ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ぜんぜん違う涙。

2010年06月30日 | プロスポーツ
 昨夜のワールドカップ南アフリカ大会、決勝トーナメント「日本VSパラグァイ」戦は、死闘90分で決着がつかず、前後半各15分の延長戦を両者が戦った後に、PK戦で惜しくも日本は5-3でパラグァイに敗退したことを、とっても残念だったが、「サムライブルー」
と称された岡田ジャパンの代表選手たちは、本当によくやったと賞賛したい。

 PK戦の三人目で惜しくもゴールの上のバーに当たって失敗した駒野選手の落胆した顔と崩れそうだった体を同僚たちが支えて励まし、ゴールキーパー川島のPKファインセーブは見られなかったが、国内のテレビで、この戦いを観ていた人は視聴率的には60%を超えていたらしいから、老若男女を問わず数千万人だったらしいが、お疲れ様でした。

 ピッチを後にしたイレブンたちはインタビューに答えて、「残念」「もっと上へ行けたはず」と口々に敗戦を悔やんではいたが、清清しい敗戦の弁と共に、チームの同僚たちやコーチ、監督、裏方、そした多くのサポーターとテレビ観戦した国民にまで「感謝」の言葉を述べていた彼らの言動にも感動した。

 試合内容はサッカーの強豪南米のブラジルとアルゼンチンにはさまれた高地の小国「パラグァイ」に、得点を許さないという「完璧な守り」を徹したニッポンチームに、全世界から賞賛の声と「ニッポンよくやった!」との讃美が伝わっているが、スポーツは負ければ、それでおしまい、日本のワールドカップは終わったのである。

 ピッチを去ったイレブンの内、本大会での輝かしい活躍が目立った「本田選手」も、ロッカーでは激しい悔し涙を流したそうだが、一方国技と大騒ぎされている「大相撲」の元関脇、貴闘力だった「大嶽親方」は、相撲界からの追放に近い処分が内定したらしく、涙を拭いながらの会見をしていた。

 全く異なるスポーツ界の「涙」を見たり見聞きしながら、サッカー日本代表の選手、関係者、ファンが流す悔し涙や嬉し涙との違いが、あまりにも大きすぎる「相撲界」に関連した「反省色」をあまり感じない「涙の演技」にはガッカリしながら、もう「国技」なんと勝手に呼ぶなと怒りに近い、また呆れた感情が入り混じった「やめてしまえ!」という投げやりな感情しか持てない心境である。

 文部科学省傘下の財団法人として、税金の補助金も多く支出されていたであろう「大相撲」が、暴力団の資金源となっていたらしい「野球賭博」に多くの力士や相撲関係者が常習化した「甘えと金銭感覚のなさ」、「社会的、道義的責任」の欠如を思うと、あまりにも違う「責任」「努力」「感動」「金銭」「心の支え」「生きる勇気」など、プロスポーツ成るゆえの「大きな力」の影響力を感じざるを得ない。

 本当の「涙」は、何処に流され、何処で感動を呼んでいるのであろうか。
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梅雨空に壱岐島へ。

2010年06月28日 | 感じたこと
 ガリバーのミニ旅行、国内版。

 突然ですが、初めて長崎県壱岐島に行ったのです。

今晩は阪神戦も気になるワールドカップの試合もないので、仕事は有休を取って旅に出ました。

でも、生憎の梅雨空に風も強く、佐賀、長崎地方は大雨警報発令中で、天候は良くありませんが、雨もまた風情がありますね。

 温泉に浸かって英気を養い、また溌剌と明るく元気に生活する英気を養うためのミニ旅行とになりました。

なにせ携帯からの投稿原稿ですので、愛想なくてすみません。皆さんもお元気にご活躍下さいませ。

 ところで、突然の「壱岐」という名の島ですが、何処にあるかご存知でしたか。

 北九州地方の天気予報の際に、「壱岐・対馬地方」と玄海灘に浮かぶ日本でも有数の島の中で「名前は有名」ですが、何処に位置するのかを知る人は少ないようですので、写真の如く位置することを改めてお知らせしたいと思います。

