ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

よぉ!三代(台)目。

2012年08月25日 | 感じたこと
 私の愛車であるスバル・サンバー・ディアス・クラシックの三代目がようやく届き、一昨日から快調に走り出している。

 実は、18年前に先輩の有機八百屋に移動販売仕様の中古トラックを譲ってもらって始めたのだが、専用車のほろを広げたまま発車して主軸の枠が歪んでしまい商品管理が難しくなったため廃車することになり、八百屋を続ける車を探していて偶然目に留まったのが、スバル・サンバー・ディアス・クラシックの緑色の新古車だったのである。

 一目ぼれのごとく、その車が自分を呼んでいる様に感じた私は、早速ほぼ新車のディアスを手に入れて、やおやガリバーの名を英語でリアウインドウに入れて、毎週明るく元気に仕事人として稼業にいそしみだしたのであった。

 それ以来、やおやガリバーの営業車としてだけでなく、私個人のプライベートカーとして愛用していたので、多くのお客さんだけでなく、友人知人たちも町を走る緑色のサンバーディアスを発見すると、「あ、ガリバーや」と気付いてくれる様になったのでした。

 しかし、その当時は同じ仕様のディアス・クラシックのグリーンが私が知る限りでも近くで4・5台は走っていたために、たまには仏壇屋さんの車と間違われたりして、「ガリバー、走っていたやろ」と言われたりして、否定したり苦笑いしたりと、それでも町を走っていて、とても快適で個性アル自家用車として喜んでいました。

 しかし、愛車として約10年16万キロを超えた頃のクリマスイブに4WD仕様を過信しすぎたためもあって、住宅街の雪道でスリップしてぶつけてしまい、やむを得ず前面の修理に多額の支出が必要だとの推測で、初代のディアスを諦めて二代目は中古車をインターネットで探し出して、愛知県は尾張旭市まで現物を取替えに一泊二日で行って、約8万キロを既に走っていた中古車でしたが、同じ仕様の緑のディアスに乗り換えたのでした。

 それ以来約6年しっかりと走った昨年の暮れ、もう少し頑張ってほしいとの願いを込めて車検を受けた直後から、車の調子が悪くなり何度も整備工場のお世話になったり、部品を替えたりと努力とお金も使いましたが、お盆前の金曜の夜遂に暑さで熱中症にやられてダウン、つまり動かなくなってしまったのでした。

 我が愛車のディアスは疲れ果て遂に重体になってしまったために、JAFにお願いしてレッカー移動という形で自宅に帰った挙句、その後はスバルの整備工場でチェック診断を受けて、とうとうほぼ死に体状態で、故障箇所を修理してもいつ何時止まるかもしれないという症状で、もう限界だと告げられてしまい、諦めて次の中古車を探すこととしました。

 それからが大変だったのですが、八百屋のお盆休みの一週間を含む約10日間に、次の愛車となる営業にも使える軽のワンボックスタイプの中古車をと、値段と機能性と色も含めて希望の車を見つけようと必死のパッチで、中古車展示場やネットで情報を集めては問い合わせしてたりして大忙しでした。

 そして先週末にたどり着いた結論は、多種多様な候補車の中から、やはりガリバーのイメージとして定着してしまっている緑のディアス・クラシックで、当然中古車しかありませんから、性能や走行距離を気にせずに4WDでマニュアル駆動の5速車をと願ったところ、唯一福井の自動車屋さんに一台だけ見つかりました。

 平成5年、1993年製で既に11万5千キロを走った中古車でしたが、外見も内装も比較的綺麗な車と感じたので、京都まで陸送していただくことを条件に電話とFAXで依頼し、購入することに決めたのでした。

 時間が無いで京都で登録と車検をすることとし、京都南インター付近の駐車場を受け取り場所として車の到着を待ち、待望の三代目のディアス・クラシックと漸く対面することができました。

 本当にいろんな人たちにお世話になって、結局原点に戻った感じの我が愛車サンバー・ディアス・クラシックの3代目は、とても快調に美しく走り出しので、大変嬉しく感謝の気持ちと共に、なんともいえぬ「縁」や「絆」すら感じる思いが一杯で、これからも我が相棒として走り続けたいと願う日々となりました。
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夏休みの宿題

2012年08月23日 | 感じたこと
 いよいよ夏休みも残り約後一週間となっているのが普通の小中学校の児童、生徒だと思うのだが、私の孫の小学5年生の男児の場合を聞いていてると、結構宿題の量が多くて、なかなか済ますのが大変な様子である。

 5年生の男の子には幼稚園の年長さんの弟がいて、夏休みの間は仲が良い兄弟なので、お兄ちゃんにとっては宿題をしたいのだが、なかなか弟がいると落ち着かなかったりして、弟の方は時間をもてあましていて、一緒にいると宿題をする雰囲気にはならない様で、時折は私の家に来ては、一人で黙々と宿題の一学期の復習をやっていたのである。

