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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「サプリメント」より食事。

2010年02月28日 | 感じたこと
 近頃、やけにテレビや新聞、雑誌に「ダイエット」や「健康推進」または、美白美肌効果や脂肪燃焼、中性脂肪除去などを謳い、関節炎、疲労回復、高血圧などに効くと思わせる、所謂「サプリメント」あるいは「健康食品」のコマーシャルが目につく。

 たぶん、この「サプリメント」や「健康食品」と称する業界、多種多様な商品の市場は、この不景気風、不況ムードの中、逆風とも思える「右肩上がり」の売り上げ曲線を描きつつ、順調に成長しているらしい。

 業界全体で何千億円という大盛況ブームに後押しされて、人口減少の兆しが顕著に進行する「日本社会」の中で、中高年齢層をはじめとして「健康、ダイエット、アンチエイジング、栄養、ビタミンなどの補給」を目的とする消費者によって支えられて、成長の一途を辿っているといえよう。

 中でも「通信販売」や「インターネット購入」などの「顔の見えない24時間受付」の便利さ、手軽さに乗じて、「○○以上購入したら、さらに何日分サービス」とか「○○円以上購入で宅配料無料」などを宣伝し、有名タレントや利用者コメントを掲載したりして、リアリティある「効果、効能」をアッピールして販売戦略を展開している。

 私は以前にもこのブログで記して警告もしくは異議を唱えたことがあるが、一般的には「医療行為」でもなければ、「効能、効果の責任」もないままに、多種多様な「サプリ」や「健康食品」が野放し状態で販売されていると言っても過言ではない。

 サプリメントや健康食品は、錠剤、液体、粉末、カプセルなど種類や形も数え切れない種類のものが世の中には流通していますが、こうした食品やサプリ商品の全てが安全性や健康増進効果があるとは限らないのに、多くの消費者が多額な代金を払っているのです。

 厚生労働省の基準により、健康食品のうち一定の基準を満たした食品に限って、保健機能食品の認定を受けられますが、「保健機能食品」は、実験データに基づく審査で安全性や有効性が基準に満たしていれば認可されますが、あくまで行政の定めた基準値で、栄養機能食品と特定保健用食品の二種類に分類されているだけです。

 すなわち、昨年ニュースになった「特定保健用食品」における問題指摘があった様に、万能であったり、体調や病因に係わらないという保障ではありません。

 「~が気になる方に」とか「○○を使って、とっても元気になりました」などの宣伝文句や効能、結果については全く因果関係や責任を持てるものではないのですが、如何にも「多くの人が満足している」と宣伝されているのです。

 確かに日常の食事、食品では摂取が難しいといわれる栄養素やビタミン、ミネラルなどもあるでしょうが、本来人間の健康に必要なもは基本的には「食べ物」から摂取できるもので十分なはずです。

 既往症や摂取が困難と言われる特殊な物質に関してのみ、医者の処方や勧めで「投薬」や補助食品として摂取することもできますが、人間本来の「健康」は、自然な食材をバランスよく楽しい食事で吸収することが一番だと考えます。

 高価なサプリメントや健康食品と称されるものを服用するよりも、美味しくて安全な食事を楽しんで、健康を維持増進しようではありませんか。
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「黒豆ご飯」と「粕汁」

2010年02月27日 | 季節の話題
 明日は二月最後の日曜日です。

 今年の冬は、関東地方では「暖冬」と言われた予報とは裏腹に二月の半分くらいの日に雪が降るという「さむーい冬」になったそうですが、京都は意外と温かな冬だったのではないかと感じています。

 あさってはもう三月、間違いない「春の訪れ」を今年は早く感じる二月下旬で、先日の朝にも早々と「ウグイス」が庭に遊びにやってきて、ひと鳴きして行きました。

 ところで、私たち男の料理サークル「おりじ」が毎月第四日曜日に開店している「宇治ゆめカフェ」の開催日が明日の日曜日なのですが、お父さんたちが作る「自然派ランチ」のメニューは、冬の定番料理のひとつである「鮭の優しい粕汁と、「黒豆ご飯」なのです。

