ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

夜回り先生

2006年04月30日 | テレビマスコミ
 皆さん、夜回り先生で有名な水谷先生のことはご存知でしょうか。

 私はテレビで数回紹介されているのを見ながら、いろいろと現代の日本の教育と社会環境、家庭について大いに考えさせられました。

 水谷先生の現在のお仕事は、全国を飛び回る講演活動となっていると思いますが、先生は自宅ではパソコンと電話にかかりっきりの生活を送りながら、夜回り先生というニックネームがついた様に、夜の繁華街を中心に「夜回り」をされているのです。

 この「夜回り」は、少年、少女たちが夜中になっても街のあちこちにたむろしていて、大人たちの悪の誘惑に乗ったり、とんでもない犠牲者になる確率が高いために、家に帰ることや安全な行き先を示すためにされているのです。

 現代社会の中に生まれ、育つ子ども達が、いつの間にか家庭、学校から逸脱し、そうした仲間達と共に、不良グループに加わったり、覚せい剤などの誘惑に負けたり、未成年者には禁じられているタバコや酒に溺れたりしながら、昼夜がさかさまになった、闇の世界に埋没していく若者が急増しているからです。

 そうした若者を、少しでもまともな人生を歩める様に、気づきと安全の確保のために、水谷先生は限られた子ども達とは知りつつも、時間を割いて、夜な夜な街を徘徊しながら、子ども達に声をかけておられるのです。

 また自宅では、電話やメールでひっきりなしにコンタクトしてくる少年、少女たちの相手を丁寧にしながら、リストカットや自殺志願の子ども達に優しく、時には厳しく話しかけて、何とか生きることの大切さを示唆しようとされています。

 現代社会の中に埋没しかけて、我を失って行く子ども達を、観るに見かねて日夜奮闘されている水谷先生に、私は敬服し、とんでもない人だなと感心するものでもあります。

 東に病むものあれば飛んで行って、「ちゃんと医者にかかれ」と言い、西にリストカットした若者がいれば、「落ち着いて家の人を呼べ」と言い、北に覚せい剤中毒の子がいれば、「行って病院、施設を紹介」し、南に暴力団や悪の誘いにつかまったものあれば、「よーく考えて脱出を」と告げる。

 そんな地道な毎日の積み重ねで、救われた若者達がどれほどいることだろうか。

 この水谷先生だけでなく、世の中の大人たちが、他人であろうとも子ども達を優しく見守り、時には厳しく叱る、そんな対応が一番大切なのに、現代は「他人と関わったら自分が損をする」とばかりに、観て観ぬりをする大人たちばかりが大半となってしまっているのである。

 水谷夜回り先生に任せているのではなく、社会を構成している現代の大人たちが子ども達を悪と軽率な自死から守る「眼差しと言葉掛け」をしなければならないのだ。

 他人の子も、自分の子も分け隔てなく、社会の宝として、次代を担う大人予備軍として、皆で育て導く責任が、我々大人にあるのだから。
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米大統領と拉致

2006年04月29日 | 世界の問題
 昨日のトップニュースは、横田めぐみさんの母早紀江さんと弟拓也さんがアメリカ合衆国大統領ブッシュと面談し、北朝鮮による拉致事件の解決、すなわち国家的犯罪の拉致で人権を剥奪されている、横田めぐみさんをはじめとする多くの拉致被害者の救出に協力と国際的課題として取り組んでほしいと要望されたのである。

 横田めぐみさんが13歳で、突然北朝鮮工作員らの手によって拉致されて以来30年が経過し、韓国の拉致被害者の一人である男性と結婚しているらしいことが、関係者のDNA鑑定でほぼ解ったが、肝心の横田めぐみさんの消息と生死は未だに定かではない。

 横田さんのお父さんは体調が優れないために、今回の渡米は母早紀江さんと弟と一緒に拉致被害者家族会のメンバーも同行されたが、お二人が選ばれて大統領と面会し、現状と訴えを率直に述べられたことは大変有意義だったと思う。

 日本の某首相は二度の北朝鮮訪問を、その都度政治的パフォーマンスとして利用する様な対北朝鮮政策の展開の仕方で、実質的には日本人拉致被害者家族三世帯の帰国は実現したが、その後も多くの拉致されていることが確実な人たちの消息や生死が不明のまま、帰国に結びつく動きが全く進んでいないのである。

