ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

リタイア後の生き方。

2009年05月31日 | 感じたこと
 日本の人口の約四分の一以上が高齢者という時代に突入し、年金、医療、介護、そして再就職や社会活動、趣味と、あらゆる問題に「高齢者問題」がリンクするようになってきている。

 百年に一度の不況などと言われる昨今の経済状況も反映してか、いろいろな議論や問題提起が高齢者、とりわけ「リタイア組」の人たちの間に悶々と自問自答や議論がなされているようだ。

 先日、私はこの春に縁あって初めて行った「バリ島ウブド」に滞在し、自称「ウブド広め隊」の隊長と言われるMさんを囲むオフ会に参加した。

 定年退職後、何人かのご夫婦で行かれたインドネシアのバリ島のウブドに魅せられて、五年ほどの計画の後に、神秘の島バリの自然豊かな山村である、ウブドに素敵なコテージタイプの憩いの宿泊地を創られて、そこに一年の大半をご夫婦で住まれているMさんを囲む会であった。

 彼はある地方新聞社の記者をしておられて、国内でも交友関係はたくさんあられるのだが、のんびりと過ごそうと思って行かれた「バリ島」がきっかけに、現在いろんなプロジェクトに関わり、今回の約一ヶ月の日本滞在も多忙な毎日だと苦笑されていた。

 とにかく、一人の日本人のサラリーマンとしての会社勤めを退職して後の、人生設計とでも言うべき「生き方」は、多種多様である。

 しかし、私の知る定年後の人生を生きる諸先輩たちの中には、自問自答の苦悶の生活の方も少なくはない。

 最近お尋ねした、ある大手企業にお勤めだったH氏は、数年前まではお元気に、いろんな講座や見学会などを中心に、よく外出されていたのだが、最近は奥さんの老齢化に伴う病状が思わしくなく、自宅での生活を余儀なくされていて、なかなか外出や明るい話題には乏しい感じであった。

 また別な男性だが、子どもさんも含めご家族みんなを知っている方なのだが、リタイア後も数年、別の会社にお勤めをされていたが、二年前に退職されて家にこもりがちの生活となったという。

 奥さんが地域の活動やお手伝い的な仕事で外出されることが多く、全く現役時代とは反対の、「主夫生活」にはなれず、悶々とされているというのであった。

 「今までしてきたことが何だったのだろうか」と、仕事はしてきたが、自分の仕事の成果や「残せたもの」などないので、全く「何だったのか」と思い悩み、現在の趣味に使っている時間だけでは、満足できないと言われるのであった。

 多種多様な「リタイア後の生き方」があるだろうが、たぶん自分からのチャレンジやきっかけ作りをしないと、段々と社会から取り残された感じの自問自答が続き、気がつけばため息ばかりなりとなってしまう危惧がある。

 地域社会やボランティア活動と言っても、いろんな小さな組織論や人間関係があって、いまさら他人に命令されたくないとか、偉そうな人と付き合いたくないとか、いろんな不満もあるみたいだが、わが道、すなわち自分に出来そうで楽しく出来る趣味や仕事や役割を見つけるしかないのである。
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「やんちゃ坊主が大人に」

2009年05月28日 | 感じたこと
 掲載した写真は、結構な大人が今もって「やんちゃ坊主」として君臨している様だと思うのだが、何処の国の何様かは知らない。

 そんな写真を掲げて「やんちゃ坊主が大人に」と題したブログを書くことになったのは、今晩私の部屋にやって来た4人の男たちとの出会いからだった。

 私の長年の小さな会社、すなわち20代に東京ではじめた音楽出版の会社に関連する協議のために、埼玉からやってきて初めて出会うミュージシャンS氏と司法書士として事務的な業務のためにやってきたY氏とのはじめての出会いだった。

 他の二人は従来から有限会社である私の事務所の決算期にお手伝い願い、書類の作成から税務署などへの届出や諸手続きをして下さっている行政書士と会計士の方なので初対面ではなかった。

 私の関心は、当然初めて出会う好対照とも言うべきお二人、すなわちロックミュージシャンを自称するS氏と司法書士のY氏であった。

 どう好対照だったかと言うと、S氏は如何にも音楽家であるだけでなく、映像やいろんな表現活動を仕事とする自由人で、服装もラフなジーパンにティーシャツ一枚という出で立ちであったが、Y氏はまだお若いと思われるが、きちんとした背広上下で身を包み、ネクタイをしたやさ男風の青年であった。

