ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

阪神井川がヤンキースへ

2006年11月30日 | プロスポーツ
 あのやんちゃ坊主の野球小僧、井川慶投手が04年から球団に申し出ていた、FAを待たずして、球団の了解を得てのポスティングシステムとやらで、アメリカ大リーグに挑戦することになり、昨日松坂投手を宿敵ボストンレッドソックスに何と60億円という破格の入札価格で取られたニュヨークヤンキースが獲得への入札価格、30億円で交渉にはいることとなった。

 晴れて、メジャーリーガーの仲間入りが確実となって、水戸の野球少年、井川慶投手は満面笑みで記者会見を行い、松井秀樹と同じチームに入団し、宿敵レッドソックスに松坂の入団が決まれば、伝統のチーム同士の盛り上がった試合を、日本からの両投手が先発し戦うことも夢ではなくなったのである。

 またひょっとして巨人を退団し、メジャーリーグへの夢を追う、桑田真澄投手や元巨人の岡嶋投手などがヤンキーズに入団すれば、益々日本人投手の救援まで想定できた熱い戦いが展開される可能性も出てきたのである。

 昨年元横浜のエースだつた斉藤隆投手がマイナー契約ながらドジャーズ球団に入団し、クローザーとして開幕直後にお呼びがかかって、24セーブという新人記録をつくる活躍をしたのも記憶に新しいが、野茂投手が先鞭をつけた、日本のプロ野球からの投手の活躍が、来春からのメジャーリーグで再び見られると期待している。

 マック鈴木、吉井、伊良部、藪、石井、大家などの日本投手もそれなりに活躍したが、いま持ってメジャーリーグのオールスターに出た日本人投手は、昔のマーシー村上と野茂投手だけだと思うので、来期は松坂、井川の出場を期待したい。

 ともかく30億円とか60億円という入札金額に驚く限りだが、メジャーリーグの各球団で、本格的な先発を任せられる有望な選手が少ない現状での期待料が如何に高額かを物語っているのである。

 マリナーズのイチロー、ヤンキースの松井らの外野手の活躍は群を抜いて見事だが、新庄や田口など非力さも目立っているが、昨年渡米した初の日本人捕手としての城島選手や内野手の井口、松井らの続けての活躍も見守りたいものである。

 来期のメジャーのシーズンを終える頃には、ひょっとしたらメジャー球団に所属する選手だけで、日本対アメリカの日米決戦が戦えるのではないかという期待感も大きくなってきており、その日本側先発メンバーを予想した。

 夢のメジャーリーガー日本人チーム。

 ①7イチロー②6松井③4井口④9松井⑤2城島⑥5岩村⑦8新庄⑧3田口⑨投手/松坂,
井川、桑田、大家、岡嶋、斉藤、DH代打、中村紀洋
 夢の日米球宴は近いのではないだろうか。ちょっと野手が足らんかな。
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犬に噛まれて死ぬ。

2006年11月29日 | とんでもない!
 現代日本にあって、つい先日フィリッピンから帰国した二人の日本人が狂犬病を発病し、死亡したというニュースが伝えられた。

 よく「犬が人間を噛んでも」ニュースにならないが、「人間が犬を噛んだら」ニュースになると言われていたが、全く逆でやはり犬に人間が噛まれて死んでしまった故のニュースなのである。

 たぶん日本国内では戦前の1920年代には多く発症していた時期があって、年に3500例も報告されたこともあるらしいが、戦後の混乱期に予防対策が遅れた時期を除き、1950年に狂犬病予防法が施行され、飼い犬には「狂犬病」ワクチンの注射が義務付けられてからは、ここ数十年ほとんど狂犬病による死者は出ていなかった。

 しかし東南アジアやロシアでは、未だに狂犬病による家畜や野犬たちの死亡は多くあるらしく、インドでは毎年30000人もの死者が狂犬病発症により報告されているのである。

実は、このニュースを聞いた時、私は毎年夏に約10日間行っている、中国内モンゴルの旅に参加してくれた、ある元気な女性のことを思い出したのである。

 その女性は高等学校の現役の先生で、夏休みには気分転換の意味もあって、海外への旅を楽しみに、日ごろは忙しい学科指導と部活顧問で走り回っておられるエネルギッシュな先生だったのである。

