2013年の最後の日、私は「おせち料理」と「年越しそば」の配達で、地元京田辺から城陽市内を朝から「新しい中古車」で走っていたのだが、午前11時前にさしかかった住宅地の信号のない交差点で、角を曲がってくる自転車に気づいて、車を停めたのだが、なんと前をよく見ないで走っていたおばちゃんの自転車が「あっぁ!!!」という魔に、私の車の右ヘッドライト付近に、ガァーンと当たって止まったのである。
近くにおられた家の前の掃除をされていた奥さんによれば、全然車の方は見ていない状態で、その自転車のハンドルをにぎっていたおばさんは悪びれもせずに、私が車内から「大丈夫ですか?」と声をかけたら、「仕事に行くので急いでいる」と言い残して、その場をあっと言う間に立ち去ってしまったのである。
私は唖然としながら、車を降りてフロントの自転車が当たったあたりを点検すると、間違いなく中古車とは言え、傷のついていなかった右へッドライト付近に、いくつかの筋状の傷がついていることが判明したのだが、もうすでにぶつかったご婦人は、パートかアルバイトと思われる仕事場へと向かうためとはいえ、私の車にぶつかった「お詫び」や「キズの確認」もせず、立ち去っていて、後の祭りである。
なんとも奇妙な体験というべきか、ぶつかられた私の方がビックリし、相手の方のぶつかった衝撃での具合の悪さや怪我を気づかったのにもかかわらず、当の本人は立ち去ってしまう始末で、私の方が被害者となっていることの現実に気づかされるまで、少しの時間を要したのである。
仕事中のことだったので、次のお客様の所へと車を走らせつつ、今年の夏には前の愛車が追突されて、後方のバンパーなどの修理と我が身の肩と腰の打撲的痛みの治療に一ヶ月ほどかかったことを思い出しながら、今年は「当たられ年」かもしれないと変な感慨が過ぎり、ひょっとすれば「宝くじ」も大当たりするかもしれないと、一難去って、これは幸運の兆しかもと考える様になっていた。
午後に仕事を終えて自宅に戻り、自転車にぶつかられたことを家族に報告し、もしや宝くじが大当たりかもと告げると、早速昼のテレビでやっていた宝くじ当選番号を控えていた妻が、当たりくじがないかと調べたところ、残念ながら大当たりどころか中当たりも小当たりもなさそうで、10枚に1枚は必ず当たる300円券が三枚あるのみであり、「当たられ損!!」であることが判明したのである。
今年を振り返ると、4月に姉が急逝し、9月には母が召天するという、身内の不幸が続いたばかりか、7月末の追突された自動車事故と、「さんざんな年」となったので、駄洒落と倍返しの願いを込めて、初めての「宝くじ」を「さんざん」にちなんで「33枚」買ったのだったが、残念ながらほとんど紙くずとなってしまい、そうやすやすと「倍返し」や「じぇじぇじぇ」と驚くような「当たり」は出ないこととなつた。
毎年恒例の「大晦日」と言えば、テレビの紅白歌合戦を垣間見ながら、年越し蕎麦を食してから、ゆっくりと風呂に入って「一年の垢と疲れを落とし」て、やおら地元にある、あの一休さんが晩年過ごされたという「醜恩庵」、通称「一休寺」に出向いて、一年の終わりと年の始めを同じ場所で体感するという、「除夜の鐘衝き」に出かける予定なのである。
昨年暮れの参議院選挙で大勝した自民党の安倍内閣が、この一年アベノミクスとやらのイメージのみの経済対策で、一部輸出企業や投資家たちは潤っておられるのかもしれないが、大半の庶民にはほとんど実感もなく、地球温暖化と言われて久しいが体も懐も寒い年の瀬を迎えて、忙しなく新年を迎える準備をされている方々が大勢おられることとお察し致します。
尖閣国有化などの問題と安倍首相の靖国参拝などが重なり、中国、韓国だけでなく、米国、ロシア、EU諸国や東南アジア諸国なども、日本の歩もうとしている方向性に歴史認識だけでなく、疑問を呈するという今年の年の瀬を迎えていて、東日本大震災と福島原発事故の被災者の救援や復興よりも、安倍首相はNSC、日本版安全保障会議などを整備し、特定秘密保護法という悪法を強引に数の力で可決し、どんどんと世界から右傾化と戦争への道を再びと思わせる様な手法と考え方を剥き出しに、進もうとしている現実の安倍政治に、多くの国民が不安と共に、今頃悔やんでも仕方が無いが、選挙の勢いを反省しだしているのではないだろうか。
沖縄の仲井真知事の公約とは反する、普天間基地の「県外移設」と裏腹な「辺野古埋め立て許可」という、心身ばらば゜らとも言うべき政治家としての心情が、基地の負担軽減と言う名の下での年間3000億円と言う税金の交付に、目がくらんでの選択なのかと思わざるを得ない決定に、沖縄県民だけでなく全国の良識ある国民は、怒りと共に「仲井真、お前もか!!!」という「ブルータス」と同様?の「裏切り」と感じた決断、決定を聞き、底知れない金と政治の癒着とも言うべき利害を痛感している。
金は必要だが、金で良心や政治心情は売らないという政治家が、この国にはいないのだろうか。私は今年も「鐘」を衝きながら、「金によって考え方を変えない、真の国民や市民を裏切らない政治家の誕生」を心から願うことにしようと思う。
