ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

健康に正しく強く!

2007年04月26日 | ファミリーイベント
今回の市長選に、多くの方々からの励まし、カンパ、差し入れ、お手伝いをいただき、心から感謝とお礼を申し上げます。

 市民の方々、市外からのエールもたくさんいただき、恐縮しながら大変うれしく、自慢したいくらいでした。

 その中に、私の母からのカンパと励ましの一言がありました。

 母は大正5年生まれの90歳で、父が亡くなってから38年間、大阪の実家で一人暮らしをしています。

 数年前からは、認知症と言われる症状が出て、今食べた食事も覚えていなかったり、電話で話しても、よく理解できなかったりと、毎日はデイサービスやホームヘルパーさんのお世話にもなっています。

 しかし、私の市長選への立候補の知らせを受けて、カンパを振り込んでくれて、その振込用紙に、「健康に気をつけて、正しく強く頑張ってください!」と記してくれたのである。

 間違いのない母の字であり、少し字が揺れている様にも感じたが、受け取った私は、強い感動を覚えたのである。

 現在、今、ここに、こうして生きていられるのは、言うまでもなく母の存在と、長年の間、私を見守ってくれた愛情のお陰である。

 父が他界したのが、38年前であり、父が60歳の歳であった。

 その息子である、私ももう少しで60歳という年齢を迎える。

 信じられない様な現実があり、私は父の年齢を超えて生きることが許されるとしたら、私に出来るならば、少しでも世のため、人のために生きられる「生き方」をしたいと思う、思いが今回の市長選への立候補の、私的な理由でもあった。

 その背景に、亡き父と、今も認知症はあるが健やかに生きている、実母の生き様がある。

 私の行動力の原点でもある、母の言葉に大変な重みを感じた。

 「健康に気をつけて、正しく強く頑張って!」

 肝に銘じて、今後の生き方も生き様も、母の言葉を大切に生きようと思う。
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4年後って、わかりますか?

2007年04月25日 | 地域の話題
さて、市長選挙が終わり、私の選挙活動を手伝って下さった方が、期日前投票を済ませて、日曜日からの旅行から帰られて、「残念でしたね」と言いながら、訪ねて来て下さった。

 私は事務所の片付けに始まって、各種整理、挨拶、文書でのお礼、支払いなど、選挙中の多忙さとは異なるが、相変わらずの「事多し状態」である。

 自宅の書斎兼事務所に来られて、色々と話されている彼の手元をちょっと見たら、何故か指先を怪我されて、赤く血で染まった後がある。

 そこで、「どうなさったのですか?」と伺うと、何と、「今回当選した候補者と同じ顔をした犬が・・・」向かって来たので、「くやしい思い」で、「あっちへ行け!」って手で払ったら、タンスか何かに当たって怪我をしたらしいのである。

 そう、今朝彼が観てしまった「夢」の結果だったのである。

 さぞかし悔しくて、眠むられても「選挙戦」の経過と結果が、諦めきれないほど、悔しく思っていただいていたらしいのである。

 何と、「夢」にまで、その「悔しさ」が反映して、その「敵」でもあった、相手候補の「顔」をした「犬」が襲いかかってきたので、「あっち行け!」ってやったらしいのだ。

 私も、今朝の「夢」に可笑しな「錯覚」とでも言う感じの、現実と夢が交錯した感じで目覚めてから、「現実」を改めて確認した部分があった。

 ところで、会う人、話す人、二人に一人は、「4年後」を口にされる。

 私は、いたってさばさばした感じで、選挙後の「片づけ」を中心にやっているせいか、ゆっくり休んで、それから「考える」ことが、たくさんあると思っている。

 でも、「4年後」を期待されたり、要請されたりする問いかけには、全く現在は「答える」ことが出来ないでいる。

 誰にとっても、『4年後』どころか、極端に言えば、「明日」もわからない場合がある様に、私にとっても、周りの人々にとっても、4年後など分らないのではないだろうか。

 1460日、三万五千時間という、とてつもない時間の経過で、私の心身共の「健康」や「やる気」や「家族」「経済」そして、一番肝心なのは、その4年後が「私にとっての時」かどうかが、全く判らないのである。

