ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

蓬摘みのおばあさん

2005年10月31日 | 季節の話題
 10月31日である。何と明日は11月1日。早くも2005年の6分の5が過ぎ去ったことになる。

 なんとも早く時間が経過して一年がこんなにも早く過ぎ去って行くとは、子どもの頃の時間経過と、何故にこんなにも違うのかと思うほどである。

 今年の場合は、9月,10月と日中の暑さはずっと続いていた様に感じていて、つい1,2週間前までは「いつまでも暑いですね」と挨拶していたのであるが、阪神が日本一になれずロッテに4連敗で完敗してからというもの、急に朝晩の寒さが増して、秋を通り越して冬の到来だという方もおられるくらいになった。

 現に、ここ2週間ほどは「涼しくなりましたね」と言えば、「寒いわ」と言われることが多くて、夏から一直線に冬へと気候がまっしぐらに変化している感じでもある。

 そんな中、昨日の昼下がりに私の議会報告の配布のために急ぎ足で少々汗をかきながら、家から家へとポスティングしつつ歩いていたら、一人のおばあさんに出会ったのである。

 小柄で上品そうなおばあさんは、近くの住宅街にあった古い市営住宅の跡地で空き地となって木の柵で囲われて雑草が生えている場所に立ち入って、草を摘んでおられたのである。

 私は「蓬ですか?」とたずねてみた。するとおばあさんは腰を起こして、手に一杯の蓬を握ったまま、「ええ、団子をつくろ思って」とにこやかに返答されたのである。

 秋の夕暮れ時に、住宅街のはずれの囲いの中の空き地にいて、黙々と草を摘むひとりのおばあさん。年の頃なら80前後と思われる彼女に続けて聞いてみた。

 「蓬はいい香りやけど、犬、猫のおしっこがかかってへん?」とちょっと意地悪な質問である。すると彼女は「そう思って囲いの中のを摘んでるんです」と返答されたのである。

 私は心の中では「おばあさんが入れる囲いなんだから、犬、猫も簡単に入れるよ」と思ったのだが、「そうだね、美味しい蓬団子作ってくださいね」と声をかけて、その場を立ち去ったのである。

 とにかく現代社会の中で、自然に生えている草や薬草を食材のひとつとして、手作りでおやつやお惣菜を作る知恵や工夫が最近少なくなってきている状況の中で、なかなかほっこりとした一コマの光景に出会った気がしたのである。

 コンビニやスーパーに行けば、蓬団子は買えるだろう。しかし身近な自然の中に蓬を見つけて、手間のかかる手作りで団子をつくる、ゆっくりとした時間の流れの中で創られる様を想像したのである。

 蓬を持ち帰ったおばあさんは、自宅で蓬を整理して水で洗い、ごみや汚れを落として、茹でて小さくきざんで、すり鉢ですって捏ねる。少なくともこれだけのプロセスで蓬を料理して、最後にあんこを入れるかどうかは分からないが、手間隙かけた「蓬団子」が出来るはずである。

 今頃、昨日摘んだ蓬で作った、おばあさん特製の団子を召し上がっているのではないだろうかと目に想像してみるだけでも、心がほっこりする秋の夕べである。

 
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秋は祭りのシーズン!

2005年10月30日 | 季節の話題
 日本人にとって秋は特別の季節である。農耕民族である日本列島の多くの民は、米を中心とした秋の収穫を祝い、一年の実りへの感謝の気持ちと疲れを癒す気持ちも合わせて、地域、地区ごとにお祭りが自然発生的にも生まれたのであろう。

 多くは地元の氏神さんや、神社仏閣を拠点とした祭りがほとんどだが、最近は学校、地域コミュニティなど、多種多様な「まつり」が生まれている。

 地元には、「大住月読神社の隼人舞」や「棚倉孫神社のズイキ神輿」など伝統的で由緒ある「祭り」もいろいろあって楽しめるのだが、ほとんどは昔からの伝承的行事でもあるので、地元の限られた人たちだけしか関われないのである。