 「黒豆ご飯」は、お正月用にと買い込んだ「黒豆」を少し水に浸しておいた後に「塩と料理酒、昆布」で味付けして「お米」と炊き込んだ、とってもすっきりとした美味さと甘味があるご飯に仕上がります。

 「粕汁」の方は、地元山城の城陽酒造さんの「大吟醸」の「酒粕」と、「麦味噌」「白味噌」をブレンドして、カツオだしのベースと混ぜ合わせ、薄塩鮭に大根、人参、サトイモ、長ネギ、こんにゃくなどと煮込んだ「やさしい粕汁」としてじっくりと味わっていただきたい自信作です。

 それに加えて、冬野菜の「チンゲンサイ」を活かして、「青梗菜と揚げの煮浸し」「キンピラごぼう」を小皿でお出しして、香の物としての「漬物と伊予カン」もサービスです。

 二月最後とは言え、冬の真っ最中なので、じっくりと昼食を食べていただき暖まっていただきたいと思って準備した「メニュー」なのですが、ひょっとすると春の陽気の「二月最後の日曜日」となるかもしれません。

 私たちの男のら料理サークルは、もう20年近く地元の市民センターを拠点に活動してきたグループで、一昨年秋から「宇治警察署近く」の元居酒屋をお借りしての、京都府が助成する事業の一環としての「宇治ゆめハウス」の活動に加えていただいて、一ヶ月に一度の「お父さんたちがつくる・オーガニックランチ」として楽しませていただいている活動でもあり、一般の方にもお気軽に食べていただけるようにと工夫とリハーサルをして本番に臨んでいる「600円ランチ」です。

 日曜日のお昼時ですが、十一時半頃から2時半頃まで、限定20~25食ご用意していますので、是非一度お近くの方はお越しください。

 近くの宇治橋通り商店街の入り口付近にある、小さな作業所である「宇治ゆめハウス」の関連活動として私たちも月に一度だけ参加させていただいての「自然派ランチ」です。

 お気軽にお近くにおられる方は、覗いて食してみてください。

 遠方の方も、機会が合えば、宇治警察署手前の「ステーキのどん」の前あたりの「赤いちょうちん」が目印の元居酒屋が、私たちの定食ランチの食べられるお店ですので、一度足を延ばして来てくださいね。

 
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映画「おとうと」

2010年02月25日 | ファミリーイベント
 吉永小百合主演、山田洋次監督の映画「おとうと」を観た。

 正月明けから宣伝していたので、いつか時間が出来たら観に行こうと思っていたが、どうも吉永小百合主演に文句は全くないのだが、「鶴瓶」が吉永小百合の弟役というのが引っかかって、どうもすっきりしない気持ちだった。

 決して「サユリスト」まではいかないが、吉永小百合出演映画は大抵観ていて、楽しんで観れるのだが、今回の映画だけは観終わって、「笑福亭鶴瓶」の配役が不満であった。

 日本映画界では、今回の「おとうと」の「鶴瓶」の演技も評価されて、各映画賞の助演男優賞にもノミネートされるということだが、私にはさっぱり彼の演技というより、彼のキャラがしっくりとは来ないのである。

 今回の吉永小百合演ずる未亡人の姉の実弟としての「役柄」が、いろいろと問題を起こす、出来の悪い弟という設定なのだから、しょうがないのかもしれないが、蒼井優演ずる吉永の一人娘に「小春」という名をつけた「名付け親」としての鶴瓶演ずる弟の結婚式披露宴での泥酔ぶち壊し事件のシーンなどは、何とも見てはいられないほど、「いい加減にしろや!」という気にさえなってしまった。