 後約一週間で全部宿題を済ますことができるのかどうかは、よくわからないが、ともかく宿題の量は多くて、他の友達児童はどうしているのだろうかという疑問も感じつつ、日夜頑張っている様は、本当に暑い夏が続いているので、少し可愛そうにも感じている。

 本人もマジメニ一生懸命に取り組んでいる様だが、少し時間が出来て共に楽しい時間を過ごしていると、笑顔に戻って「夏休み」なのに、ちっとも休まれへんと愚痴ではないが感想を述べていたりしていたのである。

 今日の午後は、仕事が早めに終ったので彼の自宅を訪ねてて、良かったら一緒に買い物に行ったり、おやつを共にしようかと誘ってたのだが、今日は宿題に集中するために弟君は、通っている幼稚園の一日保育に参加して、夕方までいないので、ともかくその間に少しでも宿題を済ませなくてはならないのでと断られてしまった。

 彼の宿題の全てを知るすべはないのだが、ともかく一学期の復習として、一学期に習った漢字の一字一字を書き順を丁寧に繰り返し書いたりしていて、何ページものノートにぎっしりと書いていたのを少し拝見したのだが、こんな宿題を私の小学生時代にはシタ覚えもなく、感心するやらよくやるなといった感想であった。

 今日は、そうした復習の宿題以外の課題である、「読書感想文」に取り組んでいたようで、私が昔息子の誕生日にプレゼントした本を持ち帰って読んだらしく、たぶん同じ位の年齢の時に、わが息子は読んだのかどうかは定かではないのだが、間違いなく彼はしっかりと読んで、読書感想文として仕上げたらしい。

 また、最大の課題?なのかも知れないが、最近の宿題の傾向の中には、「自由研究」というのが必須にあって、誰もが何を「自由研究のテーマ」にするのかを迷ったりするケースがあるらしいが、彼の場合はしっかりとテーマは決めている様なのだが、さてその内容については未だ定かではない。

 いずれにせよ、時代が違うと言ってしまえばお終いなのだが、ある世代の「ゆとり教育」と称された、小中学校の学習イメージから、現代の学校教育では相当な宿題を夏休みにも課している様で、子供たちが暑さの中で「夏休み」を楽しむというよりも、一生懸命に宿題をこなすための「夏やすみ」となっているきらいを感じるのである。

 私の場合、思い起こせば、小学生の時代に宿題に窮した記憶はほとんどないのだが、八月の終わりが近づいて慌てて、日記帳や自由課題の提出のテーマ探しをした記憶が少しだけあって、いまどきの子どもたちの夏休み宿題事情とは、かけ離れたのんびりとした状況だったと感じている。

 ともかく、後一週間ほどに迫った「夏休み」の終わりに向かって、子供たちが一生懸命に宿題をこなしている光景を見ながら、親たちは何を感じているのだろうか。

 自分たちが経験したり、宿題はあっても適当にしかしなかった記憶のある親たちも、子どもたちには「早くしなさい!」とか、「何でやってないの?」とか厳しく叱ったり、激励したりしている様は、何ともほほえましいと映る場合と、立場変われば勝手なものだと言う感じもあるものである。

 
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議員パス特権

2012年08月22日 | とんでもない!
 長年国会議員になったら、常識だとされていた議員無料パスの内、私鉄や路線バスの無料パスが廃止されることとなり、参議院運営委員会で各会派が一致して、衆議院側も同調して、九月末日で廃止されることとなるそうだとの記事が夕刊に掲載されていた。

 ご存知の方も多いと思われるが、国会議員には給料にあたる歳費のほかに文書通信交通滞在費として月額100万円が支給されているのにも関わらず、現在でも衆参両院の事務局から、JRや航空各社に対しては議員の利用に際しての本人の無料分が年間葯13億円も出費されているらしいのだが、この私鉄や路線バスの無料に関しては、一切事業者には支払われない形で負担をしいっていたものである。

 いずれにせよ、国会議員だけではないが、地方議員の中にも公費で私的な旅行や私費で賄うべき費用をも、まるで議員特権の様に誤魔化して利用したり、支払いをさせている不届き者がいると思われるのだが、かつては議会の常識は世間の非常識、つまり議員の特権は当たり前だとの意識があったと感じるし、現在も多くの議員が少なからず特権意識を持っていると思われるのである。

 今回の私鉄、路線バスなどの国会議員の無料パスの廃止については、一歩前進というべきかどうかは定かではないが、日本民鉄協会やバス協会からの長年の要請もあって、昨今の行政改革や経費削減の世論の後押しもあって、ようやく実現の一歩を踏みだしたに過ぎないのである。