 誰もが歳をとり、誰もが時の経過とともに「変化」するのである。

 そんな「時の経過」が幸いするのか、災いとなるのか、全く想像も出来ないのである。

 皆さんにとっても、「4年後」って、わかりますか?
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市長選の結果とご報告

2007年04月24日 | ガリバー旅行記
 4月22日投票、即日開票の京田辺市長選は、午後10時過ぎに大勢が判明し、私、たちばな雄介は、全く予想を下回る得票数で、完敗でした。

 昨日は、「完敗」を肝に銘じて「乾杯」しました。

 私が市長選への立候補を決意して以来、70日間の戦いが終わりました。

 私は、現在の京田辺市に居を構えて27年。この町でプレイスクールという、子どもの遊び場活動のリーダーとして「ガリバー」と呼ばれながら、91年に当時の田辺町議に当選以来、無所属、市民派の立場から、10年前の市制移行で市議会議員になり、通算4期16年の議会活動をしてきました。

 生活者市民の立場から、政党、組織、団体と関わりのない、所謂しがらみ、地縁、血縁と無縁な普通の市民のひとりとして議会活動としての市政のチェックとリサイクルバザールや内モンゴルとの交流、料理サークル、ボランティア活動などの市民活動をしてきました。

 今回の市長選挙には、「このままではいけない」「黙っておれない」と立ち上がって、「市民の眼と心で 変えよう!市政を」を合言葉に、多くの市民、友人、学生達に支えられて、事前準備と一週間の選挙活動を精一杯行いました。

 しかし、残念ながら結果は完敗でした。

 石井明三氏(59歳・前市経済環境部長・自民党推薦)が当選され、新市長になられました。

岡本茂樹氏(62歳・元宇治市監査事務局長、現市長が後継として指名)は、惜敗されました。

 今回の選挙は、現市長の町長、市長としての3期12年の後を受けての新人3人による三つ巴の選挙でした。

 でも、選挙戦になると旧態依然とした選挙手法での、地元土建業者や商店主、政党、宗教団体、地域、サークル、その他の組織の思惑が先行した、「どちらが得か」のしがらみと地縁、血縁の選挙と化しました。

 今回の市長選から初めて公費負担で、選挙期間中にマニフェストが頒布できるようになって、少しは政策重視の論戦を伴った選挙が実現するかと思いましたが、全く古いタイプの「連呼、連呼」の攻防だったと思います。

 私は、施策の目標、手段、期限、財源などを記した「マニフェスト」を学生や仲間達と議論しながら、創り上げて、A4版のチラシとして、新聞折込や手渡しで配布しましたが、市民、有権者には、しっかりと私の主張や訴え、夢などは伝わらなかった様でした。

 しかし、選挙期間中には、多くの住民の方々と出会い、握手を交わし、熱いご声援と気体の眼差しを受け止めさせていただき、とっても嬉しく、楽しく、力強く、私を支えて下さった市民、友人、学生、家族と共に戦うことが出来たと感謝しています。

 今後は、多くの励ましの言葉、カンパ、電話、メール、お手紙等をいただいた、市民の皆様や全国各地の友人、知人たちのエールを胸に大事に受け止めて、この感動と感謝を力に、さらにな精進を重ね、健康に留意しながら、ゆっくり、しっかりと歩んでいきたいと思っています。

 本当にありがとうございました。
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市長選、完敗でした。

2007年04月23日 | とんでもない!
 市長選の投票が終わり、開票が始まり、最初の10%で3者とも1000票の途中経過でスタートしたのですが、結局は石井候補が12000票以上、岡本候補が10600票、そして私は、何と4394票という大差の完敗に終わりました。

 市民の皆さんをはじめ、市外からも多くの友人、知人からも、たくさんの励ましと共に、多くのメッセージをいただき、本当にありがとうございました。
 
 私が、今回の市長選挙に出ることになった、「きっかけ」は、今回の勝者である、元市経済環境部長が立候補されることになり、この方が市長になれば、大変なことになるとの危機感と、議会議員として誰かに市長を委ねて、何とかして貰いたいとの願いだけでは、いけないと思ったからでした。