 ということは、「名演技」なのかもしれないが、どうも「素人役者」が演じているという感じが抜けきらない雰囲気が残っていて、何とも割り切れない、すっきりしない感じなのであった。

 後半の大阪で路上で倒れて世話になっている「みどりの家」と呼ばれる民間の終末医療と生活の場を提供している施設でのシーンでも、どうもすっきりとしない気持ちで観続けている自分に気づいた。

 大阪西成、通天閣の見える「みどりの家」という設定のシーンは、映画の終わりのエンドロールで、協力「希望の家」と出ていたので、私も学生時代に行ったことのある施設だったので、余計に親切かついい人たちに囲まれて、最期を迎えた「おとうと」の臨終シーンなどが、映画とは言え、合点がいかない部分もあり、鶴瓶のいくら痩せたとはいえ、太った体と共にミスキャストだという感が強かった。

 やっぱり何と言っても、結局「吉永小百合」という美人女優を姉として、あんな「鶴瓶」みたいな「おとうと」がいるはずがないとのミスマッチが根底にあるための、違和感がどうも離れなかったからだと思った。

 しかし、吉永小百合の娘役のかわいい蒼井優自身との再婚相手、長田工務店の青年、加瀬亮の若いカップルのお似合いさがあって、何とかこの映画のリアリティが最低限保たれたと言っても過言ではない印象であった。

 ついでに言えば、稔持さんの演技もバタくさくていただけなかったと思うのであった。

 暗い「おとうと」の臨終シーンのあと、認知症となった吉永の亡くなった夫の老母を演じた「加藤治子」の蒼井優の再婚の身内の結婚式に「あの人は来ないの?」と語って、母と娘が「呼ぼう!」と返答したラストシーンだけは、上出来だったと評価しよう。
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女王への戦い!!

2010年02月24日 | テレビマスコミ
 いよいよバンクーバーオリンピックで、女子フィギュアスケートが始まり、今日は前半とも言うべき「ショートプログラム」が行われ、日本の浅田真央選手がほぼ完璧な演技で自己最高点の73.78点をマークした後、韓国の金メダル候補と言われているキムヨナ選手が世界最高点の78.50点という最高点で一位となった。

 安藤美姫選手は、最終演技で少しもたついたが、64点強を出して4位につけ、鈴木明子選手は61点強で11位と少し出遅れたらしい。

 いずれにせよ、フィギュアスケートは「採点競技」であるため、細かい基礎点と技術面と表現力などの加点があるらしく、なかなか素人の私たちからすると、採点基準が分かりにくく、今回のショートプログラムの一位キムヨナ選手と二位の浅田真央選手の4点強の差とは一体何なんだろうと疑問視するコメントもあったが、ともかく「浅田真央」ちゃんにとっては、過去にキムヨナにショートで10点以上の差をつけられてもフリーで逆転勝利したこともあるので、明後日のフリー演技が楽しみである。

 浅田真央とキムヨナは、宿命のライバルとして、日本と韓国の国民ばかりか世界中のマスコミと人々が注視する中、多くの練習の成果もあって、お互いのプログラムをほとんどミスなく演技して、二人とも満足げな笑顔であった。

 両者とも1990年生まれの現在19歳で、生まれもキムヨナが9月5日、真央が9月25日で、身長も真央が163センチ、キムヨナも164センチである。

 宿命のライバルとしての2004年のジュニアGPファイナル以来の同じリンクで順位を争った計11戦での戦績は、一戦を除きキムヨナの6勝4敗で、ここ3戦連続キムヨナが勝利している。

 ジュニア時代からのライバルとなったキムヨナと真央に挑むのは、日本の安藤美姫とカナダのロシェットくらいしかいない模様で、明後日の「フリー演技」に最大の注目が集まると思われる。

