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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ベビーギャング

2006年02月27日 | 感じたこと
 私は愛車の軽四駆のワンボックスカーで走っているのだが、昨秋の昼下がりに地元の府道を走行中に、何者かが放ったと思われる小さな砲弾らしき物が当たって、フロントガラスにひびが入ったのである。

 ちょうど山城地域特有の天井川が府道を横切っている下を走行中で、とっさのことで誰が撃ったのかは、全く判らないのだが、石などが跳んできた状況ではなかった様であった。

 数年前にも、やはり地元の住宅街の幹線道路を走っていて、この時は、友人の家の物干し台の中から、小学生のよく知っている男の子が私を見つけて、小さなプラスチックの砲弾、ビービー弾を冗談の様に撃ってきたこともあった。

 先週の土曜日の午後、移動八百屋の営業中だったが移動走行中に、住宅街の生活道路で小学低学年と思われる知らない男の子が、私の車が傍を通り過ぎる時に、やはり玩具の赤い光の出るライフル銃のような銃で、私の車めがけて撃つまねをしたのである。

 しばらくして近くの普通の生活道路上で、縄跳びをしている男の子が私の車の走行が気にいらなかったのか、縄跳びの縄を片手に持って車に向かって投げるまねをしたのである。

 いずれも直接当たったり被害が出たわけではないのだが、何故か現代の小さな子ども達、特に男の子に異変が生じているのではないかと思わざるを得なかったのである。

 確かに小さな少年時代には、男の子はピストルやライフルなどの銃が何故か好きで、刀やいろんな武器など戦いの道具を持って、「戦うこと」を遊ぶことが好きな時期があるのである。

 しかし子ども同士の遊びの中で、一定のルールに従って戦ったり、撃ったり、切られたりという、あくまでシュミレーションや演技としての遊びとしてやっているに過ぎないはずなのである。
 
 だけど、昨今の子ども達の殺傷事件や子ども達を取り巻く大人たちの行動や言動の中に、多くの攻撃的な行動や言動が、びっくりするほど多く出ているのである。

 隠れた暴力性とでも言うべきなのか判らないのだが、とにかく密かに潜在的に、相手や物に対して、とっさの攻撃を仕掛けるような本能的な動作や行動、言動があるのである。

 たいした被害や突然の動作に驚いて二次的な事故や対応の遅れで困った事態などが生じていないので、今のところ何も問題ではないのだが、何か不気味な危険性をはらんでいるのではないかと思うのは、考え過ぎなのだろうか。

 「ベビーギャング」世代と言われる幼児から小学低学年齢の頃の、いい意味での「やんちゃ」や「力を持て余ました行動」と見れば、なんてことは無いのだが、大人の世の中の閉塞感の中で、子ども達までもが家族、友達とのコミュニケーションや「遊び」の空間、時間、仲間を失って、潜在的なストレスや暴力性を、道行く車に向けているとすれば、少し考えなければならないと思うのである。

 自動車に向けられている、この小さな暴力的行為がエスカレートすると、小さな犬、猫などの小動物や、時には自分より小さな赤ちゃんや幼児、またお年寄りや障がい者などに向けられないとは言えないからである。

 微笑ましくて、たくましい「ベビーギャング」として、適度な発散とストレスの解消を、家庭内や屋外で、家族や友達と一定の限度やルールを意識して遊べることは大切なのである。

 ぜひ近くにいる子ども達の中にある、秘められたベビーギャング魂を発揮させられる環境と相手を、意識して用意したり適度につとめてあげてほしいと願うものである。

 素晴らしいベビーギャングたちが、素晴らしい大人の男達に成長するために。
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言葉狩り

2006年02月26日 | ちょっと可笑しいよ
 まだ2月だが地方自治体の年度末が近づいて、三月の定例議会が2月20日に開会し市長の来年度の施政方針演説があり、来年度予算の審議も含め多忙な議会となる予定である。

 先日は、議会運営委員会の開催日の間の二日間から帰った直後に、市長の三期目の任期最後となる来年度の施政方針を聞いて、明日の午後に、会派を代表して代表質問をする予定である。

 今定例会では代表質問のほかに、一般質問と議案審議に加えて、事前通告している常任委員会での事務調査と七日間に及ぶ来年度予算の部門別集中審議ならびに総括質問がある予定で、全てに私自身が出席して質疑するつもりなので、準備が大変である。