 二年前に死亡が報告された数人の日本人拉致被害者を含め、韓国、タイ、マレーシア、イタリア、東欧諸国なども含む多数の北朝鮮による拉致被害者の実態と救出への情報が見えないままである。

 ぜひ、この横田めぐみさんの母と弟との米大統領との会談が、世界的人権問題として世論の力もバックに、世界のポリスを自称するアメリカ合衆国の経済力と政治的指導力で「拉致被害者の救出」に結びつくことを強く祈り、期待するものである。

 ご高齢になられている日本人拉致被害者のご両親をはじめ、長年の残された家族の皆さんの悲しみと虚しさを、何とか早期に解決できる方向で努力していただき、どうしても元気な姿で家族との再会が実現することを祈るのみである。

 先日、第二次世界大戦に出征以来、60数年ぶりらロシアに滞在しておられた80代の元日本人兵士の男性が、家族や地元では死亡したものと思われていたのに、ご健在であることが判明し10日間ほど一時帰国されていたが、事情は全く異なるが、ぜひ横田さん、有本さんをはじめ拉致された日本人の、ほんとうの消息と生死が判明した上での再会を期待したい。

 金正日北朝鮮への経済制裁をアメリカを先頭に、日本、ロシア、韓国などが一斉にすれば、中国の支援はあるものの、北朝鮮の庶民の日常生活や国家体制の維持が困難になり、北朝鮮の国家的崩壊、朝鮮半島の統一というシナリオが近づくであろう。

 なによりも最大の人権問題である「拉致被害者」の救出に、世界のポリス米国の大統領が深い関心と解決策への意思を持ってくれたことが何よりも、大きな壁を崩すきっかけとなってほしい。

 くれぐれも小泉首相のようなパフォーマンスにだけは終わらせてほしくない。
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ある居酒屋で・・・。

2006年04月27日 | 季節の話題
 私はほとんど酒を飲まない。いや体は大きいのに酒が飲めないのである。

 学生時代には、成人したら少しは酒が飲めるようになり、親父とも時には酒を酌み交わして議論したり、駄弁ったりしたいなぁと思っていたが、その親父が私が21歳の時に亡くなってしまい、大学時代の学生仲間と酒を飲み交わすこともほとんど無かったのである。

 自分が社会に出て、仕事仲間と食事をしながら酒を飲む機会は結構あったが、実は二十歳そこそこの頃に、大先輩とある駅前の安酒場で一緒になり、当時の安酒で、たぶん合成酒を飲まされて、自宅まで普通は電車で三十分ほどで帰れるのに、気分が悪くなり駅に停車する度に降りてはもどし、最悪の気分を経験し帰宅したのは二時間後という体験をしたのである。

 それ以来機会ある毎に、場数を踏んだら飲める様になるよと言われつつ、少しは練習もしたが、やはり体に合わず、飲食を共にする機会は多くあっても、主に食べることに専念するようになったのである。

 若い頃はウイスキーを水割りで、あまり美味いとは感じなくても、かっこつけて薄いのをお代わりして飲んだりもしたが、現在は美味しいと思える酒はビールくらいで、生ビールを一杯いただくのが精一杯なのである。

 前置きが長くなったが、私の母と家人の母を車で誘って、桜見物に実家の近くの子どもの頃よく遊んだ池の傍の公園を散歩していたら、高校時代に出会って以来のI君が遠くからやってきて、仲間達と桜観会をやっているのに遭遇したのであった。

 その時はちょっと挨拶を交わしただけだったが、彼のホームページを観ていたら、行きつけの居酒屋らしき店が紹介されていて、私の実家に近い場所だったので、その居酒屋に彼を誘って、ゆっくり話したいと思ったのである。

 酒がほとんど飲めない私が、友達を居酒屋に誘うことは、めったに無いのだが、何となくそんな気分になって、大阪の下町の小さな居酒屋に出かけたのである。

 何と高速道路の高架わきの角地にある、十人程度で一杯の小さな居酒屋だったが、何とも誰もが以前から友達だったと思える様な空間であり、ママさんと言うべきか、粋のいいお姉さんが独りで切り盛りしている素敵な居酒屋だったのである。