 でも大丈夫だと多くの国民は、浅田真央と安藤美姫選手のメダルを確信していて、特に真央ちゃんがフリー演技に強いことから、韓国のキムヨナ選手を逆転して、日本に待望の初の「金メダル」を前回大会での荒川静香選手についでもたらしてくれるだろうと信じている。

 今回のショートプログラムで、真央ちゃんが最初に跳んだ3回転半ジャンプは、女子としてはオリンピック初の快挙だそうだが、キムヨナ選手の3回転、3回転の連続ジャンプの方が評価は高く、各々の基礎点として、真央9.5、キムヨナ10.0で、加点が真央が0.6点なのに対してキムヨナは2点と、この最初のジャンプだけで、約2点の差がついたのだというから、フリー演技でも「採点基準」などを克明に確認した上で、楽しく堂々と自信を持って演技してほしいと願うのみである。

 本当に「女子フィギュアスケート」は、氷上の女王を決めると言っても過言ではない、冬期オリンピックの華なので、是非「ガンバレ日本」の集大成としての「金メダル」を獲得してほしいと祈ってやまない。

 
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R1グランプリ2010

2010年02月23日 | テレビマスコミ
「お笑い」がどんな薬よりも効くといわれる今日この頃の「健康の源」説は、医者要らず、ストレス発散、どんな悩みも忘れて、明日からまた「頑張ろう」という気にさせてくれるのではないだろうか。

 漫才、コントを中心とした「M1グランプリ」が優勝賞金1000万円に対して、R1グランプリの優勝賞金は、その半額500万円であったのには納得できるのだが、審査員の評価のばらつきには合点がイカナカッタ人も多かったとは思うが、とにかく「ピン芸人」の今年のグランプリには、三年連続6回目の出場の「あべこうじ」が輝き、発表の瞬間に涙して、「やっとここまで・・・」と絶句した。

 07年、08年のR1に連覇の「なだぎ武」が1stラウンドで661点のトップでファイナルステージに勝ち上がり、またしても一年ぶりにR1王者に輝くのかと思って観ていたのだが、三位の「エハラマサヒロ」も同様だが、一人芸としては、道具を使ったり、踊ったりして、「話芸」の域を超えたパフォーマンスで、笑わせようとしていた。

 その二人に対して、「あべこうじ」は、R1グランプリの「R」が「落語」の頭文字ということからしても分かる様に、一人おしゃべりを追及した、本来の「漫談芸」の形の中で、現代風にアレンジしたネタをスピーディーに「しゃべくり」、審査員7人中、6人の評価を得て見事グランプリを獲得したのである。

 やはり、ファーストラウンドから、全員のパフォーマンスを観ていたのだが、紙芝居風の「絵や文字」を使用しての「おしゃべり」や、一発芸的な表現の連続、または途中から踊りや声色、すなわち「ものまね芸」を駆使したしゃべりなどと、本来の一人喋りの域を超えたものが大半で、「シンプル イズ ベスト」と言った感じの納得のグランプリであった気がする。

 私としては、関西の漫才コンビ「麒麟」のええ声の「川島明」と、アラフォー女芸人の「いとうあさこ」も評価に値すると思って観ていたのだが、なかなか審査の点数の出方では、ファイナルステージには残れない宿命の中で敗退したので、惜しい限りであった。

 あまりテレビでは観ることの少ない芸人の一人である「あべこうじ」が、今回グランプリを獲得したことで、今後彼の様な「漫談芸」を主体とする本格的な「一人喋り」の面白さを表現して笑わせてくれる芸人さんが増えることを楽しみにしている。

 「あべこうじ」以外には、昨年準優勝だった「エハラマサヒロ」に審査員の最終結果は一票が入っただけで、「なだぎ武」には、全く一票も入らなかったのは、ドラえもんかノビタ君か知らないが、けったいな人形に頼った独特のパフォーマンス芸が飽きられたのかもしれない。

 それにしても、他の4名の出演者の「グラップラーたかし」「バカリズム」「我人祥太」「COWCOW山田興志」の話術やパフォーマンスは、上位5人とは相当な隔たりがあり、あまり面白さを感じなかったのは、私だけだろうか。

 とにかく、ちょっぴり「笑い」を得て、今晩はぐっすりと眠れるだろう。感謝。

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『塩』ブーム!