 そんな中、突然先日の午後、議長から携帯電話に直接電話があったのである。

 「議長のHですが、突然電話ですみませんが、一般質問の通告で「盲従」という言葉が書かれているのだが、訂正してもらわないと問題化する恐れがあるというのである。

 私は、小泉内閣の「国民保護法などに盲従せず」と、政府の一方的な政策に対しても、地方自治体は批判無く従うのではなく、十分住民や地域、自治体としての意見を議論した上で、政府に対しても言うべきことは、はっきり言うべきであってほしいとの念願から、「権力への盲従を戒めたい」思いからの質問通告であったのである。

 しかし、今回は議長の忠告でもあり、言葉としての「盲従」にこだわることは無いので、先に記した様な「批判も無く従わず」という言葉に訂正することとしたのだが、こんな「言葉狩り」で、視覚障害者の皆さんや「盲目」と言う意味や差別的意識が拭われるわけではないはずである。

 でも、特にマスコミは言葉狩りとでも言うべきマニュアルを独自に各社持っているようで、特に天皇制に関することや解放運動に関する言葉や地名、関連用語には、とても神経を使っており、時にはタブー視すらしかねない言葉狩りを行っているのである。

 今回も「朝日新聞」のマニュアルによると議長が告げていた様に、「盲従」という言葉を使うことが、視覚障害者を差別したり蔑視したりすることとは全く異なることなのに、訂正を要求されたのである。

 他にも「めくら判」とか「片手落ち」なども使用は慎重にと言うことになっているのだが、別な言い方や適切な日本語が見つからない場合もあって、難しい対応になることもあるのである。

 議会という民主主義の議論の場で、はじめから表現や言葉が制限されたり、制約されることは、あまり歓迎すべきことではないと私は思っているし、今回のテーマに関しては、「小泉内閣のブッシュ政権への盲従」と敢えて言いたい気持ちがあったので、通告文書からは抹消したが心では納得のいかない、すっきりとしない処置に従ったことを不快にも感じているのである。

 障害や個性の違いに対しての差別や蔑視、人権侵害、名誉毀損などは、「言葉の表現」ではなく、心の動きや価値観を基本とした「人との接し方」や交流や関わり方の問題であり、真の差別は隠れたところに潜在的にあるものではないかと思うのである。

 「小泉首相よ、ブッシュに盲従するなかれ。」
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山男にゃ惚れるなよ!

2006年02月25日 | テレビマスコミ
NHK土曜ドラマ「氷壁」の最終回「山男の伝説」を観た。

 井上靖原作の「氷壁」のドラマ化は過去にも何度もあったし、映画も撮られているが、私は古本で「氷壁」を少し手にとって読んでみただけで、今回のドラマも全部観れたわけではなく、約半分だけでストーリーの全てはわからない。

 しかし、男の山にかけるロマンと恋という永遠のテーマであるので、結構興味深く観たのである。

 今晩の最終回は、K2に一緒に登頂を試みたクライマー二人のうち、一人が悪天候で登頂断念後に、墜落死したことに関わる裁判の最終段階で、若き生きて帰ったクライマーと装備を提供したスポンサーのスポーツ用品会社の社長の若き夫人との不倫関係が暴露された後の最終章であった。

 昔から「山男の歌」の有名な歌詞にもあるが、「山男にゃ惚れるなよ」が定説となっているらしいが、何故に山男に女性が惚れてはいけないのだろうか。

 この「氷壁」も、社長の若き夫人、美那子役の鶴田真由を二人の若き登山家、K2で墜落死した北沢役の山本太郎と主人公奥寺役の玉木宏が恋仇として競い合う中で、北沢が山で死に奥寺を慕い身を寄せる、八代美那子という設定になっている。

 この若き夫人が若き登山家である奥寺に惚れて、一旦八代家や財産全てを捨てて、アルバイト生活の奥寺のところに転がり込むのだが、結局はクライマー奥寺の、再度のK2挑戦を前に別れを告げて戻っていくのである。

 再度言うが、真の山男は雪山や世界最高峰に近い山への挑戦を続ける場合には、恋人や妻を捨てる覚悟で登ら無ければならないのか。

 世間では、そのように言われているし、小説「氷壁」でも、そのように言わしているのだが、二者択一的にしか考えられない男もいるだろうが、いくら集中する必要があっても恋人や妻への愛情を抱いて、生きるエネルギーを持ち続けて大きなチャレンジを成功させる原動力とする男もいるだろう。

