ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「ほほえみ」を大切に。

2011年12月31日 | テレビマスコミ
 今年も年の暮れ最終日、大晦日を迎えて、掃除、お節つくり、年賀状、買い物、洗車などとお忙しい最中だと思われますが、一年を振り返って、誰もが一番に浮かべることは、東日本大震災、大津波、そして福島原発事故と続いた、今春3月11日の大惨事だったと思われます。

 そんな一年を締めくくる「今年の漢字」には「絆」が選ばれ、流行語大賞は「なでしこジャパン」、そしてレコード大賞はAKB48が初受賞という今年でありましたが、私のもとに届いた敬愛する先生からの便りに同封してあったコピーに、「あなたは、こんな ほほえみの持ち主ですか。」という文章があり、今年を締めくくるブログは、この「ほほえみ」で幕を閉じることとします。「家政婦のミタ」さんも、最後には笑み、ほほえを浮かべたそうですね。

 大笑いでもなく、
         クスクス笑いでもなく、
                    照れ笑いでも、
                           苦笑いでもない、
                                   やさしく、
                                        暖かく人を包むほほえみ。

 それとも、人と目が合うと、条件反射のように口元にスマイルを浮かべるあなたに、

 「それは、心からのほほえみではないでしょ」と、あなたの心は糾弾しているでしょうか。人前では笑顔をふりまいているのに、ショーウインドーや鏡の中に、こわばった自分の顔を見つけて、ぎょっとした経験は誰にでもあると思います。
  
 「神よ、私にきよい心を造り、ゆるがないせ霊を私のうちに新しくしてください。」(詩篇51.10)

 ダビデは、神様のみが人の心を新しく造り変えて下さることを知っていたのです。そして、神様のそば近くを歩む人には、内側から湧き上がる喜びがあることも知っていました。

 「それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。」(詩篇16.9)

 お金で買うことも、人から借りることも、盗みとることもできない、この微笑み。
 神様が与えてくださる喜びがあふれ出て、あなたの周りの人を潤す、そんな微笑みの持ち主になりたくありませんか。

 「ほほえみ」

 ほほえみ
 それは少しも元手はかかりません 
 しかし、多くのものを人に与えてくれます

 ほほえみ 
 それは人に与えてもいっこうに減りはしません
 しかし、もらった人を限りなく豊かにします

 しかし、このほほえみは
 お金で買うことも
 人から借りることも
 盗むこともできません

 ほほえみ
 それを生み出すのに
 少しも時間はいりません
 しかし、それを受けた人の記憶の中には
 永遠に残ることさえあります

 ほほえみ
 それがなくても生きてゆけるほど
 強い人はこの世にはいません
 それがなくてもいいほど豊かな人もいません

 ほほえみ
 それは家庭の中を幸せにします
 職場を明るくします
 ほほえみは友情のしるしです

 ほほえみ
 それは疲れきった心に休みを与え 
 失望した人に励ましを与え
 悲しんでいる人に光をもたらしてくれます

 ほほえみ
 それは人生のあらゆる問題に対して
 神が与えてくださる妙薬です

 ほほえみ
 それはあなたの心の奥底から湧き出て
 惜しげなく与えた時だけ
 値打ちが出てくるものなのです

 ある人は
 ほほえむことができないほど疲れているかもしれません
 だから、その人にあなたのほほえみをあげてください
 あなたのほほえみを最も必要としているのは
 その人かもしれないですから
                 (作者不詳)

 SMILE 良い年をお迎え下さい。きっと良い年にしましょう。笑顔でイキイキと生きましょう。

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「川柳」と共に一年。

2011年12月28日 | 季節の話題
 一年の締めくくりというべへき季節がやってきて、テレビも新聞も「今年の重大ニュースむを回顧したり、「大震災、大津波、原発事故」や「なでしこジャパン世界一」を再度映像で振り返りながら、今年はこんな年だったと振り返っている様である。

 ほんとうに、3.11の衝撃は大きく、打ちひしがれた被災者と関係者だけでなく、日本ガンバレのいろんな動きが世界中から寄せられたりする中で、やはり一番元気をもらったのが、女子ワールドカップで優勝した澤穂希選手を先頭としたなでしこジャパンの面々であったことは間違いない事実であった。

そして、肝心な日本の行く末を決めたり、私たちの日常生活はもとより、将来の年金や福祉、介護、教育などの生活第一を訴えて政権交代したはずの民主党による政策、そして国の安全、原発問題、外交と難題が山積しているのに、一向に日本丸が進むべき道が見えて来ないばかりか、増税、消費税10%は必至とする議論というよりも決定を先にして、公務員住宅の25%削減などの少しの前進はあったものの、相変わらずの安全運転とやらの野田内閣に、国民の多くは既に痺れを切らして、支持率も不支持を早くも上回る現状に至っては、果たしてまたもやいつまで持つの?と危惧する内閣となりつつあるのである。

 そんな世の中、社会をもののごとに反映している、国民のひとつの本音を如実に表せている「お遊び川柳」如きに、なんと「まったくだ!」と頷きたくなる様な名句、迷句が続出していて、いつも新聞紙上に目をやると、溜息まじりで読んでいる記事の中にあって、しばしの憩いとでも言う感じで、とても楽しませていただいているのが、選者・仲畑貴志さんによる「毎日・万能川柳」であり、今夕の夕刊に掲載されている特集ワイドから私の気に入った句を紹介させていただくこととする。

 なんと、新聞紙上に一年間に掲載された読者からの投稿川柳は、約6400句にもなるのだそうだが、今回選ばれた川柳は、そのうちのより優れたとものとして100句が紹介されていて、暮らし、社会、経済、スポーツ、政治・国際という5つの分野にわけて選出されているのだが、多くは現代の世を象徴する句となっていて、なるほどと合点がいく作品となっている。

 まず「暮らし」からは、

 100均でついてしまった浪費癖   神奈川 カトンボ
 名門も初代はみんな成り上がり    福岡  龍川龍三
 バラ売りは可能かと聞いた夫婦茶碗  京都  八ツ橋  
 
 「社会」
 ためいきでこの世の中は温暖化    神戸  はんぺん
 神様がいるならなぜこんなこと    三木  多江 照代(たえてるよ)
原発の大本営に似る発表       横浜  パパじいじ
 うちの娘もなれそうな気がAKB   大阪  吉田エミ子

 「経済」
 月収じゃないのよ これは年収よ   千葉  斉藤まち子
 上司よりグーグル頼る新社員     鎌倉  晏ちゃん
 オリンパス内視鏡でも見てたい    東京  ジロウ  

 「スポーツ」
 孫とはいつも八百長相撲       新潟  空  夢
 交流が戦いなのか交流戦       米沢  ア 北斎(あほくさい)
あの歳で球団仕切る凄さ知る     さいたま やっかみ男

