ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

おまえ百までわしゃ九十九まで!

2013年03月25日 | 感じたこと
長寿ランキングが発表されて、男女とも長野県が一位で、長年日本一と思っていた沖縄県は女性が三位、男性は何と30位という結果だった。

 長野県の結果は、偶然ではなく長年の県をあげての健康で長生きできる施策を地道にこつこつと積み重ねて来られた成果であり、いろいろと参考になることが多い。

 一方の沖縄県は、1985年の調査では男女ともに一位だったが、それ以降の特に食生活が経済的にも豊かになったこともあり、肉食中心のアメリカナイズされた食生活が盛んになり、塩分や脂肪分の過剰摂取や運動不足による、健康水準の低下が原因とみられ、ショックを隠しえない。

 
 かつては、塩分の濃い食品を好んで食べていた内陸部の長野県の人たちに、脳や心臓などの疾患で亡くなる人が多く、生活習慣病などの状況を改善すべく、県や地元行政と共に地域医療を掲げた地域の病院と医師、看護士、栄養士やボランティアの皆さんが、真剣に減塩の食事と軽度な運動の奨励を目指して、県民への具体的な提案や指導を行ってきた成果が、大きな長寿という結果として出たらしい。

 

 厚生労働省が5年ごとに行う「都道府県別の平均寿命」調査の2010年の結果で、長野県は男性80.88歳、女性87.18歳で、男女ともに全国一となり、男性は1990年から連続5回も1位で、女性の1位は今回初めてだが、その背景には数々のたゆまない努力と継続的な取組があった様である。

 長野県は雪の多い冷寒地であり、かつては冬場に野菜が採れないこともあって、野沢菜をはじめとする塩辛いお漬物をたくさん食する習慣があり、味噌も産地であることから多く摂取していて、そういう食生活の習慣から血圧が高くなり、体には決して良くないことは明らかだったので、危機感を持った県が「減塩」と共に「野菜をよく食べる」そして、「運動を根気く取り組む」ことを奨励したという。

 その結果、厚労省の2010年の国民健康・栄養調査では、長野県は20歳以上の男女の野菜摂取量は全国トップであり、地域での住民の保健指導に当たるボランティアがほぼ全市町村に配置されて、一人暮らしのお年寄り宅を訪問したり、生活習慣病に関する住民向け研修会への参加を呼びかけたりの努力を重ねてきた。

 女性の長寿が長年トップだった沖縄県は、本土復帰後初めて1位から3位に転落と言うショックを受け、沖縄県の仲井真知事は、結果を厳しく受け止めているとガックリ、また男女とも全国で最下位と言う不名誉な青森県は、長野県同様に寒冷地の特徴は似ているので、長野県に習い今後の県民の健康長寿への対策と指導に力を注ぎたいと関係者は語っている。

 一日平均、350グラムの野菜をとり続けるのが健康維持の基本とされているらしいが、塩分を控えめで多くの野菜を旬の季節に多様な料理で食し、グラム数や数値的栄養摂取にとらわれずに、楽しく多種類の野菜を食べるのが大切だと思う。

 最後に、やはり気になるのは多くの野菜と言っても、農薬がいっぱい使用されている農産物も多いし、福島原発事故以降は放射能汚染も気になるし、現代の子供たちに特に多いアトピーをはじめとする症状が、高度経済成長期以降に多くなっているのは、間違いなく食品添加物や化学薬品などによる弊害であり、できる限り目には見えないが、添加物が少なく農薬も使用されていない食品や農産物を食べれる様に、農業、食品製造、そして市場も消費者も選択の余地がある食品選びを心がけたいと思う。

 本当に「おまえ百まで、わしゃ九拾九まで」の健康な長寿を誰もが望んでいる。
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飛散は悲惨。

2013年03月24日 | 季節の話題
 ようやくお彼岸も過ぎて、本格的な春の到来を感じさせる桜の花が急に咲き出して、喜ばしい春の訪れなのですが、今年の{花粉症}はとてもひどくて困っています。

 今年に入って、中国の都市部を中心とする大気汚染の結果とされている「PM2.5」と称される微粒子と共に、タクラマカン砂漠から毎年春に南下してくると言われている「黄砂」があいまって、何と「飛散3兄弟」とまで言われる「三重苦」とでも言うべき悲惨な攻撃にあっ田ているのです。

