ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

大きな恩師の死。

2005年06月30日 | 感じたこと
 6月30日、私にとっては大きな大きな恩師である、小学校時代の愛する先生が逝去された。心からご冥福を祈ると共に、私達教え子にとって言葉で言い表すことのできない程の愛情と、人生を歩んで行く上で大切ないろんなことを、この50年間示唆して下さった恩師としての感謝と敬意を感じつつ、大きな人を失った悲しみを胸に、恩師の人生の深さを噛みしめつつ、今後も歩んで行こうと心に誓うものである。

 私がS先生と出会ったのは、小学1年生、つまり6歳の時である。それ以来50年、半世紀にわたり人生の師として、私達の人生に大きな影響を与えて下さった、大きな存在であったのである。

 以前にも、このブログでS先生については書いたことがあるが、私達は、この先生との出会いから数年後、すなわち10歳の頃から、先生のお誕生日である4月10日前後に、毎年の様にクラスの有志が集まるようになって、いつからか、その同窓会的集いを、先生の名前から「竹の子会」と呼ぶようになっていたのである。

 先生から教えられたり、示唆された人生での喜怒哀楽と、素直で真っ直ぐに生きる生き方は、今でも私達の一人一人の人生の、大きな影の価値観となっていると思えるのである。

 早速、今夜、先生の長い一生を終えられて、天上に召されたこの世での最期のお姿とお顔に接して来たが、静かな寝顔の様なお姿に対して、手を合わせつつ、私は「行ってらっしゃい!」と言葉をかけて、お祈りをさせていただいたのである。

 突然に出た言葉であったが、まさに先生のこの世での人生は終わりを告げたのであるが、新しい天上での旅路に、お見送りした心境であったのである。

 もともと小柄なお体の先生であったが、亡骸はほんとに小さくて、今にも羽根が生えて、天上に上って行かれる感じであった。ご遺族になられた息子さんのご家族とは、先生との思い出の一部を明るく語り合えて、先生の死は悲しいばかりではなく、これからの私達の人生への大きな新たなエールの様にも思えたのである。

 S先生、ほんとうに長いこの世での人生、お疲れ様でした。『行ってらっしゃい!」先生のお好きであった自然と山野草が咲き乱れる、素敵な山々に、生前の夢であったと思われる、アフリカのキリマンジャロへの登頂も、夢ではなく実現できるかも知れません。

 素敵な笑顔と愛情に満ちた、S先生のあの世での人生を、私達は思いつつ、この世に生ける者としての人生を、先生の教えを忘れず、時々思い出しながら、しっかりと歩みたいと思います。

 『ありがとうございました』「ゆっくりとお休みください」「また、いろいろとお教えください」

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愛犬エスの悲しい話。

2005年06月29日 | 感じたこと
 私は犬が大好きである。物心ついた小学生時代から少年、青年時代を通して、いつも自宅には犬がいた。特別な血統書つきの名犬などは一度も飼ったことはなく、歴代飼っていた犬達は、ほとんどが近くの公園や池のほとりで拾ってきた子犬を育てて飼っていたに過ぎないのである。

 歴代の我が家に飼われていた犬の名は伝統的にエスであった。例外の一頭はエルと名づけられていたが、私の記憶に深く残っている犬達はエスなのである。

 何故エスと名づけられたのかは、いまだに不明だが、たぶんL,M、Sの大小を示すSだったためかと思っている。雑種のたくましい犬だったが体格は比較的小柄の部類だったようである。

 このエスは1950年代に大阪の実家で飼われていたのだが、その当時はよく早朝に「犬獲り」がやってきて飼い犬であっても、鉄パイプの様なもので脅して捕まえて行くことがあったのである。

 ある朝陽が昇るかどうかと言う冬の朝方に、私は愛犬の驚くような叫びと泣き声に目を覚まして、何かが起きたと感じて飛び起きて玄関先のエスの犬小屋を見に行ったが、既にエスの姿はそこにはなく空しく彼の首輪とロープが犬小屋につながれたまま、主がいないまま放置されていたのである。

 その頃の我が家の前の道路は簡易のアスファルト舗装であり、よくみると至るところに鉄パイプで叩いた跡と思われる穴があったので、私は悲しい思いでエスが犬獲り業者に無理やり連れて行かれたと悟ったのである。

