ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「ゆれる」

2007年01月31日 | 感じたこと
 昨今の映画界は意外と邦画が善戦模様で、外国映画の観客動員数を昨年は、邦画が久しぶりに超えたそうである。

 昨年の日本映画では、フラガール、ゆれる、武士の一分、硫黄島からの手紙、雪に願うこと、嫌われ松子の一生などが話題作としてあげられるそうだが、私は残念ながら、「武士の一分」しか見ていないのである。

 その中で、オダギリジョーと香川照之が兄弟を演じた「ゆれる」という作品の評価が高く、キネマ旬報ベストテンの二位、ブルーリボン賞、朝日ベストテン映画賞一位、横浜映画祭一位、そして毎日映画コンクールでも一位を獲得している。

 この「ゆれる」という作品は、独立系の映画会社の制作のため、全国的にマイナー映画を上演する数少ない映画館でしか上映されなかったこともあって、観た人は多くはないと思われるが、日本映画としては二本目の監督作品となる32歳の西川美和監督の作品である。

 私は観ていないのだが、この作品の「ゆれる」というタイトルに、大変興味を抱いていて、予告編をインターネットで観ただけなのだが、東京で有名なカメラマンをしている弟、オダギリジョーと、家業を継いでいる兄、香川照之の、「橋を渡るまでは、兄弟だつた」というキャッチフレーズに秘められた、兄弟の人間関係と、兄が犯した「殺人か事件か」という裁判を通してストーリーは展開しているようである。

 人間関係には愛情と裏腹に憎しみや打算が、表裏一体になっていることが多くあって、最近報道される事件の残虐さや、信じられない惨劇を見聞きするにつけて、もともとは「優しい人」だったはずの人が豹変して「殺人者」になってしまったとしか思えないケースが続出しているように思えてならない。

 人間の心の中は、自分が一番よく知っているつもりなのであるが、ちょっとした出来事がきっかけになって、「揺れだした心」を終息させることが出来なくなって、恨みつらみが重なって、取り返しが付かない憎悪となって、突然噴出してね凶行に走ると言ったケースとしか想定できない事件の数々が今年に入っても連続して報道されているのである。

 何が人の心を、そうまでも「揺らす」のかは、個々のケースや、個人の資質によって大きく異なるのであろうが、とにかく「ゆれる」心の奥底に潜んだ「憎しみ」や「悪意」を、翻すことが出来ない人間が、確実に増加していると思われる。

 すぐに「切れる」と昨今の子供達のことを言う大人が、自らの心の中の「大きなゆれ」に気づいているのだろうか。

 「ゆれる」は、人間特有の理性とモラルの間で、誰しもが、多種多様に経験していることではあるが、その「ゆれ」を少しでも宥めていく術を知らない大人たちが増えていることも確かである。

 いっぱい「揺れてもいい」が、「ゆれる」両極端な答えに、身を任してしまったら、人間の行動や言動は、とんでもない方向へとなびいてしまう危険性を秘めているのである。

 「ゆれて、ゆられて」、是非、人間らしい「いい結果」を導き出そう。
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失言ではなく確信犯!

2007年01月30日 | とんでもない!
 とんでもない発言が、柳沢厚生労働大臣から飛び出して、自民党だけでなく、各党が大騒ぎとなっている。

 「女性」を「産む機械」と称したということだが、人口統計上、わかりやすく理科系の人間なので説明しようとしたら、そういう表現になってしまったと弁明しているらしいが、全くの本音が出たとしか言い様のない確信犯である。

 女性議員が超党派で、柳沢大臣の辞任を要求し、民主党、社民党、共産党は、こぞって国会の予算審議を、大臣辞任が成されるまで出席しないことを決めたらしい。

 確かに失言などという次元ではない、全く驚くべき発想の言葉であるが、たぶん柳沢大臣の世代では、多くのお偉い男達は、似たような考え方を持っているのかもしれないと思うほど、「人権」や「ジェンダー思想」には乏しい面々が、国会だけでなく、地方議会の議員の中にも大勢いるのが現状である。

 この「産む機械」発言も、とんでもない事件だが、その陰に隠れそうな事件が、もうひとつ報道されている。

 それは今から6年余前になるが、NHK教育テレビで放送予定だった「戦時中の日本の従軍慰安婦」を扱った、国際女性フォーラムに関するドキュメンタリーの番組内容に、当時の安倍官房長官と中川農林水産大臣が、「放送の中立性」という建前で事前鑑賞した上、圧力をかけたという事件に対する、裁判の判決が出たことである。

