ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

中年がんばるプロ野球。

2008年07月31日 | プロスポーツ
 北京オリンピックが近づいたが、今夜はプロ野球のオールスター戦の第一戦が京セラ大阪ドームで開催され、パリーグの見事な逆転サヨナラ勝ちとなった。

 第一戦の殊勲のMVPは、東北楽天イーグルスの四番打者、もうすぐ40歳の山崎武司選手だった。セリーグの先発も広島カープの燻し銀、高橋建投手で39歳のベテランで好投した。

 セリーグのベストプレーヤー賞を獲得したのも、同世代の40歳、鉄人金本知憲外野手であり、2回表の初打席で星野ジャパンのエースとして期待される、パリーグを代表する、北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有投手から、ライトスタンドに打ち込んだホームランが光っていた。

 オールスターに選出された選手の中で、セリーグの好調首位を突っ走る「阪神タイガース」から、なんと「アラフォー」と呼ばれる、40代の三人男、金本とキャッチャー矢野、ピッチャー下柳の同級生トリオが選出されていて、三人とも出番があり張り切ってプレイしていたのがうれしい。

 他でも、あの元西武、巨人の四番打者としてならした清原和博選手が現在在籍するオリックスブルーウェイブで約二年間怪我と手術にあけくれてリハビリ、復帰にがんばって、後半戦の最初のゲームから一軍入りして、久しぶりの勇士を見せる予定である。

 その清原が、メジャーリーグに挑戦して、引退を決意し帰国した、PL学園高校時代の同僚で、数々の名シーンを演出したり、記憶に残るゲームで活躍した、桑田真澄投手の友情のバッティング投手で復帰にかけた打撃練習をしたと報じられ、もうすぐ41歳の「野球少年」を復活に向けて見せてくれた。

 また、中日では、山本昌投手が最年長の、もうすぐ43歳で、あと一勝で200勝という栄光に向かって、独特の投球フォームで頑張っていて、オールスター明けに、最高齢での200勝達成で、名球界入りを決める活躍ぶりである。

 まさに、今シーズンのプロ野球は、中年の星と言ってもいいベテラン選手の大活躍で、世の中年世代をも含む、中高年の野球ファンを魅了し、励ましてはいるが、ひとつ残念なのは、球界最年長投手である、横浜ベイスターズの元巨人、西武の工藤公康投手、45歳の不振である。

 いずれにせよ、これほどまでも40歳前後のベテラン選手が活躍するシーズンは、後にも先にも無いのではないかと思えるほどのペナントレースを髣髴させる様な「オールスターゲーム」の第一戦であった。

 明日の第二戦は、横浜スタジアムだが、ぜひ中年プレーヤーの華麗でベテランらしいプレイの数々を見せてほしいと願っている。

 健康長寿の国ニッポンの象徴でもあり、オリンピックにも馬術競技に70歳近い選手が出場するという時代であるので、中高年選手の益々の活躍を期待したいものである。
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優柔不断な首相

2008年07月30日 | 日本の課題
 長い暑い夏になりそうな2008年だが、早々に夏休みをとった福田康夫首相が、内閣改造をすると思いきや、全く考えなかったと言ったかと思ったら、世界貿易機関(WTO)のドーハラウンドと呼ばれた多角的貿易交渉に行っていた農林水産省と経済産業省の二人の大臣の帰国を待って、改造人事に着手することを匂わせた。

 国会は夏休みといつた感じだが、政府、与党をはじめとする霞ヶ関を中心とする党関係者は、すでに解散・総選挙をにらんだ体制づくりにやっきだと聞くが、こちらの方も、権限を有するのは福田首相なのだが、全くはっきりしないばかりか自民党、公明党の幹事長らと会談しながら、様子を見ている有様である。

 ともかく官房長官時代から、のらりくらりがお得意のパフォーマンスだった福田康夫首相だが、こうまで「優柔不断」を地でいく「ノー天気のお惚けや」とは思わなかった。

 民主党も、社民党も、共産党も、すでに選挙モードに突入している感じなのだが、肝心の首相は、のらりくらりの態度と言動で、「そう慌てなさんな」とでも言いたげなのである。

 そんな中、政府は社会保障分野で、国が緊急に取り組むべき対策を盛り込んだ「5つの安心プラン」とやらをまとめ発表した。

 高齢者政策や医療、雇用などの5分野で、今後1,2年に実行する対策が中心だといい、子育て支援策、非正規雇用対策、厚生労働省改革なども加えた、文字面だけだと結構なプランと見えるものである。

