ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

大晦日に当たった!!!

2013年12月31日 | とんでもない!
2013年の最後の日、私は「おせち料理」と「年越しそば」の配達で、地元京田辺から城陽市内を朝から「新しい中古車」で走っていたのだが、午前11時前にさしかかった住宅地の信号のない交差点で、角を曲がってくる自転車に気づいて、車を停めたのだが、なんと前をよく見ないで走っていたおばちゃんの自転車が「あっぁ!!!」という魔に、私の車の右ヘッドライト付近に、ガァーンと当たって止まったのである。

 近くにおられた家の前の掃除をされていた奥さんによれば、全然車の方は見ていない状態で、その自転車のハンドルをにぎっていたおばさんは悪びれもせずに、私が車内から「大丈夫ですか?」と声をかけたら、「仕事に行くので急いでいる」と言い残して、その場をあっと言う間に立ち去ってしまったのである。

 私は唖然としながら、車を降りてフロントの自転車が当たったあたりを点検すると、間違いなく中古車とは言え、傷のついていなかった右へッドライト付近に、いくつかの筋状の傷がついていることが判明したのだが、もうすでにぶつかったご婦人は、パートかアルバイトと思われる仕事場へと向かうためとはいえ、私の車にぶつかった「お詫び」や「キズの確認」もせず、立ち去っていて、後の祭りである。

 なんとも奇妙な体験というべきか、ぶつかられた私の方がビックリし、相手の方のぶつかった衝撃での具合の悪さや怪我を気づかったのにもかかわらず、当の本人は立ち去ってしまう始末で、私の方が被害者となっていることの現実に気づかされるまで、少しの時間を要したのである。

 仕事中のことだったので、次のお客様の所へと車を走らせつつ、今年の夏には前の愛車が追突されて、後方のバンパーなどの修理と我が身の肩と腰の打撲的痛みの治療に一ヶ月ほどかかったことを思い出しながら、今年は「当たられ年」かもしれないと変な感慨が過ぎり、ひょっとすれば「宝くじ」も大当たりするかもしれないと、一難去って、これは幸運の兆しかもと考える様になっていた。

 午後に仕事を終えて自宅に戻り、自転車にぶつかられたことを家族に報告し、もしや宝くじが大当たりかもと告げると、早速昼のテレビでやっていた宝くじ当選番号を控えていた妻が、当たりくじがないかと調べたところ、残念ながら大当たりどころか中当たりも小当たりもなさそうで、10枚に1枚は必ず当たる300円券が三枚あるのみであり、「当たられ損!!」であることが判明したのである。

 今年を振り返ると、4月に姉が急逝し、9月には母が召天するという、身内の不幸が続いたばかりか、7月末の追突された自動車事故と、「さんざんな年」となったので、駄洒落と倍返しの願いを込めて、初めての「宝くじ」を「さんざん」にちなんで「33枚」買ったのだったが、残念ながらほとんど紙くずとなってしまい、そうやすやすと「倍返し」や「じぇじぇじぇ」と驚くような「当たり」は出ないこととなつた。

 毎年恒例の「大晦日」と言えば、テレビの紅白歌合戦を垣間見ながら、年越し蕎麦を食してから、ゆっくりと風呂に入って「一年の垢と疲れを落とし」て、やおら地元にある、あの一休さんが晩年過ごされたという「醜恩庵」、通称「一休寺」に出向いて、一年の終わりと年の始めを同じ場所で体感するという、「除夜の鐘衝き」に出かける予定なのである。

 昨年暮れの参議院選挙で大勝した自民党の安倍内閣が、この一年アベノミクスとやらのイメージのみの経済対策で、一部輸出企業や投資家たちは潤っておられるのかもしれないが、大半の庶民にはほとんど実感もなく、地球温暖化と言われて久しいが体も懐も寒い年の瀬を迎えて、忙しなく新年を迎える準備をされている方々が大勢おられることとお察し致します。