 天気がよければ唐津や呼子の港からも姿が見えるらしいのですが、生憎の天気で全く島影すら見えない状況の中で「壱岐の島」に向かいましたが、幸いにも、「大雨警報」の発令中なのに、傘を一度も必要としない半日の「壱岐観光」ができました。

 平成の大合併で小さな町が四つ合併して、長崎県壱岐市となったのが数年前で、人口は最盛期には5万人以上あったそうですが、現在は3万数千人の住む、風光明媚な農業と漁業で生計を為す「地上の楽園」と言う人もいる「壱岐」でした。

 特に海産物が豊富で、観光客には「うに」が大人気でしたし、麦焼酎の発祥の地らしく、小さな島にも関わらず「焼酎メーカー」が七つもあり、全国に「壱岐っ娘」などは出荷されていて好評だそうです。

 島を行き来すると意外と田んぼと畑が多くあり、佐賀県に近いところから佐賀平野につぐ広さの平地が島の中央部にあって、早稲に始まり四月、五月、六月と三度の田植えで、米作りも盛んで、台風の通り道になることの多い「島の食糧」の基本を守っているそうでした。

 漁業に関しては、今も海女さんがおられて、旦那の猟師さんと共に毎日海に潜られて、雲丹やサザエなどの海産物を獲る仕事をされていて、働き者の奥さんが多いようでした。

 玄海灘に位置する島「壱岐」は、元寇の役で二度も戦場になったことが歴史的にあったそうで、島民には多くの被害者が出たり、第二次世界大戦時には海軍の戦艦の大型の砲台を移設して、対馬と壱岐で日本海に入る敵艦を砲撃する基地となっていたという歴史的事実も初めて知りました。

 現在は、朝鮮半島に近い対馬諸島と共に、日本の中国、韓国との国境線や海産資源や石油、天然ガスなどのエネルギー資源の海底資源の発掘などの国際競争のラインの一つとして認識される重要な島のひとつとなっているようでした。

 
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ラオスの河海苔。

2010年06月27日 | 地域の話題
 先週、突然に八百屋のお客さんから「ラオス土産」として友だちから貰ったという「河海苔」をたくさんいただいた。

 写真の如く見た目は、確かに「海苔」なのだが、たぶん東南アジアの海に面していない国「ラオス」の特産品で「河海苔」という不思議な感がするが、海で採れる海苔ではないらしい。

 その少し色あせた様な「河海苔」の商品名は未だによく分からないのだが、たくさん戴いたので、多くの他のお客様や食品に興味がありそうな方に、一枚つづでも差し上げたら、いろんな反響があって面白かった。

 私自身は「ミャンマー」と「ベトナム」「タイ」に囲まれた「ラオス」という国については、行ったことがなく、友人が現在写真撮影の為に行っていることや、友人の小さな旅行社が主催旅行を企画していたので、その旅行記などで知っている程度で、少し暗いイメージの仏教国と言った知識しかない。

 しかし、少し調べてみると、ラオス料理は他の東南アジアの国々とは異なっていて、もち米を主食としていて、南姜、レモングラス、パー・デークと称される食材が最も重要な材料で、代表するメニューとしては「ラープ」という、刻み肉とハーブとライムジュースとスパイスから作られる料理があるらしい。

 もうひとつの主要な産物として、オーラムと呼ばれるスパイシーなハーブと肉を煮込んだ料理が有名なのだそうである。

 素朴でハーブなど山と河の幸をふんだんに使ったヘルシーな料理が数多くあり、カオ・ニャオ(もち米)の主食に、鶏、牛、豚などの肉料理や川魚を使った魚料理、パパイヤのサラダなどの野菜料理とディップ、スープなどのおかずと一緒に食べるらしい。