 しかし、この内容は、どう考えても政府、与党の現在の不人気を何とか挽回した上で、総選挙に持ち込みたいとの自民党。公明党の「選挙目当ての政策」と言われても間違いないものなのである。

 どっこい、国民、有権者は、こんな馬の鼻の前にぶら下げられて「にんじん」のような「パフォーマンス政策」や「耳障りのよい政策」などには騙されまい。

 長年の自民党を中心とする日本の戦後政治の取り組みが山積した多くの課題は、もうすでに小手先の美味しい政策では解決できない、「構造疲労」を起こしていて、みはや取り返しがつかない惨状なのである。

 いくら表面の色や香りを少し変えようとも、腐りきった土台とでも言うべきか、政府、与党を取り巻く「利権と官僚、フィクサー」たちがいる限り、変わりようがないのである。

 確かに、高齢者雇用の促進や、僻地医療、救急医療の充実への財政的支援など、少しづつでも推し進めていただかなくては困る施策が目白押しだが、目先の「甘い話」だけでは困るのである。

 消費税の増税や道路特定財源の硬直化、年金制度の不安など、大きな国民的関心事に「口封じ」したままで、奇麗事だけでのパフォーマンスは止めてもらいたい。

 真の日本のリーダーとして、優柔不断ではない、思い切った決断と決定で、国民の審判を正々堂々と仰いでいただきたい。

 小泉郵政民営化を問う総選挙から、安部、福田と全く国民の審判を受けていないままの「政権維持」は、砂上の楼閣と同じである。

 
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田舎の自然に触れて。

2008年07月28日 | 季節の話題
 今日の京都は、どう形容したらいいかに困るくらいの「けったいな暴風雨」だった。

 私の住む京田辺のとなりまちである宇治田原町に仕事で行っていたのだが、昼前後からにわかに黒い雲が立ち込めてきて、あっと言う間に暴風雨となったのである。

 梅雨明けはとっくに済んだのに、まるで梅雨明けを告げる時のような雷雨が続き、しかも気温はなんと目を疑わんばかりの22度であった。

 昨日の昼下がりは35度を越えていた猛暑だったのに、今朝気温が三度ほど下がるとは言っていたが、こんなにも低温になるなんて、どこの天気予報でも根予測されていなかったはずである。

 異常気象や地球温暖化のためとの説明や解釈を通り越して、あっけにとられてしまうような、この温度差のギャップには、たぶん高齢者や病気を患っている人たちはついてはいけないのではないだろうか。

 とんでもない異常気象が突然やってきて、京都府北部では、土砂災害警報まで発令され、宮津市や京丹後市では避難勧告まで出る始末だったが、夕刻ようやく警報も解除されて、一件落着となった。

 先日、久しぶりに今日と同様にわが町から車で10キロほどのとなり町である、宇治田原町の住宅地を訪ねていた時のことである。

 奥さんと話しているとまるですぐそばに飼っておられると思える鳴き声手で、小鳥がきれいなさえずりを聴かせてくれたのである。

 そこで、何を飼っておられるのですかと尋ねたところ、いやいや飼っている小鳥ではなくて、お庭の木々の枝にいつも野鳥が飛んできて、さえずっているのだと言うのである。

 よーく考えてみると、住宅地と言っても周囲は雑木林や、森と言ってもいいような木々が茂った、田舎町の一角に、そのお宅はあったのである。

 私たちの多くが町での暮らしを便利で快適だと思っていると思うが、全く違う気持ちのいい、自然の中での生活が近くの田舎町にはあったのである。

 この町には鉄道はなく、買い物や学校もバスかマイカーでしか行けない、ちょっとした不便さはあるが、全く逆の自然の恵みと環境がすぐそばにあるのであった。

 私の友人の一人で広島県の田舎町で暮らす御仁が、ずいぶん前から「過疎を逆手に取る会」を始め、今では「人間幸学研究所」と称して、全国に過疎の田舎の良さをアッピールする通信「私の恋文」をなんと昨年暮れで340号出し続けている男がいる。