 「政治・国際」
 本物の総理大臣どなたです      八王子 赤坂若楓
 小沢より国民見ろよやわらちゃん   大野城 新原芳幸
 ともかくだ早く政治をやってくれ   東京  ひねのり
 代案はないが非難はできる党     久喜  花キャベツ
 嗚呼ついに支持する党も人もなく   藤枝  寺田 克  
 ビンラディンいないがテロはなくならず 射水 江守 正
 選挙区も議員もみんな「小」になり  池田  句浪人(くろうと)


以上、私なりに「面白い」「なるほど!」と感じた句を選んでみたが、今年だけではなく、庶民、すなわち句を投稿された人たちも含むテレビや新聞を通じて、国政や社会を見ている普通の人間が感じる、まさにドキュメンタリーとしての「川柳」という文学的お遊びは、不況や政治不信の時代にこそ、より輝きや光を増す感じであり、益々「川柳ブーム」は衰える兆しはなく、続いていくことだろうと思っている。

 来年は、もう少しましな、いやちょっとでも良い年となってくれれば、この川柳の世界にも温かでウイットに富んだ平和で平穏な句が集まることとなるだろうが、やはり川柳は皮肉やユーモアを生み出す社会、すなわち混沌とした時代、社会の方が「いい句」が誕生するのかもしれないというジレンマが生じるのである。
 
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「車検」って高くつきますね。

2011年12月27日 | 感じたこと
 今年の秋から暮れにかけて、我が家の二台の軽自動車が相次いで車検を受けなければいけない時期が重なって、何とか早くて確実で安くしてくれるところはないかと多様な情報を集めて検討した結果、とある車検専門の自動車屋さんに10月にスズキのワゴンRで、約3万キロ走行の中古車の車検を依頼し、約一時間で車検は終了し、指摘の取替え必要部品や箇所の説明を受けた上で整備士の方が作業して下さって、見積もり金額よりはやはり1万円ほど高くかかったが、無事終了し、後日に正式な車検証や領収書などを取りに行ったので、自動車屋さんのある隣町まで片道約7.8キロを3回往復したこととなった。

 まぁ、車検代としてはこの程度はかかるものだと一応の納得をした上での依頼だったのだが、耳積りよりは高くなるのだろうと、事前にも感じていたので、現場では車検を受けて問題となると言われた部分はやむを得ず交換や新品との取替えを了承したのだが、まだ当分は大丈夫と思われる部分に関しては、できるだけ安く車検を済ませたいとの思いもあって、「いずれ修理するか取替えます」との返答で済ませたのだったが、予算よりは高くついてしまったのであった。

 二台目の軽自動車は、私が八百屋の営業用を中心に、いつも足代わりに使っているスバル・サンバー、ディアスという車で、なんと中古で購入した6年前に既に8万キロを走行していた、たぶん平成8年製のワンボックスカーであるが、とにかく私自身の愛着が強くある車なので、八百屋を始めて18年目となるのだが、最初に譲り受けた小型トラックタイプの「ひき売り専用車仕様」の中古車が、とある事情で雨漏りする様になったために、急遽探して見つけた愛着ある車種の2代目として、6年前にインターネットの情報で探して、わざわざ名古屋近郊の中古車屋さんまで、古い車で出かけて取り替える形で購入してきた同じ車種、仕様の2台目、通算3代目の八百屋営業用の車として、この6年間にさらに8キロほど走行しているので、通算16万キロを超す生産後13年以上経った軽自動車であった。

 とにかく、小さな軽四輪だとしても、パート4駆車とでもいうべき機能がついていて、多少の雪道や我が家の狭い車庫に軽四輪といえども二台を収容している現状からすると、玄関先の狭くてちょっとしたスロープがある駐車場に車をバックで入れるには、ただの2駆動の車では、なかなか滑ってうまく入庫できない場合があるので、この4駆はそうした場合は特に毎回使用しての機能を最大限生かして便利に乗っている車である。

 とはいうものの、中古として購入して以来、たぶん3度目の車検ということで、あと2年今まで通り走らせるとすると、2年後の車検時には、走行距離通算20万キロに迫る、年代物の中古車として、さらに車検を受けても活用すべきかどうか不安というか思案のしどころがやってくる様に感じているので、たぶんこの車に関しては最後の車検となる公算もあるので、慎重にと車検時期も考えての一昨日の車検のための前述の自動車屋さんへの再度の入庫となったのであった。

 スバル、サンバー、ディアスについては、妻が愛用するスズキ、ワゴンRの10月の車検終了時、正式な車検証を取りに行った時に、見積もりだけはしておいて貰っていたので、予算的にも16万キロを超す走行をしていて、日頃結構重量が思い荷物も運んでいる現状を鑑みると、車検費用も妻の軽自動車よりは高くつくだろうとの憶測と現実は覚悟の上、再度車検を待っている間にしてくれるという、前述の車検専門の自動車屋さんへと前日に予約して入庫したのであった。

 前回同様に、見積もり金額や部品取替え箇所や、新たに整備中に発見もしくは必要とされた箇所の細かな説明を受けながら、どんどんと加算されて行く部品代や作業工賃が整備士さんの手元にある車検必要経費表に書き込まれて行って、ついに見積もり予算を大幅にオーバーして、約3万円も高くなる計算になってしまったので、少し「予算が・・・」と話してたので、「それでは次の整備の時期に・・」とその部品交換や作業はやめることとなった。

 それから一度、二度自分の車の車検点検と整備の過程をつぶさに見たり、説明をうけたりしながら、予定の一時間を大幅に超えたところで、「申し訳ないが、少し時間がかかるので、代車を用意しますので、明日の午後に取りに来て下さい」ということで、予定の約一時間では終了せずに、一泊二日となってしまった。

 翌日の夕方、借りていた代車に乗って、再び自動車を訪れて、ようやく我が愛車の車検が終了したと、安堵の気持ちで半日を過ごして翌日になつたら、何やらピィーという変な音が走行中に自分の車から聞こえているという現実に気づいて、ゆっくりと走行するとほとんど音は出ないのだが、少しスピードを出して走ると、やはり妙な雑音である音が鳴っているという感じだったので、再度車検工場のある自動車屋に電話し、早速再々度車検が終了したばかりの車を再び車検専門の自動車屋へと走らせたのであった。

 何が原因かは定かではないが、車検整備と部品交換など、整備士さんたちにしていただく前には、そんな雑音というべきか妙な音は聞こえてこなかったので、やはり車検点検、作業、部品取替えの過程で生じた何かが、そんな音を発する不具合を起こしていることに間違いないとの思いで、夕刻を過ぎて車を再度点検してもらいに入庫させたのであった。

 三人の整備士さんたちが、変な音が走行中、しかも時々するという私の訴えに対して、自ら一般道の走行も含めて、その指摘する雑音がどんなものなのかをはじめとして調査していただいて、さらに車検の点検をする工場の大型ジャッキで、我が愛車のディアスを上げて、再び前輪のタイヤを外して、その原因がどの様に生じているのかの検査をして下さったのであった。