新年こそ、ほんとうに良い年でありますように!!!。クリスチャンですが今夜は禅寺の一休寺で祈ろうと思うのである。
近くにおられた家の前の掃除をされていた奥さんによれば、全然車の方は見ていない状態で、その自転車のハンドルをにぎっていたおばさんは悪びれもせずに、私が車内から「大丈夫ですか?」と声をかけたら、「仕事に行くので急いでいる」と言い残して、その場をあっと言う間に立ち去ってしまったのである。
私は唖然としながら、車を降りてフロントの自転車が当たったあたりを点検すると、間違いなく中古車とは言え、傷のついていなかった右へッドライト付近に、いくつかの筋状の傷がついていることが判明したのだが、もうすでにぶつかったご婦人は、パートかアルバイトと思われる仕事場へと向かうためとはいえ、私の車にぶつかった「お詫び」や「キズの確認」もせず、立ち去っていて、後の祭りである。
なんとも奇妙な体験というべきか、ぶつかられた私の方がビックリし、相手の方のぶつかった衝撃での具合の悪さや怪我を気づかったのにもかかわらず、当の本人は立ち去ってしまう始末で、私の方が被害者となっていることの現実に気づかされるまで、少しの時間を要したのである。
仕事中のことだったので、次のお客様の所へと車を走らせつつ、今年の夏には前の愛車が追突されて、後方のバンパーなどの修理と我が身の肩と腰の打撲的痛みの治療に一ヶ月ほどかかったことを思い出しながら、今年は「当たられ年」かもしれないと変な感慨が過ぎり、ひょっとすれば「宝くじ」も大当たりするかもしれないと、一難去って、これは幸運の兆しかもと考える様になっていた。
午後に仕事を終えて自宅に戻り、自転車にぶつかられたことを家族に報告し、もしや宝くじが大当たりかもと告げると、早速昼のテレビでやっていた宝くじ当選番号を控えていた妻が、当たりくじがないかと調べたところ、残念ながら大当たりどころか中当たりも小当たりもなさそうで、10枚に1枚は必ず当たる300円券が三枚あるのみであり、「当たられ損!!」であることが判明したのである。
今年を振り返ると、4月に姉が急逝し、9月には母が召天するという、身内の不幸が続いたばかりか、7月末の追突された自動車事故と、「さんざんな年」となったので、駄洒落と倍返しの願いを込めて、初めての「宝くじ」を「さんざん」にちなんで「33枚」買ったのだったが、残念ながらほとんど紙くずとなってしまい、そうやすやすと「倍返し」や「じぇじぇじぇ」と驚くような「当たり」は出ないこととなつた。
毎年恒例の「大晦日」と言えば、テレビの紅白歌合戦を垣間見ながら、年越し蕎麦を食してから、ゆっくりと風呂に入って「一年の垢と疲れを落とし」て、やおら地元にある、あの一休さんが晩年過ごされたという「醜恩庵」、通称「一休寺」に出向いて、一年の終わりと年の始めを同じ場所で体感するという、「除夜の鐘衝き」に出かける予定なのである。
昨年暮れの参議院選挙で大勝した自民党の安倍内閣が、この一年アベノミクスとやらのイメージのみの経済対策で、一部輸出企業や投資家たちは潤っておられるのかもしれないが、大半の庶民にはほとんど実感もなく、地球温暖化と言われて久しいが体も懐も寒い年の瀬を迎えて、忙しなく新年を迎える準備をされている方々が大勢おられることとお察し致します。
尖閣国有化などの問題と安倍首相の靖国参拝などが重なり、中国、韓国だけでなく、米国、ロシア、EU諸国や東南アジア諸国なども、日本の歩もうとしている方向性に歴史認識だけでなく、疑問を呈するという今年の年の瀬を迎えていて、東日本大震災と福島原発事故の被災者の救援や復興よりも、安倍首相はNSC、日本版安全保障会議などを整備し、特定秘密保護法という悪法を強引に数の力で可決し、どんどんと世界から右傾化と戦争への道を再びと思わせる様な手法と考え方を剥き出しに、進もうとしている現実の安倍政治に、多くの国民が不安と共に、今頃悔やんでも仕方が無いが、選挙の勢いを反省しだしているのではないだろうか。
沖縄の仲井真知事の公約とは反する、普天間基地の「県外移設」と裏腹な「辺野古埋め立て許可」という、心身ばらば゜らとも言うべき政治家としての心情が、基地の負担軽減と言う名の下での年間3000億円と言う税金の交付に、目がくらんでの選択なのかと思わざるを得ない決定に、沖縄県民だけでなく全国の良識ある国民は、怒りと共に「仲井真、お前もか!!!」という「ブルータス」と同様?の「裏切り」と感じた決断、決定を聞き、底知れない金と政治の癒着とも言うべき利害を痛感している。
金は必要だが、金で良心や政治心情は売らないという政治家が、この国にはいないのだろうか。私は今年も「鐘」を衝きながら、「金によって考え方を変えない、真の国民や市民を裏切らない政治家の誕生」を心から願うことにしようと思う。
新年こそ、ほんとうに良い年でありますように!!!。クリスチャンですが今夜は禅寺の一休寺で祈ろうと思うのである。