 いずれにせよ、初対面なのにも関わらず私自身は、とても初対面とは思えないような面持ちでS氏とは、いろいろと話をしたので、さらに私自身の生き方も価値観に近い感触をS氏には感じたのであった。

 一方のY氏は、さすが無駄話や大笑いすることもなく、まじめな面持ちで業務である事務的手続きと署名、捺印などを示しながらの時間をすごされていた。

 私は特にS氏の考え方、生き方、行動パターンに興味を持ちつつ、私の経験話などをおしゃべりさせていただいていたら、Sサンの「やんちゃ坊主が大人に」なられた様を、多様に察知することが出来たのであった。

 彼自身、自らの紹介のコメントの中で、「子どものまま大人の年齢に達してしまった」という感じの自己を語られていたので、私は自分の経験から、子どもたちと遊び日々を過ごした頃からの、「子どもと大人」についての自己考察を思い出していた。

 男たちは、女たちと比べると多くの大人と思われる男たちが、いまだに「子ども心」や「子どもっぽい好奇心や価値観」を失ってはおらず、女たち、つまり母親や奥さんたちからしても、「いつまでも子どもみたい」と思われたり、叱られたりすることがあるのである。

 まさに、今晩初めて直接に出会った音楽と自由に生きたい男である、S氏の生活と行動パターンに「いつまでも子どもでいたい」という潜在的な共感する価値観とでもいうべき、生き様を垣間見たので大変うれしく思った。

 彼も私との出会いに安堵感、つまり共感とも言うべき共通価値観を感じたようで、短い時間を共に過ごしただけだったが、「子どもっぽい大人」、つまり「やんちゃ坊主が、そのまま大人になった」者同士の同士愛のようなものを感じたみたいであった。

 ぜひ、またゆっくりと「子ども大人」の生き様を語りあいたいものだと強く思った。
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何故かピンクレディ

2009年05月27日 | テレビマスコミ
 今日あるミィーティングで、好きな音楽や思い出の曲という世間話になって、30代後半の女性だったが、「私はピンクレディです」と仰った。

 1974年当時、歌手の登竜門のひとつであった、日本テレビ系列で放映されていた「スター誕生」に出演したミーとケイが、1976年に「ピンクレディ」として「ペッパー警部」で華々しくテレビを中心にデビューしたのであった。

 私は当時、東京に住まいを持ち、一応芸能界の片隅で仕事をしていたので、この鮮烈なデビューと、それ以降の「ピンクレディ」の活躍を、同じ業界人として見ていたことになるのである。

 当時、西新宿副都心と言われていた地域に、30階以上の高層ビルが三つほどしかなく、そのひとつにKDDビルがあり、その31FにFM東京があった。

 私は自分が関係するミュージシャンのプロモーションのために、FM東京に行っていたのだが、ビクターレコードの担当者が二人の女の子を連れてやってきて、ガラス張りのロビーにいた私にも「今回デビューする二人です」と紹介してくれたのである。

 私の最初の印象は「ジーパンの似合う素敵な女の子デュオ」と言った感じであった。

 その二人が「ピンクレディ」としてデビューし、とんでもないスターダムにまのし上がったのだから、びっくりであった。

 当時、すでに山口百恵さんや桜田淳子、森昌子の中三トリオと言われた女の子の歌手が活躍していたが、解散した「キャンディーズ」に次ぐ女性グループとして、阿久悠の作詞、森田公一の作曲コンビの提供する曲がほとんど全てヒットチャートのトップに君臨するという大フィーバーとなったのである。

 実は、たまたまその時代に音楽業界にいたというだけなのだが、その時代を知る一人として、いろんなエピソードや経験があり、ちょっとした「自慢話」にもなるので、時折語ることとなるのである。

 それにしても、2003年だったと思うが二年間の限定で再結成されて、全国コンサートを行った未維とケイは、今はどうしてるのだろうか。

 失礼とは思うが、中年のおばさんとなってしまったミーとケイが、芸能界だけではなく、一人の女性として幸せな生活をされていることを祈っている。

 「ペッパー警部」以来のヒット曲は、「SOS」、「カルメン‘77」、「渚のシンドバット」、「ウォンテッド」、「UFO」、と続き、78年にも「サウスポー」、「モンスター」などヒットを飛ばし、海外進出としてラスベガスでコンサートをしたり、アメリカに滞在してTV出演したり多忙なスケジュールをこなし、81年3月に後楽園球場でのラストコンサートで解散したのであった。

