経過したので、ようやくブログに報告することになったが、この「跳んだ事件」は打ち処が悪ければ重傷を負っていても可笑しくない程の「まさかの転落」だったのである。

 「命拾いした」と言えば大袈裟に聞こえるが、ほんと今から思うと不思議なぐらいの軽症で済み、私自身は「奇跡的な軽傷」だったと喜んでいるのである。

 誰も突然、階段から跳ぶことなど予測できないのは当然だが、「見る前に跳べ」ではないが、この事件を通して大きな示唆とラッキーな恵みを与えられた気がしている。

 突然跳んで、墜落し、激突した事故に遭遇し、いろんな「気づき」があり、感謝せずにはいられない心境に至っている。

 大江健三郎の小説「見る前に跳べ」ではないし、豊田勇造の曲「ある朝、高野の交差点付近を兎が跳んだ」でもないが、何かが見えてきたのである。
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多様性が重要だ。

2006年03月29日 | 日本の課題
 三月はじめの朝日新聞に「カルロス・ゴーンさんから、あなたへ」と言うコラムが掲載されていて、その記事の内容に私は共感を覚えたので、コピーをして友人達との会話や議論の前後に読んでもらいたいと差し上げている。

 決して私の提言ではないのだが、だんだんソシャクされてきて、如何にも私自身の提言や意見の様に他人に話している自分がいて、こんなに的確に今の私が言いたいことを語ってくれるのが、現在日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)のカルロス・ゴーン氏であることを嬉しく感じているのである。

 そのコラムの表題は「多様な意見交わしてこそ価値は生まれる」であり、日本人の集団は、あらゆる課題に対して全員が意見を戦わせずして賛同するケースが多く、それが「完璧な和」だと思ってはいないかと問うている。

 そんな状況は、メンバーに多様性がないか異論を唱えのを恐れているからで、討論と議論の健全な対立が現状を把握し、最善の解決策を導くために不可欠だと、氏は強調している。

 重要なのは多様性なのに和を重んじる日本では「権力に従う文化」があり、日本人のDNAには利害を優先したり、沈黙を美とするような価値観まであると指摘されています。

 仲間同士や気楽な場では、いろんな意見や文句が出ていても、上司や先生が部屋に入ってきた途端に、それまでの論議がピタリと止むことが多く、もどかしい限りだと言うのです。

 「目立つな!周囲に溶け込め!」という自衛本能みたいなものが日本人には働いているようで、ゴーン氏には妨げだと思われると主張されているのです。

 多様性豊かな市場に対しては異なる経歴の人たちからなる、様々な視点が
実効性のある解決策を生むのです。

 イエスマンや、おべっか使いは、自己満足と慢心のみを助長しがちですが、疑う者は新しい価値を生み出せると語っているのです。

 欧米では議論は活発でも、コンセンサスに導くのが難しいですが、グローバル経済社会の中で働く現代では、日本人の先輩と欧米のやり方の板ばさみになることもあるが心配は無用で、むしろこの時がチャンスだというのです。

 それぞれに長所と短所があって両方の最良を組み合わせれば、大きな価値を生み出すことが出来るとカルロス・ゴーン氏はコラムを結んでいます。

 さすがグローバルな視野での国際的な経営者だと感心しました。

 日本社会では、行政も企業も目立ちたくない公務員や社員が大半で、自分の意見や価値観、提案などを表現もせず、長いものに巻かれていることで事なかれ的に継続、維持させようとする「和」を大切にしている限り、新しいステップやジャンプが出来ないのです。

 多様な意見を大いに交わして新しい価値を生み出すために、どんどん異論を唱え様ではありませんか。

 家庭、会社、地域で、連れ合いや親、兄弟、友や仲間、上司とも、遠慮せず健全な対立<Healthy Conflict>を展開して、現状を把握し最善の解決策を導くために不可欠な議論を大いにやらなければなりません。

 議論もない、なぁなぁの「和」は組織や社会をダメにしてしまいます。
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タバコの分煙と女性の喫煙