 ティップ・カオと呼ばれるふた付きの丸い籠に入れられた、もち米のカオ・ニャオを手で食べる場合がほとんどで、チェオと呼ばれる炭火で焼いたトマトやナス、唐辛子、コリアンダーから作ったディップは、ラオスの食卓には欠かせないもので、「モック」と呼ばれる魚もしくは魚卵、川海苔などを野菜・ハーブと混ぜて、バナナの葉で巻いて蒸したもの、あるいは炭火で焼いた料理も多いらしい。

 私が戴いた乾いた「川海苔」を油で素揚げしたものは、前菜として食べられたり、食卓を飾っていて、いろんな食べ方に加わるらしい。

 ともかく、川海苔には、ドライトマト、にんにく、そして白ゴマがたくさん入っていて、炙って食べたり、お結びを包んで食べたり、差し上げた方たちにも好評で、特に焼酎やお酒好きの人には、結構面白い「肴」のひとつとなったらしい。

 まだ一度も行ったことのない、「ラオス」だが、ちょっとしたきっかけで戴いた「川海苔」から、いろんな「ラオス」を垣間見る機会が出来たのだが、差し上げたのが「海苔」だけあって、数人の方は、「北海道の羅臼」と勘違いされて「ラウスの海苔?」と間違っておられたのが面白かったです。
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WC決勝トーナメント進出!

2010年06月26日 | プロスポーツ
 24日未明のワールドカップEグループの決勝トーナメント出場をかけた日本vsデンマークの試合は日韓協同開催の2002年以来、日本チームがWCでの決勝トーナメント出場を決めると言う結果を出し、FIFAランクの格上の強豪デンマークを破っての堂々の出場を決めた。

 ワールドカップ出場を決めた後の海外チームとの強化試合で悉く負けが続いて、岡田ジャパンへの期待感は徐々に低下して、一時は「岡田辞めろ!」のムードまで漂っていた「侍ジャパン」だったが、カメルーン戦での本田のゴールで一勝を挙げてからは、手のひらを変えたように決勝T進出への期待が高まっていた。

 しかし、強豪FIFAランク4位のオランダには0-1で善戦したものの、やはり格上のデンマークとの一昨日未明の試合は、「神に祈る気持ち」でTV観戦した。

 3時前からテレビの前で落ち着かない気持ちでの「サムライブルー」への俄かサポーターとしての応援だったが、なにせ「夜中」であるがゆえに、声を抑えて、またガッツポーズも控えめで、本田と遠藤のFKによる見事なゴールを興奮して見届けた。

 あの独特のやかましい南アフリカ大会に切っては切れぬ「ブブゼラ」の音は、決して心地よいとは感じなかったのだが、日本がゴールを決めるにつけ、いやいやそれほどでもないPと思うようになり、後半デンマークにPKのこぼれ球を決められて2-1となった時にも、今回はなぜか余裕で観戦できた。

 後半27分に選手交代でピッチに立った、岡崎が試合前に本田に「俺も取るからお前も取れ!」と話していた通りに、相手ゴール前で本田がキーパーを交わして出した球を岡崎が落ち着いて決めて、3-1となった時に勝ちを確信できた。

 それにしても、過去3回のワールドカップ出場で、こんなにも成長して勝利に貪欲かつ素晴らしいゴールを決めての勝利で、堂々と決勝トーナメント出場を決めるなんて、3時半のキックオフ直後には予想もしていなかったほどの快勝で、日本中が大騒ぎとなった。

 たぶん、早朝未明にリアルタイムでテレビ観戦して、ニッポンの勝利を見届けた人たちは、眠気を感じつつも一日、とっても嬉しく明るい気持ちで愉快だったことだろう。

 日本国中で参議院選挙が公示されて、テレビ、新聞マスコミは選挙関連報道を続けているが、視聴者、一般の国民の目と耳は、しばらくは「ワールドカップ」に集中していて、参議院選挙は6月29日のパラグァイ戦が終わってからになるだろう。

