ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

『ヒトラーの投資』

2010年01月31日 | 日本の課題
 自民党政権から民主党政権への「政権交代」が昨年秋になされて、約5ヶ月が経とうとしているが、国会では小沢一郎幹事長と鳩山由紀夫首相の政治献金を巡る「不正と疑惑」の質疑が中心に行われているが、時々一刻と「日本の借金」が増加している。

 民間の「借金時計」によると、日本の国債を中心とする借入金に政府短期証券を含めると、何と現在「1088兆円超」の借金があり、国民一人当たりに換算すると何と「852万円」相当になるという、とんでもない「借金大国」となってしまっているのである。

 先日の週刊AERAの特集記事「インフレがくる」を読んでいると、それは日本国債暴落で始まるという副題がついていて、デフレに沈む日本経済が政府債務の膨大化が原因で「悪性インフレ」になるシナリオが書かれていて、その中に日本株を買った世界中のファンドの恨み節が噴出する短編パロディ映像の「ヒトラーの投資」が紹介されていた。

 作者は不明だが、投資の専門用語を駆使して「日本経済の弱点」をこれでもかと指摘しているため、各国の金融マンたちが溜飲を下げているというので、インターネット「YOU TUBE」で見てみると、なるほどヒットラー映画の映像を借りて、ある日の作戦会議を舞台に東京への進撃を勧める部下にヒトラーが声を張り上げているのだ。

 「東京に行く必要はない。あの国は投資不可能になった。内需は人口減のために永遠に落ち込み続ける運命だ。この20年、どうしようもなくダメだった。」とはき捨てる様にヒトラーが語るのである。

 さらに、「操り人形を選んでしまった」「警察の元高官を銀行責任者にした」と鳩山首相と亀井金融担当相を罵倒し、「ヤクサ゜と官僚が経営する古い国だ」とこき下ろし、「圧力をかければ改革を語るが、何も変化は起こらない。結果は失望ばかりだった」と総括しているのである。

 ヒトラーがそう語って、その映像は終わるのだが、昨年の日本のGDP(国内総生産)は、中国に抜かれて第三位になった模様で、世界のGDPに日本が占める割合も、1994年の約18%から2008年は約8%に低下し、2009年の第三四半期は、年率換算すると約470兆円にしかならなく、1991年の水準に戻っているのである。

 国債や借入金の政府債務は財務省統計上でも、90年末には、208兆円だったのに09年9月末には864兆円にまで膨れ上がっていて、2010年度の国債発行額は借り換え債も含めて空前の約162兆円となる見込みだそうである。

 ともかく巨額すぎて、私たちの理解能力では分からないというのが本音だが、国際的投資家や世界経済に明るい専門家の間では、この「ヒトラーの投資」のパロディが現実の未来予想図として取りざたされているらしい。

 日本人と日本の政治家たちの「楽観」的、「どうにかなるだろう」が、ここまで来てしまっている感が強いのだが、やはり「政治家」先生たちと、「経済界」に身を置く専門家たちが、近い日本の将来を見据えて、じっくり検討し解決策を見出していただく以外に、この難局を抜け出す道はないのである。
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「球春」近づく!!

2010年01月30日 | 季節の話題
 3月21日から阪神甲子園球場で始まる、第82回選抜高校野球大会の出場校32校が昨日決まり、いよいよ明後日からは2月、「球春」が近づいている。

 2月1日には、沖縄、宮崎を中心に日本のプロ野球12球団も一斉にキャンプインし、今期はパリーグが3月20日、セリーグは同26日の開幕に向けて、本格的なチームづくりと練習に明け暮れる。

 我が「阪神タイガース」は、昨年は惜しくも4位だつたために、開幕ゲームの主催の権利がなく、相手チームのホームグランドで開幕を迎えなければならないのだが、毎年Aクラス入りしていても、ホームグランドである「阪神甲子園球場」は高校野球に明け渡しているために、大阪ドームなどでの開幕戦を戦うこととなるのは少し残念だが、夏の[死のロード]と呼ばれる熱いビジターとしての連戦を余儀なくされることと共に,将来のプロ野球スター選手のために、甲子園という我がグランドを提供するという「美しき伝統」がある。