2006年03月28日 | 感じたこと
 ここ数年で全国の公共施設や交通機関の駅などでも『全面的な禁煙』が実施されるようになって、私自身も全く喫煙しないので少し居心地がよくなったと感じている。

 市役所も昨年から全庁禁煙にはなったが、市職員も議員さんもタバコを止められない人が多くて、来庁者用の喫煙ルームはほとんど人がいないのに、職員用の狭いプレハブ的喫煙ルームはいつも満員の盛況で、外から時々見ると何と「暇な職員が多いのかな」と思うほど、白煙をお互いに吸いながら雑談の花を咲かせておられるみたいである。

 数年前、埼玉県の自治体へ議会の常任委員会の視察研修で行った際に東武東上線と記憶しているのだが、議会事務局の職員が喫煙者だったため、一行8名全員を6両編成の秩父行き特急の唯一の「喫煙車」の座席指定で用意されたことがあった。

 池袋駅で、まだ発車していない特急の喫煙車両に乗り込むと、何と「タバコを吸いたい人ばっかり」の車内のため、発車前からモクモクとタバコの煙が白く充満していて、私はびっくりして隣の禁煙車両に逃げる様に移動した経験がある。

 このご時勢なのに、まだ自分の喫煙習慣の視点からしか、団体行動のチケット購入を全て「喫煙車」とした事務局員の対応に驚きと共に、個々人の「喫煙、非喫煙」の確認をしてからの対応にと厳しく要望したのである。

 昨今は喫煙者には肩身の狭い世の中に、どんどんなりつつあると思えるのだが、特にモノ言えぬ幼児や子ども達にとっては、この間接喫煙の公害は大きな影響があると思われるのだが、間接喫煙防止法なる法律が制定されても、巷の公共的スペースでは、喫煙、非喫煙の分煙がされているところが少なくない。

 一応、喫煙コーナー非喫煙コーナーとされていても、全く換気や隔たりがないために、喫煙者の排煙が容赦なく舞い込んで来る非喫煙コーナーもたくさんあるのである。

 今日も、駅前のセルフサービスの気のきいた喫茶店で、私は非喫煙コーナーにいて資料や新聞をコーヒーを口に運びながら読んでいたのだが、何の隔たりも無い喫煙者の席からモクモクと排煙が流れてきて、花粉症と少し風邪気味の私の喉を刺激して、何度も咳き込んでしまったのである。

 それにしても喫煙者は、何故にああも気づかない人が多いんだろうかと思うくらいに、周りの人の様子にお構いなくタバコを吸うことに夢中になるのだろうか。

 特に最近は若い女性の喫煙者がやけに目だっている様に私は感じていて、老婆心ながら若い女性の将来の妊娠、子育てなどに悪影響がないかと心配せずには要られないのである。

 どうか喫茶店や利用客の多い場所の管理者にはしっかりとした分煙をお願いしたいし、喫煙者にはもう一度、周辺の非喫煙者や乳幼児、子どもへの配慮をお願いしたいものである。
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ゴミを減らそう!

2006年03月27日 | 日本の課題
 日本国中、何処に住んでいてもゴミ処理問題は多難かつ将来に向けて真剣に考えねばならない課題であることに間違いはない。

 毎日の一般家庭から出されるゴミの量は、一人当たり一日500gから1キロ程度であるのだが、これがまさに「チリも積もれば山となる」であり、全国中の自治体がゴミ処理問題で悩んでいるのである。

 わが京田辺市も、ゴミ減量化推進委員会や行政の環境衛生部門である「甘南備園」と称するゴミ焼却場とリサイクルプラザと最終埋め立て処分場「碧水園」を中心に、ゴミ収集、処理、焼却、リサイクル、リユースなどに奮闘されているところである。

 私も一市民として、また市議として、わが市のゴミ処理計画に、前述のゴミ減量化推進委員や環境市民パートナーシップ会員として、また議会では建設経済委員会のメンバーとして、多種多様な角度からの質疑や提案を通して、何とかゴミの減量化への妙案はないものかと模索しているのである。

 今日は、わが市のゴミの最終処分場である、京田辺市環境衛生センター「碧水園」(一般廃棄物最終処分場)の運営審議会が開かれ、説明と現場視察、また質疑を行ったのである。

