ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

自然・いのち・元気!

2006年12月31日 | ガリバー旅行記
大晦日である。2006年があと1時間ほどで終わろうとしている。

 テレビでは大晦日恒例のNHK紅白歌合戦を初めとして、各テレビ局が娯楽番組を放送している中で、世界的にはイラクのフセイン元大統領が死刑判決確定後4日目の昨日処刑されたというニュースが全世界に発信され、郷里に埋葬されたそうである。

 今年ほど、「いのち」を感じざるを得なかった年はなかったのではないかと思うほど、一年中、子どもから大人まで、いろんな人々の命が軽んじられてきた年ではなかったろうかと思うのである。

 一年を締めくくる今年の漢字にも「命」が選ばれたわけだが、私にとっても来年は何と「還暦」を迎えるという「いのち」の循環とも言える60歳になる年となるし、我が娘には二人目の子どもが授かり、来春新しい「いのち」が誕生する予定である。

 自然界に生き、生かされている我々「人類」だが、その生かされている宇宙空間の「地球」のエネルギーを得ながら、大切な地球、宇宙空間的には「地星」を余りにも無造作に痛めつけたりしているのではないだろうか。

 私達も含む、「地星人」の「いのち」は大きな生態系の中で、バランスを保ちつつ長き歴史を刻んできた永遠の命の連鎖であり、これからの「いのち」を育み続けるための責任をも、我々が担っているはずなのである。

 しかし地星人たちは、目先の物欲や金銭欲に翻弄されて、どんどん地星の地下資源を掘りつくし、CO2や放射能を初めとする有害物質の生産に一生懸命になっているのではないだろうか。

 私達の長くて100年前後の「いのち」だけが全うされればいいのではなく、これからの未来永劫の人類をも含む地星の生態系のバランスを何とか保って、「いのち」を育み、いのちが元気に生きる宇宙であり続けなければならない。

 大晦日に新しい年、新年を思いながら、私達の今年一年を振り返りつつ、全世界的に叫ばなければならない問題が山積していることに、改めて気づくのである。

 「勇気を持って、平和への努力と人間本来の優しさと愛情」を全世界に注ぐためのエネルギーが必要である。

 今晩の紅白歌合戦で布施明が歌っていた、「イマジン」は。まさに全世界の人々にビートルズのジョンレノンが捧げた「平和へのメッセージ」ではなかったか。

 ジョンレノンが凶弾に倒れて、早や二十年以上が経ったと思うが、2007年の新しい年を迎えるに当たって、敢えて「IMAGIN」が歌われた意義は深いと思うのである。

 想像してごらん、国と言う境目なんてないんだよ、世界は地星という宇宙のひとつの星に、ただ人類という生物が生きているだけなんだよ。

 争いや憎しみ、妬みや攻撃をやめて、みんなが共存し合える「平和な地星」を取り戻すために、みんなが素直になって愛し、愛され、生かされる元気を、もう一度取り戻そうではありませんか。

 
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最近のゲームとは違うよ。

2006年12月30日 | 感じたこと
 今年の夏もモンゴル草原に行って、遊牧民であるガダさんたちの隣にゲルを張って5日間寝泊りしたのだが、今年の夜の時間の過ごし方は何故かトランプゲームであった。

 牧民のガダさんは今年の夏前に町にバイクで買い物に出て事故ってしまい、後ろ座席の奥さんが死亡するという悲しい出来事に見舞われていたのである。

 私達はガダさんの事情を日本を起つ前に知ったのだが、ガダさんは二人の男の子の父親でもあったので、奥さんが亡くなった後の子育てや食事の支度など大変だろうと推察しながら、どう一緒に過ごせるかと不安を抱いた出発だった。

 初日は挨拶しか出来なかったが、二日目からは二人の男の子達に「水鉄砲」や「剣玉」をプレゼントして一緒に遊ぶようになって、急速にガダファミリーと親しくなり、ゲルにも再三再四訪れる様になった。