 いずれにせよ、今シーズンもいよいよ始まるといった感が強いが、実は今シーズンのプロ野球の話題は「西武の雄星」に一番は持って行かれてはいるが、次にはシアトルマリナーズで「イチロー」と共にプレイしていた元ダイエーホークスの城島捕手が阪神タイガースに入団して、新天地での活躍が期待されているのである。

 他には、巨人にドラフト一位指名で入団した社会人野球のホンダから入団した「長野」選手、「ながの」じゃなく「ちょうの」だそうだが、メジャーからやはりオリックスに復帰の田口選手、そして新監督として名を連ねる「オリックス・岡田」「広島・野村」「横浜・尾花」「ロッテ・西村」「「楽天・ブラウン」の5監督の采配とチームづくりが注目である。

 実は、私は明日から沖縄へと旅立ち、我が阪神タイガースのキャンプ地「宜野座」を視察する予定であり、選抜高校野球の出場チームに選抜された沖縄県の興南と嘉手納の両チームの祝賀ムードでにぎわう「琉球桜」が咲き乱れる「春の沖縄」を堪能してこようと思っている。

 私如きは、決して野球評論家でも、阪神タイガースや高校野球の関係者でもないのだが、小学生からの「野球好き」が昂じて、今や「阪神タイガース」のみならず「野球の楽しさ」に興じているので、この「球春」が待ち遠しくてたまらなかっただけなのである。

 小学校時代の草野球チームは「長池ベアーズ」と称して、三番キャッチャーであったし、高校時代には縁あって、ボーイスカウトとして選抜高校野球の前年度優勝校のプラカードを持って入場行進をしたため、私も甲子園の土を踏みマウンドにも立つことが出来た。

 また音楽事務所でマネージメントの仕事をしていた頃には、あの往年の「鉄腕・稲尾投手」とのラジオ特番に際して、その当時はまだ現存していた「博多の平和台球場」で、稲尾投手ともお会いできた。

 阪神タイガースのザトペック投法と言われた「村山実投手」とも、甲子園球場で握手をしていただき、サインを戴いたこともあった。

 ともかく「球春」来る。胸躍る季節。沖縄へいざキャンプ視察だ。
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「URCレコード」

2010年01月28日 | ガリバー旅行記
 昨日、私が最初に就職した?昔の職場である「URCレコード」の先輩から、一枚の葉書が届いていた。

 1970年代当初に、大阪の北区兎我野町という雑踏の中にあつた小さな「アングラレコードクラブ」と言う、自主制作を基点としたマイナーレコードを製作、販売する会社だったのだが、かつては「フォークの神様」とまで呼ばれた、岡林信康をはじめ、五つの赤い風船、加川良、高田渡、遠藤賢司、はっぴいえんど等のデビューレコードを発売した、今や歴史的になった会社であり、高石友也などを有した高石音楽事務所が発展したプロダクション「音楽舎」と同じ秦政明氏が社長の会社であった。

 そこに当時務めていた数人の仲間のひとりが昨年亡くなったことで、前述した先輩が、これを契機に「同窓会」を開いてみようと呼びかける葉書だったのである。

 何とほぼ40年の歳月が流れていて、あの頃の仲間、同僚の消息も分からない人もいるのだが、とりあえず連絡がつく人同士が都合をあわせて、故人となった仲間の奥さん、彼女もそのレコード会社の職員であったので、私もよく知っているので集まれる者同士で連絡を取り合って、是非会いたいものだ。