 全ての山男が、女、子どもを忘れて「山にだけ惚れて」山のぼりをするのではなく、命の危険を危惧しながらチャレンジする時は家族や仕事を忘れる程、集中力を発揮する必要があるということなのだろう。

 厳しい寒さと空気が薄い、世界の最高峰に並ぶチョモランマやK2をはじめとする神々しい山々は、俗世間の欲や邪念を持ち込んでいては一瞬の気の緩みで、命を落としかねない危険性をはらんでいるのは、想像が付くのである。

 テレビドラマ「氷壁」の最終回を見て、やっぱり山男達全てが家族や恋人たちと別れたり、二者択一的な選択をして山を選ぶのではなく、魅力的な山々の素晴らしさに惚れて山にチャレンジするのであって、山から帰れば普通の男に戻れるのではと思うのである。

 そういう私などは、まともな雪山や三千メートル以上の山にも登ったことも無い素人なので、こんなことを語る資格も無いのだが、やっぱり小説、ドラマに出てくる脚色、演出としての「台詞」が、いつのまにか女性達へのメッセージとして、「山男にゃ惚れるなよ」となってしまった様に思うのである。

 山男も大いに女性に恋をしたらいいし、女達も山男であろうが無かろうが、人間としての男性に恋をしたらいいのである。職業や趣味に惚れるのではなく。

 

 
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やっと金メダル!!

2006年02月24日 | プロスポーツ
やっと日本もトリノ冬季オリンピックでメダルを獲得!!、しかも金メダルである。荒川静香選手が全身の演技と技術で勝ち取った、待望の金メダルだが、ほんとうに日本にとっては待望の、ひょっとしたら今大会では、メダルは皆無に終わるのではと不安がっていた関係者だけでなく、全国民にとっても喜ばしいニュースだ。

 イタリアのトリノで開催された冬季オリンピックには、日本からは200数十人もの大選手団が大挙出場し、スピードスケートをはじめ各種競技に、一生懸命参加し、全力を尽くしているのだが、不運・・??もあって、岡崎朋美選手の四位が最高で、スケートボードやモーグル、回転、ジャンプもメダルに手が届くと期待されていたが、惨敗に終わったのである。

 そんな中で、最後の望みとも言える「女子フィギュアスケート」の安藤、荒川、村主の三選手に大きな期待が集まっていたことは、間違いない。

 二日前のショートプログラムで、アメリカのコーエン、ロシアのスルツカヤについで、荒川が三位、村主が四位につける活躍があったので、もいやという大きな希望が沸いていたのだが、マスコミも今まで散々期待が裏切られる結果が多かったので、控えめにメダルの可能性を語るだけであった。

 今朝、現地時間では昨日の夜、日本の三選手は各々のコスチュームの色やデザインの違いだけでなく、顔立ちや個性も全く違う、各々の持ち味を精一杯発揮しようと、緊張のリンクに立った。

 18歳の安藤美姫選手、ミキティは、最初から表情も体も硬く感じられ、四回転ジャンプだけでなく、ジャンプで四回も失敗をして、冴えぬ表情のまま、演技を終えて、残念ながら総合点が140点ちょっとで、結局SPの8位から、何と15位になってしまった。

 しかし最終組に登場した荒川静香と村主章枝選手は、ジャンプによる転倒、失敗も無く堂々と、自分の演技をした模様であった。村主選手は独特の八の字眉毛のせいか、ちょつといつも悲しそうな表情に見えて損をしている様に感じるのだが、得点もあまり伸びず、メダルには手が届かない四位に終わった。

 一方の荒川選手は、背も高く伸び伸びとした足を生かして、ほとんどノーミスで滑り終えて、コーエン、スルツカヤを押さえての逆転で、金メダルを獲得したのである。

 三人三様の女子フィギュア日本代表のオリンピックは、素晴らしい結果と感動を私達に与えてくれて終了したのだけれど、この唯一の金メダルの持つ意味と、今後の荒川静香選手フィーバーが襲ってくることになるだろう。