 というのは、国会議員を頂点に都道府県議会議員、政令都市議員、そして市町村会議員となんだか序列の様でもあり、ピラミッド型の権威的立場が無意識の中に存在していているのだろうか、全ての議員をなぜか「先生」と呼ぶ習慣というべきか、悪習が議会の周辺には存在していて、現在も多くの場面やマスコミでも議員先生呼ばわりが登場しているのである。

 一般市民、つまり有権者に選挙で選出されたからと言っても、ただの民主主義的な代表者に過ぎないはずの議員を、たぶん多くの有権者のうちの限られた人々が、議員先生と呼ぶことによって、その議員をいい気にさせておいて、自らの利権に関わる仕事や金儲けに利用しようとする魂胆があるのだろうとしか思えない関係性の中で、多くの周辺の人々が「先生」と呼んでいるとしか思えないのである。

 私の地方議員として4期16年の経験から感じるのは、私自身はあの「議員バッジ」にあるのではないかと思う部分もあって、私自身は初議会の時以外は、基本的に議員バッジそのものを着用することをしないで、自分の公約や政策の中でも「先生と呼ばせない普通の市民の一人として」とわざわざ明記して活動させていただいたのであった。

 たぶん、私自身が全くの講演会や組織の応援も無い、普通の市民の一人として議会に送っていただいたと思っているので、議会活動も含め、一切の政党や組織には所属せず活動させていただいたので、無党派あるいは市民派、時には非所属の無所属を名乗ったためもあったので、一切の利害や特権意識や利益誘導的活動はしなくて済んだのであった。

 議員パス特権に留まるだけでなく、全ての議員が地域や国の奉仕者として、多くの市民や有権者の目線で活動する社会、民主主義が育たなければ、まだまだ当分議員特権や、先生意識を持った議員たちを横行させることとなりそうである。

 結局、議員自らの資質だけでなく、有権者とそしての国民、市民がこうした議員の特権意識や非常識な制度やルールを指摘したり、変えて行くアッピールをしなければ、簡単にはまだまだ議員と議員は大きくは変わらない非常識の中に隠蔽され続けるだろう。
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にわか愛国心!

2012年08月20日 | 感じたこと
 先日の中国香港のグループが沖縄県石垣市に属する我が国の固有の領土とされる尖閣諸島の魚釣島に上陸したことから、再び中国本土での反日活動が活発となっている最中に、日本の地方議員や国会議員も含むグループが昨日突如、同じく尖閣諸島の魚釣島に上陸し、灯台をはじめ数箇所に日の丸を掲げたと報じられ、益々日中間での「わが国の領土だ」と主張する合戦が始まっている。

 また一方、先月の韓国大統領の竹島上陸問題を経て、韓国国内では「反日感情」がまた強調されて、天皇の訪韓問題に関して「謝罪」を求める論調や再び太平洋戦争の従軍慰安婦問題への謝罪と賠償などの問題が浮き彫りにされて、危うい空気が日韓の間に出ているのは間違いない。

 また北方領土と呼ばれる、歯舞、色丹、択捉、国後の四島の返還についても、長年の懸案とはなっているが、一方的にロシアの大統領や首相が訪問することも含めて、実質的なロシアによる実行支配が続いていて、二島返還さえもう実現できないのではないかといったムードが一部には漂っているのである。

 これらの日本の周辺における、「領土問題」がこの期に及んでロシア、中国、韓国などの攻勢による問題提起に対して、日本政府は所謂「逃げ腰外交」と呼ばれかねない対応振りがまかり通っていて、多くの国民にとっては「歯がゆい思い」が生じていて、なんとなくも含めた「ナショナリズム」とも言うべき、「愛国心」のにわか受け売り的な想いが台頭している気がしてならない。

 先日まで行われていた、ロンドンオリンピックにおける日本のメダル獲得数は、東京やアテネを上回って合計38個に達したとかで、なんと東京銀座ではオリンピックメダリストらの「凱旋パレード」が今日行われたらしく、なんと50万人ほどの人々が、このパレード見物に集まったらしく、何とも「日本ガンバレ!」ムードから、日本強しの我が日本を誇りに思う、「愛国心」の安売りかと思われるような光景も見られた様に感じたのである。

 当然、私自身も日本人の一人として、オリンピックでの日本選手たちの活躍や勝利には拍手を送り、メダルを逃した競技には「残念!」と溜息をついたり、がんばった選手たちに「お疲れ様、よく頑張ったね」とエールを送りたい気持ちで一杯であったが、メダル数の競争や「日本チャチャチャ」の応援を通じての声援やテレビ視聴が必ずしも「愛国心」だとは思わないのである。

