ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

やっぱり、ご苦労さん!!

2013年04月30日 | 感じたこと
今月はともかくいろんな出来ごとがあって、とても忙しくて我が「ガリバー通信」を記す機会が極端に少なかった。

 しかし、予想通りと言うべきかどうかわからないが、私のブログを読んで下さる方々の中に、特に時事的問題をテーマにした際に、コメントを書き込んで下さるのは有難いのだが、いつも匿名で私の意見や考え方を一方的に批判し、誹謗中傷とも思える反論を寄せる暇な方がいるのである。

 政治的テーマに関わらず、考え方や意見が異なるのは当然だと思うし、ブログ上であつても意見交換や議論をするのはやぶさかではないが、とても不快感を感じる様な書き込みやコメントばかりを集中的に寄せる匿名氏がおられるのは遺憾である。

 そこで、先日からそてしまいまして。ういう感じのコメントで名も無く匿名で、何処の誰かもわからない不快なコメントは発見次第削除させていただくこととしました。

 今まで、私のブログに対して、そろそろ時事問題を取り上げて下さいなどと要請しておきながら、たぶん予想通りにご自分の意見や考え方と反する内容だった場合に、とても熱のこもった反論をコメントされるだけでなく、人格や思想、人間性までをも否定するような失礼きわまる方と感じて、今後一切のコメントの投稿をご遠慮いただきたいと警告します。

 私自身だけでなく、たくさんのブログを楽しみに読んで下さっている方々にも、不快感を与えていることに貴方は全然無頓着な失礼な方だと推察します。世の中には多様な人たちがいて、ものの考え方、価値観、思想、信条はまちまちであって然るべきです。

 2004年の11月にスタートした「ガリバー通信」は、現在までに私の稚拙かつ素直な思いと考え、心情、生き方、出来事に対する思いなどを綴って、2千数百日書いてきましたが、そういう方がいることで、とても不愉快に感じたりして、書く意欲や素直にパソコンに向かう気にならないことも多くなってしまうこともありました。

 「やっぱり、ご苦労さん!!」とは、今まで数多くの私の意見や考え方に対して、未熟だとか変だとか、遂には北朝鮮や中国に行けとか書いてこられた匿名某氏に対する、せめてものお礼の言葉です。お疲れ様でした。今後コメントはいりません。

 この4月は、姉の突然の死、愛車のトラブル、印刷機の故障、毎日愛用しているスマホの突然の不具合など、ともかく人間と同様に、経年変化、または老朽化とでも言うべき異常が多々発生し、とても困りました。

 愛車のトラブルについては、今は生産されていない車なので中古車として購入したのでやむをえないとも言えるのでしょうが、度重なる故障と部品などの交換が相次いで、購入価格の三倍の以上の出費を余儀なくされてしまいましたし、中古でこれも購入した簡易印刷機、リソグラフについても一つの部品がイカレたと思ったら、部品が届いて修理が完了かと思いきや別な部品が痛んでいることが判明するといった具合で、とても費用がかかってしまいました。

 いずれにしても、長く付き合いたい自動車と印刷機ですので、多少の出費はやむ得ないと諦めかけてはいますが、そういう不具合が一度に重なって来るので、とても財布がピンチになるのです。

 ついでに申しますと、実は私たちの家の狭い庭に、亡くなった姉が30数年前に贈っててくれた木が成長して、十メートルを超える大木となってしまい、毎年たくさんの枯葉を落としてご近所の家や庭にも散りますので、大変迷惑だと家人がずっと言っていたので、贈り主の姉の死で踏ん切りがついたので、伐採することにしたのですが、たった一本の樹木ですが、十メートルを超える大木となっているので素人では伐採が危険なため専門業者に依頼すると、なんと1メートル5千円から1万円、場所や作業のやり難い場合のリスクがあれば、なんと最高20万円も経費が必要なこともあるらしく、またまた出費が要る様でとてもアンらっキーな4月となりました。
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靖国と国体