 日本から持っていった「トランプ」を取り出して、まず簡単な「七並べ」を教えて始めたら、二人の男の子だけでなくガダさん自身も加わって遊ぶようになったのである。

 日本語はわからないが、出せるカードがない場合には三回まで「パス」が出来ると教えていたので、「パス」「パス」と言い出したのである。

 そのうち出せるカードがあっても「パス」と言って邪魔をしたり、意地悪することを覚えたのか、ニコニコ笑って「パース」「パース」と無邪気に喜ぶようになったのである。

 それから、毎夜愉しい「七並べ」の「パース」が四日間続き、落ち込んでいるであろうガダさんの慰めになったのではないかと思う、今回の旅のエピソードのひとつとなったのである。

 ところで、クリスマスの孫への贈りものを多様に考えたのだが、キャラクターグッズを欲しがっている彼に、私は5歳から遊べるという「コンタクトゲーム」なるものを見つけてプレゼントしたのである。

 列車の線路と道路と河川が各種多様に各々のカードに描かれていて、何枚ものカードを如何にうまく繋いで行けるかというゲームなのだが、140枚全てを繋げるのは至難の業だろうと思われるものである。

 しかし、彼はクリスマスの翌日には、早くも132枚を繋げたというから驚きでもあり、根気があるとも言える。

 ただキャラクターやテレビゲームで遊ぶ一人の世界ではなく、誰かと数人でも遊べる「カードゲーム」が各種あり、これからも「考えて、他人と勝負」できる手作り感のあるゲームをいっぱい紹介しようと思っている。

 正月を前にやってきた5歳の彼は、「オセロゲーム」や「バックギャモン」を我が家の玩具箱から出して、すぐに覚えて勝負を挑んでは得意になっているのである。

 現代のファミコン、DSやWiiとは全く違う、コミュニケーションゲームがいっぱいあるので、お正月には家族でわいわいと賑やかにやりたいものである。
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飲酒厳罰の次は携帯禁止!

2006年12月28日 | とんでもない!
 今年ほど「飲酒運転厳禁!」のムードが盛り上がった年はないだろうと思うほど、年末年始の忘年会、新年会シーズンで、宴会好きなドライバーは、四苦八苦されたのではないだろうか。

 当然のことではあるが、今までは「ちよっとだから大丈夫」とたかをくくっていた御仁も多かったと思うのだが、全国で飲酒運転による悲惨な事故が、これほども続くと、「仏の顔も三度」である。

 警察庁は、今年8月に福岡市で発生した、幼児3人が亡くなった事故をきっかけに社会問題化したことで、2001年に飲酒運転とひき逃げと言う救護義務違反の厳罰化をさらにほぼ倍の罰則に引き上げる道交法の改正試案を発表した。

 それによると、ひき逃げは10年以下の懲役または100万円以下の罰金、酒酔い運転は、5年以下の懲役、100万円以下の罰金、酒気帯びは3年以下の懲役、50万円以下の罰金になり、幇助者すなわち、車両や酒類提供者や同乗者なども違反者の半分以下の罰則となる。

 以前にも書いたが、「懲りない運転者」は多くいて、自分だけは大丈夫とでも思っているらしく、回りの人間が決して許してはいけないのだが、「まぁ大したことはない」と運転してしまうみたいで、一度事故ったら、仕事も家庭も失って、社会的信用度も失墜するくらいの厳罰がないと改まらないと思うのである。

 そんな中で、「新年はお茶で乾杯!」という大阪府堺市の「新年互礼会」、すなわち商工会議所と市が合同で行う、市内の経済団体と行政幹部や市会議員達の「新年会」を酒類をやめてウーロン茶で乾杯するというのである。

 周辺の大阪府の泉大津市、泉南市、泉佐野市なども同様の方針を決めたそうで、高石市などは財政的理由で以前から種類の提供は廃止しているところもあるという。

 あっぱれである。新年会だからと言っても、わが市では「賀詞交換会」というイベントであり、何も酒がなくても出来るパーティーニナルト思われるので、早速やめた方がいいと思うものである。

 私は、この「新年互礼会」や「賀詞交換会」なるもの自体が不要だと思うのだが、行政幹部や市の職員が昼間からビールや酒を酌み交わさなければ、お互い挨拶にならないとは全く思えないのである。