 しばらく待合室というべきか、事務所の一角でテレビを見たり、雑誌に目を通したりして時間を待っていたのだが、またもや「痔間がかかりそうなので、今夜も代車でお帰りいただき、明日お電話しますので、点検して整備します」ということになってしまい、なんと再び車検後の愛車が自動車屋さんに一泊、すなわち一日置いての二泊三日とあいなってしまったのである。

 車検代金については、多種多様な宣伝や割引、そして「格安車検」などと、多くの自動車のユーザーが新車を除けば、二年に一度は自動車整備の法律上、車検を義務付けられているので、やむを得ず車検と言う費用負担を強いられるのだが、誰しも少しでも安く早く済ませたいという気持ちは同じなのではないかと思うのだが、いろいろ調べた上に、娘たちも以前に依頼した経験があるというので、その自動車車検専門の自動車屋さんに依頼したのだったが、今回は費用もさらにかかった上に、予想だにしなかった一日はさんでの2泊3日もかかることとなってしまった。

 夜になって、ようやく自動車屋さんから電話があり、車輪を止めてある奥の新しい部品が走行には影響はないが、ちょっと摺れて小さな音が出ていたという原因らしき事実が判明したので、その部品を削って音が出ないようにしたので、もう大丈夫だと思いますとのこととなつて、明日朝再々度、借りて帰った代車で自分の車を取りに行くこととなったのである。

 その間、予定していた仕事やる年賀状書きなども少しつづ日延べとなった部分も生じたし、とにかく時間がかかったことで、費用対効果とでも言うべきか、本当に「安くて確実」、もしくは「便利で丁寧」が売りなのか、今回依頼した業者が他の自動車屋さんと比べて、車検に関してはベターだつたのか、それとももっとリーズナブルで親切丁寧な車検専門業者があったのではないかという、疑心暗鬼も手伝ってしまって、何とも少し後味の悪い、二台の車検依頼の後日談となってしまった感が強いのである。
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高校駅伝、世羅高校の優勝。

2011年12月26日 | イベント
 第62回、全国高校駅伝競技大会が、昨日午前に女子、午後に男子と冬の京都の恒例行事として行われたのだが、女子は愛知県の豊川高校が優勝し、私も応援していた万年最下位だった沖縄県が競り合っていた香川県の選手を最後のトラックに入って抜きさって、46位でゴールインするという場面は出先のテレビで偶然にも確認することができた。

 実は息子夫婦が沖縄に住んでいるためもあって、今私が住んでいる京都と共に沖縄に対する思い入れが強いことと、息子のお嫁さんが先日初めてフルマラソンを完走したとの知らせもあったため、駅伝とはいえ私の大好きな長距離走で、沖縄県が頑張ったことをすぐにメールで息子の嫁さんに知らせたのであった。

 その後の男子レースでは、男女共沖縄県代表で出場していたコザ高校は、残念ながら最下位に終わってしまったのだったが、同じく男女共出場を果たした、広島県代表の世羅高校は、男子が見事7度目の優勝を飾ったので、私自身は世羅高校を直接的には知る由もないのだが、私が敬愛する元山口大学教授で、現在は私の住む京田辺市にお住まいがある、小野忠煕先生の最初の教壇が、この世羅高校であり、先生が戦後間もない頃の当時の世羅中学校に、駅伝の前身である長距離を走ることを提唱し、その後の学校での重要な教育のひとつとなったとされるきっかけ作りをされたとのことだったので、大変嬉しく思ったのであった。

 実は以前にも、このブログでたぶん記したと思うのだが、再度今朝、先生に電話で世羅高校の男子優勝のお祝いを伝えた後に、やはりブログで記すこととなったのだが、毎日新聞社主催ということもあって、今朝の毎日新聞朝刊による詳細報道によれば、世羅高校は1996年創立の広島県立の高校で、男子の高校駅伝大会の第一回と第二回の優勝経験を含む、史上2位になる7回優勝の古豪と紹介されていて、広島県世羅町は現在では、「駅伝の町」と呼ばれ、町民こぞっての熱い声援を受けて、2002年からはケニア人留学生を受け入れることも町民の多大な理解と協力でしているというのであった。

 実は今から60年以上も前のこととなったが、前述した小野先生が、広島県の田舎町世羅町の世羅中学に赴任された当時は、生徒はもとより先生も自分たちの学校である、世羅中学はダメな学校だと思っておられたらしく、多くの学生たちも自らに自信を持つことは愚か、劣等感の塊の様な気分の生徒が多かったという状況の中で、先生は学力も大事だが、まず体を鍛えて持久力や忍耐力を身につけることを目的に、長距離走を課題として取り組むことを提唱されたことが、始まりだったというのである。

 そこで、体育専門で陸上競技の経験のあった若い先生を招聘し、その趣旨を伝えたのだが、その教師は短距離が専門だったらしく、先生が何度も説得されて世羅中学、後の世羅高校に長距離走を取り入れた授業が定着し、現在の駅伝部の創立に繋がったというのであった。

 今大会では、世羅高校は一区では5位、そして二区では8位であったのだが、三区を走ったケニアから来た留学生選手、ディランゴ君の快走でトップに踊り出て、そのまま4区からラストの7区までは日本選手がトップを守って、二位の岡山県倉敷高校に1分23秒差をつけて堂々の優勝となったのだが、広島県の東隣の岡山県倉敷高校は、目標の8位以内を大幅に順位を上げて、初めての2位入賞という快挙を達成し、中国地方の二県が1.2ゴールし、強豪九州学院ね西脇工業、青森山田高校が3位から5位に入賞したのであった。

 前回にも記したと思うのだが、優勝した世羅高校の練習の成果と努力には敬意を表したいと思うのだが、外国人留学生としてのケニアからの外国人選手の力を借りての優勝ということについては、若干寂しいというべきか残念な思いもする部分があって、他校でも青森山田や仙台育英高校でも外国人留学生がメンバーに加わっていて現在では普通になっているのだが少し心がすっきりしない面が残ったのである。

 そんな小さいことは気にしない、プロ野球もJリーグサッカーも、ラグビー、バスケットも、いろんなスポーツ界にグローバリズムとでも言うべき、外国選手手がたくさん参加していて、それなりのルール、すなわち1チーム何人までといった規則が定められてた上での参加だと思うので、時代の趨勢とでもいうべきか現代の潮流なのだろうと理解をすれど、ニッポンの国技と称される大相撲に至っては、幕内力士の半分近くがモンゴルをはじめとする外国人力士が占めている現実を思うと、何ら気にすることはないのかも知れないとも思うのだが。

 いずれにせよ、駅伝という「たすきを繋ぐ」という日本生まれの、独特のリレースタイルで定着した「エキデン」がいまや世界的用語として通用する時代となって、全世界で「エキデン」が開催される時代となつていることを思うと、何も日本人だけの長距離走としての競技だと限定する必要もない時代に突入しているのだとも理解できる昨今となっているのだと思う。