 「このままではいけない!」、「市民の眼と心で 変えよう!市政を」と選挙期間中、どれだけマイクで叫んだことだろう。

 これ以上、「役人による役人のための市政」を続けさせては、市民にとって、私達の子ども達の世代、孫の世代にとっても、良くないとの強い思いで、市政を市民の手に取り戻そうと、この一週間の選挙を戦いました。

 しかし、新住民と言われる人々に、私の思いを理解していただくことと、しっかりとアッピールをしたつもりですが、「不満や行政を変えなければ」という思いは新住民には殆どなかったみたいでした。

 選挙では、地縁、血縁をはじめとする「しがらみ」を続け、利権を守ろうとする古いネットワークが、旧態依然とした選挙手法と構造で、選挙を押し進めて、私は2候補は市役所職員経験者で、地元出身の「旧住民」の組織と選挙戦術の「狭間」に埋没してしまいました。

 「政策マニフェスト」を初めて掲げての地方自治体首長選挙でしたが、全く新聞折込のA4チラシは、市民の有権者に読んでもらうには至らなかったようです。

 ともかく「惨敗」としか言いようはありませんが、この町、京田辺市を愛する住民の一人として、より住んで良かったと思う町にするために、今後も「自然・いのち・元気」をスローガンに、自分自身を磨き、皆さんと共に歩みたいと思います。

 今後とも、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
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市長選挙の選挙活動終わりました。

2007年04月22日 | ちょっと可笑しいよ
 一週間の京田辺市長選挙の選挙活動、おかげさまで元気に終えることができました。

 皆様のご声援、ご支援を心から感謝申し上げます。

 結果は、神のみぞ知る。

 投票に行ってくださいね。
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マニフェスト2007(たちばな雄介)

2007年04月14日 | 感じたこと
京田辺市長選挙
たちばな雄介(京田辺いきいきネットワーク)
市政マニフェスト
『市民の眼と心で 変えよう! 市政を』 
①「子ども・高齢者・しょうがい者支援」
②「情報公開による市民参画と改革」
③「自然環境の保全と開発の抑制」          
④「同志社大学との連携と、文化・教育支援」   
⑤「京田辺ブランド育成、農と観光促進」 
<マニフェスト実行のための財源>
   
1.子ども、しょうがい者、高齢者のサポートを最優先する。
1-1
目標  子どもの就学前迄の医療費助成を小学校卒業までに引上げ。
手段  京都府が9月から実施の入院費助成に加え、市独自で12歳迄の子どもの通院医療費を助成
期限  今年度6月から着手、9月に実施
財源  必要な予算は約8000万円。

1-2
目標  子育てに悩む保護者をサポート。
手段  子育てネットワークへ保母、看護婦、教育者、医師などを派遣・情報提供
期限  年度内に概要を決定し、来年度から実施
財源  公的機関で働いている人に協力を求める。

1-3
目標  しょうがい者自立支援サービスの自己負担費を20%軽減し、施設・在宅ケアを支援
手段  しょうがい者の生活実態を把握し、生きるために必要なサポートの経費負担を少なくする。
    ※就労が困難なしょうがい者の生活支援は行政が負担すべきと考えるため。
期限  市長任期の4年間のうち段階的に実施
財源  必要な予算は4000万円。

1-4
目標  市内9小学校区毎に介護サービス地域拠点を設置。
手段  現在の介護サービス拠点を分散し、住民センターや公民館を拠点に、ホームヘルパーや看護士の24時間常駐体制を整え、小学校区域の要支援者を支援する。   
    ※将来は「地域協議会」方式を取り入れ、地域毎の予算で文化・環境・福祉活動の拠点とする。
期限  市長任期の4年間に構想を確定する。
財源  必要な予算は4000万円。(9小学校区に夜間専門職員の常駐費)

1-5
目標  市民のみなさんがくつろげる「一休ベンチ」の設置。
手段  バス停の広告付きベンチの撤去に伴い、景観に配慮したベンチを設置。
   (駅前やバス停、幹線道の歩道にひとやすみできるベンチ)
期限  2年以内に市内20カ所設置。
財源  約320万円(1台16万円×20台)
     市長の賞与の勤勉手当廃止分を充当。

