ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何が教育再生か?

2007年10月31日 | 感じたこと
 今朝の新聞の一面に、文科相の諮問機関の中央教育審議会が「ゆとり教育」を改めて小中学校で理数、英、国の授業を増やすとの提言をしたと出ていた。

 「中学で理英3割増」との新聞の見出しを見て、理英さんが三割も中学生で増えたと思った人はいないだろうが、私が「理英ちゃん」にメールで知らせたら、「体重が3割増しにならないように気をつけます」という返信があった。

 冗談はさておき、毎年の様に中央教育審議会や教育再生会議とやらが、著名人を集めて「教育のあり方」について議論されるのは結構だが、ほんと「ころころとよく変える」という印象しかない結論ではないかと疑問を抱くことが多い。

 もう忘れられた方も多いだろうが、教育再生会議や中央教育審議会も、地方での公聴会やタウンミィーティング等で意見を聞くと言うパフォーマンスをされるが、イベント会社の下請けの無駄遣いで、政府見解や委員会の都合のいい意見を「やらせ発言」させていたことは記憶に新しい。

 そんな背景の中、「学力低下」「愛国心教育」「親や家族を敬う心」「創造力不足」などの多種多様な意見を背景に、今回は「総合的学習」と呼ばれる、子供達の自主性を重んじた自由研究的時間が減らされて、理数と英語、国語の基礎的学習の時間を増やすべきとの提言だそうである。

 学習指導要領という義務教育での文部科学省の指導指南書の改訂は、数年後の2011年度からになると予測されるが、2002年度から本格的に実施されて漸く現場の先生方や地域の大人たちを協力者として育ってきた「総合的学習」を減らしてしまうというのは、10年も経たないのにいかがなものなのだろうか。

 本当に子供たちにとって必要な教育とはなんなんだろうか。

 小手先で授業時間や方法を変えることではなく、学校の教師、つまり先生が子供たちにとって尊敬に値するだけの人生経験と魅力ある大人であることが、まず大切なのではないだろうか。

 文部科学省の役人やお偉い先生方の発想や指導力だけでなく、ほんとうに教育現場で子供たちと共に葛藤しながら、日々の学習や人間力を身につけるために頑張っている先生達の声や経験からの提言をどれだけ聞いた上での「改革提言」なのかが全く疑問であり、たぶん現場無視の机上の空論だと思われる。

 ある近所の小学二年生の子どもを持つ母親が言っていた。

 今の先生たちは子供達の多様的個性に対応できず、紋切り型の対処しか出来ない。

 たぶん現代の学校教育そのものが、そういう教師しか育たない環境だからだと思うと。

 つまり、子供たちは人間十色で、みんな個性が違っているのが当たり前なのに、一つの型、つまり枠にハメルことしか教えられていないからではないだろうか。

 もっと自由で闊達な子供たちに学び、人間力を育てる教育には、ゆとりと総合的学習が大切と考える。
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日本は老人天国か?

2007年10月30日 | 日本の課題
 昨日の守屋前防衛省事務次官の国会における証人喚問とやらを、夜のニュース映像と今朝の報道で、観たり聞いていて、ほんとうにニッポンという国は、こうゆう官僚、税金の無駄遣いを平気でやっている連中によって、いい加減な甘い国になってしまったのだと、改めて痛感した次第である。

 見るからに、外見だけで判断してはと恐縮しながらも、こんな官僚ごときが、家族ぐるみの税金で商売しようとする会社の接待漬けに溺れてしまって、全く公務員としての自覚やモラルを失って、ゴルフ三昧やプレゼント、食事接待などを習慣としていたなんて、とんでもないことなのに、全く罪の意識もなく、のうのうと高給を貰った挙句、退職金八千万円を受け取って、退職していたのである。

 60歳を過ぎて、定年を迎える世のお父さん方の多くは、悠々自適の年金暮らしとは、まだ縁遠くて、どこかでせっせと働き口を見つけては、老体に鞭打って働き続けているというのに、多額の税金で支援してもらった公務員達は、けっこうな退職金と共済年金という、特別お手盛りの公務員年金で、定年後も税金でサポートされているのである。

