皆さん、夜回り先生で有名な水谷先生のことはご存知でしょうか。
私はテレビで数回紹介されているのを見ながら、いろいろと現代の日本の教育と社会環境、家庭について大いに考えさせられました。
水谷先生の現在のお仕事は、全国を飛び回る講演活動となっていると思いますが、先生は自宅ではパソコンと電話にかかりっきりの生活を送りながら、夜回り先生というニックネームがついた様に、夜の繁華街を中心に「夜回り」をされているのです。
この「夜回り」は、少年、少女たちが夜中になっても街のあちこちにたむろしていて、大人たちの悪の誘惑に乗ったり、とんでもない犠牲者になる確率が高いために、家に帰ることや安全な行き先を示すためにされているのです。
現代社会の中に生まれ、育つ子ども達が、いつの間にか家庭、学校から逸脱し、そうした仲間達と共に、不良グループに加わったり、覚せい剤などの誘惑に負けたり、未成年者には禁じられているタバコや酒に溺れたりしながら、昼夜がさかさまになった、闇の世界に埋没していく若者が急増しているからです。
そうした若者を、少しでもまともな人生を歩める様に、気づきと安全の確保のために、水谷先生は限られた子ども達とは知りつつも、時間を割いて、夜な夜な街を徘徊しながら、子ども達に声をかけておられるのです。
また自宅では、電話やメールでひっきりなしにコンタクトしてくる少年、少女たちの相手を丁寧にしながら、リストカットや自殺志願の子ども達に優しく、時には厳しく話しかけて、何とか生きることの大切さを示唆しようとされています。
現代社会の中に埋没しかけて、我を失って行く子ども達を、観るに見かねて日夜奮闘されている水谷先生に、私は敬服し、とんでもない人だなと感心するものでもあります。
東に病むものあれば飛んで行って、「ちゃんと医者にかかれ」と言い、西にリストカットした若者がいれば、「落ち着いて家の人を呼べ」と言い、北に覚せい剤中毒の子がいれば、「行って病院、施設を紹介」し、南に暴力団や悪の誘いにつかまったものあれば、「よーく考えて脱出を」と告げる。
そんな地道な毎日の積み重ねで、救われた若者達がどれほどいることだろうか。
この水谷先生だけでなく、世の中の大人たちが、他人であろうとも子ども達を優しく見守り、時には厳しく叱る、そんな対応が一番大切なのに、現代は「他人と関わったら自分が損をする」とばかりに、観て観ぬりをする大人たちばかりが大半となってしまっているのである。
水谷夜回り先生に任せているのではなく、社会を構成している現代の大人たちが子ども達を悪と軽率な自死から守る「眼差しと言葉掛け」をしなければならないのだ。
他人の子も、自分の子も分け隔てなく、社会の宝として、次代を担う大人予備軍として、皆で育て導く責任が、我々大人にあるのだから。
私はテレビで数回紹介されているのを見ながら、いろいろと現代の日本の教育と社会環境、家庭について大いに考えさせられました。
水谷先生の現在のお仕事は、全国を飛び回る講演活動となっていると思いますが、先生は自宅ではパソコンと電話にかかりっきりの生活を送りながら、夜回り先生というニックネームがついた様に、夜の繁華街を中心に「夜回り」をされているのです。
この「夜回り」は、少年、少女たちが夜中になっても街のあちこちにたむろしていて、大人たちの悪の誘惑に乗ったり、とんでもない犠牲者になる確率が高いために、家に帰ることや安全な行き先を示すためにされているのです。
現代社会の中に生まれ、育つ子ども達が、いつの間にか家庭、学校から逸脱し、そうした仲間達と共に、不良グループに加わったり、覚せい剤などの誘惑に負けたり、未成年者には禁じられているタバコや酒に溺れたりしながら、昼夜がさかさまになった、闇の世界に埋没していく若者が急増しているからです。
そうした若者を、少しでもまともな人生を歩める様に、気づきと安全の確保のために、水谷先生は限られた子ども達とは知りつつも、時間を割いて、夜な夜な街を徘徊しながら、子ども達に声をかけておられるのです。
また自宅では、電話やメールでひっきりなしにコンタクトしてくる少年、少女たちの相手を丁寧にしながら、リストカットや自殺志願の子ども達に優しく、時には厳しく話しかけて、何とか生きることの大切さを示唆しようとされています。
現代社会の中に埋没しかけて、我を失って行く子ども達を、観るに見かねて日夜奮闘されている水谷先生に、私は敬服し、とんでもない人だなと感心するものでもあります。
東に病むものあれば飛んで行って、「ちゃんと医者にかかれ」と言い、西にリストカットした若者がいれば、「落ち着いて家の人を呼べ」と言い、北に覚せい剤中毒の子がいれば、「行って病院、施設を紹介」し、南に暴力団や悪の誘いにつかまったものあれば、「よーく考えて脱出を」と告げる。
そんな地道な毎日の積み重ねで、救われた若者達がどれほどいることだろうか。
この水谷先生だけでなく、世の中の大人たちが、他人であろうとも子ども達を優しく見守り、時には厳しく叱る、そんな対応が一番大切なのに、現代は「他人と関わったら自分が損をする」とばかりに、観て観ぬりをする大人たちばかりが大半となってしまっているのである。
水谷夜回り先生に任せているのではなく、社会を構成している現代の大人たちが子ども達を悪と軽率な自死から守る「眼差しと言葉掛け」をしなければならないのだ。
他人の子も、自分の子も分け隔てなく、社会の宝として、次代を担う大人予備軍として、皆で育て導く責任が、我々大人にあるのだから。