 今回の勝利は、確かに本田、遠藤、岡崎らのゴールのお陰ではあるが、松井、長友らと共に、闘莉王、中澤のディフェンスの活躍とキーパー川嶋の度重なるファインセーブが特筆されるべき選手であり、岡田監督の言う「サッカーはチームプレイ」であることを証明した様な「岡田ジャパン」の番狂わせ勝利、決勝T進出だったと言えよう。

 蒸し暑い梅雨を吹き飛ばす様な「サムライニッポン」の決勝トーナメント進出の活躍は、日本中を明るくするエネルギーと希望、夢という言葉を再び蘇らす素晴らしい功績である。
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沖縄慰霊の日。

2010年06月23日 | 季節の話題
 1945年、昭和20年の8月15日に日本が太平洋戦争の敗北を認めて終戦を迎えたのだが、その約4ケ月前は、日本本土への地上戦を防ごうと沖縄本島を中心とした米軍との地上戦に沖縄は大変な戦いを強いられていたのである。

 その「沖縄戦」が始まったのが1945年の3月26日に慶良間諸島に米軍が上陸を開始して、4月1日には沖縄本島の西北部の「読谷村」に大量上陸して以来、約3ヶ月近くの悲惨な「沖縄戦」が実質的に終結したのが65年前の今日、6月23日だったのである。

 当時の沖縄県の人口は約45万人と言われているが、それを上回る米軍54万8千人に対して、日本軍は現地召集の俄か防衛隊や学徒動員を含めて10万2千人が戦ったとされているが、日本軍は本土防衛のための持久戦を展開して、多くの住民が巻き込まれて、日本軍による住民虐殺や住民の集団自決なども含め、一般住民9万4千人、日本軍兵士、軍属9万4136人と、米軍1万2520人が犠牲になったとされている。

 県民の死者数は推計で12万~16万人とも言われていて、沖縄戦では20万人以上の尊いいのちが亡くなったわけで、沖縄南部の糸満市にある慰霊の為の「平和の礎」には、米軍を含む人種、民族を超えて、沖縄戦で命を絶った人で姓名が判明している人の名が刻まれた、たくさんの黒い石碑が立ち並び、今日はここに多くの人が参拝し、手を合わせて祈ったのである。

 糸満市摩文仁の丘にある「平和記念公園」で、沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、菅直人首相も参列し、遺族ら3000人が正午に黙祷し、平和の尊さと戦争に繋がる基地や米軍の駐留問題などの撤廃と廃止を祈ったのであろう。

 私は1980年代に沖縄読谷村を初めて訪れた際に、米軍が日本の配色が迫る中、沖縄本島に上陸した海岸に立ち、遠くから突如やって来た米軍の上陸舞台に驚き逃げ惑う沖縄島民の困惑と恐怖を想像し、後に現地の知花昌一さんに案内された「チビチリ蝦蟇」の実態と金城実さんの作品である壕の入り口の作品と壕の中を見学したことを強烈に覚えている。

 壕の中は、小さな入り口の奥にスペースがあるのだが、ここにたくさんの島民が逃げ込んで、米軍の火炎放射の攻撃で多くの死者が出たことと、残った村民も多くは自決したと伝えられ、メガネや飯ごうの古いのが点在している状況に想像を超える衝撃を受けた。

 あれから数年後、よからぬ人の手によって、金城さんの壕入り口の群像が壊されたり、知花昌一さんが、沖縄国体のソフトボール会場の日の丸を焼くという事件が起きたりして、読谷村は有名になったのだが、つらい歴史上の事実は悲惨極まりないものだったのである。

 その後、読谷村については読谷高校出身の「キロロ」の活躍などもあって明るい話題もあるが、現在は社民党の参議院議員となっておられる、80年代の読谷村山内村長の米軍基地内に村役場を建てる英断なども勇気と平和への熱いメッセージとして記憶に残っている。

 いずれにしても、沖縄慰霊の日を覚え、日本の平和のために犠牲になったともいえる「沖縄」を強く記憶し、今後の米軍基地の縮減と普天間問題だけでない、安保体制の再検討が望まれる。
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参院選前9党討論会。