 私は店に入るなり初めての店なのに、昔からの鋤簾客の様に生ビールを注文して、友人と大きな声で喋り、女将さんとも昔からの知り合いの様に話し出していたのである。

 何とも居心地のいい居酒屋であり、大変気に入ってしまったのである。

 ろくに酒も飲めない客ではあるが、気持ちよく喋って一時間余を過ごし帰り際には、友人の隣に座っていた同年輩と思われる優しそうな男性に、いつのまにか相談事を持ちかけられていて、彼の母親の介護の問題に私の経験と知識から応答していたのである。

 女将さんに勘定を済ませて、大根がまだ十分煮えていない「おでん」を食べそびれたので、金曜日に宅急便で送ってやと解らない冗談を言いながら、とってもご機嫌で帰途についたのである。

 ありがとう。久しぶりの友人との談笑の場所となった居酒屋さんと女将さん、そう言えば、あの花見の時のメンバーにちゃんと友人の傍に座っていた人が女将さんだったことを思いだした。

 また、きっと行くと思います。とっても居心地のいい小さな空間で、気持ちはホットに、やさしくなりそうです。ありがとう。
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チェルノブイリ原発事故から20年

2006年04月26日 | 世界の問題
 4月26日は、旧ソ連時代の1986年に、現在のウクライナ共和国のチェルノブイリにある原子力発電所の四号炉が最悪の大爆発をして、世界中を放射能汚染の恐怖に陥れた日から、満二十年の記念の日である。

 その当時のソビエト政府は、この事故の報道管制をひいたために、周辺に住むロシア人達も、ことの重大さの認識がほとんどないままに、三十キロ圏内の住民は翌日から一斉にバスで強制的に避難させられたのである。

 十万人以上の圏内の人々を圏外に避難させるだけでも大変なバス台数と誘導や説得に公務にあたる人たちが関わっていたと思われるのである。

 一方、四号炉の爆発火災の消化と共に、四号炉から放出される未曾有の放射能を食い止めるために、巨大なコンクリートによる「石棺」と呼ばれる建造物と言うか、囲いが造成されたのだが、この構築にも数日を要し、多数の労働者や消防士達が、事の重大さを認識させられずに徹夜の突貫工事に従事させられたのである。

 この原発事故で直接亡くなった人は、四千人と言われているが、とんでもない多数の放射能被害者が出ていて、現在に至る20年間で10万人以上の人が亡くなっているとも言われ、今後数十年間にトータル60万人以上の人々が、チェルノブイリ原発の影響で命を縮めるといわれているのである。

 日本では、水俣病と言う公害病が公式に発表されてから来月一日で五十年となるが、発見から十年以上は、国もチッソも責任を認めず放置して、その間にも多数の有機水銀中毒患者が増大していたのである。

 また薬害エイズにおいても、最近大問題になった感のあるアスベスト被害による中皮腫や肺がんの発症責任も、漸くクボタなどの製造会社が非を認めて保障の第一歩が出だしたばかりである。

 昨日、満一年を迎えた、JR福知山線、尼崎での電車脱線転覆事故の場合も、当初、JR西日本は線路上の置石が原因とするような見解を発表し、会社や運転手の責任と言う態度ではなかったのであり、107名もの犠牲者と400名を越える負傷者の大惨事となってから会社の安全性への軽視や運転手への教育のあり方などが浮き彫りにされだし、問題は人災的要因が強いと指摘され出したのである。

 いずれの事件、事故も人間の愚かなミスや企業の効率性や経済性の優先による、安全、安心の担保が優先されて来なかったプロセスに問題があるのである。

 昨今のJAL日本航空問題も含め、企業の社会的責任と安全、安心を最優先とする企業スピリットが欠如しているのである。

 耐震設計偽装や食品添加物問題なども、よくよく考えると「お金が儲かればいい」とする企業モラルの欠落が招く大きな危険、すなわち命や健康に多大な影響を与えることをシュミレーションできない、いやしようとしない、人間の勝手さ、無責任さの現れである。