 年に一度の年賀状しかやり取りのなかった先輩が音頭を取ってくれたことをきっかけに、ほぼ40年近い「ご無沙汰の同窓会」が実現しそうである。

 「URCレコード」という小さな会社で仕事をしたのは、私の青春時代と重なっていて、大阪での仕事は、当時のフォークグループ「五つの赤い風船」のバンドボーイ兼運転手的仕事から、当時のアングラレコード的LPやシングル盤を車に積み込んでの「レコード店」回りなど、電話での受注から包装、発送、宣伝、営業と何でもやっていた。

 現代の音楽業界の実態は、既にCDやDVDからネット配信や携帯やI PADなどの通信機器やダウンロードで「音楽」を聴く、買う時代となっているので、全くアナログ全盛だった、あの時代の「レコード商売」とはまったく違った感覚で「音楽が製作」されていたり、発表されたりしているので、今や昔の感が強いし、現代の若者たちには想像できない世界になりつつあると言っても過言ではないだろう。

 そんな時代の若き仲間が何人集まれるかは知らないが、お互いの人生の半世紀近い道程を語りながら、ひと時を過ごせるとすれば、一人の職場の同僚だった仲間の死が取り持ってくれた「贈り物」という感じになるであろう。

 岡林信康の「友よ」や五つの赤い風船の「血まみれの鳩」、加川良の「教訓Ⅰ」など、懐かしい曲や歌声を思い出しながら、若きよき時代の「青春」を再び語ったりしながら、お互いの健康を感謝し笑える時にしたいものである。

 ほんとうに良き時代だつたとしか言いようのない「若き時代」を振り返りながら、お互いの歩みを称えあいたいものである。

 当時の社長や実質的な統括責任の弟さんは、既に他界されていると聞いたのだが、「URCレコード」は、永遠成りである。
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「リーク」するって?

2010年01月27日 | とんでもない!
 皆さん、まだまだ寒さが身に堪える季節ですが、お元気にお暮らしですか?

 昨今のニュースときたら、やたら国会での議論が自民党と民主党の攻防が全く逆になっての「政治と金」の問題、とりわけ鳩山首相と小沢幹事長の政治資金管理団体に関わる「不正か虚偽か漏れ」に纏わる問題と関連して逮捕された石川議員および二人の秘書の捜査の背景について、鳩山、小沢両氏の責任を追及するパターンが多く報道されているようです。

 「寒さ」ときたら、たぶん拘置所や刑務所の「寒さ」の方が経験はありませんが心身共に「寒い」はずなので、これからの捜査を見守りつつ起訴されれば裁判における「真相解明」が待たれるところですが、さて真実はどうなのでしょうか。

 冒頭に掲げた写真は、あの「疑惑のデパート」とまで社民党の辻元議員に言われた「新党大地」を現在は率いる「鈴木宗男」議員なのですが、彼が一月の民主党大会に招待され、述べた「祝辞」の中で、小沢一郎幹事長ならびに鳩山首相へのエールを送る形で述べた「検察批判」のスピーチが迫力あるものでした。

 その概要は、インターネットの「YOU TUBE」でも全文、カットなしで見聞きできますが、彼は8年前の自分の逮捕に及んだ「国策捜査」の経験から、今回の小沢事務所の事件に関しても「検察のリーク」、すなわち秘密情報をわざと漏らす形でマスコミ、世間を誘導した「権力のいたずら」だと糾弾しているのです。

 もともと「リーク」とは、漏電のことですが、現在では故意に秘密、情報などを漏らすこととして多様な形で使われている言葉となっていますが、彼も「ムネオハウス」偽計業務妨害、「アフリカODA」に関する開発援助問題、「三井物産の北方領土支援」などに関する
不正という情報がリークされて、大騒ぎになったが、現在裁判中の問題は400万円の政治資金虚偽記載に関する問題だけで、他の問題は起訴、裁判のテーマにすらなっていないと言うのである。

 すなわち、多くの情報が何処からか「リーク」されて、マスコミを中心に大騒ぎになり、現在の小沢一郎の事務所及び後援組織に関する、如何にも「不正な金」の動きが間違いなくあるとする「雰囲気」が世の中の認識になりつつあると言うのである。