 ある集落の伝統的祭り行事の担い手は、ちょっと前までは三世代以上地元に住んでいる人でないと担えないという不文律があり、ここ10年、20年の新参者は、見ることしか許されなかったのである。

 しかし昨今、その集落の構成メンバーも限られており高年齢化し、なかなか祭りごとを担える人が少なくなったために、戦後50年経った頃からは、まだ二代目くらいの新参者である、30年から40年ほどしか地元に住んでいない住民も、何とか住民としての祭りの担い手として認められる様になったらしい。

 しかしである。長老や村の従来からのメンバーである住民に反感やたてを付く要素のある人は、いまだに村八分的扱いを受けることがあって、なかなか祭りの担い手として指名されないのだというのである。

 私は10月に入って2つの学園の「秋まつり」を覗かせてもらった。この二つの学園は、NPO法人シュタイナー学校と、雑創の森そよかぜ幼稚園である。

 この二つのユニークかつ個性的学園では、ほとんどが保護者と子どもたちが中心の「まつり」が創られており、出店されたお店も、教室、保育室のレイアウトやデザインに至るまで独特の雰囲気が創りだされていて、手作りのまつりであった。

 前半に記した「祭り」とは全く趣が違うのだが、参加者も企画した人たちも一体化した「楽しさと実りを感じる」まつりなのであった。

 教育の場としての、このふたつの学園の日常活動の延長線上に「秋のまつり」があり、教育的成果や実践の一部も発表されたり、感じさせたりしてくれる祭りである。

 これからの時代は、一方に歴史的伝統を継承し、守り続ける祭りがあるのだが、どんどん、その地域のエンパワメントを発揮した「手作りの祭り」を生み出して行く必要がある様に思うのである。

 縁あって、その地や同じ学園に集う人たちのコミュニティとしての共通の価値観や夢をお互いの努力と表現力で、お互いに示しながら、共感できる楽しさや面白さを一杯演出できればいいと思うのである。

 ありがとう。秋の実りと秋の祭り。一年をそろそろ振り返るべきラストシーズンに突入しそうな今日この頃である。

 明後日は、早くも11月になるのである。一年の六分の5が既に終わろうとしているのだ。ホンと年月の過ぎるのは早いが、2005年という年に、私は何を実らせたのだろうかと自問自答するのである。

 皆さんも今年はあと二ヶ月しかないが、今年と言うたつたひとつの年に、秋の祭りのシーズンに、各々にとっての「一年の実り」を見つけてみようではないか。
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「男はつらいよ、寅さん」を観る

2005年10月29日 | テレビマスコミ
 今日10時過ぎに自宅に帰って、テレピを付けるとNHK衛星放送の「寅さんシリーズ」一挙公開の、第16作「葛飾立志編」をやっていたので辛うじて最後のシーンだけを観た。

 この「寅さんシリーズ」衛星テレビでの一挙公開は、今年の夏から始まっていて、気が付けば私はテレビチャンネルを回して観てしまっているのである。

 といっても、今回の37作一挙公開で今晩が何回目の放映なのかは知らないが、せいぜい5,6回しか観ることが出来ないでいるのである。

 最初から最後ま映画館で、ちゃんと「寅さん」を観たのも4,5回しかないのだが、私は山田洋次監督作品の大ファンでもあり、「学校」「黄色のハンカチ」なども映画館で観ているのである。

 今晩の作品は第16作「葛飾立志編」であり、マドンナは樫山文枝さんと桜田淳子さんであった。この作品からちゃんと寅さんの相手役というか片思いの女性役をはじめて正式に「マドンナ」と呼んだらしく、映画広告ポスターにも、マドンナたちとプリントされているのである。

 私たちの世代のマドンナでもある吉永小百合さん出演の寅さん作品が先だって放映されていたので、作品の半分位を珍しく観たのだが、やはり「サユリスト」ではないが、好演だったと思うのである。

 今晩の寅さんが終了した後の、「寅さん」エピソードでは、桜田淳子が出たのは、東宝系の「山口百恵」主演作品と公開時期が同じで、ライバル松竹の看板映画となっていた「寅さん」に中三トリオの一人であるライバル桜田淳子を起用したのだと聞くと、なるほどと思った次第である。

 あの独特の車寅次郎が渥美清そのものと言うか、同一人物と思ってしまうほど、寅さんを演じる渥美清さんのはまり役であり、神戸大震災の1年後のロケ地として寅さんが訪れた「廃墟に化した神戸」を舞台に最後の37作が撮影され、そのご渥美清さんが亡くなられたことを思うと、複雑な心境にもなる。

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敬老の心とは・・?