 今なお、日本のポピュラー音楽史に光り輝く活躍と売り上げを記録した「ピンクレディ」の時代を思い出させてくれたひと時であった。
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もみじマーク事故

2009年05月26日 | 地域の話題
 昨年の道路交通法の改正で、自動車の運転をする75歳以上のドライバーは、通称「もみじマーク」と呼ばれるステッカーを運転する自動車の車体に掲示しなければならないという義務規定が定められた。

 その後、「もみじマーク」が「枯葉」をイメージするとか、高齢者ドライバーの差別化につながるとかと、いろいろな議論がなされる中で、「もみじマーク義務化」を止めるべきとの意見も出されていた。

 しかし、年間件数の詳細は知らないが、自動車事故の中に、多くの高齢者ドライバーによる自損事故や他者を巻き込んだ悲惨な死傷事故も一般的な交通事故の件数の中で頻繁に起きているのも事実だと伝えられていた。

 私自身も40年以上の運転経験を持つドライバーの一人として、いづれは自分自身の判断で「高齢者ドライバー」としての自覚を持って、より慎重に運転すべき時期が来ると思っているが、先日娘から「父はいつまで運転するの?」と咄嗟に聞かれたので、冗談ぽい返答として「88歳まで」なんて答えたものである。

 しかし、個人差が大きくあるとは思うが、道路交通法上の75歳以上の「もみじマーク義務化」までは、まだ十数年あるとは言え、段々と動体視力や運転に必要な視野の広さ、注意喚起、または咄嗟の判断力などの低下はやってくるのであめる。

 そんな「もみじマーク」についての思いや考え方に、いろんな議論がある中、今日の夕方、近くのスーパーマーケットや商店がある駐車場で、突然の「もみじマーク事故」を目撃してしまった。

 私がTSUTAYAで文房具を買って、自分の車に戻って家路へと車を出そうとした時であった。

 一台隣の駐車スペースにバックでセダン型の自家用車を停車させようとしていたのだろう車がバックする時に、急発進とも言うべきスピードで、コンクリートのタイヤ止めを乗り越えて、何と少し後ろのツタヤノ店の壁面に激突したのである。

 大きな衝突音に振り返ってみると、壁が大きくへこんだのが見え、激突した自動車の後の部分は、大破していていて、運転していた白髪の老人と助手席の老女は、無言で呆然としつつ、車を逆に前進させていたのである。

 あまりにも突然の事故であったが、幸いというべきかお二人は怪我もなく、周辺の歩行者や関係車両にも接触はなかったのだが、自損した車と大きくへこんだ店の壁は歴然としていて、事故の大きさを物語っていた。

 私は一旦自分の車から降りて、店の人に事故があったことを告げて立ち去ったのだが、間違いなく自損車には「もみじマーク」が張ってり、運転者が75歳以上の高齢者であることを示していた。

 たぶん駐車スペースにバックで自動車を入れる時に、あわててブレーキで制動をかけるところをアクセルを思い切り踏んだのだろうと推察される事故だったのだが、ご本人と奥様であろうご夫婦にとってはとんでもないショックな事故だったことだろう。

 高齢者として全てのドライバーを危険というつもりは全くないが、「もみじマーク」のドライバーの潜んだ危険性を目の当たりに体験した。
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インフルエンザ狂騒局。

2009年05月25日 | テレビマスコミ
 5月に入ってからの「新型インフルエンザ」にまつわる新聞、テレビを中心とするマスコミの狂騒は異常と言っても過言ではあるまい。

 確かに「豚インフルエンザ」といわれて騒ぎ出された頃は、なんとも得体の知れないメキシコを発祥地とする異様な新型インフルエンザの大流行で、多くの人が感染し死亡するという噂ともいえるニュースに我々も恐れを感じていた。

 日本での大流行、国内感染を水際で食い止めるのだと、ものものしい検疫官が成田空港をはじめとする国内の国際空港で配備され、メキシコ、アメリカからの直行便の到着時に機内でチェックする体制をとった。

 それから二週間も経たないうちに、突如神戸で国内最初の新型インフルエンザの感染者が出たとのニュースが出るやいなや、大阪、神戸を中心に高校生の若者を中心に各100数十名の感染者が確認されるに至った。