 先日、事業所の軽自動車で現場に向かう途中に、ガソリンを入れようと、小さな個人経営と思われるガソリンスタンドに立ち寄ったところ、年配のおじさんが給油をしてくれたのだが、歳の頃なら間違いなく80歳を超えているであろうおばぁさんが、おもむろに出てきて、自動車のフロントガラスを拭いてくれたのである。

 車内で待っていた私は、思わず驚きを感じながらも、この日本の現実の一こまを携帯電話のカメラで激写してしまったのである。

 よーく考えると、家族ぐるみのスタンド経営で、何とか採算を取っているのかも知れないと思いつつ、こんな老婆にまで労働をさせている現実があると心配したり、いや高齢者になっても「遣り甲斐」を感じる仕事があれば、させてあげるのが必要なのだとの思いが交錯していた。

 公務員だけではないかもしれないが、悠々自適の定年後の高齢者として、満を持して楽しんでいる、いわば税金の恩恵を受けながらの、老後を過ごしている人たちがいる一方で、到底年金だけでは暮らしていけない高齢者もたくさんいるという現実の一こまとして、ガソリンを給油中の自動車の窓ガラスを拭く老婆の姿が、くっきりと浮かんでいるのである。

 実際のところ、写真の老婆にインタビューしたわけではないので、あくまで私の想像なのだが、日本は、まだまだ「老人天国」とは言えない、福祉と年金、医療などの面において、高齢者が恵まれているという現実がほとんど感じられない国なのである。

 今後、最低の年金支給にも財源が不足し、消費税の大幅な値上げが予想され、そのための議論が漸く見え出した昨今であるが、「老人天国」と言えるような、年寄りに温かく、誰もが長寿を待ち望むという、福祉と年金でサポートできる国、ニッポンにせねばならない。

 働く老婆の顔が、もっと生きがいに満ちた幸せな顔になることわ、強く期待する。
 
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ハロウィンとかぼちゃ

2007年10月30日 | ガリバー旅行記
 明日、10月31日はHalloween、ハロウィーンと呼ばれる、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩の英語圏での伝統行事の日である。

 日本でも、十数年前から商店街や百貨店を中心として、黄色い大きなかぼちゃを飾って、「ハロウィン」を題材にして、大いに盛り上げてセールに繋げようとするイベントが盛んに行われるようになっている。

 でも、クリスマスやバレンタインと比べると、どうもよそよそしく、もうひとつ盛り上がらないのは、この日が西洋人にとっては、日本人の「お盆」の様に、死者の霊が家族を訪ねる日であり、精霊や魔女が出てくる日とされていて、これらから身を守るために、仮面を被ったり、魔女除けの焚き火を焚いたりする儀式めいた習慣があるためである。

 これに因んで、31日の夜にジャック・オー・ランタン(お化け蕪)と呼ばれるものを作って、魔女やお化けに扮した子供たちが、「お菓子をくれなけゃ、いたずらするぞ」と唱えて、近所の家を一軒づつ訪ね、家庭ではお菓子を作って、子供達のもらって来たお貸しを持ち寄り、ハロウィンパーティーを開くと言う。

 ハロウィンのテーマに関連したものには不気味なものや怖いものが多く、幽霊、死、魔女、こうもり、黒猫、ゾンビ、ドラキュラ、フランケンシュタインなども登場し、ハロウィンの時期には、これらで家を飾るのである。

 黒とオレンジ色が伝統的なハロウィンの色で、英国やアイルランドでは元々蕪(かぶら)がジャック・オー・ランタンの素材なのだが、移民したアメリカでは、刻みやすいカボチャを刻んで、怖い顔や滑稽な顔を作って、悪霊を追い出すために、家の戸口の上り段に置いているらしい。

 これらのハロウィンの文化と習慣は、古くは古代ケルト人たちによって受け継がれた歴史があり、11月1日を新年とするサウィン祭を前に、収穫感謝祭でもあるハロウィンの夜には、アイルランドの司祭たちは、火をつけて作物と動物の生贄を捧げ、火のまわりで祭司たちが踊り、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節の到来を意識したのだそうである。

 すなわち、北半球の緯度の高い北欧地域での自然、気候、宗教、文化を背景にして発展、伝承されてきたマツリゴトを、日本はアメリカから、その表面的なデザイン、カボチャランタン、魔女、イメージだけを借用して、イベント化して楽しもうとしているだけなのである。

 クリスマスそのものも、キリストの誕生日というよりも、年末大売出し、セールとサンタのプレゼント機会として利用しているだけの「日本の安易なイベント」騒ぎの代物なのだが、いつのまに「魂のない仏さん」も、日本的なイベント、習慣として定着するのだろうか。

 と言う私も、子供達の遊び場活動をしていた十数年前に、ハロウィンカボチャのお面を被って黒装束で、市中を行進するパレードに参加したことがあるので、偉そうなことは言えないかもしれない。

  

 
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青木功がエイジシューター!