 自分の命や健康を疎かにしたり、どうでもいいと思う人はいないはずである。

 他人の命や健康をも十分シュミレーションできる人格と能力ある、社会的にはエリートと呼ばれる人々が、如何に他人の健康や命を軽んじているかが明白に見えているのである。

 自分の命と健康は、自らが守らねばならないのだが、選択の余地が示されない危険性が、日常生活には潜んでいるので、しっかりと見極める必要がある。
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餃子を食べる

2006年04月24日 | とんでもない!
 内モンゴルの留学生二人と、ある中国人夫婦がやっている北大路川端付近の「餃子の店」に立ち寄り、久しぶりに美味しい餃子をたくさん食べたのである。

 十二、三人で一杯になる程の小さな店だが、店の主人が作る「ギョーザ」は格別に美味しく、水餃子と焼き餃子の両方をたくさんオーダーした。

 中国では餃子と言えば通常は「水餃子」で、ふっくらとした蒸した餃子をたれにつけて愉しんだ後、日本では定番の焼き餃子をいただいたのである。

 あんまり美味しいので、マーボ豆腐で白ご飯をいただきながら、再び「水餃子」を頼んで、三人で「餃子」をトータルで十皿も頼んだので、中国人夫婦もビックリして、「まだ食べるの・・?」と驚いていた様子だった。

 「餃子」と言えば、私は中国で忘れることの出来ない思い出がたくさんある。

 一つは、1985年に初めて中国を独り旅した時、桂林(クイリン)と呼ばれる水墨画に描かれた奇妙な山々で有名な観光地で、早朝から午前中の飛行機を待っていたのだが、リムジンバスが長時間来なくて昼過ぎになり、腹が減ったので当時の民航のオフィスが見える向かいの餃子屋で昼飯となった。

 中国語もほとんど話せないので店に入って、前の男子学生が頼んだ「餃子とビール」を真似て、同様に頼んでみたのである。彼は「イーチンパン」、すなわち一斤半頼んでいたのである。運ばれた水餃子は普通の皿に大盛で二杯半もあった。

 若い中国人の男子学生は、ビールを飲みながら約半時間で、この量の餃子を難なく平らげたのである。私もまだ30代の若さだったが一生懸命、餃子を口に運んで食べ切ろうと頑張ったが、遂に一時間経っても一皿分は食べることできなかった。

 まさに「食の中国」、中国人の大食漢を目の当たりにして感動というより、驚き以外の何物でもなかった。

 その翌年、今度は中年の友人五人で「中国の食」を体験しようと北京ダック、上海ガニ、そして西安餃子を食する旅をしたのだが、西安での餃子専門店での餃子の多種多彩さと量には絶句せざるを得なかった。

 餃子のフルコースをオーダーして、ある程度は予測していたので、前菜的な食べ物は少ししか食さず、「ギョーザ」の多種多彩な数量は覚悟して、慎重に中身を確認しながら味わっていたのだが、四字熟語の様な中国語表記の餃子が、ひとりに二個づつ、日本の握り寿司の一貫のように順に出てくるのであった。

 肉、魚、野菜は当たり前だが、中にはフルーツ餃子や砂糖餃子などもあり、多種多彩なのは面白いのだが、どんどん腹が膨れてきて、次に運ばれて来た異種の餃子に目をやりながら何時まで続くのかと、ため息交じりで惰性の様に口に二つづつ入れていったのである。

 その店だけでも二百種類はあると言われる餃子の内、四十種類程だったと思うが、もう食べられない!と思う感じであった。また運ばれて、皿に残っている餃子を指差し、お互いに「俺の分は食べたぞ、君のだぞ!」と半ば喧嘩ごしで、他人に食べさそうと皆んな必死の形相となり、参った!!。

 ギョーザのフルコースが終わったと思ったら、何とでっかい包子(バオズゥ)が大きなお皿に山盛り出てきた時には、皆の目が点となり驚きを通り越してしまい、笑うしか出来なかったのを今でも覚えている。

 中国は、餃子の本場である。とんでもない量とビックリする様な餃子が存在するのである。日本の上品な餃子の世界で、私は十分だが、毎年行く夏の内モンゴル草原では、一年に一度は食べきれない程の餃子を皆で作って食べることを楽しみにしているのである。

 
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国際交流って何だろう?