 日頃は気さくで笑顔のとってもかわいいお嬢さんである三選手であるが、テレビ画像を通じてのリンクの上での緊張した面立ちは、相当なものであり、若い彼女達にとっては、好きなスポーツであったとは言え、大変なプレッシャーとストレスでもあったと思うのである。

 本当に感動的な美しいフィギュアスケートのフリー演技を、早朝から観ていたひとりとして、今後は彼女達をそっとしてあげて、疲れを癒して、ご家族と喜びと共にトリノやイタリアを満喫する自由な時間を与えてあげてほしいと思うのである。

 ありがとう、荒川静香、村主章枝、安藤美姫の三選手、おつかれさまでした。

 ゆっくりとお休みください。
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脳卒中とリハビリ

2006年02月23日 | 地域の話題
 今年になって、近所に住む中年男の友人に良く似た御仁を、平日の昼間に車の行き交う幹線道の歩道に見ることが数回あった。

 何故、良く似たと感じたかと言うと、友人は会社勤務のために早朝から近くのJRの駅に向かって早足で歩いておられるか、時々休日にお会いする時は、まだ小学生のお子さんと散歩されていることが多く、平日の日中に杖をついてゆっくりと足元を確かめる様に歩いておられる御仁は、少し似てはいるが他人だと思っていたのである。

 しかし二ヶ月近く経った日、私が自分の議会通信配布のため、歩いてポスティングしていた時に、偶然この御仁にお会いしたので、少し立ち止まってみると、やはり私の知る彼だったのである。

 彼は昨年の夏、会社で電話中に気を失って倒れ、幸い同僚が異変にすぐ気づき、救急車で近くの大学病院に運ばれ、軽い脳卒中と診断されて、治療のための入院は三週間ほどで、手術もせずに不自由になった手足のリハビリと言語を取り戻すためのリハビリ入院を暮れまで、約四ヶ月されていたというのである。

 発症から時間が経過しリハビリの効果もあって、彼はゆっくりと話も出来て、闘病とリハビリの日々で、げっそりと痩せられたため顔立ちも少し変わって見えたこともあって、他人のそら似の如く、ご本人だとは全く予想も出来なかったし、気づかなかったのである。

 ご本人であることを知って私は驚きと共に、誰でもいつか突然襲ってくる病として代表的な「脳卒中や脳梗塞」であることを改めて知り、一週間後彼をご自宅にお見舞いし、ご家族にもお話をじっくりと伺ったのである。

 奥さんは突然の会社からの報に驚きながらも、日々の看病とご家族のお世話に明け暮れて、あっと言う間の数ヶ月だったとおっしゃっていたが、ご主人がリハビリの病院を退院されて、ご自宅に帰られてすぐに、ご自分が腰を痛められて日常生活を過ごすのも困難であったと話されていた。

 数ヶ月の看病や多忙な家事等が大変な心労と共に体に負担となって、疲れが一度に腰に来たらしいのである。

 しかし、その頃から脳卒中で倒れられたご主人自身は、毎日外出し家の周辺を冬の寒い気候の中ではあるが、職場復帰を目指してリハビリに一番いいといわれている散歩に汗を流されるようになって、ご家庭に帰られてからの奥様への労わりの言葉や感謝の言葉が出だしたというのである。

 奥様に言わせれば病気で倒れるまでは、全く奥様に感謝の言葉や労わりの気持ちも表さない旦那さんだったのが、リハビリ病院を退院して自宅に帰ってからは、「人が変わった」と思えるくらいの変貌ぶりだそうである。

 私の友人の一人である元毎日新聞記者の体験による著書「私の脳卒中体験」にも、楽観的闘病記と称して自己流リハビリは楽しかった。闘病のバランスシートはプラスが多いかも?と記されている。

 まさかの脳卒中に倒れる人々は、日本人にとっては癌についで多いのだが、早期発見、早期治療で病気のマイナス面ばかりではなく、人生における新たな気づきとプラス面もあることを自他共に教えてくれるのである。

 しかし多くの脳卒中、脳梗塞の患者の中には、全く変わらないばかりか、家族や周辺に負担や暴言を繰り返したりして、病気の治療以外にもマイナスばっかりの御仁もいる様である。

 脳卒中、脳梗塞などの発病、発症は幸いなことではないが、起きてしまった病気、病状から多くを教えられ、家族や医療関係者や介護の方々への感謝と労わりの心で接して、人間として生きる大切な心を改めて反面教師ではないが学べれば、幸いな部分もあるだろうと思うのである。