 一方、飲酒運転への厳しい目と厳罰化は当然なのだが、最近目立つのが「運転中の携帯電話の使用」であり、道路交通法の改正で罰則が設けられたが全く平気な顔で、ハンドルを握りながら携帯やメールをしながら曲がってくる車に出くわすことが多いのである。

 道交法では「運転中の携帯電話使用禁止」となっているが、事故を起こした場合のみ3ヶ月以下の懲役、5万円以下の罰金という、軽い抑止力にしかなっていないのが現実である。

 「飲酒運転よりも携帯電話をしながらの運転は危険だ」との指摘や調査結果も報告されているので、大事故が起きない前に、厳罰化と予防策が早急に必要である。
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来年の干支は亥

2006年12月27日 | 季節の話題
 いよいよ押し迫ってきましたね。「あといくつ寝るとお正月」とお正月を楽しみにしていた頃が懐かしいくらいに、昨今は一年が何故にこんなに早いのかと自問自答しながら、クリスマスも終わったので、ようやく年賀状の制作にとりかかっています。

 毎年、クリスマス前には年賀状を作ったり書いたりする気分になれないので、あと幾つ寝るとお正月と実感する、しないに拘らず、まっさらの年賀状の束を前に、「ああでもない、こうでもない、もうひとつやなぁ」と試行錯誤を繰り返して、デザインを決める迄に半日以上、そして印刷は表裏に一日、また一言書き添えるのに一日と、都合早くても三日はかかるので、今年も投函できるのは29日になるだろう。

 でも、ここ数年はパソコンでの年賀状制作になったので、何とかデザインさえ決まれば後はプリンターでの印刷なのだが、多数の年賀状印刷は時間もかかるし、インクや葉書の補充も必要で結構手間がかかるのである。

 私自身の年賀状にも歴史があって、最初はたぶんローラー付きの簡易な印刷機、つまり手刷りの謄写版印刷に始まって、長らくは所謂「プリントごっこ」にお世話になっていたのである。

 この「プリントごっこ」での年賀状制作は手作り感があり、何枚も印刷しているうちに、どうしてもインクがはみ出してグラテーションの様に、どんどん色が変わって行くという不思議なプリントとなり、一つとして同じものはなかったと言ってもよかった。

 パソコンの普及で私もCD-ROM付きのイラスト素材本を購入して、デザイン選びと住所、名前、☏などのレイアウトやひとこと添えるスペース確保等と、なかなか大変な作業を簡単ソフトで試みるのだが、「10分でできる!」とか書かれた本でも決して10分では出来ないのである。

 来年の干支は、「亥」すなわち、いのししで年賀状には登場することが多い。

 十二支と言われる干支は、年賀葉書の趣と彩とデザイン、そして新年のシンボルとして欠かせないのだが、なかなか「イノシシ」のカッコいいデザインがないのである。

 一年前、つまり今年の「戌」や前年の「酉」などを思い出してみると、何故かイノシシのデザインが難しい様で、かわいくもなく写実的では、豚や鹿か判り難い図柄絵も多いので、選択が非常に困難であった。

 またイノシシには、「猪突猛進」のイメージしかないのか、猪の心は意外と繊細だとも言われているが、干支が亥だというだけで全て「猪突猛進」の様に言われたりもするのは、まったく可笑しな話でもある。

 今日、大阪新世界の通天閣では恒例の干支の引継ぎが行われ、近くの天王寺動物園から犬と猪が参加し、動物園長が間に立って無事引き継ぎ式が終わったそうである。

 来年は、決して「猪突猛進」だけのイノシシの年ではなく、心優しいイノシシ年であってほしいと、年賀状印刷をしながら思ったのである。
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僕流、10大ニュース!