 当時のNHKのディレクターや番組制作会社の社員らは、放送直前に番組内容の改変を迫られて、大変な苦労を余儀なくされ、ついには自主規制的な部分も含めて、中国大陸における日本軍の従軍慰安婦として、朝鮮人、中国人らが強制連行されたなどという部分がカットされたというのである。

 現自民党中川政調会長は、「私は被害者である。今も闘っている。」とぬけぬけとテレビのインタビューに答えているが、全く信じられない欺瞞であり、全く関与していないとすれば、何故事前に放送内容を知って、NHKの報道番組制作関係者と会う必要があったのだろう。

 決して「どうこうせよ」と指示していなかったとしても、自民党内閣の中心的人物である安倍晋三氏と中川氏が別々に、NHK幹部と会うこと自体が圧力であり、大いなる力なのである。

 被害者は中川ではなく、下請けも含めた制作会社と社員たちであり、改ざんされた番組を見せられた、国民聴視者なのである。

 安倍晋三首相は、このことについては、殆どコメントされていないが、安倍、中川両氏だけでなく、自民党の右翼政治家の中には、南京大虐殺を否定し、従軍慰安婦を歴史から抹消しようとする、とんでもない輩が多数存在しており、「女性は子どもを産む機械」だと言った柳沢厚生労働大臣と同等の意識と、自分の都合でのみ考える「歴史的歪曲」をも厭わない政治家達がいるのである。

 
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時とチャンス

2007年01月29日 | 感じたこと
 みなさん、人生の長い道程をどの様に歩いておられますか。

 この世に生を受けて、小中学校の頃までは、地元の義務教育としての指定された学校に行かれた方が大半だと思いますが、高校進学からは、学校の先生や両親との相談をしながら、自分の行くことができる可能性のある高校の試験を受けて、進学すると言う決断をされたことでしょう。

 でも大学進学がもっと大きな難関でもあり、将来の自分の仕事の可能性や勉強、研究の興味や好奇心を如何に満足させつつ学べるかを、シュミレーションしながら、自分の成績でチャレンジできるか、偏差値などを参考に決断されたことだろう。

 先週末のセンター試験が終わって、いよいよ各大学への二次試験になるわけだが、これからの時代を見通すことはできないが、大学で全てが決まるわけではないので、おおらかに大胆に、志望校にチャレンジしてもらいたいものである。

 人間が他の動物と違うのは、古い哲学者によれば、理性を持ち合わせていることよりも、イマジネーション、すなわち想像力を持ち合わせていることが人間の偉大さなのだという。

 しかし、いくら想像力と言っても、自分勝手に、いい夢を見ていても、現実はなかなか自分の思うようにはならないものである。

 しかし、人が人として可能性のあるチャレンジは、いつでも誰にもできるはずである。

 冷静に考えてみよう。可能性はあるが、そのチャレンジの時が今か、それとも次のチャンスなのかは、自分だけでは分らない時が多いものである。

 何でも強い意志力で、やり通せば、何事も大抵は叶うものであると、先輩は言っていたが、世の中はそう甘くはない。

 人生に訪れる、多種多様なチャンスに気づかない場合の方が多いのだが、そのチャンスの時に、自分自身が充実した心で、そのチャンスを察知して、「今だ!」と飛び立つことができたならば、結果はどうであれ、半分は成功したのも同然なのではないだろうか。

 つまり、人生に訪れるチャンスの時を、感じることが出来るか否かで、転機や違ったステージへの飛躍が可能になる入り口に立つことができるのである。

 日頃から、全身全霊を尽くして、自分がどうありたいか、またどうなりたいかを自問自答していれば、多くのイメージの中にリンクする多くの情報が、その時を教えてくれたり、またその情報に押し出されるように決断に至ることもあるのである。

 人間の年齢、経験、そして出会いと情報、世の中の流れがどの様に動いているのかを感じながら、自らが何処に身をおいて、どの様な仕事に携わるかを、たまには違ったテンションでシュミレーションしてみたら如何だろうか。

 大学、就職、家庭、仲間の中で、自分が担っている現在を見つめなおして、新たな舞台へのチャレンジを試みようではないか。

 誰もが、今に甘んじていてはならない。ぼち、ぼち違ったステージをシュミレーションして、「見る前に跳べ」ではないが、決断をする時が必要である。
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自然と文化を誇れる町に!