 彼の発想と仲間たちの造語による、田舎起こしはすばらしく、数々のヒット?を飛ばしている。

 「志民になろう」を高く掲げて、25周年の「逆手塾」のテーマに、自然を愛する人たちと「人源」と「志援」が集まり、2008年は「日本を救うために、福祉施設を田舎に配置」を目標にチャレンジ中です。

 また「安全、安心な食べ物の確保」「美しい国土保全」「人材の提供」「元気回復場所の確保」を掲げて、自然と一緒の田舎暮らしと、田舎のエネルギー、パワーを味わうチャンスの提供に心がけているネットワークなのです。

 志ざしのある民は、すべて「志民」になれて、楽しく愉快に健康と元気を取り戻せる「田舎」に出会い、交流したいものです。
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孤独・死・殺人

2008年07月27日 | とんでもない!
 ほんと今年は無差別殺人と呼ばれる「理由無き殺害」事件の増加が著しく、「誰でもよかった」とか「事件を起こせば名が出る」なんて、全く普通の感情では考え付かないような凶悪事件が相次いでいる。

 警視庁によると、無差別殺人のような通り魔事件が、東京都八王子市の殺傷事件で今年8件目となり、昨年一年間の発生件数に並んでしまったそうである。

 6月8日に、秋葉原で通行人たちを車で跳ねたりもナイフで殺傷し17人もの人に危害を加えた衝撃的な事件を筆頭に、7月に入って青梅市のスーパーで買い物途中の女性を刺傷、茨城県東海村の川沿いで散歩中の親子を刺傷、そして先日の八王子の書店でアルバイト中の中央大学の女子学生を百円ショップで買ったナイフで殺した事件などが続いている。

 過去10年間の通り魔的殺傷事件の認知件数は、1998年が10件、99年から2003年は、6~9件、04年以降は、3~8件だったらしい。

 しかし今年の多発は、どうも流行のようで、インターネットの掲示板や2チャンネルと呼ばれる匿名の落書き的書き込みなどを通じての「面白犯」も含めて、全国各地に飛び火の如く「流行っている」のである。

 その背景は何なんだろうか。、

 ここ10年以上、毎年年間3万人以上の人が自殺している「ニッポン」において、さらに多くの無差別、通り魔的殺傷事件が多発し、流行の如く連鎖反応を起こしているのは、人間の寂しさと幼児性の結果であると私は感じている。

 確かに人は一人で生きているように感じる時もたまにはあるが、決して独りで生きてはいけない生物なのである。

 特に発達過程にある少年期から青年期の人たちにとっては、親御さんの愛情や庇護の下に育ってきたはずなのだが、十分な愛情や信頼を得ることもなく、厳しい社会の中に放り出されたような感じの孤独感を味わっている人が多い。

 しかし、学校、職場、そして趣味のグループなどを通じて、友人、知人、仲間が生まれ、自分が抱いている「孤独感」や「寂しさ」を紛らわせたり、癒されたり、励まされたりしながら、日々生活しているのである。

 そのうち、社会の矛盾や自分の夢がつぶれたり、思い通りにならないことの方が多い現実の中で、ストレスが溜まり、その発散もうまく出来ないままに、絶望的な孤独感に苛まれたり、極端な人間不信に陥ったりして、「誰でもいい敵意」を抱いたり、事故破滅的行動を衝動的に行うことになるのだろう。

 人の孤独を癒すのは、人の信頼と愛情以外に無いのではないだろうか。、

 家庭、友人、仲間、知人、誰かが「おせっかい」でもいいから、気づいてあげて、語り合ったり慰めたり、励ますことで、人間本来の「生きる勇気」と「支えられて生きている」という実感を感じて、また明日を歩めるようになねるはずである。

 ちょっとでも知った人と「挨拶しよう」、声を掛け合おう。その人間的コミュニケーションから、ささやかな生きる力と、明日へのエネルギーが沸いてくるのだ。
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水道の大きな無駄

2008年07月24日 | ちょっと可笑しいよ
 今日、大阪府と大阪市が「水道事業の統合」に向けて、橋下知事と平松市長が合意して握手を交わしたという記事が報道された。

 学識経験者や企業経営者が参加する第三者機関を設置して、府と市の双方の統合案を検証すると発表したのである。

 私が地方都市の議員として4期、16年間務めてきた中でも、何度も水道事業についての提案や質問をしてきたのだが、普通の議員はほとんど全くと言っていいほど、特別会計でもある「水道事業」に関しては質問も無ければ、疑問も感じていなかったようである。