 その年の夏は、私と彼女を含む八名ほどのメンバーで、中国内モンゴル自治区の大草原に旅して、現地の遊牧民のゲル生活にお邪魔して五日間ほどを過ごしたのであるが、帰途につく早朝に、私達は通訳の中国人女性と共に、ゲルから草原を少し歩いて車に乗り込むところだった。

 彼女は、お世話になった牧民の蒙古族のご家族への感謝の気持ちと別れの挨拶をとの思いで、まだゲルの前で見送ってくれている人たちに、大きな声で覚えたてのモンゴル語で、「バイアステ」、つまりサヨナラと叫んだのである。

 すると、遠くのゲル付近から、黒いモンゴル犬が勢いよく吼えながら、私達のところ目指して走ってきたのである。

 通訳の中国人女性が、危険を悟って、「じっとしていて下さい」と彼女に注意したため、彼女は草原に仁王立ちになってじっとしていたのだが、犬は彼女の周りを回って匂いを嗅いでいたと思うと、後ろから右足ひざ裏をがぶっと噛んだのである。

 びっくりした時は既に遅く、彼女は驚きながらも早足に痛めた足を庇いながら、日本への帰途に着いたのである。

 京都へ帰ってから、病院に急行し狂犬病のワクチンを打ったり大騒ぎであったが、潜伏期間を過ぎても幸い発症しなかったため、命拾いをしたわけだけれど、不安な数週間を過ごしたことだと今も強烈に覚えているのである。

 油断大敵、狂犬病は犬や動物だけの病気ではなく、人を含めた哺乳類が観戦する病気で、発病すると治療法がない危険な人獣共通感染症で。世界では毎年五万人の人と十数万の動物が発病死しているのである。

 犬に噛まれてニュースにならぬ様に、また鳥インフルエンザも注意が必要である。

 
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安倍内閣支持率大幅ダウン!!

2006年11月28日 | 日本の課題
安倍晋三内閣が発足して、やっと二ヶ月が経った。

 この間の印象は、外交面では早速中国、韓国を訪問して「首相になったよ」と挨拶して回ったことと、内政面ではごり押しの「教育基本法の改正」を衆議院本会議で公明党と自民党で可決してしまったこと。

 この教育基本法をテーマにした地方でのタウンミィーティングでの「やらせ発言依頼」の発覚は、国民を愚弄した自民党政治と官僚の仕業を露呈し、改めてがっくりさせた印象に残る事件であった。

 岸信介元首相と佐藤栄作元首相を父と叔父に持つ政界のサラブレッドで、「ええとこの坊ちゃん」であって、セレブな生活の中で成長してきた男なので、全く国民の痛みや苦しみがわからない人間だと推察できるのである。

 自民党への郵政民営化反対議員12名の復党問題が急浮上し、中川秀直幹事長の自民党への忠誠誓約書の義務付けという条件づけが、故中川一郎の息子で現政調会長の中川昭一氏や青木自民党参議院会長らの意見と対立する中で、首相の自民党総裁としての顔や声が見えない事態を露呈した。

 戦後日本の政治の大半を担ってきた天下の自民党ではあるが、あの劇場型パフォーマンスの小泉純一郎前首相の五年数ヶ月とは、全く違った感覚の安倍晋三首相の登場とコメントは、全く迫力も説得力もない、ただの駄々っ子のガキ大将と言った感じである。

 一昨日の新聞世論調査で、安倍晋三内閣に対する支持率は、発足直後の9月下旬の67%と比べて、一気に14%ダウンの53%となって、自民党への政党支持率も前回から9%減の33%となった。

 内閣支持率の大幅なダウン幅は、小泉内閣が田中真紀子外相を更迭した直後の02年2月の24%減、森善朗首相の「神の国」発言後の00年5月の20%等につぐ5番目に大きい下げ幅だそうである。

 この急激な支持率のダウンに塩崎官房長官は、「復党問題が影響して、政府、与党がごたごたしている印象を与えてしまった」との政府筋の感想を漏らしたそうだが、国民はもっと違った視点で安倍内閣の期待はずれに失望しているのではないかと思う。