2007年10月29日 | プロスポーツ
日本シニアオープン選手権という、プロゴルフの国内での50歳以上の選手の大会で、あの「世界のAOKI」と呼ばれた「青木功選手」が、エイジシューターと呼ばれる記録を達成し、6打差を大逆転し優勝した。

 「青木功」は、この大会で94年から97年に4連覇しているので、10年ぶりの5度目の優勝となるが、前回の優勝は55歳だったわけだから一般社会では、まだバリバリの現役選手の年齢だったが、今回は立派な高齢者の仲間入りする65歳での、この快挙はとんでもない賞賛に値する素晴らしいものである。

 過去の日本のプロゴルフでは、伝説の中村寅吉さんが、同じく65歳の時に自身の年齢と同じスコアである65で回った記録があり、それ以来の快挙だそうである。

 青木功選手自身は、尾崎将司、中嶋常幸選手と共に、「AON時代」を築いた一人で、国内での優勝経験は数多くあるが、海外では78年に世界マッチプレイ選手権で優勝し、80年には全米オープンで、あのジャックニコラウスと激戦を演じて2位になり、2004年にはゴルフの世界殿堂入りを果たしたのである。

 私自身は、若い頃に少しだけゴルフをしたことはあるが、中年以降一度もゴルフをしたいとも思わなかったし、もっぱらたまにテレビで、プロの試合を垣間見る程度ではあるが、何とも青木功の今回の劇的なシニアオープンでの逆転優勝、しかもエイジシューターというおまけまで記録した優勝には、拍手を送りたいと思う。

 熊本中央カントリー倶楽部の6965ヤード、パー72というゴルフ場で、前日まで首位に6打差もあった5位から、最終日に8バーディー、1ボギーの65というスコアで回るという、奇跡的な「エイジシューター」を演じて、通算12アンダーで優勝したのである。

 白髪も目立つオジサンになった青木功だが、最終18番ホールで、6メートルのバーディーパットを沈めて、何度も右手を突き上げてのガッツポーズを繰り返し、「やったよぉ!」と叫んだそうである。

 実は、この日7番ホールで、パーより一つ多いボギーを叩いて、逆に「欲がなくなって」「冷静さを取り戻して」、65歳になっても全盛期と少しも変わらないプレイスタイルで戦い抜いた「AOKI」に、ゴルフの神様が最大のご褒美を授けたかの様な、見事な快挙だった。

 そういえば、101歳のおじいさんが、50メートル背泳で、何と4分17秒99さという前代未聞の記録で、シニア水泳の日本記録といっても、他に泳いだ人がいないための最高記録を出したと、テレビで放映されていたが、三浦雄一郎氏の父上の様に百歳過ぎてもスポーツに勤しむ人もいる時代ではあるが、とても他人には真似のできない、超人的活躍を、今後の「青木功さん」には、期待したいと思うものである。

 「あっぱれ!!」、世界のAOKIよ、永遠なれ。

 

 

 
 

 
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芸術の秋らしい。

2007年10月28日 | 地域の話題
 毎年今頃開催されている「京田辺芸術家協会展」を観に、移動有機八百屋の営業中に市役所横のコミュニティホールへ立ち寄りました。

 昼休みの昼食を自宅でとって、2時からの会場でのギャラリートークに間に合うようにと、少し早めに出かけました。

 会場には、日本画、洋画、書、彫刻、写真、陶器などの作品が並んでいて、ひとつひとつ、じっくりと鑑賞したいところだが、会場の中央部に椅子席が設置され、正面にゲストスピーカーたちが座るテーブルが既に用意されていて、遠慮気味に鑑賞をしました。

 作品の多様さと創作に関わられた作者のご苦労とセンス、また創作の発想など、いろいろと思いをめぐらせていると、各人の人生観と芸術、創作意欲のエネルギーまで伝わってきそうに感じました。

