ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

スイカの季節

2006年07月31日 | 季節の話題
 七月も今日で終わり、やっと梅雨が明けて連日熱帯夜と呼ばれる25度以上の寝苦しい夜が続くことだろう。

 そんな真夏に、一服の清涼剤となるのが「スイカ」である。

 私は小学生の一年生の冬休みに、寒風の中で「凧上げ」に興じ過ぎて風邪を引いて、こじれて扁桃腺を腫らして、2月中旬に「腎炎」となったことがある。

 50年ほど昔ではあるが、自宅で長い間療養生活を余儀なくされ、季節はずれの「スイカ」を母が何処からか購入してきてくれて、「塩分は控えて、水分を多く摂る」ことが、その当時の腎炎治療には一番だということで、食べさせてくれたのである。

 それ以来、冬から春にかけての季節はずれの貴重で高価な「スイカ」を食することは、幸い腎炎も治療の甲斐あって直ったために全くないが、あの当時の「スイカ」の味を今でも覚えている気がするのである。

 最近は、スーパーや八百屋の店先には、季節の果物として「スイカ」は並んでいるが、ほとんどが「カットスイカ」と呼ばれる、1/4や1/8にカットされた上に糖度数値で表示されたものも多く、購入するのは手軽になっている。

 時代が変わり、家族の人数が減ったり、果物としてもマンゴー、パイナップル、オレンジ、桃等と、夏の盛りのフルーツの種類も増えて、大きな「丸ごとのスイカ」を購入することが少なくなった。

 昔は、店先で「丸ごとスイカ」を叩いてみては、これが甘そうと買ってきて、俎板の上でカッコよく切って、まだエアコンやクーラーが普及していない木造の縁側で、家族が競い合うようにスイカをほうばって、種を飛ばしていた時代が懐かしく思う。

 「スイカ」は果たして「野菜」か「果物」か、そんな他愛無い論争を遊びながら、二つも三つもかぶりついては、夏の風物詩の如き味を愉しんでいたのである。

 今でもスーパーや八百屋の店先に並んだ、緑に黒い縞模様の独特の「丸ごとスイカ」を見る度に、思い切って丸ごと一つ購入してみたくなるのだが、価格も2千円もするし、たぶん家に持ち帰ったら家人にビックリされて、冷蔵庫に入らないと叱られるのが落ちと自制するのである。

 しかし、毎年真夏に約10日間行く中国、内蒙古では、車を走らせて大草原へ向かう途中の道路際の露天で、必ず「丸ごとスイカ」を購入して、いくつもの大胆にカットされたスイカを口に運び、周りの畠や溝に勢いよく「種飛ばし」を愉しんでいるのである。

 モンゴルでの夏場の水分補給は、「スイカかビール」が定番なのだが、私はいつでも「スイカ」が御気に入りで、全く飽きないくらいの「スイカ好き」になった幼い頃の原体験が根強く、内モンゴルツアーでも楽しみのひとつとなっている。

 大いに熱帯夜が続く日本の真夏にも、豪快にスイカをほうばって、勢いよく「種飛ばし」をしながら、大好きな「スイカ」を愉しんで食したいものである。
 

 
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夏休みはキャンプだ。

2006年07月30日 | 季節の話題
 子供たちの夏休みに入って二度目の週末を迎えて、全国各地で「こどもキャンプ」が盛んである。

 先日の安藤忠雄氏の講演の中でも、事務所に入ってくる東京大学卒業の優秀な学生達が、いのちを育てたり、虫と戯れたりしたことがないらしく、新入社員に空き地に木を植えて、水をやれと言ったら、雨が降った直後でもバケツに水を汲んでやろうとしていた。というエピソードを披露されていたのである。

 つまり、「いのち」を育み、命を大切にすることを「教え」としては学んでいても、実際のところの育て方や愛情が身についていないのである。

 幼い頃の「三つ子の魂百まで」とは、よく言ったもので、幼い頃から虫や犬、ネコと親しく遊んだり、一緒に飼ったりした経験のあるものと、全くないものとでは、植物も含めて「いのち」あるものへの接し方、関わり方が違うのである。