2006年04月23日 | 地域の話題
現代は情報社会の発展と国際的行きで、ネコも杓子も国際交流と言われている。
 今日会った内モンゴルからの女子留学生も、京都の龍谷大学で国際文化学科で学んでいるという。

 日本全国の幼稚園から大学まで国際交流や国際理解教育が流行で、大学もやたら国際文化や国際関係学部などを新設し、少子化時代に対応すべく、経営戦略としての学生獲得に躍起なのである。

 果たして国際文化や国際理解をテーマにした大学での現代的なテーマとしての国際交流は、どのように理解されているのであろうか。

 ニュースでは日本海に浮かぶ小さな島「竹島」、韓国名「独島」が両国にとって大変な緊張関係をもたらす問題となっていて、双方が緊急に会談したが相譲らず、ついには日本の周辺海域調査が中止され、韓国も国際会議への海底地名の登録を、今回は見送るという妥協案で一旦決着したのである。

 しかし日韓両国にとって、広大な排他的海洋地域と共に、海底の未曾有の油田や資源の可能性を見す見す放棄するわけには行かない、国権の至上問題のため、竹島の領有権について諦める話は無いのである。

 歴史的には、日本が1910年に侵略的に朝鮮半島を「日韓併合」し領土化したのだが、第二次世界大戦の終結後、韓国が独立し、朝鮮民主主義共和国が分かれて、1965年の日韓条約では、明確な「竹島」の領有権が明記されず、今にも及ぶ大問題となってしまったのである。

 国際交流や国際文化を語ることは容易だが、現代では多くの地下資源や過去の戦争や関係性の中で簡単に政治的レベルでは解決し得ない問題が山積していて、たぶん永遠に解決しない問題も多いのである。

 しかし民間での交流や文化の理解や行き来は、全世界の情報がインターネットで瞬時に伝わる現代と国際的な行き来の自由さの中で、全く政治的思惑や恣意とは異なった次元で盛んに行われているのである。

 今日も中国、内蒙古自治区から同志社大学と龍谷大学に留学している、日本文化と日本の精神的風土と宗教性を研究している二人の青年と、何と「チェルノブイリ原発事故から20年」の集いに参加したのである。

 同大大学院生は今年30歳になる青年で内蒙古からやってきて六年目の春、龍大で学んでいるのは弱冠23歳の日本が三年目の女性である。

 いずれにせよ20年前の四月二十六日に起きた「旧ソ連のウクライナ地方のチェルノブイリ原子力発電所で起きた、四号炉の大爆発事故など全く知らず中国国内では知らされていないのであった。

 しかし今回、地球上で起きた最悪の原発事故を知り、現在狭い日本に55基もの原発が稼動しており、60年前の第二次世界大戦末期の広島、長崎への初の原爆の投下という犠牲を蒙った日本の、問題提起の事実を知ってほしかったのである。

 彼女と彼は、原発事故でたくさんの大切な生命が失われた事実について、原子力発電の危険性と、こうした問題を今も深く受け止めて活動している日本人たちがいることを知って、中国の経済発展での電力不足を補う政策に原発の新設や導入を極力避ける願いを届けてほしいとも思ったのである。

 真の国際交流や国際文化理解は、きれいごとや儀礼的祭典や飲食を共にすることに留まらず、地球人としての共通の課題についても、大いに学び、理解しあうことでは無いだろうか。
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雷に引き裂かれた古い柿木

2006年04月22日 | 感じたこと
 いろんな生物が地球上には存在している。我々人間は動物であるが故に、動物との共存や生態には、わりと敏感である。動物の生命は、目に見えて動くので解りやすいためでもあると言えるだろう。

 しかし植物の生命については、ついつい疎かになったり生命あるものとの感覚が乏しい場合があるのではないだろうか。野に咲く雑草などを踏みしめていても、そう苦には思わないことが多いものである。

 今年は、なかなか春めいて来ないで天候異変なのか、いまだに朝晩は寒さを感じる日々が続いていて、春が近づいて来るのが遅く感じるが、至る所にキレイな春の花が咲きだしていて、桜の散った後の町のあちこちを美しく感じさせている。