 特に、今年の大会では、今年の一年の漢字として先ほど発表された「絆」を胸に、東北各県の高校の活躍も期待されていた中で、宮城県の仙台育英高校が同じく男女共代表校として出場し、女子では3位、男子も12位と健闘し、ついで青森山田高校も男女共出場し、男子で14位、女子は5位という立派な入賞を果たしたことは、被災地の皆さんだけでなく、全国のエキデンや長距離走、マラソンファンらも含めて、今年を締めくくる大会として、とっても強い感動と勇気と元気を与えてくれたこととなった。

 来年早々には、同じく京都で恒例の都道府県対抗女子駅伝大会が開催される予定なので、今年の大震災、大津波、原発事故と言う三大災害を乗り越えて、多くの人々の「絆」を大切に、新たな出発と元気な生活を取り戻すためのエネルギー、モチベーションを与えてくれる「走り」に期待して、高校駅伝を走りぬいた男女とも多くのランナーたちと関係者に多くの感動に対する感謝を捧げたいと思うのである。
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今日はクリスマス前々日。

2011年12月23日 | イベント
 今日の早朝、いつもの金曜日ということで、八百屋の仕入れに京都市内へと車を走らせて、なにやらいつもと違って道路の渋滞がなく、すいすいと走るので「あれっ!」と言う感じで、やっと気づいたのだが今日は天皇誕生日の祝日?で、仕事や学校もお休みのところが大半で、どうりで自動車も少なく、いつもの渋滞箇所も難無く通過できたのであった。

 昨夜は、我が家のささやかなクリスマスパーティーをしていて、今日は実際のクリスマスイブの前日、すなわちクリスマスのイブイブとでも言うべき日であり、幼児や小中学生の児童、生徒にとっても12月23日が祝日のおかげで、平成の世になってからは、終業式がその前日の22日に繰り上がったカタチで、冬休みに突入した最初の日となったために、世の中のクリスマスムードと共に、もはや誰かの誕生日などにはほとんど関心はなく、早く来い来いクリスマス、そしてお正月と言った感じで、ウキウキ、どきどきの子どもたちにとっては、一年で一番プレゼントを貰ったり、美味しいケーキや食べ物が食べられる最高の期間となるのである。

 平成の世になっての天皇様のお誕生日ということで、新聞紙上やテレビでは現天皇が満78歳を迎えられるとの報道がされていて、先だっては体調をこわされて入院されていたが、何とか健康を回復されて、お元気にこの一年を締めくくる年末を迎えられるということを喜ぶ感じの雰囲気は伝わってくる。

 一方、今月17日の朝方に亡くなった、近くて遠い国の首領、金ジョンイル氏については、列車で人民のための仕事に向かう途中に過労のために心筋梗塞を起こして急逝したとされる、北朝鮮当局の発表の信憑性を疑う様な情報が、相次いで伝えられ出していて、たぶん金王朝とも言われている、絶対君主的金ファミリーの権力の継承を、如何に人民の敬愛する将軍として金正日から正恩氏に引き継ぐかの過程として、一番都合の良い脚色されたストーリーとして、執務中の殉職の様に物語っているのではないかという憶測が強くなってきている。

 朝鮮民主主義人民共和国というのが、北朝鮮の正式国名と思われるが、金日成、金正日、そして金正恩と続く絶対的世襲的権力は、まさに王室的権力、「王国」と言って過言ではない制度、伝統を重んじるというカタチを継承することを絶対化している現状なので、人民共和国というのとは全くギャップのある、絶対君主国なのだと思われる。

 そんな北朝鮮の国状を垣間見るにつけ、日本の場合は象徴天皇と日本国憲法で戦後改めて定められた天皇制を現在も維持しつつも、宮家のあり方や、天皇の世継ぎとして女性天皇を可能とするための皇室典範改正などが議論されたりしているが、戦前の様な天皇絶対崇拝や国事行為での権力行使はない状態なので、自由な雰囲気での天皇家との一般国民との交流も可能となっている。

 その顕著な行動の有り様として、今春に起きた未曾有の大地震と大津波、そして原発被害に苛まれた、東北地方を中心とする被災地への天皇家の訪問、すなわち天皇、皇后両陛下だけでなく、皇太子殿下夫妻、秋篠宮夫妻などの度重なる被災地や避難所、仮設住宅への訪問の報道ではなかったかと感じでいる。

 いずれにせよ、国民に権威と権力の大きさを一方的に誇示し、人民はただ「将軍万歳!」とか「大将を信頼し従います」と宣誓させる強制的指導と共に、批判的な言動や行動が少しでも見られたら処罰の対象となって、場合によっては極刑に処されるかもしれないという、恐怖政治の中にあると思われる朝鮮半島の北部地域の実情が、金正日の死去によって改めて顕著に、意識されるに至る時期となってしまった。

 今日と言う日が天皇誕生日としての休日となっているという意識や感謝の気持ちを抱く日本国民は少数だと思われるのだが、特に子どもたちにとってのクリスマス、そして年末年始の楽しい冬休みの最初の一日として、「メリー・クリスマス!」、のイブ、イブ、全国の特に東日本大震災と原発事故で避難を余儀なくされている、子どもたちにとって、一年を締めくくるこの一週間が、心温まる楽しい充実した思い出を体験できる日々であってほしいと思うのである。

 そして、日本にも第二次世界大戦の敗戦を迎えるまでは、特高警察やあらゆる機関で、「非国民」とか、「不敬罪」といった、天皇に対する批判や反権力的言動すら許されない、暗黒の時代があったことを忘れないで、近くて遠い国の現状が少しでも、一般人民にとって生活しやすく、ささやかでも幸せを感じられる国、比較してはなんだが、先ほど来日された「国民総幸福度」で世界一を目指す「ブータン」の様な国に近づくことを願いつつ、北朝鮮の子どもたちにとって、「クリスマス」はどの様に伝えられ、感じているのだろうかと思ったのであった。
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「冬至」を迎えて。

2011年12月22日 | 季節の話題
 12月22日、本日は「冬至」であり、一年中で一番昼の時間が短くて、早く夜が来るといってもいい特別な日であるのだが、子どもたちにとっては一般的には冬休みの始まり、つまり二学期の修了式の日であるので、いつも通り小中学校へと足早に急ぐ子どもたちの声が早朝よりしていたが、たぶん昼前には帰宅して、楽しみのクリスマスとお正月が待ち遠しいことになるだろう。

 大人たちにとっは、何と言っても忙しないというべきか、年末までにしておかねばならない仕事であったり、家事であったり、子どもたちやお年寄りの世話であったり、墓参りやおせちをはじめとする年始を迎える準備に加えて、年賀状の制作、宛名書き、差出と追われるごとき日々なのだが、来るべきクリスマスやお正月に備えてのサンタのプレゼントやお年玉の準備もあって、そら忙しくなるのは当然の冬至である。