 やっと梅雨が明ける感じの猛暑がやってきて、野に、山に、海、川にと家族連れで、友人達と、みんな一緒に愉しくキャンプしたい季節の到来である。

 私自身、30代から40代半ばまでは、子供たちとの遊びの活動を仕事としてやっていた関係もあって、夏休みはもっぱらキャンプ三昧と言った感じで毎年、少なくとも20泊近くを自然の中で眠っていたのである。

 小学3年生頃からのボーイスカウトでのキャンプ経験が高校時代まで続いて、長期のキャンプでは日本ジャンボリーや北海道キャンプ、そして富士野営などがあり、たぶん通算100泊はしているだろうと思う。

 子供たちとの夏休みキャンプの定番は、小学低学年が2泊3日、高学年では4泊5日程度で企画したものだが、毎日の朝、昼、晩の食事づくりと、野山や川、海での散策や水遊びなどは、その環境に応じて多様に展開したが、夜の花火などをした後の「肝試し」と「キャンプファイヤー」での仕掛けというか、段取りに時間をかけた記憶がある。

 子供たちの夏休みの思い出の大きな記憶にしようと、夜道を「肝試し」と称して、一人ひとり目的の場所まで、怖い中を進むのだが、途中にいろんな仕掛けをリーダーがするため、悲鳴や泣き出す子もいて、企画側は遣り甲斐を感じたものである。

 また「キャンプファイヤー」では、「ファイヤー」の点火に工夫を凝らして、見え難いテグスの糸や細い針金で点火用の火が山から飛んでくる様に見せかけたりして、山の神やUFOで不時着した宇宙人などを登場させて、女性リーダーをお嫁さんに捧げるなどの演出で子供たちは半信半疑の夜を過ごしたものである。

 三度の食事の世話では、各々が「薪係り」「火付け」「材料切り」「味付け」など、いつの間にか得意なパートを会得して、キャンプ終了時には、ちょっとした子供コックに変身していたものである。

 真っ黒に日焼けした子供たちの中には、キャンプの5日間全く着たきりすずめで、出かけた時と同じカッコで帰宅すねる子もいて、お母さんたちの着替えの準備が用をなさない子もいたものである。

 とにかく「夏休み」だ。大いに自然の中の「キャンプ」に出かけよう。
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地方色豊かな食べ物

2006年07月29日 | ガリバー旅行記
 いろいろと地方を旅する機会は多いが、なかなか地方の豊かな食文化に触れるような食事をとるには、地元の友人か関係者に連れて行ってもらわないと、出会えないものである。

 先日の博多では久しぶりに会った友人と夕食を共にすることとなり、「何が食べたい?」と尋ねられ、私はお酒は弱くてほとんど飲めないのだが「酒の肴」は大好きなので、ちょっと変わった魚肴料理をということとなった。

 博多の警固の「高仙」という屋号の小さな居酒屋に連れて行かれて、まずはビールで乾杯し、気前のいい大将の思いのまま、気のままの手料理が出てきたのである。

 そんな友人との心地よい食事の合間に、ホワイトボードの「今日のメニュー」を見ていて、ひとつわからない品書きがあったので、「がんづけ」って何ですか?と尋ねた上でオーダーしたのである。

 出てきた代物は何とも塩辛い、カニの甲羅をつぶした味噌仕立ての食べ物で、酒の肴かご飯に乗せて食べる「イカの塩辛」の如き食品であった。

 全く私には初物の食品であり、決して博多だけではない食品だそうだが、小さなシオマネキというカニを甲羅ごとすりつぶして、カニ味噌で塩辛の様に混ぜたものなのであった。

 昔同じく九州だが佐賀に出向いた際に、ご当地の佐賀料理をご馳走になったことがあり、ムツゴロウ、ワラスボ、ワケ、ウミタケ等、有明海にしか生息しない生物が次から次へと料理されて出てきたことがあった。