 昨日の「ギャラリートーク」は、書の藤本玲舟さんの司会で、洋画の田代和子さん、日本画の林孝二さん、そして写真の山本賢二さんの三人が、「制作にかける想い」をテーマに語られました。

 洋画の田代さんは干支がネズミで来年84歳というご高齢ですが、全くお歳を感じさせない感覚と画風で、「風神、雷神」をテーマにした、とっても力強く、また童心を感じさせる楽しい作品を出展されていて、幼い頃から路上に「蝋石で絵を描いていた」とおっしゃっていました。

 日本画の林さんは父上も日本画の画家で、幼い頃から自然の中で遊びながら、小学校の卒業文集では、「画家になる」と書くほど、自然な流れの中で画家を志して、今はモノトーンの大樹をテーマにした作品を数々描かれていました。

 写真の山本さんは山歩きが好きなお父さんの影響で、「山登り」が好きになり、どんなカメラでも、しっかりと季節と自然を捉えた写真を撮れるんだとの確信をもって、多くの写真仲間と共に身近な風俗、自然、山、樹木を撮影されています。

 芸術家協会という硬い名称とは違って、各々が自由闊達に自分流の作品作りへの強い情熱を持ちつつ、日常生活の合間を有効に使っての作品作りを続けていることに、ほんとうに敬意を表さずにはいられない感じでした。

 田代さんの作品には、相変わらずの童心や夢が満ち溢れていますし、林さんの作品のモノトーンの中には、深い人間の心象現象が隠されているような気がしました。

 たまたま、ギャラリートークの後半に司会者が突然、私を名指しで質問を求められたので、とっさに「林さんの作品の中に「女」という文字が隠されているのが気になってしかたがありません」と、とんでもないことを言ってしまいました。

 日本画としての深い白黒の表現と画法の大作なのに、私は観た瞬間から、中央部の枝の形が、漢字の「女」という文字の形として見えてしまって、他の樹木の枝や幹も、動脈、静脈、毛細血管のように見えたのです。

 「絵」や芸術作品を創作される芸術家の想いとは裏腹に、全く次元の違う見え方や心象に気づくことも、「芸術の秋」の楽しみ方なのかもしれませんね。
 
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風邪ひいちゃった。

2007年10月25日 | 季節の話題
 すっかり秋めいてきて過ごしやすい気候になりましたが、気が緩んだのか「風邪をひいて」しまいました。

 今月の初めに左膝の変形性膝関節症という「膝痛」に見舞われてからの整形外科通いと注射、投薬、患部の湿布だけでも面倒なのに、おっさんフリーターとしての仕事中に、鼻水が出てきたり咳き込んだりと、膝痛も完治していないのに、踏んだり蹴ったりですわ。

 昨日、今日と連日、少し雨がぱらつく時間もあって、外歩きの営業仕事には、二重、三重の悪条件が重なっての試練の連日となりました。

 結局は、涼しいはずの日中にも関わらず、熱っぽくなったりして首筋に汗をかき、営業トークも鼻声で元気が出ず、成果もあまり出ない結果となってしまいました。

 そうさ、そんな時もあるさと自分を慰めながら帰宅したのですが、体中のだるさとしんどさに、早速布団にもぐりこんで、ともかく体を休めることに専念することにしました。

 しかし、街や自然はすっかり秋で、コスモスの咲き乱れる休耕田や、彼岸花、チンチョウゲなどの秋の花たちが、私たちを和ませてくれているし、陽の落ちるのが早くなった夕刻から、キレイな十三夜の月が見えたりと素敵な季節です。

 みなさんはお元気にお過ごしでしょうか。

 私のブログも丸三年を経過しようとしていて、全部で800回は書いていますが、なかなかまとまりのない文章ばかりで、ご覧いただいている皆さんには恥ずかしい限りですが、私なりに時間が許す限り書き続けたいと思っています。

 さて、今年の4月に私事ですが、「京田辺市市長選挙」に立候補し、多くの皆様のご支援、ご協力を得て選挙を戦いましたが、投票日の4月22日から、ちょうど半年が経った10月22日に、この選挙運動を支えてくれた同志社大学の学生であるE君が、来春から京大大学院に進学することが決まったので、久しぶりに選挙を手伝ってくれた仲間が「お祝い」を兼ねて集まりました。