 私の町の場合は、三重県の高見山に源流を発する母なる大河、万葉の時代には「いづみ川」と呼ばれた「木津川」が流れているし、京都府南部の山城地方には「京都水盆」と呼ばれる巨大な地下水脈があるという。

 そこで、私は、この地下水の有効利用を原則とした「公共水道」の安全性と需要量を満たす「水道事業」の安価で安心な事業発展を基本とした提案や問題提起を繰り返してきた。

 しかし、市は木津川から供給される「京都府の府営水」なるものを大量に購入し、「これらの「原水価格」が高くつくので「水道料金」は安く出来ないと説明を繰り返している。

 なぜに高くつくのが分かっている「府営水」なるものを大量に購入しなければならないのかというと、府からのお仕着せに近い市への割り当て、つまり強制的な買取を契約、約束されているからである。

 何ゆえ、大きな水瓶と呼ばれている「京都水盆」なる自然の水タンクを持ちながら、これらの水は民間企業などにほとんど限度無く使用させておいて、公共水道への給水原水は、木津川からの決して質のよくない表流水を使用しなければならないのか。

 それは、昭和年代に計画された「水需要と供給計画」に基づいた上流の「高山ダム」をはじめとする「水源開発」などに巨額の税金が借金としてつぎ込まれているために、その借金の返済のために、わざわざ良質の「地下水」の利用は制限してまでも、木津川の表流水を同じ自治体同士で取引して「高い水」を購入させられているのである。

 こうした現状は、どの地方にも現存している目と思われ、京都府下の長岡京市や向日市でも同様の問題提起があったと聞いている。

 今回の大阪府と大阪市の水道事業の統合がうまくいけば、なんと2500億円もの経費が節約される可能性があると言われていて、今後こうした自治体の無駄をなくす統合政策や民間委託も視野にいれた「水道事業の見直し」が大いに活発に議論されるべきだと痛感している。

 近畿圏では無駄なダムの建設などをなくそうと民間の諮問機関が答申しているのに、いまだ国土交通省と政府は「ダム建設」の推進に躍起になっていると聞く。

 無駄な大型公共事業をやめて、税金の有効活用と共に、民間経営感覚を取り入れた事業の縮小、民営化、公的事業からの脱却の検討が先決である。
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出逢い・感動・生かされる。

2008年07月23日 | ガリバー旅行記
 ほんとうに暑い夏の到来である。昨年の七月は今日23日まで、真夏日と称される気温が30度を越す日が、たった六日しかなかったそうだが、今年はなんと21日、つまり七月に入ってほとんどの日が「真夏日」になっているという極暑である極暑が続いている。

 今日、この真夏日の中、汗びっしょりになりながら外歩きの「おっさんフリーター」をしていたら、なんと偶然だが、とってもハッピーな名前の明るい奥さんに出会った。

 なんとお名前が「明るく楽しい」と記す、「明楽」さん、お名前は「あきら」さんと読むのだそうである。

 外歩きの営業仕事をしていると、いろんな変わった姓に出くわすことが多くて、珍しい姓に出会うと、それだけでうれしくなるのだが、今日の出会いは、なんとも極暑の中でオアシスに出会ったような喜びであった。

 ほんとうに「明るく楽しいだけが取り柄ですよ」とおっしゃるお母さんは、二人の女の子のママで、少しお話するだけで幸せそうな普通のオカァサンだが、とってもうれしくなる出逢いとなった。

 先日、あるテレビ局で、「三浦雄一郎さんの75歳でのエベレスト再登頂」のドキュメンタリーが放映されていたのだが、これも偶然にも観ることができ、三十年以上前に、東京のテレビ局のロビーで偶然お逢いした「三浦雄一郎さん」にサインをいただいたことを思い出した。

 その頃、我が息子が三浦さんと同名の「雄一郎」だったことと、彼が幼くして二回の手術を余儀なくされた状態にあったことで、冒険家として名高かった三浦雄一郎さんのオーラと力強い生き様に「あやかりたい」と思ってサインを求めた記憶があった。

 そんな彼も高齢となったが、お父さんの100歳でのスキーをはじめ、息子たちと共に「エベレストへ再登頂する」という夢とチャレンジ精神に敬服すると共に、エールを送りたい衝動にかられた。