 とっても珍味あり、口に含むと何とも言えぬ、初めての歯ごたえや臭さの食物にも出会ったし、有明海から運んでも数時間でだめになるというエツなる代物の肴もあった。

 一般的には東北での「ホヤ」や「くさや」などの臭さや、琵琶湖の「フナ寿司」なども全く強烈な麹の作用で創られた食品で、どうも食べられないと言う御仁も多いときく。

 私の住む京田辺には室町時代からの食文化と言われる「一休寺納豆」があって、大豆から作るのだが、いわゆる糸を引く納豆菌の「納豆」やお菓子の「甘納豆」とは似ても似つかない「納豆」であり、保存食として珍重された食品らしいが、現代では、一休寺や大徳寺とその周辺の家で、伝統の味として作られているに過ぎないの食品で、塩分の多い保存食なので、最近の減塩志向では食されることも少ない。

 私は「一休寺納豆」を手に入れて、かつて子供たちに一粒、二粒と食べさせてみて、「これ何だと思う?」と聞いてみたが、誰も食材が何か判らなかったので、
冗談で「ねずみのフンだ」と言ったら、悲鳴を上げて吐き出した子もいたことがあったことを思い出した。

 博多の食卓には「きびなご」が焼き魚として、また「黒豚」がとってもジューシーなカツとして出されて、久しぶりに地方色豊かな夕食にめぐり合って満足だった。
(なお、写真はその夜のメニューとは関係ありません)
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新潟県加茂市長

2006年07月27日 | ちょっと可笑しいよ
 福岡の県中小企業振興センターを会場に、第4回全国地方議員交流会が開催され、約200名に及ぶ地方議会の無所属、市民派、どちらかと言えば少数派の議員が個人の立場で参加した勉強会に私も二日間参加した。

 議会研修で以前にお世話になった福岡県古賀市の議員が事務局長として運営に当たられていることもあって、今回私は初参加したのだが、一番の目的は、新潟県加茂市の元防衛庁、防衛研究所長、教育訓練局長を歴任された小池清彦市長のお話を聞けるのを楽しみに出かけたのである。

 小池市長は95年に防衛庁を退職し、郷里の加茂市長に就任されてから、イラク特措法に反対する要望書を政府に出したり、日本の軍縮を訴えて「日本をアメリカのポチ」にするなと批判されたり、地方を亡ぼす市町村合併に反対と訴えられている主体性ある自治体首長なのである。

 今回の全国地方議員交流会の講演は、経済同友会終身幹事の品川正治氏の「日本の進路と憲法9条」が最初にあり、アメリカ、アングロサクソンの覇権主義型の資本主義に追従する日本ではいけない。アメリカと日本は決して価値観を共有していないのに平和憲法を改悪して戦争戦略に加担していく道を明確に批判されました。

 小池清彦新潟県加茂市長は、なかなかのユーモアと歯に衣をきせぬ言い回しで、今回のテーマである「小泉政権下で進んだ地方切捨て」について、時間が足らぬほどの内容と共に、聴衆に説得力あるデータ、資料を参考に話を展開されました。

 三位一体の改革と誰が称したのか、キリスト教の精霊と神とキリストが同一であるとの宗教用語とは似ても似つかない内容で、小泉内閣の狙いはアメリカ追従の経済政策の破綻から来た国の財政難を、地方交付税の削減と言う、地方切捨てで乗り切ろうとする竹中、小泉財政政策なのです。

 バブル景気後の10年が経過して、橋本内閣から小淵内閣へ移行して、やっと不景気時の経済の鉄則である拡大財政政策を亀井静香政調会長がとって、景気は漸く下げ止まって、小淵さんの急死後の森内閣まで続きました。

 しかし森首相の「神の国」発言での退任で登板した小泉内閣の5年間が、橋本内閣の間違った超緊縮財政政策をとり続けたために、需要が減り経済規模が縮小し、国の財政赤字が八百兆円に膨らんだため、地方交付税減らし、特に太平洋ベルト地帯以外の地方都市の財政の深刻な危機を招き、さらに合併の奨励で地方交付税歳出を減らす政策に出たとの見解でした。

 いくら合併により人口が増えても向こう10年間だけ、少し合併特例法で財政補助が優遇されるだけで、15年後には元の木阿弥より、ひどい財政赤字で地方都市の財政は破綻の危機に陥り、真の民主主義や市民サービスも立ち行かなくなるとの明確な指摘でした。