 尖閣国有化などの問題と安倍首相の靖国参拝などが重なり、中国、韓国だけでなく、米国、ロシア、EU諸国や東南アジア諸国なども、日本の歩もうとしている方向性に歴史認識だけでなく、疑問を呈するという今年の年の瀬を迎えていて、東日本大震災と福島原発事故の被災者の救援や復興よりも、安倍首相はNSC、日本版安全保障会議などを整備し、特定秘密保護法という悪法を強引に数の力で可決し、どんどんと世界から右傾化と戦争への道を再びと思わせる様な手法と考え方を剥き出しに、進もうとしている現実の安倍政治に、多くの国民が不安と共に、今頃悔やんでも仕方が無いが、選挙の勢いを反省しだしているのではないだろうか。

 沖縄の仲井真知事の公約とは反する、普天間基地の「県外移設」と裏腹な「辺野古埋め立て許可」という、心身ばらば゜らとも言うべき政治家としての心情が、基地の負担軽減と言う名の下での年間3000億円と言う税金の交付に、目がくらんでの選択なのかと思わざるを得ない決定に、沖縄県民だけでなく全国の良識ある国民は、怒りと共に「仲井真、お前もか!!!」という「ブルータス」と同様?の「裏切り」と感じた決断、決定を聞き、底知れない金と政治の癒着とも言うべき利害を痛感している。

 金は必要だが、金で良心や政治心情は売らないという政治家が、この国にはいないのだろうか。私は今年も「鐘」を衝きながら、「金によって考え方を変えない、真の国民や市民を裏切らない政治家の誕生」を心から願うことにしようと思う。

 新年こそ、ほんとうに良い年でありますように!!!。クリスチャンですが今夜は禅寺の一休寺で祈ろうと思うのである。
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メリークリスマス!!!

2013年12月25日 | イベント
2013年のクリスマスがやってきた。

 子供たちは待ちに待ったクリスマスだと思うのだが、さて全世界の子供たちのうち、どれほどの子供たちのところにサンタはやって来たのだろうかと思うと、日本はとても幸せな国なのではないかと考えさせられるのである。

 私が子供の頃には、サンタはそれほどポピュラーではなく、幼稚園、小学校なのでサンタが来たかどうかを話題にした覚えはほとんどないので、まだまだ貧しい家庭も多かったし、そもそもキリストの誕生という宗教的行事を、現在の状況ほど全国でしていたという感じてもなかっ田と思うのである。

 現代は、子供たちはどう思っているていてのかは定かではないが、クリスマスイブの夜中にサンタクロースがやってくるというのが定番となっていて、よっぽど頑固な父親がいたり、自分ちは浄土真宗だとか言って、クリスマスそのものやサンタの到来などを否定し、やらないという家庭もあると思うのだが、私の知る仏教系の幼稚園でも、最近はクリスマスをお祝い?したり、サンタが登場したりしているとも聞くのである。

 つまり、クリスマスは最近では決っして宗た教行事としてではなくて、季節の風物詩であったり、季節の行事として欠かせないイベント
となっていて、商店街や百貨店をはじめとしたビジネスとしてのセールや特売日としてだけでなく、老人ホームや病院、役所などでもそれなりに便乗した行事や企画がされていぬたりする有様である。

 とにかく、メリークリスマスというのは、「楽しいクリスマス」ということなので、猫も杓子も信仰や宗教とは関係なくても、クリスマスを楽しむという習慣が相当根強くひろがっていると言う感じである。

 逆にクリスチャンであっても、クリスマスには教会へという熱心な方もおられるとは思うのだが、私なんぞはここ数年クリスチャンであっても、クリスマスに教会へ行くという習慣?のない者もいるのである。

 全世界に目を向けると、クリスマスと言うことで、楽しめるという余裕や環境が乏しいところも少なからずあり、内戦や政治的不安定、または経済的貧困ゆえに、今日、明日を如何に食べるかというセッパツマッタ状況の中に生活をやっとこさしているという人々もいて、クリスマスどころか「苦しみます」とむいう駄洒落のごとき現実もあるのである。