 またこの春「傘寿」、つまり80歳を迎えられた、北海道に住む「森の子ども村」の徳村彰さん夫妻の、土、水、木で造語された「もり」の村からの通信を読んで、40年前に名医とよばれた医者から「あと2年の命」と宣告された「じいじ」こと徳村彰さんが語る森と共に「生かされる」生き様に感動を覚えている。


 また、近くに住む独り暮らしの80代の「鈴子」さんと20年ほど前に出会っていて、今彼女が、この夏の暑さに参っていて、毎日の食事と医者通いのサポートが少しでも出来たらと時間が許せば顔を出しているのだが、彼女の感謝と素直な心にも大きな励ましを受けているのである。

 いつものことだが、ちょっとした出逢いと言葉と勇気に、私自身が励まされ、生かされていることに感謝であるが、明るく楽しく生きられるようにと努めたいと、改めて思ったのである。
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大暑、夏休み

2008年07月22日 | 季節の話題
 今日は、24節気のひとつの「大暑」で、一番暑い日とされている。

 さすが「大暑」だ。京都は36度を越す猛暑だったし、全国的にも北海道を除くほとんどの地方が「真夏日」だったはずである。

 七月七日頃の「小暑」に始まって、今日の「大暑」をはさんで八月七日の「立秋」までが、「暑中」と呼ばれ、「暑中見舞い」を書く季節となるわけだ。

 いつも七月の終わり頃に、そうそう今年の「暑中見舞い」をどうしようかと考え出して、はがきを買って出す準備を整えた頃には、すでに「立秋」が過ぎていて、いつも「残暑お見舞い」となってしまうことが多いのだが、皆さんは如何でしょうか。

 昨日の「海の日」とやらが出来たおかげで、子供たちの「夏休み」も二日ほど長くなって、誰がうれしいのかはわからないが、町中に昼間でも子供たちの歓声や元気に遊ぶ姿が見受けられる季節となった。

 「後期高齢者医療制度」、「消えた年金問題」、「ガソリンの高騰」、「地球環境問題」、「自治体の借金、財政再建」など、問題、課題が山積みのまま、国会も「夏休み」に入ったらしい。

 先日の漁業者たちの抗議の一斉休業の日に「夏休み」に入った福田康夫首相は、なんと「内閣改造人事」なぞ全く考えないで「サボっていた」と復帰後の記者会見で述べていたのが、なんとも「ノー天気」な首相の本音だとすると、とんでもない「無責任さ」である。

 また衆参両院の多くの国会議員の先生方が、夏休みの「外遊」と言う名の「視察旅行」に赴いていると言う。

 その行き先も、「ねじれ国会」を長年体験した「オーストラリア」の首相に体験談をつぶさに聞くだの、石油の高騰で笑いの止まらない成長著しいサウジアラビア、ドバイを訪ねるという、何の目的か知らぬが、「物見遊山」の旅行が大半を占めているらしい。

 しかも、届出だけで費用は税金から容赦なく出費されるわけで、国、地方を併せて850兆円もの大きな借金を抱える、我が国の現状を鑑みると、「外遊」どころではないはずなのに、国会議員の先生方の特権、親睦、懇親などの意で続けられているのである。

 世の中では、この「猛暑続く日本列島」の中で、日々の物価高騰と共に、収入減の現実と戦いながら生活している多くの庶民がいるのだが、先生方はどこ吹く風の如く、ファーストクラスの飛行機で、一流ホテルに宿泊して、視察報告書一枚も書く義務なく税金での「外遊」を楽しまれているのである。

 少し躊躇する国会議員は、すでに近づいているという「総選挙」に備えた「お里帰り」と「挨拶周り」に明け暮れていて、誰が「国を思い、国のための仕事」をしているのか全く怪しいものである。

 子供たちの「夏休み」とは違って、国会議員の先生方は、今先送りせずに、国民生活の改善のための「仕事」を暑さに負けずしてもらいたいものである。

 皆さん、「暑中お見舞い申し上げます」。私も「夏休み」をとりますよ。
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青春の表現

2008年07月21日 | 地域の話題
 今年もわが町にある「NPO法人京田辺シュタイナー学校」の高等部の卒業演劇を、同志社女子大学京田辺キャンパスの「新島記念講堂」に鑑賞しに行った。