2005年10月26日 | 感じたこと
 9月は敬老月間とされているようだった。「敬老の心」は、一年中必要なことだと思うのだが、何故か9月15日が敬老の日となって以来、9月になるとお年寄りの方々のところに、行政から、自治会やら、は施設入所のお年寄りには施設から「贈り物」が届けられることが多いのである。

 私たちの町でも、いつの頃からか70歳以上の高齢者に対して、敬老祝い品として「贈り物」が届けられている。今年は『吹き寄せとそばぼうろ」の詰め合わせだったらしい。

 昨年は小さな携帯用ポットと家庭用ポットを男女別に贈ったらしい。以前の贈り物としては「飴」「マフラー」「お祝い弁当」「おかゆセット」「折りたたみ傘」などがあったらしいが、毎年、ご年配の市民の方々からクレームがつくのである。

 戦後間もない昭和30年代頃までなら、何か「物」や「食品」をいただくことも、家庭的には助かったり、喜ばれた時代だったかもしれないが、現代社会は大抵の家庭で「日用品」や物が溢れており、食品に関しても多くの高齢者にとっては、嗜好品の好みも全く違うし、冷蔵庫には食べていない食品が満載なのである。

 ある高齢者のご夫婦は、「私たちは老いを感じてはいるが、市から贈り物などいらない」「もっと税金は有効に使ってもらいたい」とおっしゃるのである。

 わが市では70歳以上の高齢者と言われてしまう住民は約七千名に達しており、10月の先週行われた「敬老会」への参加者は800名程度であったらしい。

 その中で、77歳の喜寿、80歳の傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿、そして白寿、宮寿と多くの長寿の方々の表彰や記念品贈呈をしている。

 確かに長寿と言われる、高齢まで元気に生きられている方々をお祝いする気持ちは大切であり、「敬老の心」は重要である。

 しかし、一年に一度の機会に記念品や贈りものを贈呈することで、「敬老の心」を表したことになっているが、もっと大切な日常的な、生活支援や楽しい「老後の生きがい活動」を実現できるようにサポートする方が大切なのではないだろうか。

 これからの日本は人口が1億2千6百万人を頂点として、少子高齢化へと移行して、どんどんと人口が減りだして、労働人口も減り、経済規模も小さくなることは必至である。

 そんな人口減少化への道を歩みだした日本社会にあって、より多くの高齢者が地域社会の中で、仕事を離れて生活する時代になっているのである。

 行政、自治会、施設なども、改めて「敬老の心」は大切にしながら、「お金」や「贈りもの」ではない、高齢者にとって有意義かつ楽しく暮らせる「まちづくり」に多くのアイデアと税金を支出していただき、長年社会にあって、勤労と子育て、また社会的役割を担って来られた高齢者への「感謝と敬老の心」を表しつつ、お返しを出来ることを見つけだそうではないか。

 もういい加減に個人に対して、「敬老祝い金」や「敬老祝い品」を税金で支出するのはやめて、質の違った地域づくり、たとえば地域高齢者、憩いのスペース的な場所を小学校区にひとつづつ位創ろうではないか。

 新しい高齢者時代を創る提案を、高齢者と高齢者予備軍がどんどんと出して行くべき時代が到来していると思うのである。

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国家の罠、佐藤優。

2005年10月25日 | とんでもない!
 皆さんは覚えておられるだろうか。先の総選挙で比例区、北海道ブロックから新党大地を掲げて、当選し国会へ再登場した、あの鈴木宗男衆議院議員の逮捕以前に、外務省国際情報局分析官として2002年5月に逮捕された佐藤優という男のことを。