2006年12月26日 | ファミリーイベント
この時期になると新聞、テレビ、雑誌などで,「今年の10大ニュース」とやらを必ずやっている。僕流に10大ニュースをあげてみた。

 ①教育基本法の改正案の国会での可決
 ②奈良の中学生の放火による親子殺人事件
 ③いじめ自殺の連鎖と教育再生会議の謎
 ④官製談合による三県知事の収賄事件
 ⑤永田議員の偽メールと政府のやらせTM
 ⑥秋田女児殺害畠山事件と模倣犯
 ⑦イラク自衛隊撤退と米共和党の敗北
 ⑧防衛省昇格の決定と麻生、中川核保有発言
 ⑨悪徳業者と建築士の耐震強度偽装事件
 ⑩堀江,村上ら虚業のヒーローの逮捕
 
いろいろ思い出しながら書き出して行くと、20も30も浮かんでくるのだが、今年の一字として、先般発表された今年の一字「命」は、いかにも今年を物語る字だと改めて思う。

 子ども達を取り巻く環境の中でのいじめや虐待が、これほどにも多く報道され、中でも自分の母や父による虐待死や教師、友人によるいじめを苦にしての自殺が、こんなにも多く発生したことに、やるせない「生きる」ことへの大切なメッセージ不足を感じざるを得ない。

 つまり大人社会が戦々恐々としている現代社会にあって、子ども達も大人や親の背中や価値観を見たり感じたりして、徐々に他人を敵としてしか見ない様な孤独感や疎外感に苛まれつつあるのではないだろうか。

 一人一人は優しく明るい少年や子どもだったはずなのに、追い詰められて相談したり、ゆっくり話し合ったりする余裕もなく、どんどんと袋小路の如き闇夜の様な世界に入り込んでしまったケースとして、奈良県で起きた少年の事件があった。

 この少年のことを私は詳しく知るよしもないのだが、未だに彼が義母や義兄弟であったとは言え、放火殺人を意図して犯行に及んだとは考えられないのである。

 父から毎夜厳しく勉強を強いられていた彼が、医学部への進学を通して医者になる道だけを目指して真面目に頑張っていたが、学期末の三者面談で少し低落気味の成績が父に公表されるのを恐れて、精神的に行き詰って放火してしまったのであろう。

 決して家族を殺戮することが目的ではなく、逃げたかったのだろうと推察できる彼の心境を思うとき、父だけでなく社会、学校、国もがエリート教育のみに傾斜する、教育の再生会議や愛国心重視の強制を強いる教育基本法の改正など、一連の教育改革とは、いったい何のためだろうかと改めて疑問に思わざるを得ないのである。

 「生きる喜び、生きる楽しさ」を一緒に味合う人生を、小さい時から家族を中心に過ごせる様な家庭づくりが肝心なのである。そして「生きる」のではなく、「生かされている」自分に気づくことが大切なのではないか。
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X’MASに死刑執行!

2006年12月25日 | 世界の問題
何とクリスマスの日に、日本では法務省が死刑囚4人の死刑執行を発表した。

 死刑執行を巡っては世界的に多くの議論があることは否めないが、よりによってクリスマスに死刑を執行する日本という国は、こんな時だけ「法治国家」だと胸をはるのである。

 本当に法治国家なら、憲法違反の自衛隊という名の軍隊も持たないだろうし、国会議員の有権者に対する人数の格差も違憲状態を許さないし、昨今多数露呈している法や条例の執行者であるべき、公務員の違法行為もなくなるだろう。

 この「死刑執行」だけが、時の法務大臣の執行命令によってなされるために、小泉内閣時代の杉浦正健前法務大臣は、就任の際の記者会見でも個人的心情を語った上で、任期中の命令書署名はせず、9月に退任した。

 続く安倍内閣で法相に任命された長勢甚遠氏が就任後はじめて署名したものだが、一日に4人の死刑を執行したのは、97年8月以来の9年ぶりだとのことである。

 この時処刑された「永山則夫死刑囚」は昭和43年10月の連続射殺事件で有名であり、平成2年、1990年に死刑確定後7年後に処刑されたこととなる。

 つい最近で記憶に新しい死刑執行は、大阪池田小学校で小学生児童を殺傷し、早く死刑にしてくれと願ったと言われている、宅間守死刑囚で、2001年6月の事件後、2003年9月に死刑が確定し、2004年9月に死刑が執行されている。

 国際的な人権団体である「アムネスティ・インターナショナル日本」は、「死刑の執行に対して強く抗議する。国会閉会中を選び、本人や家族にも事前の予告なしに行われた」「日本が死刑廃止する一歩を近い将来に踏み出すことを期待する」との声明を出している。