 しかし、今回の尖閣、竹島問題や北方領土返還問題の背景には、どうしても「愛国心」を煽る様な意図や思想があって、テレビや新聞、そしてインターネットを通じての自由な問題提起や論議はいいと思うが、どうしても意図的な「にわか愛国心」の扇動的言動や動きが目立っているので、とても注意が必要だと感じている。

 そもそも、地球上の国々には「国境」とか「境界線」などは見えないばかりか「無い」のであるが、海底や周辺海域の「経済的利害」を求め、また軍事的敵対や挑発的な行為としての「領土主張」が中国だけではないが周辺諸国には多くあり、どうしても「愛国心」なるものに煽られての「にわか愛国心」を国家権力が利用しようとしていると感じるのである。
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送り火と花火。

2012年08月16日 | イベント
 今日八月十六日は、京都五山の「送り火」の夜であり、京都市内からは五つの「大文字」「左大文字」「舟形」「鳥居」そして「妙」の字が描き出された山々を見ることができて、京都市民だけでなく多くのお盆に京都を訪れた観光客の皆さんにも楽しんでいただける様な「観光イベント」化していると言ってもいい行事となっています。

 私の住む京都は、京都駅から南に走っている近鉄京都線の「新田辺」を中心とする京都府京田辺市の北部の住宅地なので、残念ながら、この京都市内の「五山の送り火」を直接見ることはできませんが、地元のUHFのテレビ局である「京都テレビ」が中継実況的番組を制作しているので、我が阪神タイガースの試合を見ながら時々「五山の送り火」をもテレビを通じて見ていました。

 阪神タイガースが今夜はDeNAベイスターズに対して先取点を取って3点をリードしていたのにも関わらず、中盤で逆転を許して3-4になったところでドーンと花火が近くで打ちあがる大きな音が聞こえて、小さな庭に出たり二階のベランダからと花火の打ち上がったところを見たいと試みましたが、残念ながら我が家からは見ることができない様なので、すぐさまテレビを消して、車で五分ほどのところに住む娘家族の近くへと走りました。

 途中の道路上から、久しぶりに開催されたために「復活!」と大々的に前宣伝されていた、地元京田辺の「花火」が今年は、実は娘たちが住む京田辺市薪地区からは良く見えるところで打ち上げられていたので、急遽出かけたのでした。

 町のあちこちに珍しく夕刻の八時を過ぎているにも関わらず、多くの住民が外に出てちょっとでも見易い場所で、花火を鑑賞しようという気持ちで道路上に立っている人や狭い生活道路の左端に車の縦列駐車がなされていたりで、いつもの5分よりも倍近く掛かりましたが、途中も車窓からの花火を楽しみながら、娘夫婦と孫たちが玄関先に簡易の椅子まで持ち出して「花火見物」をしている場所に合流できました。

 小学5年生になるK君は、自宅玄関脇の塀の上にまたがって、すぐマジカニ見える花火のショーを楽しんで見ていましたし、5歳の幼稚園児のR君も母である娘やとうちゃんの膝に乗って、上空に上がる花火に歓声をあげていました。

 地元の若者たちを中心に、やはりお盆のイベントとして「花火」を何とか復活させようと企画されたと聞いている、今回の花火大会は、晴天にも恵まれて葯1000発!と聞いていましたが、とても素晴らしい感動と記憶に留まる映像を脳裏に残してくれるものとなり、大いにスタッフの皆さん方のご努力とご準備に対して敬意を表すると共に、心からの感謝を申し上げたい気持ちで一杯になりました。

 多くの住民にとっても、さほど期待されていなかったかも知れない今回の「復活!花火」だったかもしれませんが、見事な素晴らしい花火の数々を夏の夜空に打ち上げて下さって、観衆である我々の目と耳と心に大きな思い出を作ってくれたと感じ、重ねてありがとうと言いたいと思いました。

 自分に関わったり縁のある親や親戚や友人、知人たちで亡くなった人たちのけ霊を慰めるだけでなく、世の中が平和であるからこそ楽しめる「花火大会」が無事開催され、多くの観衆を魅了できたことは、本当に幸せなことであり平和そのものを強く感じました。
 
 尖閣諸島の魚釣島への香港中国活動家の上陸やら、韓国大統領の竹島上陸、そして北方領土国後、択捉島へのロシア首相の訪問と、続けざまに日本の固有の領土であると主張している島々への周辺諸外国の強硬な行動の中、金正日の死亡後の北朝鮮をも含め、日本を取り囲む近隣諸国である、中国、ロシア、韓国、北朝鮮、台湾などとの国境問題や太平洋戦争での謝罪や保障問題なども含め、まだまだ平和を脅かす諸問題が山積している日本ですが、東日本大震災や大津波だけでなく、多くの自然災害でひどい被害に遇われた人々にとっても、少しでも平和を感じるひと時として、花火や送り火を見ることができたとしたら幸いだとも感じました。
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お盆はお休み?

