ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

高校卒業式

2005年03月01日 | 地域の話題
 3月1日、暦の上では「春」のスタート。「春」は別れと出会いのシーズンでもあります。
 久しぶりに高校の卒業式に急遽来賓として出席しました。

 普通科5クラスと機械、自動車、電気、電子科の各1クラスづつの9クラス、総勢263名の卒業生の府立高校である。

 制服姿の男子も女子も、ちょっと緊張気味で会場に拍手と共に入場したが、3年間の高校時代に別れを告げる式典で、どんな感動や感慨を感じるのだろうか。

 卒業証書授与式は全員起立、そして礼、開会の辞で始まり、即座に国歌斉唱と続いた。しかし「君が代」の前奏が流れ、何とも重苦しい空気の中で卒業生、在校生の高校生からは、全くと言っていいほど歌う声は聞こえず、ただ来賓席の大人たちの低く、重たい、遠慮気味の、少し後ろに引いたような、ご詠歌のような声が、会場の一隅で聴こえるだけの国歌であった。

 いつも思うことだが、教育現場に「国歌、君が代」は似つかわしくもないし、歌いたいと真剣に思っている人など、ほんの数人しかいないのではないかと思うほど、不釣合いだし、気分が明るくならない、暗い歌でしかない。私も決して歌いたくない。

 卒業証書授与に続いて、校長の挨拶、来賓挨拶と紹介があり、在校生の送辞に続いて答辞が読まれた。
 
 白のルーズソックスをはいた小柄な女子生徒が代表だった。いろいろな高校生活ならではの体験や愉しかったことも述べたが、先生への不満や自らが高校を辞めたいと思ったことも何度かあったと告白したり、入学時より一クラス分に近い者が高校から去ったことなども後悔の念として述べていた。

 キレイごとや良いことずくめの答辞ではなく、18歳の高校生としての未熟さや成長の途中と言うハンデがあっても、切々と高校生活のエピソードを語りながら、その女子生徒は2度3度と感慨無量となって言葉が途切れて、涙をこらえて暫く経ってから、また話し出すと言った感じだったが、内容のあるしっかりとした答辞を語った。

 送辞、答辞の中で各々、自分達の高校生活を語るだけではなく、昨年秋の新潟中越地震やスマトラ沖、インド洋の大津波での被災者救援募金活動に触れたり、これからの社会に出て行く青年としての問題意識や意欲も感じられる内容もあり、どっこい現代の青年達も捨てたもんじゃないなと感じた。

 彼ら現代の若者に対する大人たちの印象や評判は、いつの時代でも同じなのかもしれないが、髪型、服装、言葉、礼儀などの特異性から、「今の若い奴等は」と、すぐ乱れていると思われ、いつも誤解をされているに過ぎないんじゃないかと思うのである。
 
 式典では、あまり彼らの個性や若さが光る場面はなく、クラス代表で卒業証書をもらう卒業生の中で髪の毛が山嵐のような青年が、卒業証書の束をもらって舞台から階段を下りる前にVサインをして、小さな喝采を浴びたり、退場行進の際に、やはり男子学生が両手を高々と振りかざして満面の笑みで、会場にいる全てに喜びを表現していたぐらいだった。

 何はともあれ、青春真っ只中の18歳の卒業式が、彼らにとって社会への第一歩、大学進学、就職と進路は違っても、大きく大人に近づいて行く門出であり、21世紀を間違いなく担う世代としての卒業生達に、私は心からのエールを贈りたい気持ちでいっぱいになった。

 若さの特権を最大限発揮して、くじけず、おごらず、これからの自分らしい道を大いに切り開き、チャレンジして欲しいと思う。人は人一人では生きられないんだ。人として支え、支えられて人生を精一杯いきいきと歩んでほしい。

 これからの社会を創る元気な活躍を、全国の高校卒業生に期待する。


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