 早朝の、この騒動で目覚めてしまった私だが、学校に行く時間が迫ってきて身支度をして家を出ようとした頃に、突然狭い裏庭の木戸の外から、悲しい震えるような犬の泣き声が聞こえてきたのである。

 それがエスの泣き声であることが、すぐにわかったので木戸を開けて路地に出たところ、そこには小さく震えながら自宅に入ろうと訴えるようにして蹲っている愛犬エスを発見したのである。

 震えるエスの顔をよく見ると、黒い鼻の傍の茶色い顔が少し窪んだように見えて、そこから血がたれていたのである。

 心細く恐怖におののいて、どうして逃げて来れたのかは、定かには分からないが、必死で犬獲りの隙を見つけて、逃げ出して帰ってきたのであろうと推察するしかなかったのである。

 しばらくエスを抱きかかえて、自宅に入って毛布で包むようにして抱いてやっていたが、なかなか震えがとまらないエスであった。その日からはしばらくの間、玄関の外ではなく、玄関の土間に犬小屋をの入れてやり、少しでも安心して休めるようにと気を遣ったことを記憶している。

 それからはエスと私の絆は否応なしに強くなっていき、思春期の私の心のざわめきやイライラを納めるための、夜の犬の散歩が、いろんな心象をコミュニケーションする犬と少年の関係になったような気がしているのである。

 ある夜、いつもの様に、近くの公園にエスと共に散歩に出て、エスを公園のベンチに繋いで月夜の夜空を眺めていたときである。私が「あっあ」と大きく何故かため息を漏らしていたら、愛犬エスは、私の顔を下から覗き込むような姿で、優しい顔と目線で、私に「うん、辛いな、わかるよ」なんて感じで、相槌を打つ様に感じられたのである。

 私も心の中で、「エスよ、お前だけやな。僕の気持ちを分かってくれるのは・・・」とほんとに友情を感じた親友のような気持ちで、エスの頬に顔を寄せて、抱擁を交わすような気持ちにさせてくれたのである。

 たかが一匹、一頭の犬の話だが、私の少年時代にとっては欠かすことのできない、励ましと元気をくれた愛犬エスなのである。

 このエスがなくなった時、たぶん初めて死の重さを知って、涙して裏庭の外の畑の脇に、重たく悲しい思いで、愛犬エスの遺体を埋葬したこと時々思い出すのである。僕の少年時代の悲しさも知っている悲しい経験もしたエスに、再び会えたらなと思っていたら、夢の中で再び会うことができたのである。

 愛犬エスよ、ありがとう。また会えたらいいね。

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対話なきストレス拡大!

2005年06月28日 | 感じたこと
 現代の日本社会は、対話なきストレス社会につき進んでいる様に感じている。

 数ヶ月前にテレビワイドショーを賑わせた、あの奈良の騒音おばさんの裁判で、再びテレビマスコミが詳細を報道しているし、貴乃花、花田家の元大関貴ノ花の死去後のお家騒動もしかりである。

 15歳の少年が、父を母を殺して、何食わぬ顔で草津温泉に憩っていた事件、やはり15歳の少年が兄を撲殺した事件と、最近の血なまぐさい事件の数々も、ほとんどが人間としてのコミュニケーションが欠落していることが原因の、悲惨な結果ではないだろうか。

 全てが「話せばわかる」とは思わないけれど、まず話さなければ問題解決の糸口すら見出せないケースが多いのだが、すぐに当事者間の対話よりも、警察、学校、行政といった第三者機関に助けを求めるケースが増えているらしい。

 まず当事者間での努力や折衝があって、どうしても第三者が入って相談した方がいい場合は、やむを得ないが、最近はどうも当事者間での対話の努力が欠けている場合が多い様である。

 どうせ、話しても無駄、あんな人と話すなんて出来ないと、両者がそっぽを向いてしまうことが多いのである。

 心の奥底にだんだんと溜まっていく不満や憤り。表面的にはふつうであり、普通を装う家族や人間関係が突然、びっくりする様な状況で世間に暴露されるのである。

 積もり積もった人間の負の感情、すなわちストレスを拡大しないような努力と時間の過ごし方が、現代社会には特別必要な様である。

 最近、ちょっとした駅周辺のターミナルや商店街の空き店舗などが改装されたかと思うと、「心身共にリラックスしてみませんか」と言ったキャッチフレーズの「足壷マッサージ」や「リラクゼーションスペース」と言った感じのお店が急増しているのである。