 数年前から始まったと思われる「花粉症」と思われる症状ですが、毎年鼻水や目の痒みはあっても、何とか医者に行って診察を受けたり、特別な薬を飲むことまではしなくても、季節の移ろいの中で自然に通り過ぎる感じで、軽度の花粉症と自認していたのですが、今年の三重奏とでも言うべき敵は、なかなか厄介な代物で、戦いが必要な気がしています。た

 それと言うのも、例年通りの鼻と目の痒さと鼻水やくしゃみは尋常ではないのですが、今年は遂に「喉」までもがヤラレテしまった様で、先日より声変わりをした如く、いつもの自分の声が可笑しく変貌してしまいました。

 何とも、はじめは風邪かなと少し思ったのですが、熱も無く心身にダルさやしんどさは感じなかったために、さては?と自問自答したところ、この悲惨な飛散の三重奏にやられたのだと自覚せざるを得なくなった次第なのです。

 そういえば、妻も一週間ほど前から、「声が出ない」とうつ耐えていて、大好きなコーラスの練習でも支障を感じている様子だったのですが、夫婦仲良く?揃って、ただこの疫病神の様な「飛散3兄弟」にやられただけだったみたいなのです。
 
 そこで、対症療法でもいいから、医者には行かず西洋医学の投薬などに頼らず、自らの自然治癒力と共にサポートしてくれそうな漢方薬などをと知人の薬剤師さんに尋ねたところ、たぶん効くだろうと難しい名前の対応薬を教えてもらいました。

 その名は、一般的な「葛根湯」に始まり、「麻黄附子細辛湯」(まおうふしさいしんとう)、そして「小青竜湯」(しょうせいりゅうとう)などが良いとのことで、この症状が長く続く様だったら、漢方の専門薬局で購入し、持久戦で戦おうと思っているのです。

 今週になって、気づいたことなのですが、私はメガネを常用しているために、簡単にマスクを着用することも出来ず(マスクを使用するとすぐにメガネが吐息で曇ってしまい、自動車運転にも支障が生じるし、他人とお話をする機会が多いので、使用しないことにしているのですが、あまりにもメガネが汚れるので、ついついタオルハンカチで何度もメガネを拭いていて、結局メガネに小さな傷をたくさん作ってしまいました。

 「あぁ、自分でレンズにキズをつけてしまった」と後悔しても後の祭りで、これはメガネ屋さんの陰謀?かとも思いましたが、黄砂やPM2.5が混じった飛散3兄弟のせいだと気づいてもどうにもなりませんでした。

 お客さんや知人からは、抗生物質の注射、投薬、鍼、ハーブティー、紫蘇ジュース、馬油などと共に、つぼマッサージなど、多種多様な対応策や特効薬を薦められたりするのでずが、頑固にいまだ対症療法には手を出さずに、ティッシュと目薬でその場凌ぎの対応をしているに過ぎません。

 しかし、花粉症如きとは言え、戦いを挑まないといけない時が近づいている様子なので、喉に効くと言われた「破響麻笛丸」(はきょうまてきがん)という漢方薬を切り札に来週は戦ってみようかと現在思案中なのです。

 今年の花粉症は、この飛散3兄弟の連携による悲惨な攻撃で、撃沈寸前まで責められていますので、起死回生のホームランとでも言うべき妙案、アイデアがあれば思いきってチャレンジして、是非打ち勝ちたいと決意しています。

 どうか博識、経験のある方々、ご一報下され。
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プラチナデータ

2013年03月23日 | 感じたこと

一昨日、春休みに突入する間際の小学5年生のK君と一緒に嵐の二宮和也が出演している映画「プラチナデータ」を観た。

 映画はご存知の方も多いとは思うが、東野圭吾の同名小説の映画化であり、近未来に国民の全てのDNA、つまり遺伝子情報が法により国家に登録管理されて、あらゆる犯罪捜査もこのDNA情報の判別によって犯人を確定することができるという時代を想定した小説であり、二宮君が演じる主人公神楽は、水原季子が演じる妹を殺害したとのDNA情報から推察されて逃亡の身となるのだが、本人には妹を殺害したという自覚は無く、二重人格的な一方の自分がやったのかもしれないとの自問自答の末、DNAデータファイルには、別に特別な「プラチナデータ」と称される「隠されたファイル」が存在することに気づかされるのであった。

 そのファイルは、妹をモデルに主人公が描いた絵の裏に隠されていた秘密のファイルに収められていることをのを豊川悦司演ずる捜査刑事が発見し、彼の無実が明されると共に、NF、つまり「見つからない」とされていた真犯人探し当てるDNA情報が母親であり、このシステムの開発研究者でもある鈴木保奈美演ずる医者であったことが判明し、彼はその事実に驚愕しつつ、母親を許すことが出来なくて母親が自分を狙った銃で殺してしまうのである。