2007年01月28日 | ちょっと可笑しいよ
私の本業は、市議会議員である。仮の姿が八百屋のおっさんであり、バザールの主催や毎年の内モンゴルの旅、男の料理サークルや独居高齢者へのお弁当配達のボランティアなど、多種多様に走り回っているのである。

 どこの地方自治体でも、年に原則的に4回の地方議会が開催されているのだが、私は、最初の当選後の議会から、概ね議会定例会が終了して1ヶ月以内に、このブログの表題と同じ名の「ガリバー通信」をB4の裏表の二つ折で発行している。

 しかし昨年9月議会の報告を中心とする「ガリバー通信」の原稿を、未だに使っているワープロに入力していたのだが、何とフロッピーディスクへの保存が効かなくなってしまって、大慌てで、パソコンでの編集、印刷へのレイアウトをと作業しようとしたら、今度はパソコンのプリンター
との連動が悪く、プリントアウトが汚く読み辛い状態になって断念したのである。

 年が改まって、昨年末の12月議会も終えての、2回の定例議会の主な報告をあわせての「ガリバー通信№61」を漸く、先日編集、印刷し、配布しだしたところである。

 市内6万4千人余の住民の全ての皆様には届けることは困難なため、2万4千世帯と言われる世帯数のうちの、約3分の1を超える家庭には届けたいとの趣旨から、今回は約9千部を印刷しようと、中古で購入し約10年近く使っているリソグラフの印刷機を騙し騙し動かして、数百部がミスプリントや汚れで破棄され、実質は8500部程度である。

 今回の一面の表題が「自然と文化を誇れる町に!」であり、私が4期16年議員として活動させていただいていて、一番感じたこととして、京田辺市の将来的都市像として掲げられている「緑豊かで健康な文化田園都市」というキャッチフレーズは、いいのだが、ちっとも市政の中で重要視されていないばかりか「絵に描いた餅」の様になっていると書いたのである。

 また現市長が、いつも口癖の如く言われる「あなたと共にまちづくり」という台詞はあるが、住民の要望や願いに耳を傾けて、まちづくり施策を行う形になっていないことも強調しました。

 現市長による、市政を振り返ってみると、「従来の町政を踏襲し、既存の利権や地域の力関係に抗することなく、無難に争わず継続すると言った手法で歩んでこられただけです。

 そこで、住民の多くが期待している「自然環境保全策や文化施設及び育成支援」等への積極索がない現状から、次期市長には、高齢者や子どもたちを含む住民たちが、「心豊かに健康で、自然と文化を享受できる」まちづくりを、じっくりと目指していただきたいと強く願うと記した。

 配布後、電話や道行く人からも数人に、「ガリバーさんの言う通りや」と賛同の趣旨の言葉をいただき、より一層、私自身の主張を多くの住民の方々に届けて、今春の統一地方選挙に、再度臨まねばならぬと、力強いエールを送られた気分で、嬉しくも感じ、また精一杯やる気分が盛り上がってきている。

 明日から、また足を棒の様にして、町々を通信配布で駆け走ろうと思っている。
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新聞、テレビのやらせ。

2007年01月27日 | とんでもない!
 先日の、関西テレビ制作の「あるある大辞典」の「納豆ダイエット」という、「やらせ番組」というか、でっち上げ情報番組が大問題化して、社長の辞任の可能性まで出てきた。

 また不二家の賞味期限切れ牛乳の使用や細菌の発生状態に対する全く衛生観念のない対処の仕方が常とうかしていた件などで、不二家は約千店に及ぶフランチャイズ店に、販売するお菓子を製造し納品できなくなって、同族的会社が始めて同族外の社長に交代した模様である。

 いずれも、民間の企業の大事件であり、社長の交代へと発展し、二度と同様の事件が起きないようにとの社内的調査と、今後へのマニュアル制作など、必死で取り組んでいると思われる。