 来夏の参議院選挙までは、公明党に配慮し憲法改正を封印したまま、政局運営をしていくつもりなのかもしれないが、今回の自民党復党問題でも、教育基本法改正問題でも、安倍首相の顔は見え難く、見えたと思ったら「美しい国、日本の国づくりのために」というバカの一つ覚えの如きコメントを繰り返すのみである。

 連日テレビマスコミに登場した、中川秀直自民党幹事長の顔は女性スキャンダルまみれの張本人としか見えないし、中川昭一政調会長は核保有論者としての強欲の酒浸りの顔にしか見えない。

 そんな安倍内閣の主要閣僚たちの顔を観るにつけ、吉田茂元首相の孫の麻生外務大臣のタカ派の自信と傲慢さを筆頭に、お坊ちゃま首相の仲良しグループの前途に早や「イエローカード」が出されたと言っても過言ではないだろう。
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血を下さい。

2006年11月27日 | 季節の話題
 先日、紅葉の京都を訪れる観光客で賑わう、京都駅構内を久しぶりに歩いていると、献血車がとめてあって、その前で「献血」を誘う「献血キャンペーン」をやっていた。

 「只今、A.AB.O型血液が不足しています」と係りの人が叫んでいた。

 毎年、特に暮れが近づくと、何故か「献血キャンペーン」が目につくのであるが、私自身はB型なので、なんか「不必要」と言われているような気がして、少し妙な気分であった。

 実は学生時代の数年間、私は毎年末に年に一回は「献血」をしていた時期があり、その年を無事健康で暮らせたという感謝の気持ちを、お礼の形で献血していたのだが、この献血された血が赤十字や病院の関係者間で取引されている事実を知って、それからは「献血」をしなくなったのである。

 現在の「献血事情」は全く詳しくは知らないのだが、何事にも裏事情がある場合が多くて、せっかくの善意やボランティアが、売買やビジネスの対象に化けている場合を知ると興ざめしてしまうこともある。

 小学生の頃、やはり「血」に関して、ラジオで強烈に印象に残ることを聞いたことがあった。

 それは、ある小学生の女の子のお父さんが、日雇いの労働者をしていたらしく、我が子の運動会に、新しいブルーマーを買ってやりたいと、仕事がない時に、「売血」で得た「金銭」で、子どものための買い物をする話を聴いたのである。

 その当時の私は、とってもショックを受けて、自分の血を売って、子どものパンツやブルーマーを買ってあげるお父さんの現実を知って、そんなことをしなくても衣服が買えるお給料のでる社会、世の中にしなければならないと、幼いなりの正義感と社会観を抱いたことがあった。

 そのことを書いた、私の作文に対して、その当時の担任の先生は赤ペンで、「そんな世の中をなくすためには、しっかり勉強してください」と書かれていた。

 どうも子どもとしては、トンチンカンなコメントの様に感じていた記憶があるが、ともかく「売血」という事実にはビックリしたのである。

 今、現代社会に生きていて、この「献血」という形がどの様に、しっかりと病人や病院に役立っているのか、定かには分からないのだが、先日問題化していた「不法?な臓器移植」問題とリンクするのである。

 貧困や経済的目的のために、「血」も売買されている現実が、まだまだあると思われる。

 アジア、アフリカの発展途上国では、そういった現実が裏社会だけでなく、日常的に見え隠れしていると思われるが、日本社会は一応表面的には、「善意の献血」という制度でが成立している。

 本当に必要な大切な「輸血用」の血を、全て献血によって得られない現状では、やはり、せっかくの善意の「血」が取引されたり、売買されたり、現在もされているののではないだろうか。
  
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あいにくのバザール。

2006年11月26日 | 季節の話題
  初夏と晩秋、一年に二回開催している、地域の住民センター周辺を借りての「バザール」を雨の予報の中でスタートさせて、九時半から二時近くまで、25店舗35区画くらいで行っていた。

 朝八時前から、今日のバザール出店希望者の何人かからの電話連絡も、全てが「雨降りそうですが行われますか?」という消極的な問い合わせであった。

 私は過去20年以上に及んで、地元の新興住宅地の緑地の一角で始めた「ガレージセール」がいつの間にやら、出店者数も増えて、地元の住民センター周辺をお借りしての恒例の「バザール」となったのである。