 感染者の数が徐々に増加すると共に、今回の新型インフルエンザは、感染力は強いが、毒性は弱く、感染しても一週間そこらで治癒し、従来の普通のインフルエンザと同様の症状にとどまるとする情報が伝わってきた。

 しかし、政府が厚生労働省がなんとも「危機管理」として張り切って、兵庫県、大阪府などに学校の休校措置を要請したり、桝添大臣が連日早朝にWHOの通達を受けた形で記者会見をしたりと大騒ぎしたために、とんでもない「インフルエンザ狂騒曲」が連鎖しだしたのである。

 「風邪」にはかからない方がいいに決まっているが、さほど毒性も強くない普通の新型インフルエンザに過剰反応した危機的末期の自民党政権の首脳が、危機一髪の政府への不信感を一掃し、支持率アップに少しでも貢献できるのではないかという下心見栄見栄の張り切った対応が、結局神戸、大阪を中心とした関西経済にとんでもない痛手を与える「外出禁止」の騒ぎまで引き起こしたのである。

 阪神淡路大震災以来の閑古鳥が鳴いた神戸界隈の観光地をはじめとして、その経済的損出は、何と1000億円にも達するという見方もあり、まだ少し回復しだしたとは言え、「風評被害」的な二次、三次の影響、被害が拡大している。

 私の町、京田辺でも同志社大学の京田辺キャンパスは、学生に感染者が出たわけでもないのに、27日まで休校となったし、国際交流協会が主催する24日予定のモンゴルコンサートも、出演者のモンゴル人が神戸から来るというだけで中止となった。

 大阪、神戸を中心に確かに数百人の感染者が出た事実だけで、神戸、大阪の人は全て「インフルエンザ」の感染者のような扱いや、修学旅行やイベントの中止、キャンセルが付和雷同的に増加し、便乗的中止や禁止も含めて、とんでもない狂騒となってしまった。
 
 このインフルエンザ狂騒局は、テレビマスコミを中心とした報道と共に、政府、官僚の責任回避のための前倒し的「危機意識」すなわち、自分たちの身を守るための「先制予防」に過ぎない、無責任な決定や指示から生じた「インフルエンザパニック」と言っても過言ではあるまい。
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今日もカレーだ!

2009年05月24日 | 感じたこと
 皆さん、「今日もカレー」というフレーズを聞かれて、どのように感じられましたか。

 私の家庭での話ではありませんが、昨日の移動八百屋で訪問しているお客さんの話で、とってもいい話がありました。

 私自身は「カレー大好き人間」ですので、自分ちのカレーライスについては、いつも翌日も時には翌々日も煮込まれたカレーや残ったカレーをオカズにしたり、パンにつけたりと、何度食べても苦にならないので、「今日もカレー」と言われてもさほど驚かないと思います。

 しかし、日本の食生活で、この「カレーライス」ほど、庶民の夕食を中心としたメニューによく登場するものはないのではないかと言うほど、多くの家庭料理の困ったときの「カレーライス」が定番化しているといってもいいでしょう。

 あるご婦人のお話でしたが、娘さんが嫁がれていて、お孫さんがちょこちょこ遊びに来られているのですが、若いおかぁさんが仕事をされているためもあって、よく定番の「カレーライス」が登場するのはしかだがないとは思うのですが。

 おばぁちゃん曰く、「今日もカレー」はやむ得ない時も、娘にこう言われたそうです。

 手抜きとは言わないが、ご主人にせめて「カレーライス」だけではなく、もう一品、手作りでなくても仕事帰りのスーパーのお惣菜でもかまわないから、ご主人の酒のあてにでもなるもの、たとえば「鳥のから揚げ」でもいいから、添えて出してあげなさいと。

 ご主人が仕事に疲れて家に帰って、楽しみにされている夕食が、いつも子供と一緒のカレーライスだけなんてことのないように、ちょっとした気遣い、感謝の気持ちを「一品」に表しになさいというのであった。

 別の奥さんと、この話をしたら、彼女も「そうだわね」、新婚当時はいろいろとご主人のためと夕食のメニューを考えて頑張って作っていたが、子供が成長したら、どうしても子供中心のメニュー、そしてマンネリ化からか、ご主人への手作りメニューが少なくなったと。

 決して贅沢や手間隙かけて作れというのではなく、ちょっとした心遣い、感謝と慰労の心を「夕食のメニュー」の「一品」に加えるだけで、どんなに食卓が和やかになるかもしれない。