 埋立容量62000㎥の施設が約6年前に完成し、埋立期間15年の予定で使用され出したのだけれど、プラスチックゴミの処分がチップ化し業者へ搬出されたり、焼却炉の助燃材として焼却炉で燃やされてしまうことになり、埋立処分されるものは、陶器やガラス、不燃金属としてのプルトップなどと川さらえなどを行った際の溝土と覆土等に限られたため、年間でも1500㎥程度となっている。

 すなわち、この状態だと予定の3倍近く長持ちしそうで、一見結構な様にも思うのだが、ごみ焼却炉の焼却灰はフェニックス計画などと言う名の「大阪湾への埋立投棄」をしているし、プラスチックゴミも「サーマルリサイクル」とやらの燃料化で誤魔化されているのである。

 ゴミの3Rと言われる「循環型経済システム」を目指す、リデュース(排出抑制)、リユース(再使用)、リサイクルと言う理想の「ゴミにしない、ゴミを出さない」工夫や技術の導入、それ以前の無駄なものを購入しない、また自然に還元されないものを作らない、売らないと言った「元から絶つ」考えや試行が、まだまだされていないのである。

 この私達が住む「地球」を私達現代人が、特にここ50年間で、取り返しのつかない位、汚し、ゴミだらけにし、まだ汚染し続けているのである。

 CO2の削減だけでなく、地球の自然環境と生態系に負荷となる物質やゴミの排出を極力減らして、将来も住み続けることのできる地球を保全する責任が、私達現代人にはあるのである。

 便利やかっこよさ、また効率や見栄ではなく、自然界の一員としての人間の生活を見直して、不必要な物を排し、大切な自然を大切に保全していくことが、一番の私達の使命ではないだろうか。

 次代を生きる子ども達、孫達と共に、世界にアッピールした「京都議定書」の少なくとも目標達成への努力とゴミ減量化への知恵と工夫を続けようでは有りませんか。
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日本の国技って何だっけ?

2006年03月26日 | プロスポーツ
 さて大相撲春場所が終わり、幕内最高優勝はモンゴル出身の横綱「朝青龍」が同じくモンゴル出身の「白鵬」を優勝決定戦で破って16回目の大賜杯を獲得したのである。

 下馬評でもモンゴル、ブルガリア、グルジア、ロシアなどの外国出身力士の名前ばかりが優勝への可能性ある力士として上げられ、唯一「栃東」だけが日本人力士としては実力と共に、横綱への期待をこめて名を上げられていたに過ぎなかった。

 琴欧州、黒海、露鵬、赤青龍、安馬、時天空、旭天鵬、白露山、旭鷲山と実に、優勝を争った朝青龍、白鵬を含むモンゴル勢が実に7名とその他欧州勢が4人と、幕内力士の42名中の約1/4強が外国人なのである。

 今場所は優勝の朝青龍だけでなく、準優勝、技能賞、敢闘賞、殊勲賞の三賞も全てモンゴル勢に取られてしまい、十両でも外国人力士が全勝優勝していて、日本の国技としての面目丸つぶれといった感なのである。

 しかしWBC、世界野球クラシック大会では、韓国との熾烈な戦いで一次、二次とも負けた王ジャパンだったが、メキシコが頑張りアメリカヲ破ってくれたお陰で奇跡の準決勝進出が出来て、三度目の正直で韓国を6-0で破って、決勝に進出し、アマチュア野球ナンバーワンのキューバに10-6で快勝し、第一回の野球世界選手権で世界一となったのである。

 国技と言われる大相撲では、モンゴルや欧州の国々のお相撲さんに、先場所の栃東を除き、負け続けている日本人なのだが、野球発祥の地と言われるアメリカの国技的スポーツのひとつである、野球においては日本がアメリカなどの敗退を尻目に世界一となってしまったのである。

 どちらが日本の国技なのか。モンゴルにもモンゴル相撲があるので、蒙古族にとってはスタイルこそ違うが、相撲はモンゴルの国技でもあるのだが、長い日本の国技としての伝統は、今や風前の灯の感があるのは否めない。