 小さな病気の前兆に気づかずに脳卒中になってしまう経験者はたくさんいる。しかし病気を通して、人生の新たな意味や家族や周りの人々への労わりと感謝の気持ちを素直に抱ける人へ、変身できるチャンスでもある。
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ソマリアのスーパーモデル

2006年02月22日 | 世界の問題
 日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース」の一部を見た。

 水曜21時30分から22時24分まで、司会、笑福亭鶴瓶、中居正弘とアシスタント、馬場典子アナウンサーで、世界中の仰天ネタを伝えるバラエティ番組である。

 今晩、たまたま朝のトリノオリンピックの女子フィギュアのショートプログラムの日本選手の活躍ぶりを改めて確認しようと、チャンネルを回して、この番組の一コーナーで「ソマリアの女性、ワリスさん」の紹介に出会ったのである。

 途中からだったかも知れないが、アフリカの角と呼ばれるソマリアは、インド洋にに突き出したエチオピアの東の国で、エチオピアとの紛争に敗退し、窮乏化した国を社会主義革命を目指すマレハン族が一党独裁し、貧しい他氏族の遊牧の民たちは、さらに貧困にあえぐ様になったという。

 そんな中、1982年から反政府武装闘争が表面化して、バーレ大統領が追放されて、暫定政権下で内戦が続いていたのである。

 そんな国情下で貧しく男尊女卑の典型的な種族の次女として生まれたワリスさんの身の回りでは姉が行方不明になったり、弟が幼くして亡くなったりする事態が生じ、13歳の時父が何と60過ぎの男との結婚を決めて、ラクダ五頭との交換で嫁に行くことを嫌って、彼女は家を飛び出して夜中に逃げ、何日も砂漠を彷徨って町にいるという母方の姉を探して歩き続けたのである。

 しかし町の方向もわからず数日間は彷徨い、父が追いかけてきたのも振り切って、何日もろくに食べ物も無く水もほとんど飲めず行方知れずになりそうに、砂漠の中で意識を失っていたのだそうである。
荷台に乗せられて街中まで連れてこられ、全くわからない町中で叔母さんの名を多くの人に尋ねて歩いて探しまくったのである。

 偶然にも、彼女のおばさんを知っている人に出会い、漸く母の姉の家に身をおくことが出来たのである。

 実は彼女の姉の行方不明も、数年前に父の人身売買のような結婚を嫌って家を脱出したらしいのだが、いまだに生死すらわからないと、母に自分が家を出る時に聞いていたのである。

 彼女は砂漠でライオンに襲われそうになり、死んでも仕方が無い場面にも遭遇しながら九死に一生を得たので、絶対生き抜こうと歩き続けて奇跡的に町までたどり着き、おばさんの家では必死で働いたというのである。

 そのうち親戚の男が英国のソマリアの領事館で働くため、メイドを探していることを聞き、自分が名乗りを上げて四年間、英語もわからないイギリスで必死で働いたが、お金を貯めることも出来ないうちに、親戚の男は母国に帰る時が来た。

 ワリスは母の元へ帰る約束を果たすためには、まだ帰れないと自分のパスポートを地中に埋めて帰らずイギリスに滞在し続けて、レストランの厨房で働き続けていた時に、初めて英国に来て英語もわからなかった時に町で声をかけてくれた男性に再会したのである。

 この男性は著名なカメラマンで、彼女の美貌を見出してモデルとしての被写体として、彼女をスーパーモデルに変身させたのである。

 スーパーモデルとなったソマリアの貧しい遊牧民の娘ワリスは大活躍し、国連親善大使に任命されて故郷ソマリアに帰り、母とも15年ぶりに再会を果たし、現在は封建的なソマリアにまだ伝承される「女子の割礼廃止」などを訴えていると言う。

 ほんと奇跡と偶然と強い運命、生命力が彼女のエンパワメントを開花させて、世界で活躍するスーパーモデルと国連親善大使という役割をも与えたのである。

 まさに世界仰天ニュースであった。
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沖縄のタコライス

2006年02月21日 | 地域の話題
 ともかく若者向きかも知れないが、沖縄名物「タコライス」はうまい。

 なんてことない料理というか、野菜とお肉を載せた一枚のライスなのに、とっても沖縄的に感じる一品なのである。

 数年前に沖縄に行ったときには、キングタコライスと称する国道沿いの小さなチェーン展開しているという「タコライス」の店を案内してもらって、昼食に結構な量のタコライスを美味しく平らげたものである。