 そんな中で今夕、ちょっと訪れた友人宅の玄関の大きな木が、春の新芽を出しているのに気づいたのだが、この木は根っこに近いところに、幹の半分以上の幅で穴が開いていて、中央部は中がむき出しで見えるように、裂かれたような空間があるのだ。

 友人夫婦に尋ねてみると、この木は柿の老木で樹齢は200年以上で、江戸時代から植わっている様なのだが、昔に雷が落ちて柿木は大きく裂けて焼けたのだそうである。

 なのに健気に植物としての生命は永らえていて、毎年新芽を出して秋には渋柿だが実るそうである。実った渋柿が熟す頃にはカラスやヒヨドリがやってきて、この実をついばむそうである。

 春の弱い日差しの中で、この柿木を良く見てみると大きくえぐれた幹にも関わらず、しっかりと栄養分を含んだ水分を吸い上げていて、老木にしては、いまだに青い新芽がいくつも吹き出しており、その新芽の横に昨秋の実の蔕が黒くなって未だについているのである。

 この柿の木は二百年以上も前から毎年、毎年、春に芽を出し秋には実をつけて、厳しい冬には、じっと我慢の月日、時間を送って、また新たな年の春を待ち続け、再び新芽を出してきたのである。

 人間や動物の様に、ある種の感情や鳴き声や言葉による表現手段を持たない植物ではあるが、きっとこの古き柿木は、ここを通るたくさんの人たちを見てきたであろうし、この友人宅の家族の歴史を玄関口で、ずっと見聞きしていたのだろうと思うと、感無量でもあり一度じっくりと幹に耳を当てて聞いてみたくなる。

 ネコや犬をはじめとするペット的な家畜や小動物を飼う人たちは、人間社会のストレスや仕事の疲れなどを、このペットや小動物によって癒されるというのであるが、植物からも大いなる癒しの効果を人間は感じることが多いのである。

 ここに立っている「柿の木」は、私達人間の営みを、どのように感じているのだろうか。

 きっと愚かな人間達に対して言葉は無くても、労わりの気持ちと癒しの効果を通して、生命の尊さと静かな命の連鎖を教えてくれているのではないだろうか。

 そう言えば、今年の一月に沖縄で見た、あの昨年夏の宜野湾の米軍ヘリ墜落で焼けた沖縄国際大学校内の樹木と似ていることに気づいた。

 さぞ、どちらの木々も、雷とヘリ墜落の火災という原因は異なるが、不慮の事故や自然現象での、痛みを乗り越えて、人間達に生命の尊さと力強さを、物語ってくれているのだろうと思うのである。
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春風に鯉のぼりが泳ぐ!!

2006年04月20日 | 季節の話題
今年の三月、四月はほんとうに雨が多くて、春らしい温かな天気が少なく、まだ朝晩は冷たく感じる日もあって、なかなか春らしい日和だと思う日が続かなく、ちょっとした天候異変を多くの人たちが感じている。

 今日も、農業に従事する方々と雑談していると、ぼちぼち田植えの準備に入りたい季節なのに、二月、三月に雨が多くて、田んぼが乾かなくて困ったことだとおっしゃっていて、一旦乾いた田んぼに水を入れて耕した後、田植えの準備に入るのが通常だと言われるのである。

 昨年秋の稲刈りから、田んぼは暫くの間、休んでいたのだが、最近は「野焼き」が禁止になったために、田んぼでの藁焼きも出来ずに、田んぼの栄養もなかなか十分に自然にはキープできない様子で、天候異変と共に、田んぼの段取りにも異変が生じているみたいなのである。

 そんな今日この頃ではあるが、日増しに春の日差しを感じる昼下がりが増えてきたと思うのだが、早四月も下旬に入っていて、近所の家にも、また田畑や里山をバックにした農家の家にも、元気な鯉のぼりが泳ぐ季節となっているのである。

 今日は、春風と言おうか、日中の突風交じりの風が吹き乱れて、道行く人々は歩きづらいし、私の様な軽自動車で行き来する人間にとっては、ハンドルをとられそうな突風もあり、車の走行も危険を感じるくらいであった。