 彼は1960年うまれで、同志社大学神学部大学院の修士課程を卒業後、外務省に入り、95年までに英国、ロシアの日本大使館に勤務し、その後外務省国際情報局の主任分析官として勤務するかたわら、モスクワ国立大学哲学部客員講師ゅ8(神学・宗教哲学)、東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)をつとめた異才でもあるのだ。

 彼の逮捕容疑は「背任」と『偽計業務妨害」としてであり、東京拘置所での拘留生活512日を経験し、第一審判決では「懲役2年6カ月、執行猶予4年」となった被疑者なのだが、「これは国策捜査」であるとした「衝撃の内幕手記」を「国家の罠」(新潮社)として出版されている。

 なんと外務省のラスプーチンと呼ばれる所以は、有能な外交官として傑出した情報マンとして海外の外務官僚や国内でも知る人ぞ知る存在であったが、国を愛し、国のために尽くしたにもかかわらず、人生半ばで全ての人格を否定されたような衝撃的逮捕劇を経験した男が、「鈴木宗男事件の」全貌をも明らかにしているのである。

 著書「国家の罠」の中で、国家的策謀に満ちた、鈴木宗男逮捕への序章として、佐藤優氏と前島氏が逮捕されたのであるが、間違いなく「国策捜査」、つまり国家権力のためのバランス感覚での人権を無視した様な、微罪での大げさな捜査と逮捕劇が演じられたのである。

 このプロセスは、佐藤優氏自身の経験から、詳細にわたって記述されており、彼の逮捕に至った被疑罪を成立させるための、捜査、取調べが延々と続き、ついに本人の法的逸脱行為や違法性の認識は無くても、検事は筋書き通りの調書を作成し、起訴に持っていくのである。

 こうした拘置所内での検事とのやり取りや、その交渉過程での人間的やり取りを克明に、また鮮明に記録し記述しているのが、この「国家の罠」なのである。

 彼は、この国策捜査は、「上がりが全て地獄と言う双六」だとの名言を発していて、冤罪事件とは違って、警察、検察をあげての面子と政治権力の意思がある限り、殆どいや全く無罪放免はあり得ないのである。

 神学部大学院出身の佐藤優氏が、「鈴木宗男衆議院議員逮捕」に抗議して、東京拘置所内で48時間ハンストを決行した際に、旧約聖書を読破していたとのくだりは、この男の哲学、美学が伺えるエピソードでもあると、一目置いて「国家の罠」を読んだものである。

 
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「一期一会」って・・・?

2005年10月24日 | ちょっと可笑しいよ
 

 昔から学生時代も社会人になっても、今まで出会った多くの人が「一期一会」を語り、また芸能人も自分の好きな名文句として「一期一会」を上げる人が多いのである。

 確かに人としてこの世に生まれ、長い一生の中で「一期一会」と言わざるを得ない様な出逢いはあるものだと思うが、誰もがあまりに簡単に語るほど、決定的な「一期一会」と言う「出逢い」はなかなかないものではないだろうか。
 
 だけど他人は「一期一会」を大好きな言葉として語り、名文句として紹介したりするのは、逆に本当に「一期一会」と言うにふさわしい「出逢い」を経験することが非常に少ないことの証明でもあるのであろう。

 果たして皆さんにとって、恋人、彼女、彼氏との「出逢い」が、また現在の伴侶である「妻」や「夫」との「出逢い」が「一期一会」と言うにふさわしい「出逢い」であったかどうか、しっかり検証するか、心に素直に問うてみる必要があるのではないでしょうか。

 かつては「一期一会」と信じていた、他人との出逢いが、ちょっとした行き違いや誤解から、全く信じられない「絶交」や「音信不通」「会いたくない」関係となってはいないだろうか。

 人は、その時、その瞬間、またはその頃、その時期の精神状態や利害、立場から、とってもその「出逢い」を素晴らしい出逢いとして「一期一会」と言う言葉にふさわしい人生最高の出逢いとして思っているだけなのかも知れない。