 たった半年、日数にすれば180日ほどのことですが、集った仲間は学生が5人とおっさん3人に大学職員がひとりの計9名でしたが、微妙にみんなの今、今後を語っていると、大きな変化や新たなチャレンジが見え隠れして、とっても面白く感じました。

 特に、学生さん達の今後は興味深く、あと数年たてば各々が間違いなく社会人として、とんな仕事を得て、どんな思いで自分の人生を切り開くために格闘しているかと想像するだけで、とっても楽しくなる思いでした。

 私が同志社大学の学生だった1960年代後半の激動期と比べると、どうも皆、幸せな平和呆けのようにも感じますが、それぞれの今を生きる学生かたぎで、将来を見据えて日々努力しているのだろうと、なんだか長老のような感じで仲間達の会話を聞いている自分がいました。

 早く、風邪を治して膝痛も完治させて、再び私らしく元気に働き、日々を有意義に楽しく過ごし、ブログで報告したいなぁと思っています。

 これからも宜しく。

 

 
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同じ穴の狢!

2007年10月24日 | 日本の課題
 今年1月に防衛省に昇格?してしまった自衛隊の監督官庁でもある政府直轄官庁で、今もっともマスコミをにぎわしているのが、例の小池防衛大臣との確執から更迭されたと言われている、守屋事務次官である。

 なんと、この五年間に140回もの接待ゴルフに明け暮れていたというから、それだけでも驚きというより、暇人かもしれない。

 それにしても、その接待主が防衛省の権限で調達される次期輸送機の購入を巡って噂される「山田洋行」という軍事物資の調達会社であり、ゴルフ以外の接待も含めて、税金による巨額の防衛予算に関して、防衛省の事務方のトップになっていた守屋に異常接近し、多くのもてなしや公私共に便宜を計っていたことが明白になってきている。

 国会は、今月29日に渦中の人、守屋元防衛省事務次官を証人喚問することを決定し、委員会審議では26日に与党が、そして証人喚問の翌日の30日に、テロ特別措置法に関する質疑を展開する予定らしい。

 しかし、自民党、公明党だけでなく、民主党にも昔でいうところの「族議員」も多く、この問題となっている「山田洋行」という小さな会社からの政治献金や接待を受けていた官僚や政治家は他にもいると思われる。

 現在、民主党代表の小沢一郎氏は、山田洋行からの600万円の政治献金について正され問題化したため、全額を返金したとコメントしていたが、返せば無罪放免だとするならば、同じ穴の狢としての他の便宜供与や接待、献金を貰っていた関係者も、発覚すれば返金などの対応をして「お茶を濁す」こととなるのであろう。

 全く「○○おまえもか!」と常に国民、納税者は指摘したり、溜息交じりで呆れて物が言えないという現実、事実、事象が、この政府、官僚、国会を取り巻く「輩たち」には、付き纏うのである。

 そんな狸と狐の「呉越同舟」の間柄と言っても過言ではない連中の茶番劇とでも言いたい国会で、一見まじめな質疑の応酬がされる予定だと聞いても、国民の多くは、「テロ特別特措法」を巡る議論なんて、あまり関心をもたないであろうと思われる。

 防衛省に昇格した際の久間防衛大臣と共に新看板の布を引いている「守屋事務次官」たちの顔は、全て国民、納税者の日々の生活、暮らしとは全く切り離された「別世界」での有頂天としか見えないし、数ヵ月後には渦中の人たちは既に大臣、事務次官でもない立場に更迭されている現実が全てを物語っている。

 ほんと、ええ加減にしてほしいものである。

 「同じ穴の狢」と形容したが、「狢」すなわち、むじなが聞いたら気を悪くするくらいに、政界、官僚たちの世界は、私利私欲と利害が交錯していて、自分の利を求める輩ばっかりの巣窟となっているとしか思えない情けない現実である。

 
 
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ウルトラマラソン

2007年10月23日 | とんでもない!
 一昨日の夜、たまたまテレビをつけたら、NHKの「アーカイブス」という、以前放映されたテレビ番組の再放送で、「アメリカ横断マラソン」のドキュメンタリーをやっていた。

 何と北米大陸、アメリカ合衆国のロサンゼルスからニューヨークまで、4700キロを64日間かけて走りぬくという、とてつもない過酷な「ウルトラマラソン」が存在していたことを始めて知った。