 このドラマのストーリーの意外性というか、最後のどんでん返しの様な結末は、さすが東野圭吾の小説の面白さだなと関心すると同時に、さて小学5年生の少年に、この「プラチナデータ」の真の意味がどれくらい理解できたのだろうかと思たのである。

 映画を観終わって車で帰る途中に、K君に「プラチナデータ」が理解できたかを聞いてみたのだが、やはりストーリーは観ていたら理解できたのだが、果たして真の意味や、この小説が語りたい問題は何かについては、小学5年生の少年には少し難題だった様であったので、私なりにか語ったのであった。

 社会的に優れているとされる所謂「偉い人」や「大切な人」、「賢い人」「有能な人」などを優先して選別し、そういう人たちのDNAについてだけは、一般市民、国民とは区別して別ファイル、すなわち「プラチナデータ」として秘密裏に管理して、そういう人たちの知能、財産、地位等を守ると共に、一方では「人間のくず」とか「馬鹿やアホ」と呼ぶ一般群集は、存在価値が無い如く扱い、結局は「優性思想」とも言うべき発想で、エリートや特別な人たちだけを守り、突き詰めればハンディのある人や社会的に役立たないと判定した人たちはどヴてもいいという様な権力的、非民主的、不平等な社会を創造しようとしている輩達の実現不可能なドラマではないかということを説明したのである。、

 たとえ、娯楽的映画であり、ジャニーズグループの嵐の二宮和也が主演しているとは言え、一つ間違えば、このような暗黒、陰鬱な権力機構が管理する社会、つまりDNだけでなく、国民総背番号社会みたいな国家権力による、人権や個人のプライバシーまでが無視されたり、差別される社会をつくってはいけないというメッセージだと感じたのである。
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バリ島の体験

2013年03月14日 | 感じたこと
 数年前にひょんなことから私自身がインドネシアのバリ島へと行くチャンスに恵まれ、初めてバリ島を四泊五日の日程で訪れた時の奇妙な?体験の話である。

 それは「ニュピ」と称する宗教的?なバリ特有の一日であり、バリ島全土で人の行き来が止まり、宿泊している観光客もホテルや宿泊地内から外には出ないという、風変わりとというべき奇妙な風習の日のことである。

バリ島と言えば、インドネシアでの避暑地的観光地でもあり、インドネシアの国民の多くがイスラム教徒であるのだが、歴史的な過去のプロセスもあって、この島「バリ」だけは、何故かヒンズー教徒ガ大半だという「神秘の島」だったのです。

 前記の「ウブド村暮らし通信」の3月12日発信は、「きょうは「ニュピ」」と題して、静かですね、朝から鳥の鳴き声、虫の音しか聞こえません。テレビやラジオの電波は停まっているので音楽も音声もなし。道路には人っ子一人いません。もちろん、車、バイクも走りません。空港が閉鎖されているので、飛行機は飛びません。港も隣のジャワやロンボク島からのフェリーは動きません。人間の活動を全く停止させたようなむ一日、皆さん想像できますか。

 バリは今日、「ニュピ」です。バリ・ヒンズーの暦で1935年の元日です。夜明けから、明日の朝まで、人々は家の中で静かに神に祈り、ゆく年を振り返り、くる年に思いをはせながら、家族とともに過ごす日です。

 この一日、観光客とて例外ではありません。宿泊のホテルやビラの中から一歩も外出せず、敷地の中で静かに過ごしています。バリ在住の人の中には、狭い屋敷内に閉じ込められるのを嫌って、ニュピ旅行とか言って、島外へ出たり大きなホテルに待避する人もいます。

 逆に、こんな体験はめったに出来ないと、わざわざこの日を選んで、日本からバリ島へ宿泊にやってくる人もいます。皆さんも一度、この一日を味わいにバリ島へ、どうですか。

 ニュピ、こんな一日を、地球規模で実施できないかなぁ。というのが私の夢です。地球上の全ての人が、一日むだけ日常の活動をストップし、静かに人間の存在や地球規模で課題となっている食糧やエネルギーについて、ゆっくり考えてみる日があればなぁ、と。「ニュピ」をバリ島から、世界へ、輸出しょう!