2012年08月15日 | 季節の話題
 ご無沙汰です。今日はお彼岸の中日と言われる「お盆」ですので、田舎に帰省している方もおられると思いますし、お盆も休めず仕事、しごと言う方もおられると思いますが、ともかく敗戦記念日でもあり、韓国の大統領が竹島に上陸した上、日本の天皇が訪韓するなら謝罪せよというコメントを発表したりして、ともかく太平洋戦争が終結して67年も経っても、いまだ日本と戦った外国との謝罪やら賠償問題は全面解決していない現状が再び問題化している様です。

 私のこのブログも葯一週間お休みだったので、読者と言うべきか覗いていただいている方の中には、お盆で何処かへ旅行でもしているのではないかと思っておられたかも知れませんが、私は実はお盆も休まず働いていて、今日も朝から夕方まで汗をかいていました。

 実はブログを休んだのは、自家用車でもあり営業車でもある愛用のスバル・ディアス・クラシックが遂に「熱中症」にかかってしまい瀕死の重傷となってしまい、急遽やおやの営業中にエンジンがとまってしまう状況に陥り、JAFのお世話になって牽引されてスバルの修理工場に入院せざるを得なくなったことから、今週末のやおやだけは一週だけお休みをいただいているのですが、来週の営業に差し支えると困るので、インターネットを駆使した上で、時間を作って中古車探しなどに奔走していたため時間が無くなったり、疲れてしまって「ガリバー通信」は夏休み状態となってしまったのでした。

 漸く、妥協の産物的な購入する中古車を決定して、先ほど連絡をしたところなので、今晩は久しぶりにブログに記事を書くことになりましたが、世の中はやはり「お盆休み」や「お墓参り」または「法事的な集い」などでお忙しくされている方も多いらしく、仕事で京田辺、城陽、宇治を走っていても、お坊さんが単車や軽四輪に乗って忙しそうにオツトメに回られてる姿を見たり、また初盆で仏壇の前に花を飾ってご家族やご親戚が集われているお宅では、仏さんのお下がりのお菓子をいただいたりと、仏教徒ではありませんが、日本人なのでやはり「お盆」を大切にされている方のお気持ちが分かります。

 そして、明日は「送り火」の16日になりますので、京都五山の送り火は有名ですが、全国各地で「花火大会」やら、お盆の地域的行事が行われたりして、帰郷された方々も含めて賑やかなイベントや夜になりそうです。

 私の町、京田辺でも「復活!」と題して、数年前まで行われていた「花火」を復活させて地域的なイベントをとの願いから市民有志が立ち上がって企画された行事が開催される運びとなっていて、ささやかでもそれぞれの地域での活気アル祭となる様にと期待しています。

 世の中、捨てたものではありません。捨てる者あれば拾う者もあると言われますが、いろんな人々の思いが交錯する中で、ご先祖さんを敬いつつ、その霊を送り火や花火で見送るという精神は、いまだ健在であり日本的な、この季節の行事や習慣として根付いていることは大変嬉しく思っています。

 さぁ、お盆も休まず働くおっさんは、明日も元気にリタイアを余儀なくされた愛車に替わって、我が女房の新しい中古車を借用して走ることとなりますが、健康であることを感謝して、先日大阪の我が父やご先祖さんの墓参りも済ませたので、心すっきりとがんばりたいと思っています。

 皆さんも、心おきなくお盆をお過ごしくださいませ。
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「いじめ」が増加?

2012年08月09日 | とんでもない!
 滋賀県大津市の男子中学生が昨年10月に「同級生らによるいじめ」が原因で自殺したとされる問題が、被害者の保護者の度重なる訴えがきっかけで、ようやく表面化したことから、全国各地での小中、高校を含む学校現場での「いじめ」問題が増加したと報道されている。

 しかし、「いじめ」そのものは昔から現在に至るまで、多くの学校現場だけではないが、人間がいる社会においては、住宅地の近辺、職場、家庭を含め、ともかく残念なことだが多数生じているのが現実であり、今年上半期の報告数、もしくは問題化したケースがたまたま昨年同期を上回ったと言うだけであり、学校という教育機関を中心に、ともかく「臭いものには蓋を」とばかりに、事実を矮小化したり隠蔽したりすることで、多くは「泣き寝入り」という形で表面化していないだけなのである。

 私が小学生だった時代にも、いじめという認識はあまりなかったが、クラスの中の少し汚い子や弱虫の児童が、今思えば「いじめ」に合っていたと思われるし、決して児童、生徒同士だけでなく、教師からのいじめや逆に生徒が教師をいじめるといったケースも多々あったと記憶している。