 彼に言わせれば、間違いなく全部が「検察のリーク」で、世論が誘導されているのだとの見解で、石川代議士の逮捕に関しても、検察官はサッカーにたとえれば手も使えるゴールキーパーのような役割だが、いつのまにかフォワードの第一線に出て、手も足も使って「何でもあり」のプレイをしている様な感じだと言及しているのです。

 逃亡や罪証隠滅の恐れもない代議士を逮捕までして、マスコミに「さもありなん」といった情報を『リーク』することで、如何にも国民は「悪いこと」をしたんだから逮捕されたんだと思ってしまう様な「誘導」をしているのだとの見解を述べ、小沢幹事長及び鳩山総理と民主党議員たちに「検察との戦い」にエールを送ったのである。

 さて、「リーク」されている情報の真偽は私たちには分からないが、是非「真実」を判明させてほしいものである。
 
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懐かしい「馬毛島」が?

2010年01月26日 | とんでもない!
 昨日書いた「普天間飛行場の撤廃」に関する、米軍基地の代替地が政府の間で検討されていて、その協議の委員会の座長を務める「平野官房長官」が、昨年暮れから沖縄本島に近い伊江島と宮古島のそばの下地島、そして何と鹿児島県の種子島の西の沖合いに浮かぶ無人島、「馬毛島」を移転候補地として視察していたというニュースがあった。

 昨日も記したが、私は日本に米軍基地はいらないという意見、立場なのだが、政府はアメリカ合衆国との日米安保に基づく「基地の提供」を前提とした、普天間基地に代わる代替地を名護市東岸の「辺野古」以外に模索している様子である。

 しかし、名護市長に当選した稲嶺氏も「県外移設!」を掲げているだけで、決して「米軍基地はいらない」とは言っていないし、仲井真沖縄県知事も多くの国会議員、政治家の中でも「県外」「県内」あるいは本土にと「移設場所」探しが前提の議論ばっかりしか聞こえて来ないのは何故なんだろうか。

 そして今回の平野官房長官の秘密裏?の視察場所が、既に空港があり、米軍の離着陸の訓練などにも使われたことのある沖縄県の伊江島と下地島が候補地として浮上しているというが、島民ならびに周辺住民や漁業関係者は「断じて反対」だとインタビューに答えている。

 伊江島は第二次世界大戦の末期、四月に米軍が上陸し多くの島民が死んだ島だし、下地島も平和な南西諸島の一角にあるキレイなさんご礁で囲まれた自然豊かな島で、飛行場はあるが軍事的目的の飛行は断じて許さないと「反対の声」が上がっている。

 鹿児島県、種子島の西に浮かぶ「馬毛島」は、戦前から戦後もしばらくは「トビウオ漁」の基地として多い時は500人もの島民が生活していた島なのだが、三十数年前からは「無人島」となっていて、日本で二番目に大きい無人島らしい。

 実は私自身、子どもたちの野外活動団体でリーダーをしていた1980年代に、無人島としての「馬毛島」を借り切って、「無人島冒険学校」なる子どもたちの一週間に及ぶテント生活を100人近くでやったことのある、「懐かしい島」なのである。

 その当時も石油備蓄基地候補、核廃棄物処理場、自衛隊の演習地等、いろいろな使用目的と共に、地元では観光開発をもくろんだ会社もあったのだが、多種多様な複雑な背景で、ほとんど手付かずの広大な土地、アダンや熱帯性低木の茂る島であり、「馬毛鹿」と呼ばれる野生の鹿の群生する島だったのである。

 その後、殿様バッタの異常繁殖などで島の草木が途絶えたり、島の大部分が燃えるアクシデントもあり、いろんな話題が耐えない不思議かつ奇妙な可能性を秘めた島だったのである。

 今回浮上した「米軍基地の代替地」としての可能性はともかくとして、現在最高4000メートルにも及ぶ滑走路が建設中であると知り、多額の設備投資を担う財源と共に裏で蠢く利権や業者、政府の思惑など、再び「きな臭い」感じの計画が見え隠れしている。
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米軍基地はいらん。