 しかし、国、府県、地方行政における、一連の不祥事や「やらせタウンミーティング」などによる、世論形成などは、従来から一部の新聞、テレビを含むマスメディアを大々的に使って、やっているのだが、その時の一過性の問題になることはあっても、その大元締めである、政府、内閣、政治家などは責任をとったためしがないのは、どうしてなんだろうか。

 今日も、読売新聞の調査によると、教育基本法の改正による、「愛国心」の明記に対しての、国民の評価が六割を超えているいう報道がなされているが、どういう聞き方、質問の仕方をしたかは不明であるが、たぶん誘導質問的なやりかたか、選択肢としての答えが、結局は意図的な選択肢が多くなるような質問であったのかもしれない。

 皆さんも多くの方がお気づきだとは思うが、全国紙としての朝日、毎日、読売、日経、産経などにおける意識調査やアンケートにおける内閣支持率や政府の政策や課題に対する国民世論調査なども、大きく結果が異なる場合もあるのである。

 すなわち、何の調査かアンケートかにもよるが、新聞、テレビなどのマスメディアと呼ばれる報道機関の調査の方法や結果が必ずしも正しいとは言えないのにも関わらず、結果としての報道の主体者、つまりバックにおられる方々の都合や考え方に配慮した報道の自主規制や、誘導的報道の仕方も、最近は目立つようになってきていると思われるのである。

 先日の宮崎県の知事選挙においては、「そのまんま東」こと「東国原英夫」氏が当選して、マスコミの脚光を浴びてはいるが、投票日までの事前情報によれば、そのまんま東氏の善戦は伝えられてはいたが、七万票もの大差をつけて勝利するなんて予想したメディアは、ほとんどなかったのである。

 新聞、テレビを中心とするメディア、そのものが大きな政府、内閣、自民党を中心とする権力に、ネコじゃれの如く追従する要素も持っていて、その経済を裏打ちしているスポンサー各社も、センセーショナルに現体制や権力に背くような報道は、まずしないと言うのが常とう手段なのである。

 新聞、テレビのやらせや権力に迎合するしかない性の報道は、決して「納豆ダイエット」や「不安な不二家のお菓子」だけではないのだ。

 意図的に国民を誘導する操作を含んだ報道が日増しに増えているのに気づき、注意しよう。危うい報道内容がたくさんあるので。

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「もう」ではなく、「まだ」の気持で。

2007年01月26日 | 感じたこと
 日常生活には、個人的にも仕事上でも、いろんな心の持ちようで変わる課題が山積しているのではないだろうか。

 時には現実だけでなく、夢でも多種多様な「やらねばならないこと」がプレッシャーの如くイメージされることがある。

 毎日、とりあえず事多しと過ごしてはいるが、自分の心の中では、いろんなことへの優先順位や思い付きが浮かんだり忘れたりしていて、「あっ!」、忘れてたということもある。

 「もう」と思ってしまえばNegativeになるが、「まだ」と思えばPossitiveに考えられるのだが、単純なことなのだが、なかになかポジティブに考えられないことの方が多い様に感じる。

 すなわち、生活や仕事での自分の役割や家族や他人、仲間との関わりの中で、どう積極的に思うか、それとも消極的に思うかの差は、ちょっとしたことなのだが、周りに与える影響や変化は大きいと思われる。

 先日、私の知人の友人から、議員活動に対するエールと共に、同窓生の市内名簿が送られてきたので、その内のお一人の一度お会いしたことのある高齢の女性をお尋ねしようと伺ったところ、ご主人が出られたので、簡単に挨拶をして、「実は○○さんが奥さんの同窓生で・・」と話かけたところ、「結構です・・・」と何故か玄関先で断られてしまった。

 何とも後味の悪いというか、変な虚脱感に苛まれた感じであった。

 私は10数年前に、その奥さんにお会いしたこともあるが、ご主人はご存知ないので、名前を言っても「自分には関係ない」と思われたらしく、様子を察すれば奥様はご高齢で、ひよっとすれば寝込んでおられるのかも知れないのである。

 でも、こちらから丁寧に声をかけているのに、つっけんどんに内容を聴こうともせず、何やら「押し売りのセールスマン」への対応のように返答されたことが、どうも腑に落ちないのである。

 つまり、人間の考え方、生き方、価値観に根ざしているのかも知れないが、目先の生活に新たな可能性や希望が持てない時、人はたぶん「もう何をしてもダメ」と諦めの境地で、他人との関わりを拒否してしまうのではないか。