 今回の開催で通算42回目、当初は年一回だけだったが、リユース意識の向上と共に、「もったいない」精神が、地球温暖化問題や持続可能な循環型経済社会へのアクセスとして重要視されてきて、多くの参加者や買い物客の恒例となっているのである。

 毎回葉書で参加者募集は行い、予定ブース?の約2/3は続けてやも過去に何回か参加された懐かしい人たちなのだが、残るは新人と従来の出店者からの情報やポスター掲示を見ての参加者で、最近は30ブース前後で行われている。

 今日は生憎、前日から午前中は50%以上の雨の確立との情報だったので、延期かどうかの電話確認が相次いだのである。

何とか予定通り開催すると決断してスタートしたバザールだが、出店予定の四、五人は今朝になってキャンセルされたほど、予報は雨模様を予告していたのである。
 
 予定通りバザールは開催できたが、何となく薄暗く寒い感じで、隣の中学校でのスポーツ大会や住民センター内のお茶席なども同時開催だったのに、多様な住民がバザールをも楽しんで下さるとはならなかったようで、お客が少なく売り上げも伸びなかった様子だつた。

 何とか無事にバザールの開催が出来たと喜んでいるが、五歳になる孫の男の子は、ずっと「僕がテルテル坊主を3つ昨日作ったからや」と、自慢げに出会う人ごとに話していたのが印象的であった。

 冷たい冬に向かう晩秋の半日、各種リサイクル品や手作り品、それに知的障害者作業所の作品も交えての、路上店舗の買い物が賑やかに続いたのである。

 会場を片付けて、ゴミや枯れ葉もまとめて掃除して、お借りした机と椅子なども返却し、地域周辺に貼った宣伝ポスターを多数回収して回ったのだが、雨が待っていてくれた如く、相当の雨が降り出して体が濡れてしまった。

 でもみんないい人たちが集っての「恒例のバザール」が無事終わって、疲れと眠気を感じつつ、このブログ原稿を書いていて感謝です。また来年の夏前に大住バザールで会いましょう。



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内モンゴルつながり3連荘

2006年11月25日 | ガリバー旅行記
 今日は偶然が重なり、内モンゴルの「縁」で親しくなった三人の若者たちに、京都市内で続けて出会うという稀にみる半日となった。

 今日、結婚式をする青年から、数ヶ月前に披露宴への出席とスピーチを頼まれていたが、彼との関係が深まったのも内モンゴルへの旅であり、それも小学六年生と中学一年生の時に、連続して私達の企画に参加した縁からであった。

 彼は1991年に私達が企画した「内蒙古地球学校」と称する市民による子ども達の国際交流野外活動に参加したのだが、一週間の草原ゲル生活を中心とした野外経験も、考えてみれば日本人の参加者、スタッフに中国、内モンゴル側のスタッフ、交流学生も含めると200人近い人間がいて、彼はリーダーや前を行く子ども達の背中しか見ていなかったと言うのである。

 そのため中学生になった翌年の夏に、10数人の参加者のファミリーな旅に再度参加して、自分の目と足で内モンゴルを感じたいと思ったらしく、ご両親のご理解と財政負担の下で、二年連続参加したと言うのである。

 そんな彼の思いと共に、私はモンゴル草原で面白い体験を彼としたのだが、彼にとっては貴重かつ非常にインパクトのある印象の旅となった様で、それ以来言葉を交わす機会が増えた年下の友人となったのである。

 そんな彼が素敵な若き伴侶を得て晴れて結婚するというので、私は喜んで披露宴の席に参加させていただき、スピーチをさせていただいた。

 午後から始まった「宴」でモンゴルとの「縁」を語った後、同じ内モンゴルツアーで親しくなった、もう一人の娘さんが松本市で小学校の教師をしているのだが、先々週に長野に行った折は都合がつかず、25日に京都で家族全員が集まるというので、そこへお邪魔することになったのである。

 たまたま今日結婚した彼も、松本から京都にやってきた彼女も同い年の内モンゴル地球学校参加者であり、お互い15年の年月を経て京都で出会えたのである。

 そしてもう一人は、内モンゴルから京都に留学してきて6年になる兄と、まだ2年足らずの妹のモンゴル人兄妹が、同じ京都市内のホテルでのパーティーに招かれて、モンゴル舞踏と馬頭琴の演奏をするというので、会いに出かけたのである。