 ベースボールは、日本に伝わって100年近くが経ち、アジアでは敵なしと思われていたが、今回の一次、二次リーグでは「韓国」に惜しくも二連敗し、イチローに言わせれば、屈辱的な負けを喫して、一時は立ち直れない位のショックを受けていたのだが、神様のいたずらか、それとも実力のなせる業かは知らねど、奇跡的な失点率なるマジックのお陰で、準決勝へコマを進め、宿敵「韓国」とキューバを連覇し、歓喜の世界一に輝いたのである。

 「野球の神様」がおられるとしたら、「相撲の神様」もいたはると思うのだが、どちらの「神様」が悪戯なのか、おっちょこちょいなのかは知らないが、とんだ勢いで、「日本の国技は何だったっけ?」と言うしかない「ねじれ現象」的結果になっていて、驚くやら嬉しいやら複雑で、しかもちょっと変な感じでもある。

 いずれにせよ、プロスポーツは、勝ってナンボの世界である。

 大いに体と精神を鍛えて、ハングリー精神を失わず愉しんで、ぜひ勝っていただきたいものである。

 がんばれニッポン! 大相撲もプロ野球も。国際的スポーツとして・・・。
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手をつなごう!

2006年03月25日 | 感じたこと
 「ててつないで」と四歳の孫が言う。手をつなぐと安心できるらしい。

 昨夜の「探偵ナイトスクープ」で12歳の女の子からの依頼で、「手をつないだら愛が生まれますか?」というのがあって、まこと探偵が町に出て、いろんな女性、男性にいきなり「手をつないで歩いてくれますか」と頼みこんで、しばらく他人同士が歩いてみるのである。

 30代の既婚の女性は、しばらく彼と手をつないで歩いて、「とっても親しみを感じられるようになった」と感想を述べていました。

 若い女性は、最初とつぜんの願いに「いやです」と拒否したのですが、頼み込んで手をつないでしばらく歩いてみたのだが、「何か違和感があります」の連続だった。

 しかし、犬の散歩途中の30代と思われるご夫婦にお願いしたところ、奥さんとまこと探偵では少しぎこちなく、ご主人が後ろからついてきたこともあって、やはり不自然に感じられた。

 その後、ご夫婦に手をつないでもらって歩いてもらったところ、やはり「しっくり」と愛情を感じられる様子になったのである。

 有名な俳優さんだが中高年になっても寝る時は必ず奥様と手をつないで眠るというご夫婦のお話をされていたことがあったが、その時は珍しい夫婦もいるもんだな、と思っていたのだが、いくつになっても「手のぬくもり」を感じられるのはいいものである。

 そういえば彼と彼女が出会って、最初に試みるのが、「手をつなぐ」ことではないだろうか。相手の手のぬくもりや冷たさを感じて、ドキドキする、あの感動、興奮は若さもあるが、独特の経験である。

 やさしく握る「手をつなぐ」もあるが、たまには強く握って反応を確かめたり、喜びや悲しさを伝えたり、伝えられたり、強弱だけでなく、指を絡ませての「手をつなぐ」もあって、これはより親しさを感じたり愛情を感じるものである。

 いずれにせよ孫の要求の「ててつないで」に素直に応えて、小さな手を握って歩けることは最高の幸せでもあり、愛を感じられるのである。

 たぶん12歳の女の子は「手をつないで歩けば愛を感じられるようになる」と言う体験を、まだしていないようだが、これからの成長過程で淡い初恋を経験し、「手をつなぐ」ことに、一生懸命になる時が近いうちに来るだろう。

 みなさん忘れかけていた彼女や彼と恥ずかしがらずに、手をつないでみようではありませんか。きっと幸せな風と共に愛が蘇ってくることでしょう。
 

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背が高くなっちゃった。

2006年03月23日 | ガリバー旅行記
 「ガリバー通信」をお届けしている私自身のことだが、子どもたちとの遊びの活動を通して、あだ名・ニックネームが「ガリバー」となって以来、私は「ガリバー!」と多くの子ども達や友人、知人から呼ばれるようになったのである。