 しばらくの時間、時が経過したり、自分の立場や関わり方、利害が変化すると共に。その人との「出逢い」が普通の出会いのひとつになってしまっていて、まさか「一期一会」とは言わない関係になってしまう場合も多くあるものである。

 私は軽はずみに「一期一会」を語るのではなく、長くて短い?人生の終盤において、じっくりと自分の人生行路を振り返った時に、本当の「一期一会」だった人との関係の大切さや重要さに気づくのではないかと思っているのである。

 人生の第三コーナーから第四コーナーにさしかかる終盤においての、新たな出逢いも楽しみたいとも思うが、今までに出会った大切な「一期一会」と思える友人、知人、尊敬できる人々とのコミュニケーションを大事にしたいと思うのである。

 実は、昨日が妻の誕生日であったが、お互いのスケジュールが合わないために、一日遅れたが、「祝、誕生日ディナー」を今晩共にしたのである。

 たぶん妻との出逢いが、私にとっての「一期一会」の代表だと言えるような人生の終盤を、楽しく喜びと同志としての伴侶を慈しみながら生きて行きたいものだと、珍しく真剣に考えてみた次第である。お粗末さまでした。

 皆さんにとっての「一期一会」をこの際、じっくり考えてみては如何でしょうか。


 
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携帯電話の電波塔。

2005年10月23日 | 世界の問題
 現代人は猫も杓子も携帯電話のとりこになっているのではないかと思うほど、今や電車車内、会社や学校でも、いたるところで携帯電話かメール交換をしている状態を見るのが当たり前となっている。

 その携帯電話が日本全国、いや今や全世界的に使用されていて、確かにパーソナルな伝達手段としては、なくてはならない便利な道具となっている。

 しかし、しかしである。この便利な携帯電話の通信を全国津々裏々で可能とするために、各電話会社が競い合って電波塔を建設しているのである。

 NTTドコモ、KDDI(au),ボーダフォンなど各社のセールスやサービスは競い合い、また新たな次世代携帯としてのFOMAなど動画のやり取り可能な基地局の設置が急造しているのである。

 この電波基地局の塔の建設が突然住宅街のすぐそばで強行されたりしていて、全国で多くの電磁波被害に対する反対運動や設置阻止活動が続発していて、全国で5件の訴訟と200件以上のトラブルが起きているのである。

 この携帯電話基地局から出ている電磁波の影響は、電波塔から100~200メートル付近が一番強いといわれており、各地で奇形植物や健康被害が出ているのである。

 宮城県仙台市郊外、北海道旭川市市内、長野県高遠町、九州各地でも、また海外でも多数の指摘が出ているのである。

 耳鳴り、不眠、頭痛、鼻血などの症状や植物奇形、ペットの急死、体調不良、などが続発しているのだが、携帯電話会社は、各々健康被害が出るはずがないと、関連性を否定しているのである。

 しかし元京都大学講師で「電磁波環境研究所」所長の荻野晃也さんは、「国際ガイドラインの基準」は短時間の影響のみを考慮して決められており、特に3Gのマイクロ波は自然界に全くない種類の電磁波で危険性が高い可能性があると言われている。

 総務省移動通信課によると、基地局は全国に昨年末で8万5792局あり、トラブルは42都道府県に広がっているのだが、「現在の科学的知見では今の規制で適切。心配なら子どもの寝る場所を電磁波の届きにくい場所に移動するなど、各個人が対策をとるのが適当」といい加減なことを言っているのである。

 とんでもない政府、行政の無策であり、資本主義社会での目に見えぬ「電磁波被害」はねこれからもどんどん侵略してくるのだろう。

 防衛策を講じて、電磁波被害から心身を守るための知恵と行動を起こそう。
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阪神橋本ガンバレ!

