ガリバー通信

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「ニッポンのジレンマ」

2012年01月08日 | テレビマスコミ
 お正月の「年賀状には、今年も「皆様のご健康とご多幸をお祈りします」と記したし、「今年も良い年でありますように心からお祈り申し上げます」とも書き添えた。

 しかし、21世紀に入って12年目の今年が昨年よりも「良い年」となるという保障はないばかりか、「ご多幸」と言うべき「幸せ観」や「豊かさ」などを心から感じることが出来るかどうかは、未だに「不透明感」でいっぱいである。

 そんな元旦の夜に、NHKテレビ「Eテレ」で、1970年代以降に生まれた20代から30代の若者で社会人として現役で活躍している、多様なオピニオンリーダー的存在の男女12名が集い、34歳の堀アナウンサーと28歳の女性司会者の下で、なんと6時間に及ぶ議論を展開した模様を、約3時間の番組として放映したものが、昨夜再放送されたので録画し、今日見たのである。

 「ニッポンのジレンマ」と題して、特に「格差社会」をテーマに語り出した意見交換は、まるでバトルとでも言う様な場面もあったり、オーディエンスとして別なスタジオで見聞きしていた多数の学生も含む若者たちの「質問や意見」と共に紹介されつつ、なかなか有意義かつ聞き応えのある面白い議論に発展していた。

 確かに現代の日本社会は多くの混乱の中にあって、経済状況は円高が恒常化し企業の投資や人材の活用や営業実績も頭打ちと言った感じで、早く「景気回復」をと願う企業人や勤め人さらに非正規雇用の若者が多く、新卒の就活中の学生たちにとっても、「就職氷河期」と呼ばれかねない厳しい状況下にあると言っていいであろう。

 しかし、この状況は決して日本だけではなく、昨年のアラブの春と言われた北アフリカから中近東にかけての「民主化」運動の嵐や、ギリシャに端を発するヨーロッパの金融不安、そしてアメリカ合衆国でも若者たちの「将来への不安」に対するデモが連日続いた様に、全世界的に不安定かつ将来に対する希望を見出しえない若者たちのムーブメントとしても顕著な現実が報道されている。

 しかし何故か、日本国内では若者たちの不満は底辺では根強いと思われるのだが、「格差是正」や「年金改革」に対する失望感、そして政治に対する不信感は強くても、なかなか有権者としての一票を投じて、社会のルールや仕組みを少しでも「変革しよう」という動きとは少ない様で、とにかく刹那的であったり、絶望感に近い思いを抱いている若者が多いと言われている。

 そういう状況下で自立し、なんとかフリーランスに活動したり意見を述べることの出来る若者世代の代表として参加している12名のスピーカーは、なかなかの論客ぞろいであり、現在の「格差社会」は、多くの若者にとっては「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉に象徴される如く、大変な将来になるかもしれない危惧や不安をよそに、フリーターやアルバイト生活でも、その日、その日は過ごせるので、何とかやれてると自認し、結婚をし家庭を持つという「理想の姿?」は放棄せざるを得ない状況にも「孤独」に耐えて、「スマホ」やPCによるSNS的繋がりやゲームの世界で生きているのかもしれない。

 特に21世紀に入って、少子高齢化が顕著に進む日本社会で、グローバルゼーションとIT化の波は避けることができないのは当然だが、選挙に行かない若者世代よりも中高年齢層に手厚い「社会保障」や「税の還元」がなされて、経済的格差が助長しているのではないかと言われている状況からどうすれば脱出し、「明るく元気な未来」が開けられるのかが課題のはずである。

 そこで、議論の中盤からは、戦後の日本の経済的発展や社会構造を作ってきた「OS」とでも言うべき、組織論理や法律、ルールが、いつまでも「右肩上がり」の資本主義社会特有の「成長路線」だけでは立ち行かないという現実は、人口減少と共にGNPで示される経済的地位ではなく、ブータン国王の来日で注目を集めた「幸福度」と称する様な「心の格差」にまで及ぶ「政策」や「志向」に変化させなければならないという、漠然とした「思い」を各々が持っている様であった。

 すなわち、「国」、「企業」「社会」などの「帰属意識」の変化、つまり「国」や「企業」、「社会」などへの信頼や信用度は減少し、ひょっとしたら「コミュニティ」としての地域社会や「家族」への信頼や愛情なども低下している昨今だとも言える現代は、決して悪意のない「ジレンマ」に多くの国民は苛まれているのではないだろうか。

 つまり、多種多様な欲求や願いに対して、それを解決したりその目的を達するための「ソーシャル・スキル」とも言える「人間力」が非常に現代人、特に若者には欠乏しているのではないかという雰囲気を感じつつ、そうした「人間力」を養う環境としての「教育」が果たして現代の日本社会では出来ていないのではないかという疑問すら感じたのであった。

 つまり、「民主主義」という名の議論や決定権に対する限界もあり、政府や国といった「官」に対して、地域やNPOなどの「民」が果たす役割が今後益々増すことは否めないのだが、現代社会には官による「事前規制」が大変多くて、自由な発想と「こうしてほしい」という「ニーズ」に対する「してあげよう」とする個人、グループに対する「事後規制」へ変革しなければ、この社会の変革は大変困難であり、各々が願う「幸福度」や「豊かさ」を感じる社会にするためには、経済力がなければ無理と言う、大変な「格差」が顕在化してしまうと思われるのである。

 多くのイノベーションは、テクノロジーと寛容さ、才能によって実現すると言われているが、全てに○か◎が結果として出なくても、△である徒労感を感じることなく、同世代や同郷、もしくは同窓や同じ目標や願いをひとつでも重ね合わせることでの「連帯感」を大切に、あなたが「見たいと思う変革を、あなた自身がなりなさい」という結論とでも言ったらいいと思える最後の締めとなった様で、とても「考える機会」としては楽しい時を持てたと思うのであった。


 

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2 コメント

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お年玉 (シラハマ)
2012-01-09 05:45:03
新年明けましておめでとうございます

ガリバーの今年は毎日の更新楽しみに読ませていただいています。
さて、新年もはじまり、部活に来た生徒たちに
「お年玉いくらもらった?」と尋ねると
多い生徒で4万円、平均は、1万円と少しであった。
1日は、父方の親戚に行き。
2日は、母方の親戚に行き。
3日は、父の会社の新年会に行き。
僕は、40年前に10万円くらのお年玉をもらっていた。
その分、両親の出費も多かったと今になれば想像できるが、とりあえず、正月には、いっぱいの人たちと出会い、話をし1年をともに祝った。
今でも、そんな家族はだけでなく、親族関係があるのだとは思うが、少ないのではないかと思う。
1年に1度、親戚が集まって、縁談から就職、カウンセリング等、今、行政がやっている仕事を血縁関係でそれなりに処理していたのではないだろうか。
もう一度、「三丁目の夕日」の頃にかえろう!
なんて思わないけれど、もう少し、本当に「絆」なんてものが、行政のかけ声でできるのかどうか、疑問である。もし行政がするなら「五人組制度」みたいなものになるのではないかと考えてしまう。
個人で自立なんてなかなか難しいし、親族とか縁者なんかをもっと活用するようなキャンペーンもいいのかも。

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Unknown (湘南たかとり1丁目)
2013-12-01 18:14:36
ニッポンのジレンマは、来年の4月からはTBSが「内村とザワつく夜」の後継番組として放送するそうです。
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