2010年02月22日 | 感じたこと
 今、私は「塩」のブームについて、このガリバー通信に記そうとパソコンのキーを叩こうとしたら、やたちらと口の中に「塩分」が出てきて、何とも奇妙な感じであります。

 昨日、お正月用にと仕入れていた「黒豆」が余っていたので、思いついて「黒豆ごはん」なるものを炊いてみたのだが、出来上がった「黒豆いっぱい」のご飯を食べようとしたら、何か少々物足りなさを感じたので、塩を少々ふって食べると、際立って「黒豆ご飯」が美味しくいただけたのであった。

 誰からか戴いた「ピンクの塩」をまぶしてみると、口の中に優しい満足感が漂うような実感を感じたのであった。

 そういえば、先日もある知り合いの薬局で、「ヒマラヤの塩」なる袋入りを勧められ、鼻炎や花粉症など、鼻の通りが良くなるから、風呂に入った時に鼻の両わきに刷り込むように少し痛くなるまで擦って使用したらいいと言われたのであった。

 指先から指の付け根まで擦りこんだり、水虫の人も足の指間に擦り込んだら「水虫も治る」らしいと教わったのである。

 私自身は、有機の八百屋さんとして、「海の精」の赤ラベルの塩と「天塩」と呼ばれるちょっと粗い塩を販売はしているのだが、お客様の中にもいろんな「塩」に凝っている方がおられて、「モンゴルの塩」や「○○の塩」がいいとか言って勧められることもある。

 何故に、こんなにまで「塩」がもてはやされるのか不思議な気もするが、やはり人間の体にとって、「塩」は欠かせないものであり、最近の「健康ブーム」もあって、「良い塩」、「相性のいい塩」が、マイブームになっている人も多いようである。

 もともと「塩」は、全て「海水」が元なのだが、地球の長年の歴史の中で、現在は山になったところから取れる「岩塩」や「湖塩」などもあって、千差万別の成分の特徴があるらしい。

 海水中のミネラルと言われる金属イオンは、約70種類あるらしいのだが、塩化ナトリウム(NaC)の他にどんなミネラルが含まれているかによって、それぞれの味や特徴が違った塩になるらしいのです。

 普通は海水塩に含まれている多様なミネラルがあるのだが、岩塩や湖塩になると、塩化ナトリウム成分の濃度が高まっているものが多く、より「塩辛い」と感じる「塩」となっています。

 有名な「塩」としては、海水塩以外では、先にあげた岩塩の「ヒマラヤの塩」や「アンデスの塩」、ドイツ産の「アルベンザルツの塩」、湖塩としては、「死海の塩」などがあります。

 私はやはり完全天日塩と言われる、昔ながらの塩田で、文字通り完全に天日だけで最後まで「塩」にする製法で作られた、「自然塩」が体には一番いいように感じていますが、ほんとうに「塩」と言っても、ピンからキリと言うべきか、一粒いくらといった感じの高価な塩もあるみたいですね。

 何はなくても「塩」は、やはり人間の「命」と「健康」には欠かせないものですから、大切に補給したいものです。
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「山谷のキリスト者」

2010年02月21日 | ガリバー旅行記
 先日、私の古い友人の一人であるT氏から一冊の小さな自費出版本が届いた。

 その書名は「山谷のキリスト者」-1960年代の隅田川伝道所-

著者であるT氏の喜寿の祝いを兼ねた自費出版ということで「謹呈」としたちいさな紙が入っていた。

 皆さんは、東京の「山谷」をご存知であろうか。

 大阪では「釜ヶ崎」と同様の底辺労働者の町であり、安い宿泊施設である「ドヤ」と称する小さなベッドや部屋がたくさんあるビルがひしめく独特の雰囲気のある町である。

 そこに1960年代後半に出来た、日本キリスト教団「隅田川伝道所」と称するちいさなキリスト教の教会の出張所のような場所があり、当時著者のT氏はそこの「書記」をしていたのであった。

