今朝の新聞の一面に、文科相の諮問機関の中央教育審議会が「ゆとり教育」を改めて小中学校で理数、英、国の授業を増やすとの提言をしたと出ていた。
「中学で理英3割増」との新聞の見出しを見て、理英さんが三割も中学生で増えたと思った人はいないだろうが、私が「理英ちゃん」にメールで知らせたら、「体重が3割増しにならないように気をつけます」という返信があった。
冗談はさておき、毎年の様に中央教育審議会や教育再生会議とやらが、著名人を集めて「教育のあり方」について議論されるのは結構だが、ほんと「ころころとよく変える」という印象しかない結論ではないかと疑問を抱くことが多い。
もう忘れられた方も多いだろうが、教育再生会議や中央教育審議会も、地方での公聴会やタウンミィーティング等で意見を聞くと言うパフォーマンスをされるが、イベント会社の下請けの無駄遣いで、政府見解や委員会の都合のいい意見を「やらせ発言」させていたことは記憶に新しい。
そんな背景の中、「学力低下」「愛国心教育」「親や家族を敬う心」「創造力不足」などの多種多様な意見を背景に、今回は「総合的学習」と呼ばれる、子供達の自主性を重んじた自由研究的時間が減らされて、理数と英語、国語の基礎的学習の時間を増やすべきとの提言だそうである。
学習指導要領という義務教育での文部科学省の指導指南書の改訂は、数年後の2011年度からになると予測されるが、2002年度から本格的に実施されて漸く現場の先生方や地域の大人たちを協力者として育ってきた「総合的学習」を減らしてしまうというのは、10年も経たないのにいかがなものなのだろうか。
本当に子供たちにとって必要な教育とはなんなんだろうか。
小手先で授業時間や方法を変えることではなく、学校の教師、つまり先生が子供たちにとって尊敬に値するだけの人生経験と魅力ある大人であることが、まず大切なのではないだろうか。
文部科学省の役人やお偉い先生方の発想や指導力だけでなく、ほんとうに教育現場で子供たちと共に葛藤しながら、日々の学習や人間力を身につけるために頑張っている先生達の声や経験からの提言をどれだけ聞いた上での「改革提言」なのかが全く疑問であり、たぶん現場無視の机上の空論だと思われる。
ある近所の小学二年生の子どもを持つ母親が言っていた。
今の先生たちは子供達の多様的個性に対応できず、紋切り型の対処しか出来ない。
たぶん現代の学校教育そのものが、そういう教師しか育たない環境だからだと思うと。
つまり、子供たちは人間十色で、みんな個性が違っているのが当たり前なのに、一つの型、つまり枠にハメルことしか教えられていないからではないだろうか。
もっと自由で闊達な子供たちに学び、人間力を育てる教育には、ゆとりと総合的学習が大切と考える。
「中学で理英3割増」との新聞の見出しを見て、理英さんが三割も中学生で増えたと思った人はいないだろうが、私が「理英ちゃん」にメールで知らせたら、「体重が3割増しにならないように気をつけます」という返信があった。
冗談はさておき、毎年の様に中央教育審議会や教育再生会議とやらが、著名人を集めて「教育のあり方」について議論されるのは結構だが、ほんと「ころころとよく変える」という印象しかない結論ではないかと疑問を抱くことが多い。
もう忘れられた方も多いだろうが、教育再生会議や中央教育審議会も、地方での公聴会やタウンミィーティング等で意見を聞くと言うパフォーマンスをされるが、イベント会社の下請けの無駄遣いで、政府見解や委員会の都合のいい意見を「やらせ発言」させていたことは記憶に新しい。
そんな背景の中、「学力低下」「愛国心教育」「親や家族を敬う心」「創造力不足」などの多種多様な意見を背景に、今回は「総合的学習」と呼ばれる、子供達の自主性を重んじた自由研究的時間が減らされて、理数と英語、国語の基礎的学習の時間を増やすべきとの提言だそうである。
学習指導要領という義務教育での文部科学省の指導指南書の改訂は、数年後の2011年度からになると予測されるが、2002年度から本格的に実施されて漸く現場の先生方や地域の大人たちを協力者として育ってきた「総合的学習」を減らしてしまうというのは、10年も経たないのにいかがなものなのだろうか。
本当に子供たちにとって必要な教育とはなんなんだろうか。
小手先で授業時間や方法を変えることではなく、学校の教師、つまり先生が子供たちにとって尊敬に値するだけの人生経験と魅力ある大人であることが、まず大切なのではないだろうか。
文部科学省の役人やお偉い先生方の発想や指導力だけでなく、ほんとうに教育現場で子供たちと共に葛藤しながら、日々の学習や人間力を身につけるために頑張っている先生達の声や経験からの提言をどれだけ聞いた上での「改革提言」なのかが全く疑問であり、たぶん現場無視の机上の空論だと思われる。
ある近所の小学二年生の子どもを持つ母親が言っていた。
今の先生たちは子供達の多様的個性に対応できず、紋切り型の対処しか出来ない。
たぶん現代の学校教育そのものが、そういう教師しか育たない環境だからだと思うと。
つまり、子供たちは人間十色で、みんな個性が違っているのが当たり前なのに、一つの型、つまり枠にハメルことしか教えられていないからではないだろうか。
もっと自由で闊達な子供たちに学び、人間力を育てる教育には、ゆとりと総合的学習が大切と考える。