 さて、何が言いたいかと言えば、現代の日本の子供たぬちにも、そうした世界の現状を少しでも知ってもらって、将来の自分の生き方、人生の中で考え方や思いに、少しでもそうした現実を考え、自分たちで出来る範囲でのお手伝いや貢献、あるいはサポートが出来る人間になってほしいと思うのである。

 キリスト・イエスが貧しくみすぼらしい馬小屋で誕生したという、聖書が伝える史実をイメージする誕生劇やページェントがキリスト教系の幼稚園や学校、大学、病院、福祉施設などで上演されていることもあるのだが、多くの人たちはクリスマスと言えば、プレゼントを贈る日、もしくはケーキを食べる日としての、何やら商業主義に乗せられたイベントの日としてか思わないとすれば、とても寂しいし、さぞかしキリストさんも悲しく感じておられるのてぜはないかと、老婆心ながら思うのである。
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年の瀬、宝くじは明日まで。

2013年12月19日 | イベント
 今年もあと12日で終わろうとしている今日、なんともテレビ、新聞などのマスコミのニュースは、猪瀬都知事の辞職と、餃子の王将の社長が射殺されたという物騒な事件の報道で持ちきりである。

 庶民にとっては、年末ジャンボ宝くじの販売が明日までというニュースの方が関心があるのかもしれないと、仕事中の車のラジオからDJが話す「宝くじ話」に耳を向けている自分がいた。

 今年一年を振り返る時期にさしかかり、一年を表わす感じは「輪」となり、流行語大賞はなんと4つもあり、「ては、じぇじぇじぇ」、「今でしょう!」「倍返し!」などのテレビからの流行がそのまま世間での流行語として巷でも冗談を交えて喋られていたので、まぁ妥当なとこだと感じでいる。

 しかし、私自身にとって今年は、なんとも「三隣亡」とても言うべきか、とてもアンラッキーな年となってしまった様で、年末に何か「一発逆転」でもしたい思いに駆られているのが心境なのである。

 今年4月に実の姉が亡くなり、追う様に実の母が九月に召天するというダブルな弔いに接し、おまけに7月末には仕事中の自家用の愛車が追突されて、初めて人身事故扱いに近い形で、外科と鍼灸整体院に通院するという経験をし、その折に何とか自動車保険で修理した愛車が、11月の末に再び安全に走行できない状態、すなわち廃車せざるをえない故障が生じ、現在は何とか妻の車と週末はレンタカーを借りての仕事を続けているという状態である。

 アンラッキーと言えば、それまでだが何やら「可笑しな一年」となることは間違いない感じなので、ここで「倍返し!」を狙らって、皆さんに「じぇじぇじぇ!」と驚いてもらうためにも、宝くじを買うのは「今でしょ!」とばかりに、ほぼ初めてのジャンボ年末宝くじを買ってみようかという思いが浮かんだのである。

 しかし、キムタク、渡哲也、壇蜜?さんらが宣伝している「7億円ジャンボ宝くじ」は、ちょっとアツカマシイとでも言う感じで、ミニでも7000万円が当たるという方の宝くじを買ってみようかと思うのである。

 ほとんど今まで買ったことのない「宝くじ」なので、よく当たる買い方やたとよく当選が出る「宝くじ売り場」などは知らないし、そんな買い方や売り場があったとしても、「どうせ当たらない」とでも思っているのか、もし7億円なぞ当っても「使いきれる額」でもないので、少し遠慮して「7千万円」にターゲットを絞ろうと勝手に想像しているのである。
 人生も間違いなく最終コーナーを曲がろうとしている自分にとって、そう多額な「お金」がほしいわけでもなく、少し「幸運」が来るならば、好きな「旅行」を存分に楽しみたいという「夢」を抱いての、初「ジャンボ宝くじ」へのチャレンジである。

 来年は我々庶民にとっては、消費税も上がるし、再来年には10パーセントになる予定だということだし、7年後には二度目の東京オリンピックの開催もあるので、余裕ができれば東京五輪のどの競技かは定かではないが直接観てみたいものだと、密かに夢見ているのである。
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中古車選び!!!