2010年01月25日 | 日本の課題
 沖縄県名護市の市長選挙が昨日行われ、普天間基地の移転先として日米合意がなされていた名護市の東部の海岸「辺野古」への移設に反対する稲嶺新市長が誕生した。

 普天間基地を市の中央部に持つ宜野湾市の伊波市長は、早くから「普天間基地」の撤廃を主張しておられる革新的市長なのだが、日米で15年前に合意した「普天間基地の移転問題」は、その後名護市の辺野古の米軍基地キャンプシュワブの沖合いに移転建設されることとなったのだが、自民党政府の時代の決定が民主党政権になって方向転換の兆しが出てきたのであった。

 そもそも、日米安保に基づく「日米同盟」とやらを構築してきたのは、戦後長きに渡って日本の政権を担ってきた自民党を中心とする保守勢力であり、長年の日米関係を民主党政権への「政権交代」でどう変化させられるかが注目されているところである。

 しかし、昨年夏の総選挙での政権交代は実現したが、鳩山首相、岡田外務大臣、北沢防衛大臣、平野官房長官、小沢党幹事長と、民主党内での意見も微妙に違っていると感じられる中、連立政権を組む社民党や国民新党の考え方にも開きがあると思われる。

 この15年間、太田県知事時代から稲嶺、そして仲井真知事と沖縄県知事も変遷し、移転候補地の名護市では今回で3回の市長選挙と、普天間基地移転候補地としての辺野古の住民投票と四回もの住民を分断するが如き「賛否の戦い」が行われたのである。

 市長選挙では過去二回は岸本市長、島袋市長と辺野古への基地移転を容認する民意が勝利した形だったのだが、基地問題での住民投票では移転反対の住民意思が確認されるという市民を二分する戦いが続いたのであった。

 もういい加減にしてほしいと地元住民は今回の市長選挙で「反対派」の市長が当選した直後のインタビューに答えていた人がいたが、日米の政治的課題である「安保条約」の50周年にあたる2010年だそうなので、5月までに政府がアメリカの意向と与党間の意見と地元の民意を尊重して決定するという「先送り」をしている決定を思い切ってしてほしいものである。

 すなわち、名護市民だけでなく、沖縄県民、日本国民の大半の本心は「米軍基地はいらん」なのだが、地元では基地に依存した経済や仕事とのハザマで、基地止むなしと思う人がいたり、日本国中でマスコミや自民党などの政治勢力の宣伝で、「米軍基地は不可欠」とする一方的考え方が主流にさせられているだけなのである。

 そもそも「日米同盟」とは何か。「日米安保」を強引に締結させた1960年の岸自民党内閣に端を発した「日米関係」そのものが半世紀も経って、未だに変わらず独立国ニッポンのはずが、アメリカ合衆国の属国または一つの州の如く扱われている「平和と安全保障」そのものを変革すべき時代に来ているはずである。

 この好機、政権交代で民主党を中心とする内閣になった今こそ、日米関係を根本的に自主独立の日本の姿から民主的に変えなければならないのだ。

 「沖縄だけでなく、日本に米軍基地はいらない」

 
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「ハイチ」って知ってますか?

2010年01月24日 | とんでもない!
 日本時間の1月13日午前7時前に、中央アメリカの西インド諸島、カリブ海に浮かぶイスバニョーラ島西部にある、ハイチ共和国の首都ポルトー・フランスの南西15キロを震源とするマグニチュード7.0の大地震が起きたことは、皆さんも先刻ご承知のことだろう。

 しかし、この「ハイチ」という国名を耳にして、すぐさま大西洋の西の端、アメリカ合衆国のフロリダ半島の南東に位置する小さな国の存在位置がわかった方がどれ程いただろうか。