 約六年近く前にも、京都の地で蒙古人の兄と現在松本在住の彼女とお母さんも交えて夕食を共にしたので、お互いの存在と出会いからの六年近くを思い起こしながら、お互いの健闘を私が報告した。

 奇しくも今日結婚した新郎と、松本からやってきた彼女、そして内モンゴルから来て日本語を勉強しつつモンゴルの踊りを披露した彼女、この三人共が1980年生まれの26歳であり、モンゴルの旅を通して私と深く関わる若者達との再会であり、京都の半日は、モンゴル3連荘の刺激的で楽しい時となったのである。
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勤労感謝の日

2006年11月23日 | 季節の話題
 今日は勤労感謝の日で祝日だったのである。

 たぶん、勤労感謝の日を祝う?なんて思いで、今日一日を過ごした方はほとんどいなかっただろうと思われる。

 ちょうど京都は「紅葉の秋」の本番を迎えたような時期と重なるので、今日も全国からの紅葉観光客がどっと観光地や京都市内、繁華街を訪れて大変な賑わいを見せていたことだろう。

 テレビ番組でも午後から夕方まで、下賀茂神社周辺を舞台に生中継の「秋を満喫」させる番組を放映していた。

 最初の「おでんの仕込み」の部分と最後の「平原綾香」のクリスマスリストという新曲の歌の部分しか観てはいないが、テレビ番組の視聴率は、お笑いか食べ物で稼ぐという典型的な番組作りが安易に流行っていて、四時間もの公共の電波が、だらだらと使われていたと言った感じではなかっただろうか。

 それもメインスポンサーが、関西電力ときたら、益々テレビだけでなく、省エネだとかエコだとか、地球環境に負荷を与えない持続可能な経済生活と一方で宣伝しつつ、電気、電力を無駄に使ってもらうための「宣伝」を続けているのである。

 確かに、冬に向かう晩秋の紅葉は美しく、見ごたえのあるスポットがたくさんある京都だとは思うが、人工的に夜間のライトアップなどがされた観光地への夜間の人の移動は、電力消費の奨励とも受け取られる営業施策でもある。

 世の中の景気もバブル後の不況、不景気と呼ばれた時期を脱して、いざなぎ景気と呼ばれた70年万博前後の高度成長経済期を越すほどの長期間の景気浮上が続いているとのマスコミ報道はあるが、庶民にはほとんどその実感が伴わないばかりか、格差を実感するような経済ニュースばっかりが目につくこの頃ではないだろうか。

 あの70年代にかかる「いざなぎ景気」の時代は、間違いなく給料が飛躍的に増えて、3Cと呼ばれた、カラーテレビ、車、クーラーなどの高額の耐久消費財が庶民の手の届く物となり、経済成長率も年に10パーセントを越す勢いであった。

 しかし現代は、そのいざなぎ景気を超えて5年を越す景気上昇といわれているが、全く庶民の財布の中は厳しくなる一方で、格差が拡大し、マスコミ報道ですっんかり騙されるような時代になっている。

 日頃のこつこつと一生懸命真面目に働いているサラリーマンの大半は、サービス残業やリストラの危機の中で、疲れきっており勤労感謝どころか、日頃の疲れをせめて癒すための休日となっているだけである。

 その上、テレビマスコミを中心として、食べ歩きとお笑いという、視聴率が取れるとは言え、ソフトで無難な面白くて美味しそうな番組が提供されて、ますます国民、テレビ視聴者は、難しい問題や政治、経済の背景を考えることなく一日を終えてしまったのではないだろうか。

 昔、むかし「テレビによる」国民総白痴化現象が論じられた時期があるが、現代は再び、国民総白痴化を目指す政府と財界のスクラムによって、従順な勤労者が作られる時代となっているのではないかと危惧するものである。
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産学公協同!