2013年12月12日 | 感じたこと
けつ 昨年の夏にオーバーヒートを起こしてしまい、やむなく三代目を急遽見つけて購入した、スバル・サンバー・ディアス・クラシック手の愛車がまたもや大変なこととなって、使用できなくなってしまった。

 先週の水曜日だったと思うのだが、いつもの様に走りながら異常を感じつつ、なんとかキャブレターの水切れとオイル漏れに注意すれば、まだ何とか走るのではと走行していたのだが、やはり厳しい感じなので、JAFを呼んで応急措置として、冷却水を補助タンクも含めて、たっぷりと補充してもらって、何とか目的地まで走行して用件を済ませての帰路、再び危険を感じるくらいワンボックスの車内が水蒸気の排気で包まれてしまい、再びJAFを呼ぶ羽目となってしまった。

 私自身、JAFの会員歴はなんと30年に及ぶのだが、一日に二度もお世話になるというのは初めてのことだし、JAFのサービスの担当者は違う方だったが、今はコンピューター管理がなされているので、今日お昼過ぎにも呼ばれましたねと二人目の担当者もご存知で、なんともご苦労様と言うべきか、恥ずべき状態でもあった。

 辛うじて自宅まで回転を上げずに、ゆっくりと走行し帰ったのだが、この車ともお別れの時が近づいていると悟ったとのであった。

 翌日止むを得ず、近くのガソリンスタンドでレンタカーを手配してもらい、何とかいつもの週末の有機八百屋の営業はこなしたのだが、このままでは拉致があかないので、至急インターネットでの軽自動車中古車探しがはじまった。

 ガソリンスタンドでも希望の車種のオークションでの出物を探してくれるということとなり、大手?中古車販売のガリバーにもコンタクトして、何とか年内に新たな営業用の軽のワンボックスで、荷物が十分に乗せられる車を探すこととなった。

 従来の私の八百屋営業用の愛車が上記のスバル・サンバー・ディアス・クラシックのライトグリーンの車だったので、三代続いた愛車への愛着が強くて、なかなか別の車種を選んだり、別の全く色の違う車を選択することが難しくて、中古車選びは難航したのである。

 しかも、予算が潤沢にあるのならばいざ知らず、予算は限られていて、全国の中古車情報をインターネットを通して調べながら、ガリバーからやってきた営業マンのグレードや整備が十分な車しか売りませんというポリシーにも耳を傾けつつ、日が経って行くのを感じつつ、何とか年内に新しい中古車をゲットすべく検討したのである。

 赤いディアスは提案されたが、やはり却下。またフォルクスワーゲンタイプのフロントマスクの改造車は魅力はあるが、価格が高い割には走行距離が出ていて、いくら整備されて納車されるとしても不安だ。

 バンタイプは如何ですかとか、いろんな情報の中から、決局関東圏の遠方の中古車ディーラーの展示されていた、ディアスを何とか購入するという結論に達し、予算はオーバーするが「安物買いの銭失い」とならないためにと、家内の資金援助も仰いで、何とか年内納車が出来るという約束が出来た。

 最後に、まったく知らない遠方の他府県の業者なので、私にとっては大金を振り込むという段になって、全額の支払いではなく内金を振り込んで、車が陸送などによって自宅に届いたことを確認したら残金をすぐに支払うというお願いを先方にしたのだが、前金で全額振り込まれなければ契約とはならないとの返答で、少し躊躇したのだ。

 振り込め詐欺や商品である中古車とは言え高額の車を、現地に行って直接見ることもできないまま、言われたままに指定の口座に現金を振り込んだ後、整備や外観も含めて納得の行く状態で無事届くかどうか、非常に心配なのだが先方を信用して決済することとした。

 年内に新たな中古車がやってきて、年末の仕事に何とか無事活躍することを念じているのである。
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安倍の本領発輝!!!