 一昨年に学校が設立されて初めて高等部の卒業生が出る年となって、なんとシェイクスピア原作の演劇を二時間余、舞台、音楽、演技はもとより、衣装、大道具など、すべての表現を卒業生たちが自ら先生たちの指導はあったろうが、一年がかりで制作した大作を演じていて、とっても感動を覚えた記憶があったので、今年も期待して足を運んだ。

 今年の作品は、すべてオリジナルということだったので、どんな作品なのか全く予測もせず開演を待った。

 シュタイナー学校は、約8年前に京田辺市興戸の地に開校した民間立の学校なのだが、小学部、中学部、高等部に分かれてはいるが、12年制の私学である。

 かの有名な神秘学、教育学、宗教学、建築学など多種多様な独特な学問の専門家であったシュタイナーの考え方を基に現代的かつ芸術的、個性的教育を育むユニークな教育機関なのだが、学校法人でもなくNPO法人としての活動としての学校なので、経営維持は大変だと伺っている。

 それでも現代日本の公教育に飽き足らない良さを求めて、多くの保護者たちが学校の運営と子供たちの教育のバックボーンとして仕事を担い、経済的にも支えながらのおもしろい学校として存立しているのである。

 そんなユニークな教育機関の高等部の卒業生たち、今年は10人が一年がかりで力を合わせて、脚本づくりに始まって「物語の演出、表現」をあらゆる角度から練って完成させた、集大成の発表の機会であった。

 「THE STAR’S GIFT」と題した二部構成の舞台は、若い青年たち10名が各々の役柄を演ずる「青春の表現」そのものであった。

 すでに7月13日に学園内ホールで初演したあと、大阪、横浜でも公演し、最終の舞台として、地元京田辺の学校の隣にある、同志社女子大学の新島記念講堂を借り受けての千秋楽の舞台を観たのである。

 脚本の舞台がなぜかイギリスはロンドンであり、日本人高校生の各々の役どころがハミルトン、シンプソン、エリザベスなどの英国名であるため、少し最初は違和感があったが、物語の進行に伴って、各々のキャラクターとしての性格や役どころが明確なために、彼らの芸達者も手伝って、どんどんドラマに引き込まれていく感じであった。

 二部の後半からは、観客席の友達や仲間たちも歌に合わせての手拍子や歓声もとび、なかなかの出来栄えとなっていた。

 テーマは、「今、私たちの未来が輝き出す。」という青春そのものの内容であり、少し照れくささを感じる演技も、「若さ」ゆえの初々しさとして感動せざるを得ない舞台となっていた。

 昨年も感じたことだが、このような舞台での演劇表現を仲間と完成させた彼らが、今後歩むであろう大学、社会人としての生き方に、とっても興味と共に「夢」を感じてうれしく思ったのである。あっぱれ!であった。
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野茂の引退

2008年07月20日 | プロスポーツ
 先日、メジャーリーグに日本人として二番目の投手としてドジャーズ入りして、トルネード投法とフォークボールで大活躍した「野茂英雄選手」がプロ野球の現役を引退することを発表した。

 野茂投手は、大阪の名も無い高校当時から完全試合をしたり注目を集めていたが、甲子園には行けないまま、ドラフトでスカウトされたが、新日鉄堺という実業団でプレイした後、1989年のドラフト会議でなんと史上最多の8球団から指名されるという話題の中、当時の大阪近鉄バッファローズに入団し、地味なパリーグ球団でエースとして活躍後、本格的なメジャーリーグへの入団を目指して、海を渡って、当時の近鉄の年俸1億4千万円からわずか一千万円の年棒でドジャーズ入りし大活躍したのである。

 十数年前に、当時の南海ホークスに戻って活躍したサウスポーの村上マーシー投手が最初の日本人大リーガーだったが、彼の活躍をはるかに超える大リーグのナ・ァ両リーグで、ノーヒットノーランを記録するという、日本人選手として、大リーグ野球殿堂に入るかとも言われる大選手として、全世界の野球ファンにも記憶に残る大投手である。

 日米通算201勝をあげた大投手も39歳の年齢と度重なる怪我と故障で、今期は開幕当初3年ぶりのメジャー復帰を果たしたのにもかかわらず、戦列を離脱し戦力外通告と言うプロ野球の勧告を受けて、「何とかもう一度メジャーのマウンドに立ちたい」との思いを捨てきれずに葛藤したあげく、「お客さんに見てもらえるパフォーマンスが出来ない」と「心残りの引退宣言」となった。