2013年04月28日 | 感じたこと
 言わずもがなではあるが、靖国の春の大祭に参拝した、麻生副総理兼財務大臣と榊を奉納しただけという安倍首相という日本の政治家トップの二人の行動と言動と日本を守るために戦った英霊に対して参拝もしくは感謝するのは当然だと言う、百数十名の衆参国会議員たちの行動に対して、韓国と中国が歴史的認識が誤っていると猛反発している。た

 麻生は首相であった時代には靖国参拝に対して慎重にしていて、中韓などのアジア諸国への配慮で参拝はしていなかったのだが、第二次安倍内閣で首相に替わる副首相という立場になったことを軽んじてか、うかつにもいや確信犯として靖国参拝をしてしまったために、領土問題でとてもセンシティブになっている日韓、日中間に新たな火種とも言うべき課題を設けてしまってた。

 敢えて言っておくが、やはり靖国問題に対しては軽率な行動であり、言動も含めて中国や韓国に対する配慮というよりも、そもそもの靖国神社そのものに対する疑問があるし、ましてや戦死した兵士をただ祭るというだけでなく、時の権力にとって都合のいい故人だけを祭るという形での宗教法人としての設立であり、第二次世界大戦でのA級戦犯と国際的には判定された政治家、軍人をも戦後に合祀したという、いわくつきの組織だと思うのである。

 国のために戦った人をただ祭るというのなら、宗教的祭礼ではなく平等かつ何人も民間人や兵士のわけ隔てなく祭ればいいと思うのだが、実際は、例えば西南戦争での西郷隆盛は祭られていない様に、お国にとって協力したとみなされた方、いわば官軍の兵や師だけが祭られているという現実は、やはり可笑しいと思うのである。

 時の権力というものは、自分たちに都合のいいことや人は歴史的に珍重したり残したりはするのだが、自分たちに都合の悪いものや反政府的人物などは歴史上から抹殺してしまったり、無かった如く振舞うことは世の常であるたと様で、やはり国際的にも批判されてもしょうがないのである。

 つまり、戦前も含めて日本のみならず多くの国と国との戦争行為は、少なくとも強い国からの侵略的要素は否めないばかりか、第二次世界大戦における日本の戦争行為は、韓国、中国だけではなく多くの東南アジア諸国に対する「侵略行為」そのものだったのである。

 そんな歴史的認識の下での十数年前の当時の村山富市社会党首相の「歴史認識」すら、いまや安倍晋三首相は反故にしようとしている様子で、村山談話は政府見解にあらずとする認識まで最近は語りだしているという状況下での、麻生、安倍を中心とする自民党の多数派と維新の会やその他の靖国参拝超党派議員団の連中の行動と言動は浅はかとしか言い様がないのである。

 私たち国民にとって、日本を守るとか日本を愛するというのは、当然多くのアイデンティティとして確立しているとは思うのだが、いまや地球の人類の共存をしっかりと志向しなければいけない時代に、ただ日本だけが正しいとか日本のためには諸外国はどうでもいいとかいう無節操な思想や行動、言動は慎むべきだし、ましてや戦争という非常事態だったとしても、その後の国際社会での断罪や反省を促す提案や意見に対してて謙虚に耳を傾ける精神と相手を慮る配慮が必要なのではないだろうか。

 靖国が宗教だとしたら、一般の国民、市民が現実に作られている神社に詣でたり、祭事に参拝したりするのは自由だと思うが、政治家や国際的な交流の時代に、世界的に影響を及ぼす関連のある財界人や、文化人をも含めて、我々地球人の将来のためにも宗教的特別な行事参加や国際的に物議を交わす恐れの有る言動や行動は、特に慎重に出来れば慎むべきだと思うものである。
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米軍占領下続く沖縄