2010年06月22日 | 感じたこと
 参議院選挙の告示を今週の土曜日に控えて、今日なんと9党もの党首、代表による「公開討論会」が開かれたらしく、テレビ報道でその一部が放映されていた。

 菅直人新首相の下での新内閣が国民、有権者にどの様に支持されているか、または批判的に見られているかを計る上では、大切な国政選挙となるのだが、私は9党もの政党が目白押しで存在している現在の日本の政治状況そのものが、民主主義の危機的状況の表れとも言えると認識している。

 まずは政権政党の「民主党・菅代表」と「自民党・谷垣総裁」を軸に、連立内閣を組む「国民新党・亀井代表」、そして民主党との連立を解消した「社民党・福島党首」、「公明党・山口代表」、「共産党」「たちあがれ日本」「みんなの党」「新党・改革」の合計9つであり、各々の代表、党首が「自分たちの主張」をぶつけ合ったと思われる。

 我々有権者にとっては、党首、体表の討論も結構だが、立候補者の選挙区毎の「公開討論会」の施行を念じているのだが、一向に告示後の「公開立候補者の立会い演説会」なるものが実施されないのが現状である。

 昔、昔、私が幼い小学生だった頃は、選挙になったら「立会演説会」というのが、各選挙区毎に、地元の小学校の講堂などで行われていて、私の記憶では順番に候補者が壇上に上って、自分の言葉で決められた時間内に「政策、思い、自己紹介」などを行っていて、時には他の政党や候補者の批判もあったと思われるが、会場は熱気に包まれていた雰囲気を感じていた。

 新聞紙上やテレビでは「まとめた原稿」や「演説の一部」が掲載されたり紹介されたりはするが、本人の経歴や人柄、そして「なぜ立候補したのか?」などの肝心な本人の気持ちなどが伝わりにくいし、次回選挙期間中に、たとえ候補者と偶然出会ったとしても、せいぜい「○○党の××です。どうぞよろしくお願いいたします」とのいつもの大きなスピーカーからのウグイス嬢の声が聞こえるだけで、本人の生の声や考え方を直接聞く機会がほとんどないのである。

 個人演説会は、候補者陣営が企画すれば主催して行うことができるのだが、こうした集会は動員された支持者やファンの有権者が大半で席を埋めていて、他の候補者との比較や議論を通じて、有権者が一票を投じる判断材料にすべき情報が少な過ぎると感じている。

 今参議院選挙から、インターネットによるブログや選挙活動が一部認められる様になると言うが、なぜに候補者が一同に会して行う、従来に行われていた「立会演説会」と称する「公開討論会」に近いものが開催できないのか不思議でならない。

 たぶん、大きな政党でも小さな政党でも、その所属する候補者は、自分の考え方や異見に近い党に所属しているのだろうが、実際は選挙での勝利に向けて「可能性のある党」や大きな組織やバックの支持団体があるために、その○○党に所属しているだけという方もいるようである。

 つまり、立候補者本人の「自分自身の考え方」や「政策」について、自分の言葉で堂々と語ることの出来る候補者が非常に少なく、ただ「○○です。よろしくお願いします!」では、有権者は判断する材料に乏しく、いい加減な選択となってしまうのである。
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『夏至』ってお昼が長い日。

2010年06月21日 | 感じたこと
 京田辺の北部の住宅街に私は住んでいるのだが、約30年前にこの地に自宅を得て、まだ住宅ローンの返済が済んでいないのに、もう還暦を迎えてしまって、私たちの世代が多く住んでいる地域なので、いよいよ年寄りの町になるかと思っていた。

 しかし昨今、私たちの子どもたちの世代が同居したり、空き家になったり引越しをされた家に若い家族が住まわれるようにもなって、まるで一部では30年前が蘇ってきたかの如き、幼い子どもたちの歓声や遊ぶ多様な音に包まれることがある。

 先日来、なぜか私が仕事から帰って来る時間になると、ちいさなギャングの様な子供たちが私の車を見つけては、「あ、ゴジラだぁ!」とか「タヌキ-」とか口々に言いながら集まってくるようになってしまった。