 逆に、今がどうであろうと、自分もいろんな他人との関わりの中で生きている、生かされているのだから、他人の話にも耳を傾けて、「何の用なのか。まだ何か出来るかもしれない」と返答する方もいる。

 あらゆる社会の事象に対して、自分は「もう」と思い込んで諦めてしまったり、何もしないことよりも、「まだ」と思って、何か出来ることを積極的にやろうとする積極性にしか、未来は開けないのではないだろうか。

 「家庭」や「地域」の中で、引きこもったり、口を閉ざしている人々が、如何に多いかを改めて思わざるを得ない心境であった。

 ショックなちいさな事件であったが、私は「もう」ではなく、「まだ」の気持で明るく可能性ある未来に積極的に関わって生きたいと思っている。
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青少年の主張大会

2007年01月25日 | 地域の話題
 先日、わが町と2市2町の小中学生達が、日常生活や学校生活で感じていること、あるいは大人たちや社会に向けて訴えたいことを、また次代の担い手としての彼らが主張したいことを発表する機会として「地域青少年問題連絡協議会」が主催した主張大会を聞きに行った。

 趣旨には小中学生、高校生と記されていたが、実際は各自治体から4名づつの小中学生だけであったので、「青少年の主張」というイメージよりも、義務教育の児童、生徒の発表会と言った感じであった。

 小学生は全員が6年生で、「私の夢と家族」「空手を通して学んだこと」「ピアノを弾く楽しさ」「僕の目標」「バドミントンにかける」「人にとって犬の存在」などと、自分の家族や趣味、夢、目標など個人的な思いがたくさん聴けた。

 小学6年生の中でも、「町の将来について」や「戦争の恐ろしさと平和の尊さ」「誰もが安心して暮らせる町づくり」などを発表した子どももいて、修学旅行で行った「広島の原爆資料館とドーム」の感想を語りながら、戦争体験者の語り部の強烈な印象から、平和を考えるきっかけとなったと素直に述べていた女の子がいた。

 また特筆すべきは、六年生の女の子だが「言葉」と題して、「言葉を通してのコミュニケーションの大切さ」を身近な体験を通して実感したエピソードを細かな出来ごとで訴えるという、大人でもなかなかじっくり考えていないテーマを掘り下げて書き発表した素晴らしい主張であった。

 一人約5分の持ち時間を、この「言葉」をテーマに話した女の子は、抑揚のある台詞のような言い回しで、丹念に「言葉の意味」と相手に与える印象を考えながら、自己演出することも心がけての発表であった。

 中学生ともなると、一見大人びた感じの子もいるが、発表内容はやはり素朴な中学校での出来事を通して考えたこととして、「いじめのない明るい未来へ」と題して、今日的マスコミでも話題が多く、教育再生会議などでも大いに議論された問題点を、実際の体験から自己反省も兼ねて発表していた。

 いずれにせよ、事前に学校代表として選抜された児童、生徒であり、その発表内容も、たぶん教師のお眼鏡に叶うようなテーマが選ばれているので、突拍子もないような感性や驚きの発想などは主張されるはずはなく、いい意味での若さを感じる発表は少なかった。

 ずっと昔には、成人式にはNHKが「成人の主張」を募集し放送していたし、また留学生達、外国人から見た「日本と日本人」についての主張や思いを発表するスピーチコンテストもあって、私はよく見聞きして、愉しく拝聴していた記憶がある。

 しかし現代の青年達や小中学生達が、本当に心の中で日常田的に悩んだり、感じたり、思っていることの一部ではあったが、何か発表用に「おしゃれした作品」を聴かされた感じがしたのは、私のへそ曲がりのせいだったのだろうか。

 ともかく素直で思ったこと、感じたことをストレートに表現できる若さで、社会に大人たちに大いに語って欲しいものである。
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「救心」を買いに走る

2007年01月24日 | 地域の話題
 市議会議員としての個人の議会報告を、やっと編集し終えて、B4の再生紙に裏表印刷し、刷り上った「ガリバー通信」を家人に手伝ってもらって二つ折りにして、いざ配布へと出かけたのである。