2005年10月22日 | プロスポーツ
 日本シリーズがいよいよ始まった!残念ながら我が阪神タイガースが負けているが、7回から我が京田辺市の出身の橋本健太郎投手が登板した。

 彼は少年時代を我が京田辺市大住で少年野球チームのエースとして活躍し、跳び抜けた才能と長身で注目されて、久御山高校から京都の都市対抗野球の常連である日本新薬を経て、阪神タイガースにドラフトされた191センチの右腕である。

 千葉マリン球場はいつしかモヤがかかった幻想的な試合となってきたが、橋本が登板しているということは、阪神が劣勢だという展開になっているのである。

 バレンタイン監督率いるロッテはパリーグのプレイオフの勢いそのままに、セリーグの覇者阪神タイガースに襲いかかっていて、橋本健太郎投手にとっては荷が重いのか連打を浴びている。

 ロッテは31年ぶりの日本シリーズ出場なのだが、知っている選手が少ししかいないので、西岡、今江、ベニー、そして里崎と覚えていると、その里崎が3ランホームランを打って勝負あり。やられました。サブロー、渡辺、フランコ、イスンヨクとどんどん打って、全員安打の10-1になってしまった。

 あぁ参ったな。橋本健太郎君もかわいそうに凄い打線に打たれ続けている。モヤがひどくて試合がついに中断となったよ。こんな10月半ばになっての千葉マリン球場での試合なんか、めったにないのでしょうがないよね。

 阪神タイガースの日本シリーズ緒戦の完敗は間違いなしになってしまっている。モヤと言うより霧に包まれた球場での試合の中断で、阪神ベンチも待ちながら奇策を講じる作戦を考えるといいと思うよ。しかしコールド負けが決定した。

 パリーグのプレイオフを全て接戦で勝ち抜いて来たロッテマリーンズに、阪神は日本一を争う第一戦で何と10点を入れられる打線の爆発で、快勝のペースにはまってしまったね。

 今日はロッテに脱帽。阪神は金本、今岡のブレーキと井川が打たれて、あきらめざるを得ない心境である。

 井川は決して悪くなかったがロッテの勢い、バレンタインマジックに完全にやられてしまったね。完敗、完敗、完敗やな。

 明日からの2戦目から、気分を入れ替えて阪神タイガースの挑戦を期待したいところだが、霧が濃くて雨と同様の対応がされるらしいので、この試合は濃霧のためコールド試合となってしまった。

 ある阪神ファンの捨て台詞は、「今日はしばらく試合から遠ざかっていたタイガースり練習日やったんや。明日から本気で試合モードで戦うよ」。負け犬の遠吠えとならない戦いはこれからだ。
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草野球に興じる子ども。

2005年10月21日 | 地域の話題
 さてさて、明日からプロ野球の日本シリーズが始まる。我が阪神タイガースが20年ぶりの日本一を目指せば、パリーグの覇者ロッテマリーンズは31年ぶりの優勝に日本一の花を添えたいところであろう。

 ボビーバレンタイン監督の明るさと選手起用のフレキシブルな対応と、岡田監督は、まじめで敢志を表に出さない性格だが、用意周到な二週間以上の準備で阪神を率いて敵陣千葉に乗り込んでの決戦が始まるのである。

 今NHKスポーツの日本シリーズの「予想はよそう」と洒落た有働アナウンサーの質問に、解説者与田剛氏は、阪神が4-2で優勝すると予言したのである。

 今日の昼下がりに自分の議会通信「ガリバー通信」をポスティングしながら、いい汗をかいていたら、近くの公園から小学生の男の子たちの元気な声が聞こえてきた。「ストライクちゃうで、こんな高かったでぇー、ボールや」。

 おお、やってるね。Jリーグがスタートして以来、子どもたちにはサッカー人気が野球を上回ったとも言われていたが、どっこい男の子たちの「草野球」も健在である。

 私の小学生の頃は、リトルリーグなど立派なチームもなかったので、自分たちでチームを結成し「長池ベアーズ」と名乗っていた。地域の小学校の名前でもあるが、ベアーズは「がんばれベアーズ」が公開される前なので、熊集団が強そうだと思ったからなのだろう。