 そういえば、五月の半ばから私の仕事帰りの時間はほぼ一定なのだが、日が長くなって、子供たちが私の家周辺の生活道路や近所のガレージや庭で遊んでいるのだが、明るい日差しに包まれているので、まだまだ夕飯の時間となるのではなく、元気なちびっ子たちの遊び時間となっているのである。

 私の家の前の狭いガレージに通勤でも使っている軽自動車を入れるやいなや、下は2歳から大きいお兄ちゃんは小学6年生までのちびっ子ギャングの様な男の子たちが思い思いのおもちゃや三輪車をお供に集まってきて、私に口々に話しかけてくるのである。

 三週間ほど前に、私が子どもたちと少しの時間だが、一緒に家の前の生活道路で遊んだことがきっかけになって、彼らの退屈しのぎの遊びの格好の相手にされて、今日も賑やかなひと時となってしまった。

 ちょうど我が孫のR君も来ていたので、一緒になって一時は8人ぐらいが赤や青の思い思いのビニールボールを投げたり、三輪車で行き来する者、またその集団の中でうろうろと、あっちへ行ったり、こっちへ来たりと右往左往しながら、遊びの中に入ろうとしている二歳児もいて、子どもたちの声に、まるで幼稚園状態になっていた。

 こうした光景は、ほんと懐かしいと我が妻が言うほど、まるで30年程前の私たちがここに住み着いた頃の雰囲気が醸し出されている様であった。

 実は、今日は「夏至」で、暦の上では日本のお昼時間が一年で一番長い日だったのである。

 どうりで、ちょっと遊んだだけでは子どもたちのエネルギーと好奇心は納まらず、なかなか暗くはならない外の明るさに、親たちもいつもより時間を忘れて、夕食の時間も遅くなっているようである。

 全国的には、「夏至に100万人のキャンドルを」という、地球温暖化に対する「電気を消す」ことを少しでも一斉に行おうという呼びかけのイベントが、8時から10時まで行われていたのだが、ワールドカップの北朝鮮VSポルトガルの実況中継があったので、テレビを消して「ろうそくの灯り」だけに参加したご家族はどれほどいたのであろうか。

 いずれにせよ、「無駄な電気」を消して、つまらないテレビも消して、ろうそくの灯りで食事をするのも、家族の結束と共にちょっとしたお洒落な雰囲気にもなったことだろう。
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「太らない食べ方」ってあるの?

2010年06月20日 | 感じたこと
 先日、私たちがやっている「男の料理サークル」の月に一度の「オーガニックランチ」のメニューの検討の材料にと、近くの大型書店に仕事帰りに立ち寄って、料理本のコーナーを探していたら、「太らない食べ方」の特集コーナーに、いろんな雑誌や料理レシピ本がたくさん並べられていた。

 今に始まったわけではないが、特に女性たちを中心に「○○ダイエット」と称する「痩せるためのノウハウ」を書いたレシピやタレントの実践的経験談を記した本が目白押しである。

 しかも、その著者が一時は「太りすぎから激やせ」したりしていても、また「元の木阿弥」となってしまって、所謂リバウンドしていても全く謝罪や購入した本の購読者に返金されることなんか全くなく、また「再び痩せたら」新しい本にしたらええとばかりの粗製乱造ぶりである。

 有名人がダイエットに一時成功したりすると出版社が黙っておらず、すぐ「ダイエット本」の出版に走っているのだと思うが゛、信じて疑わず本を買ったり、そのレシピや食事方法通りに真似して実践しても痩せない方も多い。

 今回の書店の特集コーナー「太らない食べ方」は、たぶん多くの女性たちが虜にされてしまうタイトルなのかもしれないが、「食べ過ぎたら太る」のは自明の理なのに、あえて逆説的なタイトルで注目を集めて、そこそこ売れているのだという。