 でも、何やら「冬至」と聞くと、思い浮かべられるのが、主に「ゆず湯」と「かぼちゃ」ではないかと、私は自然食やおやを始めて18年目になるのだが、やはり農産物の旬なのか、それとも昔からの伝統、習慣なのかは定かではないのだが、お客様との会話でも、「ゆず」と「南瓜」の話がよく出るのである。

 今日は、「冬至かぼちゃ」を食べて金運を祈り、冬至風呂としての「ゆず湯」に入って、無病息災を祈るという行事を各家庭で行ったり、風呂屋や料理屋でも冬至にちなんだ催し、あるいは風情としての「かぼちゃ煮」を一品添えるなどして、お客さんたちの無病息災というか、健康を祈願する店もあると思われます。

 そこで、「ゆず湯」と「かぼちゃ」について、少し薀蓄を記すこととしましょう。

 「ゆず湯」は、ゆずをそのまま湯船に浮かべるのが主流ですが、ちいさな布袋にいくつかのゆずを入れて、ちょっとした香りを楽しむ程度でもいいと思いますが、たくさんのゆずを湯船に入れると、肌に合わない人もいるのでちょっと気を使いますが、普通の場合は、肌がすべすべになる美肌効果があると言われていて、冷え性やリュウマチなどにも薬効があるとされていて、とにかく体が温まり、風邪等をひかない様になると言われています。

 これらの「ゆず」の効能は、ゆずに含まれている芳香成分としての精油の働きによるものと言われていて、ゆずの精油にはピネン、シトラール、リモネンなどの物質があり、これらが新陳代謝を活発にして血管を拡張させ、血行の促進をはかり、ノミリンと称される成分に、鎮痛、殺菌の作用があるそうで、体が温まったり、風邪なども治るといわれています。

 また「ゆず」に含まれているビタミンCが、肌にはいいといわれていることは、よくご存知だと思いますが、リモネンは皮膚に膜をつくり、肌の水分を逃がさないようにしてくれるので、美肌効果があるとされていますが、このリモネンは、みかんの汁が目に沁みる様に、ゆずの汁も沁みる人もいる様ですが、ゆず湯は、アロマセラピーのリラックス効果もあって好まれている様です。

 しかし、何故「冬至」には「ゆず湯」となったかというと、「冬至」、すなわち「とうじ」が湯に浸かって病を治すという「湯治」と言う言葉と音が同じなために、「柚子(ゆず)」も「融通が利くように」との願いとかけあわさって好まれる様になったたいで、5月5日の「菖蒲湯」が「子どもが勝負に強くなる様にと」の願いをかけているとのと同様の「願かけ」からの習慣となった様です。

 一方の「かぼちゃ」については、決して冬の現在の旬の野菜とはいえないのですが、この時期に収穫できる旬の野菜が少ない中で、かぼちゃは秋に収穫されたものを保存できるために、保存がきき栄養分も豊富な南瓜、すなわちかぼちゃが冬至の野菜、食べ物として珍重されたということだうです。

 日本のかぼちゃは、16世紀中頃に、ポルトガル船によって、カンボジアからもたらされたことが最初だったことから、「カンボジア」をもじって「かぼちゃ」となったとされていて、江戸時代になって庶民の台所にも普及し、江戸の中期頃からは、風邪や中風の予防として、冬至にかぼちゃを食べるという習慣が根付いたと言われていて、当時は冬場に野菜が少なく、健康を保つためのビタミン不足を補うために、この時期には「かぼちゃ」を食べるしかないとの習慣から始まっているらしいのです。

 日本で食することの出来る「かぼちゃ」は大別すると3種あり、栗かぼちゃ(西洋かぼちゃ)、えびす、ややこなどの日本かぼちゃ、そして特殊な坊ちゃんかぼちゃ、黒皮かぼちゃ、白皮かぼちゃ、そして京都の面白い形の「鹿ケ谷かぼちゃ」などが日本では食用の主なかぼちゃですが、「プッチーニ」や「ペポ」「バターナッツ」など小さなカタチのバリエーションを楽しめる様なかぼちゃもあって、西洋の祭りに登場するパンプキンかぼちゃは、一般的には飼料用とされるピンクの大きなかぼちゃもあり、日本かぼちゃが一番やはり美味しいと思われます。

 かぼちゃの成分は、何といっても「カロチン」であり、カロチンは体内でビタミンAにかわって、肌や粘膜を丈夫にし、感染症などに対する抵抗力をつけてくれるといわれていて、「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」と言われる様になった様です。

 それでは皆さん、冬至かぼちゃを食べて、冬至柚子湯に入って、ゆっくりと今日はお休み下さい。皆さんのご健康を祈っております。
 

 

 
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「サウンド・オブ・ミュージック」に感動。

2011年12月21日 | ファミリーイベント
 昨日の夜、我が夫婦にとっての今年のクリスマスプレゼントとして、劇団四季が演ずるミュージカル最新作『サウンド・オブ・ミュージック』を大阪駅近くのハービスENT7階にある「大阪四季劇場」に見に行きました。

 50年近く前になったと思われる、あの有名なジュリー・アンドリュースが主演した家庭教師マリアと、オーストリアの海軍大佐のお父さんと七人の子どもたちの「トラップ・ファミリー」が織り成す、悲喜こもごものテンポのあるストーリーと音楽を中心に危機を乗り越えていく物語として、本格的なミュージカル映画として日本でも公開されて以来、ペギー葉山さんが日本語訳として作詞した「ドレミの歌」をはじめとする親しみのある名曲を中心に大人気となった作品であるが、原作は向こうの作品であるにもなのにも関わらず、とっても素敵で温かな心地よい展開で、日本人によるプロミュージカル専門劇団の舞台として実現したのである。

 劇団四季によるミュージカルの舞台は、ほぼ十年前から数回鑑賞しているのだけれど、今回ほど前もって舞台のイメージを抱きながら劇場へと足を運んだことはなかったのではないかと思えるほど、インターネットのHPなどの前評判や鑑賞した人たちの感想なども事前に見ていたこともあって、期待は大という感じであったのだが、期待に違わずといった約2時間半のパフォーマンスを楽しませていただいた。

 私たちは、以前にも劇団四季によるミュージカルとして、「ライオンキング」に始まり、「美女と野獣」「オペラ座の怪人」「夢から醒めた夢」「アイーダ」「ウエストサイドストーリー」を鑑賞した覚えがあり、劇団四季の演ずるミュージカルは大好きで一定の信頼と期待をいつも持って行くのだが、事前にチケットを購入して今回も同様な気持ちと共に会場へと向かったのだが、今回は初めてチケットレスのインターネット予約で、携帯電話に返信された予約完了のメールは来ていたが、当日会場受付で果たしてうまく入場できるのかと妻は心配していたらしく、入場までは少し緊張気味であった。