 多くのプロ、アマ問わずアスリートたちが、いずれは経験しなければならない「年齢と体力の壁」なのだが、野茂英雄投手の場合は、「まだやりたい」との思いを残しての引退宣言と言う、とっても人間的なメッセージが伝わっている。

 有名なアスリート、すでに引退した野球、相撲などの選手や力士たちも、おおむね「体力の限界」を理由に、「燃焼しきった」とか「やり遂げた」思い残すことはない」とか言って引退した人が多いが、野茂英雄投手は、中途半端な状態では周りに迷惑をかけるからと、本人自身はまだ「やりたい」という未練を残しての「引退」である。

 今までもマスコミを通してのインタビューなどでは、とつとつと喋り、あまり表情も変えない寡黙な野球選手といった印象が強かったが、どっこい「野球大好き少年」のまま、仲間やチームメート、友達とは大いに語りはしゃぐといった面もあったらしい。

 彼が残した「記録と記憶」も大きいが、「NOMOベースボール倶楽部」という、アマ野球チームを主宰し、今後も日本の野球界に、すばらしい「野球人」を輩出してくれる一人だろうと思うし、古巣だけでなく日米の野球の発展に、コーチ、監督、指導者として後継者育成にあたってもらいたいものと期待する。

 また一人、中高年の夢と星としての「人気者」が引退した。さびしい。
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やった。坂本達

2008年07月19日 | ガリバー旅行記
 ある日、仕事帰りに寄った大型書店のレジのそばに「やった。」「ほった。」
と書かれたワゴンが置いてあって、なんだろうと覗いて見ると、なんと坂本達という名の青年の冒険紀行記の宣伝販売であった。

 四年三ヶ月の有給休暇で「自転車世界一周」をした男、坂本達氏が著者で、勤めていた会社が、彼の夢を実現させるために、就職した会社で義務付けられていた年二回の業務レポートに、仕事上の希望などを書くついでに、勝手に欄を設けて「自分の夢」を書き綴っていたら、入社して四年目にの新年会の後、しばらくして「タツ、社長は給料も出すから行ってこいって。期間も希望通りでええって」と上司に呼ばれて告げられたと言う。

 なんと、そんな太っ腹な会社があったもんである。その会社名は子供服を中心に商品の開発、企画、製造、販売をしている「ミキハウス」という会社である。

 その四年三ヶ月での世界一周自転車旅行の顛末が「やった。」というタイトルの坂本達氏の最初の著作である。

 「20代のうちに自分の足で回って世界を見ておきたい」との思い、夢を社長にぶつけ、もし願いが叶わなければ、会社を辞めてでも行こうと決意したレポートの直後に、なんと「よく決心したな、俺の分まで夢を叶えてくれ」と友人や社員の中には、選別までくれて彼の夢の実現に期待して送り出してくれたらしい。

 それも日本経済がバブルという好景気が破綻した1996年だったのに、社長はね「一人ぐらい普通に仕事せんと、変わったことやる奴がおってもええやないか」「応援してやりたいんや」と言っていたらしいと後で聞いたらしいのだが、あっぱれな太っ腹の社長である。

 世界一周自転車旅行中に彼は、アフリカ、ギニアでマラリアと赤痢にかかって倒れたのだが、無償の友情で救ってくれたギニア人ドクターへの恩返しとして、「恩返しの井戸」を完成させ、「ほった。」という二作目のドキュメンタリー本が完成したのである。

 彼は資金も知識もないままに、学生時代のアメリカ冒険留学の経験を礎に、無謀ともいえる自転車世界一周を成し遂げて著した「やった。」の印税で「恩返しの井戸」づくりを完成させた男である。

 現在もミキハウスに在籍し、社長室人事担当として勤務しながら、ギニアとの交流活動を続け、井戸の次には診療所プロジェクトの準備に取り掛かっているらしく、自転車冒険野郎としてのモチベーションを持ちつつ、早稲田大学の客員教員としても特別講義をしたり、日本国内でも自転車で日本を縦断しながらの全国86会場での講演もこなしている。

 「夢を持ちづらい時代」とも言われている現代に生きる青年の一人として、世界中に、また日本国内でも「夢の大切さ」や「夢は持ち続けると叶う」という話をテーマに語り続けている坂本達さんをうれしく思うのである。

 ちなみに、全国高校英語リーディングの教科書に「やった。」が採用されているらしい。
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