 市民の利益を守り市民サービスを維持するためには、単独市を継続し職員数を減らして、国に対して問題提起していくという強い決意の首長として、今後も防衛問題、憲法問題もあわせて、発言する市長として注目していきたいと思います。
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集中豪雨

2006年07月24日 | とんでもない!
 全国各地で梅雨前線の停滞の影響による集中豪雨の被害が続出し、南九州や信州での被害では、死者、行方不明者も出る大惨事となっている。

 鹿児島、宮崎の山間部では降り始めてからの総雨量が1200ミリ、すなわち1m20センチに達していて、避難指示,勧告が4万人に近い住民に出されたという。

 川内川と言う名の川は、たぶんセンダイ川と言うのだろうけれど、皮肉にも「川の内にある川」とでも言うべき、橋も住宅地も道路も全てが川の如くになって、至るところでどっと水が流れている。

 川内川周辺では、集落のまわり全てが水没し、まるで一角の島に集中して家が数十軒建っているが如き様相の、危うい航空写真が報じられていて、流された家が濁流に飲まれて流されて、橋脚に激突する場面も何度も放映されている。

 いたるところでがけ崩れ、土砂流出、河川決壊、道路の寸断が起きて、土砂が水田を覆って泥の海と化していて、車も家財道具も全て泥だらけと言った悲惨な状態になっている箇所が続出している。

 気象庁は、まだ25日にかけて、九州北部から中国、近畿、北陸、東海、甲信越地方での土砂災害などの警戒を呼びかけている。

 この夏の日本列島は梅雨明けが大幅に遅れていて、未だに梅雨前線が大陸からの高気圧と偏西風によって、北上することが出来ず、中国地方から関東へと東西に横たわる形で停滞しているのである。

 平年だと遅くても20日過ぎには「梅雨明け」という宣言が前後して全国各地で出されるのだが、今年の梅雨前線はしつこく、いつまで停滞することなのだろうか。

 私の住む京都南部の木津川沿岸の平野部分と切り開かれた高台部分からなる住宅地域は、幸い大きな風水害被害だけでなく、地震による被害もほとんどない安定した台地であることわ、テレビ映像や新聞報道を見ながら、感謝せざるを得ない。

 しかし、私の誕生から大学2年生、つまり成人になるまで住んでいた大阪市阿倍野区のため池に近い古い住宅は、私の幼い時代には、しょっちゅう雨のための浸水で困っていたのである。

 台風や集中豪雨の予報がでたり、降りだした雨の様子によって、玄関先の靴や履物は前もって上に上げて、一夜を過ごした記憶が何度もあって、翌日には床下浸水状態で、畳を上げて、床上浸水に備えたことも数度あった。

 そんな集中豪雨での被害は何度も経験していたのだが、近くのため池の氾濫程度だったため、わりとのんびりしていて、近くのお兄ちゃんがゴムボートを出して、家の前あたりを行き来してくれたので、幼児期から小学生だったので、ボートに乗せてもらって嬉しかった思い出として記憶している。

 その頃は、まだ家にテレビがなかったせいもあり、世の中で大阪の水害、浸水状況がどの様に報道されていたかは知る由もないが、今ほど大騒ぎではなかっただろう。

 自然災害は、毎年、台風や水害としてやってくるのは当たり前で、住民も仲良く付き合う術を心得ていた様に思うが、地形をも変える様な人為的開発の「つけ」が年々、こうした自然災害を人災にしている様な気がしてならないのである。
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百円玉の値打ち

2006年07月23日 | とんでもない!
 たわいない「百円玉」に纏わる話がいくつかありました。

 先日、とある駅から地元のタクシーを利用したのですが、運転手さんはすこぶるご機嫌がよく私との会話にも乗りがよく、短い時間でしたが野球の話などして、自分の従兄弟が有名な野球選手だなどと話されていて、タクシーを降りて料金を払うと当然の如くお釣りが返ってくると思いきや、つり銭を会釈していただくそぶりなのです。