2.情報公開と市民参画による改革
2-1
目標   指定管理者制度などの民間委託で、公共施設の土日利用、時間延長、使用料の減額、親切な窓口対応といったサービスの拡大
手段   住民センター、公民館、老人福祉センター、図書館、体育施設の運営実態を把握し、指定管理者制度に移行
期限   市長任期の4年間に順次検討、移行
財源   現在の公共施設の経費を2割削減できるため、新たな財源はなし。

2-2
目標   徹底した情報公開とその共有によって住民参画をすすめる。
手段   市民参画まちづくり条例の制定
     市民会議の設置と市民パートナーの採用
     市長及び職員が参加する「出前・ふれあい・地域ミーティング」の開 催。
     ※市民が行政について市長及び職員に対して発言が出来る懇談会
期限   市民参画まちづくり条例は2年以内に検討・制定
財源   新たに必要なし。人件費の削減などで、新たな事業、支援が拡大でき る。

3.自然環境保全と開発の抑制
3-1
目標  一休寺周辺の景観保全とミニ開発規制
手段  地区指定の変更及び景観保全条例を制定。
期限  就任後すぐに着手  
財源  法整備のため必要な財源はなし。

3-2
目標  興戸地蔵谷・南鉾立、大住責谷などの乱開発を抑制
手段  現在策定中の開発手続き条例の強化と開発構想段階での情報公開による地元協議の義務付け
期限  2年以内に制度化
財源  法整備のため必要な財源はなし。

3-3
目標  市内の緑、里山、自然環境保全
手段  地域ごとの緑の保全状況を調査し、保全度を認定する。
期限  市長任期の4年間に。
財源  行政パートナー(シニア世代の登用)による調査手当てを確保。
     

4.同志社大学との連携と文化・教育支援
4-1
目標  大学を活かした市民講座の増設。
    地域の環境・福祉・教育を学生がサポート。
手段  同志社との包括協定にもとづき、実施。
期限  市長任期の4年以内に。
財源  なし

4-2
目標  市独自の教員採用による小中学校教育の充実。
手段  少人数学級・特別支援教育・専科担任の採用
期限  市長任期の4年以内に。
財源  初年度は一億円を充てる。

4-3
目標  文化ホール、生涯学習センター、南部住民センターの整備
手段  長年、懸案であった文化施設整備を、市民を交えて協議
期限  向こう10年間の施設整備・建設・財源を計画的に準備する。
財源  文化施設・開発関連基金の切り崩しと市債の充当を慎重に検討する。

5.京田辺ブランドの育成、農と観光促進
5-1
目標  京田辺茶のブランド化と「茶香服甲子園(お茶の銘柄当て大会)」の開 催、付加価値農業の支援
手段  京田辺茶の独自ブランド化。
    有機減農薬農産物の生産・販売支援、給食食材に使用し、地産地消をすすめる。
    市内中心部に、地元ブランド品の販売・体験拠点を設置。
期限  市長任期の4年以内に。
財源  商工費の増額(補助金の活用)

5-2
目標  市内事業者の商品を京田辺ブランド化
手段  市内の中小事業、及びベンチャー企業の商品のPR 
    ※商工会及び同志社D-eggと連携。
期限  市長任期の4年以内に。(調査・発掘・公募)
財源  商工費の増額による支援

5-3
目標  あるく、ひとやすみを大切にした観光ルートづくり(一休さんの里づくり)
手段  市内の寺社、文化遺産、など観光スポットを巡る歩行者・自転車利用者のための散策路を整備
期限  向こう10年の長期計画
財源  行政のスリム化(固定経費の削減)で捻出


<マニフェスト実現のための財源>                      
目標  財政計画として、土木建設費を年間25億円に抑制(昨年41億円、今年度予算31億円)
手段  草内一丁田池の屋根付体育施設計画の中止をはじめ、投資的事業を削減。
期限  初年度から着手して10年間は削減する

目標   市税徴収率を95%(H17年度93.27%)に高め、固定資産税や都市計画税の課税対象を精査、市有地の売却
手段   滞納整理組合と連携、収納対策を強化する。
期限   初年度から着手

目標   負担金、補助金などを精査カット、コンサルタント委託を削減する。
手段   事務、事業の全てを市民参加の市民会議で検討、精査し20%カットする。
期限   2年間を検討期間とし、3年目から実施