 今回は9000部刷って、市内の住宅へポスティングしていくわけだが、外はまだまだ寒いが、配り出して15分もすると、汗をかき出すくらいで、いい運動にもなるし、それぞれの地域の現状の一端を垣間見ることも出来るので、結構愉しいものである。

 玄関先でお家の方と出会って挨拶を交わしたり、少しでも知っている方の場合は、あれこれと話込むこともあって、予定通りに配布数が伸びない場合もあるが、いつもは聞けない行政への不満や感じられている問題などを指摘されたりして、ありがたいと思ったりもする。

 そんな中のお一人暮らしの80歳を超えた女性が、いつも私の議会通信を50部ほど近くに配って下さっているので、今回もお願いに伺った時のことである。

 夕食後の夜分に伺ったところ、インターホーンから弱弱しい返事が返ってきたので、ちょっと風邪でも引かれているのかと思ってお尋ねすると、昨今の殺人事件の続発をテレビで観ていて、気分が悪くなって、ちょっとしんどいので「救心」を買いたいとのこと。

 一緒に車で買いに連れて行って下さいと頼まれた。それなら僕がお金を預かって薬屋さんに行って買って来ましょうと車を走らせて近くの薬屋さんへ。

 二千円預かったのだが、60錠入りの箱しかなく3800円で、30錠入りの小さな箱がない。自分の手持ちもなかったので、別のスーパーの薬局へ行くと、小さな箱が1780円であった。

 釣銭と「救心」の小箱をビニール袋に入れて、20分ほどで彼女の家に戻って、玄関先で話し込んでしまった。

 テレビで報道されている、殺人事件やいじめによる自殺など、他人事ではあるが、人間の生き死にの話題が多くて、胸が苦しくなっておられた彼女だが、小さい時から女学校、そして結婚して子どもさんが大きくなった頃と、何度も死にかけたことが自分にもあったと話されたのである。

 私の母よりも少しお若いが、人生の大先輩の彼女の人生にも、いろんな苦悩と事件があったし、自殺も考えたこともあると言う。

 能登半島のある断崖絶壁で、死のうと思って荒波に向かって自分の日記帳をまず捨てたところ、白波にページがばらばらになった日記が打ち上げられて返ってきたと言う。

 それで、ここでは死ねないと諦めたと淡々と語られたのである。

 しばらく話しているうちに、「だいぶ元気になった。ありがとう」とおっしゃって笑顔を見せられたので、「救心」は必要ないかもしれないが、ちよっと安心して別れを告げることが出来たのである。

 人を救うのは「救心」だけではなく、お喋りの場合もあるのではないかと思ったのである。

 
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古い辞書の一ページ

2007年01月23日 | 感じたこと
 辞書は三省堂と言われていた時代の英語の古い辞書が、私の書斎の机のパソコンの横に、他の辞典類と共に並んでいるのだが、ほとんど使わないSANSEIDO'S NEW CONCISE DICTIONARYが、何かを言いたかったのであろう。

 昭和34年10月発行と記された「最新コンサイス和英辞典」は、定価380円と記されていて、たぶん中学に入る少し前に買った、英和と和英の二冊の英語辞書の片割れなのだろう。
 
 もう一冊は、何故か友人の名前が最後のページにローマ字で書かれた、岩波書店1969年1月発行、定価800円の、総皮装特製品なのだが、裏表紙が破れて、今手元に持つと、ばらばらと表紙の皮の部分が小さなゴミとなって落ちる。

 私の本来の所有物である「三省堂の和英辞典」の一ページが、本体から破れて、くしゃくしゃになって、机の隅から出てきたのである。

 「辞書かく語り記」ではないが、何やら私と全世界に伝えたいことがあるらしく思えてならない。

 ページ数は25.26ページの一枚なのだが、その何かを読み取ろうと私は必死になって小さな文字を追っている。

 最初に「発見される」BE DISCOVERED とあったことに、まず驚いた。次に目に留まったのが、「あれっきり」SINCE(that time)であった。

 昔、父から聞いた話だが、戦時中は「煙草」を吸いたくても手に入らなかったため、刻み煙草やシケモクと言われた、一度吸われたタバコの残りなども大切に取っておいて、この英語の辞書の薄い紙を一枚、一枚ちぎって煙草の葉を巻き、ちょうどいい葉巻となったそうである。