 私は写真に掲載した「山谷ブルース」というフォークソングの神様と一時期呼ばれた岡林信康のデビュー曲の背景にある、この「東京・山谷」に、彼より少し遅く1967年の2月から3月まで約一ヶ月半滞在したことから、彼と出会って以来の仲だから、かれこれ40数年が経過しているのである。

 当時、同志社大学の神学部の学生だった岡林信康が、近江八幡の父が牧師を勤めていた教会での「被差別出身の女の子」に対する差別事件の矛盾と問題提起から、混沌とした精神状態で訊ねたのが、東京の日雇い労働者の街、「山谷の近くにあった中森幾之進牧師の教会」であった。

 その夏の「山谷体験」を秋口に、京都御所の芝生の上で聞いた私は、初めて日本の資本主義社会の底辺で、過酷な労働を日雇いという形態で働きながら、日々ドヤで暮らし、酒やギャンブル、女に明け暮れている労働者がいることを明確に知ったのであった。

 まじめな学生生活を目指していた私自身も、強く岡林からの情報とメッセージに触発されて、翌年の後期試験が終わった、その夜の夜行列車で東京・山谷へと出向いて行ったのであった。

 それから毎日、毎日、山谷は「泪橋」という都電の電停前で、早朝からの「立ちん坊」を繰り返して、日々の労働を得て、その日暮らしの体験を続けたのであった。

 何処からか流れついた様な「ホームレス的労働者」の群れが山谷には集まっていて、多種多様な人間の坩堝であったのだが、非常に人間的な優しさも持ち合わせた「素敵な一面」も兼ね備えた社会的弱者の町でもあったと思い出すことが出来る。

 その地に流れ着いたひとりの青年が「隅田川伝道所」書記としてガリ版刷りで発行した「山谷のキリスト者」というミニコミ紙に私たちの同窓生でもあった平賀君が投稿した詞が「山谷ブルース」として、岡林信康のデビュー曲となったのであった。

 その当時の青春真っ只中での、苦い思い出、楽しい体験を思い出させてくれる数々のエピソードは、この本の著者であるT氏なくしてはあり得なかったと思うものが多い。

 彼は、今後も命のある限り、山谷、岡林、高石ともや、キューバ、革命、震災などをテーマに書き続けるだろうと推測している。

 Tさんのご健康を祈る者である。
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カーリングが面白い。

2010年02月20日 | 季節の話題
 バンクーバーオリンピックが開幕して一週間が経ち、日本は男子スピードスケート500メートルの銀、銅に続き、フィギィアスケート男子で初めてのメダルを高橋大輔選手が獲得して、またもやテレビマスコミを中心に大騒ぎである。

 それにしても、7位になった織田信成選手のフリー演技中の「靴紐が切れちゃいました」は、まるで数十年前の五輪マラソンでメダルを期待されていた谷口浩美選手が途中で「靴が脱げちゃいました」を思い出させる珍事で、22歳の大学生にしては愛くるしい織田選手ならではの事件だが、四年に一度の晴れ舞台でのアクシデントは、どうみても点検、注意不足と言わざるを得ない残念なことであった。

 今日は早く移動販売を切り上げて自宅に帰り、先ほどまで最近もっぱら話題の「メダルの可能性のある」と言われる「カーリング」の日本女子代表チーム、名づけて「クリスタル・ジャパン」と称する目黒選手を主将とする本橋麻里選手らのチームの第四戦、イギリス戦を偶然観て面白さがわかった。