 放映されていたのは、1994年の第三回の大会のドキュメンタリーであったが、参加14人のうち5名だけが完走したという、とんでもない距離の人生と命を賭けたレースだったのである。

 よく「人生をマラソンに譬える」ことはあるが、日本列島を縦に往復縦断して余る距離を完走した中に、日本人が二人いたのである。

 その一人が当時50歳の海宝道義さんであり、勤務していた会社の倒産失職を期に退職金をつぎ込んで憧れの北米大陸横断に夢を託した中年と、もう一人は佐藤君でアメリカ滞在12年で見切りをつけて日本に帰る前に、一つの達成感を味わって帰ろうと決意した青年であった。

 一日の行程は、朝5時にスタートし、50キロから100キロを走破して、あとは休憩と食事と体の調整、睡眠という繰り返しであり、最低平均時速は5.5キロというゆるやかな制限があるが、とんでもない過酷なマラソンであることだけは間違いない。

 他の外国人の参加者も各々の「人生の区切り」や「人生の戦い」を自らのテーマとしており、ひとり、ひとりに深い思いと必死の課題とも思われる「強い決意」が見受けられるのだが、唯一の女性参加者で子宮がんと戦うアメリカ人や教師として生徒達に伝えたいメッセージとして参加した人などはことごとく、途中で体調を崩したり、怪我のためリタイアしていくのであった。

 このウルトラマラソンには、勝者や完走者に対する賞金や栄誉は何もないのだが、参加者ひとりひとりの人生には、輝かしい栄誉と自信、または大きな人生の岐路に立っての決断の時となったようである。

 海宝さんという、海の宝という素敵な名前の中年のおっさんにとっても、家族と共に約2ケ月間を戦って完走し、人生の大きな区切りが出来て、その後、この大会のスポンサーであった会社に再就職し、「ウルトラマラソン」の企画運営の仕事に従事することになり、その後「海宝ロードランニング」という自らが企画運営するチームを結成されたのである。

 「北海道サロマ湖100キロウルトラマラソン」や「金沢、名古屋のさくら道270キロウルトラマラソン」、「宮古島」「しまなみ海道」「東海道」など国内でも多くのウルトラマラソンがあるが、彼はシルクロード18000キロをはじめとして、地球一周を達成すべく、着々と計画しているらしい。

 何とも人生と同様に、とてつもなく距離や夢は広がっているようで、老いと健康との戦いと共に、心と精神は、未だに若く走り続けられるようである。

 あっぱれである。

 
 
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伊勢の赤(恥)福

2007年10月20日 | とんでもない!
 関西地方では有名すぎる「伊勢の赤福」が、とんでもない恥さらしなことを、ずっと続けていたことが明らかになった。

 伊勢名物でロングセラーと菓子包みにも描かれていた、あの独特の波打つ餡子が白い餅の上に塗ってあるような「赤福」は、白い専用のヘラで一つづつ食べるのだが境目が不明のために、甘さに弱い人は、ついつい越境してでも、となりの餡子まで食べたくなる誘惑と戦いながら、美味しくいただいていた代物である。

 伊勢に通じる主要駅や名店街、百貨店などでは、製造日当日だけの販売で、売れ残ったものは処分されると言われていて、さすが新しいものだけを販売する老舗の心意気は立派だと評価され、「伊勢土産」としてだけでなく、結構日常的なお茶菓子としても、多くの人に親しまれて、よく売れていたのである。

 なのに、「赤福おまえもか!!」と言った感じで先日来、食品偽装問題の事件として報道されるに及んで、先行きが見えない「無期限営業停止処分」になってしまった。

 「お伊勢さん」と親しまれている、伊勢神宮のある三重県伊勢市は、たぶん関西の小学生の多くが修学旅行で行く場所であり、人生で最初に買うお土産を父母や祖父母へ買う代表的なお菓子だったのである。

 そんな伝統のお菓子が、不二家、雪印、ミートホープ社、白い恋人などと同様の食品偽装の疑い、すなわち売れ残り商品の再冷凍化と製造年月日の付け替えという、とんでもない偽装工作で再出荷していたことが判明したのである。