 しかし、町中のあちこちに、元気な鯉のぼりが上がるのは、とっても嬉しいことであり、どれ程の元気なお子さん達が、そのお家におられるのかは存知得ない場合が多いが、少子化が叫ばれだして数年も経つ、現代の日本社会にあって、子ども達が元気に育つことを願うシンボルの「鯉のぼり」は、私達の願いの象徴でもあるのである。

 とっても激しい春の突風に、近くの家の鯉のぼりはカラカラと音を立てて、風に抵抗するかの様に、青空をバックに激しく泳いでいて、私自身も、その鯉のぼりを下から見上げながら、ついつい「がんばれ!鯉のぼり!」と叫びたくなる思いであった。

 五月が近づき、日本社会では多くの人たちが、いわゆるゴールデンウイークを愉しむべく、旅行や日頃できない家事や遠出など、いろんな計画や予定に頭を巡らせておられる季節だろうと思われる。

 しかし、ニッポンの食の基本である、「米づくり」を担っていただいている農家の人々や、農業に従事されるお百姓さんたちにとっては、地域や気候の変動にもよるが、概ね、この時期に一年の米の作付けへの準備がされる多忙な季節なのである。

 私達が何気なく一般消費者として、お米を買い求めて、日々炊いて食しているのだが、日本中の多くの田んぼでの半年に及ぶ、「米づくり」の成果がなくては、いただけないのである。

 改めて、自然の恵みとしての天候と共に、米作りに勤しんでいただいている、お百姓さんの苦労と労働に感謝して、美味しいご飯をいただける幸いを喜びたいものである。

 春風に泳ぐ鯉のぼりは、子ども達の元気な成長を祈るだけでなく、大切な米づくりのスタートを意味するシンボルでもある様に思えるのである。
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ゴミ有料化

2006年04月19日 | ちょっと可笑しいよ
 日常生活をしていると多い少ないの違いこそあれ、生活ゴミが必ず出ますよね。その生活ゴミすなわち一般家庭ゴミは、原則的には地方自治体が無償で収集、運搬、処理を行っているのが現状です。

 しかし昨今、環境庁、産業経済省などの方針、指導もあって、各地方自治体は粗大ゴミの有料化や、一般家庭ゴミの有料化、すなわち一部処理費用の受益者負担制への移行を検討し、有料化に踏み切った自治体も増加しています。

 戦後の高度経済成長を経て、いわゆるバブル景気を頂点に日本の経済活動も、経済性優先から限りある資源を生かしての循環型社会形成へと意識的な転換を図るべく、持続し得る経済発展と言う表現での「地球温暖化防止策」を含む、ゴミ問題に対する3Rと称されるリデュース、リユース、リサイクルが意識される様になってきています。

 そんな状況下で、我が市においても「粗大ゴミの有料化」が行政主導型で、ゴミ減量化推進委員会で議論され、今年になって「粗大ゴミ有料化の提言」がなされ、それを受けた形で三月議会に「粗大ゴミ有料化」に伴う、基金条例の制定と廃棄物処理の条例改正案が提出されました。

 私は、この問題の所管である建設経済常任委員会の委員でもあり、市民も交えた前述のゴミ減量化推進委員会の委員でもあることから、深くこの問題に対する議会審議に加わり、問題点の指摘と共に市民的視点からの反対の意思を表明しました。

 というのは粗大ゴミの有料化は、ゴミの排出抑制のためと言明しながら、収集、運搬、処分手数料として、最高額三千円もの手数料を前払いで負担しなければならない制度で、不法投棄をはじめ多種多様なクレームが内在していると思われるのです。

 また、この条例制定と同時に持込家庭ごみの従量制による有料化も行うということが提案後の委員会審査で判明し、ゴミ減量化推進委員会や建設経済常任委員会でも事前に説明やコンセンサスを得られていない市民負担を、ドサクサに紛れてやろうとする行政の条例案提案のいい加減さを指摘し、抜本的に基本的ゴミ処理計画や市民への説明責任を果たせる内容の提案に変えるべきだとの主張から、多種多様な質疑を行いました。

 そうした状況から三月議会会期中の委員会審査は継続せざるを得なくなり、本日二回目の審査、質疑を行いましたが、十分な担当部局、職員と理事者の答弁が得られず、再度継続審査することになり、いまだに条例案の賛否が決定されていません。