2006年11月22日 | 地域の話題
 地元に出来た、同志社大学京田辺キャンパス内に建設された「大学連携型起業家育成施設」通称「D-egg」を見学視察した。

 この施設は、中小企業と地域振興をサポートする、「独立法人中小企業基盤整備機構」、略称、中小機構が京都府と地元行政の京田辺市の要請を受けて開設する、大学連携型起業家育成施設、いわゆるインキュベーション施設である。

 インキュベーションとは、卵から孵化することを言うので、大学が有する技術シーズや知見を活用して、起業家や中小企業の新規事業展開を創出し、地域産業の高度化及び拡大の促進に寄与する目的で建設されたので、中小機構が管理、運営の主体だが、大学と府、市も財政的支援をして、総合的な支援を行うというものである。

 中小機構の誘致と勧誘のパンフには、本格的な産学協同、連携が可能で、京都、大阪、奈良への交通アクセスの良さ、学研都市エリアの高いポテンシャル、府、市、機構、大学の総合的起業支援、充実した施設と交流活動拠点だとのアッピールがされており、まさに未来型新産業企業者には、ありがたい「いけいけドンドンの施設である。

 大学構内の建物は「業成館」と称され、業を成す目的が明記されていて、入居者には三年間の家賃の約半分を府、市から援助される特典のほか、インキュベーションマネージャーと呼ばれるスタッフが、起業家の事業プランから特許、戦略、交流などと資金調達、販路開拓なども支援するという体制になっている。

 京田辺市も入居支援としての賃料補助とインキュベーションマネージャー(IM)の派遣事業費として、約1千万円を負担することになっているが、果たして「費用対効果」が問われる行政施策として妥当かどうかは議論の余地があると思う。

 私達の世代は、特に学生時代に「大学の自治」と「学問の主体性」を大切にすべきとの観点から、「産学協同」という響きは、悪であるという価値観の時代を過ごしてきたので、未だに疑問を感じる視点が抜けないのである。

 ある国際理解を進めるためのセミナーの席上で、男性の中年の高校教師の方がいみじくも自問自答されていたことがある。

 自分達にとって産学協同は悪だったのに、今や「産学協同」は当たり前であり、積極的に展開すべきだとの社会的風潮の中で、どうもすつきりと割り切れないでいるとおっしゃっていたのである。

 いくら地域振興策としても、利益追求のための一個人や一企業の新しい儲け口開発、想像のために、大学が協力し、府や市などの地方自治体が全面的に協力、支援するという構図が、果たして税金の使い道として妥当なのかどうかが問われるのではないだろうか。

 大学、特に私学経営における存在価値と多種多様な地元企業とのノウハウの交換や人的交流は、時代的には不可欠な要素となっているだろうが、行政のサポートについての支出については、まだまだ議論の余地があると思える。

 産学公協同には、甚だ問題が残っていると言及しておきたい。
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小春日和

2006年11月21日 | 季節の話題
 11月も半ばが過ぎて、普通なら木枯らしが吹いたり、初霜、初氷の便りが届く季節となりましたが、今日は「小春日和」と言っていい温かな穏やかな天気でした。

 日に日に寒さが増して確実に「冬」に向かいつつある天気が続く中で、こんな一日がプレゼントされるって、とっても素敵なことだと思います。

 旧暦の10月を「小春」と異称することから日本では「小春日和」と呼んでいますが、大きな移動性の高気圧に覆われたり、帯状の高気圧が横たわって、冬への歩みが一休みする感じです。

 外国でも同様の気候になることがあり、アメリカやカナダでは「インディアン・サマー」と呼び、ドイツでは「おばあちゃんの夏」、ロシアでは「女の夏」と称するそうです。

 日本では「春」が一番よい季節とされることが多いのですが、欧米では日本ほど高温ではない「夏」が快適な季節という印象が強いため、各々「・・・の夏」と言われるみたいです。ただお隣の中国では「こはるのようき」と日本同様に、この時期のぽかぽか陽気のことを呼んでいるようです。

 ただ、アメリカで言われている「インディアン・サマー」と言う言い方には、少し偏見が含まれているようで、日本でも昔のCMに「インディアン,嘘つかない!」と言うのがありましたが、INDIAN SUMMERは、インディアンに騙されたような夏を思わせる「陽気」に逆戻りすることを指しているようです。