2013年04月17日 | 日本の課題
 安倍晋三内閣となって数ヶ月、この間マスコミは日本経済再生という中で、「アベノミクス」という造語をもてはやし、如何にもデフレ克服で円安、株高の兆候が顕著で、内閣の支持率も上がり絶対的に国民に支持されているかのような錯覚を報じている。

 とんでもないことである。安倍首相の再登板はただ単に民主党内閣の至らなさが、国民に失望感を余儀なくさせ、昨年末の総選挙で自民党の大勝と橋下、石原がタッグを組んだ「日本維新の会」に風が吹いて議席を増やしたに過ぎないわけで、決っして絶対的な信頼や期待が国民、有権者の票になったわけではないと確信している。

 安倍首相の言動を見ていると、全く怪しい考え、理想が語られていて、まるでお山の大将にでもなった感じのおぼっちゃまぶりである。

 特に憲法の改正についての言及は、なんと憲法96条の「憲法の改正の条項」としての国会の2/3以上の賛成を要するという、とても重要な事項を過半数で改定、いや改悪との暴言が出ていて、自民党だけでなく維新の会の橋下や石原慎太郎を含む、改憲論者、いや右翼的思想の持ち主たちを背景に、大日本国憲法時代を再興したいとでも思っている輩達の画策が露呈している。

 彼らの主張の根拠は、戦後の日本国憲法は自立憲法ではなく、占領軍に作らされたものであり、わが国独自の自主憲法を策定しなければ、真の独立国とはなりえないというのである。

 それが改悪の根拠だというならば、憲法改定より前に現在も続いている日本中にある米軍基地、その内の7割以上が存在している沖縄の米軍基地の撤去を成し遂げてから言うべきではないただろうか。

 戦後の日本の経済的復興は、日米安保という日米軍事同盟のお陰で、日本が独自の軍事力に多大な税金を使わなくて済んだからだとの見解もあるが、私は平和憲法のお陰でもあると確信している。

 戦後、新日本国憲法第9条の戦争放棄のお陰で、日本国は国内だけでなく海外にも戦争という事態に対応した軍事的活動をすることなく、自衛隊と称する世界では日本の軍隊と称されている部隊、組織にも制約があり、文民統制と国会の承認という手続きを経てしか、海外への協力活動にも赴けないという縛りがあったお陰て、自衛官の戦争での死者、負傷者は紛争地でのテロや事故以外には生じていないのである。

 ともかく、自民党、維新の会などを中心とする現在の国会議員の勢力図で、過半数という民主主義の結論を出してしまうという暴挙に至らせてはならないばかりか、憲法という国の最高法規だからこそ、最低でも国民の代表だと当選すると豪語してやまない先生方の2/3以上の絶対的賛成を得ずして、憲法の改正はしてはならぬのである。

 どうも軽はずみに、その時代の権力者となった首相の一存や思慮深くない思いで、イッキに憲法改悪が出来るなんてことがあってはいけない。

 真に日本国憲法の改正が必要と言うならば、何をどう変えなければいけないのか、そしてその背景には何があり、国民の幸福と国の維持のために必要不可欠なことなのかどうかを、じっくり議論して、国民投票も踏まえて、慎重に時間をかけて議論すべき課題であることは間違いない。

 沖縄の嘉手納基地以南の米軍基地の返還について日米で合意したとか言ってはいるが、普天間基地の返還が約束されて以来、十数年経過しても戻っては来ないし、辺野古に新しい海上基地を米軍のために作らされるという新たな負担と、半永久的な米軍の占領下の沖縄を未来永劫続けることを約束した様な合意に、決っして国民の多くや沖縄県民は納得などするはずはなく、時の権力、つまり民主党時代も自民党政権でも全く同じで、世界のポリスを自認する米国に屈した、幼い自立出来ない日本の有様を、世界中の国々は不思議に感じているのだろうと思うのである。

 日本の独立国としての復権や沖縄の自立は、いまだまともではないのである。
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53年経た同窓会!!