 仕事、家庭、人間関係に疲れた人たちが、ほんとうに増えているのである。大きな電化製品の量販店の中でも、マッサージチェアを何台も設置して、試行できるエリアがあって、多くの買い物客が、ここで一時の憩いか疲れを癒している光景もよく目にしている。

 日本社会が、間違いなくうっとうしい「うつ社会」に突入しつつある今、改めて家族、職場そして友人達との対話が大切であることを力説したいと思うのである。

 ちょっとした「お互いを思いやる言葉」が、人のストレスや心のざわめきを静めてくれる大きな効果を持っていることを、もう一度見直して、優しく根気つよく接して、心温まる人間同士の対話を愉しみたいものである。
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真の愛国心とは?

2005年06月26日 | とんでもない!
 戦後60年の節目の年、日本は再び第二次世界大戦下の様な、様相を徐々に呈してきていると感じている国民は多くいると思われるが、なかなかメディアでは伝わって来ないし、いよいよ危険なムードが高まりつつある。

 小泉自民党と神埼公明党が連立内閣を組んで以来、平和の党だつたはずの公明党が、イラクへの自衛隊派兵までも賛成し、冬芝幹事長の数時間のサマーワ滞在と言う、パフォーマンスで安全な地域だと断定して、結局自民党の方針に賛同して1年余が経とうとしている今、またもや自衛隊の車列への爆弾攻撃がなされて、一部の車両に損傷が出たらしい。

 小泉首相は、自衛隊の派遣された場所は安全であるが、いちいち私が何処が戦闘地域で、何処が非戦闘地域化はわかるはずがないと、開き直りの様な迷言の国会答弁で、誤魔化してしまったイラク、サマーワも日本の自衛隊が駐留したことで、見事に戦闘地域の仲間入りをしているのである。

 あの9.11のニューヨークのテロ以来、米国のテロ撲滅と石油資源の確保策としての国益を守る戦いがアフガンとイラクで始まり、日本の周辺では米国が「悪の枢軸国」と称した北朝鮮によると思われる「不審船」対応などと絡めて、日本の防衛問題をクローズアップして、日本人の愛国心を呼び起こそうとしてきた。

 ある市議会議員に言わせれば、アフガンやイラクのテロ集団が日本を標的に活動したらどうするのか、また北朝鮮がミサイルや核爆弾で日本を攻めてきたらどうするのかと言った次元の悪の脅威論で、日本も軍隊を正式に持って、自国の防衛に努めるべきだとおっしゃるのである。

 何とも、レベルの低い発想であり、現代の国際情勢の中で、既に日本はアメリカの属国または属州としての不名誉な地位を世界にとどろかせている経済大国であり、国際的な政治的のリーダーシップなどは期待されてはいないのである。

 なのに、小泉首相は国連安保常任理事国入りを訴えており、「戦争をしない国」を「戦争が出来る国」に作り変えようと頑張っているのである。

 私達国民は、政府自民党、公明党の、この国を世界で軍事力を誇示する「普通の国」にするための、多様な政治的パフォーマンスと、テレビマスコミを中心とする、こうした一連の方向への協力的報道に騙されない、日本国憲法に明記された、平和を希求する国民であり続けたいと思う。

 日本の国を本当に愛するが故に、日本を戦争の出来る国に、再びしたくないのである。

 私達の「愛国心」は世界、地球に住む人類すべてが平和に暮らせるための日本の役割を、しっかりと見定めた上での「愛国心」であり、間違った政府や権力に盲従する「愛国心」には、戦前、戦中の如く「非国民」と呼ばれても、真の愛国心を誇れる国民でありたいと思うのである。

 日の丸に敬意を表したり、君が代を歌うのが「愛国心」ではないのだ。世界の中で真の日本の役割と果たすべき責任を明確に指摘して、政府の過ちを正すことこそが、60年前に辿った間違いを二度と繰り返さないための、真の愛国心である。
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伝統の一戦!阪神、巨人戦。