 私はその本の多さにビックリしながら、初期の目的の男の料理としてチャレンジするオーガニックレシピに参考になりそうな本を見つけて購入して帰ったが、どうも「太らない食べ方」がなんとなく気になっていた。

 「太らない食べ方」なんて、やはり可笑しいのである。人間の体が老若男女を問わず、元気で健康であるためには、適度の量と栄養のある食事は欠かせないのだが、食べ方によって太らずに、「楽して痩せる」ノウハウなどはない。

 人間の大きな欲望の一つである「食欲」を無制限に近く自由にした上で、「食べても太らない」とすれば、相当栄養バランスが悪いか、体内の消化、吸収のメカニズムを司っている「消化器系内臓」を中心に、どこか病気なのではないだろうか。

 要は、「食べ過ぎたら太る」のは当然で、「いくら食べても太らない」食べ方なんてものはないのである。

 なのに、こんなタイトルで多くの「痩せたい女性たち」を誘惑して、ノウハウ本やレシピ本などを買わすのは、一刀両断すれば、「詐欺紛いの看板に偽りあり」ではないだろうか。

 このコーナーの本をくまなく読んだわけでも、試して見たわけでもないのだが、自明の理である、「食べたら太る」という当たり前の常識をあえて覆して「太らない食べ方」などというタイトルで誘惑するのは、もういい加減にやめたほうがいい。

 規則正しい食生活と睡眠、適度の運動と食べ過ぎない我慢、特にスナック菓子やジュースの類やジャンクフードと呼ばれる食事の脂肪分や糖分の多量な摂取は、太るだけでなく糖尿や高血圧などの成人病的疾患を発症させるベースになってしまう危惧が高いのである。

 健康で太りすぎな体でいたいなら、とにかく「食べること」だけでない趣味や運動、仕事に喜びを得ることではないだろうか。
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奇跡か番狂わせか!

2010年06月19日 | プロスポーツ
 ワールドカップ南アフリカ大会に出場した「岡田ジャパン」は、イギリスの予想紙の前評判ではEグループで最下位だったのだが、初戦のカメルーン戦に本田のゴールで1-0で勝ったために、賭けのオッズも16倍から一気に2倍となったというから、日本チームが予選リーグで初勝利をあげたのは、番狂わせだったようである。

 そして今夕行われた世界ランキング4位の強豪「オランダ」との戦いに、今度は「奇跡を期待!」して戦ったのだが、「番狂わせ」をした日本だったが、「奇跡」は起こらず、惜しくも0-1で敗退した。

 今度のFIFAワールドカップに限らず、スポーツの試合においては必ずしも前評判通りの強豪が勝利を収めるとは限らないのが、「勝負の結果」なのだが、前半善戦して防御に努めていた日本イレブンだったが、強烈なオランダのミドルシュートを後半8分に、この大会でファインセーブを繰り返していたゴールキーパー「川嶋」だったが強烈なボールを跳ね返せず、初の失点が決勝ゴールとなって負けちゃいました。

 ドイツがセルビアに負け、スペインがスイスに負ける、またフランスが二連敗するなど、「奇跡か番狂わせ」が続く今大会だが、日本に二匹目のドジョウならぬ、「奇跡」は起こらなかった。

 どんなスポーツでも、勝利の女神がどちらに微笑むかは、素人だけでなく専門家やスポーツ評論家でも分からない場合が多いものだが、今回のテレビ中継を見ていても、後半に一点をリードされてから、漸くエンジンがかかった様に相手ゴールめがけて攻撃に集中しだした日本イレブンに対して、解説者は「まだ大丈夫、ここで一点入れれば・・・」などと、全くテレビの前の観衆と同じ気持ち、すなわち「希望的観測」の同点を期待して話していた様に感じた。

 私が大好きな「プロ野球」の中継でも、いつもの○○解説者は、「ここで打てば楽になるんですがね・・・」などと、解説ではなく期待を込めた「ファンと同じ感情、気持ち」でアナウンサーの振りに答えている場合が多く、「当たり前やんか」と思ってしまって、もっと専門的な解説やアドバイスをしてほしいと思うことが多い。