 キューバやドミニカという国は、何とか知っていても「ハイチ」は知らなかったという人が多くいたが、この国は大変な歴史と現実を抱えている世界でも有数の最貧国であり、今回の大地震による被災者は、人口約960万人の半数近くに上るという大変な大惨事にあたり、政府も地方行政も壊滅状態で為すすべがない状態に近いという。

 たまたま知り合った隣国のドミニカ共和国からやって来た日本人の夫の妻になって17年という女性に地震発生後お会いした時に聞いたところ、同じイスパニョーラ島の東部のドミニカ共和国は殆ど被害はなく、地勢的にも政治的にも歴史的にも異なる隣国だというのであった。

 我々が呼ぶ「ハイチ」という国名及び呼称は、現地では通用しない呼び方らしく、正式名称はハイチ語では、レピブリク・ダイチ、標準フランス語ではレピュブリク・ダイティと言い、通称はアイティらしい。


 日本語表記はハイチ共和国で、通称ハイチなのだが、漢字表記は「海地」であり、中国読み的に「ハイチ」と呼ぶのだが、「ハイチ(アイティ)」は、先住民族インディアンのアラワク系タイノ人の言葉で「山ばかりの土地」を意味していて、1804年にフランス領からの独立に際して、フランス語由来のそれまでの呼称、「ン・ドマング」から「アイティ」と改名したらしい。

 この「アイティ」ノ歴史は古く、コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年以前、紀元前4000年から1000年の間に、インディアンのアラワク人(タノイ人)が南アメリカ大陸から移住し約100万から300万人いたらしいが、スペイン人の入植、征服によって四半世紀のうちに、アラワク人は消え去ったという。

 その後、金鉱山が発見されてスペイン人は、インディアンのカリブ人を奴隷として使役させ、植民地経営したが疫病と過酷な労働で次々と死んだため、その後は主にアフリカの黒人奴隷を使って島の東部を植民地化したらしい。

 島の西部はフランス人が1659年以降徐々に占領し、スペインの衰退と共に1697年に現在のハイチの国土はフランス領とされ、アフリカからの黒人奴隷を使っての林業、サトウキビ、珈琲栽培を展開し巨万の富を産み出した。

 その後、フランス革命勃発以降、この地でも黒人反乱軍や白人、ヨーロッパ諸国との戦いの末、ハイチは独立を勝ち得たが、フランスからの独立の際に約束した多額の賠償金が重税となり国民生活を苦しめ、その後のアメリカの占領や権力闘争もあって、庶民の暮らしと経済は最悪で南北アメリカでの最貧国となったと言われている。

 
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不景気の深刻さ。

2010年01月23日 | 日本の課題
 「不況」、「不景気」の文字や言葉を聞かない日がない程、一昨年の所謂「リーマン・ショック」と呼ばれるアメリカの大手証券会社の破綻に端を発した「世界的不況風」は、徐々に日本国中に覆いかぶさるように侵攻してきている。

 一昔前の「米国プライム・ローン」の焦げつきでマイホームのローンが払えなくなり家を手放さざるを得なくなったアメリカの低所得者層の現実が、日本でも多くの庶民が家や車なのローン返済が出来なくなる現実が増えている。

 昨日も、ある銀行のATMの前で順番待ちしてたら、若い奥さんが小さな女の子とおばぁさんと一緒にお金を引き出しながら、車のローンで次のボーナス払いが16万円あり、払えないかもしれないと喋っていたのが印象的であった。

 八百屋でお客さんの家を回っていたら、ある奥さんはご主人が自営されていて、昨年秋から「ちっとも商品が売れなくなって・・・」と現実の厳しさを語られつつ、大手の資金繰りが出来るところは違い、小さな商店などでは人を雇っていたら、給料を支払うのが精一杯で経営者の家庭の家計にはお金が入ってこないという現状を語られていた。

 「買い控え」や「あるもので済ます」という消費者の自己防衛的「お金を使わないで耐える」という経済的対処術が結構浸透していて、必要不可欠なもの以外、すなわち「食べること」以外の出費は極力控えてるという方が急増しているらしい。