2013年04月15日 | イベント
 ご無沙汰です。

、戦後のベビーブームの落とし子として、1960年代頃からは団塊の世代とも呼ばれて来た、私たちの全てが65歳となった今春に、同期学年同窓会をと準備を重ねて来て、昨日、大阪市立長池小学校の第31回卒業生同期生の同窓会を盛大に開催したのである。

 昨秋から多くの同期生たちの情報を集めて、同窓会の案内を往復はがきで通知し、9割近い返信があったが、参加しますの返信は結局73名であった。

 私たちが高齢者の仲間入りをする65歳となった昨年度を、人生の大きな第3ステージ?への節目と捉えて、今春の学年全体の同窓会を初めて企画し、半年以上の期間をかけて準備をしてきた集大成の同窓会本番が昨日正午より開催されたのである。

 言い出しべいと言うことで、代表幹事となってしまったので、当日配布の「思い出のファイル」とでも言うべき、返信葉書の仲間の近況などのコメントと53年前の卒業アルバムのクラス毎写真などを集めた小冊子を作ろうと決めていたので、この1週間は「てんやわんや」であった。
 
 75部の小冊子を自宅の簡易印刷機で印刷しようと思い、全ての原稿を準備していたのだが、金曜日の夕刻にいざ印刷しようと、古いが私には強い見方の印刷機であるリソグラフと称する理想科学のドラム式輪転機の様な印刷機が、製版の段階で動かないことが判明したのである。っ

 あわてて理想科学へ連絡したのは既に夕刻の5時を過ぎていて、故障で動かないことを告げると、土日は休みで月曜日対応しか出来ないとの返事だっだが、印刷できなければ大変困るのだと懇願し、サービスマンに何とか来てもらうこととなった。

 しかし、金曜の夜は自営の自然食八百屋の移動販売で行かなければいけないので、サービスマンが自宅に来てくれる時刻の6時過ぎには家にオレズ、サービスマンが自宅に到着し印刷機をチェックしてくれた結果が家人から電話で告げられた。

 輪転機の主要部分の部品を交換しなければ自動的には動かないのだが、サービスマンの経験と知恵からすると、手動でタイミングをうまくサポートして何とか製版が出来ることが判明したらしく、私は一旦帰宅してサービマンから、その手法の伝授を受けて翌日の土曜日に何とか印刷できればと、少し希望を感じた。

 しかし、サービスマン曰く、素人では危険だし、うまくいかないかもしれないので、原稿があるのなら自分がしましょうと申し出てくれたのであった。

 何とも気のいいと言うべきか親切なサービスマンの好意に委ねることになり、原稿とレイアウトなどの指示をして、私は八百屋の営業へと戻ってたが、しばらくして家人に電話をかけると、ほぼ印刷物はできあがった告げられ、困った時に出くわした親切な助っ人に感謝、感謝の気持ちであった。

 こうして翌日の同窓会は、印刷されたファイルを全員に配布し、私の司会、進行で無事行われて、何と53年ぶりに再会した旧友たちとも、まるで昨日まで一緒に遊んでいた幼い小学生時代と同様に、何の隔たりや遠慮も無く語り合い、本当に楽しい幸せな時を過ごすことが出来たのである。

 唯一ご出席いただいた82歳になられた恩師のアコーディオン演奏も交えて、母校の校歌だけでなく、サンタルチア、埴生の宿、故郷などの曲も演奏されて、みんな童心に戻って、歌い、笑い、仲間と昔話に花を咲かせた。

 桜咲く池の畔に、聳え立つ我らが校舎、あぁ長池に光あふれる、光あふれる・・・・。桜は散っても心の中は桜吹雪がいぱいの幸せな同窓会であった。

 多くの同期生との再会。仲間と恩師に感謝すると共に、理想科学のサービスマンにも感謝である。出来れば、5年後の70歳に再会出来ればと祈る。ありがとう。
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