 今回は金武町、すなわちKIM TOWNに「元祖タコライスの店」をわざわざ探して、家族揃って食しに行ったのである。

 やっぱり小さな店で、店員がふたりの女の子だけで、せっせとタコライスを作っており、客はほとんどが本土から来たようなオノボリサンの様なグループであったが、何故かコークがよく合うタコライスであった。

 作り方は簡単なのだが、ライスに「レタス」の千切りを山ほど乗せて、きゅうりの小さなサイコロ状やトマトを小さく切ったものを乗せて、その上に細切りのチーズを振りかけて、最後に炒めた挽肉をケチャップ、ソース、チリソース、胡椒、塩などで味付けて出来上がりなのである。

 食べる時は、このダイナミックなボリューム感を大切に、適当にかき混ぜて、すぐ食べるのが、美味しい食べ方であり、お客達は思い思いに賑やかに楽しくみんなで食べ比べするように、競い合って食べているのである。

 今思い出しても、やっぱ勢いがなかったら、なかなか全てを完食することが困難と思えるほど、ふつうの人には量が多いのが特徴でもあり、辛さは食卓上の香辛料やチリソースなどで、独自の辛さと旨味に挑戦しながら食べるのも良しである。

 沖縄という、南方の群島の気候風土と琉球人の熱くてもあっさりした気質を物語るような「沖縄料理」のひとつであり、ゴーヤ、ウコン、ミミガー、ゆしどうふ等数多くある沖縄ならではの食材、料理の中でも「若者受け」するメニューとしては、一押しである。

 実は私が今日の昼食に食したのは、地元のカレーの店で、知る人ぞ知る「香辛房」の「香辛丼」だったのだが、全く異なった食材であるトンカツカレー丼なのに、何故かタコライスを思い出してしまったので、沖縄土産話のひとつとして書いたのである。

 くれぐれもキャベツではなく、レタスを千切りにしてたくさん載せるという、ちょっとした知恵というか、食感ときゅうり、トマトの野菜と細切れチーズと味付けした挽肉のコンビネーションが、独特の食欲をそそり、チリソース等の調味料、香辛料で、食べるものの嗜好に合った一品となるのである。

 まだ食したことのない方は、ぜひお試しあれ。沖縄の別な味わいを感じることが出来るのではないだろうか。
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何故かアレルギー!!!

2006年02月20日 | 季節の話題
 
 今日2月20日は、何故か「アレルギーの日」だそうである。

 日本アレルギー協会が、1995年に制定されたそうで、1966年に、免疫学者の石松公成、照子夫妻が、ブタクサによる花粉症の研究からアレルギーを起こす原因となる免疫グロブリンE抗体(lgE抗体)を発見したと発表した日なんだそうである。

 季節の二十四節気では、立春の次の「雨水」と称される日が2月19日頃とされていて、温かさに雪や氷が解けて、雨水として降り注ぐ日であり、天文学的には、太陽が天球上の黄経330度の点を通過する時で、昔から農耕の準備を始めるのは、雨水が目安とされてきたのだそうである。また、この日に雛人形を飾り付けると、良縁に恵まれるとされている。

 何はともあれ、私も少しアレルギー体質があり、花粉症と共に、アルコール類を少しいただいたり、温かい暖房や熱にさらされると、皮膚が痒くなったりして、ちょっと不愉快な症状になったりもするのである。

 しかし、私のアレルギー症状は「食べ物」には、全く関係も無く、何でも食し、何でも消化しているので、食物性アレルギーは全くない。多くの幼児、児童たちだけでなく、昨今は大人の中にも、慢性的アレルギー症状があって、気の毒なくらい顔や身体の一部がかさかさになったり、痒かったりする人が多く居るのである。

 アレルギー体質を食事療法やアレル源の除去食や代替食で回避して、アレルギー症状を極力避けている患者さんが多いのだが、出来ればアレルギー、そのものに打ち勝つ手立てがあればと、いろんな民間療法や医者の診断、処方で戦っておられる方も多く知っている。