 しかし、現代の「いじめ」として報道されたり報告されている実態は、ともかく「酷すぎる」状況が多く、単なる「いじめ」という相性の合わない他人に、ちょっとした嫌がらせをしたり、シカトーと呼ばれる無視を貫いたりという様なナマヤサシイものではなく、明らかに「犯罪的行為」としか言えない様な「暴力」や「人権蹂躙」というケースが続発しているのである。

 こうした現状に対して、確かに「学校」や「教育委員会」「行政」などの公的機関の「事なかれ主義」とでもいうべき「無責任」や「無関心」、そして「責任逃れ」のための「隠蔽化」が起きている場合がほとんどなのだが、決してこれらは学校に纏わる現場だけではないのである。

 一般社会における「いじめ」の実態も多く、多くのケースは「朱に交われば赤くなる」と言った表現が適当かどうかは不明だが、とにかく「知らぬ存ぜず」を決め付けたり、知っていても自分が関わりたくないとの思いから、知ってても見てても「知らない」、もしくは「いじめだとは思わなかった」という白々しい言葉で責任から逃れているのである。

 社会全体と言っても過言ではないと思うのだが、いじめに関してだけではなく、社会的ルールや他人への迷惑行為なども、多くの場合は、知らぬ存ぜずか、泣き寝入りを余儀なくされる様な他人事にしてしまっているのではないだろうか。

 ということは、子どもたち、すなわち幼児、児童、生徒、学生たちの周りにいる社会的には成人していると思われる大人たちが、見て見ぬフリをしてしまう社会、すなわち無責任な大人たちの人間関係が、結局は子どもたちの「いじめの実態」を助長させ、他人を尊重したり、個性を重んじることよりも、我が身の優越感や安堵感を得たいがために、自分との関係性において、上から目線で指示したり、いじめたり、暴力を振るったりという行動や言動がまかり通ってしまう世の中を作ってしまっているのではないだろうか。

 何が悪いのか?政治家、教育者、家庭内の父や母、そして社会的なリーダーシップをとるべき著名人やマスメディアにも、大きな反省と共に、テレビや漫画、ドラマ、映画などにも当たり前の様に「いじめ」が登場していて、それが当然の如く描かれている日本の現実をとても憂うものでもある。

 決して「いじめ」が増加しているのではなく、気付いていない「いじめ」が潜在的に多数あるのが現実だという忌まわしい現実が悲しい。
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「立秋」?三党合意。

2012年08月08日 | ちょっと可笑しいよ
 昨日はなんと「立秋」とやらで、暦の上では早や「秋」の始まりだそうである。

 今日の天気予報では、なんと朝晩に少し「秋めいた」気候が混ざり出していると、お天気キャスターは言うのだが、とんでもなく猛暑が続いているというのが実感であり、「暑中お見舞い」も「残暑お見舞い」に変るという、季節の変わり目を迎えているらしい。

 一方、ロンドンオリンピックは後半を迎えていて、女子マラソンは惨敗だったが、なでしこジャパン、女子バレー、そして卓球女子団体と、なんと女性のアスリートたちの活躍が目立っていて、男子は体操の内村航平選手の個人総合金メダルは光ってはいるが、男子サッカーも準決勝のメキシコ戦に負けてしまい、どうもウーマンパワーの方が日本を元気にさせてくれる様子であり、連日深夜のテレビ鑑賞か録画によるいいとこ取りのテレビ鑑賞が見逃せない状況である。

 こんな日本国中を熱狂させてくれるオリンピックの戦いを尻目に、なんと国会では野田民主党と谷垣自民党、それに山口公明党の三党による「三党合意」なる約束が協議の結果ととのって、晴れて?参議院での消費税法案の採決への段取りが整ったとの報道がなされていて、国民の代表のはずの国会議員の先生方の頭の中は、次の総選挙をいつやるかという大問題に終始していると言った情けない状況が続いている。

 何故に、消費税法案の成立の暁には、「近いうちの解散、総選挙」を決断するべきとの自民党の谷垣総裁や公明党の山口代表らの考え方は、ともかく「我が党に有利な時期」は、いつかという選挙に対する駆け引き以外の何物でもない、政局というべきか自己保身に有利なタイミングを計算しているだけの中身であり、どう考えても「解散時期の明言」などという、とんでもない約束を勝ち得ようとする気持ちが、多くの国民、有権者の胸の内とはかけ離れているのである。

 一方、野党と言っても社会党、共産党、国民の生活が第一、立ち上がれな日本、改革?、みんなの党などの少数政党らが中心となつて、内閣不信任案を衆議院に提出する話や、野田首相の問責決議案を参議院に提出する話もあって、とにかく政局重視で、国民の生活が大切なのは当然のことだが、大半の国会議員の頭の中は、自分の生活が一番だと思われる行動や言動でしかない。