 確かに、ある奥さんは「寒いですね・・」と声をかけると、「去年捨てようと思った衣類だが、今年も役立っている。」と仰って流行を追ったり、いいかっこしなければ、着るものは十分あるので、今までのものを大事に着たり、重ね着したりして結構楽しんで節約しているという。

 「娘から思い切って捨てないと」と言われているが、「もう一年着るつもり」と大事に着用したら、まだまだ着れる衣服がタンスや衣装ケースには満載だというくらい、多くの家庭には同じような衣服の山や衣装ケース、押入れの衣服がたくさんあるはずなのである。

 日々の健康と栄養を取るための「食事」のための支出に関しても、削れるのは「食費ぐらい」と言われる奥さんたちも多く、少しでも安い食品を求めて、朝のスーパーのチラシや「ディスカウント」の情報収集には余念がなく、少々遠くても保存のきく食品などは「まとめ買い」で、少しでも出費を抑えているという。

 「建築」「繊維」「電気」「○○」と、限られた業界や商売だけでなく、あらゆる事業、会社において、この「不況」、「不景気」の風は吹きまくっていて、いつ「明るい兆し」が見えるのか、皆目分からないと思うと覚悟を決めている奥さんたちもいた。

 新聞、テレビ、マスコミでは楽観的な報道も耳にはするが、今回の「不景気」「不況」風は厳しく、当分続きそうである。

 この機会を、今までの「何でも買ったらええやん」とか「新しいのほしい」といった生活での欲望を見直して、「本当に必要なものとは何か」を考える機会としたいものである。
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『確定申告』の季節。

2010年01月21日 | 季節の話題
 毎年一月も半ばを過ぎると、私の場合は「確定申告」に必要な書類の整理と共に、自営している「自然食・八百屋」の昨年一年の帳簿を出して、収支と共に仕入額、売り上げ額になどの集計をし、早めの「確定申告」に備えることにしている。

 若い頃から年末調整とやらを勤め先でしてもらうよりも、自分で自分の収入の管理をした上で、確定申告期間は毎年2月15日頃からの一ヶ月なのだが、私の場合は書類が整ったら、すぐさま申告用紙に書き込んで税務署に1月末日か2月初旬に届ける習慣になっている。

 自営業の「青色申告」の部分と給与所得者の部分があり、また一昨年からは「年金収入」も加わったが、いずれにせよ大した収入額ではないので、昨年の収入を総計し納税額を計算し早めに申告すれば、少しでも還付金が早いのではと思って、いつもこの時期にしている。

 民主党を中心とする新政権に変わり初の「通常国会」が昨日幕を開け、鳩山由紀夫首相と小沢一郎民主党幹事長に対する「政治と金」の問題が、攻守変わっての自民党を中心に「代表質問」されているが、何億もの「子ども手当」を貰っていても知らなかったという首相と8億円ものタンス預金があるらしい小沢幹事長の「金銭感覚」は、庶民の「納税意識」とは雲泥の差だと言わざるを得ない。

 私たち庶民にとっての、かわいらしい「節税意識」と「納税の義務」という板ばさみの中での「確定申告」の時期の作業なのだが、あるところにはあるのが「お金」であり、あまりにも桁外れの「○○億円」という巨額な金銭の出し入れに慣れっこになっている政治家や企業経営者は何を思って、この時期に税務を考えるのだろうか。

 鳩山首相の一月1500万円、一年に1億8千万円5年で9億円と言う、ブリジストン創始者の娘である母親からの「子ども手当」と同様に、元代議士だった父親からの遺産が小沢一郎氏と妻や子ども名義で多額に預金されているという現実も、我々国民の普通の金銭感覚とはかけ離れた事実で、相続税や譲渡税を払えば済むという形式的なことだけではなく、不信感を抱かざるを得ない実態は究明されるべきだろう。