 子ども達には、「態度がでかくて、声がでかくて、背がでかい」から「ガリバー」だと、いつも冗談の様に言っているが、ずっと前に小学校の運動会に子どもたちの様子を見に行った時のことである。

 親しい小学二年生の子どもが「ガリバー、写真撮ったるわ」と言って、父親から借りたと思うフィルムカメラで、僕を撮影してくれたのである。

 数ヶ月経って私自身、そのことを忘れていたのだが彼の母親に出会い、「ガリバーさん、息子の撮った写真です」と一枚のスナップ写真をいただいたのである。

 その写真には確かに私自身が写っていたのだが、子どもの目線から見上げた私自身の体は上半身だけが写っており、約2/3は運動会当日の青空が写っていたのである。
 
 なるほど小学二年生、たぶん120センチ位の背丈の子どもから見ると、私の182センチの長身は、こんなにも高く威圧的に見えるものなんだと、不思議と感動と驚きを覚えたものであり、「ガリバー」というニックネームに改めて納得したのであった。

 私は戦後のベビーブームの落とし子、団塊の世代の一人だが、誕生時の身長は定かではないが体重は1800グラムの小さな男の子で、現在なら未熟児として保育器の中で生育を待つかも知れない小さな赤ちゃんであったそうだ。

 しかも二卵性双生児のカタワレデ、母親に言わせれば妹の誕生後30分ほど経って、「おまけ」の様にこの世に誕生して来たらしいのである。

 その小さな「おまけ」の赤ちゃんが、すくすくと成長し182センチもの長身の男の子に成長したのには、いろいろな秘話があるのである。

 と言っても明治生まれの父親が173センチ、大正生まれの母親が162センチありDNA的にも身長が伸びる要素もあったのだが、食べるのが精一杯の戦後の時代に、小学校の学校給食時に、「出しじゃこ」を毎回10匹ほど持参して食べ、給食の脱脂粉乳とコッペパンの残りも食べていたのである。

 極めつけはの秘話は学校から帰宅して、おなかが空いた時に食パンでもあれば、マーガリンを塗って砂糖をまぶした美味しいおやつにありつけたが、何もない時の空腹を癒すために、その当時の整腸剤として家庭にあった「エビオス錠」を30錠から多い時には50錠ほどを噛み砕いて食べていたのである。

 まさに今思うに、「整腸剤」が「成長剤」と化したのである。

 小学6年生で156センチ、中学3年で15センチ伸び171センチとなり、高校時代に7センチ伸び179センチ、そして何と大学入学後も数センチ伸びて182センチとなったのである。

 未熟児で生まれ、幼児の時代に二度ほど生命の危機にさらされる病気に見舞われたが、成長剤と出しじゃこ、牛乳のお陰で「ガリバー」と呼ばれる大男になったのである。

 成長剤よ、ありがとう。こんなに背が高くなっちゃったよ。

 
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もったいない!

2006年03月22日 | 世界の問題
 京都議定書の発効を記念した昨年の京都集会に、ケニアの環境副大臣である、ワンガリ・マータイさんが毎日新聞社の招きで来日し、「もったいない」の精神の大切さを世界にアッピールしたのである。

 1940年生まれの66歳とは思えぬ、元気で明るく存在感のある女性で、会場に登場されただけで、異彩を放つと言っても過言ではないほどのオーラの持ち主でもあった。

 彼女は国の派遣の留学生として、アメリカの大学に学び、修士号を取得した秀才でもあるが、ナイロビ大学で東アフリカ女性最初の博士号をも取得し、77年には、非政府組織「グリーンベルト」を創設し、81年から7年間、ケニア女性評議会の議長を務めたのである。

 2002年に圧倒的得票率で国会議員に選出されて、キバキ政権下で環境・天然資源副大臣に任命されたのである。

 2004年には、環境分野で初めてのノーベル平和賞を受賞し、2005年に環境副大臣に再任されて、今日に至っているのだが、先の冬季オリンピック大会、イタリアのトリノの開会式では旗手も務められたらしいのである。