目標   市長、特別職賞与の勤勉手当廃止、職員の人数の削減、特殊勤務手当削減
手段   報酬等審議会及び、市職員組合の検討協議の上決定する。
期限   市長、特別職賞与の勤勉手当廃止は初年度から。職員手当削減は1年以内に協議し実行

目標   公共事業の談合や不正、高値落札のできない入札制度改革の確立(IT入札、広域多数社競争入札の導入)      
手段   市内及び、周辺地域の業界業者と協議し、制度の抜本的見直しをする。
期限   2年以内に協議・検討し導入実施

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市長選、候補予定者公開討論会!!

2007年04月13日 | 地域の話題
 今夜、京田辺市中央公民館で、市長候補予定者3名による、公開討論会が開催されます。

 私も候補予定者として参加し、会場の皆さんに、市長になったらマニフェストを公開し、他の2候補との違いをアッピールします。

 他の2候補は、いずれも地方自治体職員として勤めて退職された方であり、しかも地元に生まれおられるので、地縁、血縁、しがらみがたくさんある方々です。

 私は、この町京田辺に移り住んで、まだ27年の、所謂「新住民」のひとりであり、町議として6年、市議として10年間、町役場と市役所を議会議員として、市民として見てきた、普通の住民です。

 素直に、市民の眼と心と声で、行政、すなわち市政を変えなければ、この町、京田辺は「住んで良かった町」「住み続けたい町」にはなりません。

 大型公共事業や地元業者への利権の配分の政治から、社会的弱者へのサポート、つまり高齢者、子ども達、しょうがい者ヘの支援を優先した「行政施策」に変えなければなりません。

 「変えよう、市政を」を合言葉に、市長選を闘います。

 ぜひ、皆さんもしっかりと候補予定者のマニフェスト、政策、人物を見極めて、選挙に行ってください。
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市長選へ。議員になった理由。

2007年04月12日 | 感じたこと
 私が当時の京都府田辺町議会選挙に立候補に至った理由は、そもそも次の様な出来事、気づきからだった。

 京田辺市に移り住んだのは1980年で、「雑創の森プレイスクール」という、「子ども達の遊び場活動」のリーダーとしてやってきたのである。

 当時の田辺町は、まだ田舎町で大阪からの交通アクセスであったJR片町線の駅、大住駅まで大阪方面から来ると、隣町枚方市の長尾までは電車だったが、ディーゼル車の一両に乗り換えて、それも2時間に三本ほどしかないダイヤだった。

 そんな田舎町のはずれの森の中で、子ども達との自由で楽しい「遊び」の活動をしているうちに、お母さんたちやおじさん、地元の方々とも知り合うようになった。

 私自身が興味があった、リサイクルバザーや映画会、コンサート、講演会などを主催し人集めするうちに、ちょっとした出来事があった。

 ある自主的な映画会の開催に際して、入場料1000円の参加費を告知して、100人を集めれば、映画の借用代10万円が払えるという経済での企画であった。

 小さなチラシを作って、市内の知り合いやスーパー、病院などに貼って宣伝したりしていたのだが、町の公共施設である「図書館」の壁面に宣伝用ビラを貼らして欲しいと申し出た時の話しである。

 「1000円」の入場料を取る企画では、公共施設での宣伝チラシを扱えないと断られたのである。

 しかし、その女性職員の背には、別の1500円を必要とするイベントのチラシが貼ってあったので、何故あれが良くて、これはアカンの???と聞くと、彼女は正直に、「あれは上から来たものだから」と言うのである。

 おかしいぞ、何で下から来たものはアカンのや。市民のための公共施設で、市民が企画した、非営利的活動に対して、情報を告知することすら出来ないなんてと思ったのである。

 行政、市役所は、誰のためにあるんや。納税者市民のためにあるんやないのか。

 おかしいぞ。議会に出て可笑しい行政を正さなければと、決断し、町議選へ立候補したわけである。

 それから16年。その延長線上に「市長選」が加わったのである。
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市長選挙は第四コーナーに。

