私は愛車の軽四駆のワンボックスカーで走っているのだが、昨秋の昼下がりに地元の府道を走行中に、何者かが放ったと思われる小さな砲弾らしき物が当たって、フロントガラスにひびが入ったのである。
ちょうど山城地域特有の天井川が府道を横切っている下を走行中で、とっさのことで誰が撃ったのかは、全く判らないのだが、石などが跳んできた状況ではなかった様であった。
数年前にも、やはり地元の住宅街の幹線道路を走っていて、この時は、友人の家の物干し台の中から、小学生のよく知っている男の子が私を見つけて、小さなプラスチックの砲弾、ビービー弾を冗談の様に撃ってきたこともあった。
先週の土曜日の午後、移動八百屋の営業中だったが移動走行中に、住宅街の生活道路で小学低学年と思われる知らない男の子が、私の車が傍を通り過ぎる時に、やはり玩具の赤い光の出るライフル銃のような銃で、私の車めがけて撃つまねをしたのである。
しばらくして近くの普通の生活道路上で、縄跳びをしている男の子が私の車の走行が気にいらなかったのか、縄跳びの縄を片手に持って車に向かって投げるまねをしたのである。
いずれも直接当たったり被害が出たわけではないのだが、何故か現代の小さな子ども達、特に男の子に異変が生じているのではないかと思わざるを得なかったのである。
確かに小さな少年時代には、男の子はピストルやライフルなどの銃が何故か好きで、刀やいろんな武器など戦いの道具を持って、「戦うこと」を遊ぶことが好きな時期があるのである。
しかし子ども同士の遊びの中で、一定のルールに従って戦ったり、撃ったり、切られたりという、あくまでシュミレーションや演技としての遊びとしてやっているに過ぎないはずなのである。
だけど、昨今の子ども達の殺傷事件や子ども達を取り巻く大人たちの行動や言動の中に、多くの攻撃的な行動や言動が、びっくりするほど多く出ているのである。
隠れた暴力性とでも言うべきなのか判らないのだが、とにかく密かに潜在的に、相手や物に対して、とっさの攻撃を仕掛けるような本能的な動作や行動、言動があるのである。
たいした被害や突然の動作に驚いて二次的な事故や対応の遅れで困った事態などが生じていないので、今のところ何も問題ではないのだが、何か不気味な危険性をはらんでいるのではないかと思うのは、考え過ぎなのだろうか。
「ベビーギャング」世代と言われる幼児から小学低学年齢の頃の、いい意味での「やんちゃ」や「力を持て余ました行動」と見れば、なんてことは無いのだが、大人の世の中の閉塞感の中で、子ども達までもが家族、友達とのコミュニケーションや「遊び」の空間、時間、仲間を失って、潜在的なストレスや暴力性を、道行く車に向けているとすれば、少し考えなければならないと思うのである。
自動車に向けられている、この小さな暴力的行為がエスカレートすると、小さな犬、猫などの小動物や、時には自分より小さな赤ちゃんや幼児、またお年寄りや障がい者などに向けられないとは言えないからである。
微笑ましくて、たくましい「ベビーギャング」として、適度な発散とストレスの解消を、家庭内や屋外で、家族や友達と一定の限度やルールを意識して遊べることは大切なのである。
ぜひ近くにいる子ども達の中にある、秘められたベビーギャング魂を発揮させられる環境と相手を、意識して用意したり適度につとめてあげてほしいと願うものである。
素晴らしいベビーギャングたちが、素晴らしい大人の男達に成長するために。
ちょうど山城地域特有の天井川が府道を横切っている下を走行中で、とっさのことで誰が撃ったのかは、全く判らないのだが、石などが跳んできた状況ではなかった様であった。
数年前にも、やはり地元の住宅街の幹線道路を走っていて、この時は、友人の家の物干し台の中から、小学生のよく知っている男の子が私を見つけて、小さなプラスチックの砲弾、ビービー弾を冗談の様に撃ってきたこともあった。
先週の土曜日の午後、移動八百屋の営業中だったが移動走行中に、住宅街の生活道路で小学低学年と思われる知らない男の子が、私の車が傍を通り過ぎる時に、やはり玩具の赤い光の出るライフル銃のような銃で、私の車めがけて撃つまねをしたのである。
しばらくして近くの普通の生活道路上で、縄跳びをしている男の子が私の車の走行が気にいらなかったのか、縄跳びの縄を片手に持って車に向かって投げるまねをしたのである。
いずれも直接当たったり被害が出たわけではないのだが、何故か現代の小さな子ども達、特に男の子に異変が生じているのではないかと思わざるを得なかったのである。
確かに小さな少年時代には、男の子はピストルやライフルなどの銃が何故か好きで、刀やいろんな武器など戦いの道具を持って、「戦うこと」を遊ぶことが好きな時期があるのである。
しかし子ども同士の遊びの中で、一定のルールに従って戦ったり、撃ったり、切られたりという、あくまでシュミレーションや演技としての遊びとしてやっているに過ぎないはずなのである。
だけど、昨今の子ども達の殺傷事件や子ども達を取り巻く大人たちの行動や言動の中に、多くの攻撃的な行動や言動が、びっくりするほど多く出ているのである。
隠れた暴力性とでも言うべきなのか判らないのだが、とにかく密かに潜在的に、相手や物に対して、とっさの攻撃を仕掛けるような本能的な動作や行動、言動があるのである。
たいした被害や突然の動作に驚いて二次的な事故や対応の遅れで困った事態などが生じていないので、今のところ何も問題ではないのだが、何か不気味な危険性をはらんでいるのではないかと思うのは、考え過ぎなのだろうか。
「ベビーギャング」世代と言われる幼児から小学低学年齢の頃の、いい意味での「やんちゃ」や「力を持て余ました行動」と見れば、なんてことは無いのだが、大人の世の中の閉塞感の中で、子ども達までもが家族、友達とのコミュニケーションや「遊び」の空間、時間、仲間を失って、潜在的なストレスや暴力性を、道行く車に向けているとすれば、少し考えなければならないと思うのである。
自動車に向けられている、この小さな暴力的行為がエスカレートすると、小さな犬、猫などの小動物や、時には自分より小さな赤ちゃんや幼児、またお年寄りや障がい者などに向けられないとは言えないからである。
微笑ましくて、たくましい「ベビーギャング」として、適度な発散とストレスの解消を、家庭内や屋外で、家族や友達と一定の限度やルールを意識して遊べることは大切なのである。
ぜひ近くにいる子ども達の中にある、秘められたベビーギャング魂を発揮させられる環境と相手を、意識して用意したり適度につとめてあげてほしいと願うものである。
素晴らしいベビーギャングたちが、素晴らしい大人の男達に成長するために。