 その「鳥のから揚げ」が例え、スーパーの閉店前の安売り商品だったとしても、ご主人にとっては、自分のために奥さんが用意してくれた、子供と違う「もう一品」に違いないのだから、とってもうれしいものなのである。

 「今日もカレー」は、忙しかったり、大好きなメニューとしてはあるかもしれないのだが、ちょっとした心遣い、感謝の気持ちの一品で、家庭の暖かさが、ご夫婦の愛情が確認されることになるかもしれないのだ。

 さすが、ご年配の優しい母、若いお母さんへの示唆は、たぶん孫である子供たちにとっても「お父さんへのちょっとした尊敬」や「感謝」につながることになるのではないだろうか。

 
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経済成長率。

2009年05月20日 | 世界の問題
 内閣府が今日発表した、2009年1月~3月期の国内総生産、通称GDPが、年率に換算すると1974年同期の第一次石油ショック時のマイナス13.1%を超す戦後最悪の15.2%減となったことが明らかになった。

 確かに昨秋のリーマンブラザーズ倒産を契機に始まった世界同時不況とも言うべき世界経済の落ち込みは、日本も例外にもれず、特に自動車、電機などの世界的生産規模を誇る大手企業の売り上げ不振として顕著に現れて、日本経済も戦後最大のマイナス成長となったのである。

 しかし、人口増加も2006年で頂点に達した日本は、少子高齢化時代を迎えて、これからは人口減少期に入るわけだし、自動車の保有台数も飽和状態に近く、一家に一台ではなく一人一台の時代を超えて、若者たちはあまり自家用車に関心すらない人もいるという。

 また携帯電話の商戦においても携帯各社がこぞって夏以降の新機種の販売を目指して新しい機能やデザインの新製品を発表しているが、新機種の購買に関しても飽和状態で一億台以上が現在使用されていて、幼い幼児から高齢者まで人口一人あたり一台を超えているともいえる状態になっている。

 家庭においても、エコポイントなる経済政策としての特典をつけて、新たな電化製品の購買を促す制度が始まったようだが、各家庭においては新製品を敢えて買わなくても一通り電化製品は足りているのではないだろうか。

 確かに2011年7月のテレビの地上波放送の打ち切りまでには、地デジ対応のテレビ受像機の購入が必要なのだろうけれど、さしあたっては現在のテレビで十分観れているので、急ぐ必要もないのである。

 「もったいない」という合言葉で地球環境保全がうたわれて、省エネやリサイクル、リユースが奨励されている一方で、政府は経済対策が重要と「あの手、この手」の景気浮揚策と銘打った誘いの制度をスタートさせている。

 よーく考えてみれば分かるはずだが、人口増加もストップし、世界的にはGDPがアメリカに次ぐ第二位から経済成長著しい中国に抜かれて第三位になろうとも、十分に世界の経済大国としては君臨している日本なのである。

 すなわち、経済だけではないのだが、常に「右肩上がりの成長」などというのは理想の如く語られるがあり得ないのである。

 もうそろそろ、数値の上での「成長」だけでない、内実としての「豊かさ」や「幸せ」を感じられる「人間的社会」を目指しての、政府や地方行政の施策を通じて、市民、国民も「経済優先」だけでない社会づくりに貢献できる活動と視野を広げようではありませんか。

 このGDPの成長率の減少を期に、プラスにすることだけに一生懸命になるのではなく、たとえマイナス成長でも、豊かさと幸せを実感できる庶民生活を実現させることは出来るはずである。

 賢明で勤勉な日本人とアイデアと活動的な日本人による、経済だけに依存した「お金社会」から、人と人を活かす「人間的社会」に移行する絶好のチャンスです。
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お坊ちゃま孫対決!

2009年05月18日 | 日本の課題
 民主党の小沢一郎代表が辞任し、早速民主党衆参両議院の国会議員だけで代表選挙を行い、鳩山由紀夫元代表が岡田克也元代表を破って、民主党の代表になった。

 テレビ各局ならびに新聞各紙は、こぞって有権者の意識調査と銘打って、電話で「世論調査」とやらを行い、民主党の新代表となった「鳩山由紀夫氏」と自民党総裁で「麻生太郎氏」のどちらが今後の首相にふさわしいかを問うたところ、全体的に鳩山由紀夫民主党代表の方が人気というべきか、ポイントが高かったと報じている。