2005年06月25日 | プロスポーツ
 プロ野球は、セ、パ初の交流戦が、他のリーグの6チームとホーム&アウェイ方式の各3試合づつ、計36試合を戦って、パリーグの絶好調、バレンタイン監督率いるロッテマリーンズがスポーンサーである日本生命からの賞金5000万円を手にして、成功裏に終了し、元のリーグでのペナントレースに戻った。

 我が好調、阪神タイガースも交流戦で3位の成績を収めて、主砲金本選手は打率2位の素晴らしい成績でMVPのロッテ小林投手に次ぐ、敢闘賞をいただいたのである。今年の阪神の打撃陣では、金本、今岡の4、5番コンビが、何とセリーグの打点王を両者で争う感じの好調ぶりで、頼もしい限りである。

 普通のペナントレースに戻って、阪神は中日戦を2勝1敗で無難に首位を固めて、日本のプロ野球で永遠の伝統の一戦と称される、巨人戦に昨夜と今晩挑んだのである。昨夜は延長11回、阪神のさよなら勝利で、今日はローズの決勝の3ランで1勝1敗の五分で、明日が3連戦の決戦となるのだが、ようやく伝統の一戦らしい戦いぶりになってきた様である。

 何故か、今年の堀内巨人軍は、あの重量打線を持ちながら、持ち味が生かせず、投手陣も不十分で、阪神ファンとしても、弱すぎる巨人では面白みが半減して、愉しくないのである。敵は敵らしく、強くて良くて、その強い巨人軍を倒すからこそ、阪神ファンは、いやアンチ巨人ファンは溜飲を下げるのである。

 やっと強さの片鱗を発揮し出した巨人軍だが、やはりプロ野球改革の中にあって、再びあのナべツネこと、渡邊前オーナーが球団社長に復帰した、特異集団の巨人軍にもの申したい心境なのである。

 まず、何故に「巨人」だけが正式には、読売ジャイアンツなのに、「巨人」と称されなければならないのか。同様に称するならば、阪神も「猛虎」と称して戦わねばなるまい。他のチームも然りであり、ジャイアンツだけが、特別扱いされている元凶が、このネーミングそのものにあるのではないだろうか。

 対等なチーム力で、正々堂々と戦うのが、スポーツの原点なのだが、現楽天のドラフト一位で入団した、あの一場投手に多額の裏金を出していたことが発覚して、球団経営とプロ野球界から足を洗ったはずの,ナベツネが再度登場して、79歳の老人に、折角の再生と改革に歩み出した、プロ野球に、また荒波を立てないでほしいものである。

 どうも、プロ野球界のオーナー気取りの、このナベツネを再び、野球機構の民主的かつ選手会も対等なパートナーとして参加しての、ファンあってのプロ野球を見直し、改革するスタートを切った、我等のプロ野球に口出しなんて、して欲しくはないのである。

 日本のプロ野球の誕生から現在に至る、歴史においては確かに読売新聞社を中心とする産業界のリーダーシップは大きな力であっただろうが、純粋に野球界としての、今後の運営や展望に、「巨人」と自らの球団のみを特別視して呼ぶ、読売巨人軍が先頭に立つことだけは避けていただきたいと熱望する。

 また一方、マスメディアとしてのテレビや新聞が、脳梗塞で入院治療中の、「ミスター」こと長島茂雄氏を引っ張り出すこともやめてほしいものである。

 長島さんには、マスコミに登場するよりも、リハビリに専念されて、静かな家庭生活と、一偉大な野球選手であったことを、私達も決してわすれないので、もう二度と、不自由なお体や健康状態で、メディアが引っ張り出さないでいただきたいと思うのである。

 誰も「元気で活躍されていた」長島選手、監督のままで記憶にとどめておきたいものである。

 伝統の一戦が再び、プロ野球の醍醐味、面白さを再認識できる、いいゲームを見せてくれれば、どちらが勝とうが、ファンは満足なのである。タイガースもジャイアンツも日本のプロ野球には欠かせない、強豪チームとして、永遠のライバルとして、手に汗握る戦いをこれからも期待している。