 我が娘も大学時代に暫くの間、近鉄名店街でアルバイトをしていた時期があり、よく「赤福」の売れ残りは全部回収されて処分されるらしいと聞いていたが、一度も処分品をいただいて帰ったり、安く売ってくれたと言って持ち帰ったことはなかった。

 今から思うと、それも当たり前だよね。処分すると言って持ち帰って再度冷凍化し再出荷していたので、コスト面からしてもリスクの少ないというべきか、無駄のない手法で、大半の製造された「赤福餅」を販売しきっていたことになる。

 数年前に大阪市に匿名の内部情報として、この赤福の再出荷問題が指摘されていたらしいのだが、その当時は市も普通の調査を装って工場を視察し、製造日の偽装、再出荷の実態を確認することができなかったらしい。

 昨今の風潮並びに度重なる食品偽装やコスト削減のための企業モラルを疑いたくなるような事件の連続に対して、未だに「バレルまでは黙っておこう」、もしばれたら「知らなかったことにしよう」とする会社があり、その経営者の「食に対する責任感のなさ」すなわち金儲けのためなら、買った人の健康や消費者を裏切ることなど平気という精神が信じられない。

 「雪印」「不二家」などと同様に「赤福」のブランドが、再出荷できることは厳しいと思われるが、「ニセの名物・赤福」と皮肉られるような「赤恥」の「赤福」となってしまって残念でならない。
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世の中が欝なんだ。

2007年10月18日 | 感じたこと
 最近、特によく「うつ病」について聞くことがある。

 最近のテレビ、新聞を中心とするニュースの数々に接していても、どうも理解の出来ない悲惨かつ、不条理な殺人や事件が多すぎるようである。

 ある人に言わせれば、現代日本は「うつ社会」と断言されている。

 ちょっと仕事がうまく行かなかったり、人間関係に悩むと、人は自分だけがうまく行かないと勘違いしたり、自信を失って、どんどんと「うつ状態」になってしまうというのである。

 そして、親、兄弟、先生、仲間たちに相談できれば、なんてことないことでも、一人落ち込んでいて、しまいに自分の殻に閉じこもってしまう人が多いようであるる。

 すなわち、先輩や親や先生たちまでもが、子供や部下や周りの人の、今置かれている立場や心情を想像することも出来ずに、また「おせっかい」をしなくなったので、全く孤立無援になってしまう場合が多いようである。

 昔は、家族のコミュニケーションも、アナログの世界で、一家団欒も含めて、いろいろと当たり前にされていたことが、今では必要最小限の言葉での会話しかなく、殆どの連絡事項が、携帯電話やパソコンのメールによる場合が、急速に増えている。

 現代の若者を中心に、携帯電話は肌身離さず持っているアイテムとなっており、自分達のコミュニケーションと情報ツールとして、結構機能していると思っているのだが、実際はこのメールでの交換だけでは、人間的な心情を十分に察知したり、思いやったりという「情を通じる」コミュニケーションには至ってないのだ。

 しかし、一杯の情報やニュースを「知ってるか知らないか」だけで、話は終わっていて、自分の今と心のバランスが乱れていても、そんなことお構いなしで、時は流れていっているのである。

 だから、自分が今何処に立っていて、何を求め、何処に向かおうとしているかなんて考える余地もないうちに、世の中の状況と情報に流されて行っているだけなのではないだろうか。

 他人は、決して自分に声をかけてくれないし、自分も知らない他人には決して声をかけないという、今では当たり前になってしまった社会のムードが、自分を見失いそうになった人々には、よけいに気づきや脱出の糸口を見つけ難くしているのである。

 自分の心情や苦しさを語ったり、相談したりすることもなく、どんどん世の中に流されて生きていると、いつか自分が何処に立っていて、何処へ行こうとしているかさえ分からなくなってしまうのである。

 世の中が真っ暗に感じたり、他人がみんな立派に見えたりし、自分のところは暗くなり、自分だけが劣等感の塊のようになってしまっている人たちが増えている。

 決して多くの人がうつなのではなくて、世の中が欝状態になっているだけなのに、ひとり一人が自分は欝と感じてしまうような情報や他人からの冷たい眼差しが多くて厳しいのだ。

 あなたは欝ではない。もっと気分を楽にして、周りの人と語ったり、笑ったり、遊びましょう。明日が来ない今日はないのだから。


 
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