 ケニア山に近い農家に生まれて、カエルや鳥が大好きなおてんば娘だったのだが、自然の恵みに感謝し、自然を大切にする心が「もったいない」という日本語に凝縮されていると知って、環境を守る行動を起こさせる言葉として、「MOTTATNAI」を世界中に広めているのである。

 博士号を有する政府要人ではあるが、隣のおばさん的、親しさと気楽さがあり、威圧感や権威的なところは微塵もないのである。

 祖国では、農村の貧しい女性達と共に、三千万以上の木を植えて、資金、技術、教育を提供し、活動は女性の地位向上を含む、ケニアの民主化運動に繋がり、独裁的だった前政権下では、度々逮捕され投獄されても屈しなかった精神の持ち主である。

 「平和のためには、資源を適切に管理する良い政府が必要」と説き、男性が考えるのは、今日とせいぜい明日。それに選挙と権力のことばかりと言い、女性は植林を通じて、子ども達の未来について考えていると話すのである。

 再度来日したマータイサンは、各地で市民と交流し、行く先々で熱烈な歓迎を受け、日本経団連での講演では、ペットボトルから作られた風呂敷をスカーフがわりに首に巻いて、「これぞ日本の産業界のマジック」と讃えたそうで、「環境を守るための知識や技術力を世界に広げて」と産業界にエールを送ったそうである。

 明るく屈託の無いアフリカのおばさんが、「もったいない」を合言葉に、世界の環境問題に、積極的に発言し、多様な提唱をしている行動に共感し、我々日本人も「もったいない」の原点に立ち返って、地球環境保全に積極果敢に挑戦しようではありませんか。
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自然農に戻ろう!

2006年03月21日 | 日本の課題
 今日は、「自然農・川口由一の世界・1995年の記録」と題する長編記録映画を鑑賞し、本人のお話も伺った。

 「賢治の学校」の鳥山敏子・グループ現代が製作された上映時間2時間33分に及ぶ作品で、奈良県で自然農を実践する川口由一氏と家族の一年を追ったものである。

 自然農の世界とは、自然界、生命界を損ねず、汚さず、壊さず、殺さず・・・して、持続可能な栽培農業であり、その特徴は「耕さず、化学肥料などを使わず、自然界に用意された微生物、酵素、ミネラルなどの力を生かして、人間が手伝って農産物を作る農法なのである。

 お米の生命、野菜の生命を食べて生きる私達人間は、田畑の中にいる多くの生命と共に生死を営み生死に巡って、日々平安に過ごしているのである。

 こうした平安を約束してくれる自然農の田畑では、益虫、害虫の区別なく、敵味方の別もなく生き死にし、必要なものは過不足なく用意されているので、大切なのは田畑の表面を耕さないことなのです。

 しかし現代の農業は、多種多重の化学肥料、農薬の開発、使用、多量のエネルギー消費、大機械化農業、大地から離れての水耕栽培や工場での野菜栽培、さらに遺伝子や染色体を操作しての新品種の開発、また培養、増殖させての利用等、人間の都合や経済優先の判断から、生命誕生までに手をかけてしまった化学農業へと大変化しているのです。

 早くから化学農業の栄えたヨーロッパでは、その弊害が顕著にさまざまな形で現れて、一部の人たちが、その誤りと行き詰まりに気づきはじめ、有機農業の思想哲学が生まれ、実践法が見出されました。農業での化学離れの始まり、化学肥料、農薬を使わず、有機質肥料を使用する農業を確立しつつあります。

 自然農は今日生じている多くの難問が生じぬ、生命に危機を招かない、まさに継続可能な循環型農業なのです。

 大切な自然界の生態系や生命の循環を無視した農政は、農と農民を軽んじ、生命を大切にする農本来の心を見失わせるばかりか、化学農業、大機械化農業、ハイテク・バイオ農業は生命存亡の危機を抱き込み、精神の荒廃を招き、魂を曇らせ、心を病ませ、生命を衰えさせて、病気に陥り、不安を抱かせます。

 自らの気づきと目覚めによる、ひとりの人間としての感性からの変革が必要だと川口由一氏は熱く語っておられました。

 自然の移ろいの中で、多くの微生物をも含む生命の循環に身を委ねて、土の力を信じて、耕さずに、草や虫たちをも味方として、共に育む「自然農」の魅力は、奥が深く、教育、医療、福祉、過程、人生に通じる哲学でもあり、政治の場でも生かせる哲学だと感じました。