 全世界的に観ても、現在死刑制度を存続している国の方が圧倒的に少なくなってきており、アメリカでも死刑制度はあるが死刑執行は極端に少なくなってきているといわれている。

 世論調査でも、第一級殺人の被告に対する刑罰について、死刑か仮釈放のない終身刑かと尋ねると、終身刑支持派が死刑支持派を上回る結果が出たと報告されている。

 米国では死刑が1976年に合憲だとの連邦最高裁の判断で、死刑が復活したのだが、死刑制度があるのは38州で、執行方法は薬物投与がほとんどだと言われている。

 日本の死刑執行は未だに絞首刑だとされていて、戦前からの死刑制度が存続し、国家権力による「法的刑罰」として野蛮な「絞首刑」が執行されているのである。

 東京、大阪、広島で4人の死刑囚の死刑執行がなされても、強盗殺人などの罪に問われた「人間の命」がこの世からなくなっただけで、世の中は全く変わらない。

 クリスマスの夜、キリストイエスが誕生したという日に、悲しい野蛮なニュースである。

 
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息子の結婚

2006年12月24日 | ファミリーイベント
 昨日、息子が結婚した。結婚式をしたわけではなく彼女と入籍したのである。

 最近の「結婚事情」は大きく変化していて、知人の女性によれば、娘さんの「結婚の手続き」の順序は、全く自分達とは逆だと笑っておられた。

 つまり「子どもが出来て」「籍を入れて」「お祝い会、披露宴」、そして二人で「結婚式」を挙げるのだそうである。

 お金がないので出来ることからすると言うのである。つまり彼と彼女が仲良くなって子どもを産んで、子どもの「籍を入れて」、両親、家族や友人達と「ささやかなお祝い会」をして、落ち着いてから二人で気に入った外国で、二人の記念すべきスタイルで「式をあげる」のである。

 我が息子は彼女と八年ほど付き合っているので、今年早々に家族で会った時に、今年中に「けじめを」と約束していたので、年も押し迫った昨日、二人で「結婚届」を役所に出しに行ったのである。

 結婚入籍予定の息子の報告に、私が入籍後、ささやかでもいいから社会的なお披露目が必要だと電話口で話したら、「お父さんが、そんなこと言うか」と不思議がられた。

 息子は、私のことをどう思っているのだろうか。

 よっぽど社会的常識や習慣などに関係なく生きているとでも思っているみたいで、息子の目に映った「親父」である自分が社会的にどの様に見られたり、感じられているのかと自問自答する機会となった。

 長い間、遠い地に住んでいる息子と彼女とは、便利な携帯メールで時々連絡はしているが、昨日は携帯電話に彼女の声がして、「よろしくお願いします」と改めての「挨拶」があり、「親父」として「おめでとう!」、「末長くよろしく頼みます」と返答している自分がいた。

 娘の結婚式の時も、さほど感動というか涙するような気分にはならなかったが、今回の息子の「結婚入籍」は、それ以上にあっさりとした携帯電話への「報告」であり、仕事をしながらの片手まで受話器を耳に当てて、返答したのである。

 年末の押し迫った時期の「結婚入籍」は、たぶん彼女と息子が同い年となる二ヶ月間で、彼女の誕生日と同じ数の22日を選んだそうなのだが、戸籍上の新世帯として、「年末調整」で一年間の「控除」などが受けられるので、「結婚入籍」するなら12月が御得感があるのである。

 ともかく「おめでとう」。慌てて息子はプリンターを買って、年賀状で知人、友人には「結婚入籍」の報告をする準備をしているそうである。

 これで、今年の暮れに家族が正式に一人増えたが、来春には娘に二人目の子どもが誕生する予定で、またひとり増える。

 少子化、日本の人口の減少化が話題になっている昨今だが、我が家は確実に家族が増えつつある、嬉しい年末年始である。

 
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メールの返答がない!!!