 私のアレルギーは、幸い「食」に関しては全く無いのだが、テレビを観ていて感じる人間アレルギーは結構たくさんあるようである。

 女性では、細木数子なる占い師気取りのおばさんと瀬戸内寂聴と称する元直木賞作家の尼さんには、どうしてもアレルギー反応が出てしまい、見たり聞いたりすることが耐えられないし、男性陣では、某国の首相、小泉純一郎氏とその内閣を構成する安倍、麻生、武部、山崎らの下品な国会議員たちと権力に寄り添うコバンザメのような宗教政党の輩たちには、虫唾が走るとでも言うべきアレルギー反応が出る。

 テレビやマスコミでは有名な女性たちと政府与党の要人たちと言われているが、なんとも偉そうで品位が感じられないし、言っていることも説得力もなく納得できないのである。

 人間の好き、嫌いは、どなたにもあるだろう。かく言うところの私自身も、多くの人と接していて、嫌われたりもしているかも知れない。しかし出来る限り、アレルギー体質の様に、嫌がられたり、避けられたりする様にだけは、ならないようにと、日々努めているのであめる。

 
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いのちを育む

2006年02月19日 | テレビマスコミ
昨夜は懐かしいパティーデューク主演の「奇跡の人」をテレビで観て、今朝は、NHKテレビの「ようこそ先輩!課外授業」の再放送で、海獣を見守る女性の獣医さんの授業を、たまたま見たのである。

 「奇跡の人」は、誰もが知っている三重苦のノーベル賞受賞者、ヘレンケラーの文字による意思確認ができるまでを描いたノンフィクション的作品であり、女性家庭教師との長期間の格闘の末、水を感じて表現する「ウォーター」を、手のひらに記す指文字で伝えるまでの感動的な物語である。

 一方の課外授業は、千葉県鴨川シーワールドに勤務する獣医である女性が、世界で五例目というイルカの人工授精などを成功させる、根気強く海の生き物達と付き合い、動物との意思の疎通と信頼関係を得るまでに至った長年の経緯と今が、小学生達との一泊二日の課外授業という形で語られていたのである。

 昨日起きた悲しむべき幼児殺害事件も含む、多くの「いのち」が粗末に失われている現代社会にあって、この二つのテレビマスコミが伝えた番組は、あらためて人間や動物の「いのちの尊さ」とコミュニケーション、つまり意思伝達の大切さを教えてくれているのである。

 何故に、このように「いのち」が軽んじられ、ちょっとした憤りや不満、ストレスなどにより「殺害事件」が起こされてしまうのか。

 「いのちの重さは地球より重い」と誰が言ったと昔から教わってはいるが、本当に『命の尊さ』を秤にかけて重さを量った人はいないわけで、いつの世にもいのちが軽く、ほり出されてきたのではないかと思ってしまうのは、私だけではあるまい。

 「いのちを育む」とは、「いのちの重さ」と共に「いのちの尊さ」「いのちの喜び」を感じることであり、現代の若いお母さんやお父さんにとっては、「子育て」はしんどく、お金のかかる大変なことみたいだが、決して大変な困難や苦しみ、辛さだけではなく、大きな喜びに通じる仕事であることに気づいてほしいものである。

 ヘレンケラーの様な重度の障がいを持つ人間でも、また哺乳類で海に住む、体は大きいが人間の言葉や感情を知らない海獣たちも、結局は人間の努力と愛情で、障がいや壁を乗り越えて、お互いを認知しコミュニケートできるようになり、信頼関係による成長や発達、また表現の獲得に繋がる「育ち」を見るようになったのである。

 先週旅した広島県福山市に住む、重度の障がいを持つ養護学校の中一になるS君とお母さんのNさん、移動八百屋で毎週顔を出す宇治の「ゆめハウス」に通う障がいのある青年達、京田辺の「緑の風作業所」の知的障がいの昔からの仲間たちも、みんな素敵な人間であり、私は彼らと「いのちを育む」過程で、出逢えた喜びを感じているのである。

 各々彼らの持っている「生きるエネルギー」と、持って生まれた、とっても素敵な感性に、多くを教えられ、純粋さ、素直さ、わかりやすさを、あらためて私自身の「いのちの育み」に活かして、これからも生きて行きたいと思うのである。