 また、受験生が一生懸命に英語の単語を覚えようとして、どうしても頭に入らない時は、その言葉が書かれた「辞書」のページをちぎって口に入れたら覚えられたと言うのである。

 いずれにせよ、コンサイスの辞書に使われている薄い紙は、今では何処にでもある辞書用紙かもしれないが、戦前、戦中の時代には、貴重な紙として大切な辞書の内容よりも他用されたことがあるみたいだ。

 続けて小さな文字を読んでみると、「荒れる」RUN(be laid)、「アレルギー」、「あれやこれや」と続き、「有り余る」ときた。

 「有り余る」は、HAVE MORE THAN ENOUGH とある。
 
 裏のページには、「有り難い」があり、有り難い説教として、AN EDIFYING SERMON とある。

 「ありか」(所在)は、WHERE ABOUTS とあり、最後の言葉が「有り得る」、POSSIBLE であった。

 つまり、中学、高校時代、そして大学でもお世話になったはずの、英語の辞書が「あれっきり」使われなくて、「発見された」のである。

 その「在処か」は、自分の机であり、「有り難いお説教」の様な、「有り得ること」なのであった。何とも「荒れた」り、「アレルギー」だったりした英語だが、またゆっくりと付き合いたいものである。
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追悼!池田正枝さん。

2007年01月22日 | 日本の課題
 今年の年賀状もお年玉年賀葉書の抽選も終わって、貰った年賀葉書の整理の時期になった。

 たくさん戴いた賀状を楽しむ余裕はあまりないが、気になる差出人が何人かはいるものである。

 いつも出しているのに返事というか返信でもいいが葉書が来ない人、中には宛名は書いてあるのに裏面が白地だったり、裏面印刷はされているのに住所氏名が全くないものもあって、毎年誰かがわからなくなる。

 そんな中、毎年年賀状だけのやり取りの方も何人もいるのだが、15日頃に「池田正枝さん」のご親戚から、本人が12月に亡くなったとの知らせと共に、生前の付き合いを感謝する訃報が届いた。

 もうずい分昔になったが、議員になって2期目の選挙の前だったと記憶しているが、近くの生駒にお住まいの池田正枝さんに我が家へお話に来ていただいたことがあった。

 自分の議会通信で事前にお知らせしたのだが、平日の午後だったことやテーマが、ちょっと重たく「教師として朝鮮の子を教えて」だったせいか分らないが、参加者が少なく、ほとんど私と彼女の対談的集会となった。

 でも熱心に彼女は、小学校の教師としての経験、朝鮮半島に戦時中渡っての軍国教育に携わっていた頃の様子、そして朝鮮の女子学生を勤労女子挺身隊として日本に送り出した事実を、涙ながらに語られたのである。

 とんでもないことをした。その当時は、そのことが朝鮮の女性に対しての人権侵害、すなわち従軍慰安婦などと言うような職務に就かせるとは思ってもみなくて、誠心誠意、親御さんとも話し合って優秀な子ども達を率先して送り出したのだと言う。

 彼女は韓国の全羅北道に生まれて、日本が朝鮮を統治併合していた頃に、現在北朝鮮の開城とソウル(京城)の国民学校の教壇に立っていたと言うのである。

 帰国後は大阪の八尾市の小学校でも先生をしていたが、朝鮮時代の事実を知るにつれて、いても立ってもいられなくなって、昔の朝鮮人の教え子の今を訪ねる旅を重ねて、詫び回ったと言う。

 そして日本国内では、多くの集会で、その当時の教育現場の実態と、歴史上で誤った人権無視の軍事と戦争の状況が作り出した大きな罪に対する反省と、二度と繰り返してはならぬとの思いで、語り続けていたのである。

 私も、も何処かの集会で、小柄ではあるが素直に真実を語ることで、少しでも当時の贖罪をとの彼女の思いに接して感動し、数年後にお招きしたのであった。

 彼女への金銭のお礼は出来なかったので、持ち帰っていただいた葉っぱ付きの大根と数点の有機野菜を彼女は大変喜んで礼を言われたことを今でも昨日の如く思い出すのである。

 1月21日の毎日新聞朝刊の29面に、池田正枝さんの追悼の記事が書かれてある。

 その記事写真を掲載し、彼女のご冥福を祈るものである。「悲惨な歴史を繰り返してはいけない」という訴えを改めて、肝に銘じたい。
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