 ざっとこんな通信でしたが、実は私が予期せぬ「ニュピ」の日に出くわしていたのです。

 四泊五日で明日は仕事の関係もあって、帰国するという予定の日に「明日かえります! 」と告げたら、「明日はニュピで、飛行機は飛ばないよ」と初めて教えられ、結局はじめてのバリ島への旅は、初めての予期せぬ「ニュピの日」体験となったのでした。

 急遽、のんびりと過ごすつもりだったバリ島ウブドでの時の経過が、最後には国際電話を数本かけて、あわただしく帰国が一日遅れることを家にも仕事の関係先にも知らせなければなせない、ばたばたとして最後となりましたが、邪気払いの儀式で台所の道具を敷地内で打ち鳴らしたり、田畑を見ながらの読書の時間となったり、犬と戯れたり、食事をゆっくりと楽しんだりも出来たので、とても愉快な奇妙な体験となりました。
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「春が来た!」

2013年03月04日 | 感じたこと
 やっと春が近づいて来たという実感が、花粉症の影響で鼻に来て目に来た。

 二月末に、気象庁が発表したところによると、今年の二月の冬日と称される零下の気温を記録した日が、関西地方でも10日以上あって、1986年以来の寒さだと言う記録だと言うのだが、今から27年も前の年の冬が如何に寒むかったかなどは覚えてもいないし、誰もが27歳も若かったので、寒さが堪える年齢でもなかったせいもあるのだが、この年は何と一冬で30日も最低気温が零下だったたらしく、戦後の記録的な寒さの年だったらしいが、それに次ぐ寒さが今年関西地区では記録されたという。

 しかし、昨日の北海道での9名もの車の中での一酸化中毒死や行き倒れ的凍死事故という信じ難い死亡事故の報道を聞くにつけ、関西地方に住む我々にとっては、「寒むかった」と言ってはいられないくらいの厳しい寒さと雪の被害が東北、北海道、北陸、甲信越地方では起きている様で、「春が来た!」と浮かれていてはいけない雰囲気でもあるが、やはり「暖かさ」が近づいて来ることは、ただ単なる喜び以上の嬉しいことである。

 自然界では、花や鳥や虫たちが今か今かと「春」を待ちわびているかの様に、あちこちでその兆しを感じて動き出していて、我々人間に目や鼻や空気感で「春」を告げてくれている。

 「ふきのとう」、「チューリップ」、「つくしんぼう」、「めじろ」、「ウグイス」「梅の花」と様々な花や植物や鳥たちが目を出し、姿を現し、私たちに嬉しそうに「春」を告げてくれているのである。

 私は二月から三月、たった一日が経っただけなのに、何故にこれほどまでに「春」を感じて嬉しく感じるのかと、自分自身がおかしいのではないかと思うほどに、今年のここ数日の春を告げる自然界の変化に心が躍る思いで満ち溢れていて、昨日、一昨日と実は「三寒四温」と言うが如く、ちょっと寒さが堪える二日間だったのにも関わらず、「春が来た」という実感で心と頭は「春一色」であったのだが、外気はまだ冷たく、我ながら「アホかいな」思うほどとのギャップも感じていた。

 昨夜はWBC、ワールド・ベースボール・クラシックの対中国戦で、日本は辛うじて勝利して、ブラジルにも勝ってむいるので今夜二次リーグへの進出が決まったそうなのだが、「球春」の到来は感じつつも、どうも今年のWBCは盛り上がりに欠けていると思うし、「侍ジャパン」と称する山本監督率いる日本チームは、「三連覇」などと囃し立てられてはいるが、チーム力は決して世界一を取れる様な勢いや実力はない様に感じていて、何とか次へとつないではいるが、「世界一」の三連覇は無理だと感じている。

 野球はWBCの開幕で「球春」を迎えて様だが、やはり気になるのは日本プロ野球のペナントレースに向けた「オープン戦」であり、サッカーはJリーグ開幕である。

 「春が来た!」と誰もが感じるには、あと数日かかるそうだが今週末は関西地方では日中の最高気温が19度にもなるという予想が出ているので、いくら「三寒四温」という暖かさや寒さが交互に来たとしても、「春の到来」は間違い無いところだと思うが、昔の人が言った「暑さ寒さも彼岸まで」を信じるとしたら、やはり「三月二十日」の「お彼岸・春分の日」までは、本格的な「春が来た」とは言えないのかもしれない。

 いずれにしても、もうそこまで「春が来ている」ことは間違いのない現実であり、とても嬉しいのである。
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