 「カーリングは、」氷上での、ビリヤードとボーリングとゲートボールをミックスした様なゲームなのだが、氷上ではなく体育館などの木製のフロアーの上で展開する極似ゲームの「カローリング」というニュースポーツを孫のK君が三年近く続けているので、私も先日初めて参加して楽しむ機会があったので、「カーリング」をとっても興味を持ってテレビ観戦出来たのである。

 日本は初戦でアメリカチームに幸先良く勝利して予選リーグをスタートさせたのだが、世界ランク一位と称されるカナダに惜しくも逆転負けし、続いてお隣の大国、中国チームにも敗退し一勝二敗で迎えた第四戦だった。

 解説の方が盛んに日本の代表チームに声援を送りつつ、歴史に残る戦いであると称されていたが、確かにイギリスチームも的確なショットをヒットさせる好プレイが続き、第8エンドまで日本が6-4でリードして、第9エンドでイギリスチームに同点にされる可能性もあったが、最終的には相手イギリスが最終エンドを戦わずギブアップする11-4で勝利し通算成績を2勝2敗とするすばらしいゲームとなった。

 確かに真剣かつ厳しい読みと協議をしつつのゲーム途中の表情とは打って変わった「笑顔の日本女子チーム」の活躍を観て、心からのエールを送りたい心境であった。

 参加10チームの総当りの予選リーグなので、残り5試合があるのだが、世界の強豪と言われるチームと互角に近い2勝2敗で前半を終え、十分メダルを狙える可能性が出てきたと思う。

 浅田真央、安藤美姫選手らが出場するフィギィアスケート女子と共にバンクーバー冬の五輪の後半戦の楽しみの一つとなった「カーリング」競技をさらに応援したいと思っている。

 世界一の「カナダ」と決勝戦でもう一度戦って、雪辱しメダルを取ってほしいものである。
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有名になった「国母和宏」。

2010年02月18日 | テレビマスコミ
 冬期五輪のニッポンは、男子500mスピードスケートで、長島が銀、加藤が銅メダルを獲得して、ようやく「オリンピック」熱が盛り上がってきたみたいである。

 今日も仕事で京都市内の住宅街を訪問したが、年配の方々がインターフォーン越しに「今オリンピック見てるから・・・」と玄関先に出てくるのも惜しんでテレビ観戦されている様子が伺えるケースがニ三軒あった。

 日本人にとって、オリンピックというスポーツの祭典の時ほど、「日の丸」を意識することはないと言っても過言ではないほど、テレビマスコミを中心として「頑張れニッポン」ムードを盛り上がるのは何故なんだろうか。

 スノーボード日本代表選手の一人で、実力的にはメダル獲得も夢ではないと評価されている「国母和宏選手」のバンクーバー入りの際の空港での「腰パン」と「シャツ出し」が問題視され批判が集中し、一時は「出場辞退!」という話まで発展した。

 その後、賛否両論の中で、本人の反省のコメントや態度がさらに批判に拍車をかけて報じられ、結局は橋本聖子団長の温情で「出場」は出来ることとなったという。

 テレビ映像で見た「国母和宏」選手の「腰パン」や「シャツ出し」スタイル、ファッションを「品格がない」とか「日本代表」としての自覚に欠けると、批判めいた発言をした人たちは、どういう解釈だったのだろうと推察したい。

 国費を使って「オリンピック」に出ている選手は、国民の模範として公私共に振舞うのが当たり前で、いくら若くても、「ちゃんとした格好」をすべきだと言うのが、大方の意見の様である。

 国母和宏選手だけでなく、選手団に選ばれた「日本代表」選手たちは、各々が長年の厳しい練習と試合を経て、晴れて日本代表としてカナダ・バンクーバーでのオリンピックに行くのだが、決して「日の丸」を背負うなんていう思いを優先すべきだとは思わない。