2007年04月11日 | 地域の話題
 本番の選挙戦が、あと実質三日とちょっとに迫ってきた。

 連日、連夜、作業に追われているが、朝のいわゆる「駅立ち」から、いろんな問題点や課題が出る。

 今朝は、6時過ぎら近鉄新田辺駅頭に立ったのだが、7時前後から大きなスピーカーの候補予定者がやってきて、すぐ傍で「ガナリ立てる」のである。

 私の方は、生声での「あいさつ」を繰り返していて、「行ってらっしゃい、お気をつけて、市民派、たちばな雄介です」とやってるものだから、声がかき消されてしまう。

 その内、一緒に私のビラを配ってくれている、大学生の助っ人のE君が、「問題ですよ」と言い出した。

 私も候補予定者として、市長選を目指しているので、たぶん市議選への立候補予定者であろう御仁に文句を言うと具合が悪いかも知れないが、あまりにも酷いので、「ちょっと小さくしてほしい」と彼がお願いに行った。

 しかしほとんどボリュームは変わらず、彼はビラ配りを止めて。私の傍で「あいさつ」を一緒にするスタンスに変わった。

 彼曰く、「逆効果ですよ」、あの大きなスピーカー音の中で、ビラを配っていたら、同罪というか、同様の一派と見られて、印象が悪くなると言うのである。

 でも、私自身は、誠実に生声での「あいさつ」を続けるしかなかった。

 「市民参画と情報公開で、市政を変えましょう!!」
「市政を変えなければ、高齢者、こども、しょうがい者への優しい支援ができません」「談合や不正を許さない市政に変えましょう」と言い続けたのである。

 相手や他陣営の選挙戦術に惑わされることなく、自分らしく闘うことを続けて、大きな陸上グランドや競馬場に譬えれば、第4コーナーが見えてきた今、ゴールへの最終直線コースが、本当の選挙戦の一週間となる。

 あとは、ゴールに向かって、一直線に走るしかないのだ。

 でも後三日間に、どれだけ「自分をアッピール」できるか、議会通信と個人の紹介リーフレットと駅頭チラシほセットに、ポスティング作戦を展開中である。

 電話で、投函した「三点セット」のチラシに対する反応や、励ましのメッセージに、たくさんの勇気と元気をいただいて、元気に走りきるだけである。感謝。
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市長選へ、友人達の選挙結果。

2007年04月10日 | 日本の課題
 『選挙の春』である。4月8日の統一地方選挙前半戦では、東京都知事に石原慎太郎氏が三選され、私が期待した浅野史郎さんは120万票の大差で負けた。

 滋賀県の嘉田知事の応援部隊となる「対話グループ」のひとりとして期待された「野口陽さん」は、大津選挙区で次点であった。

 今夕、私は敗北した「野口さん」に大津市の自動車整備工場で会った。

 彼が闘った選挙戦で使用した「選挙カー」を譲り受け、私自身の選挙カーとして活用するため借用に行ったのである。

 赤いジャンバーを羽織った痩せた小柄な彼は、気さくに選挙カーの補強をしながら、スピーカーシステムの説明をしてくれ、初めて実際に会った私に笑顔でエールを送ってくれた。

 隣町の知人の元町議会議員の女性の知人から、フロン排出抑制運動の活動と共に、彼の話題を聞いてから10数年経って、私は本人に初めて会った。

 彼は二日前の県議選で残念な結果を宣告された張本人なのだが、全く落胆した表情や疲れを見せずに、私のチャレンジに対しての親切と共に選挙カーの使用を快諾してくれたのである。

 他の選挙でも、京都市議会前副議長の鈴木正穂さんも次点で惜敗し、遠く埼玉県さいたま市議選では、私の友人のボスである浅井さんが初挑戦し最下位で惨敗だった。

 隣の城陽市では府議選挑戦の本城氏、大阪府豊中市でも府議選で一村さんが当選ならずと、ことごとく私の友人、知人の敗退のニュースを目にした。

 そんな結果に私は動揺している間もなく、市長選の実際の火蓋が切られる四日後に向けて、選挙車として使う予定の来るが修理、補強中の大津市の自動車工場へと向かったのである。

 久しぶりに「春」を感じる、石山寺周辺の「さくら」に出会うことが出来たのが、とっても幸いであった。感謝。


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