 小沢一郎氏も立派な二世議員の一人だが、鳩山由紀夫衆議院議員は、鳩山一郎元首相の孫にあたり、麻生太郎首相はれっきとした吉田茂元首相の孫であるので、何と日本の政治史上、初めての首相の孫同士の、次期首相をイメージしての「総選挙、衆議院選挙」が九月までに行われることが確実となったわけである。

 鳩山由紀夫元民主党幹事長が代表となったわけだが、代表代行という肩書きで小沢一郎前代表も執行部、とりわけ選挙担当として残るわけだし、興石参議院議員会長と菅直人元代表も代表代行として残るので、岡田元代表と共に、全く代わり映えのしない民主党執行部である。

 マスコミを中心とする「小沢一郎代表」の傀儡政権、もしくは「小沢院政」などと陰口を叩かれたり批判を浴びてはいるが、国民、有権者の前評判の高かった岡田克也代表候補ではなかっても鳩山由紀夫代表でも、何とか民主党への期待は繋ぎとめられた格好である。

 しかし、本当の戦い、すなわち「国民本位の政治」を如何に展開してくれるのかが、今後の数ヶ月間の国民、有権者の判断に大きく影響を及ぼして、来る総選挙での「二大政党」による、政権選択選挙が行われることとなるのである。

 いずれにせよ、吉田茂元首相の大事な孫である「麻生太郎氏」と、鳩山一郎元首相のかわいがった「鳩山由紀夫氏」が自民党総裁と民主党代表として、これからの国会論議をはじめとする政策論議や党首討論で、大いに主張しあっていただきたいものなのだが、いずれも「お坊ちゃま」としての庶民感覚からのズレも感じる論戦も生じると思われる。

 多くの国民、有権者が望む、日本の将来と今を出来るだけ具体的に、どうしようとしているのかを明らかにして、大いに論戦を戦わせていただきたいものである。

 所詮、はじめから国会議員になるためのエリートだったとも言えるお二人なのだが、双方共、偉大な「おじいさん」である、吉田茂氏と鳩山一郎氏と比べられるのは本意ではないかも知れないが、昭和の政治史とは違う、平成の新しい時代の政治史を、ぜひ積極的かつユニークな感覚と手法で塗り替えていただきたいものである。

 国民、有権者も目先の「給付金」「高速千円」「エコポイント」などのバラマキ的施策に喜ぶことなく、堅実かつ将来を見据えた長期経済対策や福祉、教育、公共事業、官僚政治脱却などの争点をしっかりと見極めて、総選挙に一票を投じていただきたいものである。

 
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季節のランチ。

2009年05月17日 | 季節の話題
 毎月第四日曜日に、私たち男の料理サークル「おりじ」がお送りする、宇治「ゆめカフェ」でのこだわりのオーガニックランチも、昨年10月にスタートして、早や半年が過ぎて、夏場を迎えようとしている。

 今月の二十四日の日曜日のメニューは、「鯛めしと鯛のお吸い物」を中心に、いつもの様に季節の食材を中心に、お父さんたちが手間暇かけて作る、おいしい自然食料理によるランチが、なんと600円、コーヒー付きでも750円で食べられるのである。

 京都にお住まいの方ならご存知の、JR奈良線の宇治駅からなら徒歩3分、宇治警察署を越えてすぐ左側にある、大きな赤い提灯が目印の地味なお店が「宇治ゆめハート」という自立支援の日替わりメニューのお店なのである。

 実は、働きたい女たちのネットワークと共同作業所ゆめハウスが共同企画の「宇治ゆめハート」は、昨年五月にスタートし、毎日日替わりの一日料理長と称する人たちが各々の経験からの腕をふるって、昼食を中心に提供している、とってもアットホームな手づくりランチが評判である。

 主な担い手は、やはり女性が中心なのだが、私たち男の料理サークルとして10年以上の経験を持つ団塊の世代が作る「オーガニックランチ」と、もう一日「団塊ラーメン」と称する男たちのグループが毎月一回、一日料理長よろしく厨房に立って「お客様に喜んで食べていただく」ことをモットーに頑張っているのである。

 私たちのモットーは、やはり「安全、安心、美味しさ」であり、食材からこだわって、できる限り有機、無農薬の野菜や無添加食品を準備し、調味料なども自然食品として名だたるものを使用しているために、なかなか採算が難しいのだが、美味しく安全な食材を心がけているのである。