 今夜の清原vs藤川の見ごたえのある直球勝負の真剣さと集中力に乾杯。ほんと野球って面白いですね。

 
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沖縄慰霊の日を覚えて。

2005年06月23日 | 日本の課題
 6月23日、この日は沖縄県民にとってだけではなく、日本人にとって第二次世界大戦の実質的な終戦を意味する大切な日である。

 1945年、今から60年前の沖縄本島を中心に、太平洋戦争の末期に、唯一日本での地上戦が行われて、約20万人以上の人々が帰らぬ人となってしまった沖縄戦の終結した日とされている。

 沖縄防衛第32軍司令官、牛島満中将と同参謀長の長勇中将が、糸満の摩文仁の丘で自決したのが、6月23日の未明とされていて、その日を日本軍の組織的戦闘が終結した節目として、沖縄慰霊の日が制定されているのである。

 沖縄慰霊の日は、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、33年前の本土復帰前には琉球政府が「休日」と定め、行政機関や銀行、学校、企業も休み、沖縄全体が慰霊と祈りの時としていたのです。

 しかし本土復帰後は、法的根拠を失い暫く休日ではなくなったのですが、91年に地方自治法が改正されて、再び沖縄県では「休日」となったのですが、行政、公立小中学校、高校などはお休みですが、一般企業は休まない会社が多くて、経済活動を優先した本土並みになってしまっている様です。

 私達本土と言われる日本に住む住民にとっては、沖縄は遠い南の島、リゾートと観光の島という認識がほとんどかもしれませんが、60年前とは言え、この地で2ヶ月余の激しいアメリカ軍の上陸による必死の地上戦が戦われて、民間人も10万人近くが戦死したと言われる悲惨な状況があったのです。

 有名な「ひめゆりの塔」として観光名所になっている戦時下の逃げ惑う沖縄県民の最後の隠れ家的居場所のの壕が沖縄南部には点在しており、多くの一般沖縄県人が、この壕で自決したり、中には日本軍の手によって殺害されたという状況もあった様です。

 今も尚残る、沖縄戦跡や多種多様なガマと呼ばれる壕の存在が、沖縄独特の唯一最後の地上戦の痛ましい事実を黙って語っていると言ってもいいでしょう。

 私達、戦後に生まれた日本人として、摩文仁の丘の立つ20万余の戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」に参拝する時、遠く太平洋を望む、この素晴らしい眺望の丘で、最期を迎えち兵士達や沖縄県民の魂の叫びを聞く思いがしました。

 二度と、決して、この様な悲惨な人間の地獄絵の如き、戦争をしてはならないし、少しでも加担してはならないと。

 しかしアフガン、イラクと米軍の侵攻に日本は、憲法違反の自衛隊を海外派兵し、人道的復興支援などと言う詭弁で、アメリカの戦争に加担、協力している実態があります。

 沖縄慰霊の日。改めて二度と悲惨な戦争と地上戦の悲哀を繰り返さない、日本人全ての誓いの日としたいものです。
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政治家に欠けるモラルと良識

2005年06月22日 | ちょっと可笑しいよ
 市議会議員を永年やっていても、いつも疑問に感じることが多くある。ひとつひとつ書き出せばきりがないが、とにかく議員の常識は市民にとっては非常識なことが多いことである。

 何が違うのかと、よくよく考えてみると、自分達が選挙で選ばれる時は、「有権者の皆さんの代表として」などと演説したりしているのに、議員となって議会人となってしまうと、自分を取り巻く利害の代表者となってしまって、一般庶民、有権者の「市民感覚」から全くかけ離れた「常識」や「面子」で行動したり、言動を繰り返している方が、あまりにも多いのである。

 要するに、「社会を良くする」ためには、何が必要で、どういうルールに則って、公平かつ正しく生きるかではなくて、どうすれば自分と自分を応援してくれる人々の利益や立場を守れるかに、大きな選択の意思があるのである。

 つまり社会的ルールを作ることの出来る議員なのだが、自分達の都合のいいルールを作って、利害が対立する人々の中で、自分達を支援するグループの利害を優先しているだけなのである。

 憲法、法律、条例、規則などが細かく規定されていたり、マニュアルが定められていたりするわけなのだが、行政マンも政治家も、これにただ従うだけではなく、このルールに如何に、社会的モラルというか、社会的常識を加味して、判断できるかが問われているコモンセンス、すなわち良識なのではないだろうか。