 でも現代では、人種差別的表現と言うよりも、サラッと敢えて言うならと言った感じで、インディアン・サマーと表現しているのでしょう。

 その国の歴史、文化、お国柄や緯度、経度の関係などで、ちょっとした気候状況を表す言葉が違うのには、その国の人間性や気象に対する考え方などの相違も関係していると思われますが、私は何とも日本語の「小春日和」という響きが大好きですし、ネコも犬もおばあちゃんやおじいちゃんも、一緒に縁側で欠伸をしながら、寝そべっている長閑で温かな光景が目に浮かびます。

 言葉は文化だといわれていますが、同じ天気を表現する「言魂」が、気配りと繊細な優しさを含んだ、こんな一言にしているんでしょうね。

 誰からか聞いた話ですが、世界の言語がありますが、何故か神様と話すなら、スペイン語、人生を語るならフランス語、ビジネスを話すなら英語、馬と話すならドイツ語、女性と話すときはイタリア語だと言うそうです。

 しかし我々日本人にとっては当たり前ですが、美しい日本語が一番です。

 この短い秋を愉しみながら、「小春日和」の日には数十分でもいいから、のんびりと温かな素敵な縁側で、心豊かな幸せ感を味わいたいものです。
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いつまでもあると思うな。

2006年11月20日 | 日本の課題
 「早や今年も残りわずか」とテレビや新聞の報道やコマーシャルを通じて、何とも忙しない年の暮れを感じさせられることが、年々早まっている様に感じるのは私だけではあるまい。
 
 今週の23日は「勤労感謝の日」であることなど、殆どの人たちは知らぬ存ぜずで「休日」をどう楽しむかの計画や夢で、頭の中はいっぱいなのかも知れない。

 早や初冬を感じる気候にはなりつつあるが、秋の収穫の喜びや感謝も、この祝日に思いを巡らせたりする機会ではないだろうか。

 つい一ヶ月ほど前までは、タワワに実って頭を垂れる稲穂が風に揺れる様を見ながら、子どもや孫にも「お百姓さんの苦労や努力」があって「お米」が収穫されることを語ったり、見ながら教えられた方も少なからずおられただろう。

 しかし日本の食の現状は、ほんとうは大変な状況に陥っていることもご存知ではないだろうか。

 日本人の人口は、昨年をピークに減少傾向に入ったとは言え、1億2600万人であり、毎日の三度の食を満たすための食料は、何と6割が諸外国からの輸入に頼らざるを得ない状況になっているのである。

 いわゆる食料の自給率が先進国と呼ばれる国々の中では、最低の40パーセントであり、ここ数年何とかキープしているものの、それを支える農業者が360万人と漁業者が24万人で、その他の酪農関係者を加えても約400万人、人口の約3%に過ぎず、しかもその内の2分の3は60歳以上の高齢者である。

 政府をはじめ各都道府県並びに地方自治体行政が、思い切った施策で支援策を打ち出さない限り、年々益々食の生産に直接関わる労働者が減少していくことは必至で、日本の農と食は危機的状況に陥っていく。

 若い労働者も中高年の働き手も、もはや土や水と気候に左右されやすい農業や漁業に従事することは不人気で、アジアや欧米を中心とする農業、食生産国の輸出する「商品」としての「食」を買い続ける状態では、いずれ国際貿易としてのバランスが崩れてストップすることもあり得るし、国内の生産者は価格競争で仕事にならなくなることもある。

 また、外国からの輸入品の農薬やポストハーベスト問題や加工品の防腐剤などの添加物など、「食品の体裁」をなしていても「動物の餌」に近い「商品」としての食品が増加する傾向が強くなり、決して健康で長生きする日本人の食としては好ましいものばかりではなくなるのだ。

 やはり、毎日の食事に供される「食品」は、出来る限り国内で生産されたり、獲られた物を主に、一部外国産でしか得られない食品は止む得ないが、食の中心である、米、小麦、大豆、野菜、魚、肉、卵、牛乳などの生産計画とと消費の国内的供受給のバランスを想定した、農業生産支援と経済性を、政府、農林水産、経済産業、厚生労働各省が協力して、真剣に研究する必要がある。

 お正月の「お節料理」に並ぶ食品が、輸入品ばっかりにならない様に、ここ数年が施策の肝心な年になる。
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