 私たち庶民の生活実態は、一昨年秋のリーマンショックのみならず、厳しい経済状態が続く中、健康で仕事があるだけで幸せだと感じる毎日なのだが、病気や失業、若年層だけでなく中高年齢層にも厳しさは現実であり、企業年金問題で揺れた会社更生法の適応と政府の手厚い支援、保護で立ち直れるかが課題のJALや親方日の丸の公務員たちの共済年金などの「年金一本化」も謳っていた民主党マニフェストの実現はいつになるのだろうか。

 いずれにせよ、一般庶民にとっての「納税」意識は、この「確定申告」の時期に強く自覚されるのだが、「公平、公正」な「納税」がなされる様に、時間がかかっても是非、新政権には「税制」の抜本的改革に着手してもらいたいが、低所得者や社会的弱者への不公平感を拭う「大きな鉈」をふるってほしい。


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「トイレの神様」

2010年01月20日 | ガリバー旅行記
 今日は午前にお約束したお客さんの家が京都市役所のすぐ近くのマンションだったので、ゆったりとした気分で伺って、子犬のかわいらしさも手伝って気持ちよく仕事を済ませた。

 午後からのいつもの北区方面へと車を走らせながら、1人だったので久しぶりに車のラジオをオンにして、いつも聞いている京都のアルファステーションではない大阪のFM局にチューナーを合わせた。

 すると、「トイレの神様」っていう面白いタイトルの曲を弾き語りで歌う、「植村花菜」というシンガーの歌声と歌詞に魅せられてしまいました。

 「トイレの神様」って曲は10分近くある曲で、彼女自身の生い立ちから今に至るルーツを語る様な歌詞の部分もあって、「小学三年生からおばぁちゃんと暮らしていた」という歌い出しで始まるストーリーソングだったのである。

 「トイレの神様」というタイトルは、女の子が「トイレ掃除」をし続けると「べっぴんさんになれる」という昔から言い伝えとも言うべき、関西独特の「迷信?」を語るおばぁちゃんの言葉を信じて、毎日、毎日、トイレをピカピカに磨いていた彼女自身の生活が綴られていたのである。

 澄んだ美しい声で語るように歌う「自叙伝」的、「私小説的」歌詞は、延々と続き、年頃になって、おばぁちぉゃんとぶつかることも多くなって、家族ともうまくやれなくなって、居場所がなくなり、家を遠ざける様になって、五目並べをしたり鴨なんばを一緒に食べた「おばぁちゃん」と離れ、一人きりになった。

 それから彼女は上京し二年の歳月が経ち、おばぁちゃんが入院したことを知り、痩せて細くなったおばぁちゃんに会いに行ったそうな。

 「おばぁちゃん、ただいまー!」って、わざと昔みたいに言ってみたけど、ちょっと話しただけで「もうお帰りー。」って、病室を出された。

 次の日の朝、おばぁちゃんは静かに眠りについた。

 まるで、私が来るのを待っていたかのように逝ってしまったおばぁちゃんだが、「トイレにはキレイな女神さんがいるんやで」と言っていたおばぁちゃんの言葉は、今日の私をべっぴんさんにしてくれるかな。

 おばぁちゃん ありがとう。おばぁちゃん ホンマにありがとう。

 このように綴られた「トイレの神様」っていう曲を書いて歌う「植村花菜」というシンガーは、兵庫県川西市生まれの27歳。

 8歳の時に「サウンド・オブ・ミュージック」を観て、その世界観に感動し、主演のジュリー・アンドリュースに憧れ、幼い頃から「音楽には人と人を繋ぐ力がある」、どんな辛い時でも歌を歌えば元気がでると、歌手になることを決意したという。

 一時は吉本新喜劇が大好きで、歌手か吉本に入るか悩んだらしいが、ある時友達がストリートで歌っているのを見て、私もあんな風に外で自由に歌いたいと思い、いきなり曲づくりとギターを始め、オリジナル曲を作って歌い出だしたそうだ。

 「お笑いと音楽」をこよなく愛する「植村花菜」さんの歌声を聞いて嬉しかった。
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