 しかし実際の政治の世界を見れば、誰もがわかるように、小泉首相の靖国問題や歴史認識問題、また国連安保常任理事国入りなどに対する発言を聞いていても、他人ごとのような開き直り的発言に終始しているのではないかと感じている。

 アメリカに追従し、日本が米国の51番目の属州と化した今、一国の首相の発言とは思えない、アメリカのご機嫌とご都合を伺う発言ばかりが目立ち、日本国民の意識や気持ちを第一優先していると思える発言はほとんどないと言っても過言ではないのである。

 一地方議会の市議会議員という立場から、他の多くの議会人をみていても、ほとんど同様の感想を持っているのである。

 ある市長与党と称するベテラン議員に問うたことがある。「何故、この議案に賛成なのですか?」と私は、その賛成の理由もしくは背景を聞いたのである。返答がつかさず返ってきた、「だって俺達与党だもん」「うん?}「いや、そう言う立場ではなくて、賛成の理由を聞いているんです」と再度問えば、「何でおたくに、そんなこと言わんとあかんねん」と言われて絶句したのである。

 つまり賛成の理由などなくても、与党として市長提案には賛成するのが当たり前なのである。つまり議員としての行政に対するチェック機能も批判力も全く持ち合わせてなくて、市長に全面的に協力する議員集団として、与党と名乗っているだけなのである。

 何故か、それは選挙戦においても有利であると思っているからであり、市長の支持母体や、背景にある経済団体や有権者の関わる組織に、選挙における協力や資金を仰いでいる場合も多くて、持ちつ持たれつの相互扶助関係であるのである。

 政治家としての資質に欠くと言うか大きな問題なのだが、本人は全くそれが妥当な判断だと思っているわけで、それ以上は考えないのであって、多様な選択肢の中から賛否も含めて判断する時の最大の理由が「市長とその背景にある利害集団の意向」であることに何の疑いも感じない人たちなのである。

 私は少なくとも、多くの普通の市民、有権者にとっての最良策を検討して、議論し、多様な選択肢を先進例や学者や調査実態を参考にして、賛否の選択には慎重な審議と問題提起が必要だと感じて活動しているのだが、賛成の理由をあっさりと「与党だから」と答える議員連中とは、議論もなにも出来ない空虚さしか感じられないのである。

 政治家に欠けるものは、一般社会のモラルと良識であると言わざるを得ないのである。
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陽の長い、夏至の日

2005年06月21日 | 季節の話題
 夏に至ると書いて、夏至(げし)という。今日6月21日が夏至であり、太陽が天球上で一番北に位置する日で、北半球では昼間が最も長く、夜が一番短い日となります。

 24節季の一つで、冬至と比べると昼間の時間が4時間50分ほど違い、日の出と日の入り時間が2時間余も早く、遅くて、夏至の昼間は14時間35分、夜は9時間25分程となっています。しかし大抵は梅雨のシーズンであり、うっとうしい時期になります。

 しかし北欧諸国の様に冬が長くて暗いイメージの国々では、この夏至の日を特別の喜びで迎えられて、盛大な「夏至祭」が行われるそうで、日本とは全く違った喜びの季節のようです。

 日本では最近、何故か夏至の日である、6月21か22日の日は、地球環境の温暖化防止のキャンペーンも兼ねて、エコキャンペーンとしての夜の街の灯りの消灯を呼びかける企画がされていて、今日も京都では、京都駅前烏丸口のシンボル、京都タワーなどの市内の企業や公共施設の一斉消灯が行われたようです。

 私もこのキャンペーンの意義には賛同して、夜8時頃からテレビを消してと思っていたのですが、プロ野球交流戦後のセリーグペナントレースの首位攻防戦となる、わが阪神タイガースが宿敵中日ドラゴンズに専制されて負けていたのに、逆転の試合運びとなったために、テレビ中継を消すことが出来ずに、見てしまいました。

 どうもすみません。なかなか日常生活のリズムや習慣を少しでも犠牲にして、地球温暖化防止策に何らかの協力をと思っていても、こんな体たらくではダメですね。反省すると共に、次回阪神の中継のない日に、夜間のテレビや灯りを意識的に消すことを約束します。