 いまだに形の上では政党政治と言われる数の論理が衆参両院でまかり通ってはいるのだが、国民の半数以上が現状では「支持政党なし」と言う、「無党派」もしくは「無関心」という状況であることは現実なのだが、国会の中では「我が党が・・・」とお山の大将の如く振舞っている「先生方」がこっけいですらある。

 ともかく「近い解散」が約束されたとすれば、ともかく政党政治を固守する選挙戦ではなく、個人としての候補者を大きく「ガラガラポン」できる様な選挙をやらなけゃ、この日本、高齢化時代をつき進み、年金、医療、借金、公共事業、公務員給与、学校教育などと山積みの難題を、21世紀の半ばまでに少しでも解決の方向へとリードする強い権限と熱意を持った議員たちにしなければ、この国は人口も減り活気の無い老いぼれた国へと生気を失っていくことだけは避けなければにならないと思うのである。
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深夜の探偵?

2012年08月07日 | テレビマスコミ
 皆さん、連日の熱帯夜にロンドンオリンピックの中継と、ただですら暑い日が続いているのに、気になって眠れないという人も多くて、テレビの深夜放送に釘付けの方も多いことだろう。

 オリンピックでのニッポンのメダルラッシュとテレビマスコミは騒いでいるが、確かに金銀銅の総数では結構たくさんのメダルを取っている日本だが、金メダルに関しては柔道女子の松本選手と体操男子の内村選手のたった二つだけなので、とても寂しい感じもするのだが、ついついなでしこ日本や男子サッカー、そして卓球女子団体などのメダル確定となれば深夜でも見たくなるものである。

 そんなオリンピック中継も楽しくて眠いのだが、深夜12時近くの番組としては驚異的な高視聴率をいつも取っているのが、ご存知の方も多いと思うが、関西の朝日放送が毎週金曜日の夜23時15分から放送している「探偵ナイトスクープ」である。

 私は現在の西田敏行局長になる前の上岡竜太郎が司会進行し、岡部まりさんが秘書を務めていた時代からのファンであり、今から18年前にはじめた自営の移動販売八百屋で、金曜の夜は営業し帰宅するのが、いつもだいたい22時過ぎであるため、片付けて遅い夕食を食べて、疲れた体と眠気と戦いながら見るのを楽しみにしている唯一のテレビ番組と言っていいだろう。

 そんな大好きな娯楽番組なのだが、時折とても感動を覚えるほど記憶に残る様な放送内容のことがあって、今回は先月の第3週目の放送だったと思うのだが、あまりにも疲れていて眠たかったことと、たぶん他の番組との関係で放送時間がづれて遅くなっていたこともあって、珍しく録画して翌日見る積りでテレビの前に座っていた。

 しかし、この日の視聴者からの依頼に基づく3つのテーマは、いずれも興味深いものだったために、眠い目を擦りながら内容がとても良かったために最後まで見てしまったのだが、きっちりと録画された形で後日にも再度見ることができる形で残ったので、もう一度ゆっくりと時間がある時に自分も見たいし、妻や孫たちにも見せたいと思う程の作品であった。

 以前にも探偵ナイトスクープのに歴代の作品の中には、殿堂入りと言われる様な「電子レンジの卵」や「マネキンと結婚したい」などの傑作の数々をはじめ、多数の優秀作があって数え切れないのだが、少なくとも今年度に放送された作品の中でも間違いなくベストテンに入るであろう秀作が、この夜は3作品揃っていたので驚いたのである。

 まず最初は小さな女の子が「四葉のクローバー」を難なく見つけてしまうというテーマであり、近くの普通の公園に足を踏み入れても、すぐに「声が聞こえるらしく」、ここにあったと女の子はいとも簡単に四葉のクローバを見つけてしまうという、驚きのドキュメンタリーであった。

 二番目は、かわいい初孫と思われる女の子に接すると、必ず泣かれてしまうという59歳のやさしそうな祖父と言っても、まだ若いお父さんが、何とかして可愛い孫が泣かないままで自分と接してほしいとの依頼でしたが、声を変えたり接した方を変えてもなかなか普通に接して貰えずに、ついに自分の娘さんの着衣を身につけて髪の毛もウイッグをつけて、ママにちかい容姿で接するという形で、なんとか一緒に泣かない孫と写真が撮れたという際どいストーリーで、何とも喜ばしいやら悲しいやらの作品であった。

 そして三番目の作品に私は大変感動を覚えたのだが、40歳を過ぎた中途失明のマッサージ師のお父さんが、最近生まれた我が子の男の子に接して、盲学校時代に上った登山がきっかけで山が大嫌いになって以来、全く山登りをしていなかったのだが、幼いわが子が物心ついて自分の足で登れる様にになったら、ぜひ男らしくて頼もしい親父の姿として一緒に山登りがしたいと、一念発起し盲導犬と共に、山登りにチャレンジするという作品であった。