 政治家や有識者と称される著名人が、どれ程「品格」と「日本人らしさ」を持ち合わせておられるかは定かではないが、日本人として「ちゃんとした服装」なんていう抽象的な批判ではなく、自分たちの価値観、すなわち「きちんとした品格」は既にもうないと言ってもいいのではないだろうか。

 江戸時代、明治、大正、昭和、平成と現代日本社会が変化する中で、確かにその時代らしい「品格」や「ファッション」があったことは認めるが、「これが正しい」すなわち、これがきちっとした正しい服装だと言う「規範」なんてものは、ある価値観の押し付けに過ぎないのではないか。

 国母和宏選手が「腰パン」と「シャツ出し」で登場して、誰が迷惑を蒙ったのであろうか。

 昔から大人たちは、「あんただけの問題ではない。」「母が笑われる」とか「世間に顔向けが出来ない」とか言って、一種のモラル、道徳観や価値観を子どもたちに教えてきたと思うのだが、オリンピック選手に特定の「日本人らしさ」を強制する必要はないと考える。

 残念ながら、国母選手のスノーボードの試合は8位に終わったが、堂々とした個性あふれる挑戦だったと思うのである。
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「にんげんをかえせ」

2010年02月17日 | 日本の課題
 今日、自宅に帰ると一冊の本が我が恩師ともいうべき先生から送付されていた。

 その本は「にんげんをかえせ・原爆症裁判傍聴日誌」という、京都原爆訴訟支援ネット編で、元朝日新聞記者の長谷川千秋さんの著書であった。

 その表表紙には、私には馴染み深い老先生の絵と題字が書かれていて、先生の被爆者としての反原爆と平和への並々ならぬ熱い意思が再び強く感じることとなるプレゼントであった。

 この原爆症認定訴訟は、広島原爆桑原訴訟、広島原爆原田訴訟、京都原爆小西訴訟、長崎原爆松谷訴訟、東京原爆東訴訟、北海道原爆安井訴訟などがあったが、一連の原爆症訴訟は個別訴訟から集団訴訟となり、2009年12月に「原爆症認定集団訴訟の原告に係わる問題解決のための基金に対する補助に関する法律」が成立し、大きく前進したといえよう。

 全国の集団訴訟原告数は通算で22都道府県306人、認定が248人、敗訴、未認定が15人、係争中が43人、死亡が69人となっている。

 この著者が2003年年以降、裁判傍聴を続けた「近畿訴訟」では、京都10人、大阪9人、兵庫12人、和歌山1人、計32人中、認定が26人、敗訴、未認定が1人、係争中、未認定が5人、死亡が9人である。

 峠 三吉 原爆詩集「すべての声は訴える」

 1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾により命を奪われた人、また現在に至るまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きているかぎり憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

     序  


 ちちをかえせ ははをかえせ

 としよりをかえせ   

 こどもをかえせ  

  
 わたしをかえせ わたしにつながる

 にんげんをかえせ    



 にんげんの にんげんのよのあるかぎり 

 くずれぬへいわを   

 へいわをかえせ


 続いて、八月六日、死、炎、眼、倉庫の記録、としとったお母さん、炎の季節、すぺての声は訴える、など23編を収録した、峠三吉の原爆詩集の中かから、「にんげんをかえせ」という、反原爆の叫びが出ているのである。

 この本の「あとがき」に著者は、「京田辺在住の画家、小野今(忠熈)さんからすばらしい表紙の絵と題字をいただき、心からお礼申し上げまする」とあり、小野さん自身、広島の被爆者で、お歳を召したにもかかわらず、毎年夏、京都の平和行進が京田辺に着くころ、遠藤に出て、あるいは市役所前での集会で、私たち行進団を励ましてくださいます。頭が下がる思いです。と記されていました。

 私の敬愛してやまない老師の熱い思いとメッセージでもある、「反原爆と平和への祈り」を改めて大切にしなければと思いました。
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