 私は話は親しくしましたが支払いはきっちりと言う感覚なので、たとえ100円玉一個のつり銭でも、つり銭を要求したところ、「何じゃケチやな」と言った感じで、しぶしぶ百円玉を2個と十円玉いくつかの「つり銭」をくれました。

 たとえ百円でも、つり銭を貰うのが当然と言った感じのタクシーの運転手さんの行為で、今までの短い車内の会話も結局調子のいい客受けを狙った会話としか思えなくなって、後口が悪い気持ちで降車しました。

 あるシンポジウムの2千人以上参集した会場ロビーには、何台かの飲み物の自動販売機が設置されていて、トイレタイムや休憩時間にはいつも結構多くの人が群がっていました。

 私も喉を潤そうと休憩時に小銭をポケットに入れてロビーの自販機にお金を入れようと思ったのですが、コインを入れる穴が何故かガムテープでふさがっていて、「何故なんだろうか」と一瞬自問自答しました。

 この飲料の自動販売機は飲料メーカーか自販機会社が、その会場に来た参集者へのサービスとして、無料で飲料を出るようにしていたのです。

 なるほどと後でその理由がわかりました。百円玉とは言え使わずに無料で飲める各種飲料に、多くの人が群がっていたのだったのです。

 「ただ程高いものはない」と昔から言われていて、お金を入れずにドリンクを飲むのは、少しキマリが悪い感じになって傍にいた係員の職員と、災害などの緊急時の飲料補給の無料システムの自販機の話題を投げかけながら、一杯の珈琲を無料でいただきました。

 大阪から帰りのJR線で座席に着席し電車の揺れに身を任せていた時です。翌日の「百円橋」と呼んでいる有料道路の往復通行料をズボンのポケットで確認したため百円玉が座席シートにこぼれ落ちたようです。

 隣の男性が途中駅で降車された折に、前に立っていて座席に腰をかけようとした男性が親切に声を彼にかけました。「百円玉をお忘れですよ!」と。下車する男性は躊躇せず会釈をし、その百円玉を受け取って降りて行きました。

 「ああ、私の百円玉だ」と思った時は、既に電車のドアは閉まり、隣の男性も全く私には気づかず座られていました。

 「あのさっきの百円玉は、私のです」とも言うこともできず、ちょっぴり残念でした。

 「百円ショップ」「百均」と呼ばれる大量消費の日用品販売店には、何でもあります。しかし、「百円の商品は、やっぱり百円の値打ちしかない」のでしょうか。
 
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久しぶりの結婚式

2006年07月22日 | ファミリーイベント
 久しぶりに親族としての結婚式に列席した。

 神戸のとある式場、披露宴会場で、梅雨明け宣言がまだされぬ土曜の昼下がりであったが、お天気に恵まれて私の姪の結婚式が行われた。

 北は北海道から南は沖縄までの各地から、若い彼女と彼の結婚式と言う人生の最大最良のセレモニーに駆けつけた友人、知人たちと親戚一同は、約120名に及んだ。

 高校時代からの付き合いで約8年間、愛を育んでの晴れのゴールインと言った二人による企画での「人前結婚式」とマリッジコーディネイターのサポート、アドバイスもあっての式、披露の会であったようである。

 神戸の高台にある、遠くに神戸港と大阪湾が眺めるガラス張りの式場で、二人の結婚の誓いや指輪の交換などのセレモニーが行われ、結婚の認定書へのサインもされたが、既に二人の籍は一ヶ月前に入っているらしく、参集者たちに「形」で、結婚を報告するという、人前式であった。

 最近の若者の結婚式や結婚披露は、昔ながらの神前結婚式や大披露宴会場に招待客が丸テーブルの「寿」「福」「幸」などに分かれて座って、仲人さんの本人紹介に始まり主賓の挨拶などと続く「普通の結婚式、披露宴」が少なくなり、当人同士の意思を大切にして、プランナーやコーデイネイターのサポート、プロデュースの「形」が増えているらしい。

 今回も部分、部分に少し型破りの進行や新郎、新婦の動きなども見られ、何よりも感じたのは、二人を取り巻く友人達の盛り上がりと、やたら二次会的な一部の「乗り」であった。