 久しぶりの四季のミュージカル鑑賞だったが、前から5列目くらいの席だったこともあって、よく舞台が見えたこともあってか、たぶん7作目だと思われるこの「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台は、ストーリーの親しみやすさ、分かりやすさも手伝って、鑑賞後の感動は今までにないほど素晴らしいものであり、とても楽しく心温まる観劇となった。

 当然、あの有名なサウンドの歌の数々が舞台では次から次へと歌われたのだが、マリア先生を演じた笠松はるさん、トラップ大佐の村俊英さんを中心に、七人兄弟の長女リーズルを演じた脇野綾弓さんや修道院長を演じた秋山知子さんたちの歌は、とても心を洗われるとでも言っていいほどの透き通った歌声と声量、そして強く大きな意思を感じるほどの響きがあって、他の子どもたちのかわいくて一生懸命の歌声とは、また異なったプロの歌い手としての誇りと自信がみなぎっている様で、さすが四季の劇団員としてのたくさんの練習と鍛えられた日々を感じるほど、見事な出来栄えであった。

 この様な素晴らしい感動の舞台を制作する劇団四季の中心に、あの浅利慶太さんがいるのだが、この「サウンド・オブ・ミュージック」が大阪で日本人によるミュージカルとしてと公演されるに至るまでに、長年の準備と共に、多くのクリエイティブスタッフ、すなわちリチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世はもとより、脚本、オーケストラ、ダンス、振り付け、舞台装置や衣装、デザイン、そして演出という多くのスタッフや技術、専門家が指導し、制作がされたことを思うと、舞台の完成度が多くの観客の感動を呼ぶに至っていることは自明の理だと感心するものであった。

 最後に、カーテンコールの後に会場の観客も含めて皆で歌った「ドレミの歌」をはじめ、あのスイスやオーストリアの山々に咲く「エーデルワイス」を思わせる曲、そして、「マリア」「私のお気に入り」「「もうすぐ17歳」「さよなら またね」「すべての山へ登れ」など、数々の名曲が脳裏に走馬灯の如く蘇って来る感じで、帰宅途中の電車でも、そして翌朝を迎えた今朝の起き抜けにも、拙いけれどメロディーを今にも口ずさんでしまいたいほどの衝動を覚えるほどの感動であったことは間違いない。

 余談だが、公演終了後のカーテンコールでは、何度も舞台狭しと出演者が登場し、お礼の挨拶を繰り返していたのだが、あのかわいらしい七人兄弟の長女リーズルを除く6人の子どもたちは、最後の舞台には姿を見せなかったので、少し寂しいというか物足りなさを感じたのだが、18歳未満の子どもたちの深夜労働を禁ずる法のためなのかと納得しながら、やはり「サウンド・オブ・ミュージック」の主役は、マリア先生と7人の子どもたちであると強く感じたのであった。
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「キムジョンイル」の死。

2011年12月20日 | テレビマスコミ
 昨日正午過ぎにテレビ画面に表示された緊急ニューステロップ、「北朝鮮の金正日国家主席急死」に始まった騒動は、北朝鮮国内のみならず日本国内でもトップニュースとして報道され、今日に至る一日中、何処のテレビ局も、このニュースに関する解説や専門家とされる大学教授やジャーナリストをゲストに迎えての特別番組でごった返していた。

 近くて遠い国と言われる北朝鮮、すなわち朝鮮民主主義?人民共和国に纏わる情報は、その信憑性すら疑わしかったり、国内外への宣伝であったり、過剰な反応だったりと、真実がつかめないというジレンマが付きまとう情報が多いので、一瞬目を疑いつつ、17日朝に列車で移動中の車内で心筋梗塞を再発し死亡したということを、一日半経った19日正午に朝鮮中央テレビが、約50日間も姿を見せない現状を取り沙汰されていた、元女優の甲高くて威風堂々のアナウンスを重大な局面に至って必ずする女性アナウンサーの喪服姿での久々の登場で放映し確認されたのである。

 一説には、既に2008年に重度の心筋梗塞で実際の金ジョンイル氏は死亡して、その影武者的人物がテレビ映像などでは紹介されているのだという説もあったが、今年に入って精力的にロシア、中国などを訪問している映像などでは、少し左足を引きづって歩く姿なども映っていて、金正日氏本人が生存したのだが、とにかく急死という事態に、北朝鮮政府、軍隊、そして世襲の権力者とされる三男、金正恩氏への権力移譲が進んでいるが、まだ十分な準備がされていない最中の出来事だけに、混乱や問題が生じないかと、もっぱらの専門家を含む心配、危惧であることは間違いない。

 しかしながら日本のみならずとも、近くて遠い国と言われる北朝鮮の最高権力者であった金正日の死亡というニュースに、これほどまでの時間を費やして憶測も含めて、現状と今後の予測を報道しなければならないものか、ちょっと不思議にすら感じるのは私だけではあるまいと思うのだが、しばらくは続く気配である。

 確かに日本と国際社会にとって、ここ数週間はアメリカと北朝鮮の二国間協議を中心に、北朝鮮人民の食糧が非常に厳しい状況が予測される中、核兵器やウラン増殖の技術をちらつかせながらの、いわゆる「瀬戸際外交」とやらを続け、少しでもいい条件で「食糧支援」を得て、国内の安定を計りたいとの思惑が非常に顕著に伺える中、中東、北アフリカを中心に今年顕著になった「アラブの春」の様な国内の民主化運動や、現体制への不満分子の台頭などを極力避けたい政治的思惑が明らかな最中であった。

 特に北朝鮮との関係も取り沙汰されていたリビアで、あの絶対的権力者として君臨していた「カダフィ大佐」が、民主化運動をとの闘いで、ついに反政府軍に射殺されるという事態が世界中に発信された今年夏を、見聞きしてしていたであろう金一家にとっては、核を外すことは自らの絶対的権力の崩壊に繋がるという不安感が強く、彼らの頭の中には現体制を如何に人民に不満を感じさせずに続けるかが最大の課題となっていたと思われるのである。

 金正日将軍の突然の死亡によって、後継としては誰もが認めてはいるが、まだ28歳になったばかりと思われる金家の三男坊、金正恩氏の軍部を掌握する力やどん底だといわれている北朝鮮の国内経済の建て直しの施策が、如何にスムーズに行われるか否かに、多くの不安と国際的危惧が山積していることは事実で、日本の役割があるのか否か、野田政権も外交には弱いと言われているが、しっかりとした情報分析を背景に、アジアの一大経済大国にのし上がった中国と共に、積極的な外交を展開する待ったなしのチャンス到来と言ってもいいのではないか。