 よしもと新喜劇の石田探偵と山登りのガイドが同行し、チャレンジした山はなんと六甲山系の荒地山という山で、とんでもないロッククライミング的な箇所もあり、盲導犬ですら登る事を諦めざるを得ない場所をも、手探りとロープで誘導されて、とにかく必死のパッチで頂上へと到達するという、とんでもない達成感の伴うドキュメントであり、15歳頃に完全に失明したという依頼者が、ともかく明るく冗談を飛ばしながら、お子さんのためとは言え苦手だった登山に成功するという感動の作品となっていた。

 オリンピックの結果やメダル獲得も感動はあるが、普通の人々の素晴らしい思いや感動の一こま、またはチャレンジにも拍手である。
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広島被爆の日。

2012年08月06日 | イベント
 今日八月六日は、67年前の1945年に世界で初めてアメリカが原子力爆弾を日本の広島に投下し、とんでもない大勢の人たちが殺され、戦争の終結へと歩むきっかけとはなったものの、戦後も多くの被爆者が放射能による病苦に苦しみ、被爆者としてのささやかな支援を受けた人も受けられなかった人も、この世に原爆が落とされた事実と向き合いつつ、長崎の被爆者や全世界の原爆や水爆の実験などによる被爆者と共に、全世界に「放射能被害」を訴えて、地球上からの原爆などの兵器の廃絶を訴えている。

 日本政府は、この67年間、口では「非核三原則」や「世界で唯一の被爆国」の立場を語りつつも、世界での軍縮、核兵器廃絶などの動きに対しては決して積極的とは言えない立場を持続し、アメリカの軍事力に依存した形で「核兵器」を保有する国々への対応も生ぬるい対応しかして来なかったのである。

 いつも八月の広島、長崎と続く被爆の日や8月15日の太平洋戦争の敗戦の日を中心に、マスメディアを中心に「非核」や「核の廃絶」などがテーマとして語られたり論じられたりはするのだが、世界平和を目指す多くの国々にとっても国内外の利害に関連しているのであろうと思われる中途半端な姿勢や方針、または理想が語られるだけで、なかなか積極的な平和と核兵器廃絶への約束とはいかないのである。

 今回の広島での原爆の日の式典には、昨年春の東日本大震災に関連して起きた東京電力福島第一原子力発電所のとんでもない事故で殆ど住めない町となってしまった、福島県浪江町の町長も参加していた様子が報道されていたし、一方あの忌まわしき原爆を投下する様に命じた当時のトルーマンアメリカ大統領の孫も初めて参加したらしく、何とも言いがたき想いが募るのだが、果たして原爆と原発の類似性と核の平和利用という言葉の胡散臭さも感じたのであった。

 長年、日本では原爆はあってはいけない兵器だが、原発は核の平和利用であり、推進すべきとの意見がマスコミも含め政府方針だったので、私がかつて市議会で当時の市長に「非核平和都市」を目指して宣言をすべきと問うたところ、市長は原爆は無い方がいいが、原発は平和利用なので推進すべきとの立場から、非核は如何なものかと躊躇した発言を繰り返していた。

 とにかく、原子力爆弾と原子力発電は、共にウランを原料とした科学的研究の結果であり、難しい理論の違いは分からなくとも、いずれも多大な放射能とというリスクを背負うという科学技術なのだから、人間の叡智を尽くして安全を目指したとしても、失敗や事故が少しでも生じたら、全く同様の悲惨な放射能汚染と言う「いのち」に関わる大問題となるのは明白なのである。

 先日、私の孫のK君は市の平和推進のための目的の広島への一泊の旅に参加したのだが、参加に際しての作文や帰ってからのリポートも書いたそうなのだが、果たして広島の原爆資料館や原爆ドームを見学し、千羽鶴を折って届けた祈念塔などを見て、何を感じたのだろうか。

 無理やりに原爆と原発を関連付けるつもりはないが、どちらも人間だけでなく地球上のあらゆる生態系に対して、大きなリスク、すなわち害を及ぼすとんでもない科学研究の結果として生まれた技術であることを知って、ゆっくりとじっくり考えてほしいものだと痛感している。

 今朝の式典での広島のこども代表のふたりの小学6年生の言葉を聞いて、その後に野田首相の挨拶を聞くと、わたしたちは平和をつくり続けますと語った小学生の言葉の方が信じられる内容だったとの印象が強く、原発問題にも言及した首相の言葉は抽象的で確信めいた言葉は見当たりませんでした。

 世の大人たちは自分の立場、利害や人間関係の間ではっきりとしたことを言えないならば、いや本当の平和と安全な生活を目指したいと思っていないならば、全ての決断や理想、祈りも無駄になってしまうのではないでしょうか。
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