 我々親族一同からは進行役の女性の顔も見え難く、また新郎、新婦の姿も見え難い位置であったこともあって、ふたりの表情を十分に見るには至らなかった面もあるが、ともかく「若さ」を感じた。

 やはり歳をとったせいもあって、ご両家のご両親の立場や思いに気を巡らせながら、せめて式後の披露の会なのだから、もう少しご家族にスポットライトを当てる演出があってもよかったのではないかと、老婆心ながら感じたのである。

 披露の会が約3時間近く進行し、その後二次会が企画されていると聞いていたので、余計に一次会の主役は二人の配慮で、ご家族に重点があってもよかったのではないか。ご両人の祖母たちも参列されていたが、ご家族の思いや言葉も列席者に伝わらず、ご両親の言葉もなかったのである。

 「若さ」は特権であり、「若さ」を批判しているのではないが、「結婚」という儀式が、言葉では「両親、家族、周りの人々のお陰」と両人からは語られていたが、幼い頃から育てられたご両親や見守っていただいたご家族の存在があってこそで、そうした気持ちや声をご本人達から殆ど聴くことができなかった。

 今頃、二次会、三次会?とより盛り上がっているかもしれないが、乾杯の音頭をとったボス、組長と呼ばれた知人の男性の言葉に、「年上の人は乗り越え、つぶす存在」と言う一言があり、最後まで気になったのである。
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公費研修の実態と情けなさ。

2006年07月21日 | とんでもない!
 都市問題会議の続きだが、何と少しは予想していたが、税金による公費を使って出かけた研修旅行なのに、昼前になると昼食会場が混むので、講演者の講演中なのに弁当包みを持ってうろうろする職員。

 また午後の公演中もトイレや休憩時間もあるのに、ぞろぞろと喫煙かサボりのためか、出入りする議員達。

 夕刻になると、会場前から宿舎への帰りのタクシーが混んで乗りにくくなるすらと、早めに講演中にも関わらず大挙して会場を後にして出ていく集団。

 一番びっくりしたのは、何と初日の受付を済ませたら、そそくさと会場を後にして、何処かへ出かけてしまった○○市議会の皆様たち。

 という様に、真面目に熱心に聴こうとしている議員、首長さん、職員さんたちもいるのは確かだが、会場の出入りは結構さかんで、どうも講演者や昼休みの若手の演奏家によるPMFのコンサート演奏者にも失礼かつざわついた会場の雰囲気であった。

 どうも聴衆としてのモラルというか、聴く態度や、特に演奏中には出入りは極力控えるというクラシックコンサートなどの習慣や取り決めなども全く無知、無視なのか、大の大人の先生方の会合とは思えない行状ではなかったか。

 せっかく、北海道、札幌に来たのだからと、食や観光の少しはしたいという気持ちはわかるが、果たして公費で研修に来ているという自覚がどれほどあるのかも疑わしい「夜のススキノ」待望族も多くいたみたいである。

 最後に、旅行社が斡旋した帰りの新千歳から大阪伊丹空港へのフライトで、○○市議会議員のおじさんは、大きなお土産荷物を棚に入れながら、近くの知り合い議員と会話していて、「そや来年選挙やから、有権者にも一杯土産配らなあかん!」と大声で喋る始末である。

 全く議員としての自覚や公職選挙法違反とも取れる言動は氷山の一角だと思われるが、一日半の会議中は、どの様に過ごされていたのであろうか。ひょっとすれば座席でお眠りされていたか、会場外の喫煙コーナーで、ずっと100円の要らない無料サービスの自販機の飲み物を飲みながら雑談されていたのだろうか。

 この自販機は、自然災害などが起きた時に、自動的に災害被災者に飲み物を無償で提供できる装置などと同様のサービスだということをお気づきだったのだろうか。

 ともかく世に言われる「先生方」の行状に、私自身もその一人として会場で講演者の声に耳を傾けながら、やたら他の議員先生方の一挙手一頭足が気になったのである。

 

 
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都市問題会議

2006年07月20日 | ちょっと可笑しいよ
 札幌での都市問題会議の初日は、予想以上に、まち期待はあまりしていなかったのだが、なかなか面白い話が聞けた.