2013年12月08日 | 日本の課題
多くの国民、マスコミ、著名人たちの「反対」「慎重審議」の声を無視して、参議院で一昨日の午後に「特定秘密保護法案」が可決し、施行は一年後とのことだが、それまでに「秘密監視やチェック」のための内閣府に設ける機関などを整備して発効し、重大な秘密漏洩に対しては、最高懲役10年を課すという「悪法」が出来てしまった。

 衆議院てでの議論もさることながら、自民党と公明党の賛成多数と言う「数の暴挙」で、十分な審議が行なわれたという感じではなく、付け刃的答弁や見解で時間を費やし、森担当大臣という女性の少子化担当国務大臣が、いつのまにか「特定秘密法案担当相」となって、二転三転の答弁を繰り返し、答弁に詰まるとなんと元警察官僚らしき内閣官僚が答弁へのメモを差し出すといった感じで急場凌ぎの委員会、国会審議を通過儀礼の如く行い、衆議院可決の時と同様に、前日に「公聴会」なるものをパフォーマンス的に参議院可決前日にも行なうという儀式を終えて終焉の時を迎えた。

 1960年の安倍のじぃさんである岸信介元首相下での強行採決による「日米安保条約」の締結時の騒動を髣髴とさせる、国会周辺での「法案反対のデモやシュピレルコールの映像を見ながら、安倍首相とのコンビで自民党を操る石破幹事長がブログで表現し、後に訂正割愛したとされる、「デモはテロ」だとの暴言も真意を疑うが、彼らの本音かもしれないと思わざるを得ない対応ぶりの結末となってしまった様である。

 そもそも、「特定秘密保護法案」なるものは、先の「ねじれ解消」を目指した参議院選挙前の自民党のマニフェストには全く記されていないばかりか、選挙の争点にもなっていなかったのに、衆参両院での絶対的多数を占めた自民党と公明党の「悪がき集団」たちは、国民からの全面的な信頼や委託を受けたと「勘違い」、今回の様な「暴挙」を難無く行った。

 この法案の持つ背景には、安倍首相の目指す「国家像」があり、簡単に言えば彼にとっての「普通の国」、つまり「軍隊を持ち、最高責任者である首相が全てを決められる国」があると思われる。

 すなわち、戦前の日本の家庭に例えれば、「家」の中心には「親父」がいて、家族は全て「親父の言いなり」、そうした強権親父が何事も決めて進むという「非民主的」な家庭、親父の権威、家主中心の生活が理想としてあると思われる。

 言い換えれば、「強い親父」の下で従順に従い、三歩下がって「師の影を踏まず」といった「おしとやかで従う妻と子」という「家庭像」があり、あの「お坊ちゃま宰相」は、今回の「特定秘密保護法案」を皮切りに権力の中枢を自らと側近で固めて、「強い国」日本を「取り戻そう」としているのだ。

 時を同じくして、南アフリカの建国の父と尊敬される「マンデラ元大統領」の死が伝えられているが、彼はたとえ「反対の声」にも謙虚に耳を傾けて、時間をかけて協調、理解を通じて前進するという「平等の民主主義」をモットーに戦い、あらゆる民族、人種の平和な国家を目指したとされる方で、ノーベル平和賞を受賞しただけでなく、全世界の人々から尊敬される人権活動家であり、政治家であったと記憶されるでしょう。

 「アベノミクス」なる造語に誤魔化されて、「経済の復活」などより、非民主的秘密国家、戦前の治安維持法にも匹敵する「悪法」が世界的にも批判を浴びながら成立したことは、国民の一人として心からの怒りと共に,ユウツな時代の幕開けとならないことを祈りつつ、抗議したいと思います。
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