 一般的な国民感情としては、やはり「拉致問題」の解決への前進が関心の的だが、北朝鮮では、先々代の金日成主席が死去した際も約三年間喪に服するという実績があり、今回の金正日氏死去で、後継の正恩氏がどれほどの喪期間を要し、国内問題に一定の目処をつけられるのか、また金正成時代に発生している「拉致」という卑劣な作戦で犠牲になっている日本人生存者の帰還や情報について、新たな調査や期待する決定を下せるか否かは、全く予断を許さない課題である。

 いずれにせよ、三代も国家権力を継承するという、前時代的強権政治が本当は崩壊することが国際社会においては望ましいが、中国、ロシア等以前の東側とされた国々にとっては、北朝鮮の金体制が崩壊などしたら、とんでもない負担、つまり難民や食糧問題だけでなく、西側諸国に属する韓国と直接国境を接するような朝鮮半島の統一国家の実現などは許されない国家にとっては、不利益かつ最大の危機を感じざるを得ない状況になるため、絶対的に阻止したいとの思惑があって、北朝鮮の民主化、金一家の独裁的統治を当分支持せざるを得ないのだそうである。

 テレビ映像では多くの人民が、金総書記の死去を涙で悼む光景が映ってはいたが、大半の人民、国民が飢えにさらされているとの情報もあるので、民主化どころか、明日を生きて行くための食料を如何に得るかが最大の課題であるとすれば、一番の犠牲者である普通の人民が何を感じているか、また軍兵士たちが飢えるということになれば、軍部の反乱や内部的逆襲が起こりうるので、来春の金日成生誕100年歳までは、詳細な情報をキャッチする危機管理能力が、今以上に政府に必要とされる事態であることは間違いない。
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「榎木の大木」の出会い。

2011年12月19日 | 季節の話題
 今朝のことである。12月も半ばを過ぎて世間は忙しなく感じられる今日この頃ではあるが、一歩自然の中に足を踏み入れてみれば、当然のことなのだが今でも自然豊かで、ゆったりと時間が流れていて、喧騒の世の中とは全く異なった世界に出会うこともあるもんだと痛感する様な出会いに巡りあった。

 突然昼過ぎのニュース速報で、北朝鮮の金正日総書記の死亡を知らされ、近くて遠い国である朝鮮人民共和国の最高権力者、キムジョンイル氏が69歳で突如亡くなったことが、まったく別な用件で電話した先方の奥さんからも「キム総書記が亡くなったね」との言葉があり、なんとも直接の影響はないと思われるが、日韓中、そして米国、ロシアと北朝鮮との関係において、いろいろいとギクシャクしている国に対する多大な影響と余波が年末から新年にかけて取り沙汰されるだろうとの憶測と、キムジョンウンと称する若き跡継ぎが実権を握るとしても、混乱も生じるのではないかと危惧している。

 そんな突然の近隣国のニュースとは裏腹に、冒頭に記したのは、ちょっと近くに流れる大河である「木津川」の河川敷を散歩していた時の出会いについてである。

 京都府京田辺市の北部住宅街に30年ほど前に移り住んできた私にとって、京都南部の自然環境は住まいというだけでなく、仕事の関係も、また人間関係においても欠かすことの出来ない環境として、大切に感じているのだけれど、なかなか近くの自然としての代表的な山と河である、生駒山系の甘南備山を中心とする丘陵地帯や三重県に源流をなす、万葉の世では「いづみ川」と歌われた大河である「木津川」を歩いたり、散策したりする機会はない日々を送っている。

 しかし、今朝久しぶりに近くの手原川沿いの小さな小路から木津川の静かな流れを見渡せるところへと足を踏み入れたところ、突き当りのちょっと横に、大きな榎木の大木があり、その近くに小さな木造の小屋があって、黒いすすのついたやかんに入れられた湯が沸騰している光景が目に入ったのであった。

 何気なく散策していた私にとっては、何やら人の気配を感じる付近の光景に、少し緊張しながら歩を進めたところ、その先のちょっと広くなったところで、双眼鏡で何やら遠くを眺めている初老の男性が椅子に座っているのを見つけたので、近くに歩を進めて声をかけたのであった。

 その方は70代半ばと思しき方であり、決してホームレスの様な感じではなく、丁寧なことばで「良かったらお座りになりませんか?」と返答というか話してくれたのであった。

 しばらくお話を伺っていると、初対面なのにも関わらず、いろいろとご自分のお名前や元の職業、何故ここに座っているのかなど、私の疑問にも答えて下さる感じであり、途中からは近くに飛遊している野鳥や猛禽類の写真を撮っている人がいるという話から、その方が撮影された「きじ」「はやぶさ」「たか」「白鷺」「コジュケイ」などの野鳥が飛び交う自然の姿を撮影した写真の束を見せて下さったのであった。

 彼は十年前から、この付近に毎日の様に来る様になったと言われていて、川向こうの町から最初は車で来て、この地が気に入ったので、こつこつと木材を集めては小屋を作り、周辺の雑草などを刈って、居心地のいい休憩所にしたいと思って作業を自分ひとりでされたらしく、今では誰かが寝泊りもしているのではないかと思わせる建物となっているが、彼は毎日の如く、この地に自転車で通っているのだというのであった。

 この場所で、たぶん定年後の居場所として、誰彼となく男たちが集まって、最初は川を目前にしている場所なので、「夜釣り」ということで集まり、酒を飲み交わしての何人かの宴会をしていたというのである。

 そのうち、一人減り二人減りと、いろんな事情で来なくなった人もいるが、また新たな出会いがあって、その中のお一人が写真機を片手にやってきて、この付近の河川敷と大きな榎木の枝にやってくる多種多様な野鳥たちを主に撮影対象としてシャッターを切る日々の男との付き合いが始まったらしいのであった。

 写真を撮られた人は、今日も午後には来られるらしいのだが、なにせ見せていただいた写真の中には、野鳥を愛する人たちがびっくりするほど、真近かに生息する野鳥たちの生態が、ものの見事に写っていて、感心するやら、こんな人里のほんの近くに、猛禽類や多様な鳥たちが日々の餌を狙って飛来したりする場所があることを改めて知ったのであった。

 何はともあれ、そうした鳥の野生生活とは裏腹に、人間社会での仕事人間として働き続けてきた人々、特に初老の男たちにとっての「隠れ場」と言っても過言ではない雰囲気の「居場所」として、彼は毎日十年近くは、この地に通って日がな一日、川と山と空と大地を眺めて時を過ごしているらしいのであった。

 彼曰く、川向こうの遠くに見える山々について、最初にこの地に来た頃には、その遠景の中にいろんな山々があることが見えなかったというのだが、歳月が経つにつれて、徐々に遠くの光景が見える様になってきたらしく、今では近くの小高い山だけでなく、その向こうに連なる連山の山影をも確認することが出来る様になったのだというのであった。

 つまり、最初は視力も落ちていて、見えなかった山々や自然の中の小さな営みや川面の鳥たちが、徐々に自然に親しみ慣れていく内に、視力が回復したのか良くなって、見える様になったのだと嬉しそうに仰っていたのである。