2006年12月22日 | 季節の話題
幼い頃をよく知っている男子大学生がMIXIの日記に、クリスマスが近づいているのに彼女に出したメールに返答が三日間なく、寂しいばかりか失恋したと思い込んで落ち込んでいるというのである。

 携帯電話を誰もが持つ時代となって、直接個人の元へ電話やメールが出来るという非常に便利になったのだが、ひょっとして直接電話で話したり、目と目を見ながら会って話をすることが少しづつ苦手になってきているのではなかろうか。

 もしメールが来なければ、どうしても急ぎの用がある時は電話すればいいし、お互いの時間が合えば、会って話しをしたり愉しい時を過ごしたらいいのである。

 昔が良かったというつもりはない。しかし気になる彼女や彼氏ができて、どの様に相手の気持ちを察すればいいのか迷いながら、ドキドキしながら電話のダイアルを回す、あの緊張感や、もし本人以外の家の人、すなわちお父さんやオカァサンが出たら、どの様に話そうかと頭の中でシュミレーションもしていたもんだ。

 「恋」や「愛」と言う前に、お互いのコミュニケーション手段としての「電話」や手紙という役立つツールもあるし、時間をかけて気持ちを伝えることもいい場合もあるので、どの様に使うかは千差万別だが、メールを送って返答がなければ電話すればいいし、可能なら直接会いに行けばいいのである。

 しかし、現代の青年はメールに返答がすぐないからと落胆したり、中にはフラれたと思ったり、落ち込んだり、次の行動に出ずに沈んでしまいがちなのかもしれない。

 すなわち便利な道具ではあるが、携帯電話依存症の様になっていて、「私、携帯電話がないと生きていけない」なんて真剣に思っている若者が増えているのである。

 確かにデイトでも待ち合わせでも、だいたいの日時と場所を決めておけば、あとはお互いに携帯で確認し合えば、ほぼ予定通り会えるという時代になった。

 昔は前日までに自宅間で電話で日時、場所を確認しておいても、当日の予定の変更、車や交通機関の渋滞や遅滞に、いらいらしながら急いで行く一方で、待ちくたびれそうになるまで待ち続ける健気な姿もあった。

 人によるが、待ち合わせに耐えられる時間を一時間位は平気という御仁はザラにいたし、中には二時間、三時間待ったというのが後でエピソードになっているケースも多くある。

 人と人が出会うことは、いつの時代に愉しくて、うきうき、ドキドキするものだと思うが、最近の出会いは携帯電話のお陰かどうか、少々、そのドキドキ感が少なくなっているようである。

 前述した彼には四日目になってメールの返信がようやく来たらしく、心うきうきで元気になって、クリスマスのデイトへのたくらみを愉しそうに練っているらしいのは幸いだが、携帯メールを待つだけでなく、積極的に直接チャレンジしたり行動する青年になってほしいものである。
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税調会長の更迭!

2006年12月21日 | とんでもない!
 ごたごたした挙句、やっと本間正明、政府税制調査会会長が辞任、すなわち実質的な任命権者である、安倍晋三首相によって更迭される運びとなった。

 何とも、この数日のごたごたを見ていて、安倍首相の指導力のなさ、決断の悪さがいみじくも露呈した事件となったようである。

 そもそも大阪市の行政改革の諮問委員会でも本間氏は、ごたごたを起こしていた人物だが、小泉首相の肝いりで、政府の経済財政諮問会議の一員として招聘されて、2003年に、ほぼ常勤の政府委員のごとき立場に立ったために、公務員宿舎を便宜上あてがわれたそうである。

 しかし、その公務員宿舎に低家賃で、奥さん以外の(当たり前か?)愛人と共に同居し、この11月からは、安倍首相が官邸主導の税制調査会にしようと、財務省、総務省が石弘光前会長の続投で、税制改正を考えていたのに対抗して、歳出削減と増税、金利と経済成長のバランスさせることが重要との主張を掲げる本間氏を強く推薦し、会長に就任させたのである。

 すなわち安倍政権のひとつの目玉人事だったわけなのに、今回の実質的更迭でも、安倍首相には任命権者としての責任はないと、あえて塩崎官房長官が記者会見で言い逃れしているのは、非常に可笑しな責任回避である。

 そもそも本間正明大阪大学教授の授業「現代日本経済」と思われる授業風景の黒板に「Public vs Private」、すなわち公、官/政府と私についての違いや区別が論じられている写真が掲載されているのだが、全く今回の週刊誌が報じたスキャンダラスな実態は、公私混同のとんでもない、ひとりのおやじの姿しか映らなかった。