 会場で自然農により収穫されたお米で握られた「おにぎり」を食しましたが、素朴で味わい深い、美味しいおにぎりでした。

 人間も、もっと自然に還れたら自然界の中で、自然農で収穫された農産物と共に自然に生きられるのではと、改めて考えさせられました。

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真贋論争の決着

2006年03月20日 | 世界の問題
 やっと収まった様子だが、民主党の永田議員が追及の根拠として使用した「偽メール」事件の決着は、本人の国会懲罰委員会での処分で終了するらしい。

 しかしである。この「メールの真贋」を巡っては、約一ヶ月以上、大切な国会論議が棚上げにされて、「武部官房長官」と「ホリエモン」に纏わる疑惑も吹っ飛び、民主党と永田議員本人が、批判の的となっての大騒動となってしまった。

 私は、このメールの真贋について、マスコミも含めて大報道大会となってしまったのだけれど、覚めた見方をしていた。

 もし、これが偽メールだったとしても、昨年の総選挙における、堀江貴文ライブドア社長を、広島県の小選挙区の亀井静香氏の対抗馬として「刺客」として送り込み、自民党公認ではなかったが、武部氏は「我が友、我が息子」と持て囃して、大センセーショナルな選挙戦の、客寄せパンダ的人材として使った事実は変わらないのである。

 今回のホリエモン逮捕劇の背景に、多くの真贋を問われる事態が隠されてもいるし、総選挙においても、どちらが偽者で、どちらが本真物かは全く区別がつかない位の泥試合が各地で展開されたのである。

 昨秋の選挙で、多くの刺客や対抗馬が立候補した中で、ホリエモンは落選したが、当選した小泉チルドレンと揶揄された新人議員の中にも、真贋が問われかねない代議士もいると思われるし、杉村大蔵議員も、その一人ではなかろうか。

 何を正しいと断言し、何を偽りと断定するのかは、見る人、語る人によって変わる場合もあるが、どう見ても「間違い」と言わざるを得ないものも、政治の世界では登場するものである。

 あのイラク戦争をしかけた「ブッシュ・アメリカ」と、それに盲目的に追従した「小泉・ニッポン」の「大義名分」とは何だったのだろうか。

 もう忘れかけておられる方もいると思われるが、「フセイン政権は、大量破壊化学兵器を持っている」であり、その大量兵器が世界をダメにするので、それを抹消するためにとの立場から、アメリカはイラク戦争を始めたのである。

 しかし、「大量破壊化学兵器」は無かったと、アメリカは認めざるを得なくなり、アメリカ大統領も、それを認めたのである。

 アメリカに追従し、憲法違反のイラク派兵を、いろんな理屈で実行した、小泉首相は、「フセインがここにいないからと言って、フセイン大統領がいないとは言えない」とまで豪語して、「イラクの大量破壊兵器」と言う、「ガセネタ」を提供したUSAに、しっかりと騙されたのである。

 なのに、自分のことは棚に上げて、国会の予算委員会で、小泉首相は「ガセ」とは、「偽った情報」と得意満面で、民主党の永田議員に説明をしていたのである。

 ご自分の「ガセネタ」に基づく、アメリカ追従と、自衛隊の「人道支援」と言う名の下での「海外派兵」の決定は如何だったのだろうか。

 永田議員の入手した「メールの真贋」を、鬼の首でも取った様に問題にするのなら、「イラクの大量破壊兵器の真贋」は、もっと大変な「ガセ」をアメリカにつかまされた偽情報だったのだから、新聞一面広告でも、小泉の私費で訂正、お詫び広告でも出すべきである。

 全く茶番劇の「国会での真贋論議」は、自らの自民党と公明党の「ガセネタ」による、政策判断の過ちであり、憲法をも踏みにじる大変な失態だったのである。

 小泉よ、武部よ、民主党、永田を責める前に、自分達の行為を恥じて謝るべきである。
 
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