 今までの主なメニューとしては、このガリバー通信でもご紹介しているのだが、「秋刀魚の炊き込みご飯」、「アサリご飯」「ポパイチャーハン」「竹の子ご飯」などとメインのご飯は、ほとんどが炊き込みご飯か「いろめし」なのである。

 男の料理の定番というわけではないが、私自身が「丼もん」が手軽に出来て美味しく、食べやすいという考え方で、いつの間にか「丼」か「○○飯」と言った感じのご飯ものが中心となったわけである。

 今月の第四日曜日、すなわち来週の日曜日のメニューは、冒頭に明記したように「鯛めし」なのだが、この作り方、レシピにもいろいろあって、私たちは鯛の炊き込みご飯風に仕上げた上に、鯛で作ったピンクのデンプを乗せて、キザミ海苔と木の芽で食欲をそそる一品となった。

 鯛のデンプを作る過程の煮汁をベースにした「鯛のお吸い物」も絶品で、季節の野菜としての胡瓜と山芋を梅干しペーストで味付けした付け合せも好評だろう。

 なにぶん初めて作る料理もあるので、自宅で一度試作した後、仲間と一緒にリハーサルと称して料理し試食し、いつも試行錯誤の上で、本番のお客様への料理サービスとなるので、結構自画自賛のランチが続いている。

 皆さん、お時間が許せば、一度ご遠慮なく足を向けていただき、ぜひご賞味くださいませ。
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アラカンは健康第一。

2009年05月16日 | 感じたこと
 「アラフォー」が元気に続いて、何と「アラカン」も元気であると伝えようと思ったのだが、昨今テレビや新聞での、この「アラフォー世代」を皮切りにした中高年齢層をターゲットにした宣伝が異常に増えていることに気づいた。

 「アラカン」とは、アラウンド還暦、すなわち還暦年齢の60歳前後の世代を言うのだそうだが、70歳以上の方々にとっては「嵐勘三郎」という映画スターを略して「アラカン」と呼んでいたので、なんとも奇妙に感じる方もいるらしい。

 それはともかく「アラカン世代」をターゲットにテレビ、新聞でCMとして広告宣伝に力を入れているのが、「医療や事故に対応する保険」と「健康、元気をキープする商品」としてのサプリメント、食品、食材などである。

 これでもかとテレビでのコマーシャルを流している「50代、60代からでも入れる保険」と新聞夕刊に必ず何か掲載されている「元気になる秘密の食品やサプリ」を目にするのである。

 その背景には、国保や国民年金をはじめとする定年後や高齢世代のリタイア後の生活を保障したり、安心させられるだけのサポートがない「公的年金」や「厚生年金」などに対する不安があり、もしや怪我や病気で治療、入院が長引いたりしたら、とんでもない出費が必要との「危機意識」への担保をとの「加入勧誘」である。

 一方、「医薬品ではないサプリ」や「健康食品」などは、決して健康や病気をしない保障ではないのだが、少しでも健康で長生きしたいと思う多くの中高年齢層のささやかな希望や期待に対する「商品」なのかもしれない。

 でもでもである。決してこうした商品や保険が私たちの健康や長生きを保障してくれるというものではないのである。

 しかしちょっとした不安や少しでも安心できる担保にと、中高年層の世代、特にリタイアや還暦を迎えた世代で、まだまだ元気な人たちをターゲットに、うまく宣伝に乗せて、保険や健康食品もどきを販売しようとする企業や販売元の作戦が、やたら最近多くなっているのである。

 その多くは、新聞、テレビ、またはインターネットを通じて、簡単に加入できる保険だったり、通信販売のようなシステムで容易に宅配される商品として薦められている。

 有名タレントや使用経験者の言葉や感想という形で、一般庶民の「願望」にさぞ応えられるといった感じの「誘い文句」は、さすがのコピーだと思うものが多い。

 今年に入ってからでも、私の知る知人、友人、そしたそのお連れ合いの方が亡くなられたケースだけでも4,5人いるのだが、いずれも、「アラカン世代」なのである。

 私も含め、多くの「アラカン世代」は、今もって元気に仕事、地域、趣味などに精を出していて、ここしばらくは「どうしてそんなにお元気なのですか」と言われるような人たちが多いと思われるが、心の奥底で「最近少し体力に自信が・・」とか「近い将来に起きる病気や事故が・・・」と言った不安を持っているのである。

 そんな「不安」に付け込んだ商売に騙されない賢明な選択や購買を心がけようではありませんか。
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