 大阪におられる奥さんは「寝耳に水」の元北新地のママと称される愛人を、公的に用意された格安の宿舎に住まわせて、離婚調停の話し中だとの弁解をされていたが、税制調査、すなわち公平、透明の税制改革を調査し、論ずる責任ある会の長が公私混同の私的利用をしていたのである。

 辞任に至る、理由は「一身上の理由」なぞという不明瞭な誤魔化しであってはならない。全く公私混同の公的宿舎利用についての過ちと反省を明らかにして、辞任すべきである。

 安倍晋三首相の責任は大きい。形は自らの一身上の理由による辞任申し出に対して、了解したという形だが、全くずるい責任逃れの処置に過ぎない。

 任命権者としての責任として、とんでもない公私混同の姿勢を叱責し、更迭すると宣言すべきである。

 たぶん、安倍首相にとっては、経済関連の学識経験者として、前小泉首相の時代の竹中大臣の様に、民間のシンクタンク的な人材として、今後も大いに多方面にわたって登用しようと思っていたので、何とか留めさせたいと思っていたフシがあるのである。

 安倍首相!、国民の目はフシ穴でもないし、そんなに甘くはありません。いい加減に国民を侮ることはお止めになったほうが賢明ですぞ。大いに怒っています。
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青島だぁー!死す。

2006年12月20日 | テレビマスコミ
 あの「青島だぁー」で有名だった、元参議院議員、東京都知事、放送作家、直木賞受賞者でもある青島幸男さんが今日亡くなった。

 女優の岸田今日子さんも、三日前にお亡くなりになったそうである。

 どちらも70代の半ばで、昨今の日本の長寿傾向の中では、少し早いといった感のある病死であった。

 非常に個性的で、芸能界での活躍は改めて語ることのないほどのユニークな足跡を残された御両人として、視聴者や一般の人々にも印象深い方だったと思われる。

 私達の世代では、「大人の漫画」などのテレビ発祥期からの、ナンセンスギャグや、クレージーキャッツの植木等が歌ったり、演じた「無責任男」のキャラクター、そして圧巻は、長谷川町子の漫画を脚色して本人が演じた「意地悪ばぁさん」である。

 そんなギャグとナンセンスパロディを書いたり、演じていた、面白い放送作家のおじさんが、参議院全国区に出馬し、現東京都知事の石原慎太郎が一位で、青島幸男が二位という得票数で、当選した時には、まったく参議院は政治家というより、有名人の副業的国会議員輩出の場だと思った初期であった。

 そして何と東京都知事になってしまい、ただ政策と言えば、世界都市博覧会という、巨額の税金をつぎ込む、あまり意味のないお祭りを中止させただけで、一期で多くの批判を浴びてやめてしまって、またもや問題の石原慎太郎がそのあと、東京都知事に当選し、今度はオリンピックを東京にと騒いでいる。

 なんとも皮肉と言うか、日本の首都、東京都民をバカにしたような、ただ有名人というだけで、参議院議員など国会議員となって、都知事になってしまうという、都民をあざ笑うような首長が続いて誕生し、多くの問題が露呈しているのである。

 青島幸男氏は、まだ一期でそそくさと退任し、参議院での存在感をもう一度と、二院クラブとしての政治活動を続けようとしたが、あえなく落選し、政治家としての返り咲きは叶わなかった。

 彼のパロディやナンセンスギャグは、我々の世代も含めて、テレビ界を席捲するほどのインパクトがあったと思うが、政治家としてのインパクトは、それほどではなかったと思われる。

 一方で直木賞を受賞した小説「人間万事寒翁が丙牛」を書いたり、まじめに社会状況を分析する姿も垣間見たが、やっぱり社会を皮肉ったり、おちょっ食ったり下センスの方が天性ではなかったかと偲ばれる、故人ではなかったかと思うのである。

 岸田今日子さんは、文学座の立派な女優さんなのだが、私達には、たぶんアニメの「ムーミン」の声優さんとしてのキャラや声の出演者として馴染み深い芸能人であった。

 お二人のご冥福を心より祈りたいと思います。

 
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