 夏至の日としての特別な心情は特になく、一日を終えようとしている現在ですが、入梅はしたけれど雨は中休みで、今日の夕刻などは涼しい風が吹いていて、年取った母と町をゆっくりと歩いていても、全く暑さや寒さを感じない、いい散歩日和だったと感謝の夏至日の一日でした。

 もう一年もほぼ半年が経過して、6ヶ月後の冬至を迎える時には、何とも忙しない師走のあわただしさの中にいるのかと思うと、時の経つ速さと共に、一年の四季のうつろいを24節季に分けて、名づけた古代の人々の季節を大切にした心情を、夏至の日に改めて感心して覚えることができました。

 夏至、字の通り、夏に至る入り口です。これからの梅雨を経て、本格的な夏の到来を、健康に留意して、元気に今年も迎えたいと願っています。年老いた私と家人の母の健康をも祈りながら、・・・。
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サラ金CMは犯罪だ。

2005年06月20日 | 日本の課題
 先日、私の町のバス停付近に、大きな目立つ色の看板が至るところに設置され、電話番号が大書されている例のサラリーマン金融と言えば聞こえはいいが、昔で言う高利貸しの誘いの不法広告物が放置されているのが、あまりにも目立つので市役所やバス会社に撤去を要請した。

 以前から、市内のいたるところに派手な広告があって、美観も損ねるし市民生活に役立つというよりも、悪魔の誘いの様な広告だと感じていたので、強く不法広告物としての撤去を願ったところ、幹線道路沿いの不法広告物が一斉に撤去されて、すっきりと美しくなって良かったのである。

 しかしテレビ、新聞紙上の広告としては、ほんとたくさんの消費者金融と称する「高利貸し」会社の宣伝が、多くは若い女性タレントやお笑いタレントを使って、派手に簡単にお金が調達できることを宣伝しているのである。

 その大半は年利10パーセントから20数%に及ぶ、高利のいわゆるサラ金であり、最近は何と大手市中銀行とタイアップしたものや、コンビ二でも簡単に出金や返済ができることを謳い文句にしていて、より利便性が高くて、若者を中心に、ちょっとしたお金の調達から、とんでもない返済地獄への階段を落ちて行くケースが多発していると聞く。

 私の持論だが、昔はサラ金に引っかかるのは、男性はギャンブルと女遊び、女性はブランド買い物と新興宗教などと相場が決まっていて、甘い誘いと享楽にウツツを抜かすと、後はサラ金地獄が待っていて、一家離散や自己破産と言った実態に追い込まれて行くのがオチなのであった。

 日本の現代社会の経済的価値観だけに煽られて、「お金、お金」の生活に追いやられた人たちが、最後にすがる様に頼りにしてしまうのが、「サラ金」であり、その甘い誘いや罠が、町中にあふれていて、また新聞、雑誌、テレビに毎日の様に登場するCMとして、当たり前の様に茶の間に堂々と登場しているのである。

 現在のサラ金規制は、全く緩やかなもので、多くのサラ金業者が暴利をむさぼっており、毎年の長者番付と言われる、国税局、税務署の高額納税者リストには、あの名高きサラ金業者の会長や社長や親族が多数ランクインしており、また政治家や政党への政治資金も多額に及んでいるのである。

 政治とは、ほんとうはお金に困っている国民を助けるべき立場に本来はあるのだが、こうした高利貸しサラ金の野放しに近い規制のなさで、低所得者国民や、ちょつとした誘惑に弱い、ギャンブル好き、頼れる新興宗教などにお金を貢ぐ人たちが絶えなくて、業界は非常に不況下で潤っているのである。

 強いもの、悪いものの見方として政治が関与していて、その利益や役得を還元されて、政治活動が成り立っていると言う、とんでもないからくりのひとつが、ここに放置されているのである。

 新聞、テレビ、雑誌などのマスコミメディアも殆ど、こうした実情を指摘したり、問題にせず、そうした大手サラ金業者の広告宣伝を野放しで許容して、巨額の広告費収入を得て、表向きはジャーナリストを要して公正な報道や不正を正すメディアとして君臨しているのである。

 犯罪に近い「サラ金」のコマーシャルを町から、テレビ、新聞、雑誌から絶って、健全な市民生活の中で、経済的に困る住民達をサポートする公共的機関が必要なのではないだろうか。