 ともかく市民不在で、最初に粗大ゴミと持ち込み家庭ごみの有料化ありきでは、市民に説明がつきません。

 ごみ収集、運搬、処理の今後の行政が担う計画での理念と展望を明確にした上で、財政的な問題もあるので一部排出者市民が負担する方向での「ゴミ有料化」は止む得ない面がありますが、一方的な行政の都合や理屈で、なし崩し的に「ゴミ有料化」へとシフトしていくことは好ましくありません。

 ぜひ生活者市民も自覚を持って、ゴミの減量化、排出抑制に繋がる、ゴミを出さない生活者へと意識の転換と共に、地球温暖化防止も含む環境保全と循環型社会形成へ、ひとりの地球人として考え、協力する者となっていただきたいと思います。

 
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定年後の男の居場所

2006年04月18日 | 日本の課題
 今朝、近くの駅前にある食品スーパーと数軒のテナントが入っているショッピングセンターへ出かけたら、平日のまだ十時過ぎというのに店内は結構な数の買い物客で賑わっており、しかも女性客だけでなく中高年の男性客も相当数おられたのである。

 私は、このスーパーの一角にあるパン屋さんの喫茶コーナーに時折立ち寄って、ちょっとした仕事の段取りや予定、課題などをまとめるため、パンと卵と珈琲で三百円のモーニングがある喫茶コーナーを楽しみながら、しばしカウンターから食品売り場を中心に観察していたのである。

 その店の顔見知りのパートの女性にレジをしながら伺うと、最近は開店と同時に馴染みの中高年齢の男性が多く来店され、しばしの時間ゆっくりと新聞に目を通しながら珈琲とパンを口に運ばれて帰られる様である。

 私も、その方々と同様にカフェオーレのホットを味わいながら、ゆで卵とパンを食し、今日と二三日の仕事の段取りや日程、備忘録などをチェックしたり、課題の整理などをすることがある。

 昨年暮れから特に私自身の質問だけではないが、俗に言う2007年問題に対する行政の施策や居場所づくり、ケアなどの議論がよく行われる様になっていて、よく観ていると確かに女性中年客の後ろから定年を過ぎたと思われる中高年のおじさんたちが買い物の荷物持ち的に、追従されている姿が目立つのであった。

 私自身も、もうすぐそうした年齢の仲間入りをする身なのだが、どうしても自分は別個に考えがちで、熟年夫婦のある主の悲哀をも感じる光景が多々見受けられる様に思うのは考え過ぎだろうか。

 来年度から、いわゆる団塊の世代の定年がスタートし、年金の受給についても、夫婦別々に一定の年金額をもらえる様になるとのことで、勢い熟年離婚が増えるのではないかと週刊誌をはじめテレビマスコミでも騒がれ出しているからである。

 中には男性一人が買い物かごを下げて小さな紙切れの注文品を探しながら、買い物されている姿もお見受けするのだが、大抵は母親に付き添って後から歩いている小さな幼児の様に?!、失礼だが中高年のおじさんたちが奥さんの買い物に付き合わされて、荷物持ちと運転手として従っているだけの姿にも見えるのである。

 そんな時代の移り変わりの中で私自身は、たまたま縁あって近くの住民センターで始まった「男の料理講座」に半年顔を出したことがきっかけで、十数年に及ぶ「男の料理サークル」の世話役を仰せつかっていて、毎月例会を持って男厨房に入って愉しむ手立てを、学びながら遊んでいるのである。

 これからの元気な定年後の中高年齢の男性たちにとっての、居場所と生きがいづくりは、行政の施策としての受け皿も含めて多種多様に必要な時代に突入していると言って間違いない。

 誰もが地域と家庭で楽しく有意義に他人と関わりながら、家族や友人達と楽しく過ごしたいと思われていると思うので、大いに積極的に仕事や経済的価値観を離れて、一緒にスポーツや趣味などを楽しめる機会を見出してほしいものである。

 男子厨房に入らずとも、料理をして共に食することは楽しいことであり、先日は野外での例会として、「タケノコを掘って、筍料理と牛乳豆腐入りの牧場汁」を桜吹雪とウグイスの啼く中で、楽しめたのである。
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