 イルカとも話せたら、どんなに人生の幅や奥行きが広がるだろうかと、ひとりつぶやきながら、誰ともゆっくり分かり合うための時間と努力が「いのちを育む」ためには必要だと、強く感じたのである。
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中国籍の女性の幼児殺害

2006年02月18日 | とんでもない!
 また、とんでもない殺人事件が起きてしまった。

 滋賀県長浜市に住む中国籍の女性が、自分の娘と一緒の幼稚園児である五歳の男児と女児を自分の子どもと共に、自家用車に乗せて送迎の車の中で、幼稚園の前を通り過ぎた人目の少ない場所に行き、家から持ち出した包丁で、次々と二人の幼児をめった刺しして、車外に放り出し、各々二十箇所近い刺し傷を負わせて、出血多量で亡くなったのである。

 何ともやるせない、衝撃的な幼児殺人である。

 昨日からマスコミはこぞって、この殺人事件の報道を繰り返して行っていて、昨晩は、たまたま中国内蒙古自治区からの留学生の兄妹の住む団地の一室で、モンゴル餃子を食しながら、このニュースをテレビで見たのである。

 事件を起こした犯人と思われる中国籍の女性は、七年前に来日して日本人男性と結婚し、一児の母となり、近くの幼稚園に通園する子どもと三人家族で暮らしていたと言う。

 しかし日本人社会にしっかりとは馴染めず、いろいろと悩んでいたと言う。

 日本の社会は、まだまだ中国、台湾、朝鮮をはじめとするアジアの国出身者や外国籍の人に対する偏見や差別的思考が存在しているし、うまくコミュニケーションを取り難い状況も多くあると言えよう。

 そんな日本社会に、日本人の妻として溶け込もうとしていた容疑者の中国籍の女性が、わが子と同じ幼稚園に通う男女児を、計画的に殺害したのは如何なる理由があったのか、まだ定かではない。

 この事件が起きた長浜市の住宅地で、中国人妻がどんな思いで日々を送り、幼稚園に通園する我が子を含む、近くの幼児たちの送迎をしていたかは不明であるが、日本的社会と日本人との交流や意思の疎通に何らかの大きなプレッシャーかストレスがあったのではないかと容易に想像は出来るだろう。

 先日、私は所用があって三重県松阪市の友人宅を訪れ一泊した翌朝に、小学校に通学する子ども達の通学バスを見送りに行ったり、小さな山の上にある保育園の園児である友人の女児を送っていったことがある。

 松阪市の少し山間の奥まった、ちょっと辺鄙な場所の小学校、保育園だったのだが、小学生の同級生にも中国人の母を持つ子どもがいたり、保育園にも両親が日本人以外の親である子ども達が数人いたのである。

 友人に聞くと、近所の谷あい毎に小さな集落があるのだが、その集落に一人か二人は外国人の嫁さんがいて、厳密に言えばハーフとでも言うべき子どもが何人も居るというのである。

 案の定、保育園を訪ねてみると玄関の廊下に保育園児の名前が貼ってあり、その名前には珍しい名前とでも言うか、日本人の子どもの名前にしては難しいと言うか、ちょっと異なる感じの名前が何人か並んでいたのである。

 友人夫婦は旦那さんの実家であるこの地で、もう十年近く住んでいて、最近特に外国人、すなわち中国、タイ、フィリッピンなどから来た花嫁をもらっている日本人が増えているというのである。

 つまり過疎の地域で働く男性はいても、日本人の嫁がなかなかなくて、行政や団体の集団見合いなどで、外国籍の花嫁と結婚するケースが急増しているらしいのである。

 日本人の男の妻になり母にはなったのだが、日本人とのコミュニケーションがうまく行かなかったり、日本人社会、特に田舎の「村的考え方」などにも馴染めなかったりすることも多いようである。

 友人たちは、極力そうした女性や子どもである二世たちとの交流に心がけているらしいが、言葉の壁だけでなく、風俗、習慣、ものの考え方など、多くの日本人の価値観とのギャップに悩む女性達が居るのである。

 まだ今回の事件での詳しい動機や幼児殺害の理由は判らないのだが、どうも今回の中国籍の女性も、本人の気持ちの中に多くの悩みと解決できない理解不足があったようである。

 彼女は殺人容疑で逮捕されたが、彼女自身も犠牲者なのではないかと思わざるを得ないのである。幼い二人の幼児の冥福を祈るのみである。
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