 サラ金CMは、犯罪同然である。
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劇団四季のアイーダ

2005年06月19日 | ファミリーイベント
 日本でのミュージカルの専門劇団として名高き、劇団「四季」の「アイーダ」を京都劇場で一年ぶりに鑑賞した。

 今月7日からの「京都劇場」での「アイーダ」のアンコール上演が好評だと聞き、33回目の結婚記念日の思い出にと、何とか指定席を予約して期待して鑑賞に向かったのである。

 地元の京都FM、アルファステーションでも、番組パーソナリティである女性DJが、この「アイーダ」を観て、最後に感動で涙を抑え切れなかったと言っていたので、日本のミュージカルも、そこまでのレベルに達したかと、ある種の期待を胸に会場に入り休憩20分をはさんで前後半、約2時間30分の上演を見守ったのである。

 ストーリーは、古代エジプトの若き将軍ラダメスと侵略されて奴隷となった小国ヌビアの王様の娘アイーダを中心としたエジプトを舞台にしたお話しなのだが、幕が開いた最初の舞台は、現代の博物館であり、そこで出逢う二人の男と女が古代エジプトを舞台にしたストーリーの主人公だったのである。

 もともとの「アイーダ」はヴェルディの作曲の作品だったのを、エルトン、ジョンの音楽とディズニーのスタッフが現代的にプロデュースし上演したブロードウェイミュージカルを、浅利慶太氏が企画、監修し、日本語版の作詞、台本を書いて製作したものである。

 ラブストーリーをテーマにしたミュージカルとしては、それなりに完成しているのだけれど、どうも日本人の感性には、しっくりくるような演出とはなっていない様に感じたのである。

 主演のアイーダの濱田めぐみ、ラダメスの阿久津陽一郎、ラダメスの婚約者エジプトの王女アムネリスの佐渡寧子と各々の出演者は、充分な演技力と歌唱力で演じているのだが、どうも全体的にはしっくりと行かない感じであったのである。

 以前に見た、ライオンキングや美女と野獣の舞台は、ステージエンターテーメントとしての迫力と舞台の大掛かりな仕掛けと共に、やはり舞台ならではの迫力とショーマンぶりを堪能できたのだが、今回の「アイーダ」は少々期待はずれに終わってしまったようである。

 日本でのミュージカルの長期公演の先駆者である、浅利慶太氏が企画、演出するミュージカルは、既に一定以上の市民権を得ていると思われるが、前売りチケットが1万円を越すお値段と内容の満足感としては、前作と違って少し物足りなさを感じたと正直に記しておこうと思うのである。

 まだまだ日本でのミュージカルは、文化、芸術活動としては日が浅く、外国作品の日本語化や歴史、文化の違いから来る、受け取り方の未成熟さもあると思われるが、絶対的な迫力と舞台芸術としての圧倒的な驚異があれば、値打ちを感じられるものなのだと思うのだが、まだまだ日本語と曲の違和感や舞台衣装と日本人のギャップ、またマイクを通しての歌唱の限界など、多くの課題がある様である。

 笑っていいともの司会者、タモリこと森田一義氏は、以前より何故か日本のミュージカル上演の「歯がゆさ」を語り、あまり見たくないと語っていたように思うのだが、私は日本にも日本人の精神風土や感性にぴったり来る様な作品と脚色演出によっては、日本人が拍手喝采するミュージカルが育つと信じてやまない一人だが、まだ違和感を拭いきれない舞台だった。

 心からの感動に満たされて拍手をおくる感じではなくて、一曲を歌い上げた舞台の役者に「ご苦労様」と健闘をたたえる労いの拍手が、それなりにはあるのだが、もうひとつ盛り上がりには欠く舞台だった。

 舞台のフィナーレも、興奮と喜びがあふれる様な仕掛けやダイナミックな舞台演出も感じられないままに終わったのに、出演者全員がかわるがわる出て来ては、何度も何度も並んで観客に挨拶をする儀式が続き、さらにしらけた雰囲気を感じてしまったのである。

 がんばれ、日本のミュージカル!、劇団「四季」の舞台に今後も期待するものとして少し苦言を呈しておくこととする。
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