 年頃を過ぎた娘さんが二人おられるというおじさんは、奥さんに先立たれて、仕事もリタイアしておられるので、毎日この地で自然の移ろいに目を向けて、ゆったりとした気分で時を過ごされている様子であり、なんとも心地よい、または贅沢な時の過ごし方をされていると言ってもいい感じの「自らの桃源郷」の様に感じられた。

 その木津川の隠れ家的場所に、一歩足を踏み入れた私は、ひょっとしたらその地の虜になってしまうのではないかという、ちょっとした恐れを感じたわけではないが、今回は自らは名乗りもせずに、「また来るかもしれませんが、お元気で。」と言い残して、後ろ髪をひかれる思いを抱きつつ、足早におじさんの居る場所から、現実の社会、今に戻ってきたのである。

 まるで、御伽噺か夢の世界に突如行って来たみたいな心地を感じながら、足早に歩いて、先日から付け出した万歩計を確認してみると、出発した時点からは、たった1500歩ほどしかカウントされていないことに気づき、こんな隠れ家的桃源郷の如き場所が、知る人ぞ知る「榎木の大木」の麓にあったのだと改めて思い、出会ったおじさんとの交流が今後も続くのではという思いになっている。

 現実の日常の中にある、ふつうの非現実的な自然の移ろいと他人の眼差しを感じつつ、たぶん彼は「余生」をこうした時間の過ごし方で年を取って行くという選択をしているのだと、妙に納得しながら帰宅の途についたのであった。
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さすがメッシMVP。

2011年12月18日 | プロスポーツ
 サッカー・クラブワールドカップの3位決定戦と、バルセロナとサントスの決勝戦を、野球ほどにサッカーファンだと思っていなかった私だったが、個人技のすぎらしさとゲーム運びの無駄のない、本当のプロサッカーのゲームに魅せられた様に、テレビ中継を最後まで観てしまったのだが、さすがの世界一のサッカー・プレイヤーであるスペイン・バルセロナのFW、メッシのプレイと笑顔に翻弄されたように、彼の見事な2ゴールを含む4-0の圧倒的な強さで、南米王者のサントスを一方的に破ったバルセロナが2年ぶり2回目のクラブチーム・世界一に輝いたゲームとなった。

 その前座ではないのだが、決勝に駒を進めただけでも立派なのだが、ブラジルのサントスに善戦したが、やはりクラブチームとしての伝統、すなわち創立100年を来年迎えるという、かつてサッカーの王様とうたわれたペレを擁したチームの迫力と実力の前に屈したJリーグの今年の王者、柏レイソルは、準決勝でバルセロナには完敗した中東カタールのクラブチーム、アルサドとの3位決定戦で0-0の善戦はしたものの、PK戦で惜しくも4-5で負けてしまった。

 柏レイソルのゲームは、全体的には前後半とも、アルサドをボールキープ率でも圧倒し、シュート数もコーナーキック数も断然勝って、優位にゲームの主導権を握っている様に感じでいたのだが、最後まで決定力を欠く試合となってしまって、内容では断然勝っていたのに、最後のPK戦の相手キーパーに林選手が唯一のフリーキックを阻まれてしまったために、1本差で無念の敗北となっただけに、彼を責めるわけにはいかないが、本人はとても責任を感じてゲーム終了後、うなだれた格好でベンチに沈んでいたのが、とても印象的であった。

 彼はいつからかは定かではないのだが、ゲームの実況中継をしていたアナウンサーの情報によれば、かつてPKでのゴールキックは、一度も外したことがないのだとのことだったが、大事な3位決定戦のたぶん3番目のキッカーとして、自信を持って登場したのだけれど、惜しくもキーパーのファインセーブの前に涙を呑んでしまった格好で、チームメイトやサポーターは彼を責めるつもりはないと思うのだが、本人にとてはとても辛い失敗の思い出となってしまった様で、大変気の毒な結果であった。

 ファイナル戦で、さすがの2ゴールをあげたバルセロナのメッシ選手は、大会の最優秀選手に選ばれ、4点ながらもう一人の選手と並ぶ得点王にもなったわけだが、本当に堂々たる世界のメッシとしてのプレイと独特の笑顔を、6万8千人余で超満員だった、横浜国際総合競技場を埋め尽くしたサポーターたちに見せ付けた結果となって、ペレの再来とも言われている若きストライカー、ブラジルの宝石とうたわれる19歳のネイマールのゴールは決勝戦では見ることが出来なかった。

 しかし、柏レイソルとの準決勝戦では、ネイマールの華麗なゴールをテレビ観戦して目に焼き付けたので、これからの国際的なサッカーゲームでの、ネイマールの活躍と独特のモヒカン狩りの目立つ髪型と共に、今後のサッカー界の星であることには間違いがないスーパースターなので、注目していきたいと思っている。

 日本のクラブ・チーム代表として、今回の世界クラブ・ワールドカップに出場した柏レイソルにも、酒井選手という素敵かつ実力を持ち合わせた選手がいて、日本代表選手としての招聘も受けていると思うが、今回準決勝で対戦したブラジルの本場、サントスからもオファーがあったと伝えられているので、彼は近々ひょっとするとブラジルで、かつての三浦選手、キングカズも所属したことのある名門チームに移籍して、大活躍する選手となるかもしれない。

 今までのクラブ世界一を決める、ワールドカップ・クラブ選手権については、あまり知らないのだが、日本チームとしては、浦和レッズとガンバ大阪が、いずれもセミファイナルまで勝ち上がって、世界3位になっているということなので、今回の柏が3チーム目の日本のクラブチームとしての、メダルはないのかも知れないが銅メダル、すなわち三位獲得がならなかったということは、まことに残念であった。

 いずれにせよ、世界的経済不況といわれている今日において、世界のトヨタと言われるトヨタ自動車がメインスポンサーとなって、クラブチーム世界一には500万ドル、そして二位以下にも400万ドル、300万ドルと多額な賞金が出ると伝えられているのを聴いて、なんとも総額がいくらになるのかは知らないが、賞金と大会運営費、関係経費など含めた総額は、たぶん20億円ほどの費用がかかっていると思われるので、どっこい日本企業としての世界に誇るトヨタは、まだまだ余力のある、やはり大スポンサーとして君臨していることを、改めて感心すると共に、世界市場の中での日本企業の経済力は、まだまだ心配いらないと、変な安心感というか、サッカークラブ世界一を見届けて、全く次元の違う経済力をも見せ付けられた気がしたのであった。

 メッシ、ネイマールをはじめとする国際的なサッカー、スーパーアスリートの技術、センス、そして思考力とも言うべき、発想や展開を読む洞察力とでも言うべきゲーム感などが、飛びぬけて超一流であることを、まざまざと見せ付けられた大会であり、すばらしい感動とサッカーの魅力をより一層強く感じた大会であったと言えよう。

 

 
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