 また.全国の知り合いの議員にも数人再会出来たのである。
 その中で一番嬉しかったのは、私が子供達の遊び場活動のリーダーをしていた20年ほど前に小学生の男の子だった青年が3年前にある市の市議会議員になっており、初めて会場で幼い頃の面影のある顔を見つけて、再会した事であった。


 特に、建築家,安藤忠雄さんの話は面白くて、大阪生まれの安藤さんらしく、ユーモアに富んだ話し振りに、聴衆は魅了されながら、肝心な「まちづくり」の精神としては、遊び心、勇気、発想などの大切さを語られ、ご自分の建築事務所のスタッフが東大出身者ばかりになって、マニュアル的人間では面白くなく、虫や土に親しみ、猫や犬を飼った経験などが重要だと指摘されたのである。

 ご当地,札幌の市長の話も,188万政令市の成長振りが,よくわっかた,
二人の偉大なアーチストの遺産と題して、イサム・ノグチがプロデュースした「モエレ沼公園」とレナード・バーンスタインが提唱したPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を紹介されたのである。

 他にも、日本海側での初の政令指定都市に来春なる新潟市長の、食物自給率67㌫の食と花の80万都市としての自覚と自信に満ちた話は、さすが前歴が新潟新報の新聞記者だけあって、理路整然とした説得力ある話であった。

 最後に講演されたのは、脅威の入場者数の増加で、北海道の観光の目玉になってしまった、旭川の旭山動物園の小菅正夫園長の話であった。
 なんと独特の動物生態学の視点らの動物たちの見せ方の大胆な改革から、一次は年間20万人台に落ち込んだ入場者数を、昨年は200万人にしたという画期的な話だった。

 いずれの講演も、さすがの実証的見地からの魅力ある、まちづくりの実例として、文化や遣り甲斐、そして住民の喜びを素直に力とする地方自治体の行政施策として、感動をも覚えるはなしであった。

 わが市の市長も、はるばる北海道まで来ていたので、しっかり聞いていただき、少しでもそのエッセンスを汲み取っていただき、わが町の市民参加でのまちづくりに是非活かしてほしいものだと切実に感じたものである。
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全席禁煙のSTARBUCKS で読書!

2006年07月19日 | 感じたこと
札幌の全国都市問題会議参加のため、市議会の議員7名と議会事務局職員2名で大阪伊丹空港へ。

 昼食も食後のコーヒーも喫煙者の煙の中では嫌になるので、早々に一緒の昼ごはんを済ませて私は脱出!

 スタバは全席禁煙なので安心してアイスラテを飲みながら、出発便を待つ暫しの時間を、新書版の手軽な読書の至福の時になった。

  開けた新書は「10年後の日本」で、各章の目次には、「変わる日本社会のかたち」、「鍵をにぎる団塊世代」、「ビジネスマンの新しい現実」、「漂流する若者たち」、「世代が対立する高齢社会」、「家族の絆と子どもの未来」、「男と女の選択」、「地球環境の危機」、「グローバル経済の奔流」、「不安定化するアジアと」と続く。

 じっくり楽しみなら゛ら読み、機上の人となって、一路新千歳空港への旅の出発である。

 研修としての「全国都市問題会議」は、明日の午前、午後、そして明後日の午前中と、ほぼ講演を聴き、最後の2時間余がパネルディスカッションという形式の、やはり聞くスタイルの研修、勉強会である。

 やはり中身が悪いわけでもないし、十分聴き、それぞれの行政において、しっかりと議論し、情報として捕らえて生かそうとすれば、有意義な内容も多々あるのだが、二千数百人もの議員、市長、市職員が公費を使って全国から、わざわざ札幌に集まる意味は、地域、地方の経済効果と研修に参加する多くの人たちの避暑的旅行に終わってはいないだろうか。

 私はやぶにらみ的に、今回の参加を決めた上で、徹底して講演内容を聞き、パネルディスカッションにも参加したいと考えているが、果たしてどういう結果になるだろうか、また報告したいと思う。
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