 長いペナントレースを戦っているプロ野球のレギュラーシーズンも約60試合前後を消化して、セパ交流戦も終わって、各々のリーグ覇者を目指しての戦いに戻ったのだが、毎シーズン、新聞、テレビで繰り返されている、新聞記者や評論家たちの順位予想などで、シーズン終了後、優勝チームだけでなく、一位から六位までを完全に当てたケースを殆ど観たことがないのは何故なのだろうか。

 つまり、スポーツの世界には実力や技術の差はあるが、決して技術や実力の差だけで勝負が決まるのではなく、時の運や偶然やラッキーなプレイなどが起きることによって、意外な結果が多く生じているのであって、予選リーグ最終戦となる、残るデンマーク戦の戦いで「奇跡」や「番狂わせ」をもう一度期待して、日本のワールドカップ初の決勝リーグ出場を獲得してほしいものである。
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「参議院」選挙に突入。

2010年06月17日 | 日本の課題
 民主党を主体とする「菅新内閣」になって一ヶ月足らずで、支持率の大幅な回復現象が、マスコミ各紙やテレビの緊急世論調査などで明らかになったため、「ここぞ!」とばかりに、菅首相と民主党は「参議院選挙」に早く打って出るため、通常国会の会期延長をせずに
提出議案については55%強という戦後最低の成立率のまま、国会を閉幕し、6月24日告示、7月11日投票の参議院選挙へと突入した。

 半月ほど前にも、このブログ「ガリバー通信」で書いた如く、現在の二院制は、日本の国会史上で、今ほど意味がない状況になっているのはないと思うほど、衆議院選挙の臨時版的無意味に等しいと思われる、国会議員になりたい立候補者の総選挙では勝てない人の、二次試験的受け皿となっているだけと言った感じで、本当にムダだと言わざるを得ない。

 昨年夏の衆議院総選挙でだめだった人、つまり落選はした候補者を、今度は参議院選挙で擁立し、ともかく国会議員にするための「参議院」に成り下がったと言っても過言ではない状況と化していると思うのである。

 もうひとつは、タレント的全国的あるいは地方で人気のある人や有名人を立候補させて、自党の勢力を少しでも増やそうとしている、各党の思惑を少しでも成就させるための、第二国会としての役割しか担っていないのが現状である。

 当初の参議院は、設立当初は二院制という列記とした「民主主義」の建前の下で、それなりに存在理由に基づく、候補者が全国区と地方区で選挙戦を戦って、所謂政治家色の少ない、民間人や専門分野や業界団体の代表などが立候補していて、それなりの存在意義が少しはあったと思われる。

 しかし、ここ数回の参議院選挙を見る限りは、何とも言いがたしの実態で、どう考えても衆議院議員の二次的役割、つまり野球でたとえれば、衆議院議員を一軍とすれば、二軍か将来の表舞台に立つべき、国会議員の養成所的役割とでもいうべき役割の部署となり下がってしまっている。

 私は声を大にして言いたいが、日本の国会議事堂の右半分が現在の参議院として使用されているらしいので、いい加減に多額の税金を使って、国会議員ごっこをする二軍の参議院を無くして、右半分は衆議院議員の各党控え室兼党本部などに使用して、無駄な税金を減らす思い切ったリストラをすべきと提言したい。

 民主党も自民党も、マニフェストでは国会議員の削減を謳っているようなので、中途半端な衆参両院の定員削減という曖昧な政策ではなく、「国会」をひとつの議院、つまり衆議院だけにして、十分な国会会期を設定して、じっくりと議論し提案し合って、国民、有権者に分かりやすい「開かれた国会」を実現していただきたいと懇願する。

 今回の参議院選挙でも、新党やいい加減な新興宗教団体などの候補者が目白押しで立候補する予定で、泡沫とまでは言わないまでも、多額の税金と労力が費やされる「参議院選挙」は、もう最後にしてほしいものである。
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