 八クラスあった小学校の学年だったが、フルメンバーは各クラスからの精鋭で占められていたので、試合はベアーズVS○○組と言った対戦がほとんどであった。そのため、ほとんどが10点以上の大差での勝利であった。

 しかし時には近くの公園を野球をするため場所取りに行っても、中学生が先に占拠していた時があり、怖さ知らずで中学生に対戦を申し込んで、あえなく惜敗したが、いい戦いをした記憶がある。

 今日見た子どもたちは「作戦を変えよう」とか「「あの作戦で行こう」とか、「作戦」を連発していて、なかなか、まともに投げたり、打ったりしない野球を楽しんでいた様子であった。

 とにかく明日からの日本シリーズが楽しみなのだが、テレビ朝日系の報道ステーションの解説者栗山氏は、ロッテが断然有利と予想をしているのである。

 先発は、阪神井川、ロッテ清水で、明日夜6時15分、千葉ロッテの本拠地であるマリーンズスタジアムでプレイボールである。

 阪神タイガースの勝利への鍵は、先発投手陣の粘り強い投球と、赤星、鳥谷、シーツ、金本、今岡、桧山、矢野、のレギュラー陣の熱い打撃であり、JFKで勝利の方程式は完成するのである。

 草野球の少年たちも、夜はきっと阪神タイガースの応援に熱が入ることだろうと期待している。
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同志社大学への道

2005年10月20日 | 地域の話題
 今朝、昨年度に改装されてキレイになったJR学研都市線の同志社前駅を決算委員会の現場確認視察で見に行った。

 同志社大学の京田辺キャンパスが開校して、早や19年経ってようやく、当時から狭くて危険だと指摘されていたホームと駅舎が新しく広く改装され、悪評の朝の通学時間帯のホームの危険性が少しは回避できるようになったのである。

 あの忌まわしきJR福知山線での電車転覆事故から約半年が経ったが、犠牲となった同志社大生が乗っていた電車は宝塚発、同志社前行きだったので、このホームや駅舎を通って通学していた二人犠牲になったと改めて思わざるを得なかった。

 この同志社前駅の駅頭に立って、たぶん二講時目を目指してやってくる学生たちがどっと電車を降りて、反対側のプラットホームから駅構内踏切を渡って改札口を通って、府道の信号待ちで駅コンコース的な場所に学生たちがひしめき合っている状態を見たのである。

 このJR同志社前駅の利用学生、特に女子学生には不評の「田辺坂」があり、徒歩約十分で、やっと同志社京田辺校地の正門に到着し、近鉄京都線を利用する通学学生は、より東北側の興戸駅下車で、早足で歩いても大学まで十五分はかかる距離があるのである。

 なぜに女子学生に不評かというと距離があるだけではなく、田舎町の風が吹きさらして、せっかくのお化粧が落ちてしまうからだそうなのである。

 たしかに田舎なのだが、今の季節は周辺の田んぼの稲が実り、田辺坂周辺の緑も美しく、なかなか味わえない自然と緑のいいロケーションでもあるのだが、学生たちには「田舎」のひとことで片付けられて不評のようである。

 この「田辺坂」だけではなく、同志社大学ならびに同志社女子大学に通学する学生さんたちにとっての通学路が距離があっても長閑な中に楽しく気持ちのよいアクセス道路になればと、いろいろ提案やアイデアもあるのである。

 十数年前に議会で、この「田辺坂」にサンフランシスコの観光名所ともなっている「路面ケーブルカー」の設置構想を提案したことがあり、思い切った学生街の雰囲気に包まれた沿道の出店や観光的相乗効果もありと思い、終点は体育施設などがある同志社校地の西端付近として、そこに「世界のお茶が飲めるカフェテラス」をとの提案である。

 その当時、商学部の先生と共に私は盛り上がって提案したが、あまりにも唐突奇抜過ぎてか、一笑にふされた様子である。

 楽しい通学路としての工夫は、乗り降り自由なケーブルカーの行き交う沿道に、ちょっとした食べ物、小物、学用品、本屋などのショップが並ぶ学園坂となり、観光名所にもなると今でも思っているのである。
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